ロンドンオリンピック 2
- 2012/08/01
- 19:36
柔道。
毎年、金が何個取れるか、それがとにかく先行話題で、選手がどんどん蔑ろにされてるなぁと
感じる競技です。
正直言って、今の柔道は、外国人のための「JUDO」になってしまった。
お家芸と言われてるけど、もう、国際試合の柔道はかつての柔道じゃなくなってしまった。
そう思わなくてはいけないと思います。
前回の北京で特に思ったのは、タックルして足を取りにいくことがやたらと多かったですよね。
レスリングとどこが違うのか???とたびたび思いましたけど。
今回、殆ど見られなくなったのは、ルールが決められたのかもしれないですね。
それは良かったのですが、今回も、組み手が出来ない、いわば、前襟をつかめない。
前襟を掴みにいく日本選手の手を、払って、払って、払い続ける。
そうこうしてるうちに、日本選手に指導が来たりする。
面白くないです。試合が。
しかも外国人選手を見てると、胴着が滅茶苦茶。
それほど動いてない段階から、もう胴着が崩れて、肌が露になってることがやたら多いのです。
胴着は黒帯でしっかり締められているはずなのに。
実際、海老沼選手の胴着は余り崩れませんでした。
なぜかと言えば、ものすごくしっかり黒帯で締められていたからです。
海老沼選手の相手だった韓国の選手は特に酷かったですね。
なにかちんちくりんの胴着で、帯が解ける前に、すでに
腕を上げただけで帯から上に胴着の下が出てきて、
べろんべろんになっていました。
しかも袖も滅茶苦茶短い。
相手に前襟を掴まれても、しっかりと踏ん張りが効かないようにできますよね。
袖だって、掴まれにくいし。卑怯な手口ですよね。
で、ちっとも直さない。審判も何も言わない。
この試合で、審判の判定が、ビデオ判定するジュリーによって完全に覆され、
勝利できた海老沼選手。
でも審判の青旗がそもそも異常でした。
3人とも韓国選手の勝ちにしてたんですよね。
取り消されたけど、有効を取ったに等しいエビちゃんに対して、白旗1本もなしって
絶対におかしいでしょう。
まぁ、この試合は、完全に審判のレベルの酷さに驚くしかありません。
次の試合、海老沼さんの一本、きれいだったですね。
海老沼さんが技を仕掛けたとき、相手選手の頭と足の位置が
完全にひっくり返って逆立ち状態で浮いていましたね。
やっぱり柔道の「一本!」は素晴らしいです。
銅メダルでしたけど、あの一本が見られたことがどれだけ嬉しかったことか。
日本の柔道界も厳しい選択を迫られているように思います。
「勝って当たり前の柔道」はもはや難しいです。
柔道自体が国際化によって完全に変わってしまったから。
全くの素人の自分の提案ですので、笑ってもらってもいいのですが、
勝つためのJUDOじゃなくて、
「一本」で勝つ「柔道」を目指せばいいのじゃないかって思うのです。
これで「負け」ても日本人は文句言うなよ!
ってくらいの気持ちで行った方がいいんじゃないかって思うのです。
勿論選手本人は、金メダルを取りたいでしょうね。
もう、銀、銅が取れても嬉しくないのですよね。
そこも何かおかしいような気もするのです。
勿論悔しい思いでそう思うのは一向に構いません。
思う存分力を発揮できなかった、そういうことで悔しい思いをするのも
勿論一向に構わないのです。
なんていうか、一本を取りにいくことを目標にするのと、
金を目標にするのと、違うのではないかと。
解っていただけますでしょうか。
海外の選手は、方法はどうであれ、金を取れればいい、そう思っている。
でも日本人選手にはそこに落ちて欲しくないのです。
一本が取れなかった。それによって負けた。
そう思えるようになればと。
じゃあ、一本が取れなくても勝って金メダルって喜んではいけないのか?
そう言われそうだけど、そうじゃなくて、
必ず一本を取りにいく、取れなくてもその姿勢が勝ちに繋がったのなら納得できるでしょうし。
勝負は勝つか負けるか。
柔道の一本技は、本当に人が殺せる位のものだと聞いたことがあります。
死なないように受身をとことんやるんですよね。
いわば、そこが柔道から外れてしまえばただの危険なスポーツになる。
なんか外国人の試合見てると、受身が軽視されて、いつかとんでもないことが
起こるんじゃないかって不安にもなります。
ただでさえ、危険行為をけっこうしますもん。
柔道って、死ぬか生きるか。武道精神にも繋がっていますよね。
そこが、あやふやになって来てるんだと思います。
武道って、それほど緊張感に満ちたものであるから、礼節も厳しいのだと思います。
生半可な気持ちでやってはいけないのでしょう。
そのようなことを、日本では伝授することは出来るかもしれないけれど。
外国では先ず無理でしょう。
単なるスポーツとしてしか見られてませんから。
だから一本も軽視しがちになる。そうなれば受身もだんだんおろそかになる。
そんな未来予想図も見えてきます。
日本の柔道界は。どちらを選択するか。
とても難しいと思います。
だから、そこに楔を打つためにも、
柔道というものを、スポーツとしてのJUDOとして残すよりも、
日本の柔道として残すためにも、
「一本を取る。」
このことを、まず金メダルよりも優先しなくてはいけないのではないかと思うのです。
一本の重視により、同時に『受身」というものが自分を守る為にどれほど絶対的に重要な
ものであるか。徹底的に覚えこませる。
これは、中学校などで、柔道の事故が起こることを防ぐ最大の手立てにもなると思います。
日本の武道は刀を持ちます。
柔道は刀を持たない。だから柔道と言うのかもしれない。ふとそう思いました。
でもどちらも、「生きるか死ぬか」。だからこそ、卑怯な真似をせず、
前を向いて正々堂々と戦う。
「負け」は死と同じ。だからこそ「礼節」を重んじる。
国際化=スポーツ化。
『礼節」が自然と離れていく。それは「死」と隣りあわせではなくなるからだ。
仕方がないところだと思います。
が、柔道の技は甘く見ると「死」を招くことを決して忘れてはいけない。
「一本」を取ることと、「金メダル」を取ること。
結果これが重なれば、一番嬉しいが、簡単にはいかないと思います。
でも、日本の柔道を守る為に、やはり、はっきりと方向性を示した方がいいのではないでしょうか。
柔道の一本は素晴らしいです。
礼に始まって礼に終わる。これもまた素晴らしい。
畳の上での「礼節」は、畳の上で「武器を持たない素手での命をかける戦い」を行う柔道家たちが
心から行う行為であるべきだと考えます。
日本人だけでもそのことを忘れずに柔道というものを見守っていくべきだと思います。
他のスポーツとは違う。
金メダルの価値もそう考えれば違って見えてくる。
海老沼選手の一本勝ちの試合を見たとき、日本人が求めるのは本当に金メダルなのか、
なにを見たいのか、何を求めてるのか、なんとなく感じました。
皆さんはどう思われるでしょうか。
毎年、金が何個取れるか、それがとにかく先行話題で、選手がどんどん蔑ろにされてるなぁと
感じる競技です。
正直言って、今の柔道は、外国人のための「JUDO」になってしまった。
お家芸と言われてるけど、もう、国際試合の柔道はかつての柔道じゃなくなってしまった。
そう思わなくてはいけないと思います。
前回の北京で特に思ったのは、タックルして足を取りにいくことがやたらと多かったですよね。
レスリングとどこが違うのか???とたびたび思いましたけど。
今回、殆ど見られなくなったのは、ルールが決められたのかもしれないですね。
それは良かったのですが、今回も、組み手が出来ない、いわば、前襟をつかめない。
前襟を掴みにいく日本選手の手を、払って、払って、払い続ける。
そうこうしてるうちに、日本選手に指導が来たりする。
面白くないです。試合が。
しかも外国人選手を見てると、胴着が滅茶苦茶。
それほど動いてない段階から、もう胴着が崩れて、肌が露になってることがやたら多いのです。
胴着は黒帯でしっかり締められているはずなのに。
実際、海老沼選手の胴着は余り崩れませんでした。
なぜかと言えば、ものすごくしっかり黒帯で締められていたからです。
海老沼選手の相手だった韓国の選手は特に酷かったですね。
なにかちんちくりんの胴着で、帯が解ける前に、すでに
腕を上げただけで帯から上に胴着の下が出てきて、
べろんべろんになっていました。
しかも袖も滅茶苦茶短い。
相手に前襟を掴まれても、しっかりと踏ん張りが効かないようにできますよね。
袖だって、掴まれにくいし。卑怯な手口ですよね。
で、ちっとも直さない。審判も何も言わない。
この試合で、審判の判定が、ビデオ判定するジュリーによって完全に覆され、
勝利できた海老沼選手。
でも審判の青旗がそもそも異常でした。
3人とも韓国選手の勝ちにしてたんですよね。
取り消されたけど、有効を取ったに等しいエビちゃんに対して、白旗1本もなしって
絶対におかしいでしょう。
まぁ、この試合は、完全に審判のレベルの酷さに驚くしかありません。
次の試合、海老沼さんの一本、きれいだったですね。
海老沼さんが技を仕掛けたとき、相手選手の頭と足の位置が
完全にひっくり返って逆立ち状態で浮いていましたね。
やっぱり柔道の「一本!」は素晴らしいです。
銅メダルでしたけど、あの一本が見られたことがどれだけ嬉しかったことか。
日本の柔道界も厳しい選択を迫られているように思います。
「勝って当たり前の柔道」はもはや難しいです。
柔道自体が国際化によって完全に変わってしまったから。
全くの素人の自分の提案ですので、笑ってもらってもいいのですが、
勝つためのJUDOじゃなくて、
「一本」で勝つ「柔道」を目指せばいいのじゃないかって思うのです。
これで「負け」ても日本人は文句言うなよ!
ってくらいの気持ちで行った方がいいんじゃないかって思うのです。
勿論選手本人は、金メダルを取りたいでしょうね。
もう、銀、銅が取れても嬉しくないのですよね。
そこも何かおかしいような気もするのです。
勿論悔しい思いでそう思うのは一向に構いません。
思う存分力を発揮できなかった、そういうことで悔しい思いをするのも
勿論一向に構わないのです。
なんていうか、一本を取りにいくことを目標にするのと、
金を目標にするのと、違うのではないかと。
解っていただけますでしょうか。
海外の選手は、方法はどうであれ、金を取れればいい、そう思っている。
でも日本人選手にはそこに落ちて欲しくないのです。
一本が取れなかった。それによって負けた。
そう思えるようになればと。
じゃあ、一本が取れなくても勝って金メダルって喜んではいけないのか?
そう言われそうだけど、そうじゃなくて、
必ず一本を取りにいく、取れなくてもその姿勢が勝ちに繋がったのなら納得できるでしょうし。
勝負は勝つか負けるか。
柔道の一本技は、本当に人が殺せる位のものだと聞いたことがあります。
死なないように受身をとことんやるんですよね。
いわば、そこが柔道から外れてしまえばただの危険なスポーツになる。
なんか外国人の試合見てると、受身が軽視されて、いつかとんでもないことが
起こるんじゃないかって不安にもなります。
ただでさえ、危険行為をけっこうしますもん。
柔道って、死ぬか生きるか。武道精神にも繋がっていますよね。
そこが、あやふやになって来てるんだと思います。
武道って、それほど緊張感に満ちたものであるから、礼節も厳しいのだと思います。
生半可な気持ちでやってはいけないのでしょう。
そのようなことを、日本では伝授することは出来るかもしれないけれど。
外国では先ず無理でしょう。
単なるスポーツとしてしか見られてませんから。
だから一本も軽視しがちになる。そうなれば受身もだんだんおろそかになる。
そんな未来予想図も見えてきます。
日本の柔道界は。どちらを選択するか。
とても難しいと思います。
だから、そこに楔を打つためにも、
柔道というものを、スポーツとしてのJUDOとして残すよりも、
日本の柔道として残すためにも、
「一本を取る。」
このことを、まず金メダルよりも優先しなくてはいけないのではないかと思うのです。
一本の重視により、同時に『受身」というものが自分を守る為にどれほど絶対的に重要な
ものであるか。徹底的に覚えこませる。
これは、中学校などで、柔道の事故が起こることを防ぐ最大の手立てにもなると思います。
日本の武道は刀を持ちます。
柔道は刀を持たない。だから柔道と言うのかもしれない。ふとそう思いました。
でもどちらも、「生きるか死ぬか」。だからこそ、卑怯な真似をせず、
前を向いて正々堂々と戦う。
「負け」は死と同じ。だからこそ「礼節」を重んじる。
国際化=スポーツ化。
『礼節」が自然と離れていく。それは「死」と隣りあわせではなくなるからだ。
仕方がないところだと思います。
が、柔道の技は甘く見ると「死」を招くことを決して忘れてはいけない。
「一本」を取ることと、「金メダル」を取ること。
結果これが重なれば、一番嬉しいが、簡単にはいかないと思います。
でも、日本の柔道を守る為に、やはり、はっきりと方向性を示した方がいいのではないでしょうか。
柔道の一本は素晴らしいです。
礼に始まって礼に終わる。これもまた素晴らしい。
畳の上での「礼節」は、畳の上で「武器を持たない素手での命をかける戦い」を行う柔道家たちが
心から行う行為であるべきだと考えます。
日本人だけでもそのことを忘れずに柔道というものを見守っていくべきだと思います。
他のスポーツとは違う。
金メダルの価値もそう考えれば違って見えてくる。
海老沼選手の一本勝ちの試合を見たとき、日本人が求めるのは本当に金メダルなのか、
なにを見たいのか、何を求めてるのか、なんとなく感じました。
皆さんはどう思われるでしょうか。
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