北朝鮮拉致事件と従軍慰安婦捏造の関連性。1988年と1991年は重大な鍵となる年だった。
- 2014/09/21
- 08:59
思ったこと。
拉致事件は現在進行形の犯罪です。
脱北者や、帰還事業によって北朝鮮に渡った人たちが
北朝鮮で苦しい生活を強いられているという「人道的問題」
と、事ある毎に、同列に扱われ、絡められてきましたが、
全く次元が違います。
有田芳生が、やたらと国会の拉致問題の対策委員会で
取り上げクローズアップさせてきた、墓参事業とも
全く次元が違います。↓
★民主党、有田芳生の許しがたい拉致問題利用。
目的は「日朝国交正常化」と「賠償金」でしかない。
http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-399.html
そして、この12年間、何度も何度も、こういった問題が
取り上げられてきたことによって、後退してきたのが
拉致事件です。
拉致事件は、北朝鮮の日本人に対する国家犯罪です。
誘拐です。
連れ去られたんです、無理矢理。
それこそ、日本が捏造証言によって貶められ続けてきた
「強制連行」という言葉を彷彿とさせる事件なんです。
もしかしたら「強制連行」という言葉は、拉致を実際に
行った北朝鮮と、そこに巣食う共産主義者が、拉致事件を
覆い隠すために仕掛けてきたものではないのかという
推測も出来るのではないか。
吉田清治が
「私の戦争犯罪 ー朝鮮人強制連行ー」を
出版したのは1983年です。
有本恵子さんが拉致されたのが同じ年の1983年。
拉致事件は、日本政府が認定している拉致被害者の
多くが1977年から1983年に集中しています。
吉田清治のこの本は、戦後30年以上経ってから
当事者自身の口から初めて「強制連行」という国家犯罪が
告発された、というのが最大のセールスポイントだったと
いいます。
南京大虐殺も、731部隊に関する「人体実験」も
それを証明するものとして利用された凄惨な場面の
写真の数々は、中国でかつて行われたものだと
判明し、捏造であることが明らかになりました。
これら日本を貶める歴史捏造は、結局、
中国がやってきたことの裏返しでもあった
わけです。
それを考えると、「強制連行」も同じなのではないか。
共産主義者が考えることは同じです。
拉致事件は北朝鮮の国家犯罪です。
「強制連行」も「日本の国家犯罪」に仕立てあげようと
いう目的を持った捏造だった。
吉田清治のことはあまり表には出てきません。
でも私には拉致事件と関係があったのではないかと
思えて仕方がありません。
ちょっと振り返ってみます。
1987年11月29日。
大韓航空機爆破事件がありました。
同年12月1日、金賢姫がバーレーン空港で
現地警察に逮捕されました。
そして、この事件が北朝鮮による国家犯罪だと
いうことが判明しました。
動機は翌年ソウルで行われたソウルオリンピックの
妨害をし、また、当時の東側諸国のボイコットを
誘発させるためだっだと言われています。
★北朝鮮による日本人拉致に対する我が国の取組
~拉致被害者等支援法改正案の成立を受けて~
(外交防衛委員会調査室 2010年5月)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2010pdf/20100501071.pdf
【北朝鮮による日本人拉致に対する我が国の取組】
(外交防衛委員会調査室 2010年5月)より抜粋
1.日本政府の拉致事件に対する認識
2002年9月の日朝首脳会談において
金正日総書記が北朝鮮による日本人拉致を
認めるまで、その真相は常に疑いとして扱われ
事実確認が遅れることとなった。
現在、政府の拉致問題対策本部のウェブ・サイトには
「1970年代から1980年代にかけ、多くの日本人が
不自然な形で行方不明となった」
と説明されているがそれ以前からの拉致の可能性も
払拭できていない。
1980年1月7日にはサンケイ新聞が
「アベック3組ナゾの蒸発」として
「外国情報機関が関与?」と報道したものの、
問題として大きく取り上げられることはなかった。
北朝鮮による日本人拉致が現実味を持って
語られたのは、1987年11月の大韓航空機爆破事件が
きっかけだった。
大韓航空機爆破事件の実行犯である北朝鮮工作員
・金賢姫(キム・ヒョンヒ)が、1988年1月15日の
記者会見の席で、日本人偽装の教育を受けたのは
「日本から北朝鮮に拉致された31歳の女性(李恩恵)」
だったことを明らかにして注目された。
この「李恩恵」(リ・ウネ)については、1991年5月15日、
埼玉県警が田口八重子さんの可能性が高いと発表した。
国会では、1988年3月26日、参議院予算委員会における
質疑に対し、梶山国家公安委員会委員長(以下、肩書きは当時)が
「一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による
拉致の疑いが十分濃厚」
と答弁し、政府は北朝鮮による拉致を初めて認めた。
「李恩恵」問題については、この当時、進行していた
日朝国交正常化交渉においても、第3回交渉
(1991年5月20日~22日)で日本政府が初めて
提起したが、北朝鮮は強く反発した。
1992年11月の第8回交渉で北朝鮮側は核問題を
理由に協議を中断させたが、表面的には「李恩恵」問題を
理由に打ち切っている。
重大な年として、一つは1988年を注目しなくてはいけないと
思います。
1988年は、外交防衛委員会調査室書に書かれて
ある通り、金賢姫が記者会見で、自分の教育係が
「日本から北朝鮮に拉致された李恩恵という女性」と
証言した年です。
記者会見は1月15日でした。
そして、同年の1988年3月26日には、国会で初めて
北朝鮮による拉致事件が起こっていたことが
濃厚であると認められたのです。
一方、慰安婦問題について、吉田清治の捏造本の後、
より具体的な動きの始まりを見てみます。
★「慰安婦」問題と歴史修正主義についての略年表
《1988年》
2月12日~2月21日
韓国教会女性連合会の尹貞玉ら3名が、
福岡から沖縄まで慰安婦の足跡を追う調査
7月20日
韓国教会女性連合会、「挺身隊研究委員会」設置
1988年に動き出したことが判ります。
ちなみに韓国教会女性連合会については、
北朝鮮工作機関と連携し北朝鮮の利益を代弁する
親北団体であるとして、韓国治安当局が「監視」
している団体なのです。
そして、もう1つ非常に重大な年は1991年です。
朝日新聞の記者、植村隆が韓国特派員時代、
初めて慰安婦に関する記事を朝日新聞に
掲載したのが、1991年8月11日でした。
その僅か3ヶ月前の同年、1991年5月下旬、
3回目の日朝国交正常化交渉で日本政府が初めて
北朝鮮に対して拉致問題を提起したのです。
そして、1991年以来、政府は、機会あるごとに
北朝鮮に対して拉致. 問題を提起しましたが、
北朝鮮側は頑なに否定し続けた。
朝日新聞は、吉田清治の本を元に16回もの記事を
書いただけでなく、吉田清治自身が1995年には既に
「慰安婦狩り」が創作であったことを認め、捏造で
あったことが判明したにも拘らず、その後も頑なに
「軍による強制連行」をまるで事実であることとして
記事にし、扇動し続けた。
北朝鮮は韓国を共産化(赤化)するための南鮮工作を
絶えず仕掛けてきていますが、慰安婦問題も
北と繋がる共産主義者が仕掛けたものと
見ていいのではないか。
「性奴隷」を執拗に国連で広める工作をし続けてきた
戸塚悦郎という弁護士。
戸塚は、日弁連の「NGO資格」を持って、
経済社会理事会に含まれる国連人権委員会で
「性奴隷」の意味である英語の「sex slave」を徹底的に
広めていきました。↓
★論点をすり替えながら日本人を強姦魔に仕立てようとする
報ステやTBSの卑怯さには本当に反吐が出る。
http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-473.html
この戸塚悦郎の国連ロビー活動は、
1992年から1995年の4年間で海外渡航18回、
うち訪欧14回、訪米2回、訪朝1回、訪中1回と
執拗に繰り返されていました。
戸塚が国連ロビー活動を始めた1992年の前年の
1991年12月6日には高木健一、福島瑞穂ら
11人の弁護士が訴訟原告代理人となって、
金学順を含む3人の元慰安婦らが日本政府に
損害賠償を求める民事訴訟、いわゆる
「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」
を起こしました。
この訴訟と前後して戸塚悦郎は、慰安婦問題を
国会で取り上げていた社会党参院議員の本岡昭次を通じ、
慰安婦問題と関わるようになったということです。
★「慰安婦=性奴隷」生みの親は日本人弁護士
実態とかけ離れた慰安婦像独り歩き 産經新聞2014.7.27
日本政府が公式の場で、北朝鮮に対して拉致問題を
問い質し始めたのが1991年。
捏造された「従軍慰安婦問題」、そして「性奴隷」と
いう言葉を世界に向かって急激に連中が発信し
始めたのも、この1991年でした。
連動していると感じるのは私だけでしょうか。
朝日新聞は、慰安婦問題を火付けすることによって
公になりつつあった「拉致事件」をもみ消すつもり
だったのではないか。
人を貶める「捏造」というものは、捏造を行う本人が
そもそも自らが犯した罪を隠すために、
他人に罪を擦り付けるために為されることが
多いと思うのです。
朝日新聞は、北朝鮮の意向を汲むかのように
捏造による扇動を続けていった。
拉致事件は北朝鮮の国家犯罪です。
犯罪者から拉致された人たちを取り戻す。
原状回復させる。
当然のことを北朝鮮に求めるだけです。
脱北者や帰還事業で北に渡った人々云々は
北朝鮮国内でまずは自らが解決すべきことであって、
今、日本国が北朝鮮に求めることは拉致被害者奪還
だけです。
そして当然ですが、それが最も優先されるべきことの
はずです。
しかし、北朝鮮は今回、これらを絡めてくることで、肝心の
拉致被害者の帰国人数を誤魔化し、騙そうとしている。
日本国は北朝鮮という誘拐犯に対して
「我が子を返せ!日本人を返せ!」と
要求することだけに専念すべきです。
国民も同じです。
「人道的見地」などという言葉を
誘拐事件で言うでしょうか?
「とにかく返せ!」ですよね?
「人権」や「人道」という言葉は、こんなふうに、
拉致事件を他の問題と同列に扱い、曖昧にさせる
言葉だと思います。
拉致事件は明らかに「現在進行形の国家犯罪」です。
そして、この最も非難されるべき北朝鮮の
「国家の大罪」を覆い隠すために
捏造されたのが慰安婦問題だと。
私はそう思います。
この事を考えると、朝日新聞が行なってきたことは、
まさしく拉致事件解決を阻むための行為、
拉致事件解決を妨害するための行為であったと
言えます。
これを単なる「誤報」だの「過ち」だのと、軽い言葉で
終わらせていいわけがありません。
まさに外患誘致だと思います。
福島瑞穂も同罪です。
日本国内でスパイ活動をしているも同じです。
連中は、かつて「拉致はなかった」と答えていた。
そして、5人の拉致被害者が帰国した時、
テレビでは殆どが北の言いなりとなって
「一旦北に返せ!」と主張していた。
連中は、北朝鮮拉致事件が公になったと同じ時期に、
慰安婦問題で俄然動き出した。
拉致事件の存在はこういう連中によって強く否定され、
揉み消されてきた。
逆に北朝鮮を避難しようとすれば、その代わりに
「強制連行」や「慰安婦狩り」などという言葉を
出してきて、「日本がもっと酷いことをしたからだ」と、
「でっち上げ」によって言いがかりををつけてきた。
それは、2002年に拉致問題を金正日が認め、
国民の多くが事件を知るところとなった時からの
「北朝鮮を守るための口実」となっていた。
誘拐された、拉致された我が子を取り戻すことと
何故「日本の強制連行」を絡めるのか、当初、
「お花畑」思考だった私でさえ全く理解できなかったが、
連中にとっては、それが最も有効的な
北朝鮮批判封じの道具だったわけだ。
そして、第一次安倍政権を倒すことに成功した連中は、
ますます、従軍慰安婦捏造問題をエスカレートさせて
いくことになる。
日本国にはあまりにもスパイが多すぎる。
北朝鮮の拉致は「犯罪」であって「事件」だ。
「問題」という言葉で済むことではない。
この事件が今まで解決できなかった原因は、
日本国内の従軍慰安婦捏造事件に関わってきた
連中の売国行為にあると言っても過言ではないと思う。
拉致事件を解決するまで絶対に日本国民は
怒りを持つべきだ。
そしてこれら拉致事件解決の邪魔をしてきた連中を
絶対に許してはいけないと思う。
拉致被害者全員の奪還。
目的はこれのみ。
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