ドイツ、W杯優勝おめでとう!!東日本大震災後のドイツのメッセージにも改めて感謝!!そして日本のサッカーはドイツから基本を学んだ!
- 2014/07/14
- 19:47
早朝4時からでしたがさすがに起きられず、
5時過ぎから見ました!
やりましたぁ~~!!


本当におめでとう!!

延長後半のゲッツェの決勝点、素晴らしかった!
そして、ノイアーがゴールデングローブ賞!!
ついでにMVPも取って欲しかったけど、何故かメッシ。
わけわかりませんが、もう、いいや。


とにかくドイツ代表の喜ぶ姿が見られて嬉しいです!!
それから、メルケル首相もやっぱり来てましたね。
こちらはドイツ政府スポークスマン、teffen Seibert氏のtwitter。↓
Foto - Bei Weltmeistern in der Kabine: Bundespräsident #Gauck und Kanzlerin #Merkel gratulieren (BPA) pic.twitter.com/hpTKjfNU32
— Steffen Seibert (@RegSprecher) 2014, 7月 14
今回日本代表が一次リーグ敗退してから、ブログで
何度か「ドイツ応援!!」を書いてきましたが、
何故応援していたかといえば、日韓W杯での
カーンやバラック、クローゼの活躍がやっぱり
自分にとっては凄く強烈で、そこからドイツが
好きになったからなのですが、もう一つの理由は、
やっぱり東日本大震災後のドイツ代表選手たちの
関わりが関係しています。
今までもちょこちょこ書いてきましたが、例えば
ノイアーのことだって、このW杯の期間中でなければ、
サッカーにそれほど関心のない人たちに
改めて知って貰う機会はないですから。
東日本大震災の直後に日本で予定されていた
「世界フィギュア」が開催できなくなった時、
ロシアが名乗りを上げて代理開催をし、その大会で
とても心のこもった「日本へのメッセージ」を
伝えてくれていたことを今年2月に知り、そのことを
ブログで書きましたが、ソチ五輪がなかったら、
関心を寄せてもらえなかったかもしれません。↓
★「2011世界フィギュアスケート選手権」。ロシアから日本への「心からのメッセージ」をご存知でしたか?

そしてあのことを書いた時に思ったのは、
東日本大震災の時に様々な形でいろんな国が
日本に支援をしてくれてメッセージを伝えてくれて
いたにもかかわらず、そのことを国民に伝えることを
マスコミが殆どしてこなかった、そのことに
とても腹立たしく思ったわけです。
どれだけ特派員がいても、記者がいても、マスコミが
流していたものは、中国、韓国に都合の良い報道
ばかりで、この2国の意に反することが起これば、
やれ「日本は世界から孤立している」というような
ことばかり吹聴し、結局、東日本大震災直後の
多くの国々からの支援やメッセージをほとんど
伝えることはありませんでした。
それはマスコミの意図的な報道でもあったわけです。
★ドイツの代表選手たちが関わってくれた出来事を
ここでもう一度書きますと・・・、
【その1】
★内田篤人選手とノイアー選手の約束。
東日本大震災。日本へのメッセージ★
★内田篤人選手とノイアー選手の約束。東日本大震災。日本へのメッセージ。
「日本の皆へ。
少しでも多くの命が救われますように。
共に生きよう!」
★これが内田選手からのメッセージでした。
内田選手は、2011年3月11日、
東日本大震災を知り、「サッカーやってていいのか」
という複雑な思いの中、被災者の方々へのメッセージを
白いシャツに書いて準備していました。
翌日の2011年3月12日。
内田選手が所属するシャルケ(ドイツ・ブンデスリーグ)の
試合がありました。
シャルケVSフランクフルト戦。
この試合前、手描きメッセージが書かれたシャツに気づいた
ゴールキーパーのノイアー選手。
「日本へのメッセージか? 今日それを見せるのか?」
内田選手。
「勝ったら見せようと思う。 負けたら見せない。」
ノイアー選手。
「じゃあ、勝つから。オレが守るから。今日は勝てるから。」
試合は1対1の同点のまま後半39分。
ノイアー選手のアシストキックから、決勝点となる
1点が入り、そのまま試合終了。
ノイアーの約束通り、シャルケは4試合ぶりに
勝利したのです。
GKのキックから生まれた貴重なゴールと勝利でした。
Schalke Frankfurt 12.3.2011
↑動画7分辺りから~
ノイアーのアシストキック。
得点後、内田選手はすぐにノイアーのところに駆け寄り
ノイアーと抱き合って喜んでいました。
ノイアーは十字を切って感謝を表しているのが分かります。
そして更に内田選手の頭をなでます。
試合終了後、チームはサポーターの前で
喜びを分かち合っていましたが、
内田選手はメッセージを書いたユニフォームを着て、
一人チームメイトから少し離れた所に立ち、
ドイツのテレビに向かってシャツに書いた
メッセージを送っていました。

しばらくしてチームメイトと共に
サポーターの声援の前から
静かに立ち去ろうとしたとき、
ノイアーがそれに気付き、
再び内田選手の背中を押しながら
サポーターの前へエスコートしました。
そしてそこで、内田選手は、もう一度、
今度はサポーターに向かって
メッセージを送ったのです。
ドイツ代表GK、ノイアーと内田篤人(2011年3月12日。シャルケ)↓

内田篤人 被災地へ向けてのメッセージ
【その2】
★ドイツ代表/ユーロ予選
スタンドに日の丸&日本の被災者にメッセージ★
ドイツ代表/ユーロ予選 スタンドに日の丸&日本の被災者にメッセージ
2011年3月26日、ユーロ2012の予選が行われた
スタジアムは、ドイツのカイザースラウテルン市にある
「フリッツ・ヴァルター・シュタディオン」というスタジアムで、
当日は4万7千の観客が入っていました。
カイザースラウテルン市は東京都文京区と姉妹都市を
結んでいて、また市内には小松製作所の海外生産拠点があり
交流を行っている小松市との友好都市締結も検討されている
そうです。
そして、このスタジアムは、2006年のドイツW杯で
日本がオーストラリアと対戦したスタジアムでも
ありました。
ちなみに2006年のドイツ大会の時、ドイツ代表は、
準決勝でアズーリ(イタリア)に敗退して、3位でした。
優勝はイタリア。
2011年3月26日、東日本大震災の15日後。
このスタジアムで、観客席に大きく広げられた日の丸と、
日本語のメッセージが掲げられる中、カザフの選手達と共に
黙祷をしてくれたドイツ代表。
↓当時のドイツ代表のスターティングメンバー。(YouTube動画概要より)
ノイアー
アオゴ
メルテザッカー
バドシュトゥバー
ラーム
ポドルスキ
ケディラ
エジル
シュバインシュタイガー
ミュラー
クローゼ
当時のドイツ代表スタメンの殆どの選手が
今回、ブラジルに来ていました。
勿論、レーヴ監督も。

うっちーのメッセージは、シャルケが試合に勝たなければ
あの場で日の目を見ることはなかった。
あの時、被災者の方達は、このメッセージを
見るすべなど勿論なく。
このメッセージを知った人たちも、恐らく「うっちー」のファンか、
サッカーファンでもごく一部であったと思います。
わたしは、やっぱりみんなに知って欲しいんです。
ノイアーがあの時、あのアシストキックをしていなければ
勝つことはなくて、あのメッセージを届ける機会もなかった。
ノイアーは、自分のパスがゴールへと繋がった時、
神様に感謝したんですよね・・。
「気持ちが通じた」という言葉がありますが、
この時のことはその言葉そのものだったと思います。
そして、ユーロ予選での大きな「日の丸」とドイツ代表らの黙祷。
これらも逆の立場で考えてみました。
そんなに簡単に出来る事だと思いますか?
ドイツのあの街の人達が、
サッカー関係者が、
とにかく多くの人たちが、
準備をしてくれて、メッセージを捧げてくれて、
そして黙祷を捧げてくたんです。
あのピッチの上には、誰一人「日本人」はいなかった。
日本には全く関係のない「ユーロ」の試合なんです。
それでもあんなふうにメッセージを送ってくれた。
日本にこのメッセージが届くようにと。
「ノイアー」と「うっちー」との約束は「やべっちFC」の番組で
流れました。
この大きな日の丸もサッカー関連の番組では流れたかも
しれませんが、それを見る人はほんの一握りです。
本当は、海外からのこういったメッセージをまとめて
伝えてくれる番組は必要だったのではないかと
今更ながら思います。
ほんとうなら、NHKがその役目を最も背負っている。
でもNHKはそういう役目を放棄していました。
他局だってそういう特集を組むところはなかった。
ネットで知ることができるけれど、自分から検索しない限り
知ることはなかなか難しいです。
それでもネットがあるからなんとか少しでも一人でも
知ることは出来る。
本当にほんの一握りだと思います。
このブログなんかは僻地ブログですし。
でもそれでも少しでも多くの人に、
今回のW杯でドイツが優勝したことをきっかけにして
ノイアー、ドイツ代表、ドイツのサッカー関係者、
ドイツの人々が東日本大震災後送ってくれたメッセージを
知ってほしいと思います。
勿論他の国々のサッカー関係者、クラブチーム、
選手達もメッセージを届けてくれたことも。↓
★東日本大震災。3年前に世界から送られた「心からの日本へのメッセージ」を知っておきたい。
最後に、
「ドイツが日本のサッカーの基本だった」
という話です。↓
オリンピック・メモリアル vol.3 日本サッカーの父 デッドマール・クラマーの言葉 日本オリンピック委員会HP
日本サッカーの父 デッドマール・クラマーの言葉
【日本サッカー界初の外国人コーチ】
日本がサッカーでオリンピックに出場したのは、
1936年第11回ベルリン大会が最初である。
その後、1956年の第16回メルボルン大会、
1964年第18回東京大会と出場するが、
ここまでメダルには届かず、次の1968年
第19回メキシコ大会で、初めて銅メダルを獲得する。
1993年にJリーグが誕生してからの日本は、
1996年第26回アトランタ大会から今年の北京大会まで、
厳しい予選を勝ち抜き4大会連続で出場している。
しかし、残念ながらメダル獲得までには至っておらず、
メダルはメキシコ大会の銅メダルのみである。
この唯一のメダル獲得を語るときに欠かせないのが、
現在「日本サッカーの父」と言われている日本初の
外国人コーチ、デットマール・クラマーである。
【「イメージは高く、大きく持て」】
クラマーは、東京オリンピック開催にあたって
ドイツから招聘された。
外国人コーチを日本に呼ぶ経験もなかった時代、
外国人を招聘することにさえも賛否両論があったが、
1959年の第55次IOC総会の決定により、日本は
1964年第18回オリンピックの東京開催という悲願を
達成していた。
サッカー日本代表選手たちは、東京大会での
メダル獲得を目指して国内外で経験を積んだが、
翌1960年に開催される第17回ローマ大会の予選で
韓国に1敗1分し、ローマオリンピックの出場権を失う。
東京オリンピックには開催国枠での出場が決定して
いるにもかかわらず、前哨戦ともいえるローマへの道は
途絶え、サッカー関係者の悩みは深刻であった。
関係者のこの時の落胆は、察するに余りある。
しかし、それにメゲルことなく、1960年夏、
「イメージは高く、大きく持て」というスローガンのもと、
日本蹴球協会(現日本サッカー協会)は、東京大会に
向けて旧西ドイツから旧ソ連まで武者修行の旅に
出るのだった。
この時期の協会機関紙を読んでみると、
戦術、フォーメーション、精神、ボール、グラウンドなど、
日本サッカーを立て直せんと懸命に分析している。
彼らの努力、真摯な気持ちが文章からにじみ出てくる。
1960年に初来日したクラマーは、東京オリンピックが
終了するまでの延べ約1年10カ月、日本サッカーの
基礎を築き上げた。
クラマーは基本の基本から徹底的に教えただけでなく、
「サッカーの哲学」を日本へ植え込んだ。
メダルを目指した東京オリンピックではベスト8に沈んだが、
その後も、ことあるごとに日本サッカーを見つめてくれた
「大恩人」なのだ。
【クラマーの5つの提言】
クラマーは東京オリンピック終了後の帰国にあたって、
5つの提言を残している。
1. 国際試合の経験を数多く積むこと。
2, 高校から日本代表チームまで、それぞれ2名のコーチを置くこと。
3. コーチ制度を導入すること。
4 リーグ戦を開催すること。
5. 芝生のグラウンドを数多くつくること。
今では当たり前のことのようであるが、当時は画期的な
提言であった。
この彼の提唱により1965年に日本サッカーリーグ(JSL)が
創設され、当時競技力の高かった大学の有望選手たちが、
続々と「日本サッカーリーグ参加チーム(実業団)」に
入団することになる。
この創設が1968年メキシコ大会銅メダルの栄光に
つながっていくのである。
クラマーは最初の練習の時、選手に言ったそうである。
「サッカーには人生のすべてがある。
特に男にとって必要なすべてがある」
「グラウンドはサッカーだけをやる所ではない。
人間としての修練の場である」
いい言葉である。
クラマーのコーチ風景
【言葉の魔術師】
「言葉の魔術師」といわれたクラマーは、
数々の言葉を残している。
日本蹴球協会編による名著
「日本サッカーの歩み―日本蹴球協会創立満50年記念出版」
(1974年・講談社刊)より抜粋する。
談社刊)より抜粋する。
1. タイムアップの笛は 次の試合への キックオフの笛である。
2. サッカーの上達に 近道はない。不断の努力 だけである。
3. ボールコントロールは 次の室にはいる鍵だ。
この鍵さえあれば サッカーというゲームは なんでもできる。
4. ボールをもっと可愛がれ。
ボールをきらえば ボールも君をきらう。
ボールになじみ ボールから自由になれ。
5. ガールハントをし 酒を飲み 煙草も吸いながら
一流のプレーヤーになろうと思っても それは不可能だ。
サッカーは 心の教育の場である。
6.. せっかくここまで盛り上がった サッカーだ。
これを栄えさせるか すたれさせるかは
君たちの肩に かかっている。
7. 君は今 たいへんなことをやろうとしている。
たいへんなことだから すばらしいのだ。
すばらしいことをする人間が くじけては いけない。
8. 背を向けて去るな。
みんな必要な人間なのだ。
9. 試合で勝った者には 友達が集まってくる。
新しい友達もできる。
本当に友人が必要なのは 敗れたときであり
敗れたほうである。
私は 敗れた者を 訪れよう。
10. コックが多すぎると スープがまずくなる。
11. 物を見るのは 精神であり 物を聞くのも 精神である。
眼それ自体は 盲目であり 耳それ自体は 聾である。
JSLは、1965年に第1回が行われ、第27回(1991~92年)まで続き、
Jリーグへと進化する。
(以下略)
日本が初めての外国人コーチを招聘した、
そのコーチはドイツの方だったんですね。
ドイツは「マイスター」など職人気質なところなど
日本とよく似ているといわれます。
私はサッカー素人なのでどんなことが日本のサッカーに
合っているのかハッキリとは分かりませんが、
ドイツのサッカーを「お手本」としていきた時代があって
そこで確実に進歩したのだなぁということを知りました。
また当時の日本の関係者たちが、サッカーを
強くしたいという強い思いを持って動いてったことも。
こんなことも偶然ですが、W杯のドイツ優勝を通じて
知ることが出来たわけで。
フィギュアスケートで感じたのと同じく、
「東日本大震災の「縁(えにし)」というものも、
やはり感じます。
★東日本大震災から、ソチ五輪まで。 辿って見えてきた不思議な縁(えにし)。
私はノイアーやドイツ代表に感謝します。
ドイツ代表、ありがとう!
そしてW杯優勝、おめでとうございます!!!
多くの人達がこれらのことを知る機会が増えますように。

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