安倍総理のウズベキスタン訪問は、先人への「敬意と誇り」、そしてウズベクの人々への「感謝の気持ち」を伝えるため。
- 2015/10/28
- 22:31
いつも思うことなんですけど、NHKは何で特集を組んで
くれないんですか?
安倍総理の外国訪問は、いつも国民が知るべきことが
いっぱい詰まっています。
安倍総理が政権交代後の2013年9月に訪問した中東も
東日本大震災への支援の御礼が大きな目的の一つだった
のに、テレビでは殆ど報道されることはありませんでした。
★安倍総理の中東訪問。震災支援へのお礼が目的の1つ。
「あまちゃん」の三陸鉄道にはクウェートからの支援があった。
★祝!三陸鉄道、全線開通!!
駅のホームで振られていたのは「クウェート」の国旗だよ!
安倍総理が国民代表として御礼を伝えても、日本国民が
そのことを知らなければ完了形にはならないんです。
また、そのことを首相官邸がHPなどで広報しても、それは
なかなか広まらない。
しかしマスコミは、官邸がテレビを使って広く伝えようとしたら、
「圧力だ!」なんだとわめき散らします。
安保法制の時も、マスコミやテレビの役割は国民に広く説明
することでした。
国会では与党が野党に質疑時間を大きく譲ったにも
かかわらず、過去の事例の無視から始まって、挙句は
「戦争法案」だの「徴兵制」だのの「レッテル貼り」に加え
「安全確保」の「言質取り」という非常に卑怯な手法を使って
民主党らがわざと「議論」というものから遠ざけてしまった中で、
小野寺五典議員らの非常に解りやすい説明がちゃんと
ありましたし、安倍総理は実際にネットでも何度となく説明して
いました。
しかしテレビはそれを全く伝えずに「説明が足りない!」と
わめきました。
文章なんかわざわざ時間を割いて読んでくれるはずもなし。
ネットもアクセスしてもらわなくてはいけない。
そもそも政治に無関心な国民が多い。
とにもかくにも最も国民に広く伝わるツールはテレビなんです。
それだけテレビというのはやはり伝達ツールとして、
とてつもなく大きい力があるんです。
テレビが敢えて無視して「伝える」ことを放棄すれば、もう
国民が知らせるのは「無理」といっていい。
国民に伝えなければ、国民は知らないままで終わってしまうのに・・。
震災支援に関しても、こんなままで、たとえば東京五輪の時に
「どこからおいでですか?」
「おぉ、あなたの国は東日本大震災のとき、日本に暖かい
手を差し伸べてくれました!
あの時は本当にありがとう!」
と、国民は、御礼がちゃんと言えるんでしょうか?
せっかく直接御礼を言える機会がやってくるというのに、
どうして国民は「知らぬまま」で平気でいられるんでしょうか?
なんかこういうことに、ものすごく腹が立ちます!
今回は特に「シベリア抑留者への慰霊」という大きな目的も
ありました。
これってものすごく大事なことなのに。
だって、心の底から祖国へ帰りたいと願っていながら異国の地で
亡くなった方たちを慰霊する機会は本当になかなかないんですよ!
そしてその方たちの慰霊碑や墓地をずっと護ってくれているのは
現地の人たちなんですよ!
総理がその地で手を合わせることも、護り続けてきてくれた
現地の人たちに御礼の言葉を伝えることも、両方ともどれほど
大事なことであるか・・。
TBSのサンデーモーニングの寺島らコメンテーターたちは、
「中国がしたたかに英国を取り込んでいるのに安倍の外交は
旧ソ連諸国を訪問して何の意味があるのか!?」
とか、
「国会を無視してビジネスを成立すればいいと思っているんだ!」
とか、
また散々なバッシングをしていたそうです。
訪問の中身を、そして目的を当然十二分に知ってて
「これ」ですからね。
普段はあたかも「人権派」であるかのごとく、ことさらに
「外国人の子供達の人権を~!」とか言ってますけど、
こと日本人のことには本当に冷酷な連中だこと!
本当に吐き気のする連中です!
さて、前回「モンゴル訪問」はブログに書いて、その後
安倍総理の訪問順に続けて書きたかったんですけど
あまりにそれらの国のことを知らなさ過ぎて色々見てたら
まとめるのが遅くなってしまったので、先にウズベキスタンの
訪問を書くことにしました。
まずは、やっぱり「ウズベキスタンの桜」を思い出しましたので
現「次世代の党」代表の中山恭子議員のその著書を紹介します。↓
★中山恭子 公式ホームページ 『ウズベキスタンの桜』のご紹介
【ウズベキスタンの桜】
(中山恭子・著 2005年11月16日発行)
『ウズベキスタンの桜』
北朝鮮問題で政府と拉致被害者家族のパイプ役として
活躍した、元参与・中山恭子氏がウズベキスタン大使時代を
語る。
日本から遠く離れた中央アジアに、こんなにも日本人と
よく似た人々が住んでいる――
平成11年8月、ウズベキスタン大使として首都・タシケントに
赴任した中山恭子氏。
その直後、反政府ゲリラによる「日本人誘拐事件」が
隣国のキルギスで起きる。
人質となった日本人は、事件発生から63日後に無事解放されるが、
彼らを救うためにウズベキスタン大使館の館員が
尽力したことを知る日本人はあまりいない。
大使として、ひとりの日本人として……
ウズベキスタンに触れた著者が、料理や伝統工芸など、
女性ならではに視点を交えながらその魅力を大いに語ります。
<目次>
・第一章 着任 ウズベキスタン大使として
・第二章 命を守るために 日本人拉致事件
・第三章 ウズベキスタンの暮らし
・第四章 ウズベキスタンの経済
・第五章 日本との交流
・第六章 ウズベキスタンの桜
・第七章 未来を見据えて テロと隣り合せで生きる人々
・あとがき
■主な内容
・第1章 着任…ウズベキスタン大使として
1999年8月駐ウズベキスタン共和国大使として
首都タシケントへ降り立ちます。
顔つきも仕種も日本人と似ている人々との出会い。
すれ違うときに遠慮する人に「どうぞご遠慮なく」と声をかけた
ことに感動を覚えます。
「オクサロイ(白い館)」と呼ばれる大統領官邸での
信任状奉呈式ではカリモフ大統領の信頼できる人柄に
触れます。
カリモフ大統領と握手する中山恭子氏
・第2章 命を守るために…日本人拉致事件
着任後まもなくキルギスで発生した日本人鉱山技師拉致事件。
この事件は、アフガニスタンに拠点を置くイスラム原理主義
グループ(IMU:ウズベキスタン・イスラム運動)によるもので、
ウズベキスタン政府、タジキスタン政府への協力を求め
奔走し、大使館一丸となって全力で被害者を救出した
日々を語ります。
・第5章 日本との交流
経済面だけでなく、技術面、文化面による交流こそが真の
国際交流であると考えていた著者はウズベキスタンで
日本文化月間での日本の祭り、生け花教室など様々な試みを
します。
2001年にはナヴォイ劇場でオペラ「夕鶴」の公演が実現しました。
・第6章 ウズベキスタンの桜
戦後シベリアに抑留され、ウズベキスタンへ強制移送された
多くの日本人。
日本に帰国することが出来ず力尽きた日本人墓地。
墓標もない空間だけが広がる風景にしばらく立ち尽くします。
日本人墓地を守るウズベキスタン人との出会い。
そして殺風景な日本人墓地の整備に懸命に取り組み、多くの
人々の協力を得て、27種類1300本の「ウズベキスタンの桜」が
植樹されます。
<著者紹介>
中山恭子(なかやま・きょうこ)1940年生まれ。
1963年3月、東京大学文学部仏文学科卒業。
1966年4月、大蔵省(現財務省)入省。四国財務局長、
大臣官房審議官を務める。
1993年9月、国際交流基金常務理事。
1999年7月、ウズベキスタン共和国特命全権大使兼
タジキスタン共和国特命全権大使。
2002年9月から2004年9月、内閣官房参与。
2004年4月、香川大学大学院客員教授。
2005年4月、早稲田大学大学院客員教授。
2006年9月、第1次安倍内閣 内閣総理大臣補佐官(北朝鮮による拉致問題担当)
2007年7月から参議院議員(比例区)当選2回
2007年9月、福田内閣 内閣総理大臣補佐官(北朝鮮による拉致問題担当)
2008年9月、麻生内閣 内閣総理大臣補佐官(北朝鮮による拉致問題担当)
2015年10月、次世代の党代表
夫は前衆議院議員・中山成彬氏。
保守派の人は知ってても、2002年当時、まだ幼かった
大学生は知らないかもしれないし、少しでも山恭子氏の
ことを知って欲しいので改めて略歴も載せました。
「ウズベキスタンの桜」の概要だけですが、でも少しだけでも
ウズベキスタンと日本の関係がうっすら見えたように感じた
のではと思います。
で、以前にも下記ブログ記事で取り上げたんですが、2年前、
中山恭子議員が予算委員会で麻生さんにウズベキスタンと
日本との良好な関係が何によって築かれたのかについて
ちょうど質疑がなされていましたので紹介します。↓
★吉松育美さんへ。 とても長いですがお手紙を書きました。ぜひ読んで下さい。
【感動】ウズベキスタン大統領が麻生太郎に語った日本人捕虜エピソード
【参議院 予算委員会 2013年(平成25年)5月13日 】より抜粋
○中山恭子君
例えば拉致問題に関して申し上げますと、
第一次安倍内閣のとき、DVDとかパンフレットを
日本語プラス8か国語のものを作って、全ての大使館から
それぞれの任国の首脳や関係者に説明をするようにという
対策本部からの指示を出しました。
あらゆるときに日本の考えていること、日本の政策を丁寧に
全ての世界の方々に理解してもらうことというのは、これは
日本が平和を維持していく上で、まあ人との関係でもそうですが、
知ってもらうこと、理解してもらうことというのは非常に重要な
ポイントだと考えておりますので、是非リーダーシップを発揮して
いただきたいと思っております。
今日は、そういった意味で「世界中の文化が輝き、溢れ、
交流する『場』をめざして 文化のプラットホームとしての日本」
のパンフレット、提言を皆様に配付しております。
いずれお読みいただけたらと思いますが、この在り方、
日本が文化の底力を再認識して、二十一世紀、近代文明の後に来る
ポストモダンの世界で日本が世界中の文化が集まってくる場となり、
国際社会の平和と繁栄に貢献する国となることを目指している、
そういう提言でございますので、お目通しいただければ
有り難いことでございます。
そういった意味で、私自身が1999年から3年間大使として過ごした
ウズベキスタン共和国での事例を御紹介いたします。
ウズベキスタンは大変な親日国です。
日本人というだけで尊敬され、信頼されます。
その元にあるのは何か、それは日本の文化でございます。
敗戦後、シベリアに抑留された日本兵が中央アジアに
移送され、重労働に従事させられましたが、ダムや
水力発電所、運河、道路、さらに劇場などの立派な
建築物を建て、今もしっかりそれが残って使われて
いるというのが現状でございます。
日本の若者たちは、帰国できるかどうかも分からない中、
真面目に誠実に陰ひなたなく働いて、良いものを残し、
感銘を与えました。
ここで働いた人々は混成部隊です。
ということは、当時の全ての若者たちがこのような文化を
身に付けていた証左であると考えます。
麻生大臣は、ウズベキスタンではタロー・アソーと呼ばれて
大変尊敬されていらっしゃいます。
カザフスタンのナザルバエフ大統領にもお会いになって
いらっしゃいますが、中央アジアの国々での日本人の動きについて、
一言お話しいただけませんでしょうか。
○国務大臣(麻生太郎君)
カリモフという大統領がおられるんですが、1997年だったと
思いますが、日本の閣僚として初めてウズベキスタンという
国に行きました。
大統領と接見があって、我々、同友会から数十人同行されたと
記憶します。
子供のとき、毎週末、日本人捕虜収容所に
連れていかれた。
御存じかと思いますが、45年から46年にかけて、
シベリアからウズベキスタンに2万5千人捕虜が
移送されております。
そのことを言っておられるんだと思いますが、その
捕虜収容所に連れていかれた。
母親が私に言ったせりふは毎週末同じだった。
せがれ、ごらん、あの日本人の兵隊さんを。
ロシアの兵隊が見ていなくても働く。
人が見なくても働く。
おまえも大きくなったら必ず、人が見なくても
働くような人間になれ。
おかげで、母親の言い付けを守って、今日
俺は大統領になれた。
なかなか、一緒に行った、私よりもっと御年配の方が多かった
ものですから、非常に感激をしておられましたけれども。
これは、この人が大統領でおられたためにいろんなところに
この点は徹底して、今言われた、ナボイ劇場の話だと思いますが、
ナボイ劇場はその捕虜が建てたものですけれども、
これはウズベキスタンの大地震のときに、
このナボイ劇場だけが倒壊しないで残った。
したがって、そこには日本人捕虜と書かれず
日本国民と書き直されて、我々は捕虜にした覚えは
ないので、「日本国民によって建ててもらった」という
ことが書いてあるので、これはウズベキスタンという国、
中央アジアの中において大勢力ですけれども、
この国において日本人が非常に定着し、
日本の文化というものが広まっていった元の元は
その2万5千人に上る捕虜収容所に入れられた方々の
一人一人の御努力の結果、今日の日本・ウズベキスタン関係が
でき上がった基礎はそこにあると、私も伺ったとき
そう思いました。
★「ナボイ劇場」については、動画がありますのでこちらもご覧ください。↓
リメイク版国旗の重み~ウズベキスタンのナヴォイ劇場~
中山恭子議員はおっとりとした、とても優しい話され方ですが、
実は、参議院の「北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会」
では民主党の有田芳生らが、「ストックホルム合意」を利用して
遺骨収集事業や日本人妻帰還など北朝鮮が「拉致」よりも
前面に押し出してきている「似非人道支援」を北朝鮮の思惑
通りに拉致事件と同等扱いし、兎にも角にも「日朝国交正常化」を
最優先したいという「本音」を出しまくっている中で、
「拉致を最優先に!」と、同じ口調でありながら驚くほどに
とても厳しく強く主張をなさってくれているんです。↓
★民主党、有田芳生の許しがたい拉致問題利用。
目的は「日朝国交正常化」と「賠償金」でしかない。
中山恭子議員がいかに芯の強さ、真の優しさを持った方で
あるか、国会での質疑を見てもよく判ります。
そして麻生さんと中山恭子議員の質疑。
もうですね、この国会質疑の場面を国民が全く見てない
ことがなんとも悲しいことだと思うんです。
本当に政策を議論していく上でも、こういう風に、
先人の努力はちゃんと繋がっていくんですよね。
政策とは、国民の言いなりばかりになるんじゃなくて、
国民の不平不満にすぐに「はいはい」と応えるとか
溜飲をただ下げるためのものじゃなくて、
こうして先人の行ってきた素晴らしい行動を知り、
誇りに思い、今の自分達がそれを受け継ごうと思う
ところから始まる政策だってあるわけです。
また、麻生さんがずっと提唱してきた「自由と反映の弧」、
そして日本独自の中東和平プロセスとして提唱された、
「平和と繁栄の回廊構想」。
これらは、麻生さんが直接聴いたカリモフ大統領の
お母さんの言葉と全て繋がるんですよね。
★安倍総理のモンゴルと中央アジア5カ国歴訪。
「日本的価値観」の共有と、「シベリア抑留者への慰霊」にも目を向けたい。
「日本人みたいにちゃんと働けばいい国になるぜ!」
麻生さんはこれをずっと言い続けてきたんですから。
■1917年~20年、第一次世界大戦時の日本国内にあった
捕虜収容所。
勿論合法であり、その中でも、非常に人道的で公正、更には
友好的だったことが伝えられています。
特に、徳島にあったドイツ捕虜収容所は、有名です。↓
板東俘虜収容所
ここは、日本で初めてベートーヴェンの「第九」が全曲演奏
されたところです。
この実話は、「バルトの楽園」として映画化され、2006年に
公開されました。↓
[2006年6月全国公開したバルトの楽園のロケセット「バルトの庭」
満員御礼!|バルトの楽園ロケセットの保存施設「バルトの庭」のブログ
徳島にあった映画「バルトの楽園」のロケセット「バルトの庭」は
残念ながら最初から5年間営業という目標での運営と
いうことで、今年5月6日を持って閉園となったそうですが、
こういうことを知ることって本当に大事ですよね。
「フロインドリーブ」という神戸のパン屋さんを皆さん、
ご存知でしょうか?
ここは日本の捕虜収容所で過ごしたドイツ人、
フロインドリーブ氏が日本に留まり創業したお店です。
また、パン業界第2位の名古屋の「敷島製パン」は
フロインドリーブ氏が技術を伝え、発展した企業です。
先人の行動が、ドイツのパンの普及へと繋がった。
今、私たちは、おいしいドイツパンを手軽に食べられます。
その歴史にも実は、こういう歴史が関わっている。
もし、先人が、冷酷・残虐な行為を行っていたら、神戸で
ドイツパンは根付かなかったかもしれない。
今ごく当たり前に享受されていることが当たり前でなかった
かもしれない。
私達日本人の先人が、当時の想像を絶する厳しい世界情勢の
中で、どのような状況下でも「日本人」として「誇り」を持って生きて
いたという事実がある。
これを知ることだけでも、考え方、気持ちの持ち方は大きく変わると
思うんです。
そして、「アンブロークン」などという先人を貶めるような映画を
アンジェリーナ・ジョリーが監督として作ったとしても、そして、
反日連中や反日映画配給会社がそれを国内で上映しようと活動
したり、また実際に決定してしまっても、それに対して
しっかりと反論できるように、先人の誇りを自らしっかりと
護れるようになることは最も重要だろ思うのです。
それは事実さえ知っていれば、ちゃんと事実を学んでいさえすれば、
出来ることなんだと。
しかし戦後、そういう教育を受けてこなかった。
学校でも全く教えられてこなかった。
そして「先人が悪いことをしてきた」とそればかり「誤った認識」を
ずっと植えつけられてきました。
これが「戦後レジーム」なんだと・・。
今回の安倍総理のウズベキスタンで訪問のNHKニュースです。↓
★首相 抑留者建設の劇場で交流(NHKニュース)
今回のモンゴルと中央アジア5カ国訪問については
首相官邸だけでなく、外務省も、各国ごとに早々と
とても解りやすくまとめてくれています。↓
こういうの、リアルタイムで学校で教えてくれればいいのに
と思います。
そしたら子供達が先人への敬意は勿論、興味を持って
中央アジアの国々のことも知ろうとするんじゃないかと
思うんですけどね。
「誇り」と「感謝」。
両方を学ぶことも出来ます。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/erp/ca_c/uz/page1_000145.html
【安倍総理大臣のウズベキスタン訪問 平成27年10月26日】
(外務省HP)より抜粋
(3)日本人墓地参拝
・現地時間16時06分から10分間,安倍総理夫妻は日本人墓地に
参拝しました。
日本人墓地で献花する安倍総理(首相官邸HPより)
・安倍総理夫妻は,旧ソ連時代から日本人抑留者の歴史に
関心を寄せていたジャリル・スルタノフ氏(抑留者資料館館長、
平成27年度外務大臣表彰受賞)及び墓地管理人の挨拶を
受けました。
この際安倍総理から,スルタノフ氏の日本への
招待を伝えました。
・旧ソ連時代ウズベキスタンには第二次世界大戦後の1945年から
1946年にかけて極東・シベリアから約2万5千人の日本人抑留者が
強制移送されました。
そのうちウズベキスタンで死亡した812名が国内13ヶ所に埋葬されて
います。
タシケント市内には,公営のヤッカサライ墓地の一角に日本人墓地が
整備され,79名が埋葬されています。
4)ナボイ劇場視察・記念コンサート鑑賞
・現地時間17時01分から40分間、安倍総理夫妻はナボイ劇場を
視察し、記念コンサートを鑑賞しました。
・劇場では、ムラトフ館長の出迎えを受け、その案内の下、劇場の
建設に日本人が携わった旨記されたプレートを視察し、また
劇場についての説明を受けました。
ナボイ劇場を視察する安倍総理 (首相官邸HPより)
・ナボイ劇場は1947年に完成した1500名収容の劇場ですが,
第二次大戦後、タシケントに抑留された日本人が建設に
従事され、1966年のタシケント大地震の際には、周りの
建物が全て倒壊した中、同劇場は倒壊しなかったとして
日本人の仕事の確かさが讃えられています。
・2012年から改修工事が行われたナボイ劇場の今回の
「再開記念コンサート」では、日本の「ふるさと」を含む曲が
披露され、日本とウズベキスタンの新たな絆の始まりとも
言える機会となりました。

日本人抑留者が建てた、ウズベキスタン・タシケントにある「ナポイ劇場」
(産経新聞より)
■シベリア抑留中死亡者名簿 は厚生省のHPにありますので
是非、ご覧ください。↓
★ソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引(厚生労働省HP)
■こちらはウズベキスタンの収容所と亡くなられた方の
名簿です。↓
★ウズベク共和国 抑留死亡者名簿(厚生労働省HP)
ジャリル・スルタノフ氏は、1991年にウズベキスタンが
独立したのを機に、日本人ゆかりの収容所や墓地などの資料や
証言を収集し、1998年、タシケントの日本人墓地近くにある
ご子息宅の敷地に、私財を投じて「日本人抑留者記念館」を
開館しました。
★ジャリル・スルタノフ日本人抑留者記念館館長に対する
平成27年度外務大臣表彰の授与
(在ウズベキスタン日本国大使館 )
このジャリル・スルタノフ氏については産経新聞が9月にとてもいい
記事を書いてくれていました。↓
http://www.sankei.com/premium/news/150920/prm1509200010-n1.html
【オペラ劇場、水力発電…日本人抑留者が残した遺産
語り継ぐウズベク人】
(産経新聞 2015年9月20日)より
ジャリル・スルタノフさん(70)は、日本人抑留者たちの歴史を
伝えようと1998年、墓地近くに資料館を開き、個人で運営を
続けている。
資料館を開館したジャリル氏 (産経新聞より)
「子供のころ、友人の父親から日本人抑留者のことを
『遠くの国から連れて来られたにもかかわらず勤勉だった』
と聞かされて日本人に興味を持った。
また技師として働くようになったときに、日本人の技術の
高さにも魅せられた」
と話す。
ウズベキスタンが誇る最高級のオペラ劇場「ナボイ劇場」の
建設に日本人抑留者が携わったことは当地では有名な話である。
しかし、水力発電所や工場、学校の建設など日本人が
携わったことが忘れられてしまったものも数多くあった。
ソ連からの独立を機にジャリルさんは日本人ゆかりの収容所や
墓地などを巡り、当時を知る人から聞き取り調査を行った。
明るく勤勉で、手先の器用だった日本人に懐かしい感情を
持っている人は少なくなく、
「ウズベキスタンのために頑丈できれいな建物を建ててくれた」
と感謝の言葉を述べていたそうだ。
資料館に木製のゆりかごが置かれている。
日本人がウズベキスタン人に贈ったもので、子供や孫の代まで
使われたという。
他にも民族衣装を着た女性をスケッチした肖像画や写真など、
当時の交流が偲ばれる品々が展示されていた。
ジャリルさんは聞き取り調査で得た証言をもとに2003年に
ドキュメンタリー映画を自主制作した。
映画は資料館で見ることができる。
その後、新たに日本人抑留者が携わった建築物があることを
突き止め、現在2作目の準備に取りかかっている。
多くの日本人が知らない現地の日本人の歴史をひたすら
語り継いでくれる。
感謝に堪えない。
この産経記事に添えられているナポイ劇場のプレートの写真、↓

ナヴォイ劇場に刻まれた日本人が携わったことを記した碑 (産経新聞より)
麻生さんが中山恭子議員への答弁で話されていた通り、
「日本人捕虜」とは書かれずに、「日本国民」と書いて
ありますね。↓
1945年から1946年にかけて
強制移送された
数百名の日本国民が
このアリシェル・ナヴォイー名称劇場の
建設に参加し この完成に貢献した
学校の道徳の授業で子供たちに教えようよ!!!
と強く強く思ってしまいます。

資料館を開館したジャリル・スルタノフ氏(産経新聞より)
上でもチラッと紹介しましたが、在ウズベキスタン日本国大使館
にもジャリルさんの表彰について、このように書かれて
います。↓
http://www.uz.emb-japan.go.jp/jp/relations/political/sultceremony.html
【ジャリル・スルタノフ日本人抑留者記念館館長に対する
平成27年度外務大臣表彰授章式】
(在ウズベキスタン日本国大使館HPより)
10月7日、タシケントの日本国大使公邸において、
平成27年度外務大臣表彰を受章されたジャリル・スルタノフ
日本人抑留者記念館館長の授章式及び祝賀会が行なわれ、
加藤大使からスルタノフ館長に岸田外務大臣からの表彰状
及び副賞を授与しました。
会場には、スルタノフ館長の活動を長年にわたって物心ともに
支えてこられたご家族や、ウズベキスタンの日本人社会を
代表する方々が集まり、今回の受章をお祝いするとともに、
戦後抑留という負の歴史を超えて揺るぎない信頼関係を
築いている日本とウズベキスタンとの関係について和やかに
語らいました。
スルタノフ館長は、
「地理的には遠い国である日本とウズベキスタンが
心の距離を縮め友好関係を深めていくために、
自分がこれまで行なってきた活動が少しでも貢献
できていればうれしい」
と述べ、日本人抑留者に関するドキュメンタリー映像資料の
第2弾、第3弾の作成など、資料館の今後の活動に改めて
意欲を示されました。
(´;ω;`)ブワッ
ジャリルさん、本当にありがとうございます!
そしてウズベキスタンの皆さん、
本当にありがとうございます!
★安倍総理は、今回のウズベキスタンでの「ビジネスフォーラム」で
次のように述べています。 ↓
★安倍総理 ウズベキスタン共和国訪問 平成27年10月25日(首相官邸)
ウズベキスタンと日本両国の関係の基盤には、尊敬と感謝が
あります。
大地震にも倒壊しなかったナボイ劇場を建てた日本人抑留者
への敬意、そして抑留者の墓地を毎日きれいに手入れして
いただいていることへの感謝です。
抑留者という立場でありながら、その建設に勤勉さを活かして
立派な劇場を建てた日本人。
かつての日本人抑留者に対して、同じ日本人として私も誇りに
思います。
その抑留者の方々。
この地で残念ながら日本に帰還を果たせず、果てた方々、
その墓地をずっと守ってきていただいたウズベキスタンの
皆様に、本当に心から感謝を申し上げたいと思います。
日本人とウズベキスタン人は、心と心でつながっているのだろう
と思います。
日本語の『心』は、ウズベキスタン語では、『コカラ』と言う
そうです。
もしかしたら、同じ言葉ではないかと思ったわけですが、心を
大切にする両国民が、これからも末長い友情を育みながら、
お互いの発展のために協力をし合っていくことを期待したいと
思います。
このような温かな気持ちをいつまでも大切にし、人々の交流の
強化を含め両国の関係の地平を広げていきたいと考えております。

カリモフ大統領と握手する安倍総理 (首相官邸HPより)
テレビは全てを特集し、国民に知らせて欲しい!
こういう機会にこそ、ちゃんともっと報道して欲しい!
そして何よりも教科書で子供達に伝えるべき!
「知らないこと」は逆に罪になってしまう。
そして先人達にも余りにも申し訳なさ過ぎる・・。
「戦後レジームからの脱却」は、「誇り」と「感謝の気持ち」を
取り戻すことでもあるとつくづく思う・・。
【追記】
上で貼ったNHKニュースの動画を見ると判りますが、
安倍総理は、奥様と世耕内閣官房副長官らと一緒に
タシケントの日本人墓地の前で歌を歌っていました。
あれは何の歌だったのでしょうか。
きっとあの地で亡くなった方たちの祖国日本への
望郷の念を思っての歌だっただろうなぁと思います・・。
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- 維新の党の泥沼化をみていると、さすが「元民主」と「扇動政治家」だと思う。蓮舫の「その話は泥沼になる」という言葉も繋がる。 (2015/10/27)
- 山際澄夫さんへ。安易な「正義」の振りかざしは時に安倍自民党への「刃」にもなる。本当に勝てるのか?それが重要!安倍自民党は日本の砦です! (2015/10/25)