長野のスキーバス事故でのマスコミ報道に思う。被害者やご家族がマスコミの取材に応じることは決して「義務」ではなく、逆に「断る権利」があるはずだ!
- 2016/01/17
- 13:09
最初にニュースを聴いた時、こんな「あってはならない事故」が
現実として起こってしまったんだ・・と思ったのは、一昨年だったか、
息子達が録画して観ていたテレビ東京の「リミット」というドラマを
すぐに思い出してしまったからでした。
ドラマのストーリーは今回の事故とは全く関係がないので
書きませんが、高校の行事の交流キャンプへクラスごとに
バスで行く途中、あるクラスのバスが崖下へ転落し、数人の
生存者だけでクラスの生徒達の殆どが死亡してしまう事故の
発生が主要な場面となって行くドラマでした。
その後のNHKの朝ドラ『花子とアン』に出ていた窪田正孝さんや
もうひとつ後の朝ドラ『まれ』でヒロインだった土屋太鳳さんが、
このドラマには出ていて、特にこの2人の演技は上手かったと
いう印象があったドラマでした。
このドラマのバス事故の設定には、バスの運転手がいわゆる
過労状態の勤務で、その運転手が目的地の山梨ではなく、
静岡方面へと途中から向かって行ったことや、途中休憩した
サ-ビスエリアでこの運転手が眠気覚ましのドリンクを買って
いるのを土屋太鳳演じる高校生が目撃していたこと、事故後
バス会社がバス運行表などを隠蔽しようとしていたことなどが
組み込まれていて、いわば現実的に有り得る社会問題が
描かれていることに、最初は全然興味のなかった自分も
関心を持ち録画を最初から観始めた次第でした。
今回の事故は、あの時のドラマの「バス事故」の原因と
ものすごくダブってしまい、また自分自身、過去に夜中の
高速バスを利用した時、長い間フラッフラッとした走行を
しているように感じて、「このバスは本当に大丈夫か!?」と
心底「不安」を感じて、ずっと眠れないまま目的地に着いた
経験もあるので、本当に身につまされる思いがしました。
そして、このときのドラマでもう一つ、「鬼畜」だと感じた場面は
やはりマスコミが、事故に巻き込まれたクラス生徒の家族達が
集合した建物の外に、どかどかと押し寄せて陣取り、家族が
外に出てくるたびにカメラのフラッシュをたき、マイクを持って
近寄ってくる様子を描いた場面など、いたるところにマスコミの
横暴さも描かれており、窪田正孝演じるクラス副担任が怒り、
マスコミを静止させていた場面もあったと思います。
今回の事故でも思いました。
ネットも最近、本当に見るに耐えない書き込みが続きますが、
しかし、なんといっても直接、被害者やその家族の心に勝手に
土足で踏み込んでくるのはマスコミだと。
時事通信の下記記事部分は、頭を負傷し病院に運ばれた
都内の大学4年の男子学生(22)への取材記事の一部ですが、
これを読んでも、つくづくそう感じます。↓
★蛇行、猛スピードでカーブに=目前にガードレール、衝撃-軽井沢バス転落事故
(時事通信 2015年1月15日)
被害状況を知らないまま取材に応じたが、
報道陣から知らされると絶句。
うつむいて「みんなの無事が気になります」と声を絞り出す
のがやっとで、取材はそこで打ち切られた。
警察が事故原因究明のために被害者に事故当時の状況を
聴取する場合も体調、精神状態も考慮し慎重になされるべき
だと思いますし、それだけでもストレスを感じるであろうことは
容易に想像できます。
上の記事では「取材に応じた」という言葉を使っていますが、
そういった聴取もまだなされない、事故直後の慌しい病院で、
ご本人が応じることを了承せざるを得ない形で「当たり前」の
ようにしてマスコミに目の前に来られたら、誰だって自分でも
訳の分からないうちに「取材に応じる」ということになってしまう
のだと思います。
それは途中で「取材が打ち切られた」ことからも判ります。
他にもテレビでは、亡くなられた女子学生の親御さんにまで
すぐにマイクを向けてインタビューを強行していましたが、
いつも思うんです。
マスコミは、被害者やご遺族が「インタビュー」や
「取材」に応じることは、まるで当然の責務
であるかのごとく強引に、傲慢にやってくる。
と。
私も若い頃、姉が交通事故に遭い、警察から電話が掛かって
きた時、丁度一緒にいた母が電話に出て、事故の話を聴いた
途端、体がガクガク震えたのを今でも憶えています。
幸い、姉の怪我は軽いものでしたが、本人の姿を見るまでは
何がなんだかわからない、頭が混乱し、顔も上から引っ張られる
ように引きつっていく、そんな感覚がありました。
軽い怪我ですんだ時でさえそんな状態です。
ましてや、今回のような事態に巻き込まれたときなど、どれだけ
衝撃を受けてしまうことか・・。
それを思うとき、何故その異常事態のときにマスコミに囲まれ、
質問に答える「責務」を負わなければならないのか。
何故そのような環境に放り出されなくてはいけないのか。
今までも何度か書いてきましたが、また、こうして繰り返されて
しまうことに怒りを覚えずにはいられないのです。
4年前の京都府亀岡市で小学生が巻き添えになった交通事故
でのマスコミの冷酷な行為を振り返ります。↓
http://rocketnews24.com/2012/04/24/206271/
【報道記者に怒り】
京都・小学生死傷事故で救命救急センターが怒りの声
「マスコミの人間に心はあるのか」
(ロケットニュース 2012年4月24日)
京都府亀岡市で発生した無免許運転による死傷事故。
小学生の列に自動車が突っ込み、妊婦とお腹の赤ちゃんを含む
小学生らが死傷した。
多くの人たちが衝撃を受け、驚きと怒りを隠せない悲惨な事故と
なった。
事故発生直後、救命救急センターからヘリが出動して対応に
当たったようだ。
しかし、その救命救急センターのスタッフがマスコミに対して
怒りの声をあげている。
マスコミ各社が霊安室の前でカメラをかまえ、訪れていた家族らを
撮影していたというのだ。
但馬救命救急センターのスタッフは、公式ブログに
『マスコミの人間に心はあるのか』
と題して、苦言コメントを掲載している。
そこには、取材拒否をしているにもかかわらず、複数のマスコミ
関係者が霊安室の前でカメラをかまえて、家族の映像を撮るなど
していたと書かれている。
取材については再三の「お断り」をしていたにもかかわらず勝手に
取材をしていたという。
あまりにひどい取材状況だったのか、スタッフはあえて
「このブログが多くの方に読まれていることは十分に存じ上げて
おります。
だからこそ敢えてここで述べます」
と、ブログに書いている。
さらに
「ご家族、医療者、関係者の心情を考えられないくらいマスコミの
人間の心は腐っているのでしょうか」
とまで書いていることから、マスコミに対する怒りがかなり大きい
ことがわかる。
・ブログ内に書かれている内容まとめ
「亀岡の交通事故に但馬救命救急センターがヘリで対応」
「マスコミに取材拒否であることを伝えてある」
「複数のマスコミ関係者が勝手に敷地内や霊安室に入ってきた」
「マスコミが家族を勝手に撮影して取材していた」
「マスコミの人間の心は腐っているのではないかと取材方法に疑問視」
この救命救急センターで撮影された写真や映像が、テレビや新聞で
報じられるかどうかは不明だ。
それにしても、このような緊急の場合は病院や警察、消防側から
マスコミに取材に対する指導や報告があるものではないのだろうか?
「病院敷地内に勝手に入り込み」というコメントもあることから、
マスコミは病院の意思を無視して病院に入ったのだろうか?
とにかく、救命救急センターのスタッフの怒りは相当のもののようだ。
※但馬救命救急センターの要望により、一部、引用文を変更
いたしました。
スタッフによるブログコメントについて詳細を知りたい方は、
但馬救命救急センターの公式ブログをご覧ください。
さらにマスコミに対する追記もされているようです。
■参照元: TECCMC’s BLOG(但馬救命救急センターのブログ)
当時、このことを知ったときも本当に信じられない思いが
しましたが、同時に日本のマスコミならやりかねない、と
正直思いました。
本当に異常としか思えないマスコミ。
かつての悲しい事件や事故のたびにも、こういう「非道」な行為は
続けられてきました・・。↓
★広島の土砂災害での現地報道を見て、
マスコミによる報道被害を改めて考える。
昨年の2015年3月。
チュニジアでの博物館襲撃事件で日本人観光客も
巻き込まれました。
あの時も、朝日新聞の記者によって非常に重大な問題が
被害者の方の身に引き起こされていたのを知ったのは、
産経WEBに載っていた被害者の方の手記からでした。
当時、あまりの朝日の記者の非道さに怒りを覚えましたが、
読んだのは事故から少し経ったあとで、ご本人の手記にも
「静かに見守って欲しい」という言葉もあったので、何の
影響も持たない僻地ブログでといえど、やっぱり載せるのは
やめました。
その時の産経の記事と、その記事に同時掲載されていた
負傷された方の「手記」をこの機会に取り上げたいと思います。
http://www.sankei.com/affairs/news/150323/afr1503230002-n1.html
【チュニジア襲撃テロ】
【結城さんが手記 朝日記者の怒声に「ショック…」
国際報道部長が謝罪「重く受け止めおわびします」】
(産経ニュース 2015年3月23日 00:16)より
(冒頭省略)
また、結城さんは手記で、朝日新聞記者と日本大使館員の
取材をめぐるやりとりについて
「『取材をさせてください。あなたに断る権利はない』と
日本語で怒鳴っている声が聞こえ、ショックでした」
と記した。
これを受け、朝日新聞の石合力・国際報道部長は
朝日新聞デジタルのホームページ(HP)に
「取材の経緯、説明します」
と題した見解を掲載し、
「記者には大声を出したつもりはありませんでしたが、
手記で記されていることを重く受け止め、結城さんに
おわびします」
と謝罪した。
HPによると、朝日新聞記者は取材のため、発生翌日の
19日午後(日本時間同日夜)、チュニス市内の病院を訪問。
救急部門の責任者の医師に取材したところ、結城さんについて
「軽傷なので病室に行くといい。インタビューできると思う」
との説明を受けたという。
病室前まで警備担当者の先導を受けたが、病室前で
「大使館です」と名乗る日本人男性に取材の申し出を
「できない」「だめだ」と断られた。
「結城さんご本人やご家族が断るならわかるが、
あなたが決める権利はないですよね」
と聞いたが、
「私は邦人を保護するのが仕事です」
との返答だったため、しばらくやりとりを続けた末、
病棟を退出したという。
■結城さんの手記の全文は次の通り■
◇
日本の皆さまには多大なるご迷惑、ご心配をおかけ
していることと思います。
申し訳ありません、
そしてありがとうございます。
事件後、ネットやテレビを見ることができず、あそこで
何が起きたのか、どのような報道がされているのか、
全く分かっていません。
今はとても人前に出られる状態ではありませんので、
文章で失礼させていただきます。
私と母は3月14日に日本を出発し、3月15日にイタリアの
ジェノバから7泊8日の予定でMSCスプレンディダに乗り、
クルーズに出発しました。
3月18日の朝8時ごろチュニジアに到着し、ガイドツアーに
参加しました。
英語とフランス語のガイドでしたので、話をあまり理解できて
いなかったかもしれません。
11時30分ごろ、現場となったモザイク博物館に到着
しました。
2階を見学している時に、ツアーの参加者が
「窓の外に銃を持った人がいる」
と言い、何人もがのぞいていました。
ガイドは、
「チュニジアではよくあることだ」
と言ったように思います。
あまり緊迫感はなく、まさか発砲されるとは
思いませんでした。
その後、ガイドに部屋を移動するように言われ、
移動している途中で銃声が聞こえました。
皆走りだしました。
しかし、入ろうとした部屋で発砲され、人が血を流して
倒れるのが見えました。
前の人々が立ち止まったので、私は後ろへ倒れました。
その時、後方から銃声がし、耳に痛みを感じました。
部屋の入り口を振り向くと、男が銃を持って立っていました。
顔は見ていません。
すぐに頭を手で覆って床に伏せました。
かなり長い間銃が乱射されていました。
身体中に痛みがあり、私は死ぬのだと思いましたが、
とても現実のこととは思えませんでした。
しばらくして男が去り、起き上がると部屋には約10人の
人々が倒れていました。
無傷の人々もいましたが、動かない人もいました。
私は左手、左耳、首に痛みがあり、血が流れていましたが、
大きな問題はなさそうでした。
母は私の隣で倒れていました。
首から出血し、頭の下に血だまりができていました。
呼び掛けると、「首が痛い」と言い、手足を動かしたので
少し安心しましたが、自力で動くことはできませんでした。
その後も遠くから銃声や爆発音が聞こえ、また犯人が
戻ってくるかもしれない、と思うと生きた心地がしませんでした。
私が母を旅行に誘ったので、本当に母に申し訳ないと
思いました。
銃を持った警察が助けに来てくれた時には安心して
号泣してしまいました。
母を助けるようにお願いしましたが、歩ける人が先と
言われ、私は母と別れ救急車へ連れて行かれました。
病院へ着くと、パスポートなどが入ったバッグはとられて、
携帯もなくなってしまいました。
診察を受け、処置を受けた後、全身麻酔が必要なので
移動する、と言われ、また救急車で移動しました。
外でも、救急室でも、多くの人がいて写真や
ビデオを向けられ、とても不快でした。
新しい病院に移ると、すぐに病室へ通され、まず局所麻酔で
耳の処置をされました。
かなりの痛みがあり、それを伝えると、手と背中の処置は
もっと痛いので、全身麻酔でする、と言われました。
その後、部屋に大勢の人々が入ってきました。
チュニジアの首相や、政府の方々に、母を見つけてほしいと
お願いしました。
その後、NHKやニューヨーク・タイムズを名乗る
人々も来て質問に答えるように言われました。
そうしなくてはならないのだ、と思い答えましたが、
何を話したのか正直なところ覚えていません。
日本大使館の方がいらして、日本の家族の連絡先を
聞かれましたが、携帯がなかったので実家の固定電話しか
分からず、なかなか連絡がつかなかったようです。
夕方になり、母は他の病院で手術を受けていて無事だ、
ということが分かり、安心しました。
しかし、私も手術が必要だと言われ、手術室へ
移動しました。
全身麻酔だったので起きたら全て終わって
いたのですが、手術前と比べ激しい痛みがあり、
お願いして痛み止めを使ってもらいました。
しかし、母は全く英語が話せないので、話が通じて
いるのだろうか、痛みはないか、と不安になりました。
手術は3時間ほどで、夜10時を過ぎていたようです。
病室へ帰ると、大使館の方と日本人の現地の
コーディネーター、という方がいました。
私は一日中泣いていたせいで目が腫れ上がって
開けることができず、その方の顔は見ていません。
大使館の方は母に電話をかけてくださり、母の声を
聞いて安心しました。
コーディネーターの方は電話をして、日本テレビの
インタビューを受けるように言いました。
言われるがまま質問に答えましたが、ボーッとしていて
恥ずかしかったので、インタビューをそのままテレビで
流していいですか、と言われ断りました。
すると、既にNHKのインタビューがテレビで
流れていて、名前も顔も出ているからいいでしょう、
と言われました。
その時初めてそのことを知り、
ショックを受けました。
翌日の朝にはパスポートなどが入ったバッグが戻り、
大使館の方を通じて日本の家族と話すことができました。
母も、私のいる病院に転院してきて、一緒の病室に
入ることができました。
部屋を移った後、部屋の前で
「取材をさせてください。
あなたに断る権利はない」
と日本語で怒鳴っている声が聞こえ、
ショックでしたが、それは私にではなく、
大使館の方に言っているようでした。
大使館の方は、
「朝日新聞の記者の方がインタビューをさせて
ほしいと言っているが、受ける必要はない。
体調も良くないし、インタビューがどう使われるか
わからないし、あなたには断る権利があります」
と言われました。
今まで、義務だと思いインタビューを受けていたので、
涙が出るほどうれしかったです。
昨日、フジテレビの方にも取材を申し込まれました。
お断りしようと思いましたが、今の自分の気持ちを
伝え、今後の取材をお断りする代わりにこの文章を
書いています。
母は今日また手術を受け、その結果によっては
日本に帰ることができるようです。
私も母も無事ですが、体調は悪く、早く日本に
帰りたいです。
チュニジアの方々や日本大使館の方々には
大変感謝しています。
こちらには情報が入ってこないので、何が起きて
いるのかは正確には分かっておらず、誤解もあるかとは
思いますが、どうか私たちを静かに見守っていて
ほしいと思います。
3月20日 9時 結城法子
もう本当に、全てが「懸念してきた通り」で、今改めて読んでも
胸が締め付けられる思いがしてしまいます。
「取材」などという言葉で正義ヅラしたマスコミがズカズカと
土足で事故や事件直後から突然当たり前のように踏み込んで
くる。
断っても断っても、次から次へと押し寄せてくる「正義ヅラ」の
連中。
そして本人が知らぬ間に「見せ物」になってしまっていることに
衝撃を受ける様子も・・・。
このときの手記の実物をフジテレビが報道で映しているのを
FNNニュースサイトで当時見ましたが、その手記の書かれた
用紙の一番最後には、こう書かれていました。↓
★チュニジア博物館襲撃事件 負傷した結城法子さんが手記
(FNNニュース2015年3月23日15時26分)
※今までのインタビューももう流さないように
お願いします。
必ず全文を使用して下さい。
3/20
もう、この一言に全てが込められていると思いました。
このときの朝日新聞の「言い訳」記事です。↓
★被害女性が手記「まさか発砲するとは」 チュニジア襲撃
(朝日新聞 2015年3月22日22時55分)
■取材の経緯、説明します
朝日新聞国際報道部長・石合力
今回の事件で犠牲になられた方々に謹んでお悔やみを
申し上げますとともに、結城さんをはじめ負傷された
方々の一日も早い快復をお祈りします。
手記の中で結城法子さんが朝日新聞記者の対応に
ついて触れられた部分について経緯を説明します。
事件取材では、何が起きたかを報じる上で、公的な発表
だけでなく、当事者への取材が欠かせません。
記者は負傷した方々の容体や事件当時の状況を
取材するため、発生翌日の19日午後(日本時間同日夜)、
チュニス市内の病院を訪れました。
救急部門の責任者の医師に朝日新聞の記者であると
告げ、取材したところ、結城さんについて
「軽傷なので病室に行くといい。インタビューできると思う」
との説明を受けました。
結城さんのインタビューがすでにテレビで報じられていた
こともあり、取材可能だと受け止めました。
病室の前までは、病棟の警備担当者の先導を受けました。
病室前にいた日本人男性が「大使館です」と答えたため、
記者だと名乗った上で「取材をさせてほしい」と伝えましたが、
「できない」「だめだ」と断られました。
「医師からの了解はもらった」と説明しても対応は変わらず、
「結城さんご本人やご家族が断るならわかるが、あなたが
決める権利はないですよね」
と聞いたところ、
「私は邦人を保護するのが仕事です」
との返答でした。
こうした対応が結城さんの意向を受けたものか分からなかった
ため、「ご本人に聞いてみてほしい」と、しばらくやりとりを
繰り返した後、大使館員は結城さんの病室に向かいました。
警備担当者に「後にした方がいい」と促されたため、
記者はこの時点で取材はできないと判断し、病棟を
退出しました。
今回、記者は医師の了解を得るなどの手続きを踏みました。
大使館員とのやりとりについて、記者には
大声を出したつもりはありませんでしたが、
手記の中で
「どなっている声が聞こえ、ショックでした」
と記されていることを重く受け止め、結城さんにおわびします。
当事者への取材にあたっては、十分な配慮をしながら、
丁寧な取材をこころがけたいと思います。
はっきり言って、吐き気がします。
「病室に到達さえすれば、もうこちらのものだ」ということは
朝日新聞は解っているはずなのです。
病室に入りさえ出来れば、本人の承諾云々の前に写真を
撮ったり、突然話を振って聞き出すことだって出来るわけ
ですから。
そして実際やりかねないんですから。
「医師の承諾を得た」
これで、もう朝日は、ご本人が取材を受けるのは「当たり前」だと
脳内で決め付けているのですから。
そしてその「傲慢さ」を、連中は「正義」だというのです。
「我々も悲しみを共有すべき」などと、さも「ごもっともな言葉」を
吐くのです。
2013年1月に起きたアルジェリア邦人人質殺害事件でも、
テレ朝の報ステで古館は、犠牲者のご家族の意向を汲んで
日本政府も公表を控えていた犠牲者の方のお名前を、その
意向を完全に無視する形で、名前を公表しました。
あたかも「正義ヅラ」をして!
あの時のことも同時に思い出しました。
そして朝日新聞は上の謝罪記事で、被害者の方の手記を
載せながら、その冒頭には、被害者の方の「個人情報」でも
ある具体的職業も載せ(これは産経もやっているが本人の
許可は恐らく得ていないはず)、さらに、
また朝日新聞など一部メディアの取材に触れ、
「どうか私たちを静かに見守っていてほしい」
と結んでいる。
などとまるで他人事のように白々しく書いているのです。
今更ですが、本当に呆れます・・・。
「個人情報」の羅列は、ともすれば「主観」がどんどん感情に
割り込んでいき、被害者への感情が逆に薄れるどころか、犯罪や
事故を犯した側の問題の本質そのものへの怒りの感情が
薄められてしまう可能性も多分に出てきます。
それは、大阪の中一生殺害事件でも見受けられたことです。
これは本当に恐ろしいことだと思います。
★大阪の中1生殺害事件のマスコミ報道。
事件の被害者が報道被害を受けている!
マスコミの鬼畜さは日航機事故からなんら変わらない!
今回のバス事故。
事故直後の、状況も把握できない混乱の中で、「どさくさに紛れて」
を敢えて狙って病院の奥まで入り込み、被害者やご家族に
マイクやカメラを向けるマスコミの姿が、最初に挙げた記事からも
はっきりと見えてきます。
上のリンク先ブログ記事でも書きましたが、世間では、マスコミの
取材には絶対に答えなくちゃいけないという、何かそういった不文律
というか、「マスコミ取材は絶対的」な雰囲気があるような気がします。
まるでマスコミの取材に応じることが「国民の義務」であるかのように。
でも当然そんなことはなくて、取材なんか断ればいいはずなんです。
被害者やそのご家族がマスコミのインタビューに答えることは
絶対に「義務」なんかではないんです!
チュニジア事件の時に、現地の日本大使館員の方が手記を
書かれた被害者の方に伝えた言葉、
「あなたには断る権利があります。」
この言葉が正論であるはずなのです。
犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。
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