菅直人と朝日新聞。3年前の福島原発の現場を混乱させ、そして、その現場の人達を貶めた大罪。
- 2014/09/17
- 08:08
福島第一原発事故の政府事故調のヒアリング調書の中にある
池田元久元経済産業副大臣の調書。
この「池田調書」を読んでみました。
その中の前半部を書き出してみます。↓
★政府事故調査委員会ヒアリング記録 内閣官房HP 平成26年9月11日
★池田 元久 元経済産業副大臣 2012/2/9 事故対応全般について
【池田 元久 元経済産業副大臣 調書】
2012/2/9 事故対応全般について
(冒頭部分の中から一部転載)
まず冒頭陳述ではないけれども、あとの質問にも関わって
くると思うのですが、これをざっと言いますので、あとは詳しくは
メモランダムを後で読んでいただければいいので。
地震発生直後には、経産副大臣室におりまして
情報が次々入ってきて、経産省としては、途中省いて、
午後4時45分だと思うのですが緊急対策本部を開いた。
5時には池田副大臣を現地対策本部長として派遣することを
決定いたしました。
会議の終わる前に飛び出して、とるものもとりあえず
待たせていた車に乗った。
私は柳田さんと同様でありましたから、そういうときは
早いのです。
スクランブルでパッと出たのです。
ところが、黒木審議官が車に乗るからおかしいなと思って
いたのですが、車で行くというのです。
パトカーの先導が付くというのですが、パトカーの先導が来ない。
私の副大臣車の運転手さんが上野方面へ入って、1時間も
経ってしまった。
これはまずいと思い、松永の事務所に電話して、自衛隊の
ヘリを手配してくれと言いました。
上野近くまで行って、そこで市ヶ谷の方へハンドルを切って。
そこでパトカーがいましたけれども、その時はもう人が
いっぱいでした。
そこから30分ぐらいかかったかな。
後で参照して下さい。
時間が全部入っていますから。
それで市ヶ谷にようやく着いた。
ですから、もう8時半ぐらいになっていた。
それで小川勝也副大臣(※1)がいて、いろいろ自衛隊の
話を聞いて、準備ができたので飛び立った。
その時は我々の3人だけではなく、原子力保安院の
山本君とか、海老根君という、原子力安全委員会の
職員も一緒に行ったのです。
サイトの近くには着陸できない。
結局、大滝根山分屯地で航空自衛隊レーダーサイト(※2)が
ある。
標高1000m、まさに頂上にあるわけです。
そこに降りた。
そこでは自衛隊が迎えに来てくれて、コーヒー1杯
飲んだだけで、すぐに山を下りた。
山は真っ白で、自衛隊車の先導で雪道を下りて、
下に降りてきたら、それで12時前ぐらいに
オフサイトセンター(※3)に入った。
しかし、そこではDGというか、非常用ディーゼルが
働かなかったということで、幸いにして全く隣接地に
県の原子力センター(※4)がありまして、そこへ入った。
既に内堀副知事も来ておりました。
まず、出発の時の対応が悪かったということは、
後で指示しました。
そこでまず、状況把握をした。
非常に私にとってよかったのは、一緒に黒木審議官が
同行して、時間が車の中でありましたから、原子力事故とは
何かから、全部大体おさらいできた。
よかったと言ったら語弊があるけれども、NHKのニュースを
聞きながらどうするこうするというのは、無学文盲の僕でも
かなりわかった。
そこで、まず保安検査官が原子炉の状況を説明して
くれるのですが、要領を得ないわけです。
原子炉の圧力、湿度、水位ですが、どうもはっきりしない。
東電の係長を呼んで、ダウンスケールとかいろいろ、
計器が働かないとか勿論、あるわけですけれども、
もうちょっと事実のデータをしっかり把握するように
言ったのです。
特にベントが話題になっていましたから。
海江田が3時から記者会見をすることになっていましたので、
それはちょっと後です。
ベントは既に検討という話が出ていましたから。
ベントについては、私はやはりこれは放射性物質を
降らせるわけだから大変なことなのだと。
それをやるのが定石かもしれないけれども、
それをやるのならちゃんとしたデータが必要だと
いうことを言いました。
東電の係長に言いまして、保安検査官の方はどうも
ちょっと要領を得ないので、そのくだりは、詳しくは
ここに書いてあるとおりです。
それで私は、ベントについてもしっかり対応しなくては
いけないなと思い、それで初めは海江田大臣には
到着の報告はしたのですけれども、松本次官に、
ベントについてはまずデータの把握をしている、
ベントは一義的には事業者の判断でやるべきだと
いうことを言いました。
その後、保安院の会見で同様のことを言っている
わけです。
あまりにも政治が前のめりになっている印象もあったし、
そういうことを言ったわけです。
しかし、その班長が2時半ごろになったら、格納容器の
圧力が設計圧力を超えてきたということを言って
きましたので、私は別に決定権はないのだけれども、
了承したということがあります。
ですから、そこは大変緊迫していましたが、しっかりと
データの把握、冷静に対処しなくてはいけないとうことで
やっていました。
そのうち、3時前になって電源が復活したので、
オフサイトセンターに入ったわけであります。
それが1つ。
入った後の午前4時ぐらいになったら、今度は
菅総理が来るという話が入ってきたので、
後で詳しく見てほしいのですけれども、
これは困ったなと。
(11文字分黒塗り)事務的には来ても来なくても
いいのだけれども、要するに、全体の未曾有の
災害対策としては、私としてはこれはまずいのでは
ないかと。
つまり、津波も未曾有ですよね。
テレビで繰り返し報道されている。
家が流され、船が流され、港が渦巻いていて、
人が何人行方不明になっているかわからない状況で、
人命救助は72時間が鉄則ですよね。
ですから、それは72時間を有効に活用するというか、
72時間はしっかりと人命救助に努力すべきだと。
それから、現地の状況は確かに現地に来てみることも
できるけれども、後で言いますけれども、全体状況を
見るのは、今の時代では、東京が一番いいわけです。
ただそこへ来て施設の状況がわかるというのではなくて、
東京にいた方が事故対応がしやすいのではないかという
利点から、ちょっとまずいなと。
どうしても来るのであれば、一国の総理を安全に過ごす
というか、何らかの危険な目に遭わせるべきではないので、
オフサイトセンターに来なさいと黒木審議官に
言ったのだけれども、黒木審議官も保安院に
言ったのですけれども、後で聞くとどうも保安院止まり
だったらしい。
官邸との間にコミュニケーションが成立していないと
いうのかな。
これは何か理由があると、断定できないけれども
僕はあると思う。
それでいよいよ菅さんが来ました。
私が発表したわけではなく、メモランダムを書いて
ずっとフォローしている記者がいたから、それは
真面目なドキュメント記事として発表すると
言うものですから、それはやはり後々のために
必要だと思って出しましたら、何と管が
怒鳴りまくったことだけ書いてあるわけです。
非常に遺憾なのですが。
だけど、その内容は客観的な事実で、私だけが
感じたことではなくて、みんなその場にいた人は
感じて、ちゃんと裏を取ってあるわけです。
非常に強烈な印象ですから。
菅とは私はっずっと付き合いがあってよく知っている
わけです。
寺田補佐官とかよりはるか前から知っているわけです。
ずっと一緒にやってきて。
イラ菅で有名ですが、この日は特別なものがあって、
かいつまんで言うと、バスに乗り込んだら、私は
バスの配置を決めておいて、武藤さんと並んで
座ってもらったら、いきなりそこで怒鳴りつけて、
何が何だかわからない。
とにかくベントだと思うのですが。
今度は免震棟に入った。
そこに交代勤務だと思うのですが、作業員の人が
大勢いた。
中には上半身裸というか、除染などの人だと
思うのですが、大変だなと思ったのです。
その前で菅は何と言ったかというと、
何でおれがここに来たと思っているのだ
と言ったのです。
これには私はあきれました。
武藤や寺田に言うならまだしも、一般の人の前で
言ったので、イラ菅にしても今日は酷すぎるなと
思って。
秘書官なんかもみんなびっくりしたと思うのだ。
今度は上に上がっていって、武藤と寺田に会ったわけです。
それはここに書いてありますけれども、要するに
ベントについて言って、最後は決死隊を作ってでも
やると言ったので、そこはちょっと落ち着いた。
菅は落ち着いてなかったけれども、一応ちょっとね。
だけど途中、(2文字分黒塗り)に怒鳴ったり、
内堀に安定ヨウ素剤のことを聞いても、
つまらないことで怒鳴ってみたり、終始酷かった。
大荒れでしたね。
ただし、私に対しては何も言わない。
それは長いあれがあるのかもしれないが。
ただ、私にはドアを出るときに頑張ってと言いましたが、
そこは冷静だったかも知れないけれども、すごかったです。
私が言うのだから間違いない。
それでバスで、ごく近くのグラウンドから飛び立った
のだけれども、ヘリのエンジンが冷めてしまって
なかなか飛び立てなかった。
私達はずっと立っていましたよ。
もう帰れと言ったけれども、立って見送っていった。
事故対応そのものではないが、指導者論に
関わるのですがね、私も大学でリーダーシップ論を
やってくれというので頼まれてやっていましたけれども、
それだから言うのではないですよ。
ずっと政治家などを見ていて、まずいなと。
まず、サイトというか、原発の現場に来たことは、
私の考えは先ほど行ったような見解です。
それから、菅の態度については、大変遺憾だと
思うのです。
特に民間人に、
「一体何のためにおれがここに来たと思っているのだ」、
これは本当にあきれて、私は寺田に出がけに、
寺田もこの世界では新人みたいな人ですから、
寺田に「総理を落ち着かせろ」と。
文章は、落ち着かせろと私が言ったら偉そうだから、
落ち着いて何とかと書いてありますが、
落ち着かせろと言ったのです。
寺田は黙って聞きますよ。
それは私と彼の関係だったから。
副大臣といえども内閣の一員ですから、審議官とか武藤とか
副知事には申し訳なかったと謝った。
それぐらい大変な激昂でした。
僕は、人を後ろから鉄砲で撃つのは嫌いだから、菅さんにも
この文章を渡しました。
ただ、非常に遺憾なのは、打ち消しにかかって、
あの日以外は殆ど冷静だったと
朝日の記事で言わせたり。
ということは、あの日は激昂したということでしょう。
(40字1行で約11行分の黒塗り有り。)
それは余談ですが、私が一番考えたのは、指導者が
この災害に格闘しているわけですから、やはり指導者は
冷静でなければならないということ。
それで、中曽根さんのことを思い出した。
当時、中曽根さんの評価はよくなかった。
とくに総理になってから座禅を組んだ(※5)のは、
スタンドプレイ。
だけど、福島で私が考えたのは、中曽根さんを再評価
したんだよね。中曽根が座禅を組んだのは今にしてわかった。
つまり、指導者は冷静に、一国の総理はいろいろなことが
官邸にいれば来るわけですから、沈思黙考して
考えなければならんということで、やはりアレは彼にとって
必要だったのだと。
だから、座禅という方法でなくても、トップリーダーというのは、
静かに思い沈んで、時間が短くてもいいから思考はものすごく
大事ではないかと私はその時感じたのです。
それで秘書官にも言ったのです。
それがその1つ。
事故後の対応のハード面ではないけれども、いきなり冒頭の
指導者論みたいなので、ちょっと異質かもしれないけれども、
現実に起こったことですから。
今回あれでいろいろありますよね。
保安院長との意思疎通がどうだとか、
目の前にいたのにコミュニケーションをとれなかったとか。
(黒塗り2行)
そこはやはりコミュニケーションに問題があった
ということは言えると思うね。
これは憶測だからまだいいですけれども、要するに一般論から
言えば、年中怒鳴られたら、その人に相談しないよな。
僕らの事務所でも会社でも。
そこは裏がありませんから、わかりません。
それから、ちょっと異質な話をしましたけれども、
現地対策本部でありますが、人がだんだん集まって
きました。
初めオフサイトセンター機能不全と言われていましたが、
それはDGというか、停電したり何かしたりで初めこそ人が
いなかったのですが、東京から言ったら遠隔地でもありますね。
だけど、だんだん集まってきまして、菅総理が
帰った直後、すぐに会議を開きました。
そのときカウントしたわけではないけれども、
40人ぐらいだと思うのです。
(以下略)
■※1: 小川勝也副大臣は防衛副大臣。
■※2: 「大滝根山分屯地で航空自衛隊レーダーサイト」について。
★航空自衛隊 大滝根山分屯基地
任務
国産三次元型レーダー、通信機器等を装備する
レーダーサイトとして、我が国に侵入する弾道ミサイルや
航空機に対し、24時間態勢でレーダー等による警戒監視
及び戦闘機の要撃管制を実施すること等を主な任務と
しています。
大滝根山の気象
低温、強風の山岳的気象が特徴で、夏期は比較的
低温で過ごしやすい(過去10年間の8月の平均気温は18度)
反面、冬期には道路や各施設の凍結や着氷が激しい状況
(過去10年間の2月の平均気温は-5度/最低気温は-18度)
の中で、任務、訓練等を遂行しております。
沿革
大滝根山分屯基地は、昭和29年11月、福島県南相馬市
(旧原町市)に駐留していた米空軍警戒管制部隊の中に
航空自衛隊東部訓練警戒隊が発足し、日米の両部隊が、
当大滝根山に展開したことに始まります。

大滝根山分屯地で航空自衛隊レーダーサイト

■※3: オフサイトセンター
★福島県原子力災害対策センター
当時の所在地は福島県双葉郡大熊町。
■※4: 県の原子力センター
★福島県原子力センター
所在地は福島県福島市。
■※5: 中曽根元総理の座禅について。
中曽根氏は総理在任中、ほとんど毎日曜日に東京、谷中の
「全生庵」に通い、座禅を組んでいた。
※(○文字分黒塗り)、或いは(○行分黒塗り)、について。
⇒個人情報、第三者の権利・利益、国の安全等に係る
部分について、不開示することとして「黒塗り処理」が
為されています。
池田元久は、早稲田卒の元NHK記者で、1990年、
社会党から出馬して初当選しています。
そして、斎藤まさしが代表で北朝鮮と繋がる「市民の党」に
2008年、池田が代表を務める『民主党神奈川6区支部』から、
155万円の献金が行われています。
本人も言ってる通り、菅直人側の人間です。
また、当時の現地対策本部で1カ月の間に本部長が
何度も変わったということで国会で批判されていました。
その池田の、事故から約1年後のヒアリング調書です。
池田の政治思想は日本にとって危険であり、全く認めることは
できませんが、しかし、その池田でも、あの非常事態の中で、
政治家としてというよりも人として「認めざるをえないもの」が
あったのだと思います。
>大荒れでしたね。
>私が言うのだから間違いない。
この池田が、ここまで菅直人のことを言うのですから、どれだけ
菅直人があの当時「滅茶苦茶」で「支離滅裂」、そして「狂気」
だったかが判ると思います。
もう、「分別」、「常識」といったことから逸脱していますからね。
特に池田が言っているように、現場の一般の人たちに対しての
暴言は本当に尋常ではありません。
更に、池田が
>それは余談ですが
として、
40字1行で約11行分の黒塗り分の話を続けている
ところも非常に気になります。
勿論、菅直人に関しての供述なんでしょう。
とにかく、現場の人達に対する菅直人の異常極まりない
態度を想像すれば、吉田所長が、調書の中で菅直人を
「あのおっさん」
と言っていましたが、その言葉でもまだ気持ちを抑えていた
方だと私は思いますね。↓
★朝日新聞はまるで快楽殺人犯。
福島第一原発事故「吉田調書」に関する朝日の病的な捏造報道を見て思う。
もう一度、産經新聞からの吉田調書抜粋です。↓
--本店から逃げろというような話は
【吉田氏】
全くない
--「撤退」という言葉は使ったか
【吉田氏】
使いません、『撤退』なんて
--使わないですね
【吉田氏】
『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか
誰がいったか知りませんけども、そんな言葉、
使うわけがないですよ。
テレビで撤退だとか言って、馬鹿、誰が撤退なんていう
話をしているんだと逆にこちらが言いたいです。
--政治家ではそういう話になってしまっている
【吉田氏】
知りません。
アホみたいな国のアホみたいな政治家、
つくづく見限ってやろうと思って。
--ある時期、菅氏は自分が東電が逃げるのを
止めたみたいな(発言をした)
【吉田氏】
辞めた途端に。
あのおっさん(菅氏)がそんなの発言する権利が
あるんですか。
あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。
そんなおっさんが辞めて、自分だけの考えを
テレビで言うのはアンフェアも限りない。
事故調としてクレームつけないといけないんではないか。
〈政府事故調は菅政権が設置を決定。
23年6月7日の初会合で菅氏は
「私自身を含め被告といったら強い口調だが」
と発言した〉
--この事故調を自分(菅氏)が作っている
【吉田氏】
私も被告ですなんて偉そうなことを言っていたけども、
被告がべらべらしゃべるんじゃない、馬鹿野郎と
言いたいですけども。
議事録に書いておいて。
池田元久の言葉の中には、菅直人が朝日新聞に、
自分の都合のいいような記事を書かせたと取れる文言が
有ります。
この部分です。↓
>あの日以外は殆ど冷静だったと朝日の記事で
言わせたり。
で、産経も指摘している通り、政府事故調は菅直人が
自分で作ったものだった。
そして、吉田所長が言及している通り、
菅直人は、マスコミを使って都合のいい
ことばかり発信した。
そして、朝日新聞に当初から都合のいい記事を
書かせていた。
今回の朝日新聞の吉田調書は「誤報」なんかじゃない。
明らかに「捏造」です。
私が最も取り上げたいのは、前にも書きましたが、
朝日の記者が、「特集 吉田調書」のエピローグの
終わりにこんな言葉を書いていることです。↓
第1回の聴取の際、政府事故調は
「お話しいただいた言葉がほぼそのままの形で
公にされる可能性があるということをお含みいただいて、
それでこのヒアリングに応じていただきたいと思います」
と説明した。
吉田氏は
「結構でございます」
と即答したことをここに記す。
(宮崎知己)
★「アジアの捏造放火魔 朝日新聞!」 木村社長の記者会見を聞いても怒りが増すばかり・・・。
宮崎知己という記者に問いたい。
「即答」という言葉は,、まるで自分がその場所に
いたかのような表現ではないか。
そして、わざわざこの言葉を書いたのはなぜか。
朝日が行なった「独自入手」による公開を正当化するため。
いや、それだけではないと。
朝日新聞は、吉田所長の上申書の存在も知ってた。
だから
「絶対にもう『本当の吉田調書』は表には
出てこないだろう」
と思っていたのだと思う。
「捏造しても大丈夫だ。」
そう思っていたのだろうと。
※【参考】
吉田所長の上申書についてはこちらの記事をお読み下さい。↓
★朝日新聞のセンセーショナルな「吉田調書」報道は
イデオロギーに凝り固まった「現場無視」の異常な扇動報道だ!
本当に、わざわざ書く必要が有りますか?
「即答した」なんて。
絶対におかしいじゃないですか。
追及してくださいよ、誰か!
なぜ「即答した」とわざわざ書いたのか。
それも超「上から目線」で。
一体何様なんだ、この記者は!?
「誤報」なんて言葉で終わらせること自体が間違ってる。
「捏造」だということを認めさせるべきだ!!!
菅直人と、裏でこの企図をしたのではないか。
菅直人のブログも連動している。
このまま終わらせたくはないです。
もう1つ。
私は、オフサイトセンターは電源喪失で完全に機能不全に
陥ったとずっと思ていました。
でも復旧していた。
もしかしたら本来なら機能させることが可能だったのではないか。
菅直人が現場に行きさえしなければ。
菅直人は防災訓練をやっていた。
震災半年前に。
電源喪失を仮定した原発事故訓練。
オフサイトセンターと官邸との間で、
TVモニター等の通信を使って、現場との
やり取りをする訓練も勿論あった。
でもそのことを国会で聞かれても、菅直人は
思い出すことが出来なかった。
完全に内容さえ忘れていたのだ。
菅直人が防災訓練でオフサイトセンターを
利用していたことを思い出し、専門性の必要な
現場は現場に任せて、冷静に対処していれば・・・。
何もかもが、あの時、総理大臣が菅直人でなければ、と
悔やまれてならない。
朝日新聞もその菅直人をずっと擁護し続けた。
捏造してまで。
こんなことが許されていいんだろうか・・・。
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