「多文化共生」は危険! 日本人の日常生活に「無理」を生じさせるものは受け入れるべきではない。
- 2014/04/15
- 23:25
(毎週月曜の夜中12時頃からある)
たま~に観ていたのですが、前回は時間帯が9~11時のスペシャル版で、
たまたま後半を観ることが出来ました。
日本国内の街や人をネタにした番組で結構面白いのですが、
今回は、「なぜか外国人観光客が集まる全然有名どころでない観光地」、
というのがありました。
その中の1つを紹介。
北海道の札幌から4時間、歌登という街のホテルに
タイ人観光客がやってくると。
日本人からすると何の変哲もないホテルに何故集まるのかといえば、
このホテルが経営の危機を迎えていた何年か前、知人のツテで
タイの旅行会社に売り込みの交渉をしたところ、
「なんでも言うことを聞いてくれるならいいですよ」
との返答があり、その条件を受け入れて、そこから
ツアーに組み入れてもらえるようになったそうです。
タイ人観光客が「寒い」、「白い雪」だけで既に大喜びの
北海道旅行で、いよいよタイの人達のリクエストに答える
「おもてなしハイライト」。
浴衣を着てみたい。
日本のすごく切れる刀を見たい。→(居合い抜きショー)
魚をさばくのを見たい。→(マグロではなくサケの解体ショー)
寿司を握ってみたい。
餅つきがしたい。
羽根つき。けん玉。etc・・。
そして夜の戸外では、雪ダルマ、かまくら・・。
タイの人達は「大満足!」でした。
最初、「なんでも言うことを聞いてくれるならいいですよ」
という言葉を聞いて、「そんな無茶な」と思いましたが、
いわゆるよくあるオプションの縮小版だったのね、と
ちょっとホッとしました。
でもすぐに思ったのは、もし、このホテルが交渉した先が
韓国の旅行会社で、韓国人観光客を受け入れることになってたら、
一体どうなってただろう・・、と。
対馬などでの酷い状況を見たら、空恐ろしいです。
東京五輪の誘致プレゼンで一気に盛り上がった「お・も・て・な・し」。
でも私は、あれから正直心配しております、この言葉に。
五輪決定のあと、当時の猪瀬都知事が、公共交通24時間運行だとか、
外国語案内を充実させる、とか言ってましたよね。
はっきり言って、「夜の街」どころか「真夜中の街」重視を
する必要がどこにあるんだ?と思いましたし、
外国語表示は、これ以上増やすなよ!!、と思ったくらいです。
勿論、日本語のローマ字表記を英語表記に変えるのは
どんどん進めればいいと思います。
既に始まってますよね、これは。
でも、英語表記以外の外国語表記は、選手村以外いらないでしょ。
というか、選手村だけにして欲しい!
選手たちが選手村で過ごしやすいように考えることは
勿論異論はありません。
というか、選手村は、手厚くて良いと思います。
一方、選手村以外の五輪関連施設では、英語のほかは、
フランス語、スペイン語のみでいいと思います。
そして、所謂日本人の通常の生活圏は、英語だけで十分だと思います。
そのほうが絶対に解りやすいはずです!
なんか駅の切符売り場の上の路線図までいろいろな外国語を
入れるだの言ってましたけど、絶対にやめて欲しいですね。
見にくくなるじゃないですか、絶対。
ただでさえ、駅名探すのに判りにくいのに。
もう既に、町中には中国語、韓国語が溢れてきていますが、
私はアレには本当にうんざりです。
関西も、特にJRが酷い。阪急もちょっと侵食されてます。
地下街の表示とかもイライラします。
日本語と英語だけでいいやん!といつも思ってしまいます。
中国語は、略字が多くなって中国人はそれしか読めなくなってる、
とよく聞きますけど、でも「それが何か?」と思います。
韓国語は、一民族のみしか使わない、しかも人口が多いわけでもない
国の言語をなんであそこまで日常生活にはびこらせなければ
いけないんでしょうか。
日本に住んでいるなら日本語に慣れていくのが当然ですし、
そもそも慣れるまでも英語も書いてある、それだけで十分じゃないですか。
例えばゴミ袋なんかは、絵やイラストも描かれてあって
それを見ただけでも解りやすいでしょ。
何曜日に収集なのかなんて、曜日はたった7種類しかないんですよ。
数字なんか万国共通ですし、慣れれば簡単にわかるはずじゃないですか。
それなのになんで韓国語がいるんですか?
それと韓国語は日本人にとっては「文字」としてではなく
「記号」としての認識がなされてしまうと思うんです。
だからすごく標識でもごちゃごちゃ見えるんです。
矢印や○や□がいっぱいあるようにみえるんです。
○↑□→○○↓←□・・・。
こんなふうに見えるんです。
これは、韓国語を批判しているのではありません。
そう見えるのだから仕方がないんです。
日本人が、英語を面白がってよく使いますが、
あれは「デザイン文字」として見ているからです。
英語は義務教育で習う事によって「国際公用語」として
日本国民もすんなり言語として受け入れていますが、
そもそも英語にはあまり「うるささ」「うっとおしさ」を
感じないのだと思います。
それは、やっぱりアルファベットという文字自体を
「デザイン」としても認めているところが
あるからだと思います。
全く意味のない英語のTシャツってよくありますよね。
あれ、以前テレビでやってたんですが、製作者側も
完全にデザインとして扱っているそうです。
意味なんか殆ど気にしてなくて、アルファベットの並びの
「見た感じ」だけで単語を決めてるそうです。
逆のたとえとしては、外国人も日本語がプリントされた
Tシャツを面白がって着ますが、あれも、意味など全く考えずに
着てますよね。
結局、彼らも日本語を「デザイン」として見てるわけですよ。
韓国語が日本人にとって「記号」のように見えるのも
仕方ないことなんです。
だから駅や地下鉄などの表示が余計にややこしく感じるんです。
加えてですが、そこに韓国が反日であること、
不正ばかりするトンデモな国であることは、
当然日本人にマイナスイメージを植え付けます。
これも成り行きとして当然です。
堂々と言わせていただきます!
韓国語を排除したいのは、
★そもそも必要ない。
★記号に見えてゴチャゴチャする。
★反日、不正、嘘つき、捏造を度々する卑怯な国。
以上の理由で日本人が「イラネ!」と声を出すのは
当然なことです!正当です!
先月のニュースで、JR東海が中・韓国語対応に反発している
というのがありましたよね。↓
大動脈抱えるJR東海 中・韓国語対応 進まず 2014年3月23日
日本を訪れるアジア圏の旅行者が増える中、
JR東日本や大手私鉄では、鉄道の駅名や乗り場などの案内表示を
中国語や韓国語で示す取り組みが広がる。
しかし、日本の大動脈の東海道新幹線を運行するJR東海は
英語表示のみ。
国土交通省は二〇〇九年、英語以外での表示の必要性を指摘したが、
JR東海は「(複数の外国語を使うと表示の)文字が小さくなる」と反論し、
駅での案内表示のあり方に一石を投じている。
駅などでの外国語サービスのあり方について国交省は〇六年
「『おもてなし』の観点から英語以外の外国語でも情報提供を
行うことがさらに望ましい」とのガイドラインを提示した。
輸送サービスなどの状況に関して調べるJR東海に対する
〇九年の業務監査でも
「他社の駅施設では中国語や韓国語などの表記があるが、JR東海はない」
と指摘。
「来訪外国人の約七割がアジア圏からで外国人を意識した
表記について検討が必要」
とした。
これに対しJR東海は
「国際的共通語の英語をできるだけ大きな字で記すのが基本」と主張。
多言語表示は
「限られたスペースの中で文字が小さくなり、見づらくなるおそれがある」
と反論していた。
現在はキャリーバッグの扱いや緊急ドアを引っぱらないよう呼び掛ける
注意書きについては英語以外でも表示。
一部の券売機では多言語対応も始めたが
「高齢社会に配慮し日本語を大きな文字で表記している。
英語以外の外国語も表記すれば文字が小さくなり読みにくくなる」とし
「対応は現状で十分」と主張する。
東洋大の飯嶋好彦教授(国際観光学)は「駅や電車内での対応が難しいなら、
新幹線車内の座席に置くパンフレットに中国語や韓国語での乗り換え情報などを
入れるといった工夫は必要では」と指摘している。
これ読んだときはもう「JR東海の言うとおり!!頑張れ!JR東海!」
と思いましたよ。ほんとに。
高齢者にとっては、文字が小さくなって見えにくいだけでなく、
見慣れない言語があると、より煩雑に見えて、判断がつきにくく
時間も掛かってしまいます。
そうなれば、緊急の時に表示を見てのとっさの判断が遅くなり、
逃げ遅れることだって考えられます。
上にも書きましたけど、本末転倒なんですよ、
外国人に気を使うあまり、
日本人が日常生活で不便を感じるなんて。
とにかく、国は、このおかしな「過剰おもてなし」方針を
絶対に変えて欲しいです。
「過剰おもてなし」と書きましたが、
最初に書いた、タイ人観光客へのサービスが、
何故好評なのかといえば、それは
タイでは経験できないこと、日本でしか味わえないことを
体験できるから、ということですよね。
日本を知りたいからですよね。
タイ人が来てくれた北海道にタイ語が必要かといえば
不要なんですよ。
だって彼らは日本の北海道そのままを楽しみにして
きてくれたんですから。
当然です。日本人が外国に行ったって、同じです。
「異国情緒」を楽しみに来て、その先に日本語が
たくさんあったら、「え?」と思いますよ。
もしかしたら台湾は、あるかもしれないですけど、
それは、いわば日本統治時代の「名残」であって、
いま問題としていることとは違うと思います。
昔、飛行機の欧州行き路線は、アンカレッジ経由の北回り路線
がありましたが、飛行機が給油するためにアンカレッジ空港で
1時間くらいでしたっけ、休憩時間がありましたけど、
空港のおみやげ屋さんが日本語だらけだったのには
びっくりしました。
まぁ、日本人客がメイン客となってたんでしょうから
仕方がないんだろうなとは思いましたけど、
自分としては、たった1時間の立ち寄りでも、
移動が空港内だけだったとしても、「アラスカらしさ」を
もっと実感したかったんですけどね。
とにかく、外国人観光客はその国をそのまま味わいたいわけで、
そこに自国の言語や文化など「同じもの」を求めているのでは
ないはずなんですよね。
快適さやマナーは日本人は逆に求めることはありますが、
日本は言ってみれば「世界最高ランク」ですから、
敢えて何かを改めて行う必要はなくて、ありのままで
いいのだと思います。
ただ異文化だからこその「流儀」を伝えることに
丁寧であればいいと思うんです。
東京五輪では、各言語のパンフレットの充実と
豊富なボランティアでそのあたりをフォローして
あげたらいいのではないかと思います。
とにかく外国人観光客受け入れのために、日本人の日常生活に
「しんどさ」や「我慢」が強いられることがあっては
いけないと思います。
おかしいでしょ、そんなこと。絶対。
「外国人へのおもてなし」>>>>>「日本人の日常生活」
これはおかしいんです。
外国人留学生を受け入れるにあたっても
本末転倒の「おもてなし」イズムが最近ことに
大きくなっていることに私は疑問を感じます。
イスラム教徒の学生さんのために大学の学生食堂で
戒律の厳しいイスラム教徒が口にできるハラールフードを
出すところが増えているそうです。
これも正直どうなのかなと私は思います。
日本人が海外で生活する時、たしかに日本フード・レストランが
あればラクかもしれません。
現在は、そのレストランが結構あるようで、海外にいる日本人にとっては
確かに便利なのだろうと思います。
でも、それは、あくまで民間人が、日本食ブームによって「儲け」が
期待できるから店を出しているのであって、決して海外生活をしている
日本人のために、というわけではないと思いますので、
今回の論点とはまた違うものであるということで
参考にはしないで考えてみたいと思います。
留学生として他国に行くとき、その国の文化を何よりも尊重して
生活することが大前提だと思うんです。
「郷にいれば郷に従え」ですよね。
イスラムは食事での規律が厳しいので大変だとは思うのですが、
それでも、食材は通販で買えるということですから
一応、自炊をすれば大丈夫のようです。
ここで、「自炊だけではキツイでしょ」と感じるとは思いますが、
私はそれでも「甘やかす」のはどうかと思います。
岡山大でもハラールフードが学食で準備されているようです。
ここは、2007年からですので長いです。↓
イスラム教徒向け料理が学食に 岡山大、一般学生にも好評
【イスラム教徒向け料理が学食に 岡山大、一般学生にも好評 2013年8月27日】
岡山大(岡山市北区津島中)の学生食堂で、
食に関して戒律の厳しいイスラム教徒が口にできる
ハラールフードが好評だ。
「各国から集う学生の生活習慣は尊重されるべき」
との思いから提供している。
食材や調理器具にも気を遣うが、
インドネシアやトルコなどイスラム圏の留学生にとっては
安心して古里の料理を味わえる、貴重な場となっている。
「ハラール」はイスラム法で「合法」の意味。
豚肉は食べられず、牛肉や鶏肉であっても定められた作法に従って
処理されなければならない。
豚肉エキスも禁止など厳格な規定が幾つもあり、外食などの際、
何が入っているのか分からない料理は口にできない。
留学生の要望で学食を運営する岡山大生協が2007年から始めた。
食材は専門業者から仕入れ、専用の包丁とまな板などで調理する。
当初は1カ所だけだったが一般学生にも評判は広がり、
今では津島、鹿田キャンパスの全学食4カ所で提供。
チキンカレー(税込み273円)、チキンストロガノフ(同304円)、
タンドリーチキン(同273円)など5品目程度を
他のメニューとほぼ同じ価格帯で提供している。
岡山大の留学生は約460人。
イスラム圏からは100人近くに上っている。
モハマド・ウサイリー・シャフィックさん(29)=マレーシア出身=は
「いったん自宅に帰って自炊する手間が省け、研究の時間も確保できる。
ありがたい」と喜ぶ。
生協食堂部の鎌田健司部長補佐は「食を通じた異文化理解にもつながれば」と
期待する。
記事でも解るように「ハラールフードに関しては、
材料だけでなく、鍋や、包丁などの調理器具までも
細かな注意を払わなければいけないようになっています。
こういうことが必要でなければ、勿論構わないですが、しかし、です。
日本人学生たちも喜んでるみたいなのでいいじゃん、と
確かに「そっかぁ」と思うところもあるんですが、
でも・・です。
>「各国から集う学生の生活習慣は尊重されるべき」
この言葉が引っかかるんです。
日本人学生が海外に行った時、これを要求するでしょうか。
日本人学生には、それこそ
「郷にいれば郷に従え!当然だ!」とか、
「そんな甘い考えでどうする!」とか言って、送り出すと思うんです。
そうやって覚悟して行くと思うんです。
「尊重」という言葉は、どこまでも「平等」を求められる言葉です。
この言葉は留学生の立場から声が上がるとすれば「権利の主張」に
言い換えられます。
「君の意見は尊重するよ」のように、「尊重」という言葉は柔らかくて、
「必ずしも受け入れるわけではない」という余韻がある言葉なんです。
でもこんな曖昧な言葉で済むわけがありません。
だって、そもそもは「イスラムの学生たちの要望があった」ことから
始まって、結局は受け入れたのですから。
岡山大でスタートしたのは、もう9年も前ですから、「今更とやかく言うな」
と思われるかもしれません。
でも決定するまでの過程を想像すれば、紆余曲折があったのではと
想像します、やっぱり。
厳しい規律の宗教に関わることですし、いろんな問題を
クリアしなくてはいけなかったと思うんです。
国立大ですから、はっきり言えば、そういうところにまで
お金をかける必要があるのかというのも考えなくてはいけないです。
その前に日本人の学生への支援は?研究費は?となるはずなんです、本当は。
でも結果は、GOサイン。
イスラム系学生の要望が通ったわけです。
言葉というのは、とかくあやふやで、もしこの記事での
「要望」という言葉が「要求」だったとしたら、
私達はこの記事をどう捉えたでしょうか?ということです。
実際に、取り入れるかどうか審議の対象とするまで、
どんな状態だったのか、私にはわかりませんし、
どんな経緯をたどったのかもわかりません。
ただ言えるのは、「学生の求めるものが受け入れられた」
この事実だけなんです。
私が危惧するのは、それが「あって当たり前」と
感じるようになってしまうことです。
この気持ちが絶対出てくると思うんです。
そうなってくると、「アレもない、コレもない」の不満が
どんどん増えてきます。
そして最後には
「アレがあって当たり前」「コレもあって当たり前」
と絶対になります。
そしてその『当たり前」というものを改めて見なおした時、
日本人にとって多かれ少なかれ「無理」が生じていることが
問題なんです。
岡山大の日本人学生が、喜んでいても、そのメリットよりも大きな
「無理」があるんです。
私は、学校給食でのアレルギー対策が出来る日本って
本当に凄いと思っています。
これは子供を守るための対策ですから、ハラールフードの
導入云々とはまた分けて考えるべき事案です。
この件に関しては、国を挙げて取り組んできたことは、
現場の方達を含め賞賛されるべき事柄だと思います。
なぜなら絶対日本でしか出来ないことだと思うからです。
でも、だからこそ、これも絶対に「当たり前」なんて思っては
いけないと思うんです。
「日本だからここまで出来るんだよ」
「給食のおばさんや、栄養士さんたちのお蔭だよ」
そういう言葉を親が子供に伝えなきゃいけないと思うんです。
、
また、子どもたちからもそういう声をせめて
卒業時に自然と掛けることが出来るようにして欲しいと
思います。
日本は「配慮」ということにかけては、素晴らしいと思います。
でもそれが、「当たり前」として要求されるようになって
しまうのが怖いんです。
昨夜、関西ローカルでこんなニュースが流れました。↓
関空 イスラム教の礼拝室を増設 4月14日 NHKニュース
【関空 イスラム教の礼拝室を増設】
インドネシアなど東南アジアからの旅行客が増えている、
関西空港のターミナルビルに、イスラム教徒のための
礼拝室が増設されました。
関西空港ではこれまでも礼拝室を施設内に1部屋設けてきましたが、
東南アジアのイスラム教の国々から旅行客が増えているため、
およそ4000万円をかけて礼拝室を増設しました。
新しい礼拝室はターミナルビルの3か所に合わせて6部屋設けられ、
いずれも男女別になっているほか、手足や顔を清めるための施設も
初めて設置されました。
新関西空港会社によりますと、去年1年間にインドネシアや
マレーシアなど東南アジアから日本を訪れた旅行客は
およそ115万人で、訪日ビザの発給要件が緩和されたことを受け、
前の年の1.5倍に増えました。
関西空港ではほかにもイスラム教徒の客向けに、
飲食店の一部が豚の成分を使わないメニューを出す
取り組みも行われています。
新関西空港会社ターミナル営業部の田部章壽部長は、
「さまざまな利用客の要望に応えることができる空港に
するため取り組んでいきたい」と話しています。
欧州ではモスクの建設などで問題になってることが多々あります。
ネットで「欧州 モスク 建設」で検索すれば、
ポーランド、ギリシャ、スイス、フランス、英国・・と
ズラッと出てきます。
そして4年前の2010年の記事として、ニューヨークの米同時テロ跡地
「グラウンドゼロ」の近くに、モスクを含むイスラム関連施設が
建設されることに反対・・というのも出て来ます。
これは結局、NY市長が許可を出したそうですが、
(今はどうなっているかは調べていません)
まぁ、この件については反対の声が大きかったのは
当然かなとは思います。
また最近では英国で、バッキンガム宮殿をモスクにするよう
要求し始めた移民達が問題になっているようです。
とにかく、欧州でも非常に危惧すべき問題になっているのは確かです。
この問題は、著しく異なる文化コミュニティーが出来た時、
その国の日常生活に支障が出てくるということだと思います。
これは本当に重大な問題となります。
大きな音。聞きなれない音楽。
匂い。服装。
極端に違う食文化。
時間の過ごし方。
国内に居なが理解できない言葉が飛び交う毎日。・・・
あまりにも異なるものが、国内で闊歩し始めた時、
それに気を使いながら生きていくことは、やがては「苦痛」に
なってくることは簡単に想像が付きます。
何年前だったか、東京の小さな水路で、大量に犬の頭蓋骨が
捨てられてあったのが見つかったという事件がありました。
あの時も思いました。
犬は日本人にとっては家族、友達と思えるくらいのペットです。
でも、それが、食肉として扱われた。
そのことを私は到底受け付けることは出来ませんでした。
犬を食べるという食文化を日本で受け入れられるかと
いえばはっきり言って無理です。御免被ります。
その食文化を持っている国で食べることには何も言いません。
それは尊重できます。
でも日本で許可が欲しい、認めて欲しいと言われても
それを受け入れる訳にはいかないです。
自分の国で自国民が生きていくのに、
気を使う、我慢を強いられる、何らかの支障をきたす、
そういうことが起こることは絶対に避けないといけない
と思いますし、それは尊重されるべき、というか、
守られるべきことだと思います。
これは、大きく言えば「日本の文化を守る」「日本を守る」にも
繋がります。
これは、私達が外国に行った時でも当然、逆に成り立つことです。
なんのダブルスタンダードもなく、強者、弱者の立場もありません。
差別でもなんでもないんです。
こう考えることが「公平」なことなんです。
外国人に対する「おもてなし」が過剰になれば自分たちの首を
絞めることにもなる。
そうならないためにも、「過剰おもてなし」に進まないように
して欲しいと思います。
これは日本文化を守るため。
日本社会を守るため。
自分たちの生活を守るため。
日本を守るため。
当然声を出していいことだと思います。
「多文化共生」なんてこんな言葉で
振り回されるのはたくさんです。
日本人は、外国でその国の文化を充分尊重しています。
だからこそ日本文化の強要なんかもしていません。
自然と受け入れられてきたものならばいいけれど、
そうではない。
「外国人のために」なんていう
いかにもな言葉は間違っている!
そう、堂々と言えるように何とか変えていきたいです。
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