川崎中1殺害事件の判決に2000年からの少年法改正がどのように関わってきたのか。弁護側の「フェア」という言葉と「厳罰化」の妨害をしてきた連中を絶対に許せない!
- 2016/02/11
- 13:58
10日の横浜地裁の判決は「懲役9年から13年の不定期刑」でした。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160210/k10010404621000.html
【川崎中1生徒殺害事件 少年に懲役9~13年の判決】
(NHKニュースWEB 2016年2月10日 15時36分)より抜粋
10日の判決で、近藤宏子裁判長は
「被告は被害者が暴行されたことを知人に告げ口したと邪推して
怒りを募らせたもので、被害者に与えた恐怖や苦痛は甚大であり、
首を何度も切りつけ真冬の川で泳がせた犯行は凄惨というほか
なく、手口の残虐性が際立っている」
と指摘しました。
そのうえで、
「被害者を逆恨みし、知人からの報復や逮捕を恐れて殺害した
のは自己中心的で短絡的な動機であり、強く非難される。
ほかの2人の少年に指示するとともにみずからも切りつけて
犯行を主導しており責任は最も重い」
として、懲役9年から13年の不定期刑の判決を
言い渡しました。
これだけ「残虐性」を認めていながら、少年法の最高刑である
「懲役10年から15年の不定期刑」にさえ届かないとは・・。
2月2日に行われた初公判。
その時の被害者のお父さんの「意見陳述」です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160204-00006965-kana-l14
【意見陳述・被害者の父親】
「一生愛する人と会えない悲しみが分かるか」 川崎中1殺害
(カナロコ by 神奈川新聞 2016年2月4日)
〈意見陳述-被害者の父〉
息子(男子生徒)が亡くなってから1年が経とうとしています。
失った悲しみは、何一つ癒やされることはありません。
たぶんこれからもないと思います。
私は一生この悲しみと苦しみを負って生きていかなければなりません。
また、命を奪った犯人たちを一生恨み、憎み、許すことはないでしょう。
私はいま、息子が短い人生の半分以上を過ごした島で暮らしています。
とても小さな島です。
どこに行っても息子の思い出ばかりです。
いつも釣りをした岸壁。真っ黒に日焼けして泳いでいた海水浴場。
玄関から入ればいいのに、なぜかいつもリビングの窓から必ず
「お父さん」と言いながら入ってきた私の家。
どこにいても息子の姿を思い出してしまいます。
毎日、毎日、その思い出とともに生きています。
息子が生きていれば、楽しい思い出だったのですが、今では
つらい思い出になってしまいました。
息子と最後に会ったのは去年の1月2日でした。
その日は、午後の飛行機で帰らなければならず、午前中に
待ち合わせをして、一緒に昼食を食べました。
食べたのはいつも行く回転寿司でした。
その4日前に会ったときにも行った店です。
あの子はいつも…マグロとサーモンばかり食べていました。
少し照れたような笑顔で、おいしそうに食べている息子が
まだ目に焼き付いています。
食事のあと、京急川崎駅での別れ際に
「お父さん、今度の夏休みに島に行きたいんだけど」と
言ってきたのが最後になってしまいました。
島では夏に帰ってくると喜んでいた友達がたくさんいました。
私も楽しみにしていました。
しかし、息子が島に帰ってくることはもうないのです。
2月21日に川崎警察署の方から連絡がありました。
私はそのときはまだ海の上で仕事中でしたが、急いで港へ
戻り川崎へ向かいました。
本土に向かうフェリーのテレビでは事件のことが流れていました。
そのとき初めて発見された遺体が息子だと発表されていました。
しかしまだ心のどこかで間違いであってほしいと思っていました。
翌朝、警察署に行きました。
息子は寒い部屋で、顔に白い布をかけ眠っていました。
ここまで来ても間違いであってほしいと思っていました。
白い布をとると、息子でした。
切り傷やあざはありましたが、本当にただ眠っているだけの
ようでした。
しかし何度呼び掛けても目を開けてくれることはありませんでした。
その日から私は警察署での調書をとる以外は、川崎駅前を
歩き回りました。
もしかしたら犯人を見つけられるかもしれないと思い、一日中
歩きました。
あの河川敷から息子の服が燃やされた公園までも行きました。
犯人の家の前までも行きました。
買ったばかりの靴がぼろぼろになるくらい歩きました。
あの時から私の犯人に対する怒りは変わりません。
むしろ大きくなっています。
犯人は、13歳の子どもに対して複数で一方的な暴力行為を
行いました。
息子はとても気の弱い子でした。
年上に囲まれて、抵抗なんてできるはずがありません。
でも我慢すれば許してもらえると思っていたかもしれません。
真冬の川で泳がされても、カッターナイフで切られても、
コンクリートに頭を打ち付けられても、生きるために我慢して
いたのでしょう。
しかし、犯人は無慈悲に、そんな息子の命を奪いました。
息子がこれから得るはずであった喜びをすべて奪いました。
私たちが息子の成長とともに得るはずであった喜びを奪いました。
そのときの息子のことを考えると胸が握りつぶされるような思いです。
どんなに怖かったか、どんなに痛かったか、どんなに寒かったか、
考えるだけで気が狂いそうです。
息子は13歳の子どもでした。
しかし、犯人はそんな子どもに対して残酷なことをしました。
傷ついた息子を見て、どうしてやめようと思わないのか、犯人には
社会に暮らす人間として、持っているはずの気持ちがあるとは
思えません。
私は絶対許せません。
犯人にも、息子と同じ恐怖、苦しみを味わわせてやりたいです。
人の命を奪った者は自らの命をもって償うべき、こんなことを
言った人がいました。
しごく当然だと思います。
また、それができないのであれば、人間が古来持っていた報復権や
復讐権を個人に返すべきだと言った人もいました。
今、私が思っている、そのままです。
できることなら、自分のこの手で息子の仇をとってやりたい。
自分がしては駄目なことだと思いながらも、毎日のようにそう考えて
しまいます。
犯人は19歳の大人です。
少年ではありません。
選挙権を持つ私たちと同じ大人です。
なぜ報道では実名ではなく少年になっているのか、
理解ができません。
息子の命を奪った殺人犯です。
それだけではなく、私たち家族の人生も狂わせました。
犯人は分かっているのでしょうか。
自分たちがやったことで、息子だけでなく、どれだけの人間が不幸に
なり、毎日苦しんでいるのか。
毎日、毎日、涙を流している人間がいることが分かっているのでしょうか。
どんなに願っても、祈っても、もう一生、愛する人と
会えない苦しみが分かっているのでしょうか。
今回の公判で初めて犯人の姿を見ました。
しかし犯人が私を見ることはありませんでした。
本当に申し訳ないと思っているなら、それなりの行動があってもいいと
思います。
「反省しています」と言っていました。
赤の他人を鉄パイプで殴り、鑑別所に行ったときも反省をしたのでは
ないでしょうか。
反省しているから保護観察になったはずなのに、そのときの約束を
守っていません。
日吉事件の後も息子に謝り、反省し、「もうやらない」と言ったと聞きました。
しかし、息子の命を奪いました。
私が考えることができないような残酷なやり方で、です。
犯人の反省という言葉は信用できるものではありません。
息子のことを忘れずに背負って生きていきたいと言っていました。
冗談じゃないです。
息子の命は、犯人が背負えるほどちっぽけでは
ありません。
犯人もその親もあまりにも息子の命を軽くみているようにしか
思えません。
あの日から、いろいろ声をかけられます。
がんばろうと、一緒に涙を流してくれた人もいました。
前を向かなきゃねと励ましてくれた人もいました。
しかし私はいまだに前を向けていないと思います。
神奈川新聞は朝日にも引けを取らない極左新聞で、いわば
少年法に対しても当然「加害者側の人権」をやたらと尊重する
立場の新聞なので、本当は「ダブルスタンダードだ」と言いたい
ところですが、今回のお父さんの意見陳述は、被害者の家族の
思いが率直に出されているので取り上げました。
お母さんの陳述もありましたが、神奈川新聞は記事途中から有料
サイトとなり見られないのと、もう一つは、家庭内の情報、いわゆる
「個人情報」的な内容があり、これはあくまで「法定での意見陳述」で
あってマスコミ用に公開したものではないことから敢えて取り上げる
のはやめました。
他の日テレニュースや、毎日新聞も見てみましたが、「まだ節度を
保っていた」と感じたのは、朝日新聞を読んでしまったから余計に
そう感じたんだと思います。
「要旨」といいながら最も長い文面でお母さんの陳述を報じていた
朝日新聞だけは、いわゆる「そこまで報じる必要があるのか」という
部分が抜きん出て多かったのです。
記者発表という「公開」が目的では決してなく、あくまで
「裁判での意見陳述」なのです。
ご遺族の同意があったとは思えないので、記事にする場合は、
やはり個人情報に最大限、気を配るべきはずだと思うんです。
でも朝日新聞の記事にはそれが全く感じられませんでした。
ただただ週刊誌に見られる「覗き見」のような「嫌らしさ」が
見え隠れしていました。
更にそこには、朝日らしい「極左のプロパガンダ」にまで繋がる
「恣意的なもの」がはっきりと見えてくるんです。
実際、事件直後の家庭に関する過剰な報道でも、やはりご家族を
相当苦しめていたことがわかる一文がお母さんの意見陳述の中に
ありましたのでその部分だけ紹介します。
http://www.asahi.com/articles/ASJ246GYLJ24ULOB026.html
報道で好き勝手なことを書かれ、子どもたちも学校に
行きたくないと言いました。
川崎の家は遼太が残した汚れがあり、離れたくなかったのですが、
離れることにしました。
なぜ私たちがこんなにつらい目に遭わなければならないのか。
そう思いました。
昨年夏、大阪で中学1年生が2人も殺害された事件がありました。
このときもブログ記事でマスコミ報道の問題点を書きました。↓
★大阪の中1生殺害事件のマスコミ報道。
事件の被害者が報道被害を受けている!
マスコミの鬼畜さは日航機事故からなんら変わらない!(2015/08/22)
あの時、特に問題だと思ったのは、殺害された女子中学生の
身元が判った時からずっと、夜中の商店街での防犯カメラに
映っていた2人の姿を何度となくテレビが垂れ流し続けた
ことです。
何故、被害者側の姿をあそこまでテレビで何度も映すのか。
あれが徹底的に流されることによって、何が起こるかといえば
今度は圧倒的に中学生の親御さんへの批判が増えてしまう。
殺人犯への非難よりも、です。
犯人が映った防犯カメラなら何度でもテレビで流すべきだと
思います。
でも、被害者中学生の映った防犯カメラはあそこまで流す必要が
あったんですか?
あの防犯カメラの映像は、ただただ「夜中にうろうろしている2人」
という悪いイメージを植えつけるだけでしかなかった。
いわばご遺族に追い討ちを掛けるようなことをテレビはしていた。
さらに、我が子を殺された親にとって「『子供の死』を受け入れる」、
なんてことがすぐに出来るはずがありません。
誰もが錯乱状態になってもおかしくない状況に追い込まれる中、
突然マスコミからマイクを向けられたり、カメラを回される。
知らないうちに、マスコミ、特にテレビで好き勝手に個人情報を
晒され、被害を受けた側であるにも拘らず逆に誹謗中傷まで
受けてしまう。
そもそも、あの混乱した時に被害者について「成績優秀だった」
とか、「人気者だった」とか、そういうことを伝える必要があるので
しょうか。
何故、そう思うのかといえば、そういった「イメージ作り」という
ものは逆に被害者遺族を傷つけた時だって往々にあったからです。
埼玉県桶川市で女子大生が殺されたストーカー殺人事件。
あの時、どれだけご両親が「報道被害」という二次被害に
遭われたか。
あの時、亡くなったお子さんの尊厳もなにもかも、滅茶苦茶に
したのがマスコミの報道でした。
だから、事件や事故の被害者については報道で「晒し者」に
なってしまうという「二次被害」を出来る限り排除すべきだと
思います。
事件や事故の被害者のご家族が「二次被害」で最も辛かった
事とはなにか。↓
★広島の土砂災害での現地報道を見て、マスコミによる
報道被害を改めて考える。(2014/08/23)
大阪教育大付属池田小事件の被害者遺族のこれらの言葉に
尽きると思います・・。
家族にとっては娘と過ごす最後の大切な時間、
心を通わせる最後の機会に、報道陣に心を
かき乱された。
私が今でも覚えていますのは、お葬式が終わって、
火葬場に向かうとき、焚かれるフラッシュで
カーテンを閉めた霊柩車の中が明るくなるほど、
私たちは撮影の対象にされたということがあります。
私にしますと、このお通夜、
お葬式というのは娘と過ごす
最後の時間でした。
今から取り戻しようもありません。
娘と過ごす、最後のかけがえのない時間を
そういった取材攻勢、ひっきりなしにインターホンが
鳴らされ、ひっきりなしに電話が鳴り、それによって
私たちの心は大きくかき乱されました。
できることならそっとしてほしいと思いました。
これらの言葉を絶対に忘れてはならないと思います。
ご遺族はマスコミを全否定しているのではないのです。
助けが必要な時もある。
そのことも上の記事で紹介していますので是非読んで下さい。
犯罪被害者の心の叫びをいつ伝えるべきか。
そして、その思いを伝える時にどれだけ、被害者の立場に立って
プライバシーなどを考慮して伝えることが出来るか。
今回の初公判での意見陳述の報道は、そこに関わってくると
思いました。
その上で、お父さんの陳述内容こそは事件から1年経った今こそ
国民が知るべき、国民へ伝えるべき内容だと思い、今回ブログでも
取り上げさせていただきました。
今回の判決は「軽すぎる」。
もう、その一言に尽きます。
初公判の時も、ツイッターでは、
「求刑が軽すぎる!検察は何を考えてるんだ!」
という声がたくさん流れていました。
今回もつくづく思うのは、法を作る立法府である国会の
役割というものがどれだけ重いものであることか
ということです。
2000年の少年法の初改正。
2008年の法改正。
そして2014年の法改正。
今回はこの3つが大きく関わっています。
2000年の改正では、「原則の逆送」。
2008年の改正では、
被害者等による少年審判の傍聴。
被害者等による記録の閲覧及び謄写。
被害者等の申出による意見の聴取。
これらが可能となりました。
そして2014年の法改正では、
不定期刑(刑期に幅を持たせて宣告する刑)について、
その対象事件を
「有期の懲役又は禁錮をもって処断すべきとき」
に改めること(対象拡大)。
かつ、同じく不定期刑において、
「5年〜10年」を「10年〜15年」に引き上げられました。
2000年の時には日弁連をはじめとするいわゆる「人権派」の
連中の猛反対が長い間ありました。
民主党は「原則」という言葉を削除した修正案を出していました。
2008年の時には社民党、日本共産党、そして民主の一部が反対を
しました。
民主党政権の菅直人内閣で法務大臣だった江田五月や、当時
自民党だった田中直紀も、です。
2014年の「刑を重くする改正」では日本共産党と社民党、そして
山本太郎が反対しました。
国会議員に誰を選ぶか。
それはこういったことにも当然直結します。
反対が多ければ、長引きます。
その間にも大きな事件は起こり、犠牲になった人たちがいました。
当たり前ですが法治国家ですから遡及法の手段は決して使うことは
出来ないのです。
平成12年(2000年)11月9日、第150回国会の法務委員会で
少年法再生案を提出した与党側議員の1人だった麻生さんと
杉浦議員は当時このように改正案の趣旨を述べています。↓
○提案者側 衆議院議員(麻生太郎君)
本改正案の趣旨は基本的に3点に絞られると思いますが、
改正の目的は、やっぱり何といっても青少年の健全育成と
いうものを図りますために、加害者、特にその保護者に対して
より一層の責任を求めるというのが一点、それから少年審判に
おける事実認定手続きというものをより一層明確化すること、
そして3点目はいわゆる被害者に対する配慮というものを
充実させること等々、多分この3つに大きくまとめられる、
要約できると思いますが、こういったものを主なものとして
本改正案を提案させていただいたということであります。
○提案者側 衆議院議員(杉浦正健君)
原則逆送制度につきましては、自民党内の議論に
おきましても三党協議の中におきましても最も議論が
集中したところでございます。
最終的にこの案に落ちついたわけでありますが、
もう皆さんも御案内のとおり、故意の行為によって
人を死亡させるという行為は、自分の犯罪意図を
実現するために何物にもかえがたい人命を奪うという
点で、極めて反社会性、反倫理性の高い許しがたい
行為であることは申すまでもございません。
このような重大な罪を犯した場合には少年であっても
刑事処分の対象となるという原則を明示することが
少年の規範意識を育て、健全な成長を図る上で
重要なことであると考えたわけであります。
したがって、罪を犯すとき16歳以上の少年が故意の
犯罪行為によって被害者を死亡させた場合には
原則として検察官送致決定、いわゆる逆送する
制度を導入することとした次第であります。
至極当然のこととして改正法が提出されたわけですが、
既にこれまでに猛烈な反対によって、非常に無駄な年月が
掛かってしまったんです。
ここまで書いてきたことは、過去記事で詳しく書いて
いますので、どうか読んで頂けたらと思います。↓
★川崎の中学生殺害事件と「子どもの権利条例」「多文化共生」
「川崎市教職員組合」3つの重い鎖。それは「少年法」にも繋がる。
(2015/03/01)
★2000年に初めて「少年法」が「改正」された時さえも「妨害」の連続だった!
成立するまでの国会での動きをどうか知って欲しい。
(2015/03/08)
★日本の重大な問題を解決するには、強い「意志」を持った政治家の存在が必要だ!
「強姦罪の厳罰化」と「少年法改正」の場合。「安保法制」にも言えること
(2015/07/29)
今回の判決。
まるで「いじめを受けてきた『可哀相な犯人』だから許してやれ」と
言ってるように聴こえます。
それを許すことこそ、あってはならないことのはずなのに。
しかも、それは、今までもそうだったように、今回の事件でも
加害少年が勝手に言ってる「ただの言い訳」じゃないですか!
自分がいじめを受けたからと今度は自分より弱いものに当たって、
果ては殺す。
そんなこと許されるわけがありません!
そして「殺人」が絶対に「取り返しの付かない結果」であることは、
まるで無視なんですね。
結局、被害者の側の気持ちも何も理解しようとはしていないじゃ
ないですか、ハナから。
NHKニュースではこのように報じられていました。↓
■弁護士「フェアに判断していただいた」
判決を受けて、少年の弁護士は記者会見を開き、
「裁判所にはこちらの主張を十分に理解してもらい、
フェアに判断していただいたと思います。
これまで少年は狭い中でしか社会との接点がなかったが、
今後は、年齢相応の社会性を身に付け、更生してもらいたい」
と話していました。
「フェア」という言葉を使う弁護士。
もう驚くばかりです。
心から怒りが湧いてきます!
被害者遺族の前でよくもまぁこんな言葉を言い放つことが
出来るなと。
なんて冷酷な弁護士なんだと。
この判決が、被害者遺族に対して何を求めることとなるのか。
それはまさしく、
「殺された息子の分までどうか犯人は
幸せになってください。」
そう思え!そう口にしろ!と強要しているのと同じではないですか!
殺されたことに二度と文句を言うな!
犯人には幸せになる権利がある!
それを認めろ!
そう強要しているのと同じじゃないですか!
自分には耐えられません。
息子を故意に殺されて更に、ここまで強要されることは
二重三重の苦しみでしかありません。
これのどこが「フェア」なんでしょうか!?
このことは「酒鬼薔薇事件」の時にも感じました。
あの頃、まだ自宅で取っていた毎日新聞では、5月に殺害された
男児のご遺族よりも寧ろ、その2ヶ月前に犠牲となった女児の
ご遺族に近づき、さらには殊更、そのご遺族による出版本を
取り上げて利用し、あたかも「犯人を憎むことが悪である」かの
ような方向へと導く記事が度々ありました。
そういう「憎む」思いばかりでなく「前向きに」生きて行かなくては、
と苦悩するご遺族の思いと、毎日新聞が書いた記事の目的は
何か違うのでは、と記事を読むたび自分は感じました。
あの頃は私もまだまだ毎日新聞の恐ろしさに気付いてはおらず、
ただ「違和感」を強く感じたくらいでしたが、結局毎日新聞は、
非常に恣意的に「歪曲」して伝えようとしていたのだと思います。
いわば極左のプロパガンダそのものだったわけです。
吐き気がするのです。
本当に。
上で紹介したお父さんの意見陳述にも書かれている、
赤の他人を鉄パイプで殴り、鑑別所に行った時の
事件と日吉事件ついて毎日新聞が今月の初公判前日に報じて
いました。↓
http://mainichi.jp/articles/20160201/k00/00m/040/116000c
【川崎・中1殺害 「反省の言葉は何だったのか」2日初公判】
(毎日新聞 2016年2月1日)より抜粋
関係者によると、少年は2014年6月19日未明、川崎市
川崎区内を走行中の原付きバイクの後部座席に乗り、
自転車で帰宅途中だった男性の後頭部を鉄パイプで殴り、
12針を縫う大けがをさせたとして検挙された。
半年後の14年12月、飲食店店長をしている被害者の男性の
元に、見ず知らずの少年から手紙が届いた。
「今回、きずつけてしまい申しわけございません」。
2枚の便箋に1行おきに8行の文が書かれていた。
「あの日自分は、よっていて、(略)やったあとになって、
ざいあくかんがありました」
「深くはんせいしています」
被害者が示談に応じれば、家庭裁判所が社会生活を送りながら
更生させる処分を選択することがある。
男性に届いた手紙には「ちりょうひは払いたいとおもっています」
という少年の言葉が記され、示談に関する弁護士の書面が
添えられていた。
男性は
「当たりどころが悪ければ死んでいたかもしれません。
そうなっていた時のことを想像してみてください」
と返事を書き、
「これをきっかけに、社会人になって、人に迷惑をかけない
人間ではなくて、人のため、社会のためになる人間になって」
と伝えた。
少しでも責任を感じてもらおうと、約1年半の間、少年が自分で
毎月1万円を支払う条件を付け、示談に応じることにした。
15年1月、少年は両親とともに男性に会って直接謝罪し、二度と
同じようなことをしないと約束した。
男性を殴った理由は「酔っていてよく覚えていない」と話した。
男性は手紙に書いた思いを改めて伝えて正式に示談し、高校を
卒業するよう助言もした。
だが、関係者によると、少年は示談の約1週間後に酒を
飲んで上村さんの顔などに激しい暴行を加えた。
そして、同年2月20日に友人の少年2人=いずれも傷害致死罪で起訴=と
酒を飲んだ後、上村さんを呼び出して河川敷で殺害したとして逮捕、
起訴された。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「あの時の反省の言葉は何だったのか」。
男性は今も自問する。
「どこにでもいるやんちゃな少年という印象だった。
酒で暴力的な人格に変わってしまうのだろうが、何か鬱憤を
抱えていたようにも思う」。
裁判で少年の内面や置かれていた境遇が明らかに
なることを期待している。
この記事が、何のために書かれたかといえば、あくまでも
「加害者側の人権」を守ることを最優先した極左「毎日新聞」の
目的そのものだと感じます。
最後の文言は特に、です。
連中のこうした「キレイゴト」でしかない加害者への「人権」の
異様なまでの気配りに、逆に少年法は守られ、そして少年法改正
への猛烈な反対によって、改正までの間でさえ犠牲になった
人たちが現実として多数生まれてしまった。
連中は、ずっと加害者の人権を守り続け、一方では被害者側に
過剰なまでに我慢と忍耐を強要し続けてきた。
不思議なことに、連中は先の大戦に対しては時代背景もまた
当時の価値観さえも完全に無視して一方的に「日本が全て悪だ」と
「加害者だ」と今以って決めつける上に、日本人のみに子々孫々
まで贖罪を強要し続けています。
最近は「負の連鎖」などという言葉をやたらと出してきますが、
これも連中にとって非常に都合のいいように操られた言葉です。
この言葉は当事者の加害者側の責任放棄でしかないにも拘らず、
テロリストや犯罪者には都合のいいように当てはめる。
テロリストや犯罪者による犠牲を断ち切るための手段である「防衛」を
この言葉を使って否定し、さらには「死刑制度」や少年への「厳罰化」を
否定する異常さ。
その一方で、先の大戦に関して日本人に対してのみ、子々孫々まで
憎み続けることを「よし」とし、日本人に子々孫々まで贖罪意識を
植え付ける。
本当に卑怯な連中です。
結局連中は、こういった許しがたい犯罪に対しても、「プロパガンダ」の
対象でしか見ていないということです。
あたかも「人権」を守る優しい人たちであるかのように演出しながら
実はただのプロパガンダに利用するのが連中です。
連中が北朝鮮の現在進行形の国家犯罪である拉致事件の被害者と
その家族に冷酷であることも、結局はそこに繋がります。
「日本が悪いことをしたから拉致されても仕方がない」
などと正当化する。
事件の犯罪者擁護でも得てして「日本社会が悪い」という方向へ
仕向けるのが目的であるからこそ、ここまで犯罪者を擁護する。
そして現在の日本の社会に対する「革命(=転覆)」を「正当化」する。
そういう目的がある。
連中には。
国会議員は誰がなっても変わらないなんて嘘っぱちです。
現に少年法の厳罰化を妨げてきたのはどういう連中だったのか。
国民はちゃんと知るべきだと思います。
特に2000年の少年法改正に至るまでの経緯をどうか
知って欲しいです。
あの1997年(平成9年)5月に起こった「酒鬼薔薇事件」から
最初の少年法改正まで。
「酒鬼薔薇事件」が起こった時、自民党はいち早く、その5月から
少年法に関する小委員会を設置し、翌年4月には「中間取りまとめ」を
行い、12月には「少年法等の一部を改正する法律案」の成立を
目指していました。
この委員会では刑事処分を可能とする年齢制限(16歳以上)の
撤廃などもちゃんと議論されていたのです。
一方、内閣では自民党の「中間取りまとめ」を受け、その7月に
法務大臣が法制審議会に少年法改正を諮問しましたが、
この頃から更に日弁連ら反対派が猛烈な反対活動を激化させ
マスコミと一緒になって妨害活動を繰り広げていきます。
2000年5月には愛知県豊川市で主婦殺害の17歳の少年が、
さらには佐賀でバスジャックによる殺人を犯した同じく17歳少年が
逮捕される事件がありました。
与党自民党がこれらの事件を受け少年問題についてのプロジェクト
チームを発足し、議員立法を進めていく中、小渕総理が急死され、
その後を受け継いだ森善朗総理も「神の国」発言を野党とマスコミに
よって「言葉狩り」されて猛烈なバッシングに見舞われ、国会空転と
なってしまいました。
いわば、これも一つの「妨害」だったわけです。
これら猛烈な妨害の中でも与党自民党は準備を進め、2000年に
9月に議員立法で少年法改正案を提出します。
(※ここで補足ですが、少年法改正に関しては、国際条約上
18歳未満の者に対して死刑及び釈放の可能性がない
終身刑を科すことを禁じていることにより「量刑」の
上限が限定されることは憶えておくべきだと思います。)
10月からの衆議院法務委員会は野党欠席のまま審議開始と
なりました。
そして11月にやっと「改正少年法」が成立。
この期間、約3年半。
1997年の酒鬼薔薇事件が起こった時は第二次橋本龍太郎政権
でしたが、この時はそれまでの極左政権、村山富市政権からの
「社会党」と「さきがけ」(いわば現・民主党の連中)の影響が
まだ閣外協力という形で残っていました。
もし、まだこの時もずっと社会党とさきがけ、いわばその後、
2009年から3年3ヶ月続いた民主党政権と同じく極左政権で
あったなら、少年法改正はおそらく為されていなかっただろうと
思います。
今回の犯人も、「原則逆送」でなくなれば、毎日新聞が書いて
いたように少年の置かれていた境遇など色んな理由付けで
「逆送」を免れ、刑事裁判を受けることなく家裁審判だけで、
短期の少年院送りだけに終わっていたでしょう。
こうやって、目に見えて関わってくるんです。
国会議員を選ぶということは。
「選挙」というものは。
今回の判決のあとの上村くんのお父さんのコメントです。(弁護士を通じて)
刑が軽すぎると思います。
私はどうしても納得することができません。
遼太の命が軽く扱われているようで、
かわいそうでなりません。
反省しているとのことでしたが、そのようには
思えません。
今回の公判中、被告は1度も私たちを見ることは
ありませんでした。
今回の判決は、ただただ被害者側にのみ我慢を強いる、
ただの「殺され損」でしかない、非常に理不尽な判決で、
本当に許せません。
とにかく弁護側の「フェア」という言葉が心底許せません。
お父さんも言及されていた選挙権。
18歳になりました。
私は、現与党が選挙権を引き下げたのは、この少年法の年齢適用を
下げることに日弁連らをはじめとする反対派に有無を言わせない
ための布石だと思います。
今だマスコミの異常なまでの偏向、扇動、プロパガンダ報道が
為され、また教育の現場でも日教組など同じ方向の共産主義の
連中が蔓延ったままで、まだまだとても公平な判断を18歳に
与えるような環境など整っていない現状の中で、敢えて「18歳」
にまで選挙権を与えるのは、現与党にとっては相当不利な
条件にも拘らず、そこを思い切って選挙権の年齢を引き下げた
のには、当然「理由」があると思うからです。
そう考えると、最もこの引き下げを利用できるのは、更なる
少年法改正の壁を破ることにあると思うからです。
上村君を殺した犯人には間に合わなかったのは、正直、本当に
悔しいとしか言いようがありません。
もう二度とこんな思いを被害者遺族にさせないためにも、どうか
早急に、選挙権に併せて少年法の適用年齢引き下げを「実現」
へと向かわせて欲しいです。
被害者遺族にとって「余りに冷酷且つ残酷な判決」は
もう終わりにしなければいけない。
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