体罰について考える
- 2013/01/11
- 11:37
大阪市立桜宮高校で起きたバスケ部での体罰による
高校2年生の自殺。
先ず、亡くなられた高校生のご冥福をお祈りいたします。
同じく高校生の息子を持つ親である自分にとって、一番に思うのは、
「親にとって、わが子が亡くなることほど辛いことはありません。
わが子が幾つになっても」です。
そして「体罰」と言う言葉。
言葉通り「身体に罰を与える」ということです。
相当な理由がないと行ってはいけないものだと思います。
誰かの命が奪われかねない危険な行為を犯したとき、
道義的に許されるべきではないことを犯したときなど
いわゆる、全うな人間として成長させるために、
「体を張ってでも教えておかねばならない」と思う場面があると思います。
そういうときの親、或いは教師、指導者の立場である者の
「手を出す」行為が「体罰」という言葉でくくられるのは
何か違和感があります。
「体罰」というのは非常にイメージが悪いからです。
一つ例を出してみます。
A:
幼い我が子がハサミを振り回しているとします。
その時、親は、はさみを即座に取り上げ、叱り、
多分、手の甲を軽く叩きました。
B::
幼いわが子がお漏らしをしたとします。
その時、親は、とても急いでいたので「なんでこんなときに!」と叱り、
顔を叩きました。
Aの場合、私は、この行為を多分すると思います。
子どもに危険であることを教えるためだと自分自身納得して行います。
Bの場合、私は、もしかしたら、しでかすかもしれません。
でも、叩く必要は全くない事例であり、叩いた理由は、単に
自分がイライラしたからに過ぎず、子どもを叩いたのは、
急いでいる自分を困らせたことに対する「腹いせ」でしかありませんので、
自分の行為は間違っていたと重々分かることですから、
その日の夜は思い切り自己嫌悪に陥るでしょうね。
Aの場合は「躾」であって、Bの場合は「体罰」と言う言葉が適当だと思われます。
そしてAのような場合であっても、「殴る、蹴る」などの度を過ぎるものは
指導者や親がやはり「加減」というものを考えなければいけないことで
あるのは言うまでもありません。
逆に、わが子がもし万が一、非人間的な行動を起こしてしまった時は、
親は本気でぶん殴るでしょう。しかしそれを「体罰」という言葉で
簡単にくくってよいものかと思うのです。
今回の部活で行われたことは、「勝てない」、「上手くできない」、
そういうことに対する「不満」から、「嫌がらせ」で起こった事例では
ないかと思います。
決して、生徒の成長を促すために行われたものではなく
「イジメ」の範疇に入ると思います。
「見せしめ」と言うのもこの範疇に入ります。
この方法は、指導者の言い訳の一つとして、
「殴られたりすることで悔しい思いを喚起させ、負けるもんか!
という闘争心を奮い起こさせる」
というのが考えられます。
いえ、その前に「愛の鞭だ」と仰るのでしょう。
でもこれはやはり「暴力行為」です。
昨年の大津での「イジメ自殺事件」でも思いましたが、
そもそも「イジメ」と言う言葉は軽すぎます。
「暴行傷害自殺事件」だと思います。
ちょっと極端になりますが、「正当防衛」は、自分を含め、
人が命を奪われそうな状況下で、その命を守る為に許される
体罰ともいえます。
逆位置では死刑が「体罰の極刑」といえると思います。
(実際の刑罰で「体罰」はないに等しいと考えます。)
こうして考えていくと、躾や指導の下での「体罰」というものは
非常に限られていくものと思われます。
そして正当性のある「体罰」であるほど「体罰」という言葉が
そぐわないことにも気がつきます。
このほかに非常に気をつけなければいけないのは、
言葉の暴力であると私は思います。
特に本人の尊厳を挫くような、人前での暴言による「全否定」です。
この行為は本人にとって非常に重い傷を心に負わせる事になります。
この行為は職場などで起こる「パワハラ」の中でも頻繁に起きる
ケースであると考えます。
人前でわざと恥をかかせる行為。
私は、この行為は本当に卑怯この上ないと思っています。
マスコミも同じことをやっていますね。
マスコミは綺麗事をよく言いますが、自分たちがやっていることは
イジメそのものですから。
橋下も同じです。
あの古賀と共に、関西電力で働く人たちのことを
「わざと停電を起こそうとする『テロリスト』」呼ばわりしたこの極悪人共を
私は決して許すことができません。
日々、真面目に、安定した電力供給のために頑張って働いている人たちの
誇りをズタズタにした人間共であるからです。
橋下はクズです。
ここで、野球解説者、桑田真澄氏のブログとコラムから、
是非、皆さんに読んでいただきたいところがあります。↓
【桑田真澄からのmessage (桑田真澄公式ブログ)】 『気が付く 2009年3月10日』
http://web.archive.org/web/20090314025316/http://kuwata-masumi.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-ea9b.html
===========(一部抜粋)
日本中、何百というチームを見てきたけど、
子供達を怒鳴り散らしている指導者ばかり。
怒鳴らないと理解してもらえないほど、私には指導力がないんですと、
周りに言っているようなもんだよね。
そんなことも、わからないのかね?
恥ずかしいというか、あまりにもひどすぎるよね。
そりゃぁ、叱らなければいけない時もあるよ。
でも、試合中、練習中、最初から最後まで、怒鳴ることないよね。
その情熱は、素晴らしいと思うんだけど、方向が間違っているよね。
それだけ情熱があるのなら、もっと勉強して知識を身につけるべきだよね。
もっと怖いのが、知識はあるけど、その知識を間違って使っている指導者だよね。
どちらのタイプの指導者にも、
他人の大切な子供を預かるんだから、最低限の知識を身につけ、
知識があるのであれば、正しい方向に使ってほしいよね。
このことを、声を大にして、お願いしたいし、そろそろ「気が付いて」ほしいね。
何度も言いますけど、
ボランティア精神で、子供達を指導する熱意は、本当に素晴らしいですよ。
でも、熱意だけでは指導してほしくないし、
安全対策や怪我予防などにも、最善の注意を払わなければいけないんですよ。
また、学生は、勉強もしなくてはいけないんですよ。
一日中練習して、寝る時間もなくて、どうやって勉強するのですか?
ダラダラと長時間、意味のない練習をしている時間があるのなら、
効率的、合理的な練習メニューを考え、
短時間集中型の練習をして、残りの時間を勉強や遊びに充てるべきですよ。
成長過程で、学生時代の勉強と遊びは、大切な要素なんですよ。
何事も、バランスが大事なんですよ。
トレーニング、栄養、休養のバランス。
野球、勉強、遊びのバランス。
それに、人間は、溜め込むことはできないんですよ。
投げ込み、打ち込み、走り込み。
すべて迷信です。
「気が付いてください」
昔を思い出してください。
投げ込みして、何が溜まりましたか?
走り込みして、何が溜まりましたか?
打ち込みをして、どうでしたか?
溜まったのは、疲労だけではないですか?
そんなに身体に負担をかけなくても、
少しずつ、コツコツと積み重ねていけばいいじゃないですか。
食事だって、3食毎日食べるから健康でいられるんでしょ?
一度に1カ月分食べると体壊れますよね。
考えてみてくださいよ。
自分だって6時間も7時間も、集中して練習できないでしょ?
試合で、毎打席ヒット打てないでしょ?
いつも、完封できないでしょ?
エラーだってするでしょ?
プロ野球選手だって、エラーするし三振するし、ホームランだって打たれるんだから。
子供達が、そうしたって当り前じゃないですか。
何で怒るんですか?
怒鳴るんですか?
その前に、ミスしたプレーを分析し、解説してあげるべきですよ。
そして、次は、どうしたらいいのかを教えてあげるべきですよ。
そう思いませんか?
僕の考えは、甘いですか?
少年時代、練習に行って殴られなかった日は無いくらい、怒られ殴られた。
朝から晩まで練習するのが当たり前の時代、
真夏でも水を飲めなかった時代だ。
耐え切れず、トイレの水や雨上がりにできた水溜りの水を飲んだ経験もある。
甲子園でプレーさせて頂き、ジャイアンツで、そしてメジャーでも投げさせて頂き、
野球というものを、ある程度は、熟知していると思う。
そんな経験をしてきた僕が、今の日本の野球指導者にお願いしたいことです。
厳しい言い方かもしれないけど、
「気が付いてください」「気付いてください」よ。
================(以上抜粋)
このほかにも、桑田さんは、2年半前の下記コラムで書かれています。
7回に分かれていますので各回続けてご覧ください。
↓
【高校野球コラム・桑田真澄・~球児たちへ~「野球を好きになる七つの道 ~その1~」 2010年07月24日】
http://www2.asahi.com/koshien/column/TKY201007200358.html
桑田さん、大切なことを書いてくださっていると思います。
多くの方が、これを読んで今回の高校生の自殺問題を
改めて考えてくださったら、哀しい結末は減るのではないかと思うのです。
高校2年生の自殺。
先ず、亡くなられた高校生のご冥福をお祈りいたします。
同じく高校生の息子を持つ親である自分にとって、一番に思うのは、
「親にとって、わが子が亡くなることほど辛いことはありません。
わが子が幾つになっても」です。
そして「体罰」と言う言葉。
言葉通り「身体に罰を与える」ということです。
相当な理由がないと行ってはいけないものだと思います。
誰かの命が奪われかねない危険な行為を犯したとき、
道義的に許されるべきではないことを犯したときなど
いわゆる、全うな人間として成長させるために、
「体を張ってでも教えておかねばならない」と思う場面があると思います。
そういうときの親、或いは教師、指導者の立場である者の
「手を出す」行為が「体罰」という言葉でくくられるのは
何か違和感があります。
「体罰」というのは非常にイメージが悪いからです。
一つ例を出してみます。
A:
幼い我が子がハサミを振り回しているとします。
その時、親は、はさみを即座に取り上げ、叱り、
多分、手の甲を軽く叩きました。
B::
幼いわが子がお漏らしをしたとします。
その時、親は、とても急いでいたので「なんでこんなときに!」と叱り、
顔を叩きました。
Aの場合、私は、この行為を多分すると思います。
子どもに危険であることを教えるためだと自分自身納得して行います。
Bの場合、私は、もしかしたら、しでかすかもしれません。
でも、叩く必要は全くない事例であり、叩いた理由は、単に
自分がイライラしたからに過ぎず、子どもを叩いたのは、
急いでいる自分を困らせたことに対する「腹いせ」でしかありませんので、
自分の行為は間違っていたと重々分かることですから、
その日の夜は思い切り自己嫌悪に陥るでしょうね。
Aの場合は「躾」であって、Bの場合は「体罰」と言う言葉が適当だと思われます。
そしてAのような場合であっても、「殴る、蹴る」などの度を過ぎるものは
指導者や親がやはり「加減」というものを考えなければいけないことで
あるのは言うまでもありません。
逆に、わが子がもし万が一、非人間的な行動を起こしてしまった時は、
親は本気でぶん殴るでしょう。しかしそれを「体罰」という言葉で
簡単にくくってよいものかと思うのです。
今回の部活で行われたことは、「勝てない」、「上手くできない」、
そういうことに対する「不満」から、「嫌がらせ」で起こった事例では
ないかと思います。
決して、生徒の成長を促すために行われたものではなく
「イジメ」の範疇に入ると思います。
「見せしめ」と言うのもこの範疇に入ります。
この方法は、指導者の言い訳の一つとして、
「殴られたりすることで悔しい思いを喚起させ、負けるもんか!
という闘争心を奮い起こさせる」
というのが考えられます。
いえ、その前に「愛の鞭だ」と仰るのでしょう。
でもこれはやはり「暴力行為」です。
昨年の大津での「イジメ自殺事件」でも思いましたが、
そもそも「イジメ」と言う言葉は軽すぎます。
「暴行傷害自殺事件」だと思います。
ちょっと極端になりますが、「正当防衛」は、自分を含め、
人が命を奪われそうな状況下で、その命を守る為に許される
体罰ともいえます。
逆位置では死刑が「体罰の極刑」といえると思います。
(実際の刑罰で「体罰」はないに等しいと考えます。)
こうして考えていくと、躾や指導の下での「体罰」というものは
非常に限られていくものと思われます。
そして正当性のある「体罰」であるほど「体罰」という言葉が
そぐわないことにも気がつきます。
このほかに非常に気をつけなければいけないのは、
言葉の暴力であると私は思います。
特に本人の尊厳を挫くような、人前での暴言による「全否定」です。
この行為は本人にとって非常に重い傷を心に負わせる事になります。
この行為は職場などで起こる「パワハラ」の中でも頻繁に起きる
ケースであると考えます。
人前でわざと恥をかかせる行為。
私は、この行為は本当に卑怯この上ないと思っています。
マスコミも同じことをやっていますね。
マスコミは綺麗事をよく言いますが、自分たちがやっていることは
イジメそのものですから。
橋下も同じです。
あの古賀と共に、関西電力で働く人たちのことを
「わざと停電を起こそうとする『テロリスト』」呼ばわりしたこの極悪人共を
私は決して許すことができません。
日々、真面目に、安定した電力供給のために頑張って働いている人たちの
誇りをズタズタにした人間共であるからです。
橋下はクズです。
ここで、野球解説者、桑田真澄氏のブログとコラムから、
是非、皆さんに読んでいただきたいところがあります。↓
【桑田真澄からのmessage (桑田真澄公式ブログ)】 『気が付く 2009年3月10日』
http://web.archive.org/web/20090314025316/http://kuwata-masumi.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-ea9b.html
===========(一部抜粋)
日本中、何百というチームを見てきたけど、
子供達を怒鳴り散らしている指導者ばかり。
怒鳴らないと理解してもらえないほど、私には指導力がないんですと、
周りに言っているようなもんだよね。
そんなことも、わからないのかね?
恥ずかしいというか、あまりにもひどすぎるよね。
そりゃぁ、叱らなければいけない時もあるよ。
でも、試合中、練習中、最初から最後まで、怒鳴ることないよね。
その情熱は、素晴らしいと思うんだけど、方向が間違っているよね。
それだけ情熱があるのなら、もっと勉強して知識を身につけるべきだよね。
もっと怖いのが、知識はあるけど、その知識を間違って使っている指導者だよね。
どちらのタイプの指導者にも、
他人の大切な子供を預かるんだから、最低限の知識を身につけ、
知識があるのであれば、正しい方向に使ってほしいよね。
このことを、声を大にして、お願いしたいし、そろそろ「気が付いて」ほしいね。
何度も言いますけど、
ボランティア精神で、子供達を指導する熱意は、本当に素晴らしいですよ。
でも、熱意だけでは指導してほしくないし、
安全対策や怪我予防などにも、最善の注意を払わなければいけないんですよ。
また、学生は、勉強もしなくてはいけないんですよ。
一日中練習して、寝る時間もなくて、どうやって勉強するのですか?
ダラダラと長時間、意味のない練習をしている時間があるのなら、
効率的、合理的な練習メニューを考え、
短時間集中型の練習をして、残りの時間を勉強や遊びに充てるべきですよ。
成長過程で、学生時代の勉強と遊びは、大切な要素なんですよ。
何事も、バランスが大事なんですよ。
トレーニング、栄養、休養のバランス。
野球、勉強、遊びのバランス。
それに、人間は、溜め込むことはできないんですよ。
投げ込み、打ち込み、走り込み。
すべて迷信です。
「気が付いてください」
昔を思い出してください。
投げ込みして、何が溜まりましたか?
走り込みして、何が溜まりましたか?
打ち込みをして、どうでしたか?
溜まったのは、疲労だけではないですか?
そんなに身体に負担をかけなくても、
少しずつ、コツコツと積み重ねていけばいいじゃないですか。
食事だって、3食毎日食べるから健康でいられるんでしょ?
一度に1カ月分食べると体壊れますよね。
考えてみてくださいよ。
自分だって6時間も7時間も、集中して練習できないでしょ?
試合で、毎打席ヒット打てないでしょ?
いつも、完封できないでしょ?
エラーだってするでしょ?
プロ野球選手だって、エラーするし三振するし、ホームランだって打たれるんだから。
子供達が、そうしたって当り前じゃないですか。
何で怒るんですか?
怒鳴るんですか?
その前に、ミスしたプレーを分析し、解説してあげるべきですよ。
そして、次は、どうしたらいいのかを教えてあげるべきですよ。
そう思いませんか?
僕の考えは、甘いですか?
少年時代、練習に行って殴られなかった日は無いくらい、怒られ殴られた。
朝から晩まで練習するのが当たり前の時代、
真夏でも水を飲めなかった時代だ。
耐え切れず、トイレの水や雨上がりにできた水溜りの水を飲んだ経験もある。
甲子園でプレーさせて頂き、ジャイアンツで、そしてメジャーでも投げさせて頂き、
野球というものを、ある程度は、熟知していると思う。
そんな経験をしてきた僕が、今の日本の野球指導者にお願いしたいことです。
厳しい言い方かもしれないけど、
「気が付いてください」「気付いてください」よ。
================(以上抜粋)
このほかにも、桑田さんは、2年半前の下記コラムで書かれています。
7回に分かれていますので各回続けてご覧ください。
↓
【高校野球コラム・桑田真澄・~球児たちへ~「野球を好きになる七つの道 ~その1~」 2010年07月24日】
http://www2.asahi.com/koshien/column/TKY201007200358.html
桑田さん、大切なことを書いてくださっていると思います。
多くの方が、これを読んで今回の高校生の自殺問題を
改めて考えてくださったら、哀しい結末は減るのではないかと思うのです。