中川郁子農水政務官のこと。
敢えて何も書かないつもりでいましたが、
民主党議員の吐き気のするような質問と野次を聴いて、
やっぱり書くことにしました。
2日続けて中川政務官を呼び、質問したのは
民主党の大西健介という議員でした。
その隣には民主党の後藤祐一がいました。
今や国会での「安倍潰し」の「雄姿」をマスコミで最も
重宝がられている民主党議員の一人であり、また
拉致事件に関与している「よど号犯」、そして北朝鮮とも
繋がる「市民の党」から推薦を受けていた議員でもあります。↓
★「うちわ辞任」の松島法相が「速やかに可決を!」と所信で主張した
【テロ資金提供処罰法 改正案】と菅直人、民主党の「テロ資金提供」。そして、その斜め後ろには辻元清美。
説明するまでもなく「北朝鮮に繋がる議員」です。↓
★民主党「辻元清美」に絶対に言われたくない「危機管理」批判。
「総理大臣はかくあるべき!」安倍総理の答弁を多くの国民に聴いて欲しい。日本国にとって絶対に国会にいてはならないはずの
議員たちが画面に映し出される今の国会の異常さ。
そんな異常な国会の中で中川政務官への質問をしたのも
2009年のあの狂った「夏の衆院選」で初当選した
議員でした。
故・中川昭一元財務大臣が、陸山会事件で有罪判決を
受け現在「公民権停止中」の石川知裕に落選したあの
衆院選。
マスコミと民主党が「一体」となって狂った鳩山を持ち上げ、
麻生政権を徹底的に潰し、「格差」という言葉で
妬みを
植え付け、財源もないバラマキという「目の前のニンジン」で
詐欺師のように国民を騙し、「コンクリートから人へ」などという
イメージ操作で国民の判断を狂わせ、そのまま突っ込んでいった
恐ろしい「扇動選挙」。
その選挙で初当選した議員が中川政務官の謝罪答弁の後に
「総理、総理の盟友であった中川昭一先生、
草葉の陰で今回のことどう思っておられるでしょうか。」と言う言葉を発したこと。
そして、
「こんなことで農林水産行政を停滞させるわけにはいかないんです。」という言葉を発したこと。
この2つの言葉が私はどうしても許せません。
民主党の議員が発したということに特に怒りを覚えます。
★平成27年3月12日 大西健介 (民主党) 【衆議院 国会中継】予算委員会★【中川郁子農水政務官が病院で喫煙】1/2 大西健介(民主党)【衆議院 国会中継】予算委員会私は、中川議員を「突き放す」ような気持ちにはとてもなれません。
今回の事の内容には「相手」があり、その先に辛い思いをされた
ご家族がいることにも考慮しなくてはならないと思いますが、
「相手」が「一般の方」ではなく国会議員、しかも自民党議員で
あって「自民党議員のご家族」であることと、当の中川政務官も
また6年前まで今は亡き政治家の妻であったこと、本来ならば、
今もその立場であったはずだったことも踏まえ、書かせて
いただきたいと思います。
昨年10月3日に中川議員が農水政務官に就任した際の
産経でのインタビューがありましたので全文掲載します。
★【中川郁子農水政務官が夫を語る】 (産経新聞 2014年10月3日)【中川郁子農水政務官が夫を語る】 (産経新聞 2014年10月3日)
中川昭一元財務相=当時(56)=が急逝してから、3日で
5年を迎えた。
中川氏の後継者として平成24年の衆院選に初当選し、
9月に農林水産政務官に就任した妻の中川郁子(ゆうこ)
衆院議員(55)が「夫、昭一」について語った。
~~~~~~~~~
昭一が亡くなって最初の1年、2年は時間がたつのが遅くて、
本当に大切な家族を失ったんだな、という気持ちでした。
周囲の人が昭一の話をしてくださり、思い出すことが多く
ありました。
国会議員になってからは忙しくて時間がたつのが早いせいか
あっという間で、5年もたったという気がしません。
何かあるたびに
「昭一だったらどう考えるかな、相談しようかな。
…あ、いなかったんだ」
というのが繰り返しあって、今でも生きているような気が
しています。
■中川家と縁が深い農水省
今回、農水政務官を拝命しました。
昭和54年、初代農水相として農水省の正面玄関に
「農林水産省」と揮毫(きごう)したのは昭一の父・中川一郎
(1925-83年)でした。
昭一も、政務次官、農水相を勤めました。
農水省は非常にご縁があるんだなと、とても感慨深いものが
あります。
就任したときと同様に大変な緊張感で一杯です。
農政については、耕作放棄地の解消や高齢化問題など、
たくさんの課題があります。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に関しては、
(重要5分野の保護を求めた)衆参の国会決議が守られるよう、
全力を尽くしたいと思います。
農業全体として農業者の所得を向上し、地域の所得も向上する、
ということで、地方再生につながっていくような方向を考えて
いかねばなりません。
また、日本の美しい農村風景の維持や、安全でおいしい
日本食の普及にも取り組みたいと考えています。
昭一と一緒に外遊した際、日本食のようだがちょっと違う
ものを見て、危惧していたことを思い出します。
■朝日の慰安婦誤報問題、昭一だったら…
朝日新聞が、慰安婦問題についての虚偽報道を認め、
謝罪しました。
日本人について世界中が誤解するような大きな社会問題と
なってしまったことに関して謝罪をしたのです。
慰安婦問題をはじめとした歴史認識や朝日新聞報道について、
昭一は強い危機感を持っていました。
昭一だったら、この状況をどう思い、どう対応しただろうか。
最初に頭をよぎったのが、昭一が平成20年11月号の
月刊『正論』に寄稿した
「マスコミの潜在的良心に対する我が期待」
です。
「マスコミが自ら国家発展の一翼を担おうという気概をもち、
民主主義国家にふさわしい、自由で闊達で、誇り高い
言論の場を創り出してくれるなら、それだけで日本は、
より高く飛躍するでしょう」
とあります。
昭一は、
「謝罪をしたことは大きな一歩だ」
「朝日もようやく気がついたのか」
と言うと思います。
その上で、朝日新聞には、訂正するものはきちんと訂正し、
中国語、朝鮮語、英語で自社の報道が間違っていたと
いうことを示して、日本と日本人が着せられてきた汚名を
そそぐ必要を説いて、朝日新聞と朝日新聞に同調した
マスコミに「ともに誇り高い言論の場をつくっていきましょう」と
呼び掛けたと思います。
こんなことがありました。
娘が中学生だったある夜、昭一は血相を変えて帰宅し、
「教科書を持ってきて」と。
安倍晋三首相や周りの先生方に触発されたんでしょうか。
娘の部屋から教科書を持ってきてパラパラめくるとみるみる
顔色が変わりました。
自虐史観にあふれた教科書で子供が学んでいるということに
対してものすごく憤りを感じた様子でした。
そんな思いから、昭一は教科書問題を研究する
「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」
を立ち上げて会長に就任しました。
平成9年12月には「歴史教科書への疑問」(展伝社)という
黄色い本を出しました。
議員になってから私も苦労して20冊手に入れて、同期の
先生に配りました。
昭一がよく話していたのは子供たちのことです。
日本の子供たちが日本のすばらしい伝統文化を継承して
いくという機会が、学校教育でとても少ないということを
心配し、日本を誇れる日本人になってほしいと願って
いました。
目指した理想は、日本の歴史と伝統文化をしっかりと
維持しつつ、しかし、改革をしなければ、いけないところは
改革をすることでした。
保守というのは改革をしないというのではなく、
保守するために改革をするんだということを常に
言っていました。
■異変は直近までなかった…
昭一は亡くなる直前、水源地や周辺地域を開発から守る
「水循環基本法」を「一番やりたい」と強く言っていました。
世界的に洪水、渇水、水質汚染といった水の危機が
ささやかれ、「水の安全保障」は重要性を増しています。
昭一は自民党の「水の安全保障に関する特命委員会」の
委員長に就き、水問題を研究していました。
私も水の安全保障はライフワークにしていきたいと思います。
亡くなった直近も異変はありませんでした。
3カ月に一度、高校時代の友人の医師による健康診断を
受けていました。
亡くなる1週間前にも受けました。
ただ、政治というものは、大変ストレスの多い仕事だと思います。
平成21年2月、ローマで開かれた先進7カ国(G7)
財務相・中央銀行総裁会議後の記者会見。
私は、あれは「事件」だと思っているんですが、あれ以来、
マスコミが繰り返し映像を流したことも、ストレスだったかも
しれませんね。
昭一はそのことに関しては何も言いませんでしたが、
私自身は、同じようなメディアの報道が繰り返されて
いるのは本当に残念です。
「あともうちょっと生きていれば、(繰り上げ当選で)議員に
復帰できたのに」と
いう方もいらっしゃいます。
家族としては、そこは少しずつあきらめていかなければ
ならないことだと思います。
地元で開かれた「哀惜の会」で、麻生太郎元首相は
弔辞でこう述べられました。
「死せる中川、生ける保守を走らす」
私も昭一の思いをしっかり引き継いで、政治活動に励んで
いきます。
なかがわ・ゆうこ
昭和33年生まれ。
聖心女子大卒業後、三菱商事に入社。
57年に昭一氏と結婚。
平成19年、環境保護活動などに携わるNPO法人の
代表に就任。
昭一氏の死後、衆院北海道11区の後継支部長となり、
24年衆院選で初当選。
9月に農林水産政務官に抜擢された。
なかがわ・しょういち
昭和28年生まれ。
東大法学部卒業後、日本興業銀行に。
父・一郎元農水相の急死を受け、58年の衆院選で
父の地盤である旧北海道5区から出馬し初当選。
農水相、経済産業相、財務相などを歴任。
21年8月の衆院選では9選を目指して北海道11区から
出馬したが落選。
同年10月3日、自宅で死去した。
中川政務官が語っている
「水」のこと。
以前、中川議員の初当選、初質疑をブログ記事で
取り上げましたが、そのときにもこのことは出てきました。↓
★故、中川昭一さんを偲びながら聴く農林水産委員会。
「水を守るんだ!国のために。農業のために。」2004年の中越地震で大きな被害を受けた旧山古志村。
(現在は長岡市に編入合併。)
その「全村避難」から「全村帰村」まで約3年2ヵ月もの間、
住民とともに「村」を護った山古志村の最後の村長、
長島忠美議員(当時、復興庁政務官)がこの質疑のとき、
中川昭一さんを偲んで、こう言っていました。↓
今、思い起こすのは
「水を守るんだ!
国のために。農業のために。」
と仰ったことが
私の胸には随分残っているところがあります。
そして、本文中にある「黄色い本」というのはこちらです。↓
★『歴史教科書への疑問
~若手国会議員による歴史教科書問題の総括』
(1997年12月出版)★日本の前途と歴史教育を考える議員の会 WIKIこの会の所属議員にはもちろん安倍総理もいました。
第一次安倍政権で農水大臣だった松岡利勝議員も
所属していた議員でしたが、猛烈なバッシングに遭い、
自殺しました。
中川昭一さんも、安倍さんとともに朝日新聞の
「NHK番組改変問題」の捏造記事によって陥れられるなど、
反日マスコミのターゲットになっていました。↓
★舛添東京都知事が東京五輪への協力を勝手に交わした
「ソウル市長」は反日組織の模擬裁判で「昭和天皇」を断罪した人物!
東京都民、そして日本国民はこのことを許せるのか?そして、本当に死へと導かれてしまった。
中川さんが、
「マスコミの良心」に言及していたことは
私も当時、なんて前向きな人なんだと思ったことでした。
あれだけ朝日をはじめとしてマスコミに痛めつけられて
きたのに。
しかし朝日はじめマスコミは、そんな中川さんの気持ちに
同調するはずもなく、今も「日本を貶める」ことに心血を
注ぎ続けています。
朝日は慰安婦問題についても、ほんの一部だけしか
虚偽報道を認めていません。
もちろん、中川さんらに対する「NHK改変問題」の
捏造記事についても、なんら謝罪などしておらず、
この捏造記事を書いた本田雅和という記者は、
今ものうのうと福島でとんでもない記事を書き続けて
います。↓
★新春 本田雅和記者「フクシマ」を語る (ブログ 福島 信夫山ネコの憂うつ)ただただ「国思う政治家」として、言うべきことはしっかり
主張し、拉致事件の被害者家族にもまっすぐ向き合い、
北朝鮮や中国に対して厳しく対処していた国会議員で
あったがために潰されてしまった中川元財務相。
2009年のローマでの記者会見。
亡くなってから5年経っても、その名誉回復は
何ら為されていないという現実。
今でも「酩酊会見」だと。
「真っ昼間から泥酔して、そのまま記者会見で醜態見せた
大臣」だと。
殆どの国民はそう思ったままなのです。
そして、どれだけ国益を護るために奔走していたか。
どれだけ身を粉にして働いていたか。
そんなことを知る国民はおそらくほんの一握りさえもいない。
2009年、麻生政権に対する気の狂った猛烈なバッシング。
あの麻生さんが「どす黒いまでの孤独」と語ったほどに
日本国中が敵だった2009年。
その中でも中川さんに対するあのバッシグは「公開処刑」に
等しいものでした。
一度マスコミが「酒を飲んで酔っ払った」と流してしまえば、
もうその言葉は尾ひれを付けて一人歩きをしていく。
水が硬水で、日本とは水環境が違い、フランスと同じく
「ワイン立国」でもあって、昼間から普通にワインを飲む
習慣があるイタリア。
そんな国でのお昼2時の軽食でワインを注文することは
決して特別なことではなく、しかも中川さん自身も、
同席していた玉木財務国際局長も「口をつける程度」
だったといっていた。
でもいくら説明しても無視され、一方的に
「酒を昼間からたくさん飲んで泥酔状態になった」
とマスコミと民主党の都合のいいように決め付けられて
それを何度も何度も報道され、定着してしまった。
そのパスタとサラダという軽い昼会食に同じく同席を
していた読売の記者、越前谷知子。
しかし、あのときの事はほぼ、「証言」がない。
★越前谷知子さんという経済部の記者ですけども 詳細を→越前谷記者はこの時からちょうど1年後の2010年2月17日、
あの米国で袋叩きにあった「トヨタのリコール問題」に
関する豊田社長の記者会見に出てきます。↓
★読売新聞の越前谷記者がトヨタ自動車のリコール会見で質問 2010年2月17日2009年11月。
在米韓国人がヒュンダイのためにトヨタの業績悪化を
狙って文句をつけたのが始まりだったといわれる
「トヨタリコール問題」。
★「反グローバリズム」を考える。
アメリカの場合と、過去のトヨタのリコール問題も振り返る。時は民主党政権。
日本のマスコミのこのときの報道も、トヨタがまるで
意図的にリコール隠しをしているかのように報道し、
トヨタが米国で窮地に追い込まれるのを日本から
手助けしているかのようなトヨタバッシング報道が
続きました。
その一方的な報道を現地から担ぎ上げていた連中の
一人として越前屋記者もいたわけです。
トヨタは2009年に豊田社長になってから、なにかと日本の
マスコミから叩かれることが多くなりましたが、それにも
当然理由があるでしょう。
その豊田社長も、マスコミから相当のストレスを
もたらされていたことは下記記事でも解ります。↓
★メディア関係の方へ:記事に心を痛めています=トヨタ社長 2012/06/20【メディア関係の方へ:記事に心を痛めています=トヨタ社長】
(THE WALL STREET JOURNAL日本版 2012年6月20日) より抜粋
同社長は、会社が「誤解されている」のではないかとの
発言を受け、マスコミを非難し、自社に関する最近の
記事を批判。
「わたしも生身の人間だ。
トヨタやわたしのことをよく理解いただかないまま
書かれるとはいえ、臆測さらには中傷まで含んだ
記事を見ると、正直、心が折れてしまうことが多々ある」
と訴えた。
会社関係者によると、豊田社長の発言は、文藝春秋7月号に
掲載された記事が一因になっているとみられる。
「何より、わたしどもの従業員やその家族までが心を
痛めていることが本当につらく残念と思っている。
あのような記事では誰も幸せにならないのではないかと
思う。
メディア関係の方がいれば、お伝えいただきたい」
記事にもある豊田社長への中傷記事というのは2012年の
文芸春秋」7月号「ものづくり日本の栄光と挫折」という特集の
中の下記コラムでした。↓
★「あの強いトヨタはどこに消えた」 佐藤正明
(※画像をクリックすると大きくなります。)佐藤正明という人物は、元日本経済新聞記者の作家であり、
また、経団連会長でもあったトヨタの奥田元社長と親密な
関係にあった人物です。
このコラムを書くに当たっても当然意図的な「目的」が
あったはずです。
以前、小保方捏造問題で山中教授に対する週刊誌の
中傷記事を取り上げましたが、あれは「週刊新潮」でした。↓
★山中教授と小保方氏を同列に扱う異常性。 【追記あり】「日刊ゲンダイ」は、もう「論外」ですが、「週刊現代」も勿論
こういう連中か書いてるわけです。↓
★安倍総理を陥れる重大な捏造記事をかつて書いたのは
菅直人の元公設秘書と、朝鮮総連と繋がる朝鮮人女性ライター。民主党は国会で、今回だけでなく過去にも何度となく、
こういう「下劣」極まりない「週刊誌」の記事をネタにして
マスコミと連動しての「麻生政権叩き」「安倍政権叩き」をし、
また今回は、国会の予算の年度内成立の邪魔もしてきました。
異常です。
「週刊誌」ではなく、日本人が一目置いている「海外紙」。
上のウォールストリートジャーナル(WSJ)の記事も、
「メディアのせいにするのはお門違い?」などという言葉で結んでいます。
本当にいやらしい言葉です。
憶測記事、いわば捏造記事を書かれて、何故こんな
言い方をされなくてはいけないのでしょうか。
ウォールストリートジャーナルにも林由佳など反日記者が
います。↓
★安倍総理の「罪を償わせる」を歪曲して伝える海外紙の反日日本人記者たち。
目的は世論誘導。武井壮も事実を知るべき!どこまでも
マスコミというのは、
人をとことん追い詰めていく恐ろしい「権力」を持っていると思います。
この「海外紙」の反日記者の連中が
「日本は海外でこんなことを言われている!!」
とわざわざ東京支局から発信する。
朝日や毎日などの社屋に間借りしながら。
社屋内で記事を回し、あたかも海外で騒がれているかの
ように発信する。
「海外ではこう伝えられている!」
と、今度は日本のマスコミはテレビで大々的に取り上げて
報道する。
国民はそれを鵜呑みにし、マスコミの捏造扇動報道を信頼し、
それと同じ意見を持つことがあたかも正しい錯覚に陥る。
恐らくそこには、「報道」という名のものが「インテリ」の
一つの代名詞だとされ、その報道の言うことに賛同する
ことこそが他人と話をするときにも「まともな人物」として
見られる条件であるという思い込みに嵌ってしまって
いるのではないかと、いわばある意味「防衛本能」が
働くのではないかと私は思っています。
こうして国民は「誤った評価の思い込み」をどんどん
植えつけられていくのだと。
中川元財務相のローマでの記者会見。
通訳もいない日本語だけの国内向けの記者会見だと
いうことは、あの時の動画を見れば判ります。
海外で、わざわざ大きく取り上げられるものではなかった
のです。
そして他国にとってはG7の結果だけが、リーマンショックの
行方だけが気になっていただけで、他に何の興味も
ありません。
それは最初にマスコミが「世界が伝えている!」と伝えた
その証拠として出してきたのが何かといえば、アメリカ人
テレビ記者が自身の個人ブログで書いた、ただの皮肉交じりの
批判だったことからも判ります。
なのに日本のマスコミは「世界の恥さらし!」と即座に
罵った。
そして日本のマスコミは、その自分たちの報道を海外に
ばら撒いた。
従軍慰安婦捏造問題と同じです。
マスコミ自らが「火」を付けて、それを煽って「猛火」にしていく。
マスコミが「世界の恥さらしになっている!!」と流せば、
国民は「そうなんだ」とマスコミの言葉に同調する。
そんな状態でした。
海外の記者会見。
麻生さんは外交にも当然、非常に力を注いでいました。
しかし、それまでも、それ以降も麻生さん、あるいは
安倍総理も含め、外交の成果を述べた海外での
記者会見をマスコミは流していたでしょうか?
ロクに流してなどいません。
特に麻生政権時代には記者会見といえば、日本の
記者質問は、いつも決まって
「いつ解散するんですか?」でした。
海外の要人の前でこういった「国内の政局の問題」を
事あるごとに質問をし、何度も日本に恥をかかせて
きたのは日本の記者なのです。
下の動画は第一次安倍政権時代の2007年8月、
当時の麻生外相がイスラエルを訪問した際の
成果を発表する場であった記者会見の動画です。
イスラエルのリブニ外相も「はぁ???」というような
困惑した表情でした。↓
★ignore it - 麻生太郎 「質問は無視して」このときの会見は、まさしく麻生さんが提唱した
「平和と繁栄の回廊構想」という、今の「ISIL」などの
テロを無くすためにも非常に有効な政策についての
記者会見でした。
★「イスラム国」身代金要求を「安倍のせい」と叩き、
日本の「民生支援」「人道支援」を報道しないマスコミに怒り!
マスコミは安倍総理のスピーチ全部を発信しろ!!その海外要人との重要な記者会見で
「麻生大臣が交代するかもしれないけどどう思う?」
と聴いてくる日本のマスコミ。
麻生さんとマスコミ。
どちらが「恥を晒す」ことをしているんでしょうか。
明白ではないですか。
ロシアのプーチン大統領と安倍総理との記者会見
でも在りましたよね。
TBS記者、緒方の、鳩山と同類の危険な質問が。
そして逆に自分たちの都合のいい要人の内容は、
喜び勇んで報道する。
それがマスコミです。
ドイツのメルケル首相を先日9日、朝日新聞が自分のところの
朝日ホールに呼んで大々的な講演会を開き、質疑応答を
したのも、メルケル首相が福島原発事故直後に脱原発を
決めた首相であることと、「ドイツは過去と向き合った」という
言質を大々的に広めたかったからでしょう。
実際それが報道されているわけですから。
本当は、そこには、「ドイツの場合と日本の場合は条件が違う」
ということが入っているわけですが、そんなこと朝日がテレビで
流すわけがありません。
しかし、民主党の岡田が、今までさんざんやってきた通りの
やり方で自分の都合のいいように話を丸めて
「メルケルさんがこれこれこういった」
と公に話したことが今、大問題になっているのは、まさしく
この朝日が隠したがっていた部分であり、朝日に
とっては、計算外だったと思いますが、そんなもの、
自分たちがテレビで伝えさえしなければ、あるいはさらっと
流してしまえば、どうってことないと思っていることでしょう。
中川元財務相は、あのローマの「G7」への出発の
直前まで国会に縛り付けられていました。
驚異的な強行日程と、また、その準備も含め、
相当に心身ともに疲労する中、激務をこなされていたで
あろうことは想像に難くありません。
民主党の吐き気のするほど陰湿極まりない国会質疑の
一つには、自分たちの都合の悪い政治家や官僚等に
対して
「体調が悪いのだったらすぐ辞めろ!」、
「病気ならすぐ辞めろ!」
と信じられない言葉を投げつけることです。
昨年6月、癌で亡くなった小松法制局長官に対しても
そうでした。
癌治療を行いながら公務を行っていた長官に対して、
自分たちのイデオロギーにそぐわない小松長官の
憲法解釈への反発から、散々国会で病気のことを
取り上げながら、さっさと辞めろといい続けた
民主党と共産党の議員たち。
★朝から懲りずに小松長官叩き 民主党尾立源幸 決算委員会2014.3.31本当に吐き気がする・・・。
誰だって体調はどうにもならないときがある。
薬に頼る時だってあるだろう。
それが駄目だと。
中川さんの記者会見のあとにマスコミや民主党が
やっていたことは、まさしくこれと同じです。
昔、私も旅行中に急に全身蕁麻疹が出てしまい、
市販の抗ヒスタミン剤を購入して飲んだことがありますが、
そのときは歩いていてもフラッとなるような強烈な
眠気に襲われる経験をしました。
ただ、話しかけられる言葉はちゃんと聞こえ、返事も
出来るのですが、一瞬、ふっ、ふっ、と意識が抜ける
感じでした。
中川さんのあの時の記者会見は、まさしく自分の
そのときの経験を思い出させるような状態でした。
中川さんは記者質問に対して、聴き直しながらも、
内容はまともに答えていましたから、意識が
自分のときと同じように一瞬抜けてしまうんだろうなと
思いました。
薬の影響であることは、素人でも想像がついたのです。
しかし中川さんが帰国後いくら説明しても全く聞いてもらえず、
国会ではもう、いつもの民主党の定番である「審議拒否」
による「辞任へのレール」が敷かれていました。
ネットで判りやすく書かれていたその「経緯」は、これです。↓
民主 「中川が謝罪するまで審議拒否」
↓
中川 謝罪
↓
民主 「中川辞任するまで審議拒否」
↓
中川 「来年度予算案が衆院通過したら辞任する」
↓
民主 「中川がすぐ辞任しないと審議拒否」
↓
中川 「いますぐ辞める」
↓
民主 「中川辞任で麻生が謝罪するまで審議拒否」
↓
麻生 謝罪
↓
民主 「予算案を撤回しない限り審議拒否」
↓
麻生政権 予算案撤回
↓
民主 「無責任だ。自民党には政権担当能力がなくなってる」
このやり方は今も変わりません。
私には、とても耐えられなかった2009年。
そして第一次安倍政権時代もそうでした。
一人ひとり追い詰めるようにして陥れていく手法。
マスコミと連携したその手法は、民主党政権下では
絶対に行われることはありません。
今も「違法」と問えるものがない中で、グレーゾーンと
思わせられるもの、またいわゆる今回のような、
「資質を問う」とか「言葉狩り」とか、どうにでも転がせられる
ものを取り上げていく。
山谷国家公安委員長に対する「懇ろ」という野次発言も
そういったところからわざと「不快感」へと繋げようと
するものでした。
国会で、ああいった言葉が簡単に出てくることに、すでに
耐えられません。
今回の大西の質問もそうです。
民主党の野次や質問には本当に吐き気がする。
そして、その民主党と同じく「鬼畜」のマスコミがテレビで
晒し者にし、延々と叩き続ける。
ぞっとする。
まじめに心から国を思い護るために頑張ってきた中川昭一という
政治家を、日本国中の人間が嘲笑し、罵倒し、誹謗中傷し続けた。
毎日「凄惨ないじめ」を見せ付けられているようだった。
今後出てきたら、あのVTRをまた出してきて
晒し者にし、二度と出てこれないようにしてやる!これと同じ意味のことをテレビで言った人間がいる。
辛坊治郎です!
★2009年に起こったこと。辛坊治郎、マスコミが追い詰めた・・。
中川昭一さんの死。麻生政権への猛烈なバッシング。忘れない、絶対に。辛坊治郎を絶対に許せない理由。
それは人を陥れ、貶めておきながら、いまだ全く謝罪せず、
それこそ「のうのうと」テレビに平然と出ている非道極まりない
人間だからです!!
■非道、辛坊治郎の許せない発言
お父さんも自殺されたし、ああいうこと
(「酩酊」会見など)を何回も何回もTVで放送すると、
本人は自殺の恐れがあるから、もうこの辺で
止めといてやろうやないかいという話になるじゃ
ないですか。
とんでもない話だと!!
あんなものはね××××(放送自粛音)と思いますよ。
あんだけ国際社会に恥かいてね、オメオメねぇ
オメオメ有権者の前にもういっぺん出るなと!
あんなん、二度と再びたぶん出られないと!
出てきたら必ずあのVTR(「朦朧」会見など)を
流されますからね。
その意味ではね!
世の中にはやっちゃいけない事があるんだって!
そして、もう一つ、辛坊に言いたい!!
お前は「自死遺族の苦悩」を知ってるのか!!
よくもこんな言葉を公の電波を使って吐けるものだ!!
なんて腐った人間なんだ!!
本当に許せない!!
2009年のローマの記者会見のことは私も「事件」だと
思っています。
しかし、私は中川政務官も「事件」だと思っていると
いうことに驚きました。
これは、彼女の中では、あの「ローマでの出来事」が決して
きれいに片付いていない、ということだと思うのです。
このことは自分なんかが「事件だ」と思うことよりも、
何倍も何倍もとても「重要」で、「重大」で、かつ「重いこと」
だと思うのです。
恐らく様々な思いを抱えたまま、7年が過ぎていったのだと。
6年前のあの時をこうして振り返れば、いや、今までも
そうだったけれど、振り返るたびごとに他人の私でさえ、
どうして?どうして?と自問自答してしまう。
家族であればなおさらだ。マスコミは、リーマンショックの経済危機を回避した
あの時の中川財務相、また麻生政権の功績を伝える
べきであるのに、それをしなかった。
そして、「体調不良」を起こした中川財務相を逆に
体調を慮るのがまともなマスコミにすることだったはず。
それを検証もせず、一方的に「酒のせい」だと断定した。
何度も何度もバカにされ嘲笑を受け、そして、あのG7の
成果は何も伝えられないまま、衆院選を迎え、中川さんは
落選した。
マスコミの報道は完全に鵜呑みにされ、
「事実は違うのです!」と説明する機会も与えられず、
「謝罪行脚」となってしまったであろう衆院選。
「日本が危ない」
そのことをとにかく訴えたかったであろう中川さんにとって
現実の衆院選はどれだけ屈辱的なものだっただろうか。
これはマスコミによって「冤罪」をかけられたも同然です。
やってもいないことを「やった」と扇動するマスコミ。
私が家族だったら耐えられない。
「死にたい」と絶対に思ってしまう。
中川政務官は政治家の妻として、ずっと中川さんを支えてきて、
反日マスコミからの謂われなき中傷にもずっと耐え続けて
きたのだと思う。
特にあの2009年は、狂っていた、日本中が。
その中で気持ちを平常に保つことすら難しい毎日だったと
私は想像します。
その後の政治家になる決断を含め、色々な葛藤もあったと思う。
麻生さんが感じた「どす黒いまでの孤独」。
それは中川さんの家族にも感じられたことではないか。
いや、こんな風に軽々しく想像して書けるほど、
軽いものでは当然ないだろうと。
ちょっと弱い人間ならズタズタになる。
死へと直行しかねない。
それほどのものだと私は思う。
特に麻生政権からの7年間。
中川政務官の頑張りは、完全になかったことになって
しまうのか・・。
その頑張りの中で、ほんの僅かの「甘え」を持って
しまったことが、ここまでの壮絶なバッシングへと
繋がってしまうのかと・・。
神様はあまりにも理不尽だと思ってしまう・・。
【中川昭一氏をしのぶ会 (北海道 帯広市)にて 】
(「麻生太郎 弔辞」より抜粋)
100年に1度と言われた先の大戦後最大の世界同時不況に
財務大臣と金融担当大臣という要職を兼務して戴いたこと、
また今回の総選挙で自民党が政権与党の座を失ったこと、
それらが今回の悲劇を生んだ一端なのではないかと
大変心苦しく誠に申し訳なく思っております。
平成17年でしたか、米国のサブプライムローン問題が
出始めた頃、本会議場で議席が隣だったこともあり、
幾度となく意見を交換し対応策を練ってきました。
日本興業銀行出身だけあってマクロ経済、国際金融の
複雑な話に理解力がある数少ない政治家だと思っていました。
昨年(2008年)11月にワシントンで緊急のG20金融サミットが
行われました。
世界的に急激な金融の信用収縮発生が予想された状況下です。
そこで日本がIMF・国際通貨基金に10兆円を融資する
事によって、開発途上国の財政破錠を防ぐと提案しました。
財政状況の厳しい日本が10兆円の資金を出すと
言ったので、霞が関では当然反対の声が挙がりました。
しかし、「これは融資であって増資ではない」という私の
主旨を一言で理解して、直ちに財務省に話をつけたのが
中川財務大臣でした。
後にIMFのストロスカーン専務理事をして
「あの日本の決意が米国、欧州を動かし、結果として世界を
金融恐慌から救ってくれた」
との弁を語り、感謝状も戴きました。
日本でその意味を理解している人が今もって
極めて少ないのは、甚だ残念の極みです。
しかし、国際的な金融機関における評価が極めて高いのは
事実であり、後世の歴史家が評価してくれると確信しています。
政治家は我身無念と思えども
国の為なら本懐なり
貴方にこの言葉を贈りたいと思います。
「報道すべきことをあえて報道しない」。
「都合のいいものだけ報道し、扇動する」。
「不公平な報道」。
私はこれらのことも「捏造」の一つだと思います。
なぜなら、「誤った評価を植えつけてしまう」からです。
「捏造」というものの恐ろしさ。
謂れのない「濡れ衣」を着せて、その人を陥れ、貶め、
その人の人生を狂わせていく。
そして、「捏造」をする人間は、決して反省などせず、
何度となく繰り返す。
「捏造」を繰り返す人間は本当に残酷だ。
朝日新聞始め、マスコミはその捏造を繰り返す。
本当に残酷な連中だと改めて感じる。
マスコミがまともであれば。
そうでありさえすれば。
振り返ってみて、改めてそう思わずにはいられない。
嘘をつかずに正直に喫煙のことも国会で話したあの答弁。
麻生さんの目の前で、最も応援をしてくれていたであろう
人の目の前での答弁。
中川政務官を突き放す気にはとてもなれない。
「敵味方」の「味方」ではなくて・・、言葉ではうまくいえない。
とにかく「味方」でいたいと思う・・。
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