「共産主義」礼賛の連中によって長い間「戒厳令」が敷かれ、
国民党一党独裁体制が続き、政党結成の自由さえなかった
時代に設立された台湾の初めての野党「民主進歩党」通称
「民進党」。
そして李登輝さんが国民党の中で「獅子身中の身」で、
「民主化」を進めていった台湾。
そして先の総統選で勝利し、李登輝さんの政治信条を継承し
5月に台湾総統となる蔡英文氏。
その蔡英文氏の就任とともに与党となる民進党と同じ名前を
つけますか。
そうですか。
なんと[恥知らず」なんでしょうか、民主党の連中は。
よく拙ブログで取り上げさせていただいている台湾の若者、
Chrisさんのツイートをそのまま民主党の連中に浴びせたいですわ。
ったく。
☆Chris*台湾人☆ @bluesayuri 12:03 AM - 15 Mar 2016
「民主党と維新の党が合流後民進党」ニュース、
台湾ptt別に燃えてない、全く気にならない
日本の中韓系売国党、311震災で台湾を裏切った
事もある、
冷笑しか感想がない。
「愛国、理想、信条」完全に持ってないのに、どうな党名を
変えても反日、左翼、共産党、朝鮮の為に働くだけ、
次は落選させよ!
そうだ!そうだ!その通りだ!!!
(*゚ロ゚)(*゚ロ゚)(*゚ロ゚)
ここまで日本人の気持ちを代弁してくれて本当にありがとう・・。
・゚・(つД`)・゚・ちなみに「台湾ptt」とは、依然下記ブログ記事でもご紹介しましたが、
批踢踢實業坊(Professional Technology Temple)の略称で、
台湾でも有数のテキスト式掲示板サイトです。
★「SEALDs」は中共の喧伝「一つの中国」と闘う台湾の若者達と
真剣に「現実の政治」を論じ合えるのか?共産党の別働隊で、
「僕たちも台湾や香港の若者たちと同じように政治を変えるんだ!!!」
と叫び、彼らとは真逆の方向へと突っ走っていく「SEALDs」とは全く違い、
真の民主主義を勝ち取るために戦っている台湾の若者は本当に
冷静でよく見ています。
その台湾の若者にもはや「冷笑」される民主党。
そりゃあ当然ですわよね!!
5年前、李登輝さんはじめ台湾の人たちに、失礼極まりない態度を
見せ続けた民主党。
私も絶対に許せません!!!
http://shuchi.php.co.jp/article/1412【李登輝・元台湾総統が語る東アジアの未来】
~(2)台湾が感動した安倍総理の友人発言~
(2013年04月19日 公開)
■李登輝 (元台湾総統)
≪東日本大震災での痛恨事≫
日本との関係を思うとき、私にはいまだに了解できない
ことがある。
このことについて少し述べたい。
99年9月21日、台湾大地震が起こったのは台湾総統の
任期があと8カ月で終わるときであった。
各国から救助隊がやってきたが、真っ先に駆けつけてくれた
のが日本であった。
人数も多かった。
またありがたいことに小池百合子代議士は、仮設住宅の
提供を申し出てくれた。
さらに、当時曽野綾子氏が会長を務めていた日本財団は
3億円を寄付してくれた。
授与式には曽野氏がわざわざ訪台され、私と会見した。
その際に私は曽野氏に対して、もし将来日本で何か起こったら、
真っ先に駆けつけるのは台湾の救助隊であると約束した。
しかし、先の東日本大震災ではその約束が果たせなかった。
震災発生直後、日本の対台湾窓口である交流協会を
通じて、すぐに救助隊の派遣を申し出たのだが、なかなか
話がまとまらない。
時間を無駄にはしたくないと考えたわれわれは、やむなく
山梨県甲府市のNPO(非営利団体)と話をつけて、
救助隊を自力で被災地に向かわせることにした。
台湾からの救助隊の第一陣が成田空港に到着したのは
3月13日。
すでに中国や韓国の救助隊は到着していた。
さらに日本に到着してからも、
「台湾の救助隊を迎え入れる準備ができない」
と外務省にいわれてしまう始末であった。
なぜ、当時の日本政府は台湾の救助隊を受け入れることを
躊躇したのか。
「台湾は中国の一部」とする中国共産党の意向を気にしたと
される。
日本の台湾に対する気持ちはその程度のものだったのかと
残念に思った。
日本に何かあれば、台湾の救助隊がいちばんに駆けつける
という曽野氏との約束を果たせなかったことは、私にとって
生涯の痛恨事である。
また2001年、持病の心臓病の治療のために訪日しようと
した際、私を入国させることで中国を怒らせることを恐れた
当時の外相や外務省の反対で、なかなかビザが下りない
ということもあった。
「義を見てせざるは勇なきなり」
という武士道の精神を表す言葉がある。
武士道は日本人にとって最高の道徳のはずである。
このとき私は、日本という国がほんとうにおかしくなっていると感じた。
だが一方で、こうもいいたい。
東日本大震災で日本国民がみせた節度ある行動や
献身的な自己犠牲は、まさに武士道の精神そのもので
あった。
武士道という言葉自体はいまの日本ではあまり使われなく
なっていたとしても、その精神はけっして失われていなかった。
そしてそれを世界の人が称賛したのである。
しかし、東日本大震災で日本国民がみせた際立った優秀さ
とは対照的に、政府の対応はあまりに嘆かわしいものであった。
震災直後、時の首相であった菅直人氏はヘリコプターに乗り、
上空から被災地を見て回ったものの、それだけで終わって
しまったという。
本来であれば菅元総理は、自衛隊の幕僚長と内閣の
官房長官を従え、ヘリコプターから降りて被災地を一つ一つ
見回り、被災者を慰問し、地方自治体の指導者から
救済措置と財政負担を聞き取ることが必要であった。
国民が苦しんでいるのに、菅元総理はどのような顔をして
ヘリコプターに乗っていたのか。
彼はしょせん民主党の指導者であって、国家の指導者たる
資格はなかったのである。
震災以降、いつまでも処理されない瓦礫の山をみて、何度
台湾から救助隊を出してあげたいと思ったかわからない。
私は、日本国民の代わりに涙する機会が多くなった。
民主党の指導者たちには、「国のかたち」をどうしていくのか
という政治家として当たり前の視点が欠如している者が
多かった。
ちなみに、2001年の時の外相は、あの
河野洋平です。
そしてそのあとが、あの
田中真紀子でした。↓
(※は私が追記した文です)★台湾の李登輝りとうき総統が来日(070610更新)より[李登輝訪日問題の経過]
◆2001年
岡山の病院で心臓病の治療を受けるため訪日を希望。
河野洋平(※1)外相はビザ発給に反対して外相辞任までほのめかす
(が結局、辞任せず)。
森喜朗首相が「人道上の問題」としてビザ発給を指示。
中国政府は「報復」として、李鵬(※2)全人代(国会)常務委員長の
訪日を延期。
(※1:河野洋平の跡を継いだのが田中真紀子。
2001年5月1日、北朝鮮の金正日の長男、金正男が
出入国管理法違反により成田空港内で入国管理局に
身柄拘束されたとき釈放。
拉致被害者奪還の絶好の機会を自ら葬る。)
(※2:李鵬はご存知のとおり、1993年、日本について、当時の
オーストラリア首相、ポール・キーティングが訪中した時に、
「日本は取るに足るほどの国ではない。
20年後には地上から消えていく国となる」
と答えた人物。)
◆2002年
慶応大学の学生サークルが、来日講演を要請。
中国との関係悪化を恐れる慶応大学当局(※3)は、講演の中止を決定。
また、小泉内閣の初代外相田中真紀子は、ビザの発給を拒否。
田中真紀子は、72年の日中国交正常化と台湾との断交を行った
「元祖・親中派」、田中角栄元首相の娘。
(※3:かつてサンデーモーニングで「自衛隊は殺人者集団だ」などと
言い放った金子勝のような極左を追放できないままの慶大
だからこうなる。)
◆2005年4月
中国各地で反日暴動。
◆2005年8月
出入国管理法の改正で、台湾からの観光ビザが免除された。
これ以後、外務省がビザ発給を制限して台湾人の入国を
制限することができなくなる。
(※この時の外相は故・町村信孝さんでした。)
◆2006年9月
安倍政権発足。
◆2007年6月
6年ぶりの訪日が実現。
「奥の細道」を歩く。
当時も当然テレビは無視。
それでもネットがあったから情報をいろいろと得ることができました。
そう、李登輝さんは東日本大震災の被災地となってしまった松島はじめ
岩手県、宮城県を訪れているのです。
「もし将来日本で何か起こったら、真っ先に駆けつけるのは台湾の救助隊で
ある。」
そう約束してくれて、その言葉通りに正明に駆けつけてくれた台湾。
なのに、それに「待った」をかけた民主党政権。
被災地を一刻も早く助けたいという李登輝さんの強い思いを無視し、
砕いたのは民主党の連中です!
絶対に許せません!!
★李登輝前総統「奥の細道」の旅、東北地方を訪問《2007年6月6日》(台湾駐日経済文化代表処)李登輝さんの「奥の細道」のスタート地点となった東京・深川の
芭蕉記念館で詠んだ句。
「深川に 芭蕉を慕い来 夏の夢」そして、松島で詠んだ句。
「松島や 光と影の 眩しかり」6月4日は「後藤新平150記念生誕祭」に参加。
後藤新平は私も尊敬する政治家の一人です。↓
★【日本の大切な隣人、台湾の心 ⑤】 「後藤新平」の「自治の三訣」と「台湾」まず我が身を修めるというほかはない
我が身を修める自治の力が治国平天下の基礎である
かねて私のいう自治の三訣(さんけつ)
人のお世話にならぬよう(自助)
人のお世話をするように(互助)
そして報いを求めぬよう(自制)
と、少年時代から心がけて
これを実行するのであります。
この後藤新平の言葉を聴くと、いつも思います。
マスコミや、民主党、共産党らがやってきた扇動は、
この後藤新平が進めた「自助」も「互助」も「自制」も
全てすっ飛ばし、社会への文句ばかり、責任のなすりつけ
ばかりの扇動であると。
陰で国家を支え、社会を支える多くの人たちの努力を全く
見ようとせず、感謝の気持ち、ありがとうの気持ちの欠片も
持とうとせず、全て「社会は悪」、「国家は悪」だと国民に思い込ませる。
人間の最も弱い「妬み、嫉み」を徹底的に植え付けて、憎しみを
増大させていく。
吐き気がするような卑怯で汚い手口で国民を洗脳させていく。
台湾らしさを重視しながら行われた儀藤新平による「台湾統治」は
まさしくこの「自治の三訣」が生かされたと言っていいと思います。
その台湾でも李登輝さんや金美齢さんら「多桑(トオサン=父さん)世代」に
受け継がれていった「日本精神」を戦後、めちゃくちゃに破壊してきたのは
卑怯で汚い洗脳と扇動を続けてきた連中でした。
★台湾の「多桑(トオサン=父さん)世代」と若者世代から日本が学ぶこと。国民の目の前にニンジンをぶら下げただけの政策で国民を騙して
政権を奪い、その後は、日本人が苦しもうがどうしようが
お構いなしの「売国への道」を突き進んでいった民主党。
そしてその民主党の悪事をことごとく隠蔽し、国民に誤った認識を
植え付けてきたマスコミ。
震災時、最も早く救援の手を差し伸べてくれて、最も多くの義捐金を
寄せてくれた台湾に、震災1周年の追悼式でも非常に無礼な行為を
働いた当時の民主党政権。
「冷酷そのもの」だった民主党を非難することは全くなかった。★2020年東京五輪の「エンブレム」。
「桜のリース」にこそ日本国民の「思い」が込められていたはず。
そして東日本大震災での各国の支援への御礼の気持ちも込められるはず。★【国会中継】 世耕弘成・参議院議員が、震災一周年追悼式での「台湾代表」に対しての非礼について民主党を追及。本当に
「許せない!」という言葉しか出てきません。
マスコミの矛先は絶えず「日台友好」を掲げる政治家たちに
向けられてきました。
日本のマスコミと台湾のマスコミの違いをどうか確認してください。↓☆Chris*台湾人☆ @bluesayuri 2016年1月18日
「安倍首相、蔡英文氏の総統圧勝に祝意を」ニュースは
#台湾 で嬉しくて燃えて、9つ複数のメディアが日の丸と
安倍首相一緒の写真で報道された。
特に「台湾は日本の古くからの友人」と言う話、
「日の丸」は昔に日台の大切な思い出ですね。
感激!
★蔡英文當選總統日本首相安倍晉三立刻道賀
中国慌了馬上召見日駐中大使 賣台馬不能維護的台灣主權小英來做先日行われた台湾の総統選挙。
民進党の蔡英文氏の勝利報道に関連して台湾のテレビは、
Chrisさんがツイートしているように安倍総理の国会での答弁、
「台湾は日本の古くからの友人です。」
の他にも、2014年のニコニコ超会議での
「東日本大震災で台湾の皆さんが日本に送っていただいた支援、
今でもみんな忘れません!
その感謝を台湾の皆さんに伝えたくてこのブースにやってきました!」
という安倍総理からのお礼を伝えていました。
中国はこのとき、習近平が馬英九を呼びつけ、
「一つの中国」
という恐ろしい言葉を握手をしながらアピールしていました。↓
★「SEALDs」は中共の喧伝「一つの中国」と闘う台湾の若者達と
真剣に「現実の政治」を論じ合えるのか?日本のマスコミは、この「一つの中国」という言葉を散々流していました。
日本のマスコミもそしてまた民主党らもみな、この習近平の側の
共産主義者です。
昨年の10月。
蔡英文氏は日本を訪れていました。
10月7日には、安倍総理のふるさとである山口県に行かれたんです。
★youtube動画:【台湾CH Vol.102】注目の台湾総統候補・蔡英文氏が来日!
対日関係の深化も求め[H27/10/11]★蔡英文訪日 岸信夫:沒有跟安倍會面的安排安倍総理の弟岸信夫衆院議員がスケジュールを立てて案内をされ、
現地では台湾向けに鉄道車両を作っている日立製作所を視察や
山口市の菜香亭、錦帯橋にも立ち寄り視察したそうです。
山口県知事とも会っています。
菜香亭は明治10年、料亭として創業。
井上馨、伊藤博文、佐藤栄作ら時代を担った人々が集った場所
だそうで、2004年10月、山口市の観光施設として生まれ変わった
とのことです。
この山口訪問時の岸信夫議員への台湾メディアのインタビューです。↓
【岸信夫議員】
先般4月、5月に台湾を訪問した際に、蔡主席にお会いして
その際に、是非日本にお越しくださいというようなお話をさせて
いただきました。
また日本にいらした際には私の地元にもいらしていただけると
有り難いというお話しをした結果、今回山口県にお越しを
いただくことになりました。
今回、蔡英文主席が山口県を訪問することついては、私からも
総理に報告をし、そして兄も大変そのことを喜んではおります。
ただ今回の蔡主席の日本訪問にあたって、総理と面会の予定は
全くありません。
今日一日、蔡主席と同席をさせていただきましたし、また
今回の訪問で何度かいろいろな場で祭主席と話をすることが
出来ました。
そうした中で今後の蔡主席の政治的な活動等についても
私自身も理解をさせていただいたつもりですし、機会を捉えて
総理にも報告しようと。
>ただ今回の蔡主席の日本訪問にあたって、総理と面会の予定は
全くありません。今は、こう答えるしかない・・。
中国共産党に牛耳られる日本。
そんな日本でいいはずがありません。
しかし日本のマスコミは中国共産党の側です。
共産主義者の巣窟なのです。
民主党も同じです。
この中国共産党に今にも飲み込まれそうな台湾で、民主主義を
守ろうと懸命に戦う台湾の若者たち。
マスコミが、あたかも普通の国民であるかのように突如取り上げ、
そしてとことん持ち上げる連中は誰もかれもが、その台湾の
若者たちと全く逆方向へと日本を導く「役目」を仰せつかっている。
自分たちのイデオロギーを隠す「ステルス扇動」という手口を使って。
「保育園落ちた日本○ね」も・・。
★【「日本ヘイト」の連携プレー(13)】「保育園落ちた日本○ね!!!」事件の時系列・総まとめ。
「イデオロギー優先」の扇動は手段を選ばない。自衛隊をあれほど嫌い、あれほど非難し、あれほど貶め続けてきた
連中が突如として、「自衛隊の命を守りたい!」と言い出しました。
野田政権時代、中国の言いなりになって、東日本大震災での懸命の
活動で疲れが最もピークに達していた自衛隊を最も危険な南スーダンの
PKOに派遣したくせに。
★さも「自衛隊員の命」を心配しているかのような民主党が
野田政権で決定した「南スーダンPKO派遣」。
そこには「冷酷さ」と「中国の影」が見てとれる。そして、突如として
「愛国」や
「保守」を叫びだす。
連中は息をするように嘘を吐く。民主党の新党名が
「民進党」・・。
私には台湾を馬鹿にし、そして日本国民を馬鹿にしている
ようにしか思えません。
絶対に許せません!
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