今の大阪は「橋下民主主義人民共和国」
- 2013/01/17
- 21:22
表題に使った言葉は、「橋下」で検索したツイッターで見つけた言葉です。
言葉で遊ぶつもりはありません。
今の大阪市政が如何に危険な人間を担いでしまっているか、
それを、もう、はっきりと声に出さなければいけないときに
来ているのではないかと思うのです。もう限界です。
橋下は現場の声云々とよく言いますが、現場の声を聞かずに
一方的に「全否定」し、現場の人々を傷つけ破壊へと導くのが
橋下であると思います。
橋下はよく言っていました。
「たかだか大阪市役所の所長だ」と。
首長という非常に重い「重責」を担っている、というよりも、
どこかの民間会社の社長、いえ、国家を大会社としてみていれば、
その子会社の営業所長の感覚でやっているつもりなのではないか。
国政政党の党首として名乗りを上げ、衆院選の街頭演説に精を出し、
本来に市長としての業務をほぼ1ヶ月以上放り投げた人間です。
そして、兼職出来るなら参院選に出馬まで希望している。
その間に大阪市立の高校で起こったのは高校2年生の体罰自殺でした。
橋下は、ご遺族にお会いし、「行政の責任だ」と謝罪したそうですが、
「自分を含めて」という言葉はなかったのでしょうか。
何故そう思うのかといえば、橋下はその後、
「責任を取るべき側」ではなく、「責任を追及する側」に回りました。
そして次から次へととんでもないことを一方的に打ち出してきました。
『体育科の入試を中止する。』
『体罰教諭だけでなく全教員の総入れ替えをする。』
『市で高校を持つのは無理だ、府に委託する。』
その合間合間に、「暴言」が加わります。
『桜宮高校の伝統を断ち切る。』
『体育系部活動のすべての顧問教諭が2013年4月以降も
同校に残留すれば、給与などの人件費を執行しない。』
『桜宮高校に求める生徒や保護者の期待の在り方そのものも問題だった。』
『顧問の暴力を誰も止めることができなかった。
周囲の教員も、生徒も、保護者も。そして生徒が死に至った。』
『中学校の現場から特に中学校長から、「受験生のことを考えているのか!」と
声が上がっているらしい。そのままそっくり返す。』
「同校の生徒が自殺した」
この事実に同じ高校の生徒、保護者が動揺しないはずはありません。
そして、世間に知れ渡る以前に当然ながら事実を既に知っています。
苦しい時間を生徒、保護者とも重ねています。
いい加減に考えているはずなどありません。
報道はセンセーショナルに報道し、突然マイクを向けることもあるでしょう。
その中で、先生、学校、生徒、保護者が、長年培ってきた「人と人同士の
関わり」での思いも口に出すことがあるでしょう。
それは顧問への擁護と言う形で出たかもしれません。
しかし、それを、一方的に批判する橋下に、いったい現場の何が
判るのでしょうか。
そして、橋下が大阪市長と言う責任ある立場であるからこそ、
言動を慎まなければならない、現場を慮ってやらなければならない、
そういう言葉を選ぶべきなんです。
今、橋下がやってることは桜宮高校全てを否定していると
言っても過言ではありません。
橋下は生徒の味方ヅラしていますが、自分の言動がどれほど
現場の人たちの気持ちをえぐっているのか解らないのでしょうか。
と言うか、解ろうと努力すらしないのが橋下と言う人間なのだと思います。
橋下の言動は桜宮高校の体罰顧問および、全教職員だけでなく、
さらに在籍している生徒、保護者、桜宮OBまでも否定するのと同じです。
加えて、今現在の桜宮を受験しようとする生徒とその保護者にまでも
食ってかかる。
受験生の思いを知っている中学校の教職員、校長までも叩く始末です。
挙句には、もう大阪市にはこんな学校いらない!と言っているのです。
信じられません。
高校生が桜宮高校という場所で、人生の一部を過ごしているんです。
実際に。
桜宮が彼らにとって母校となるのです。
その母校で哀しい事が起こってしまった。
そのまま、廃部ですか?
廃校ですか?
なんて短絡的なんでしょうか。
教育にこんな短絡的な結果を招いていいのでしょうか?
学校は再生できます。
教員だって悪い人ばかりではありません。
学校が好きで、先生を慕う生徒だってたくさんいるでしょう。
教師総入れ替え?
生徒にとって教師とはそんなに簡単な位置にいますか?
一年間、或いは2年間、3年間と年月をかけて関わりを持って、
生徒も教師もお互いに人となりを知っていくのです。
それが全てご破算ですか?
そんなに簡単なものですか?
極端な体罰で生徒を自殺に追い込んだ顧問は逮捕に匹敵すると思います。
しかし、他の教師すべてが生徒たちにとって「悪」でしかないのですか?
簡単に判断できることなのですか?
橋下は「伝統を断ち切る」と言いました。
極端な体罰は伝統だったのでしょうか。
桜宮高校の伝統は「体罰」だけの伝統だったのでしょうか?
他に良いところがあったでしょう?
全否定をすることは、その学校に関わってきた卒業生、在校生、
保護者教諭全てが「全否定」されてしまうも同然です。
それは、人生の中から自分の在籍した高校を抹殺するに等しい。
今までも、間違った方向へと走ってしまった学校は
いくらでもあると思います。
その中で、そういう学校は懸命に立ち直ってきてるのだと思います。
私学も公立も関係ありません。
学校は簡単に潰してよいものではないと私は思っています。
その中で生きてきたことは、大人になってからも、歳を取ってからも
ずっと心に強く残るのです。
いいことばかりではないでしょう。哀しいことも思い出すこともあります。
そのなかで、最も悲しい出来事は同級生の死であることは
言うまでもありません。
でも卒業したものにとってはその哀しいことも含めて母校なのです。
母校と言うものは、私たちにとってかけがえのないものです。
橋下が思うほど簡単に失くしてもいいものではありません。
いいところも悪いところも含めて母校なんです。
そこで自分と言うものが育てられてきた。大切な場所でもあります。
学校は再生できます。
これから卒業する3年生が桜宮高校出身だということを
ちゃんといえる様にするのがこれからすべきことではないですか?
市長が「あの学校はもう駄目だ!」などと簡単に言うこと自体私は許せないです。
本当に酷い・・。
自殺した生徒も卒業アルバムに同級生と共に残ります。
生きていた証です。学校があれば、再生できれば、
そのアルバムで生徒は同級生と共にいることが出来ます。
あの学校がなくなってしまえば、自殺してしまった生徒は、
学校がなくなったきっかけとなった生徒としての記憶しか
残らないかも知れなくなる。
再生できれば、彼は学校を、多くの人たちの母校を命懸けで
救ったことにもなるんです。そう思えませんか?
そして、何よりも、今を生きる在校生がいます。
これから人生を歩む高校生がこの学校にいます。
受験生も、今、1月中旬であることを思えば、
動揺することは目に見えています。
橋下は、簡単に言いますね。
大した事じゃないように。
中3生にとってのこの時期は、いくら本人が普段と変わらない
表情をしていたとしても、焦りや不安、いろんなものがつきまといます。
そんなの誰だってわかるはずです。皆、経験してきているのですから。
大事なことはただ一つ。
自殺した生徒の死を無駄にしてはいけない。
それは、自殺した生徒と在校生との間に絶対に溝を作って
はいけないということなのです。
それは同時に、在校生や受験する生徒の将来を潰すようなことを
してはいけないということなのです。
学校は再生できます。
在校生も新入生も先生方もそして卒業生の力も借りて、
また桜宮高校が生徒たちの行きたい学校になればいいのです。
体罰で生徒を自殺に追い込んでしまった顧問は勿論のこと、
校長、教頭も、責任を取るべき立場であることはいうまでもありません。
こうして哀しい結果を生んでしまった事実は消えませんが、
再生は出来ます。
原因を突き止め、二度と哀しいことが起こらないように
決意することは勿論です。
その決意の中でなら、皆がばらばらにならなくても、いえ、
ならない方が断然よいと思います。
苦しい時期を一緒に過ごした者同士であることが、
一緒に頑張って立ち直らせていくことへの力にもなります。
そして問題意識を共有する新しい息吹がまた入ってくれば、
また変わります。変わるはずです。
OBたちもきっと協力してくれるでしょう。
学校は、子どもたちに希望を持たせなくてはいけない。
その学校を「大きな絶望感」で覆い、
受験生と在校生の行く先を「真っ暗闇」にしようと
しているのが橋下です。
それが許せない・・。
責任については、大阪市立の学校である限り、
市長は「自分にも責任があった」と謝罪すべきであり
(橋下は「行政の責任」と言ってはいるが、市長である自分の責任に
ついては逃げています。)、また、こういう混乱を招いた市長に、
新たなる責任も後々問われて然るべきだと思います。
とにかく、橋下と言う人間が大阪府知事、大阪市長になってからと
言うもの、ほぼ一方的な橋下の独裁的な言動で、どれだけ多くの人が
傷ついてきたでしょうか。
真面目に働いている人たちを、すべて「既得権益者」だと決め付けて、
「全否定」し、「庶民の敵」とし、徹底的に叩きまくる。
マスコミの援護射撃も加えて、ツイッターでも言いたい放題。
これが、首長の言う言葉なのかと唖然とするものばかりが続いてきました。
世の中の人の心をざわつかせ、不安を煽り、その時その時の
強いものにす擦り寄り、利用し、反論を出来る立場にない
弱いものは容赦なく叩き潰す。
橋下の言動は、恐喝そのものなのです。
だから聞くたびに人の気持ちを不安定にさせる、人の気持ちを
ざわつかせる。
これは、菅直人も同じでした。
現場で動く人たちの状況も気持ちも全く考慮しない。
人の気持ちを慮ることを全くしない。
100あるうちの一つでも駄目ならば全部ダメだと言ってのける。
思い通りにならなければ脅す、罵る、馬鹿にする。
そんな狂った政治。
そして最大の共通点は「絶対に責任を取らない。」ということである。
野望だけはあるのです。権力と言う野望。
実際に過去の自著にも「権力」へのこだわりを書いているようですから。
「国」という大会社の大阪営業所所長では恐らく飽きているのでしょう。
府知事も、粉飾で何とか嘘ついて黒字になったと騙せたし、飽きた。
そして、大阪市長。原発問題でややこしくなったし、飽きた。
やっぱり国政で本物の権力を取りに行く。
何のため?
自分の言う通りに動く、いや、動かざるを得ない国家を目指しているのか?
橋下は何と繋がっているのか?
橋下という人物からは、日本国民の生命と財産を守るという
政治家としての思いなど全く伝わってこない。
真面目な人たちをテロリストと呼び、多くの国民を馬鹿にするような
暴言を私たちに対して何度となく浴びせてくるこの人物を決して
信用してはならないと思います。
真面目にこつこつ頑張る人たちたちで成り立つこの日本という国を、
様々な伝統も含めて、こんな人間によって破壊されてなるものかという思いです。
言葉で遊ぶつもりはありません。
今の大阪市政が如何に危険な人間を担いでしまっているか、
それを、もう、はっきりと声に出さなければいけないときに
来ているのではないかと思うのです。もう限界です。
橋下は現場の声云々とよく言いますが、現場の声を聞かずに
一方的に「全否定」し、現場の人々を傷つけ破壊へと導くのが
橋下であると思います。
橋下はよく言っていました。
「たかだか大阪市役所の所長だ」と。
首長という非常に重い「重責」を担っている、というよりも、
どこかの民間会社の社長、いえ、国家を大会社としてみていれば、
その子会社の営業所長の感覚でやっているつもりなのではないか。
国政政党の党首として名乗りを上げ、衆院選の街頭演説に精を出し、
本来に市長としての業務をほぼ1ヶ月以上放り投げた人間です。
そして、兼職出来るなら参院選に出馬まで希望している。
その間に大阪市立の高校で起こったのは高校2年生の体罰自殺でした。
橋下は、ご遺族にお会いし、「行政の責任だ」と謝罪したそうですが、
「自分を含めて」という言葉はなかったのでしょうか。
何故そう思うのかといえば、橋下はその後、
「責任を取るべき側」ではなく、「責任を追及する側」に回りました。
そして次から次へととんでもないことを一方的に打ち出してきました。
『体育科の入試を中止する。』
『体罰教諭だけでなく全教員の総入れ替えをする。』
『市で高校を持つのは無理だ、府に委託する。』
その合間合間に、「暴言」が加わります。
『桜宮高校の伝統を断ち切る。』
『体育系部活動のすべての顧問教諭が2013年4月以降も
同校に残留すれば、給与などの人件費を執行しない。』
『桜宮高校に求める生徒や保護者の期待の在り方そのものも問題だった。』
『顧問の暴力を誰も止めることができなかった。
周囲の教員も、生徒も、保護者も。そして生徒が死に至った。』
『中学校の現場から特に中学校長から、「受験生のことを考えているのか!」と
声が上がっているらしい。そのままそっくり返す。』
「同校の生徒が自殺した」
この事実に同じ高校の生徒、保護者が動揺しないはずはありません。
そして、世間に知れ渡る以前に当然ながら事実を既に知っています。
苦しい時間を生徒、保護者とも重ねています。
いい加減に考えているはずなどありません。
報道はセンセーショナルに報道し、突然マイクを向けることもあるでしょう。
その中で、先生、学校、生徒、保護者が、長年培ってきた「人と人同士の
関わり」での思いも口に出すことがあるでしょう。
それは顧問への擁護と言う形で出たかもしれません。
しかし、それを、一方的に批判する橋下に、いったい現場の何が
判るのでしょうか。
そして、橋下が大阪市長と言う責任ある立場であるからこそ、
言動を慎まなければならない、現場を慮ってやらなければならない、
そういう言葉を選ぶべきなんです。
今、橋下がやってることは桜宮高校全てを否定していると
言っても過言ではありません。
橋下は生徒の味方ヅラしていますが、自分の言動がどれほど
現場の人たちの気持ちをえぐっているのか解らないのでしょうか。
と言うか、解ろうと努力すらしないのが橋下と言う人間なのだと思います。
橋下の言動は桜宮高校の体罰顧問および、全教職員だけでなく、
さらに在籍している生徒、保護者、桜宮OBまでも否定するのと同じです。
加えて、今現在の桜宮を受験しようとする生徒とその保護者にまでも
食ってかかる。
受験生の思いを知っている中学校の教職員、校長までも叩く始末です。
挙句には、もう大阪市にはこんな学校いらない!と言っているのです。
信じられません。
高校生が桜宮高校という場所で、人生の一部を過ごしているんです。
実際に。
桜宮が彼らにとって母校となるのです。
その母校で哀しい事が起こってしまった。
そのまま、廃部ですか?
廃校ですか?
なんて短絡的なんでしょうか。
教育にこんな短絡的な結果を招いていいのでしょうか?
学校は再生できます。
教員だって悪い人ばかりではありません。
学校が好きで、先生を慕う生徒だってたくさんいるでしょう。
教師総入れ替え?
生徒にとって教師とはそんなに簡単な位置にいますか?
一年間、或いは2年間、3年間と年月をかけて関わりを持って、
生徒も教師もお互いに人となりを知っていくのです。
それが全てご破算ですか?
そんなに簡単なものですか?
極端な体罰で生徒を自殺に追い込んだ顧問は逮捕に匹敵すると思います。
しかし、他の教師すべてが生徒たちにとって「悪」でしかないのですか?
簡単に判断できることなのですか?
橋下は「伝統を断ち切る」と言いました。
極端な体罰は伝統だったのでしょうか。
桜宮高校の伝統は「体罰」だけの伝統だったのでしょうか?
他に良いところがあったでしょう?
全否定をすることは、その学校に関わってきた卒業生、在校生、
保護者教諭全てが「全否定」されてしまうも同然です。
それは、人生の中から自分の在籍した高校を抹殺するに等しい。
今までも、間違った方向へと走ってしまった学校は
いくらでもあると思います。
その中で、そういう学校は懸命に立ち直ってきてるのだと思います。
私学も公立も関係ありません。
学校は簡単に潰してよいものではないと私は思っています。
その中で生きてきたことは、大人になってからも、歳を取ってからも
ずっと心に強く残るのです。
いいことばかりではないでしょう。哀しいことも思い出すこともあります。
そのなかで、最も悲しい出来事は同級生の死であることは
言うまでもありません。
でも卒業したものにとってはその哀しいことも含めて母校なのです。
母校と言うものは、私たちにとってかけがえのないものです。
橋下が思うほど簡単に失くしてもいいものではありません。
いいところも悪いところも含めて母校なんです。
そこで自分と言うものが育てられてきた。大切な場所でもあります。
学校は再生できます。
これから卒業する3年生が桜宮高校出身だということを
ちゃんといえる様にするのがこれからすべきことではないですか?
市長が「あの学校はもう駄目だ!」などと簡単に言うこと自体私は許せないです。
本当に酷い・・。
自殺した生徒も卒業アルバムに同級生と共に残ります。
生きていた証です。学校があれば、再生できれば、
そのアルバムで生徒は同級生と共にいることが出来ます。
あの学校がなくなってしまえば、自殺してしまった生徒は、
学校がなくなったきっかけとなった生徒としての記憶しか
残らないかも知れなくなる。
再生できれば、彼は学校を、多くの人たちの母校を命懸けで
救ったことにもなるんです。そう思えませんか?
そして、何よりも、今を生きる在校生がいます。
これから人生を歩む高校生がこの学校にいます。
受験生も、今、1月中旬であることを思えば、
動揺することは目に見えています。
橋下は、簡単に言いますね。
大した事じゃないように。
中3生にとってのこの時期は、いくら本人が普段と変わらない
表情をしていたとしても、焦りや不安、いろんなものがつきまといます。
そんなの誰だってわかるはずです。皆、経験してきているのですから。
大事なことはただ一つ。
自殺した生徒の死を無駄にしてはいけない。
それは、自殺した生徒と在校生との間に絶対に溝を作って
はいけないということなのです。
それは同時に、在校生や受験する生徒の将来を潰すようなことを
してはいけないということなのです。
学校は再生できます。
在校生も新入生も先生方もそして卒業生の力も借りて、
また桜宮高校が生徒たちの行きたい学校になればいいのです。
体罰で生徒を自殺に追い込んでしまった顧問は勿論のこと、
校長、教頭も、責任を取るべき立場であることはいうまでもありません。
こうして哀しい結果を生んでしまった事実は消えませんが、
再生は出来ます。
原因を突き止め、二度と哀しいことが起こらないように
決意することは勿論です。
その決意の中でなら、皆がばらばらにならなくても、いえ、
ならない方が断然よいと思います。
苦しい時期を一緒に過ごした者同士であることが、
一緒に頑張って立ち直らせていくことへの力にもなります。
そして問題意識を共有する新しい息吹がまた入ってくれば、
また変わります。変わるはずです。
OBたちもきっと協力してくれるでしょう。
学校は、子どもたちに希望を持たせなくてはいけない。
その学校を「大きな絶望感」で覆い、
受験生と在校生の行く先を「真っ暗闇」にしようと
しているのが橋下です。
それが許せない・・。
責任については、大阪市立の学校である限り、
市長は「自分にも責任があった」と謝罪すべきであり
(橋下は「行政の責任」と言ってはいるが、市長である自分の責任に
ついては逃げています。)、また、こういう混乱を招いた市長に、
新たなる責任も後々問われて然るべきだと思います。
とにかく、橋下と言う人間が大阪府知事、大阪市長になってからと
言うもの、ほぼ一方的な橋下の独裁的な言動で、どれだけ多くの人が
傷ついてきたでしょうか。
真面目に働いている人たちを、すべて「既得権益者」だと決め付けて、
「全否定」し、「庶民の敵」とし、徹底的に叩きまくる。
マスコミの援護射撃も加えて、ツイッターでも言いたい放題。
これが、首長の言う言葉なのかと唖然とするものばかりが続いてきました。
世の中の人の心をざわつかせ、不安を煽り、その時その時の
強いものにす擦り寄り、利用し、反論を出来る立場にない
弱いものは容赦なく叩き潰す。
橋下の言動は、恐喝そのものなのです。
だから聞くたびに人の気持ちを不安定にさせる、人の気持ちを
ざわつかせる。
これは、菅直人も同じでした。
現場で動く人たちの状況も気持ちも全く考慮しない。
人の気持ちを慮ることを全くしない。
100あるうちの一つでも駄目ならば全部ダメだと言ってのける。
思い通りにならなければ脅す、罵る、馬鹿にする。
そんな狂った政治。
そして最大の共通点は「絶対に責任を取らない。」ということである。
野望だけはあるのです。権力と言う野望。
実際に過去の自著にも「権力」へのこだわりを書いているようですから。
「国」という大会社の大阪営業所所長では恐らく飽きているのでしょう。
府知事も、粉飾で何とか嘘ついて黒字になったと騙せたし、飽きた。
そして、大阪市長。原発問題でややこしくなったし、飽きた。
やっぱり国政で本物の権力を取りに行く。
何のため?
自分の言う通りに動く、いや、動かざるを得ない国家を目指しているのか?
橋下は何と繋がっているのか?
橋下という人物からは、日本国民の生命と財産を守るという
政治家としての思いなど全く伝わってこない。
真面目な人たちをテロリストと呼び、多くの国民を馬鹿にするような
暴言を私たちに対して何度となく浴びせてくるこの人物を決して
信用してはならないと思います。
真面目にこつこつ頑張る人たちたちで成り立つこの日本という国を、
様々な伝統も含めて、こんな人間によって破壊されてなるものかという思いです。
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