「開戦の詔勅」を出しながら先人を「戦犯」扱いし貶める民主党の参院議員・小西洋之は昭和27年12月9日の衆議院本会議の議事録を読んでどう思うのか!
- 2015/10/03
- 23:02
10月3日は中川昭一さんの命日です。
★10月3日は、中川昭一さんの命日です。
『 政治家は我身無念と思えども 国の為なら本懐なり 』
『 死せる中川 生ける保守を走らす 』
平成21年10月16日 。
北海道・帯広市で行われた『中川昭一氏をしのぶ会』での
麻生さんの弔辞の言葉からです。↓
「政治家は我身無念と思えども
国の為なら本懐なり 」
「死せる中川
生ける保守を走らす」
マスコミと民主党の狂気の沙汰のバッシングと扇動報道に
よって潰された安倍さん、麻生さん、そして故人となってしまった
中川昭一さん。
特に今は、麻生さんが中川さんに贈った上の言葉の重さを
感じずにはいられません。
政治家は我身無念と思えども・・・。
でも私はそれでも、どれだけマスコミや国民から非難を浴びようが
嘲笑されようが、国家と国民を護ろうと必死で頑張った政治家の
名誉を回復したい。
また今とは比較にならぬほどに世界情勢もなにもかも
弱肉強食と人種差別で覆われた、苦しく厳しい、本当に
生きるか死ぬか、奴隷となるかならないか、そんな中で
国家国民のためを思い究極の選択をしてきた政治家を、
今の価値観で、今の感覚で、ただただ批判することに
対して強い反感を持つと同時に、その時どれだけの
苦悩があったのかに思いをめぐらしたいと思う。
★一瞬にして「国思う政治家」を叩きまくる「愚」。
それに従わなかったら「売国奴」なんですか?
■1952年(昭和26年)9月8日。
サンフランシスコ講和条約締結。
■翌1952年(昭和27年)4月28日発効。
日本の主権回復。
すぐ上のリンク記事でも書きましたが、麻生さんの祖父、
吉田茂もまた現実を見据えながら国家、国民を思い、
護ってきた政治家だったと断言できます。
http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/070213.html
【支持率に一喜一憂するな】
(麻生太郎 オフィシャルWEBサイト 2007年2月9日)より抜粋
そう、あれは昭和26年、私が小学校5、6年生だったの頃の
ことです。
当時、日本は第2次世界大戦を国際法的に終結させるための
「対日講和条約」を結ぼうとしておりましたが、ソ連、中国など
社会主義国を含むすべての交戦国と講和条約を結ぶべきだ
という[全面講和論」と、占領の長期化を避けるためにまずは
米国を中心とする西側諸国と講和条約を結び、いずれ時が
きたときには他の国とも結ぶべきだという「多数講和論」で
国論は二分していました。
時の総理であった祖父・吉田茂は「多数講和」を結ぶため、
自ら全権委員として米国・サンフランシスコに乗り込むわけですが、
その2日程前に私と弟を呼び、いつになく神妙な顔つきで話を
始めました。
「小村寿太郎がポーツマス条約にサインをして帰国した際、
沿道から石は投げられるは、家は焼かれるは大変な目に
あった。
片や松岡洋右が国際連盟を『サヨナラ』演説で脱退して
帰国した時には、日本中で歓呼の声に迎えられた。
しかし、後世の歴史家などの評価では、松岡の判断よりも
小村の判断が正しかったと逆転した」
という話です。
現在のような世論調査があれば、「全面講和論」支持の方が
多かったと思える状況だっただけに、祖父としては
「自分の決断に対する評価は、後の歴史学者の判断を待つしか
ない」
ということを言いたかったんだと思います。
小学生の私にはそこまで深く理解はできませんでしたが、
「なんかヤバそうだな。
もしかしたらウチの家も焼かれるのか」
という緊張感を抱いたことを覚えています。
結局、祖父はサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約を
結んで帰国したわけですが、祖父の心配は杞憂に終わり、
羽田空港や都心に向かう沿道には日の丸を持った大勢の
人たちがつめかけ、歓呼の声で迎えられました。
もし、あの講和会議でスリランカのJ.R.ジャヤワルデネ代表の
演説がなければ日本はどうなっていたかわからない。
そんな厳しい中での講和条約でした。↓
★安倍総理がスリランカでのスピーチで語ったスリランカへの感謝の言葉。
日本の主権回復への道はスリランカが大きく関わっていた。
民主党の小西洋之がツイッターでこんなことを書いて
いました。↓
太平洋戦争の開戦の詔勅に署名した戦争責任者の岸信介を総理・総裁とし、国会代表質問の日に政権投げだしの孫(安倍総理)に違憲立法をやらせる政党だから序の口。
<自民>木原氏処分短縮 報道圧力、実質「白紙」に野党批判 http://t.co/DSqymeLhNH #Yahooニュース
— 小西ひろゆき (小西洋之) (@konishihiroyuki) 2. oktober 2015
小西ひろゆき (小西洋之) ✔ @konishihiroyuki 1:20 AM - 3 Oct 2015
太平洋戦争の開戦の詔勅に署名した戦争責任者の岸信介を
総理・総裁とし、国会代表質問の日に政権投げだしの孫
(安倍総理)に違憲立法をやらせる政党だから序の口。
<自民>木原氏処分短縮 報道圧力、実質「白紙」に野党批判
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151002-00000081-mai-pol … #Yahooニュース
Yahooの元記事は毎日新聞です。↓
★自民:木原氏処分短縮 報道圧力、実質「白紙」に野党批判
(毎日新聞 2015年10月02日)
自民党若手議員の今年6月の勉強会で
「報道機関への圧力を求める発言があった!」
とマスコミが扇動して大問題にした件です。
自民党はこの時、勉強会の代表、木原稔前青年局長を1年間の
役職停止処分をしましたが、今月2日に「3カ月間に短縮した」と
谷垣幹事長が発表した、という記事です。
しかし「報道圧力」も何も、マスコミの偏向報道の酷さは民主党の
津田弥太郎が起こした暴行傷害事件の報道のスルーぶりを
見ても明らかであって、自民党が問題にするのは当然であるにも
かかわらず、よくもまぁ、毎日新聞も小西も恥ずかしげもなく
自民批判記事を繰り広げるものです。
一方の自民党は、まさしく国家国民を護るための安保法制成立
のために異常なバッシングに耐えたというべきだと思います。
谷垣幹事長も木原稔議員も思うところはあったと思います。
でも、最後は麻生さんの言葉に繋がる行動を取ったということ
だと思います。
「歪められた憲法9条より国民の命を護ることが大事だ!」
と国会で主張したかったであろう磯崎陽輔首相補佐官も同じです。
小西の卑怯さはこれだけに留まらず、安倍総理が潰瘍性大腸炎
という難病でやむなく退陣したことは周知のはずなのに、それでも
まだ「政権投げ出し」と非難をする。
さらには安倍総理に対して、「戦争責任者」、いわば「A級戦犯」の孫で
あることを蔑視し、しかも「開戦の詔勅」を出した上で岸信介を非難
するとは・・・。
小西は、これがどれだけ日本人を貶める行為であるか、わかって
いるのか!?
私は絶対に許せないです!!
小西が使っている、いわば「戦犯」と同義語である「戦争責任者」
という言葉。
いかに戦後の歪められた教育とマスコミの扇動報道で、こういう
非情な考え方が「歴史に固定化」されてしまったのか。
そして、こういう「戦争責任」や「戦犯」なる言葉が、いかに戦後、
昭和天皇へ「戦争責任」を負わせようと企んで来た極左や、中国、
南北朝鮮の都合のいい言葉となってきたことか。
先の大戦で「戦争責任」を個別に負わせることとはどういうことで
あるか。
A級戦犯だけでなく、B級戦犯、C級戦犯まで捏造され、戦争に
おける、ありとあらゆる事象に、まるでパズルに組み込むようにして
「責任」をでっち上げ「犯罪者」に仕立て上げられてしまったという
現実。
そして、なぜ日本だけがすべての「戦争責任」を負わなければ
ならないようなことになったのか。
これらに目を瞑り、日本人を、日本国を断罪する連中の非情さ、
冷酷さに、あらためて怒りが湧きます。
日本は1952年4月28日、晴れて主権回復をし独立しました。
しかし、講和条約第十一条には関係国の同意なくして日本政府は
戦争受刑者を釈放してはならない旨が定められていました。
そこで同年6月5日から全国一斉に始まったのが
「戦争受刑者の助命、減刑、内地送還嘆願」
の署名運動でした。
当時の日本の人口8454万人。
その中で4000万人の署名が集まったそうです。
これにより国会が動き、国会決議が出されるに至りました。
その後、国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条に
もとづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は昭和31年に、
BC級戦犯は昭和33年までに赦免し釈放されました。
https://www.facebook.com/yoshito.hori.1/posts/604691139596863
■下記は、昭和27年(1952年)12月9日の第15回国会、
衆議院本会議の議事録です。↓
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/015/0512/01512090512011a.html
【第015回国会 本会議 第11号】
(昭和27年12月9日(火曜日))議事録より
■本日の会議に付した事件
戦争犯罪による受刑者の釈放等に
関する決議案
(田子一民君外58名提出)
○議長(大野伴睦君)
これより会議を開きます。
戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案
(田子一民君外58名提出)
(委員会審査省略要求事件)
○久野忠治君
議事日程追加の緊急動議を提出いたします。
すなわち、田子一民君外58名提出、戦争犯罪による
受刑者の釈放等に関する決議案は、提出者の要求の通り
委員会の審査を省略してこの際これを上程し、その審議を
進められんことを望みます。
○議長(大野伴睦君)
久野君の動議に御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(大野伴睦君)
御異議なしと認めます。
よつて日程は追加せられました。
戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案を
議題といたします。
提出者の趣旨弁明を許します。
田子一民君。
〔田子一民君登壇〕
○田子一民君
ただいま議題となりました、自由党、改進党、両社会党、
無所属倶楽部の共同提案にかかる戦争犯罪による
受刑者の釈放等に関する決議案、右につきまして
提案の趣旨弁明をいたしたいと存じます。
まず決議案の案文を朗読いたします。
戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議
独立後すでに半歳、しかも戦争による受刑者として
内外に拘禁中の者はなお相当の数に上り、国民の
感情に堪え難いものがあり、国際友好の上より
遺憾とするところである。
よつて衆議院は、国民の期待に副い家族縁者の
悲願を察し、フイリツピンにおいて死刑の宣告を
受けた者の助命、同国及びオーストラリア等海外に
おいて拘禁中の者の内地送還について関係国の
諒解を得るとともに、内地において拘禁中の者の赦免、
減刑及び仮出獄の実施を促進するため、まずB級及び
C級の戦争犯罪による受刑者に関し政府の適切且つ
急速な措置を要望する。
右決議する。
わが国は、平和条約の締結によつて独立国となつて、すでに
半歳以上をけみしておるのであります。
国民の大多数は、独立の喜びの中に、新生日本の再建に
努力しております。
この際、このとき、この喜びをともにわかつことができず、
戦争犯罪者として、あるいは内地に、あるいは外地に、
プリズンに、また拘置所に、希望なく日を送つておりまする
ことは、ひとり国民感情において忍び得ざるのみならず、
またさらに国際友好上きわめて遺憾に存ずるところであります。
(拍手)
もとより、講和発効後、関係国の理解により、中国関係戦犯者
91名の釈放、米国関係11名の仮出所、また近くは、インド、
中国におきましては、戦犯者のある部分につき釈放に同意した
とのことでありまして、ここに諸君とともに、これらの国に
対しましては感謝の意を表するものであります。
さりながら、ひるがえつて他面を見ますれば、今もつて海外に
おきましては、死刑の宣告を受けておりまする者59名を含む
308名、これに内地在所者を加えますれば、1,130名に
なんなんとする多数の人々は、いまなお獄窓に坤吟(しんぎん)
しつつあるのであります。
実に私どもの黙視し得ざる点でございます。
そもそも戦犯による受刑者と申しまするものは、旧時代における
戦争によつて生じた犠牲者なのであります。
これらの人々は、和解と信頼による平和条約の発効の後に
おきましては当然赦免せらるべきことを期待し、あきらめの
態度を定め、従順かつまじめに服役を続けて来ておるので
あります。
しかるに、条約発効後すでに半歳以上をけみしましても、
荏苒(じんぜん)期待に反して、そのことなきことは、私どもの
遺憾禁じ得ざるところであり、関係者の失望と焦燥とは察するに
余りある次第でございます。
いわんや、その家族、縁者の物心両界にわたる苦痛は
惨たるものあり、生活の窮乏者さえ多いのであります。
これらの人々は、戦後7年間はもとより、また戦時中より
通算しますれば実に10数年の長きにわたつて家庭の支柱を
奪われ、しかも今日までよく耐え、よく忍んで来ましたゆえんの
ものは、一に講和条約が発効をしたならばとの期待を持つた
ためなのであります。
しかるに、事期待に反し、その落胆、焦心は同情にたえざる
ところであります。
さらに一般国民は、戦争の犠牲を戦犯者と
称せらるる人々のみに負わすべきでなく、
一般国民もともにその責めに任ずべきもので
あるとなし、戦犯者の助命、帰還、釈放の
嘆願署名運動を街頭に展開いたしましたことは、
これ国民感情の現われと見るべきもので
ございます。
およそ戦争犯罪の処罰につきましては、
極東国際軍事裁判所インド代表パール判事に
よりまして有力な反対がなされ、また東京裁判の
弁護人全員の名におきましてマツカーサー元帥に
対し提出いたしました覚書を見ますれば、裁判は
不公正である、その裁判は証拠に基かない、
有罪は容疑の余地があるという以上には
立証されなかつたとあります。
東京裁判の判定は、現在あるがままでありました
ならば、何らの善も生まず、かえつて悪に悪を
重ねるだけであると結論づけておりますことは、
諸君のすでに御承知の通りであります。
また外地における裁判について申し上げましても、裁判手続に
おいて十分な弁護権を行使し得なかつた関係もあり、また
戦争当初と事件審判との間には幾多の時を費しまして、あるいは
人違い、あるいは本人の全然関知しなかつた事件もあると聞いて
おるのであります。
英国のハンキー卿(※注1)は、その著書において、
この釈放につき一言触れておりますが、その中に、英米両国は
大赦の日を協定し、一切の戦争犯罪者を赦免すべきである、
かくして戦争裁判の失敗は永久にぬぐい去られるとき、ここに
初めて平和に向つての決定的な一歩となるであろうと申して
おるのであります。
かかる意見は、今日における世界の良識であると
申しても過言ではないと存じます。
(拍手)
かくして、戦争犯罪者の釈放は、ひとり全国民大多数の要望で
あるばかりでなく、世界の良識の命ずるところであると存じます。
もしそれ事態がいたずらに現状のままに推移いたしましたならば、
処罰の実質は戦勝者の戦敗者に対する憎悪と
復讐の念を満足する以外の何ものでもないとの
非難を免れがたいのではないかと深く憂うるものであります。
(拍手)
今や、わが国は、世界平和確立に鋭意努力しております。
政府は、関係諸国に対し、まずB級及びC級を手始めとして、
一日も早く全部の赦免、減刑、仮出獄の処置に出るよう、
迅速にして適切な方途を講じ、一は国民感情の満足を求め、
家族縁者の悲願にこたえ、一は国際友好の上に遺憾なからしめる
よう、強く要望してやみません。
はなはだ言葉足らず、意を尽しませんが、これ本案を提出
するゆえんでございます。
何とぞ満堂の諸君の御賛成を仰ぎたいと存じます。
(拍手)
○議長(大野伴睦君)
これより討論に入ります。
館俊三君。
〔館俊三君登壇〕
○館俊三君
ただいま議題になりました戦争犯罪による受刑者の釈放等に
関する決議案に対し、私は労働者農民党(※注2)を
代表して反対をするものであります。
周知のように、戦争犯罪人を断罪した極東裁判は、ポツダム宣言
受諾によつてなされたものであります。
B、C級等下級戦犯者の釈放等は、従つてポツダム宣言に
のつとる中ソ両国を含む全面講和の早期締結に
よつて初めて可能なものであります。
本決議案は、この点を全く無視したものであります。
本決議案の真のねらいは、第一に、これによつて
サンフランシスコの単独講和の既成事実化を推し進め、
これを合理化することであり、第二にB、C級等下級戦犯者を
釈放した上、これらの人々自身の意に反して、これを
軍国主義と再軍備のための宣伝と組織に利用せんと
するものであり、第三には、A級戦犯の全面釈放の
ための伏線であり布告であると私は断ずる。
(発言する者あり)
このことは、今日戦争反対、再軍備反対を叫ぶ熱心な多数の
平和愛好者、平和運動者が全国各地で不当にも逮捕され、
投獄されていることによつても、おのずから明らかであります。
わが党は、これらの平和運動者の即時全面釈放と、それらの
人々に対する国家の正当な補償を要求するものである。
政府はまた、さきに広汎な追放解除を強引に行い、かの
侵略戦争に対する積極的協力者の多数に自由を与えたので
ある。
これらの多くは、今日、政界、財界、文化界において、再び
わが日本を戦争に追いやるために活躍しつつあります。
(拍手)
第四次吉田内閣自身何をやつておるか。緒方官房長官と
向井大蔵大臣のごとく、追放者であり、戦争協力者を
有力閣僚としているではないか。
のみならず、自由党、改進党を問わず、今日この種戦争協力者が、
民主主義の仮面をかぶつて、各政党、各団体内に活発に動いて
おる。
このような状態のもとで本決議案が出されているのであります。
吉田自由党政府の再軍備、戦争政策に断固反対している
労働者農民党は、いまなお獄窓にある人々には真に
お気の毒ではありますが、これらの人々の釈放がかくのごとき
意図のもとに行われるに至つては、欺瞞に満ちた本決議案で
あると私は解釈して、強く反対するものである。
(拍手)
○議長(大野伴睦君)
山下春江君。
〔山下春江君登壇〕
○山下春江君
私は、改進党を代表いたしまして、ただいま上程されました
戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議案に対しまして
賛成の意見を申し述べたいと存じます。
(拍手)
先ほど趣旨弁明の言葉の中にもございました通り、かつての
極東裁判の判事であり、しかも日本の無罪を
主張いたしましたインドのパール博士は、去る
11月11日に、巣鴨の拘置所において、戦犯に
対して、あくまでも正義を主張してやまない人間の
真実の叫びとして、大要左のようなあいさつを
されたのであります。
「すべて、裁判官の真諦は、人間の心の中に
法の公正さに対する信頼感をもたらすことに
ある。
その意味で、今次戦争最大の損失、最大の
災害は、法的正義に対する信頼感の破壊に
あつた。
法律家の中には、連合国のつくつた法は、
敗者である皆さんのみを対象としたもので
あつて、彼ら自身もしくは一般人類に適用
されないものであるということを告白している。
もしそれが真実ならば、そこに生れたものは
法律ではなく、そこに成り立つたものは正義では
ない。
ここにおられる皆さんは可能なる最悪の不公正の
犠牲者である。
英国において上層部の間に論争が行われている。
そのうちのある者は、戦犯條例によつて定められた
法は、ドイツ人を、あるいは日本人を対象とした法で
あつて、一般社会に適用されるべきものでないことを
認めている。
連合国は一体どこから権利を得てこれらの法律を
つくり、それを適用し、それによつて判決を下し得た
のであろうか。」
というあいさつをされておるのであります。
占領中、戦犯裁判の実相は、ことさらに隠蔽されまして
その真相を報道したり、あるいはこれを批判する
ことは、かたく禁ぜられて参りました。
当時報道されましたものは、裁判がいかに公平に行われ、
戦争犯罪者はいかに正義人道に反した不運残虐の徒であり、
正義人道の敵として憎むべきものであるかという、一方的の
宣伝のみでございました。
また外地におきまする戦犯裁判の模様などは、ほとんど内地には
伝えられておりませんでした。
国民の敗戦による虚脱状態に乗じまして、その宣伝は巧妙を
きわめたものでありまして、今でも一部国民の中には、
その宣伝から抜け切れないで、何だか戦犯者に対して
割切れない気持を抱いている者が決して少くないので
あります。
戦犯裁判は、正義と人道の名において、今回初めて行われた
ものであります。
しかもそれは、
勝つた者が負けた者をさばくという一方的な裁判
として行われたのであります。
(拍手)
戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかもフランス革命
以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸国の基本的
刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして、犯罪を
事後において規定し、その上、勝者が敗者に
対して一方的にこれを裁判したということは、たとい
それが公正なる裁判であつたといたしましても、それは文明の
逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる
文明の汚辱であると申さなければならないのであります。
(拍手)
その一、二の例をあげますと、事件の内容で、有罪項目が
自分の行為ではなく、まつたく虚構であつたか、あるいは
捏造された者、人違いであつた者、あるいは部下または
上官の行為の責任をとらされた者などが非常に多く、さらにまた、
事件発生の部隊または地域にたまたまおつたというとによつて
添えを食つた者、さらにはなはだしきは、日本人なるがゆえに、
他に何らの理由もなく処罰された者などがある
ありさまでありまして、自己の行為と多少のつながりがあると
いたしましても、著しく事実を誇張し、またはゆがめられたものが
圧倒的に多かつたのであります。
また、裁判の審理が一方的で、公判廷において被告に
十分の陳述を許されず、証拠も物的証拠はなく、ほとんどが
人的証拠、すなわち証人の証言によるものでありましたが、
その証人も多くは公判廷に出席せず、検事のつくつた宣誓口述書を
単に読み上げるものが多かつたようでございます。
それは、もし証人を出席させますと、被告人と
対決することにより、証人の偽つた証言が暴露
されることをおそれたからでございましよう。
このようなさばきを受けまして、今巣鴨にいる大多数の者は、
長らく異境にあつて戦争に従事し、終戦とともに引続き戦争犯罪者
として逮捕、裁判に付せられた者で、終戦後8年を経過いたしました
現在、家庭を離れてすでに平均10年になつており、15年から、
はなはだしきは20余年に及ぶ者もいるありさまでございます。
戦時中は、いまだ留守家族は、国家、国民のあたたたかい
庇護を受けて、ただ別離の悲しみのみでございましたが、
終戦後は、一家の大黒柱を奪われたまま、怒濤のごとき
社会的、経済的混乱のまつただ中に投げ出され、一顧だに
与えられなかつたのみならず、忌まわしい戦犯者の
家族として、一般国民以上に深刻な精神的な
苦悩を負わされて参りました。
留守家族が経済的に困窮して生活にあえぎ、
また種々の不幸を人一倍味わわされたことは、
想像にかたくないのでございます。
講和発効にあたつて、国内の裁判を受けて入獄いたしております
者は、大赦によつてその罪を軽減されたにもかかわらず、たとい
国内法による裁判ではないといえ、常にヒユーマニズムを
説く連合国に対して、独立日本の権威にかけても、
政府はこの機会を逸せず、強力なる釈放の手段を講ずべきで
あつたと考えるのでありますが、
(拍手)
なすところなく過ぎ去りましたことは、まことに残念でございます。
幸いにして、今日では社会の同情が高まつて参りまして、
やや慰められるところが多くなつて参りましたものの、その
困窮の状況は依然として深刻なるものがございます。
すなわち、家庭の生活状況は、両親が健在で、独身者で
心配がないという者が、在所者818名中わずかに12名
あるだけでありまして、その他は極度の困窮に陥つていて、
現在母と子が親子心中一歩手前の悲嘆にくれている者が
175名もございます。
一家がすでに離散してしまつた者が35名もあります。
戦犯者となつたがために、本人が離婚または婚約解消の
うき目を見た者が実に69名もあるのでありますが、この
悲しみは、単に本人のみならず、家族も、戦犯者の家族
なるがゆえに就職を拒否された者22名、結婚をはばまれた者
12名、その他社会的迫害を受けた事例ははなはだ多いので
ありまして、はなはだしきは、これがために自殺をはかつた者
12名、発狂した者16名という、悲惨きわまりないものでございます。
現在は情勢が一変して参りましたから、もはや社会的迫害などと
いうことはあり得ないと思うのでございますが、講和条約発効を
釈放の機として、これに唯一最大の期待をかけて忍んで来た
家族が、予期に反して、講和発効後8箇月を経た今日、依然として
拘禁せられて、いつ帰つて来るかわからないという一大失望落胆は、
今後ますます家庭悲劇の大きな根源となつて来るでございましよう。
つい最近のことでございますが、私が巣鴨訪問中、待ち切れなく
なつた妻から離婚届の捺印を求めて来た書簡を持つて、
ぽたぽたと涙を流しながらうなだれている戦犯者の前で、
何と言つて慰めてよいか、言う言葉もなく、私もまた涙しながら
政府のふがいなさに憤りを感じたのでございます。
(拍手)
終戦後すでに8年の長い拘禁生活中に、父母妻子その他の
肉身の不幸にあつた者は実に495名おります。
そのほとんど全部が、最愛の父母妻子の死目にもあうことが
できず、むなしく獄窓に断腸の涙をのんだのでございます。
年の瀬を控えまして、9度目の正月を獄舎に迎えんとする
父と、ふるさとにさびしくも悲しく父を待つ妻と子らの上に
明るい喜びをもたらす糸口となりますよう、本決議案に対して
衷心より賛意を表しますとともに、政府はこれが実現のために
あらゆる方途を講じ、最善の努力を傾け、すみやかに解決
せられんことを念願いたすものでございます。
(拍手)
○議長(大野伴睦君)
田万廣文君。
〔田万廣文君登壇〕
○田万廣文君
私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま上程されて
おりまする決議案に対して賛意を表明するものであります。
ただいま山下さんからもお話が、ございましたが、かつての
東京裁判においてインド代表として列席されましたパール判事の
言は、私どもの解するところでは、正義と公平とが人道上から
いろいろ批判の対象になつておるのでございます。
御承知の通り、受刑者の方々の中におきましては、無期または
15年以上の長期刑、米国関係の中におきましては、30年、
40年、超長期刑に至りましては七十年の刑もあると聞いて
おるのでございます。
かくのごときことは、生けるしかばねと言うも、あえて過言では
ないと思うのであります。
このような長期にわたる受刑者御本人もさることながら、
留守家族の方々の生活状態は、報告書によれば、ほんとうに
その日その日の糊口(ここう)に苦しんでおると
いう実態だそうでございます。
私どもは、人間として、人道上から、この決議案に対して
賛意を表せざるを得ないと考えるのでございます。
(拍手)
特に申し上げたいことは、B級、C級の戦争犯罪受刑者の
諸君の中におきましては、今日明確になつた点においては、
事実無根のために、すなわち無罪たるべき者が
多数入つておるということであります。
私どもは、この点を強く当然主張いたしまして、国際的な
良識に訴えて、関係各国の良心に基いた
手続が望ましいと
思うのであります。
(拍手)
私どもは、正義を愛し、平和を愛します。
その意味から申しましても、この決議案に
盛られた趣旨は正しいと考える。
B級、C級の戦犯者こそは、すみやかに釈放せらるべき
運命の星にあると私は考えるのであります。
独立後相当日にちを経過いたしました今日、デリケートな
国際関係のさ中におきまして、国際関係の調整上から
いいましても、正義、人道の上からいつても、本決議案の
すみやかなる採択と、政府の強硬なる態度を要望して
やまないのでございます。
岡崎外務大臣は、最近いろいろ批判の対象になつて
おるのでありまするが、どこまでも独立した日本であると
いうかたき信念の上に立つて、正義の策を勇敢に叫んで
いただかなければ困ると考えるのであります。
(拍手)
何とぞ皆さんの御賛意を得まして、本決議案がすみやかに
本院を通りまして、特に気の毒なるB級、C級、これらの人々の
すみやかなる釈放を心から念願いたしまして、賛意を表明する
次第でございます。
(拍手)
○議長(大野伴睦君)
古屋貞雄君。
〔古屋貞雄君登壇〕
○古屋貞雄君
私は、社会党を代表いたしまして、ただいまの提案に
賛意を表するものでございます。
平和条約が成立して相当の日時を経過いたしましたけれども、
いまだに戦犯は釈放されないのであります。
平和条約によりまして、わが国は国際憲章並びに世界人権宣言の
履行を約束いたしました。
しかるに、戦争が最も大きな犯罪でありますることは、われわれが
ここに強調をする必要がございません。
戦争が残虐であるということを前提として考えますときに、はたして
敗戦国の人々に対してのみ戦争の犯罪責任を追究するということ
――言いかえまするならば、戦勝国におきましても戦争に対する
犯罪責任があるはずであります。
しかるに、敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追究するということは、
正義の立場から考えましても、基本人権尊重の立場から考えましても、
公平な観点から考えましても、私は断じて承服できない
ところであります。
(拍手)
特にB、C級の戦犯に対しましては、その行為が残虐であつた
ということによつて、いまだに釈放されておらぬのでございます
けれども、戦争が残虐であることは、私どもがただいま申し上げた
通りであります。
世界の残虐な歴史の中に、最も忘れることのできない歴史の
一ページを創造いたしたものは、すなわち広島における、
あるいは長崎における、あの残虐な行為であつて、われわれは
これを忘れることはできません。
(拍手)
この世界人類の中で最も残虐であつた広島、長崎の残虐行為を
よそにして、これに比較するならば問題にならぬような理由を
もつて戦犯を処分することは、断じてわが日本国民の承服しない
ところであります。
(拍手)
ことに、私ども、現に拘禁中のこれらの戦犯者の実情を調査
いたしまするならば、これらの人々に対して与えられた弁明
並びに権利の主張をないかとろにして下された判定でありまする
ことは、ここに多言を要しないのでございます。
しかも、これら戦犯者が長い間拘禁せられまして、そのために
家族の人々が生活に困つておることはもちろんでありまする
けれども、いつ釈放せられるかわからぬ現在のような状況に
置かれますることは、われわれ同胞といたしましては、これら
戦犯者に対する同情禁ずることあたわざるものがあるので
あります。
われわれ全国民は、これらの人々の即時釈放を
要求してやまないのでございます。
こうした理由から、本提案に対しましては賛意を表するもので
あります。
何とぞ政府におかれましては、国民のこの要望、この熱望に
こたえるだけの責任ある態度をとられんことを要望いたしまして、
賛成の意を表する次第でございます。
(拍手)
○議長(大野伴睦君)
これにて討論は終局いたしました。
採決いたします。
本案に賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(大野伴睦君)
起立多数。
よつて本案は可決いたしました。
(拍手)
この際法務大臣から発言を求められております。
これを許します。
法務大臣犬養健君。
〔国務大臣犬養健君登壇〕
○国務大臣(犬養健君)
ただいま成立いたしました決議に対して敬意を表し、
この際政府の所信を申し上げたいと存じます。
先刻提案者が示されました通り、戦争犯罪に問われて現在
巣鴨刑務所に服役中の者は、A級12名をも含めて810名に
上つております。
また国外において服役中の者は、オーストラリアのマヌス島に
199名、フイリピンのモンテンルパに109名、計308名で
ありますが、これらの人々は、すでに長い年月の間幽閉の
生活を続け、その家族の生計もまことに悲惨な状況にありまして、
物心両面の痛手は真に想像に余りあるものがあるのでございます。
政府におきましても、これら戦犯者本人の心中はもとより、
この家族の悲しみに思いをいたしまして、御同様まことに
深き同情を禁じ得ないのでございます。
御承知のごとく、外地にあります戦犯者の内地送還につきましては、
独立後現在までに、マヌス島より7名、モンテンルパより2名、
合計9名の送還を見たのでありまして、いまだ少数ではありますが、
この関係国の処置に対して感謝の意を表しますとともに、さらに
一日も早く残りの全部について好意ある処置がとられるよう
切望いたし、政府といたしましても、その実現のためにあらゆる
努力を現在払つて参つているのでございます。
次に、巣鴨刑務所にあります戦犯者の釈放につきましては、
この赦免、減刑及び仮出所の勧告を行うように鋭意努力
いたしまして、現在仮出所適格者の大部分について仮出所の
勧告を終了いたしまして、各国の同意決定を待望している次第で
あります。
これに対して、アメリカにおきましては、先般、戦犯釈放委員会と
いうものが設置せられまして、その検討の結果、今日までに
計19名の仮出所の同意が得られたのであります。
しかるに、米国以外の英・仏・濠よりはいまだ何らの回答にも
接しておらないのでありますが、米国におけるこの動きは、
必ずや他の関係国にもよい影響を与えるものと確信いたしつつ、
今後とも関係国の好意と理解の獲得につき全力をあげて
折衝いたしたいと存じております。
(拍手)
なお、かような個別的な勧告と並行いたしまして、政府は
関係各国に対し全面赦免の勧告を行つているのであります。
(拍手)
すなわち、本年7月14日に、フランス国の革命記念日を
期しまして、フランス国関係の戦犯者につき全面赦免を勧告し、
さらに8月上旬には、その他の関係国に対してB、C級座員の
全面赦免を勧告いたしました。
さらに、今般行われた立太子式の国家的慶事に際しまして、
A級をも含めた全戦犯者の全面赦免を再勧告いたしたので
ございます。
(拍手)
しかして、この全面赦免の勧告に対しましては、本年の
11月15日にインド国政府より、また12月3日には中華民国
国民政府より、A級戦犯の釈放につきそれぞれ賛成なる旨の
通知を受けたのでありまして、ここに両国政府の好意に対して
深甚なる感謝の意を表する次第であります。
(拍手)
なおこのほか、フランス国政府よりも特に好意をもつて考慮する
旨の回答に接しておりますが、その他の関係国からはまだ何ら
具体的回答を受け得るに至つていない状態でございます。
しかし、政府といたしましては、本日のこの御決議の意を体し、
さらに今後とも関係国の好意ある処置を期待しつつ、あらゆる
手段方法によりまして、適切迅速なる方途をとり、
一日も早くこの不幸なる事態を解消いたしまして、
本日の御趣旨に沿いたい覚悟でございます。
(拍手)
■(※注1:英国のハンキー卿)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1948_paru_hanketsu_hamon.html
【「パール判決書」に対する波紋】より
「日本無罪論-真理の裁き」が出版される前に、すでに欧米の
法曹界・言論界において、このパール判事の「少数意見」
(パール判決書)が非常な波紋を呼んでいた。
主なるものを拾い上げてみると、1950年、英国枢密院顧問官で、
政界の元老であるとともに国際法の権威であるハンキー卿が
「戦犯裁判の錯誤」を著し、
「裁判官パール氏の主張が、絶対に正しいことを、
私は全然疑わない」
とはっきりと言明して、いくたの慣習法や実定法や歴史的事実と
パール判決の内容とを照合しつつ、戦犯裁判そのものに根本的な
疑問符を投げかけるとともに、東京裁判の不公正を衝いている。
(以下略)
当時、西欧ではハンキー卿のように、東京裁判の不公正を主張する
人たちは他にも存在し、また米国でも東京裁判に関する批判と反省の
論争は活発に行われた。
■(※注2:労働者農民党)
★労働者農民党 wikipediaより
■労働者農民党
戦後の一時期、1948年から1957年まで存続。
日本社会党を除名された最左派により結成された、
非日本共産党系の左翼政党。
1948年12月の結党時には、衆参18人の勢力があった。
党首の名称を毛沢東にあやかり主席という名称にし、
外交的には親中国派の立場を取り、国内的には
労農派・毛沢東主義の非共産党系左翼政党として
行動。
結党宣言では社会党を
「階級闘争を放棄し(中略)ブルジョア第三党に転落した」
とマルクス主義の立場から痛烈に批判。
一方、共産党には
「日本民主革命のために闘いつつある」
と一定の評価をしつつ、
「独善的偏向をもち(中略)極左的闘争主義の傾向が見られ、
この結果勤労大衆の利益は日本共産党だけでは確保
されない」
と結論づけた。
このような認識をふまえ、新しい社会主義政党を結成し、
保守反動に対抗する勤労大衆の統一戦線を形成するとした。
1957年1月解党し、3月に元労農党の議員は日本社会党に
復帰した。
反対をしたのは毛沢東を崇める狂った政党だけであり、
左派の社会党でさえ賛意を表していたという事実。
なお、この時日本共産党は議席がなく、決議には参加
していませんが、この労働者農民党と同じく反対の立場
でした。
★「戦犯釈放・赦免の国会決議って?」(しんぶん赤旗:2005年6月15日付)
↑の赤旗では強がりを言っていますが、「議席がないこと」自体が
すでに「国民の民意の表れ」であることは、否定しようがありません。
こうして当時の議事録を読むと、東京裁判によって完全に歪められて
しまった歴史の犠牲者が心身両面においても、7年間のGHQ占領下、
いかに「悲惨」な状況であったかが伝わってきます。
また、当時も「プロパガンダ」として利用された報道によって洗脳
されつつある国民が既に多くいたこともまた悲しい現実であった
ことにショックを受けます。
ベトナム戦争で、米国の帰還兵が精神的に潰されてしまった
事態というものも、実は少し重なるものがあると私は思います。↓
★共産主義VS安倍総理の進める強固な日米同盟。
NHKもTBSも日本のマスコミは、日本の共産化を狙うスパイも同然!
報道の洗脳というものがどれほど恐ろしいものであるか。
今の状況と重ね合わせて考えてしまいます。
しかし、そういった中で国民の4000万人にも及ぶ署名が
集まった。
あの時代を生きた日本国民は
決して日本人としての「誇り」と「良心」と「情」を
忘れてはいなかったのだと。
そして、
日本には戦犯はいないのだ。
もう一つ。
小西は本当に開戦の詔勅をちゃんと読んでいるのか。
そしてそれは今の世界の価値観出ではなく、当時の世界の
価値観を鑑みて読んでいるのか?
まさか、今の「平和ボケ」の頭で読んではいないか!?
開戦の詔勅。
★「良心」に必ず響く安倍総理の70年談話。
これを否定し日本人に末代までの贖罪意識を徹底的に植えつける
日本のマスコミには「良心」などない。
パール判事の言葉が現実となる日がいつか必ず来る。
2005年8月15日、靖国神社で、小野田寛郎さんが
このようにおっしゃっていた。↓
★小野田寛郎さんが、強く語った 『 開戦の詔勅 』 。 今の日本の危機と重なる・・。
現在の日本において、何故「開戦の詔書」を
拝聴する機会が無いのかということであります。
ものには「終わり」があるということは、「はじめ」があるからである。
「結果」があるということは、「原因」があるからであります。
「開戦の詔書」は、私は本当に入隊するまでの間、
しばらく何ヶ月か、いわゆるお聞きした。
今でもよく憶えております。
国民が知っておくベき「開戦の詔勅」。
学校で絶対に教えるべき「開戦の詔勅」。
【開戦の詔書】
★【開戦の詔勅】
【大東亜戦争 開戦の詔勅 (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)】
<現代語訳文>
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、
忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。
私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、
私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、
私の国民はおのおのその本分をつくし、
一億の心をひとつにして国家の総力を挙げ
この戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、
大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が
構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている
事である。
そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びを
ともにすることは、帝国の外交の要としているところである。
今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。
まことにやむをえない事態となった。
このような事態は、決して私の本意ではない。
中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、
みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、
ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、
もう四年以上経過している。
幸いに、国民政府は南京政府に新たに変わった。
帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、
ともに提携するようになったが、
重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、
兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。
米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、
平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。
あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、
軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商に
あらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、
帝国の生存に重大なる脅威を加えている。
私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、
長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、
むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、
経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を
屈服させようとしている。
このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して
我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、
帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。
ことここに至っては、我が帝国は今や、
自存と自衛の為に、決然と立上がり、
一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、
祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、
東アジアに永遠の平和を確立し、
それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
先人の誇りを取り戻すことがどれだけ大切なことであるか。
子や孫達に何を伝えていくべきなのか。
1952年の国会には、
日本の「誇り」と「良心」と「情」があった。
今は・・・・・。
安倍総理の70年談話さえ否定する連中が国会に議席を多数
占拠しているのだ・・。
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