仙台地裁で、東日本大震災で被災した自動車学校に
賠償命令が出たという報道・・。
★津波で26人死亡、自動車学校に19億円賠償命令【東日本大震災】2015年01月13日
■津波に襲われた常磐山元自動車学校(宮城・山元町) :時事通信社より多くの方が犠牲となった未曾有の震災。
そこでの裁判。
複雑な思いとか、やりきれない思いとか、いろんな思いが
交錯してしまいます。
やはり、原告側は勿論、被告側も未曾有の天災の被災者で
あること。
そして、韓国の旅客船事故のようなものとは全く次元の違う
ものであること。
そういったことが、なんともやりきれない気持ちになってしまう
原因なのだと思います・・。
先日の報ステでこのニュースが流れた後、古館は
いつものように、いかにも原告側の被災者を深く慮って
いますと言わんばかりの「押し売りコメント」を連発し、
それに呼応するかのように恵村も「企業の責任論」を
偉そうに打ってるのを聴くと、余計にいたたまれない
気持ちになってしまいました。
それは、やはり、朝日を始めとするマスコミがどれだけ
他人に厳しく自分達だけに甘いのか。
そして、どれだけ今まで
「責任」というものを全く取らずに
のうのうとやってきたのか。
そういうことを考えて、非常に腹立たしい思いに駆られた
わけです。
食品会社などの昨今の問題を見ても、特にそれを感じますし、
かつて不二家を猛烈にバッシングして、潰したことなども
思い出されます。
そして、
今回の件に関して言えば、マスコミは、
民主党政権が「政治の不作為」という重大な
過ちを犯し、それによって、どれだけ国民が
実際に被害を被ったのかも検証すらしていないこと、
更には、その民主党の過ちを全く報道せずに
隠蔽し続け、「政治の不作為」に加担したのが、
マスコミそのものであるということを、私は心から
許すことが出来ません!一昨年の7月の参院選前、下記の記事を書きました。↓
ちょうど、第三者機関
「大川小学校事故検証委員会」が、
同小だけでなく
同市内の各小中学校の防災マニュアルは
津波対策が不十分だったとする中間報告案を出したという
ニュースもあって書いた記事でした。
★東日本大震災の9ヶ月前に自民党が出した「津波対策法案」は何故間に合わなかったのか。
民主党の「不作為」という大罪。防災教育、防災訓練が、いざというときの命を守るために、
いかに大切なことであるか。そして、そこでの
「政治の役割」は何であるのか。
加えて
「政治の責任」とは何なのか。
それらを改めて考えました。
東日本大震災の前年の2月27日、
南米チリ沖で発生した
巨大地震による津波が日本の太平洋岸に到達し、沿岸の
養殖業などに大きな打撃を与えました。↓
★【防災コラム 「チリ津波が残した課題」 <2010.4.1.> インターネットで発信する防災情報新聞より】さいわい人的被害はなかったのですが、しかしこの地震の時、
津波警報下での住民の避難行動などに、大きな課題を残して
いたんです。
総務省消防庁によると、この地震の時、大津波警報が
発表された地域で、実際に避難所に避難した住民は、
全体の7.5%であり、津波警報が発表された地域では、
わずか2.8%にすぎなかったのでした。
さらには、気象庁が地震の翌日の記者会見で
「津波の予測が過大だった」とするお詫びを述べていたのです。
しかし、これに対して
多くの専門家が、
「気象庁の判断は正しく、お詫びの必要はなかった」
と指摘していたというのです。
気象庁がお詫びを述べるに至った経緯は、上記リンク先の
防災新聞コラムからは窺い知ることは出来ませんが、
しかし、恐らくマスコミからの大きな批判が最も大きな原因
だったのではないかと私は推察します。
そういった様々な問題が浮き彫りになった
「チリ地震の津波」が
震災前年2月に起き、そしてそれをきっかけに、自民党の
二階俊博議員や小野寺五典議員らが、
「津波対策法案」と
いうものを
議員立法としてその年の6月に提出していたのです。
(法案の殆どは政府立案・提出ですが当時、自民党は
与党ではありませんでしたので、 「議員立法」として
出されたわけです。)
そこには、
阪神淡路大震災で兵庫県の災害対策本部員として
復旧・復興に従事した谷公一議員や、
新潟県中越地震で多大な
被害を受けた山古志村で村長として災害対策に当たった
長島忠美議員もいました。
二階議員も地元和歌山で地震後の津波への警戒と早期避難を
伝える「稲村の火」の物語があるように、津波対策がいかに重要で
あるかを十二分に理解している議員だったわけです。
これらのことも踏まえて、下記の2011年7月に衆議院で
行われた自民党の赤澤亮正衆院議員の質疑内容を
どうか多くの国民に、特に東日本大震災で被災した方々に
知って欲しいと思います。↓
(震災に関する最も重要な国会は第177回です。
この数字を覚えておいて頂けたらと思います。)★第177回国会 予算委員会 第24号 平成23年(2010年)7月6日 議事録【第177回国会 予算委員会 第24号
平成23年(2010年)7月6日 議事録より】
○赤澤委員
菅総理は「稲むらの火」という話は御存じですかね。
これは、安政元年……
(発言する者あり)
時間の関係でちょっとこれは先に行かせていただきます。
安政元年、1854年です。
安政の大地震というものが起きたんです。
11月5日に起きました。
今の和歌山県広川町で、そこの庄屋であった浜口儀兵衛が、
取り入れるばかりになっていた稲の束、稲むらですよ、
それに火を放って、暗い中、高台に避難する経路が、
足元がおぼつかない、村民全部を救うために、自分の私財である
稲むらにすべて火を放って、その結果、全員がきちっと避難が
できた、そういう話であります。
この話の教訓は、言うまでもなく、リーダーが決断と行動力を
持って毅然と対応する、その重要さを示しております。
一方で、津波の恐ろしさ、そしてまた、一目散に高台に向かって
逃げることの必要性といった多くの教訓を含んでいます。
去る6月17日、先月の17日になります。
いわば「稲むらの火」の教訓をすべて盛り込んだような、
網羅したような津波対策の推進に関する法律、これが
参議院本会議で全会一致で成立をいたしました。
東日本大震災の発生した今、いわゆる津波対策推進法の
重要性はだれの目にも明らかであります。
菅総理にも御異存はないというふうに思います。
この津波対策推進法案は、一番最初は、昨年の6月11日、
すなわち東日本大震災発生のちょうど9ヶ月前に、
自由民主党と公明党が共同で提出をしたものであります。
菅総理は、この自公共同提出の津波推進法案がどういう
取り扱いをその後受けたか、御存じですか。
○菅内閣総理大臣
与野党各議員の御尽力によって、衆議院の災害対策特別委員会
提出による津波対策の推進に関する法律案が、6月の17日、
参議院本会議で全会一致をもって成立をいたしたということは、
私も承知をいたしております。
その途中の過程について必ずしもつまびらかではありませんが、
大変先見性のあるすぐれた法案だ、このように認識をいたしております。
○赤澤委員
総理、今から御説明しますけれども、今の御認識だけで、
私は本当に総理をやめてほしいと思いますよ。
9ヶ月間一度も審議してもらえなかったんですよ。
自公の議員が与党である民主党の先生方に足を運んで
頭を下げても、審議してもらえなかったんですよ。
そこで、もう一つ、総理にお伺いをします。
津波対策推進法のポイントを総理御自身の言葉で国民に
説明していただけませんか。
○菅内閣総理大臣
私が皆さん方が出された法案を説明するのが適切かどうか
わかりませんけれども、ソフト面とハード面の対策が
組み合わされた、そうした津波対策に関する法律だ、
こう認識をいたしております。
○赤澤委員
東日本大震災の発災の後に、ようやく20日前に成立をした
この大事な津波対策推進法について、役人からメモを入れて
もらって、その一行だけ読んでという総理の関心のなさが
私は本当に許せないんですよ。
この法案は、一言で言えば、備えあれば憂いなし、それを
形にしたものです。
その魂を言葉にすれば、国民が迅速かつ適切な行動をとる
ことにより、人命に対する津波の被害を減らすことが最優先だ。
すなわち、魂を言えば、とにかく逃げろということを形にした
法案なんです。
その具体的な方策として多くのことが書かれています。
今総理がおっしゃったように、ハードとソフトの組み合わせで
あるとか、そして津波についての国民の理解と関心を深めること、
さらには教育と訓練、そして消防による啓蒙活動、さらには
自治体がハザードマップをつくる、ありとあらゆることが
含まれています。
総理、今のようなそっけない説明をされるようなものじゃ
ないんですよ。
あの津波の巨大な災害の後で、この法案に余り関心が
ないように見えること自体、本当に私は許せないと思います。
繰り返しになりますけれども、今の津波対策推進法案、
一言で言えば、東日本大震災が発生する9ヶ月前に、
対応がまだ間に合う段階で自公が共同提出をしたにもかかわらず、
与党が不見識で無理解で、
たなざらしにした、握りつぶした、
不作為を働いた、こう言えると思うんですよ。
総理、どう考えますか。
○菅内閣総理大臣
確かに、内閣総理大臣というのは行政において最も責任のある
立場であるので、いろいろ委員の方から行政について御指摘を
されるのは当然だと思っております。
ただ、国会の中での質疑については、やはり国会の中の
ルールによって質疑が行われておりますので、そういう意味で、
もちろん党の代表としての立場はありますけれども、私も、
先ほど申し上げましたように、御指摘をいただいて、見て、
大変先見性のある重要な法案であったということを申し上げた
わけであります。
そのことは、もっと早ければよかったという御指摘は
そのとおりだと思いますが、それをすべて、内閣の責任と
いうよりも、国会の中での扱いが皆さんの期待に
沿わなかったという点では、その点は申しわけなく
思いますけれども、やはり国会の中は国会の中のルールで
御議論をいただくしかないのではないかと思っております。
○赤澤委員
菅総理の少なくとも監督責任は免れない。
ただ、その話は後で戻ります。
平野大臣、御就任おめでとうございます。
農水委員会で御一緒したのは、私は、少なくとも尊敬に
値する政治家だと評価をしております。
しかしながら、本当に大変な事態であります。
全力で国民のために努力していただきたいと思います。
平野大臣、大臣に就任される前、政務調査会ですかね、
民主党だと呼び方が違いますか、副会長をされていたと思います。
党にあられて、しかも、総理は平野大臣を抜てきするに当たって、
災害に強い、こういうようなお話をされました。
あなたは、このたなざらし、この大事な法案、パネルを
見てもらえばわかります、東日本大震災が発生する9ヶ月前に
出ていた法案、一度も審議しない。
成立したのは、あろうことか、発生した3ヶ月後なんですよ。
あなたは、党にいて、災害に強いと言われる立場で、
政務調査会の副会長で、何もしなかったんですか。
この不作為に加担をされているんですか。
御答弁をお願いします。
○平野国務大臣
このような法案、今、成立した条文を読みますと、
そっくりそのまま、これからの対策に使えるという条文に
なっております。
ただ、残念ながら、これが前に提出されているということすら
私は知りませんでした。
不明を恥じるのみだというふうに思います。
○赤澤委員
ということですよ、総理。
総理が、苦し紛れで、だれも受けてくれないから
復興担当大臣を命じた方は、災害の専門家でも何でもないですよ。
この津波対策推進法、この津波の巨大な被害の後で、
これだけ重要な法案、復興に全部そのまま使えるというものを、
私、前から出されていたことを知らなかったと。
その方が専門家のわけないじゃないですか。
私はその点も極めておかしいと思います。
総理にお伺いをしたいんです。
先ほど、もっと早くできていればよかったなんて、いいかげんな
そういう答弁をされましたけれども、この法律の成立が
発災前ならば、被災者数ははるかに少なかったんじゃ
ないですか。
その点についての認識を述べてください。
○平野国務大臣
この法律が早く成立していればということは、いろいろな議論が
できると思います。
しかし、最も大事なのは、災害に対して、地域の人が、国民が
どういう意識を持つかだと思います。
私は、今回の震災というのは、今までの我々の考えていた
津波、地震、そういったものの一つの想定というのがあったと
思いますが、いずれの方の想定も凌駕した、そういう災害では
なかったかというふうに思います。
大事なことは、今回の災害を踏まえて、まず復旧復興を急ぐ。
それから、今回の津波、マグニチュード9、それから
マグニチュード7を超える地震が一日に多数発生しました。
広域にわたるプレートが動くという、これまた今までになかった
地震でもって引き起こされた津波であります。
ちなみに、平成17年、中央防災会議の専門会議というのが
ございまして、東日本における災害を想定しております。
そのときの想定した地震の規模、強さ、津波の規模、強さ、
浸水面積の範囲、地盤沈下の発生あるいは被害額の想定、
それは人命も含めてです。
全く違う、全くその想定したものと違う災害が起こったと
いうことでありまして、大事なことは、この法律をどうやって
生かすかということであるということについては御認識を
共有していただけるのではないかというふうに思います。
○赤澤委員
今のは、平野大臣、なられたばかりとはいえ、とんでもない
答弁です。
我々は、公明党と共同で9ヶ月前にこの法案を出していたんです。
通っていたら何が起きたか。
一つ例を挙げましょう。
11月5日が津波の日に指定をされて、その日は、
国を挙げて津波の避難訓練をやったはずなんですよ。
東日本大震災が発生する4ヶ月前に、国を挙げて
津波の避難訓練をやっていた。
そのときに、ハザードマップを広げ、教育を受け、啓蒙を受け、
それで本当に被害が減らなかったとあなたは言い切れるんですか。
大事なのは、これからこの法を使えばいいなんて、
よく言えますね。
この法案をたなざらしにしたあなたたちは、本当に
腸がよじれる思いで反省しなきゃだめなんですよ。
それをきちっと反省した上で、本当に自分たちの不作為で
命を落とした人がいるかもしれないと思って、その思いで
この法を生かすと。
そうでなきゃ、魂が入っていないんですよ。
仏つくって魂入らずですよ。
私どもは、あなたたちだけに責任を負わせる気はありません。
野党とはいえ、体を張って、我々も何とかこれを実現すべきだった。
本当に被災者のことを思うと、済まない思いも大いにあるんです。
だけれども、その気持ちは共有してもらわないと。
あっさりと過去に起きたことは忘れて、この法案が
不作為だったことは全然触れもせず、責任も感じずに、
これからこの法を生かせばいいんだなんて、
そんな答弁がありますか。
もう一回答弁してください。
○平野国務大臣
災害に関しての、今回の被災地のこの想像を絶する悲惨さ、
私も現地には2日目に入りまして、1日目は上空から見させて
いただきました。
2日目に、3日目に釜石に入りまして、その翌日は大槌町に
入らせていただきました。
そういう中で、たくさんの命が失われた、その中では、例えば
消防団、皆さんが逃げる中で、消防団だけは防潮水門を
閉めるために出動します。
その防潮水門を閉める中で逃げ場を失って亡くなられた方、
消防団もたくさんおられます。
そういった方々の思い、それから地域の思い、それについては、
思いを共有するというのは、これは与野党共通のことでは
ないでしょうか。
そういう前提でのお話でありまして、この法律につきまして、
成立がおくれたということについては、いろいろな御批判は
ございますけれども、私の思いとしては、まずここは
前を見て進みたい、さまざまなことをやらなくちゃならない。
特に津波につきましては、中央防災会議の専門委員会の
報告も出ました。
そういった報告を踏まえながら、一つ一つとにかく実施に
移していく、そのことをとにかく優先させたいという思いで
申し上げさせていただいたということであります。
○赤澤委員
私が尊敬をしている平野大臣でありますから、徐々に
話の焦点は合ってくると思いますけれども、全く足りませんよ。
想定外だということを盛んに言われた。
このテレビを見ている国民の皆様は、政治家は、新しい
復興担当大臣も、なお想定外、想定外と言うのかと本当に
がっかりしていると思いますよ。
しかも、我々に言わせれば、自公両党は想定していたんですよ、
チリ地震の被害があったから。
そのときに、実際に被害が生じる津波で避難をしろと言われたのに
1けた%しか避難しなかった。
我々はそこに危機意識を覚えて、だからこそ想定をして、
この法案を9ヶ月前に出したんですよ。
それを不作為でネグっておいて、たなざらしにしておいて、
その責任については余り考えずに、前を向こう、こんな答弁は
絶対許されませんからね。
これはここでとどめますけれども、本当にいいかげんにしてください。
もう一つ、被災地の選出議員である小野寺議員から聞いた
お話も紹介をしておきます。
津波の怖さがわからずに戻ってさらわれた方もいる、
津波は何波もやってくる、そういうことですよ。
これを見てもらうと、実はこの規定は自公共同提出の法案には
入っていたものなんです。
我々は、東日本大震災の発生後に、6月の17日、ようやく
成立させるに当たっては、泣きながら削った規定なんですよ。
意味を理解してください。
「津波は、他の自然災害に比べて発生する頻度が
低いことから、津波及び津波による被害の特性、
津波に備える必要性等に関する国民の理解と関心を
深めることが困難であること。」
チリ地震で実際に被害が生じたのに1けた%しか避難しなかった。
困難なんですよ、国民の理解を深めることが。
我々はそのことを想定したんです。
だから、この規定を入れたんです。
ところが、その法案が与党の不作為で大震災発災後まで
成立しないから、この規定を削らざるを得なくなったんですよ。
泣く思いですよ、我々は。
その辺はぜひ理解をしてください。
この法案のたなざらしについて菅総理に伺います。
状況は知らなかったということなんですか。
○菅内閣総理大臣
申しわけありませんが、私も、この法律がどういう時期に出されて、
どういう形で時間がかかったということは、少なくとも当時は
十分に認識をしておりませんでした。
しかし、先ほど申し上げましたように、大変先見性の高い
法律ということで、皆さん方の努力が十分に、我々の受けとめが
遅かったかもしれませんが、成立をしたことについては
敬意を持って尊重してまいりたい、こう思っております。
○赤澤委員
20日前に成立した法律ですよ。
東日本大震災が発生した後です。
ようやく20日前に成立した。
その法案の中身にも総理ははっきり言って余り関心がなかった
ですね。
今のような熱のない答弁をされますと、私に言わせると、
総理の頭の中は、申しわけないけれども、救命じゃなくて
延命だけだという感じが本当にしちゃうんですよ。
このテレビを見ている国民の皆様もそう感じておられると
思いますよ。
本当にこの法案の意味をしっかりとかみしめて、ぜひ総理の
指揮でこの法案を有効に活用してくださいよ。
そこはぜひやってもらわないと、居座っておられる時間という
言い方は失礼かもしれませんが、その間もやってもらわないと、
今この瞬間にも大きな余震でまた津波が来るかもしれないんですよ。
できる限りのことを全力でやる義務が我々にはある。
その上で、総理の責任を聞きたいんです。
我々から見れば、自公共同提出の法案はかなりのことを想定し、
網羅していました。
11月5日に、4ヶ月前に国を挙げて国民運動として津波の
総合避難訓練をやっていたら、被害は下手すると千人規模で
少なかったんじゃないかと我々は思うんです。
そのことについて、私は与党の不作為だと思っています。
菅総理が代表を務める、その党の
不作為で人の命が失われたと
我々は思っているんですよ。
監督責任をとって、あなた、やめるべきじゃないですか。
お答えください。
○菅内閣総理大臣
私も、もうかなり古い話ですが、学生時代に三陸を
ずっと歩きとヒッチハイクで南下したことがありまして、
そのときにいろいろなところで、かつてのチリ地震で
チリ津波がここまでやってきたという標識といいましょうか、
そういうものを見たことを今でもよく覚えております。
当時、こんなところまで水が来たのかという驚きを持って
見ておりました。
そして、今回それを超すような大地震、大津波が
現実のものになったことについて、私も、そうした
チリ津波の怖さを40年余り前にそういう地域を歩いて
感じた中で、それに対する十分な対応ができなかった、
また、今御指摘のこの法案についても十分な対応が
できなかったという点では、反省をしなければいけないと
感じております。
また、この中に、いろいろな訓練、11月11日に
予定であったということも言われておりますが、確かに、
そうした訓練といったものが繰り返されることが、まさに
予期できない地震や津波に対して、いつあっても迅速に
対応できる極めて大きな要素であろう。
そういう点で、この法案が早い段階で成立をし、
そして訓練などが行われ、周知徹底が
進んでいれば、今おっしゃるように被害が
より少なくて済んだ、そういうことは可能性と
しては十分あり得る、このように考えております。
○赤澤委員
今総理はお認めになったんですよ、被害が少なかったら
という言い方だったけれども。
これで一体どれだけ多くの子供の命が
奪われたんですか。
どれだけ多くの方が亡くなったんですか。
そういうことに思いをいたしてほしいんです。
その思いをいたせば、自分のところにこの大事な法案の
たなざらしについて何にも情報をよこさなかった
一緒に働いている人たちに対して、腹が立ちませんか。
たなざらしになった、不作為をしてしまった、その理由は
何だと考えておられますか。
○菅内閣総理大臣
私も、なるべく質問に対して、私なりには真剣に受けとめて
お答えをしているつもりですし、今もお答えをしたいと思っております。
ただ、国会に出てくる法案というのは多岐にわたっておりますし、
私が総理という立場で、確かに与党の代表でもありますけれども、
すべての法案についてどういう状態にあるかということを
全部把握するということは、率直に申し上げて、そこまでは
できておりませんし、不可能だと思っております。
この法案が、もちろん、今になって本当に先見性のある
重要な法案であったということはそのとおりだと思いますが、
その段階では、ここにも当初あったということでありますけれども、
大きな津波というものの来る可能性というものが、一般的には
非常に間が長いものですから、そうした危機意識が不十分で
あったのかと、これは反省を含めてそう思っております。
○赤澤委員
いい例えかわかりませんけれども、民間の企業で、焼き肉店で
死者が出た。
社長はやめましたよね、責任をとりました。
津波の被害の規模はこの比じゃないですよ。
私どもは本当に残念なんです。
じくじだとか、痛恨のきわみだとか、そういうことを言うだけで、
本当に消せない思いを持っています。
少なくとも監督責任として、総理、あなたにはやめてほしい。
この話を、代表としてだれも責任をとらないなんて、私は
本当に国民に対して不誠実だと思う。
そのことをはっきり申し上げておきたいと思います。
それともう一つ、ぜひ、きょう国民の皆様に理解していただきたいのは、
先ほど、津波対策推進法案について、知っていることは不可能だと
思う、法案全部は見られない、いっぱい出てくる、こんなような
話があったと思います。
私はそれは違うと思いますよ。
少なくとも我が党では、そして公明党では、この津波の危険、
あのチリ地震をみんな経験したじゃないですか。
あなたたちはしなかったわけじゃないですよ。
政権の立場にあろうがなかろうが、それはみんな
経験していることなんです。
政治家としての意識があれば、きちっとあれに対して
対応しなきゃいかぬ、津波の関係は何かやらなくていいのかと、
それを想定した上で、東日本大震災に間に合うような形で
我々は対応したんですよ。
危機を事前に察知して、国民を守れるタイミングで手を打つ、
これが危機管理や災害対策でしょう。
私は、自民党と公明党にはその能力があったと証明されていると
思いますよ。
その一方で、その提案を受けながら重要性を理解できずに
たなざらしにした。
中間に、まだ違うレベルがあります。
せめて政府・与党なら、我々が言ったことの重要性を理解して
協力してほしかった。
危機を察知した能力が高い人の話を聞いて、自分は察知は
できなかったけれども協力しよう、そこまでいっていれば、
大分被害が防げたですよ。
下の下ですよ、本当に対応が。
危機を察知した我々から言われたって理解せずに何もしなかった、
そのことが残っているんです。
私はここに、監督責任をとって総理にやめてほしいと
繰り返し申し上げますが、あわせて、総理がそれを知らなかった
というんだったら、民主党の押しなべての災害対策についての
力量が低過ぎますよ。
圧倒的な差があるということですよ。
そのことをきちっと理解していただきたいと思います。
災害対策についての、自公両党と政府・与党、圧倒的な
力量差があると総理は思われませんか。
○菅内閣総理大臣
率直に申し上げて、今、現実に3月11日の大震災が
あった中で、御指摘をされているそのお気持ちなり
その意味は、おっしゃることはよくわかります。
ただ、チリ地震が起きたのは、
たしか60数年前でありまして……
(発言する者あり)
いや、私が先ほど歩いたと言ったのはかなり以前のもので
ありますけれども、そういうことを含めて、どちらの党の
能力はどうこうというところまで、私自身がそれを決めつけて
いくことは必ずしも適切ではないと思っております。
○赤澤委員
総理、全くわかっておられなかったので、今、
国民の皆さんにも改めて言っておきます。
2010年、平成22年の2月27日に
チリ沖地震の津波が発生しているんですよ。
去年の津波ですよ。
そのときに避難勧告が出た、避難指示が出た。
だけれども、わずか3・8%の住民しか
避難しなかった。
我々は、だから危機意識を持ってこの法案を
まとめたんですよ。
情けないですよ。
災害対策の、危機管理の責任者であるあなたが、
去年の地震について全然記憶にない。
これは、4月18日の参議院の予算委員会で、半年前の
原発事故想定の原子力総合防災訓練の中身を、
すっからかんで、全く覚えていなかったのと
全く同じことですよ。
総理、災害についての関心が低過ぎるんです。
そう思われませんか。
○菅内閣総理大臣
我が国は、一般的に言っても大変災害の多い国でありますし、
また地震のかなり頻度の高い国でありますので、その点に
ついて、私もそうした関心を持っているつもりでありますが、
先ほど申し上げたのは、確かに私が大規模なチリ津波が
やってきた跡を見たのは今から約40年前の三陸を歩いたときで
ありましたので、そのときのことと混同していたことに
ついては申しわけないと思います。
○赤澤委員
今のお答えで、本当に総理が災害対策についての能力を
お持ちでないということがわかったと私は思うんです。
まとめます。
菅総理には、少なくとも監督責任ということで、この不作為に
ついて責任をとって、私はやめていただきたいと思っています。
そしてまた、災害対策について、自公両党と政府・与党の
力量差が圧倒的なんですよ。
だから、一般的な問題設定を間違えていますよ。
政府・与党に野党が震災対応を協力しないのがおかしいんじゃなくて、
自公両党が共同で出すもの、これをできる限り
丸のみしてくださいよ。
それが一番、震災対応を進める、スピードをアップする、
その力になるんです。
瓦れき処理法案、賠償金仮払い法案、
二重ローン対策法案、そして災害弔慰金支給法案、
私立学校災害復旧特別助成法案、
すべて我々の党そして公明党と考えをそろえて出していますから、
やってください。
よろしくお願いします。
そのことを申し上げて、私の質問を終わります。
ありがとうございました。
>半年前の原発事故想定の原子力総合防災訓練の中身を、
すっからかんで、全く覚えていなかったのと全く同じことこの事についても本当に怒りが湧くのですが、
この時の質疑は下の動画で見ることが出来ます。↓
★議事録はこちら。↓
★第177回国会 予算委員会 第11号 平成23年4月18日 議事録★2011.4.18 参議院予算委員会集中審議原発事故が起こった当時、原子力緊急事態宣言の発出後、
原子力災害対策本部を直ちに立ち上げるべきところを
2時間以上も掛かってしまったことなども取り上げられています。
そして本当は東日本大震災の時には、なによりもまず
「非常事態宣言」を出すべきだったんです・・・。
何もかもマニュアルを完全無視した菅直人民主党政権・・。
何度見ても怒りが・・。
「津波対策法案」についてですが、2011年6月10日に
衆議院本会議で可決し、6月17日に参議院本会議で
可決・成立、そして6月24日に公布・施行されました。
この前年、小野寺議員らがこの法案を初めて衆議院に
提出したのが、赤澤議員が説明しているように6月11日
でした。
震災後、ほぼそのままであっという間に成立したわけ
ですから、前年に提出された時も与党民主党がもし
たなざしにせずに審議されさえすればスムーズに法
案は成立するはずだったと思います。
しかし、そうはならなかった。
これこそが
「政治の不作為」というものなのです。
もう4年前となるのですね。
あの時の民主党。
連中がやってきたことをどうか皆さん知ってください。↓
連中はクズです。本当に。
★東日本大震災の原子力被害者早期救済法『 仮払い法 』 は何故、時間がかかったのか?(その1)★東日本大震災の原子力被害者早期救済法『 仮払い法 』 は何故、時間がかかったのか?(その2)★東日本大震災「二重ローン救済法」を振り返る。 なぜ「ねじれ解消」が必要なのか?民主党政権は絶対にやってはならない
「政治の不作為」を
あの東日本大震災の後でさえ続けたんです!
2011年(平成23年)9月26日 衆議院・予算委員会での、
自民党 吉野正芳議員の発言です。↓
平野(復興)大臣、この法(仮払法)の趣旨が
わかっていないですね!
一義的に東電が対応しても、国がきちんと
「仮払い」をしていくということなんです。
そして、そこの足らず前を、基金をつくって、
そこのいわゆる原賠法で対象にならない部分は
福島県の判断でつくっていくという、いわゆる
足らない、狭い、ここを補ったのがこの緊急措置法
なんです。
きちんと法を理解してください!
我々は立法府です!
立法府の我々がつくったものをなぜ執行しないんですか!
総理、もう一回答弁してください。
(上記リンク先記事をどうか参考にご覧ください。)この吉野議員の
「我々は立法府です!」という言葉。
通常、法案の殆どは、政府与党側が立案、提出して
審議へと進みますが、民主党政権は震災時、その立案すら
ままならなかったんです。
でもマスコミは、「自民党が動かないから何も進まない」と
言い続けました。
実際には、自民党が中心となって600近くの政策提言をし、
それをもとに多数の法案を提出・成立させていたんです。
また、その間も、あまりにも政府の対応が遅く、遅々として
対策が進まないため、議員提出の方法、いわゆる「議員立法」で
法律案を提案し成立させるよう懸命に動いていたのも自民党でした。
★これまでの自民党の震災対策 平成23年8月31日 自由民主党HPしかし、
これらの成立を阻み、さらにやっと成立まで
こぎつけた後も、法を執行さえしようとしなかったのは
民主党なんです!!!執行する権限は当然立法府である与党民主党にあります。
野党の自民党はあくまで立法府側であり、執行は出来ません。当然ですが
立法府と
行政府はこのように全く違います。
しかしマスコミは、それを敢えて曖昧にし、何もかも一緒くたに
して国民を騙し、全てを自民党のせいにしました!
2011年3月11日から約1週間。
私は、テレビの前で民主党政権を応援しましたよ。
連日連夜、テレビで記者会見していた枝野に向かって
「頑張ってくれ!」と。
「被災地を助けてくれ!」と。
「民主党を絶対に許さない!」と思っていたこの私が、です。
でもそれは全て裏切られました。
震災当初に
復興大臣だった松本龍が、村井宮城県知事に対して
非常に高圧的な態度を見せ、被災地に対する「上から目線」の
言動で6月に辞任しました。
しかしその後を受けて
復興大臣になった平野も、内閣府副大臣として
震災直後10日もしないうちのNHKの日曜討論で、
津波の被害で大混乱に陥りながらも必死で動いている被災地の
地元自治体の状況を誰もが理解できる中で、こう言い放ったんです。↓現地のスタッフは自分で責任を持ってやるという
覚悟を持ってやってもらいたい。
なにか上の判断を仰がなきゃ決断ができないとかですね、
それはもう是非やめていただきたい。
番組終了間際の言葉でした。
私はこれを生放送で聞いて呆然としました。
耳を疑いました。
「何を言ってるんだ、こいつは!」と怒りが湧きました。
多くの自治体職員が自ら命を失い、家族を失い、
精神的にも体力的にも「限界」を超える中で、
心も折れる状態でやっていた、その人達に対して、
この言葉ですよ・・。
現場を馬鹿にし、蔑ろにするこの言葉・・。
松本が辞めたあと、この平野が復興大臣と聞いて絶望しました。
松本と同じ神経の持ち主だと、あのNHKでの「発言」で、
既に判っていたからですよ。
冷酷で、無慈悲・・。
本当に酷い・・。
宮崎の口蹄疫の時と全く同じなのだ、
連中は変わらない、決して。
日本国民がどうなっても本当にいいのだ、
民主党の連中は・・。
そう思いました。
「政治の不作為」この大きな、非常に重大な過ち。
これを何の責任を取らぬまま、今ものうのうと国会に
いるという現実。マスコミが事実を伝えていれば、伝えてさえいれば、選挙で菅直人が比例復活できるほどの票は入って
いないはずなんです。
そして、今回の訴訟のように、被災地の中で、
やりきれない思いを被災者同士が互いに持つことも
なかったのではないか・・。
そう思うと、
民主党の罪の深さ、そして
マスコミの罪の深さを
改めて感じるのです・・。
悔しい思いでいっぱいになります・・。
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