「捏造」とは、
実際になかったことを
事実のように仕立て上げること。今朝、
テレ朝のモーニングバードで、塩村都議の野次について、
「『産めないのか』という野次がありました。」と
断定されたのを見ました。
前回書いた記事にも書いた、報ステでの「音声解析」とやらでは
記者は「『産めないのか』ですかねぇ。と誘導し、解析した会社側も、
「ですかねぇ・・」と「断定」出来なかった音声です。↓
★塩村都議の野次問題が日本人への「言論弾圧」と「性差別者」という「レッテル貼り」に繋がることをどうか知って下さい。自分が聞いても、とてもそうは聴こえない「シロモノ」であったにも
かかわらず。
正直、今回の件は、本当にうんざりですが、しかし、テレビ朝日が
番組で、とても「ある」とは思えない野次を「あった」と断言したことは
非常に重大で、この事こそ看過できない案件です。
これこそ「テレビ朝日」による重大な捏造事件だと
認識しなければいけないと思います。
私は、朝日新聞、テレビ朝日というメディアが本当に恐ろしいです。
こんなに簡単に
捏造するのだと。
こんなにあっさりと
捏造するのだと。
冤罪は本当にいとも簡単に作られるのだと。
もう
「なんでもあり」なのだと。
冤罪といえば、やはり、
「松本サリン事件」で犯人扱いされてしまった
河野義行さんのことが思い出されます。
あれからもう20年。
あの時のことを振り返ってみます。
★
内閣府のHPに、
『平成22年度「犯罪被害者週間」国民のつどい 実施報告』 というものがありました、↓
★平成22年度 「犯罪被害者週間」国民のつどい 実施報告「犯罪被害者週間」とは
犯罪被害者等が、犯罪等により受けた被害から立ち直り、
再び地域において平穏に過ごせるようになるためには、
国及び地方公共団体による施策を十分に措置すること
のみならず、地域の全ての人々の理解と配慮、そ
してそれに基づく協力が重要である。
犯罪被害者等基本計画(平成17年12月27日閣議決定)において、
「内閣府において、犯罪被害者週間(毎年11月25日から12月1日まで)を
設定し、当該週間にあわせて、啓発事業を集中的に実施する」
こととされた。
【平成22年度 「犯罪被害者週間」国民のつどい 千葉大会】
■ 主催
内閣府、千葉県、千葉県警察本部、(社)千葉犯罪被害者支援センター
■ 日時
平成22年11月28日(日) 13:00から16:30まで
■ 場所
千葉市民会館 小ホール
★13:25~14:25 基調講演
演題:「松本サリン事件の被害とは」
講師:河野 義行(松本サリン事件被害者)
この内閣府が主催する『「犯罪被害者週間」国民の集い』
における、河野義行さんの基調講演より抜粋します。↓
20年前の松本サリン事件のニュース報道、新聞報道が
否が応でも蘇って来ます。
特に大きくセンセーショナルな見出しは、
今でもよく覚えています。
あの時の「活字が踊る」さまも目に浮かんできます。
この裏側が一体どんな状況だったのか。
改めて報道被害の恐ろしさを感じます。
■千葉大会:基調講演 テーマ:「松本サリン事件の被害とは」 講師:河野 義行(松本サリン事件被害者)■千葉大会:基調講演 テーマ:「松本サリン事件の被害とは」
講師:河野 義行(松本サリン事件被害者)
(一部転載)
そして、今日は私の事例ですね。
これは犯罪被害者ですけれども、1年間加害者として
扱われました。
そのときに一体何が起こるのか、そんな話をさせて
いただきます。
事件が起こりましたのは、1994年6月27日、深夜です。
私は会社に勤めており1日の仕事を終え、
8時ちょっと前、家に帰ってきました。
そして家族と食事をし、新聞を読み、テレビを見、
全くふだんと変わらない1日が終わろうとしておりました。
時刻は11時ちょっと前です。深夜ですね。
突然飼っている2匹の犬が口から白い泡を吹いて、
けいれんしながら死んでいく。
それに引き続いて、妻、私、長女、次々と
体がおかしくなるわけです。
そして、私はすぐ救急通報します。
その後、妻に対して簡単な救急措置―気道確保する、
あるいは衣服を緩める、そんなことをしている間に
私の体がおかしくなってくる。
最初の異常、それは視覚異常ですね。
何だか知らないけど、部屋の中が暗いのです。
私の家は古い家でそんなに明るくはない。
それにしても暗い、そんな状況から始まりました。
見える像がゆがみ、流れる。
そして、激しい吐き気が襲ってくる。
とても立っていられない。
こういう状況になるわけですね。
このときに、苦しんでいる妻のところを離れて
玄関まで移動したのです。
それは救急通報したので、1秒でも速く、
救急隊員を妻のところへ誘導しようとそう思ったから、
妻のところを離れて玄関まで移動したのです。
ところが、この行動というのは、警察から見たときに
不審な行動というふうに映ってしまったのですね。
後の事情聴取で言われました。
「河野さんね、普通であれば奥さんが苦しんで
いるときに奥さんのところを離れる。
こういうことはしない。
あんたの行動は極めて不自然だ」
このように言われたのです。
警察というのは、そういう細かいところを
きちっと押さえないと、事件の検挙にはなっていかない、
それは事実ですね。
ですから、警察はそこがまず怪しいと思ったのです。
松本サリン事件では、私が苦しんでいる妻のところを
離れた、そのことが警察の最初の疑問、疑惑だったんです。
私が玄関に座り込んでいると、離れにいた長男が
玄関に入ってきました。
このときには、もう自分は死ぬかな、そういう思いでした。
15分ぐらいの間に自分の体がどんどん変わっていく、
そういう状況でした。
ですから、私は長男の手を握って、
だめかもしれない。後のことは頼んだぞ。
こういう言葉を出しているのですね。
だめかもしれない、自分は死んでしまうかもしれないから、
もしそうなったときは、あとはちゃんとやってほしい、
そういう意味合いで言った言葉です。
しかし、この言葉もゆがんでマスコミに伝わる。
そして、出てきた記事は、私が玄関で座り込んでいたら、
長女が駆け寄ってきたというのですね。
長男から長女に変わっていました。
そして、私は長女に言ったそうです。
これはかぎ括弧ですから、直接話法ということです。
「大きなことになるから覚悟しとけ」
と書いてあるのですね。
「だめかもしれない」という言葉が
「大きいことになるから覚悟しておけ」
というふうに変わって、そして記事の見出しです。
「会社員、事件の関与ほのめかす」
という記事になったのですね。
実際には全く違う話です。
そうこうしているうち、救急車の音が聞こえてきた。
私は地に足がつかない、そんな状況でふらふらと
歩いてきますと、門の前に救急車がとまっていたのです。
私は救急隊員に言いました。
妻を助けてほしい。
犬が死んだ。
犬に毒を盛られたかもしれない。
私自身体がおかしくなっている。
こういうことを救急隊員に話したのです。
ところが、この場面も毎日新聞とNHKがどのように報じたか。
会社員、つまり私です。
「会社員は救急隊員に薬品の調合を間違えた」
という話になってニュースになるわけです。
一言も言わないのに、
どんどん活字になってくる、
テレビに出てくる、
そういう状況だったわけです。
結果、私は事件発生からたった 2日間、世間から
殺人鬼、精神異常者、変質者、随分いろいろな呼ばれ方を
されるわけです。
そして、事件の翌日です。
私は警察から強制捜索を受けることになるわけです。
その端緒は、私の家、5人家族ですけれども、4人が
入院するということになります。
そして、長男だけ1人入院せずに済みました。
徹夜の看病をして、朝方家に帰って寝て、昼ごろ
現場周辺の聞き込みという形で刑事さんが来て、
長男に聞いたのです。
この家に薬品のようなものは置いてないか、
そういう話が出た。
長男はお父さん、持っている薬品ありますよと言って、
薬品の置いてある部屋に刑事さんを案内したわけです。
私は趣味で写真、陶芸、そんなことを松本で
やっておりました。
それに使う薬品が二十数点部屋に置いてあったわけです。
その中で警察が関心を引く薬品がありました。
これは写真の現像液として使おうと思って置いてあったもの、
青酸化合物ですね。青酸カリ、青酸銀、この2種類です。
警察は一般家庭にない、そういう薬品が置いてあって、
しかも猛毒、この事件は発生からすぐに7名が
亡くなっているわけですね。
もしこの薬品が今回亡くなった人の原因物質と
いうことであれば、証拠として保全しようと
いうふうに考えました。
証拠として保全、それはまさに裁判所に令状を申請して、
その令状をもってそれを押さえるということです。
6月28日、強制捜索が行われ、そして夜の10時です。
捜査一課長の記者会見が開かれました。
ここで警察は私の実名を発表したのです。
河野義行宅を強制捜索した。
その結果、薬品類数点を押収し、薬品の中には
殺傷力のある薬も含まれている。
強制捜索をした罪状、それは被疑者不詳の殺人、
こういう発表だったのです。
ここで、今度は記者の経験則が働いていった。
個人の住宅が強制捜索を受けて、警察はそれを
実名発表、記者の経験則では決まりということです。
あの人がやった、そして、どこのマスコミも
言ってみれば編集方針というのがあり、
あの会見で河野がやったという方向性が
決まってしまうのです。
そうしますと、記者の人がいろいろなところへ行って
いろいろな情報をとって記事を書いてきても、
そこの新聞に載る記事、それは選択されていくと
いうことです。
この男はこんなに黒い部分を持っていて、こんなに
怪しいという記事しか載ってこないということです。
6月29日から、いわゆる犯人視報道というものが
始まります。
疑惑をどんどん、どんどん補強していくような
記事が出てくるんです。
そうしますと、大勢の人があの男がやったのだと
いうように確信すら持ってしまったというのです。
どの新聞も断定はしてないですよ。
印象を与える記事、
そういうものが出るのですけれども、
繰り返し、繰り返しそういう記事が出ますと
刷り込まれてくるんです。
そして、大勢の中には熱い人もいます。
7人も殺した、そんな悪い男、ひとつおれがこらしめてやろうか、
こういう人が出てくるわけですね。
私は、この松本サリン事件の誤認逮捕については、
勿論マスコミの扇動報道はあったとの認識は十分
ありましたが、しかしどちらかと言えば、やはり警察が悪いと、
そういう感じを持っていました。
責任は当然ながら「警察」>「マスコミ」だと。
しかし・・・、思った以上にマスコミは異常だったことが
改めて判りました。
これは警察よりもマスコミの罪のほうが相当重いのではないか。
勿論最終責任は警察にあるのだろうけれど、しかし・・・。
思い浮かんだのは、1985年8月に起こった
日航機墜落事故。
あの時、マスコミによって、二重の苦しみを与えられた
ご遺族の方たちがいたことを覚えているでしょうか。
「どーんといこうや。」ボイスレコーダーに残された言葉。
この事故で亡くなられた日航機123便の機長は、死後、
この言葉のみをマスコミにピックアップされてしまった。
新聞は、亡き機長を新聞紙上で叩きまくったんです。
私もよく覚えています。
新聞1面に大きな見出しで載ったこの言葉・・。
この言葉の前後や、その時の声の調子、様々なことを
ちゃんと確認すれば、この言葉が非難などに全く値しない
ものであることなど明らかだったのに。
いや、寧ろ、懸命に機長が機体を立て直し、なんとかして
軟着陸を試みようと必死だったこと、また他の副操縦士らを
必死で「頑張れ!!」と最期まで諦めないように鼓舞していた
ことなど簡単に判るはずでした。
しかし、その誤解が解かれるまでに、一体どれほどの年月が
掛かったんでしょうか・・。
マスコミは容赦無かった。
ずっと、機長のご遺族が矢面に立たされ続け、謂われなき
批判を受け続けました。
本当に恐ろしい。
マスコミの「ペンの力」が、一瞬にして人を残酷な淵に突き落とす。
そして、国民もマスコミを信じこみ、それに加担していく。
松本サリン事件も全く同じです。
次に、義認逮捕となった原因を見て行きたいと思います。
>それは事実ですね。>被疑者不詳の殺人文中で下線を引いた、この2箇所の部分について、
河野さんのもう一つのシンポジウムでの発言を
補足として紹介します。
このシンポジウムは「死刑廃止」を求める組織
でのものです。↓
★死刑廃止フォーラム 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90【松本サリン事件とオウム関連事件(フォーラム連続シンポ04 PART3)
冤罪と死刑の構造】(2003年9月11日)
【冤罪を生む構造とは】 (一部抜粋)
【河野】
警察はまず証拠の保全とか初動捜査で
押さえるべきものはきちっと押さえていく。
証拠は、後の公判に耐えうるものを
入手しなければならない。
松本サリン事件が起こったとき私の家のものを
押さえた。
それは証拠保全したいということだと後でわかった。
現場にある証拠で可能性を組み立て、私が疑われた。
疑われるのはしょうがないことで、警察の捜査手法は、
現場に近い人、亡くなった人に近い人から
捜査を広げていくわけだから。
私は現場の横に住んでいて第一通報者であるし、
私を疑うことは、警察の手法からしたら当然のことだ。
問題はターニングポイントがいっぱいあった。
私の家から押収された薬品では
サリンはできず、シアンでは縮瞳は
起こらないなど、折り返すところが
いくつもあった。
ところが捜査指揮をとっていた刑事部長が意地を張った。
捜査幹部を集めて
「おまえらは河野の黒い部分を捜してくるのが仕事だ」とか
「河野が白だと、そんなやつはこの本部からいらないから出ていけ」、
こういうことを言った。
警察はなかなか修正ができない、そこが一つの問題だ。
それから令状の問題だ。
コンピュータの犯罪もあるし、薬品の犯罪もある。
裁判官のサポート態勢がとれていないのではないか。
裁判官は法律の専門家ではある。
いろんな専門のスタッフを揃え、裁判官をサポートできるような組
織になればいい。
現状は逮捕状を請求したらほとんどが出てしまうということだが、
チェック機能が働いているか、とても疑問だ。
とても端的に解りやすく問題点を話してくださっています。
先に挙げた「基調講演」でも
>それは事実ですね。のところで少し触れられていますが、
警察の初動捜査としては、とにかく関係するところの
人、全てに対して「疑う」目でスタートするのは仕方がない。
この事件だけに限らず、なにかが起これば、
そこに出入りする関係者たちは全て指紋採取を
されたりして、犯人でもないのに嫌な思いをする
ということも多々ある。
そういったあたりは河野さんも納得されていると。
しかし、
>被疑者不詳の殺人という罪状で強制捜査されたのが何故なのかを
見ていくと、そこには、
非常に大きく
マスコミの報道が関わっていることが
河野さんの話す内容からも判ってきます。
河野さんの家では、
「サリンはできない」「サリンは作れない」。
これが最初から分かっていれば、とにもかくにも
こんな事にはならなかった、ということです。
そして、真っ当な化学の専門家だけが居さえすれば、
そのことはすぐにでも明らかになったはずだった。この時の「被疑者不詳の殺人」の罪状で「強制捜査」になった問題点は、
1999年(平成11年)の国会で「松本サリン事件の件」として
取り上げられています。↓
★第145回国会 法務委員会(1999年(平成11年)5月19日(水曜日))○漆原委員
犯人がわからないという、被疑者不詳のまま家宅捜索令状を
請求する場合には、差し押さえるべき物の存在を認めるに
足りる状況があることを認めるべき資料というものを
提供しなきゃなりませんね。
松本サリン事件の被害者の河野さんは、みずからサリン事件の
被害者であったにもかかわらず、マスコミからも世間からも
犯人扱いされて大変な被害をこうむられたわけでございますが、
私は、その大きな原因の一つが、
裁判所が捜索令状を出した、
それに基づいて河野さんのうちの
家宅捜索が行われた、
これは非常に国民に与える影響が
大きかったんじゃないのかな。
裁判所が令状を出したんだからとか、あるいは裁判所が
何の根拠もなく令状を出すわけがない、こういうふうな思いに
国民がなるのは私は当たり前だなと思っております。
本件の場合はまさに被疑者不詳で捜索令状が請求されて
おるんですが、先ほどの、差し押さえるべき物の存在を
認めるに足りる状況があることを認めるべき資料というのは、
どんな資料が出されたのか、教えていただければ教えてください。
○白木最高裁判所長官代理
御指摘の事件につきましては、いつどこで捜索・差し押さえ令状が
発付されたかということはわかりますけれども、その際
どういった資料に基づいて発付されたかという点につきましては、
わかりかねるところでございます。
○漆原委員
「どんな資料が出て、どんな理由でこれを判断したのか、
これは最高裁としては調査の及ばないところだということなんでしょうか。
○白木最高裁判所長官代理
仰せのとおりでございまして、捜査官が疎明資料を裁判所に
持ってまいりまして、裁判官が判断いたしますと、そういった
疎明資料は全部お返しいたしますので、もとより最高裁の方で
そういったことを調査するなどということはいたしておりません。
この議員の質問の内容は尤もな指摘だと思います。
そして何より、河野さんも仰ってるように、
毒物の専門家が警察にも、
また裁判所にも、いさえすれば、
こんな過ちは起こらなかったのです。
では
警察は何を根拠に、
「河野さんの家でサリンを作ることができる」と
判断したのでしょうか?そこには
「河野さんの家でサリンが出来る」
との「専門家の発言」があったからに
他なりません。
その専門家とは誰か?
テレビでも散々出ていたので、顔を見れば
思い出される方も多いと思います。
それは
常石敬一。↓2001年 流行語大賞 トップテン入賞
「生物兵器(BC兵器)」
受賞者:常石敬一(神奈川大学教授)
「流行語大賞」って、ほんまにアホらし・・・。★常石敬一 WIKI常石 敬一(つねいし けいいち、1943年10月26日 - )は、
日本の科学史・科学論研究者。
神奈川大学経営学部非常勤講師・元教授。
東京都出身。
1966年に東京都立大学理学部物理学科を卒業後、
1973年に長崎大学講師となり同校教養部教授を経て、
1989年より教授。
主な専門は科学史、科学社会学、STS(科学技術と社会)、
生物化学兵器軍縮。
731部隊や旧日本軍の化学兵器製造について
研究を行ってきたことから、NHKをはじめとする
メディアにおいては「毒ガスの専門家」とされて
登場することが多い。
ただし、実際の研究内容は戦史的・科学史的な分野が
中心である。
著書の内容は取材などによるものが多く、戦争責任に
関する講演会に積極的に参加する事でも知られている。
松本サリン事件の時に
専門家としてテレビにも、また紙媒体にも
最も頻繁に出ていたのが、この
常石敬一だったわけです。
当時の状況がよく分かるサイトが有りました。↓
★サリン事件に登場した「毒ガスの専門家」常石敬一教授を嗤う。1994年6月の松本サリン事件でマスコミに登場した
神奈川大学経済経営学部常石敬一教授は、最初に
有機リン系の農薬が原因で神経ガスが発生した
といった。
しかし,常石教授がそういえたのは,彼に高校生レベルの
化学知識すらなかったからである。
ところが,不幸な偶然として「神経ガス」だけは正しく,
これによってサリンが農薬から簡単に合成できるとの
常石教授の妄想があたかも真実のごとく流布され,
河野義行氏が長期間容疑者にされる一因となってしまった。
私は常石教授の一連の発言が
初動捜査を混乱させなければ,
地下鉄サリン事件は防げ,
多くの無辜の市民が
犠牲にならなくても済んだ
と考えている。
しかし,NHKはいまだにこの
「農薬からサリンを合成したという小説を読んだ」だけの
「ただのえーかっこしー」を毒ガスの専門家と考えているようだ。
実際に新聞にあった常石敬一の発言。↓
1994/06/28 朝日新聞 夕刊
有機リン系の農薬などの薬品が何らかの原因で
池に流れ込むなどして,水や水中の藻,微生物などと
反応し,神経ガス様のものが発生した可能性がある。
1994/07/04 朝日新聞 朝刊
製造方法がわかっているのは原爆も同じだが,
はるかに身近な材料で殺人兵器と同じものが
できてしまうことを見せつけたのが今回の事件だ。
いわば「化学研究者」「化学の専門家」などでは全くなかった
この常石敬一を、NHKや朝日らマスコミは、御用学者として
テレビ、新聞に出し、警察もその発言を信じてしまった、と
いうことになるのです。
では、何故NHKや朝日、毎日らマスコミが、この常石敬一という
人物を担ぎあげたのか。
それは結局は、
「731部隊が細菌兵器を製造していた!!」
「731部隊が人体実験をしていた!!」と
「捏造の歴史」を声高に叫ぶ、日本を貶めるに相応しい
大学教授だったからなのではないか。
常石敬一は、松本サリン事件の翌年の1995年、
地下鉄サリン事件が起こったその年の7月20日に、
講談社現代新書、
「七三一部隊 生物兵器犯罪の真実」
を出版しています。
731部隊については、1982年、森村誠一が
自著の「悪魔の飽食」が捏造本であったことを認め、
また、2007年1月には、米国立公文書館が
731部隊に関する情報機関の対日機密文書
10万ページ分を公開しましが、人体実験や細菌戦を
行った証拠は見つからなかった。しかし、森村誠一らは、それでもなお
捏造の「悪魔の飽食」を
歌に変えて、合唱団と一緒に世界で捏造を拡散している。
常石敬一は、今も
造捏の「731部隊」を流し続け
日本を貶めようとしている。
「731部隊とは?今問う意味は」3 神奈川大学 常石敬一 (2014/04/06 に公開)19分30秒あたりから
質問者
世界のいくつかの先進国で細菌戦の研究が
極秘の中で行われていたと思うが、その中で
日本の石井731部隊の日本の細菌戦研究の
特異性と言うか罪悪性というか、それはなんだろうかと
考えると、それは多分「丸太」という人体実験をやったと。
これは恐らく世界ではナチス・ドイツがユダヤ人を使ってやったと、
この2つが双璧であって、その背景は人種差別、
民族差別と、差別意識ですね。
つまり従軍慰安婦、南京大虐殺、731部隊も全部、
「丸太」は殆ど朝鮮人、中国人一部ロシア人捕虜を
使ってる。
そういった人種差別の意識があって、それが
世界でも特異な人体実験をしたと。
米国が10万ページもの対日機密文書を血眼になって
「細菌戦実行」と「人体実験」があった証拠を
探したけれどなかったのです。
もう
「捏造だ」と結論が出ているにも拘らず、
まだ執拗に「あった」と叫んでいるんです。
連中が何の目的で、こういった捏造を繰り返して
いるかといえば、連中自身が言ってるように、
「日本人は差別主義者である」と世界に発信し、日本人を貶め、そして前回の記事でも
書いた通り、「人種差別撤廃条約に基づく「処罰法」を
作り執行させようとしているのです。
このような常石敬一を、松本サリン事件の時に
まるで「毒ガスの専門家」であるかのように扱い、
テレビに頻繁に出させた。
そのマスコミの悪辣な行為によって、
「農薬からサリンを作ることが出来る」という嘘の言葉が
「専門家の貴重な意見」としてマスコミが取り上げ、
それを警察も国民も鵜呑みにしてしまった。
もしそこで、真っ当な化学の専門家の声だけをマスコミが
取り上げて、常石を持ちあげなければ、すぐにでも
河野さんは被害者としての立場だけになるはずだった。捏造を繰り返す人間は簡単に新たな捏造を作り上げる。
捏造をしていることなど本人にとっては、全くお構いなし
なのです。
「反省」なんて言葉は、こういう人間には無縁なのです。
こういう人間を敢えて出してきたマスコミは確信犯です。
特にNHK,朝日新聞、テレビ朝日、毎日新聞、TBS。
常石もマスコミも、分かっていてやってたことではないか。
河野さんはマスコミに完全に嵌められたも同じです。
そして
マスコミと、この常石敬一によって、
河野さんは人生を狂わされてしまった・・。★現在の河野さんの近況です。↓
★ヘイトスピーチ危惧 松本サリン20年 中傷に耐えた河野さん 東京新聞 2014年6月19日 【ヘイトスピーチ危惧 松本サリン20年
中傷に耐えた河野さん】
(東京新聞 2014年6月19日)
(前略)
妻の死から六年。
「事件以前と同じスタンスで、自分の好きなように生きている」。
四年前には鹿児島市に移り住み、
「恨みは、人生をつまらなくする」
と穏やかに暮らす。
教団元幹部の上祐(じょうゆう)史浩氏が設立した団体
「ひかりの輪」の依頼を受け、二〇一一年に活動を
監視する外部監査人となった。
「周辺住民は中身を知らずに不安がっている部分がある。
知らないから怖いのなら、知ってもらえばいい。
不安をなくすための橋渡しになると思った」
教団の犯行であることが判明してからは、
教祖の子女、信者への人権侵害的な行政の対応、
世間の中傷があからさまだった。
「(オウムに対してなら)明らかに法の筋に
外れたことまで許されて。世の中は怖い」
最近気になるのは、韓国人や中国人への
偏見に満ちた一部世論の高まりだ。
「根拠のない排除は許されない。
このような主張がはびこってきたのは理不尽だし、
怖いなと思う」。
ヘイトスピーチに反対する団体の
共同代表にも名を連ねた。
請われれば、体験を基に講演することにしている。
「当たり前のことが、当たり前に通る世の中に
なってほしい」
と願うからだ。
河野さんは死刑廃止フォーラムのシンポジウムで
「私はずっと死刑に反対の立場をとってきた。」
と言っています。
その方向から、のりこえネットなどとも関係するように
なってしまったのか、私には分かりません。↓
★「日本への憎しみ」だけで生きている辛淑玉(シンスゴ)はアイヌまでも利用してずっと日本人を差別し続ける。でも、もし常石敬一をマスコミが松本サリン事件で、
「毒ガス専門家」としてあんな嘘偽り発言を流さなければ、
もしマスコミがあんな捏造報道をしなければ、
のりこえネットの人間どもと関わりあうことは
なかったのだろうと思うと、余計にマスコミの捏造に
怒りを感じます。
マスコミは本当に何のために常石を使ったのか?
何のためにあのような捏造をしたのか?
まさか、真犯人を判っていてのことではないだろうな?
連中を庇うつもりだったのではないだろうな?
まさか、わざと捜査撹乱を狙っていたのじゃないだろうな?
こんなところにまで疑念を抱かせてしまうのは、
TBSがいわば殺人幇助をしたとも言える、
坂本弁護士一家殺人事件もあったからだ。
かつてマスコミが、オウムをどのように
取り上げていたか。
広報担当だった上祐をどのくらい持ち上げていたか。
マスコミとオウムは本当に関係はなかったのか。
そういったことまで、全てが「疑問」として頭にもたげてくる。
そして、現実として起こった松本サリン事件でも
マスコミの報道は常軌を逸していた。
「警察からのリークが原因だ」などという理由は、
もう聞く価値もない。
とにかく、マスコミは、自らが率先して河野さんを
犯人に仕立て上げていった。
極左のマスコミは、
何らかの意図を持って
その行為を敢えて行っていたのではないか。
福島原発事故に関して、
「反原発派」学者を使った誘導報道と同じように。
今も続く福島を貶める報道のように。
捏造は恐ろしい。
人一人の人生をここまで狂わせる。
しかも、河野さんを貶めた側の人間と今、
行動を共にしてしまっている。
河野さんに気付いて欲しい。
ご自分を貶めたのは一体どんな連中だったのか。
こんな理不尽なことがあっていいんだろうか・・。
マスコミの強烈なイデオロギーと捏造によって
こうなってしまった。
だから許すべきではないんです。
今回のテレ朝の、小さなことのように見える野次の捏造。
でもこれを放っておいたら、本当にまた連中による「冤罪」が
起こってしまう。
中川昭一さんも捏造によって潰された。
日本人は、今、実際に、朝日新聞が捏造しでっち上げた
捏造従軍慰安婦問題によって苦しめられている。
全ては「捏造」から始まっています。それもマスコミが関与している。
恐ろしい。本当に。
松本サリン事件での「冤罪」も、
「マスコミの捏造」が
深く関わっているのです。どうかこのことを知って下さい。
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