安倍総理が目指している「戦後レジームからの脱却」。これについて、
6年前の2009年の2月11日、麻生政権の時ですね。
東京で行われた「平成21年 建国記念の日奉祝中央式典」での
安倍さんの記念講演を是非聴いて欲しいと思います。↓
★安倍晋三氏「美しい国へ―戦後レジームからの脱却―」1/3【安倍晋三氏「美しい国へ―戦後レジームからの脱却】
(平成21年 建国記念の日 奉祝中央式典)
[2009年2月11日 明治神宮会館]
★「君が代」斉唱のあと、2分あたりから
ただ今ご紹介いただきました、安倍晋三でございます。
本年は天皇陛下御即位20周年であります。
そして、天皇皇后両陛下ご成婚50周年、この記念すべき
年の建国記念の式典が各国大使ご参会の元に盛大に
開催されましたことをお喜び申し上げる次第でございます。
本年は、大変なこの不況の中にありまして、世界同時不況の
中にあるわけでありまして、常に政治家の挨拶というのは
「100年に一度のこの中で」ということになるわけでございますが、
本年の天皇陛下の新年を迎えてのご感想の中に、こんな言葉が
ございました。
「今こそ絆を強め、お互い、助け合って、
この困難を乗り越えて参りましょう。」
と。
本当に天皇陛下らしいお言葉だなと、このように思いました。
日本というのは古来から絆を大切にし、地域の絆、家族の絆、
そして国の絆の中で、助け合っていろんな困難を乗り越えて
きたわけでありまして、それぞれが抱えている問題についても
お互いが協力し合って乗り越えてきた。
その中で地域のコミュニティも、強い結束の中で育ってきた
わけでございます。
よく「国柄」、「国柄」と、こういうことを議論することがあるんですが、
私達の国柄は何かと言えば、これはもう、古来からの長い長い
歴史の中において、日本人の営みの積み重ねの中に自然に
出来上がってきたものが、私は、「日本の国柄」ではないかなと
思うところでございます。
日本の歴史というのは、言ってみれば、いわば、つづら織りの
ようなものでありまして、タペストリーですね。
この長い歴史をそれぞれの人々が、個々の歴史を積み重ねる
中で、全体のつづら織が出来上がってきたわけでありますが、
やはり、真ん中の中心線というのは、私はそれは、ご皇室であろう
と、このように思うわけであります。
そしてそれはまさに、一本の線で、ず~っと古来から今日まで
繋がっている。
ここが諸外国とは大きく違う点であろうと、わたくしは思います。
日本と外国との違い、たくさんあります。
また、外国の王室との違いも私はある、と思います。
総理に就任をいたしまして、皇室の様々な行事に参加する
機会がございますが、皇居で行われる祭祀に立ち会うのは
「新嘗祭」でございます。
11月も暮れて、その行事は夕方から深夜にかけて行われる
わけでございますので、大変寒い儀式でございますが、そこは
まさに蝋燭と薪の火だけの中において、陛下が賢所において
五穀豊穣、国民の安寧をひたすらお祈りをされるという行事で
ございます。
ここがいわゆる海外の王室との違いでもあって、征服王的な
性格ではなくて、日本の皇室というのは常に、国民の安寧、
そして平和を祈っている。
ひたすら祈っているという存在であるということを私達は
忘れてはならないのだろうなと、このように改めて私は
総理として、この新嘗祭に参列をさせていただきまして、
感じたような次第でございます。
ですから、今この不況下にあって、国民も大変な困難に直面して
いる中において、天皇陛下のお言葉、改めて、噛みしめながら、
私達はそれぞれの責任を果たしていかなければいけないと、
このように思った次第でございます。
「百年に一度」、「百年に一度」と、こう言うわけでありますが、
今から64年前に、我々はあの敗戦を経験したわけで
ありました。
多くの人たちは愛する人を失いました。
そして全ての財産を失ったという方もたくさんいらっしゃいます。
そして、工場などは、生産施設は瓦礫の山と化したわけで
ございます。
あの敗戦の翌年、昭和21年の歌会始において、昭和天皇の
御製はこういう御歌でございました。
ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ
松ぞををしき 人もかくあれ
(降り積もる 御雪に耐えて 色変えぬ
松ぞ雄雄しき 人も斯く在れ)
国が破れ、今は敗戦下にあるけれども、この雪の中で
青々とした、美しさを失わない強靱な松のように、
日本人も、日本人の素晴らしさ、美しさを失わないでいたい、
という思いをこの歌に込められたのではないかなあと、
こう思うわけでございます。
そこで果たして、この64年間、昭和天皇が詠われた松の
ように、変わらなかったのかどうか、であります。
私は残念ながら、この占領下にあって、日本はその姿かたちを
占領軍の手によって作り変えられたのだろうと、このように
思うわけでございます。
憲法ができ、そして、教育基本法ができたわけでございます。
憲法については、国会議員の3分の2以上の発議がなければ
そもそも憲法の改正ができないという、極めて困難な仕組みに
なっているわけでありますが、全てをこの仕組みのせいにする
わけにはいかないんだろうと思いますね。
たとえば、手続法である国民投票法は普通の法律と
同じように、2分の1で制定することができます。
そして、教育基本法も普通の法律でありますから、過半数で
法律は成立するわけでありますが、60有余年、残念ながら
指一本、触れられなかったのでございます。
この憲法、そして教育基本法といった、この時に出来上がった
戦後の仕組みをもう一度、根本から見直しをしていって、
21世紀にふさわしい日本を私達の手で作っていこうと
いうのが「戦後レジームからの脱却」でございます。
まあ、総理時代には大変批判も浴びましたし、必ずしも、
「わかりにくいじゃないか」と言われて評判も良くなかった
わけでございますが、しかし、1年間の短い期間では
ありましたが、なんとか、国民投票法、そして教育基本法の
改正を成し得たことは、わたくしの誇りとするところで
ございます。
2011年3月11日の東日本大震災。
あの時マスコミは「絆」という言葉を連呼していました。
でも、マスコミが押し付ける「絆」と言う言葉に私は嫌悪感を
持ちました。
それは、「マスコミなんかに軽々しく言われたくない!」
と思ったことが一番だと思います。
あれで「絆」という言葉の重みが軽くなってしまった。
以前から、天皇陛下はおっしゃってたんですよね。
「絆」という言葉を。
★安倍晋三氏「美しい国へ―戦後レジームからの脱却―」2/3 まあしかし、まだまだこれからですね、この憲法で
ございますが、まさに「戦後レジームの要」であろうと、
私は思います。
憲法の前文にはこう書いてあります。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
我が国の安全と生存を保持しようと決意した。」
こう書いて有ります。
普通の国の憲法には、
「国民の生命、財産、国土は断固として守る!」
という宣言であり決意が書いてありますね。
日本の憲法は、全くそこは趣を異にしています。
世界の国々は全て平和を愛する諸国民ですから、
その人達に私達の国民の生存も安全もお任せ
しますよ、という、かなり思い切った宣言が
なされていると言ってもいいでしょう。
そして、その次にはこうあります。
「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に
除去しようと努めている国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思う」
こう書いてあるんですね。
これ、日本が主体的に
「専制や隷従、圧迫と偏狭,、これは無くさなければならない!
日本が指導的な役割を果たしていくんだ!」
ということを宣言したものではなくて、
世界がそう考えているんだから、その中で日本は
褒めてもらおうじゃないかという、いじましいことが
書いてあると言ってもいい。
つまり、これは何を意味しているかというと、
日本は世界のあるべき姿を論じるなんていう
出過ぎた真似はしません。
世界が決めて頂ければ、その通りにします、
と前文にはこう書いてあるんですね。
その通りに我が国の外交官のみなさんは活動してきた、
結果がこういう事になっているんだなと、そう思うわけで
あります。
私が官房長官時代、小泉内閣でした。
麻生さんが当時は外務大臣でした。
その時に、北朝鮮がミサイル発射を行いました。
それに対して、国連において、制裁を含む決議をしよう。
たまたま日本は非常任理事国であり、安保理の議長国で
ありました。
この立場、千載一遇のこの立場を生かして、なんとか
この決議を行おう。
小泉総理も私も麻生さんもそう考えたわけであります。
しかし、大きなひとつの問題は常任理事国である中国が
反対をするかもしれない、という困難が予想されたわけで
ございます。
そこでどうすべきか。
中国が反対をするかもしれないという状況の中においては、
やはり、ヨーロッパにとってはですね、北朝鮮のミサイルは
射程に入っていない、ヨーロッパの国にとってはある意味では
遠い国の出来事であって、
「わざわざ安保理でもめるような、中国を相手に回して
もめるようなことはしたくない、日本、そんな厄介なことを
言いなさんな。」
こんな姿勢になってきたのであります。
そうなりますとですね、どうしても日本の外交というのは、
やるならば、日本は孤立するかもしれないし、そもそも
拒否権を発動されてしまったら、もともこもないじゃないかと、
こういう意見でしたね。
そこで私は麻生さんと相談をしました。
どうしようか。
万が一、拒否権を中国が発動した時に、誰が勝者となって、
誰が敗者になるか。
日本は決して敗者ではない。
中国は北京オリンピックを控えている中で、北朝鮮のために
そんなことをするだろうか。
もしそういうことを行えば、世界から
「なんだ、北朝鮮と一緒になって行動しているんですか。」
こう思われる結果になってしまうのではないだろうか。
日本はまさに、このミサイルの射程に入っている。
かつ、核兵器がこのミサイルに積まれるという状況に
なれば、決定的に安全保障の状況が変わっていくわけで
あって、それは絶対に許すわけにはいかないんだから、
日本は強く強く主張する権利があるし、日本が強く主張
しない限り、どこもついてこない、と我々は判断をしたので
あります。
しかし、日本の外交というのは孤立を非常に恐れるわけで
ありまして、
「いや、官房長官、そんなことを言ったって、孤立するかも
しれませんよ」
ということでありました。
しかし、皆さん、時にはですね、決定的に日本の
安全保障が脅かされるかもしれないという時には、
孤立を恐れずに、日本が主導的な役割を示さなければ、
事を成し遂げることはできません。
私が申し上げている「主張する外交」というのは、日本が
世界はこうあるべきだと、日本こそが世界に向かって、
理想の世界を語るべきであって、その世界に向かって、
アジアをこうすべきだ、こういうアジアであるべきだと
いうことを語りながら、そしてその中で、日本はこういう責任を
果たしていきますと申し上げていくことが、私は「主張する外交」
であろうと思うわけであります。
温暖化問題において、「美しい星50」というプランを日本が
発表いたしました。
これもわたくしが申し上げている主張する外交の一環である、
こう思うわけでございます。
今後21世紀において、この外交分野においてこそ、まさに、
私たちは、戦後レジームから脱却して、その呪縛を
解き放ちながら、私たちも堂々と世界のあるべき姿を示し、
そして、主張する外交を展開しなければならないのだろうなと、
こう思うわけであります。
その中では、当然、今後さらに世界で貢献を果たしていく
ためには、憲法の改正が必要であろうと、このように思いますし、
また、憲法を改正しなくても、たとえば、集団的自衛権の行使の
問題がありますね。
この集団的自衛権の行使等々の問題について、解決を
しなければならないと思います。
今、ソマリア沖の海賊の取り締まりについて、日本も貢献しよう
ということを決めました。
しかし、その時にですね、日本の船しか助けることができない、
ということは世界の常識に著しく反しますね。
こういう不安を私が当局の人に申しあげましたら、
「いや、安倍さん、そんなことはありません」
と。
「日本船籍でなくてもいいんです、日本と契約関係に
あればいいんです」
こう言うんですね。
日本と契約関係にある船であれば、助けることができる。
これは、まさにね、みなさん、「机上の空論」なんですよ。
ある船が海賊に襲われている場面に、海上自衛艦が
遭遇しました。
では、何をしなければいけないか、と言えば、その船に
対して、こう聞くんですね。
「あなたの船は日本と契約関係がありますか?」
もし、「ありません。」と言ったら、
「あ、そうですか、じゃあ、頑張ってください。」
と言ってその場を立ち去ることが、皆さん、できるんでしょうか。
できるはずないじゃないですか!!
集団的自衛権の問題、海外での武器の使用の課題、
そうした課題については安倍内閣時代に、安全保障の
法的基盤の構築に関する懇談会において、
結論を出したわけでございまして、これは私は、世界の常識に
沿った行動であろう、世界の常識と言うよりも人間の常識
ですね。
近くで人が暴漢に襲われていたらですね、少なくとも
助けようとするというのは当たり前、ではないだろうか。
その襲われている人物と自分との関係についてですね、
調べるなんていう人は恐らくいないでしょう。
ですから、そこはですね、今までの戦後の、まさにそれが
我々が縛られてきたものではないだろうか、こう思います。
安倍総理がカフェスタで出していた、菅官房長官と麻生さんの
名前を使っての「集団的自衛権」の例え話。
★保守派はいつまで「井の中の蛙」でいるつもりなのか?国民の多くは「戦後レジーム」から全く脱却していない。本当は、「菅くん」から掛かって来た「助けて」という電話に
何とか応えてあげたいと思うのが本当なんですよね。
菅官房長官も記者会見で
「ボクは見捨てられた」と言ってたそうですが、
これは「問題提起」でもあるように思えます。
日本は、多くの在外邦人がイラク戦争でトルコ航空機に助けられました。
リビア内戦ではスペインの空軍機にも助けられました。
そして、自衛隊はPKO派遣でも他国軍に守られて活動を行って
いますが、例えば南スーダでのPKO活動では、GDPが日本の
50分の1であるバングラデシュの軍が護衛をしてくれているのです。↓
★2011年2月「リビア内戦」でのスペイン軍用機による「邦人保護」事例を
完全に無視する辻元ら民主党議員達の異常!現実として、「菅くん」の例は、日本は外国から受けてきたんです。
でも日本はそこまで行かない。
今回の安保法制でもそこには一線が敷かれています。
他国の人たちを守ることは出来ない。
そして何より、それ以前に、自分が危険に晒されて、
友達が助けに来てくれて、そのとき友達が自分の
代わりに殴られても、自分だけはそこから逃げろ!
というのが「今まで」だったわけです。
根本的な問題だとやはり思います。
そして、殴られないためには、「殴ったら、逆に酷い目に遭う」
ということを相手に強く思わせなければならない。
「抑止力」。
それが何より「防御」となる。
「戦争になる!」
「戦争法案だ!」
こういった言葉を叫んでる連中は、今まで邦人を、自衛隊を
守ってくれた諸外国の軍に対して「集団的自衛権」を否定する
言葉を目の前で吐くつもりなのだろうか?
各国の軍は「戦争」のために動くのか?
連中がそう思っているのはどこぞの国の「人民解放軍」が
スタンダードだと思っているからではないのか?
米軍は「トモダチ作戦」で日本を助けてくれました。
連中はこれさえも無視するのだ。
★安倍晋三氏「美しい国へ―戦後レジームからの脱却―」3/3先ほど話をいたしました。
昭和天皇が御製を詠まれた、あの昭和21年に、
一人の日系アメリカ人の兵隊が占領軍の一員として
日本にやってきたんです。
名前をジョージ・有吉という人なんですね。
ジョージ・有吉さんはその後、実はハワイで日系人として
初めて州知事になりました。
彼がこんなことを書いていました。
ジョージ・有吉さんが勤めたのは丸の内の郵船ビルだった
そうであります。
この郵船ビルの前に常に一人の靴磨きの少年が立っていた
そうであります。
そしていつもこの少年はいつも背筋を伸ばして礼儀正しく
まじめに仕事をしていたそうですね。
しかし身なりは大変みすぼらしくて、いつもお腹を減らして
いそうだ。
この少年に同情した有吉さんは食堂に行って、パンに
バターとジャムを塗ってサンドイッチを作って、それを
ナプキンで包んで持っていってですね、少年に
「食べなさい」と渡したそうであります。
そうしたらその少年は、そのもらったサンドイッチを
大事そうに自分の道具箱にしまったんですってね。
そこで有吉さんはその少年に
「何で今食べないの?お腹減ってるんでしょ?」と
こう聴くそうです。
そうしましたら少年が
「私には3歳の妹がいるんです。
お腹を空かせて待ってますから持って帰って、
2人で食べたいと思います。
ありがとうございます」
と、礼儀正しくお辞儀をしたそうで有ります。
この時有吉さんがどう感じたか。
彼には日本人の血が流れているけども日本は惨めに
戦争に敗れた。
なんとなく日系人であることにコンプレックスを持っていた
そうで有りますが、しかし、その少年を見て、自分にも
同じ日本人の血が流れていることを誇りに思った。
こう書いて有りました。
この少年達こそが
日本の戦後の復興、中心を担った
のではないかなぁとそう思いますね。
そして
この少年達を作ったものは何かと、育てたものは何かと。
それはやはり日本の教育ではなかったかと。
こう思うわけでございます。
身なりはみすぼらしくても、いくら貧しくても凛とした強さを
持っている。
この少年の優しさ。
ジョージ有吉さんは感動したので有ります。
今年の4月から改正された教育基本法に則りまして、
新しい学習指導要領ができた、その上に立って新しい授業が
行われることになります。
理科、国語、算数といった基礎的学力は1割増になります。
そして、週に2時間、道徳の科目が教えられることになる
わけであります。
残念ながら、いろんな経緯がありまして、教科化は
できなかったのでありますが、とりあえずは、まず2時間、
道徳の授業ができることになりました。
そして中学校では、剣道や柔道といった、そうした
日本の武道が必修科目になることになりました。
ただ勿論、こうした教育を全て学校に任せていては先生方も
大変ですね。
学校だけではなくて、地域、家庭、社会、総ぐるみで子供たちを
教育していくことが大切ではないかなあと、そう思います。
今、この困難な、経済的に困難な状況にある日本の中で、
その中で大人がどういう行動をとるか。
子供たちは見ています。
今こそ、「子供たちにあるべき人間の日本人の姿」を示して
いかなければならないんだろうな と、こんなように思いますね。
しかしまだ教育再生、始まったばかりでありますし、これを
進めていく上においても、いろんな抵抗がありました。
たとえば、学習指導要領を変える際に、
「『君が代』を歌えるように指導する。」
こう学習指導要領に書いたんですね。
実は今までもね、「『君が代』を教える」ということは
学習指導要領に書いてありました。
書いてあったんです、今までも。
でも何故、授業で子供たちが歌えるようにならなかったか
と言えば、この学習指導要領に「君が代を教える」という
ふうに書いてありますから、音楽の授業で
「日本の国歌は君が代です。以上終わり。」
で終わってしまっていたんですね。
だから、「歌い方」を教えないから歌えなかった。
だから、学習指導要領に、「歌えるように教える」とここまで
書きました。
ここまで書く必要はないと、ずいぶん文部省からも反対
されましたし、あるいはまた、もちろん日教組からは大変な
反対があったんですが、自民党のたくさんの若い議員が
本当に頑張ってくれてですね、この学習指導要領を今、
申しあげたような方向で書き換えることができました。
たとえば、防衛省や自衛隊といった存在の意義、意味、
安全保障についても教えていくことになりました。
これもなかなか書き込むのに困難がありました。
しかし、今まで何回も、中曽根総理時代にも臨教審を
作って立派な論文を出しました。
小渕総理の時にもですね、教育改革国民会議を作りましたね。
立派な論文ができた。
しかし、残念ながら教室は変わらなかった。
これはやっぱりちゃんとフォローアップをしなければいけません。
今回は基本法も変えましたし、関連三法も変えました。
指導要領も変わったんですが、やっぱり、本当に現場で
ちゃんと実際に行われているかということを私達はよ~く
みんなで見ていかなければいけないんだろうなと、こう
思います。
来年には、この2月11日、ほとんどの家庭でちゃんと
国旗が掲揚されることを期待したいと、こう思うわけであります。
繰り返しになりますが、今こそ、この厳しい時こそ、私達は
それぞれの責任を果たしていくことによって、この困難を
乗り越えていかなければならないと、こう思います。
日本の欠陥を、欠点をあげつらうよりも、日本を貶めることに
情熱を燃やすよりも、皆さん、日本の明日のために語ろうでは
ありませんか。
一緒に汗を流そうではありませんか。
共に素晴らしい国をつくるために頑張って参りましょう。
どうもご静聴ありがとうございました。
国の誇り。
日本人として誇りを持つこと。
それは、先人達への感謝から始まるのではないか。
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