6月4日に行われた憲法審査会で、与党側の推薦した
憲法学者含めて3名全てが「集団的自衛権行使」を
「違憲」だと表明したことについて、マスコミや野党らが
調子づいて
「ほら見ろ!やっぱり憲法違反だ!」
「そもそも安倍のやり方が間違っている!
憲法改正から行うべきだ!」
と高笑いをしながら叫んでいるのを見ると、改めて
「日本は本当に異常な状態だ・・」
と思ってしまいます。
先に「弁護士ドットコム」の記事を調べてみると、こんなことが
書いてありましたので取り上げます。↓
★発言全文》安保法案「違憲」とバッサリ、与党推薦の長谷部教授が語った「立憲主義」もともと、この日の議論のメインテーマは「立憲主義」だったが、
民主党の中川正春議員が
「率直に聞きたいんですが、先生方は、今の安保法制、
憲法違反だと思われますか。
先生方が裁判官となるんだったら、どのように判断されますか」
と参考人の憲法学者3人に質問したところ、全員揃って
「違憲だ」と明言するという展開になった。
中川議員の質問に対して、自民・公明党が招いた参考人で
ある長谷部教授の回答は、次の通りだった。
「安保法制は多岐にわたっておりますので、その全てと
いうわけにはなかなかならないんですが・・・。
まずは、集団的自衛権の行使が許されるという点につきまして、
私は『憲法違反である』という風に考えております。
従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明が付きませんし、
法的安定性を大いに揺るがすものであるという風に考えております。
それからもう一つ武力行使、外国の軍隊の武力行使との
一体化に自衛隊の活動がなるのではないかという点ですが、
その点に関しては『一体化するおそれが極めて強い』と
考えております。
従前の戦闘地域・非戦闘地域の枠組みを用いた、いわば
バッファー(※緩衝帯)を置いた、余裕を持ったところで
明確な線を引く、その範囲での自衛隊の活動に留めておく
べきものであるという風に考えております」
長谷部教授は2014年3月まで東大で教授を務めており、
90年代に自衛隊合憲論を唱えたり、2013年12月成立の
「特定秘密保護法」に賛成を表明するなど、憲法学者の中でも
「個性的」な人物とされている。
ただ、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使について、
新聞対談などで繰り返し反対の立場を述べていた。
「立憲主義」がテーマだったところで「違憲」か「合憲」かを
民主党の売国奴議員、中川正春が真っ先に質問し、
そこだけが大きく取り上げられたと。
多分マスコミや民主党は、そこが
「狙いどころ」だったんで
しょうね、与党側が長谷部という憲法学者を呼ぶと決まった
ことを知ったときから。
与党側も人選を誤ったのは確かですね。
それと
「立憲主義」という言葉。
私はこの言葉は本当に最近聞き始めたような感覚しかない、
というか、民主党の小西洋之がやたらと「立憲主義」という
言葉を「ダメ出し」として国会で使ってくることで、耳にする
回数が増えた言葉でした。
連中が「立憲主義」を説明する時、
「憲法は権力者を縛るもの」という言葉を出してきます。
上記の弁護士ドットコムで長谷部という憲法学者の
「立憲主義」に関する説明の全文が載っていますが、
これを読むと、
「広義の意味」で
「政治権力を何らかの形で制限する考え方」だと。
これは「憲法は権力者を縛るもの」と同じ説明ですね。
で、
「狭義の意味」では
「憲法が多様な価値観や世界観に振り回されると
『なし崩し』になる」と言いたいのでしょう。
これには正直、今更的な「ごく当たり前」のことだろうと
いう気持ちです。
というか、
「広義」とか
「狭義」とかの言葉を聞くと、やはり
あぁ、
捏造従軍慰安婦問題のときと同じだなと思うのです。
「強制連行されて慰安婦にさせられた」と叫んでいた連中の
一人、吉見義明が、「強制連行」説が「捏造」だと明らかになり
崩されていく中で、無理矢理創作した言葉が「狭義の強制連行」
でした。
「ある日突然強制的に連れ去られる」という「非道な印象」を
強く与える「強制連行」(ほぼ「拉致」に等しい)という言葉
だけは残したいがために、元々のその意味をわざと「狭義の」
として残し、「慰安婦として従事した人たち」全てを、当時の
合法性も無視して「広義の」という言葉で誤魔化された
「強制連行」の枠内に押し込めたのです。
「狭義」の強制連行だけを否定しても、結局反日連中が
「狭義も広義もない!」
「強制連行は強制連行でしかない!!」
と非難してきたのは言うまでも在りません。
だって、それを狙って「広義」だの「狭義」だのの言葉を
「取ってつけた」わけですからね。
これと同じで、いわゆる学者の
「憲法論」というのは、あくまで
「論」であり、どうにでも変えられてしまうものなのです。
この長谷部という憲法学者が言っている「広義」と「狭義」
というものを考えると、もしかしたら、「広義」の部分は
都合のいい形で「強調」され始めたものではないかという
疑問が湧いてきます。
なぜなら、今の国会やマスコミをはじめ9条反対論者の
一方的なやり口を見ていると、捏造慰安婦問題の時と
酷似しているからです。
「多様な価値観や世界観で憲法を身勝手に解釈してはいけない。」これは
国家権力に限らず国民の側にも求められるはずの
ものです。
それが、なぜか「国家権力」に対してだけ「強調」されるどころか、
「国家権力」だけを「縛る」ものであって「国民」はそれに「縛られない」と変質してしまっています。
いわば、「狭義」的なものはすっかり表から消され、なぜか
「広義」での意味だけが堂々と主張されてしまっていると
いうわけです。
慰安婦問題が捏造だと明らかにされていく中で、突如
一方的に発生した「広義」という「取ってつけた」言葉に
よる主張によって、今だ日本が振り回されているのと同く、
何か非常に都合よく「立憲主義」というものは主張されて
いるのではないか。そう思えて仕方が在りません。
また、「立憲主義に基づいて」という言い方を改めて見れば、
よく解ると思いますが、あくまで「主義」=「思想、考え方」
なわけですから、時代の流れによってこの考え方が
変わる可能性だってやはり在り得るということです。
とにかく「立憲主義」というのはこれを殊更に叫ぶ連中に
とって非常に都合の良い言葉として利用されているのです。
ここでふと思い出したのは、
聖徳太子の「憲法17条」です。
これは本当によく出来ています。↓
★保守とは一体なんなのか。 バッシングだらけの日本。
聖徳太子の「十七条憲法」から思うこと。「官吏」となるものの心得を中心に書かれていますが、
これを読めば読むほど、
「憲法は権力者を縛るものであって国民を縛るものではない」
という言葉が、空疎になる、というか、国民の「逃げ」であると
思わざるを得ません。
「和をもって貴しと為す」この文言に代表されるように、
人として、どう在るべきか。
国家の民である国民も、同じく「人として、在るべきこと」を
肝に銘じなければならない。
国家をまとめていくには、国民にもそれを求めるべきである。
そう聞こえてきます。
よく、
「民度が、政治に反映する」と言いますが、
そこに通じるものだと思います。
聖徳太子の「憲法17条」はまさしく時代に応じた
「国家と国民を護る」憲法となっているんです。
こうして、憲法学者の「言い分」を聞いて、更にいろいろと
考えると、ますます「そもそも」という言葉が自分の頭の
中をいくつも駆け回ることになります。
まず、マスコミが騒ぎ立てる憲法審査会の参考人について
ですが、そもそも、何故、憲法審査会に参考人を呼ぶのかと
いえば、例えば賛成・反対の両論のそれぞれの意見を聴く
ことによって、それを言葉通り「参考」とするためなのでは
ないのですか?
べつに、憲法学者が全員「違憲」だから「ダメだ!」ではない
はずです。
だから今回のような場合になったならば、もう一度、賛成の
憲法学者を参考人として呼んでその意見を聴くべきなのだし、
マスコミが言うべきことは、そういうことのはずです。
それがまるで
「全員違憲だ!勝った!勝った!」
となっていること事態がおかしいのではないですか?
こういうと、法治国家ともあろう国が憲法違反だと判断する
人が圧倒的に多い法案を通そうとすること事態が異常だ!
という人がいるでしょう。
そう言われると、もっと根本的な部分にまで考えさせられる
わけです。
「立憲主義」をやたらと突きつける連中さえ、そもそも
「自衛隊」の存在を最早認めていること。自衛隊の存在は「違憲」だとずっと叫びながら、
いざ政権を担ったときに自衛隊の存在を認めた、
「事実上の社会党政権」だった村山内閣は、どうやって
自衛隊を「合憲」として受け入れたのか、本当にはっきりと
説明できるのでしょうか?憲法9条の第2項前段の「戦力の不保持」と言う文言を
明らかに超えた「自衛隊」を認めているという時点で、
連中が声高に叫ぶ「立憲主義」とはどういうものなのか、
説明がつくとはとても思えません。
いや、もしかしたら、自分たちが「権力者側」にある時と、
そうでない時とで「立憲主義」を使い分けているのでは
ないか?
もし民主党はじめ今の野党が万が一再び政権の座に
ついたら、この「立憲主義」の「り」の字も口に出される
ことはなくなるのではないか。
そう思ってしまいます。
上で散々説明したように。
「都合よく」。
そもそも、「憲法」とは「法律」とは
何のためにあるのか?
国民の生命と財産を護るため。
これが根本にあるはずです。
というか、あるべきです。
集団的自衛権の行使はその根本部分をしっかり護るために
為されるものです。
そして、与党案として提出される過程において非常に厳しい
3要件も盛り込まれました。
「国民の生命を護る」ための法案が憲法違反であるということは
どういうことかといえば、そこには「憲法」そのものの「欠陥」が
浮き彫りになってきます。もうすでに
「矛盾」しているのですから。
憲法が国民を護るためのものではないとしたら、
その憲法に価値があるんでしょうか?「法の解釈」があるのなら、その解釈はあくまで
国民の生命を護るための解釈でなければならない
のではないでしょうか?
「机上の空論」解釈ではなく、「現実」としての解釈が
当然必要になってくるはずです。
自衛隊を「憲法」で認めるのはなぜか。
憲法9条の「戦力不保持」で国民が逆に危険に
晒されるよりも、国民の人権、生存権を「優先」したからではないのでしょうか。
国民を護るための「優先解釈」とでも言うべき
でしょうか。
「先に憲法改正をするべきだ!」と叫ぶ人たち。
今のマスコミが共産主義者と在日朝鮮人によって
牛耳られている、すなわち中国と朝鮮半島という
日本の近隣特定アジア(特ア)3国にとって最も都合の
良い日本のマスコミが、連日狂ったプロパガンダ放送を
垂れ流し、それによってずっと国民が扇動されている中で、
どうやってまともな憲法改正議論が出来るでしょうか?
そして憲法を改正するのにどれだけの時間が、いや
どれだけの年数かかることか。
既に現在の安保法制だって議論の入り口でずっと
立ち止まるばかりでなく、結局「審議拒否」で議場から
さっさと帰ってしまっているではないですか。
その間に中国は着々と海洋侵略を進めているというのに。
それともわざと中国に協力してるんですか?
「時間延ばし」をして。立憲主義で「憲法」を護るよりも、
護るべきものは「国民の生命」です!「国民の命を護る」ために出来ることはすべてやるべきであり、
「政治の不作為」は許されない政府にとって、既に今の憲法は
「足枷」となっているのは周知の事実です。
これは「欠陥憲法」であることを露呈しているも同じです。
憲法改正に膨大な時間がかかるのが目に見えている今、
この「欠陥憲法」をなんとしてでも「国民の生命を護る」ために
優先解釈すべきです。
立法府の最大の役目、いや、立法府の存在こそが
「国民の命を護る」ために法を作るためにあるはず
なのですから。6年前、民主党政権がちゃぶ台をひっくり返すように、
「辺野古への移設」を潰しました。
これが中国を現在のように更にのさばらせた最も重大な
要因だったことは間違い在りません。
中国の南沙諸島海域での軍事基地建設が急速に
問題化したのは2013年。
埋め立て開始前の調査期間を考えると、鳩山政権で
辺野古移設が潰され日米同盟にひびが入ったあと、
一気に中国が手がけ始めたことが推測できます。
あの3年3ヶ月の民主党政権が中国の南沙諸島での
軍事基地建設を可能にしてしまったといっても過言では
ないと思います。
先日亡くなられた町村信孝・前衆院議長は、民主党政権
時代、衆院予算委員会でこう仰っていました。↓
★H24.01.31 衆議院 予算委員会 町村信孝:外交を中心とした集中審議http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001818020120131002.htm【第180回国会 予算委員会】
(平成24年(2012年)1月31日)
○町村委員
次に、普天間のお話を伺います。
先ほどもちょっと聞きました。
日米同盟の根幹は、それは日米安全保障条約であります。
そして、この安保の根幹が普天間の問題である。
非常に重大な問題であるという御認識は、総理初め
関係大臣の皆さん、お持ちをいただいている、こう思って
おります。
しかし、鳩山元総理の迷走に始まって、とんでもない事態に
今なってしまっているということもよく認識をしておられると
思います。
これは、私ども自由民主党も、党派を超えて協力してこの問題を
解決したい、こう思っているから申し上げているのであります。
何もいたずらにこれを政争の具にしようなんて、もとより思って
いません。
これは一緒に共同して解決しなければ、日本の国益そのものだ、
こう思うからであります。
私自身も、今から約50年近く前、学生時代に、パスポートなる
ものを持って初めて行った先が沖縄でありました。
そして、私はそのときに、海軍の壕、お堀の跡に行って、そして
当時の大田少将が海軍次官に宛てて
大変有名な公電を残された。
沖縄県民かく戦えり、
後世一層の御高配を願う。
この沖縄の悲惨な現状というものを、私も、想像ですけれども、
いろいろなもので見て、できるだけ、沖縄のためにやれることは、
自分がどういう立場に立っても何かやらなければいけない、
そんな思いに駆られたことを今でも覚えております。
したがって、長い時間がかかりました。
時間がかかり過ぎたという反省もあります。
もっと早く、どこかの時点で強引にやっておけばよかったのかな
とさえ思いますが、私どもは、丁寧に、丁寧に、丁寧に、
ある意味では丁寧にやり過ぎたぐらい丁寧に、今日まで
時間をかけて、そしていよいよもうあと一歩というところまで
来ていたんです。
政権交代なかりせば、私たちはもう既に、一年間でシュワブの
環境調査をやり、準備書を送って、知事意見をもらって、そして
すぐに埋立承認願を出して、知事も埋立承認をするというところ
まで既に内々のお話をつけていたんです。
ところが、政権交代になって、突然に県外とか海外とか言い出した。
それも、何のめどもないのにそういうことを言った。
仲井真沖縄県知事は、民主党政権ができた当初は、現行案で
いいとまで言っておられたんですよ。
ところが、反対に変わった。
それはなぜか。
だって、時の総理が県外と言っているんだから、それならそれを
やっていただこうと思うのは当たり前じゃないですか。
ですから、まず沖縄県民の信頼を回復するためにどうなさる
つもりか。
私は、三代の総理大臣、鳩山さん、菅さん、野田さん、三人で
そろって沖縄に行って、まず沖縄県民に直接おわびをする。
そのくらいのことをなさったらどうかと思います。
「沖縄県民の信頼」。決して沖縄県民に対して不平不満は言わず、あくまで
町村さんは「政治家の責任」というものを強く訴えていることに
注目して欲しいです。
それは、町村さんは
「沖縄県民を護る」ということも含めて
仰ってたと思うんです。
政治家にはその責任がある。あるはずです!
麻生さんも2009年、あれだけ国民に嘲笑と罵声を浴びながら、
絶対に国民への不満を言わなかった。
日本国民を信じるとずっと言い続けていました。
政治家として、そして総理として、国民から何を言われようが
「国民を護る」ということを優先していたからこそ言える言葉だと
思います。
町村さんも同じです。ちょっと余談ですが、町村さんは野党に下った直後の
自民党総裁選に出馬した河野太郎に、苦言を呈して
いました。↓
★自民党総裁選 町村信孝氏「誹謗中傷はいい加減にしろよ」「ご苦労さま。
誹謗中傷はいい加減にしろよ。
ものには限度があるぞ。」おっとりと、何気なく諭すような口調で苦言を呈する
町村さんの言葉は、当時ネットの動画で見た私には
ぐっと来るものが在りました。
河野太郎は麻生政権時代、散々マスコミに媚を売り、
麻生政権をマスコミと一緒になって叩いていた。
私は河野太郎を非常に卑怯な人間だと思っています。
当時のマスコミの自民党に対するバッシングは狂って
いましたから、一部の自民党議員が「焦り」から「保身に走る」
のも致し方ないという気持ちで見ていました。
本当に異常な追い詰められ方でしたから。
しかし河野太郎のやり方は特別「卑怯」でした。
いわばマスコミの扇動を最大限利用して、
「自分は泥船の人間とは全くちがう!」
「世論が拍手を送る民主党と同じ考えだ!」
と自分を売り込んでいたからです。
そして、そこには、「国民を護る」ということが恐らく
抜け落ちていた。
「国民を護る」ためにも民主党政権を樹立させては
いけないという、そういう気持ちが全く見えなかった。
その河野太郎に対する町村さんの苦言。
この時も、そして沖縄県民に対する上記の国会答弁も、
そこには「人柄」がよく現れているのだと思います。
上記の予算委員会での町村さんの発言は、尖閣だけでなく、
その後、沖縄侵略を、そして南沙諸島海域での軍事基地建設を
強引に実行へと移し始めた中国を十分予測し、民主党政権が
その「更なる危険」への「伏線」となっていること、また、その
国益を損ねた政権運営、また法を軽視した政権運営を
「非常事態」と捉えての発言だったと思います。
いくつか紹介します。↓
○町村委員
その姿勢で外交をやられたらば、ますます日本の国益は
損なわれますよ。
対中、対韓、対ロ外交ができますか、こんな及び腰、へっぴり腰で。
だから国民は、今の政府の外交に大変な不信感、不安感を
持っているじゃありませんか。
国益を守るとさっき総理はおっしゃった。
どこに国益を守る姿勢がありますか。
この反省すらないのでは、私は本当に危ういと思いますよ。
領土を守るとおっしゃった。
では、尖閣のことを伺いましょう。
きょうの新聞には、人民日報で中国は、尖閣は
核心的な利益だと、どんどんグレードアップしているんですよ。
核心的利益というのは、それを害することによって
彼らの国家の存立にかかわる大きな問題だという
認識だということです。
よもや、私は武力では来ないと思います。
しかし、今識者が心配しているのは、何百という
漁船が来て、民間の、本当は民間かどうか
わからないけれども、民間を装った人が
あの尖閣に何百人も上陸したときに、日本の
法制で対処できないんですよ。
当然、今の安保法制へと繋がってもいく言葉です。
○町村委員
漁船を乗り上げて、そしてそこに自分の国民が
いるからそれを保護するという名目で
彼らは軍隊を送り、南シナ海の島々をどんどん
奪取し続けている現実が、これまで何年にも
わたってあるんです。
その実態が尖閣で起きないということはあり得ないんです、
核心的利益だ、こう言っているんですから。
それがある程度もう既に予測されているときに、
よくよく考えますというのでは遅いんですよ。
大至急そのことを検討していただきたい。
今の国会で野党にそのまま突きつけたい答弁がここにあります。
中国が勝手に領有権を主張して東シナ海に軍事基地を
作ろうとしていることは、既に「軍事的に侵略を開始した」も
同じですからこれを脅威と見做さないほうがおかしいです。
当然ミサイルが準備されるでしょうし、それよりも何よりも
既に中国も北朝鮮も日本にミサイルを向けています。
その敵基地への攻撃を「防衛」と見做さないなど異常としか
思えません。
広島が原爆を落とされた70年前は、エノラ・ゲイが
広島の上空に来て原爆を落としました。
今も、その方式なんですか?
当然違うじゃないですか!!
命令が下された直後、間髪をいれずにボタン一つで、
あっという間に核弾頭ミサイルが打ち込まれる。
敵基地攻撃をしない限り、日本は広島の二の舞どころか
全滅です。
★共産党の「ポツダム宣言」と「カイロ宣言」の政局利用は広島・長崎原爆投下の「正当化」にも繋がっていく。これで「専守防衛じゃない!!」といってる連中は、
日本人が大量虐殺されるのを待っているとしか思えません!
「敵基地攻撃が出来る」
その明確な発信こそが「抑止力に繋がるのは当然です!
そしてもう一つ、福島第一原発事故に関する「議事録」について。
○町村委員
隠蔽体質のもう一つの例が、原子力発電事故の関連の
会議の、まさに消えた議事録の問題です。
これまた隠蔽体質そのものでしょう。
きょうの新聞を見ると、福島県の双葉町長が、これは
政府の背任行為とまで言っている。
被災をされた方々はそういう思いだと思いますよ、
真剣な会議をやっていると思いきや、どんな議論を
していたかわからないんですから。
私も、かつて役人の端くれをやっておりました。
末席で座っていてやることといえば、発言できないんだから、
ひたすら会議のメモをとるのが仕事なんですよ。
メモがあるに決まっているじゃないですか。
絶対あるんですよ。
それがないなんということは
あり得ないんですね。
会議がよほど無内容であったか、あるいは
切れた菅さんの発言がやたら載っているか、
あるいはそれが出ると民主党の無責任体質が
全部ばれて困るか。
その全てかいずれか、どれだかわかりませんけれども、
あるいは、政治主導という名のもとに、事務方を入れないで
誰もメモをとらなかったか、そのいずれかじゃないですか。
これは一体どうなさるおつもりですか。
特に、当時の公文書管理の担当大臣は枝野官房長官が
兼ねておられたということのようでありますけれども、
御存じないようですね。
私はきのう確認しました。
総理は、さかのぼって当時の枝野官房長官、
あるいは海江田さん、あるいは菅さんを
処分する、そのくらい重要なことなんです。
これは後々しっかりと検証しなければ、今後の原発の
安全性、担保できないじゃないですか。
これについて曖昧な形で決着することは絶対に
許されませんよ。
○町村委員
枝野さんは当時、文書管理の責任者であるという意識は
なかったんですね、今後ろを向いて、どうなっているんだと
言っているんですから。
この程度の認識なんです。
でも、私たちは、福田内閣、私は官房長官でした。
福田総理の見識で新しい公文書管理の法律をつくりましたが、
その折、大変熱心に、民主党の皆さん方から情報公開の
基礎としての公文書管理ということを強く言われたんです。
そして、法案の修正までやったんです。
その舌の根もまさに乾かぬうちに、皆さん方が政権を
とったらば、そんな法律があったんだっけ、自分が
担当大臣だったんだっけという顔をされるから、
何といいかげんなことかと思います。
私はもう一度野田総理に伺いますけれども、必死になって
資料を集めて議事概要、議事録をつくるのは
当然の仕事ですよ。
ただ、責任はどうなるんですかということを私は聞いたんです。
何ら責任を誰もとらないんですか。
この無責任体質、隠蔽体質が国民の政治不信を呼ぶんですよ。
一体いかなる対応をとるのか、責任をとるのか、総理に
もう一度質問します。
法律をないがしろにするということはこういうことではないのですか?
議事録を作らない。
法律の中身はどうでもよく、例えば原子力防災訓練でも
やったことさえ忘れ、そしていざ現実に起こったときには
マニュアルを完全に無視する。
○町村委員
要するに、これについては誰も責任をとらない、無責任体質
そのもの、これが今の野田内閣、民主党内閣の性格、
隠蔽体質そのものだということを国民の皆さんは
多分十二分に御理解されたであろうと思います。
絶対に責任を取らない。
取ろうとしない。
そう、これが民主党政権だったのですよ!
町村さんの質疑。
議事録だけでは伝えきれないものがたくさんあります。
それは上の動画を見ていただければと思います。
衆参の動画アーカイブは、特に参議院は3年も保管されない。
あの異常な政権の下で運営された国会の動画も殆ど
見ることが出来なくなってしまった。
あの民主党政権3年3ヶ月間の国会は、特に丸ごと残して
おいて欲しいと思うのは、今後日本が二度とあのような
扇動プロパガンダ報道による政権を誕生させてはならない
と心から思うからです。
二度と過ちを起こしてはならない。
そのためにも、動画の保存は重要であると思います。
民主党の閣僚たちが如何にいい加減で、如何に日本国民に
冷酷で、中韓に媚び続けていたか。
その態度も放言もなにもかもを反面教師として歴史の事実と
して残しておかなくてはいけないと思います。
NHKがyoutubeにアップされた国会中継の動画を「著作権」を
理由に削除依頼をすること自体も間違っています。
このときの町村さんを見ていると、自民党総裁選への出馬した時も
国益をことごとく損なった民主党政権への怒りと、何より日本を
取り戻したい、という思いが非常に強かったのだろうと私は素直に
思えます。
外務大臣の頃から好感を持っていましたので、亡くなられたことは
本当に残念です。
町村さんの棺を載せた車が国会に別れを告げる映像を拝見した時、
中川昭一さんが亡くなられた時の同じ映像を思い出しました。
お二人とも選挙で負けてはいけないはずの議員さんだったのに
2009年の選挙で民主党の議員に敗北してしまったという現実。
町村さんが敗北した民主党の小林千代美が1年後に北海道
教職員組合の不正資金提供事件で議員辞職し、補欠選挙で
町村さんが当選した後、比例復活議員だった町村さんの後に、
中川昭一さんは繰り上げ復活当選となって生きていれば
議員復帰できるはずだったのに。
そして、中川さんが敗北した石川知裕もまた議員辞職となった
という現実。
国を護る気概のある心ある有能な議員を、国民自らが
葬るようなことはあってはならないとつくづく思います。
あらためて、ここで町村さんのご逝去に心から哀悼の意を表し、
謹んで御冥福をお祈り申し上げます。
法律とは何のためにあるのか。
憲法とは何のためにあるのか。
立法府とは何のためにあるのか。
「国民を護るため」。
行政府は何をすべきか。
「国民を護る」。
立法府も行政府も、決して「政治の不作為」を犯してはならない!!
国民を護るためにやるべきことはすべてやる。麻生さんが事あるごとに言っています。
最後に、自民党の長島忠美 衆院議員の言葉を書いておきます。
中越地震のときに山古志村の村長さんだった長島議員。
宮崎口蹄疫のときに、宮崎を見殺しにした農相の赤松はじめ
民主党政権に向かって、はっきりと訴えてくださった言葉です。↓
★【口蹄疫】20100511農水委員会 長島忠美(自民質疑4/5)【政権野党】 災害を受けたときに住民が期待することというのは、
平和なときには、やはり日本の法律だとか制度が
国民を守ってくれますよ。
災害を受けたときにだれが守るか。
政治家が守る以外ないじゃないですか!
前例にないことをやらなかったら、
被災地を救うわけにいかないんですよ!
国民を護る政治家とは。
立法府は何のためにあるのか。
憲法は何のためにあるべきなのか。
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