吉松育美さんへ
私は昨年12月、貴ブログで、あなたがストーカー事件に巻き込まれ、
またその訴えの記者会見を行なったにもかかわらず、
日本の大手マスコミが全く報道せず闇に葬っていることを
知りました。
また、多くの方たちが心配され、より詳しい背景なども含め
様々な情報が交換されていた下記掲示板も拝見しました。↓
ミス・インターナショナル吉松育美さんの「芸能界の闇」告発、日本のマスコミは黙殺→海外では続々報道される | ガールズちゃんねる - Girls Channel吉松さんのブログ記事を遡って読ませていただき、
身の危険を感じているという吉松さんの状況が心配で、
ほんの少しでも「犯罪抑止」になればと、自分のブログでも
取り上げました。↓
ミス・インターナショナル吉松育美さんと浅田真央選手。 日本を代表する女性に冷酷、冷徹な日本のマスコミ。今回、吉松さんが進められていた「ストーカーZERO」の署名が
13万筆以上の数にのぼり、無事締め切りを迎えたと伺いました。
私は、吉松さんの署名活動は存じ上げていましたが、
申し訳ないですが署名には参加しませんでした。
その理由は、また後程書くことに致します。
その署名締め切りとともに、下記内容の件を知りました。
慰安婦問題に関する言及です。
3月29日の放送 - Women's Media Center Live with Robin Morgan (WJFK - CBS Radio - March 8th & 29th, 2014) 吉松育美さん出演部分の日本語訳(育美)
はい、そうですね。日本の右側の人たちの意見の中には、
当時の約8万人~20万人の女性はみんな売春婦だったので
謝罪する必要はないという意見が出ているようです。
しかし、生き残った方の実際の証言を聞くとそうではなかったと
いう意見も出ているようです。
様々な違った意見がありますが、実際に当時このような立場に
置かれた女性達がいたことは間違いなく、日本人として
これらのコメントに対して恥ずかしく、一女性として
この謝罪が問題視されていること自体悲しく思います。
私としましては、女性のためこの百年にも及ぶ文化を
変えていけなければならないと思っています。。
吉松さんが言及された慰安婦問題の内容に関しては、
既に
「でっちあげ」という言葉で終わるものであることを
まずお伝えしておきます。
■下記は、7年前の衆議院予算委員会での慰安婦問題に関する質疑です。
ぜひ読んでいただきたいと思います。
こちらは、その時の動画です。↓
慰安婦問題 小川敏夫議員VS安倍晋三首相【第166回国会 参議院 予算委員会 第3号 平成十九年三月五日(月曜日)議事録】 ○小川敏夫君
慰安婦問題、正にアメリカの下院においてこの慰安婦について
日本国が謝罪すべきだというような決議案が出るかもしれないと
いうような状況になってございます。
総理は、この慰安婦問題について国の責任を認めた宮澤内閣時代の
この河野当時官房長官談話、これについてまずどのようにお考えですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
この談話につきましては、さきの国会で答弁をいたしましたように、
この河野官房長官談話ということにつきましては基本的に
継承していくということを申し上げているわけであります。
○小川敏夫君
最近、総理は強制はなかったというような趣旨の発言をされましたか、
この慰安婦の問題について。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
その件につきましても昨年の委員会で答弁したとおりでございまして、
この議論の前提となる、私がかつて発言をした言わば
教科書に載せるかどうかというときの議論について
私が答弁をしたわけでございます。
そして、その際私が申し上げましたのは、言わば
狭義の意味においての強制性について言えば、
これはそれを裏付ける証言はなかった
ということを昨年の国会で申し上げたところでございます。
○小川敏夫君
この三月一日に強制はなかったというような趣旨の発言を
されたんじゃないですか、総理。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
ですから、この強制性ということについて、
何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、
言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく
連れていくという、そういう強制性はなかった
ということではないかと、
こういうことでございます。
そもそも、この問題の発端として、これはたしか朝日新聞だったと
思いますが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言を
したわけでありますが、この証言は全く、後にでっち上げだったことが
分かったわけでございます。
つまり、発端はこの人がそういう証言をしたわけでございますが、
今申し上げましたようなてんまつになったということについて、
その後、言わば、このように慰安婦狩りのような強制性、
官憲による強制連行的なものがあったということを
証明する証言はないということでございます。
○小川敏夫君
今証言はないと言いましたね。
しかし、実際にアメリカの下院において、
アメリカ合衆国の下院において慰安婦をされていた方が
そういう強制があったという証言をしている、
だから下院で決議案が採択されるかどうかと
いうことになっているんじゃないですか。
今証言がないとおっしゃいましたね。
実際にそういう体験をしたというふうに証言している
慰安婦が現にいるわけですよ。
そういう人たちの発言は証言じゃないんですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
言わば裏付けのある証言はないということでございます。
証言といえば、先ほど申し上げましたように、
吉田清治氏の証言も証言じゃないんですか。
全くこの人の証言はでっち上げだった
ということでございます。
○小川敏夫君
一度確認しますが、そうすると、家に乗り込んで
無理やり連れてきてしまったような強制はなかったと。
じゃ、どういう強制はあったと総理は認識されているんですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
この国会の場でこういう議論を延々とするのが
私は余り生産的だとは思いませんけれども、
あえて申し上げますが、言わば、これは昨年の国会でも
申し上げましたように、そのときの経済状況というものが
あったわけでございます。
御本人が進んでそういう道に進もうと思った方は
恐らくおられなかったんだろうと、このように思います。
また、間に入った業者が事実上強制をしていたというケースも
あったということでございます。
そういう意味において、広義の解釈においての強制性が
あったということではないでしょうか。
○小川敏夫君
それは、業者が強制したんであって国が強制したんではないと
いう総理の御認識ですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
これについては、先ほど申し上げましたように、言わば、
乗り込んでいって人を人さらいのように連れてくるというような
強制はなかったということではないかと、このように思います。
○小川敏夫君
だから、総理、私は聞いているじゃないですか。
家に乗り込んで連れていってしまうような強制はなかったと。
じゃ、どういう強制があったんですかと聞いているわけですよ。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
もう既にそれは河野談話に書いてあるとおりであります。
それを何回も、小川委員がどういう思惑があって
ここでそれを取り上げられているかということは
私はよく分からないわけでありますが、
今正にアメリカでそういう決議が話題になっているわけで
ございますが、そこにはやはり事実誤認があるというのが
私どもの立場でございます。
○小川敏夫君
アメリカの下院で我が国が謝罪しろというような決議が
されるということは、我が国の国際信用を大きく損なう
大変に重要な外交案件だと思うんです。
それで、事実誤認だから、じゃ、そういう決議案を
もしアメリカ下院がすれば、事実誤認の証言に基づいて
決議をしたアメリカ下院が悪いんだと、だから
日本は一切謝罪することもないし、そんな決議は無視する、
無視していいんだと、これが総理のお考えですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
これは、別に決議があったからといって我々は
謝罪するということはないということは、
まず申し上げておかなければいけないと思います。
この決議案は客観的な事実に基づいていません。ま
た、日本政府のこれまでの対応も踏まえていないと
いうことであります。
もしかしたら
委員は逆のお考えを持っているのかもしれませんが、
こうした米議会内の一部議員の動きを受け、政府としては、
引き続き我が国の立場について理解を得るための努力を
今行っているところでございます。
○小川敏夫君
河野談話は、単に業者が強制しただけでなくて、
慰安所の設置や管理、慰安婦の移送に対する軍の関与を
認定したと言っておるわけです。
このことについて総理は認めるんですか、認めないんですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
ですから、先ほど来申し上げておりますように、書いてあるとおりであります。
○小川敏夫君
書いてあるとおりは、書いてあるのは事実ですよ、書いてあるのは。
総理がそれをそういうふうに思っていますかと
聞いているんです。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
ですから、書いてあるとおりでありまして、
それを読んでいただければ、それが政府の今の立場であります。
○小川敏夫君
私は、この問題についての国際感覚あるいは人権感覚といいますか、
全く総理のその対応について、私は寂しい限り、
むしろ日本の国際的な信用を損なうことになって
いるんじゃないかと思いますが。
すなわち、下院において、そこで慰安婦の方が証言された、
それが事実誤認だからもういいんだと言って通るほど、
この国際環境は甘くはないと思います。
むしろ、こうした人権侵害についてきちんとした謝罪なり
対応をしないということのこの人権感覚、
あるいは過去に日本が起こした戦争についての
真摯な反省がやはりまだまだ足らないんではないかという、
この国際評価を招く、
こうした結果になっているんではないでしょうか。
どうですか、総理。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
私は全くそうは思いません。
小川議員とは全く私は立場が違うんだろうと
思いますね。
戦後六十年、日本は自由と民主主義、基本的な人権を
守って歩んでまいりました。
そのことは国際社会から高く私は評価されているところであろうと、
このように思います。
これからもその姿勢は変わることはないということを
私はもう今まで繰り返し述べてきたところでございます。
小川委員は殊更そういう日本の歩みを
おとしめようとしているんではないかと、
このようにも感じるわけでございます。
(発言する者あり)
○小川敏夫君
大変な暴言でありまして、私は、アメリカの下院で
そうした決議が出ると、出るかもしれない、
既に委員会では決議が出ているわけで、
今度は下院、院全体で決議が出るかもしれないと。
そのことによって生ずる我が国のこの国際的な評価、
これが低下することを憂えて言っているんですよ。
○委員長(尾辻秀久君)
速記止めてください。
〔速記中止〕
○委員長(尾辻秀久君)
速記を起こしてください。
質問を続けてください。小川敏夫君。
○小川敏夫君
私は、日本をおとしめるのではなくて、日本の評価が
国際的により上がるようにということを願って、
このアメリカの下院で、下院で決議が出るというのは
これは大変なことじゃないですか。
そのことを憂えて私は質問をしておるわけですよ。
それを、おとしめるとは何ですか。
私が日本という国をおとしめるための発言だとは
どういうことですか、総理。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
小川委員はその決議が正しいということの前提に立って
おっしゃっているんですか。
まず、そのことをお伺いをしたいと思います。
○小川敏夫君
決議が出ることを心配して、決議が出ることによって
日本の国際的評価が下がることを懸念して言っているわけですよ。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
ですから、この決議案には、決議案には明らかに事実誤認がある
ということを申し上げているわけでございます。
○小川敏夫君
被害者が議院で証言されているわけですね。
その証言に基づいて下院が決議をすると。
証言を信用ありとした下院の判断が間違いだと、
だからもうそのことについては何の対応もしなくていいと、
ただ事実誤認だと言っていればいいというのが
すると、その安倍総理の姿勢ですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君)
今、小川委員の発言の中にも事実誤認は含まれています。
まず、下院は判断をしていません。
まだ案でしかないというわけでございます。
そして、私たちは対応をしております。
○小川敏夫君
私は出たと言ってないじゃないですか。
委員会では、いや委員会ではもう決議通ってますよ。
ただ、下院の院としてはまだ出ていないし、
しかし出たら困るでしょうと言っているわけです。
総理、あなたが河野談話、これについて余り積極的にといいますか、
前向きに取り組んでいるとは思えない姿勢がよく分かりました。
この質疑の10日後の2007年3月16日、第一次安倍政権は、
辻元清美の質問主意書に対する答弁書でもある
「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による
いわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」
とする政府答弁書を閣議決定しました。
しかし、その3か月後、2007年6月26日に米国下院外交委員会で
アメリカ合衆国下院121号決議、通称「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」
が決議されてしまいました。
この質疑で安倍総理は、はっきりと吉田清治や朝日新聞の名を挙げ、
「でっち上げ」と議事録に残しています。国会での答弁ですので非常に重いです。
安倍総理は、朝日新聞を名指しで出していますが、この件について、
朝日新聞は「名誉毀損」等の反論を一切出しておりません。安倍総理が答弁したことは事実なんです。
そして全く報道しなかったのです。
吉松さんの時と同じように。
このことをお伝えしておきますね。
吉松さんの発言は、質問者の民主党小川敏夫議員の立場と同じです。
安倍総理が、何故、小川議員に対して、
「日本の歩みを おとしめようとしているんではないか」と
仰っているのかを考えて頂きたいのです。
先日のラジオでの吉松さんの発言前、司会の方の質問の中には、
「性奴隷」という言葉があったようですね。
これは、本当に恐ろしい言葉です。
「慰安婦」という言葉があります。
これは英語で
「confort women」です。
しかし
「性奴隷」は「sex slave」となります。
この2つは全く異なるものです。
「似て非なるもの」です。
安倍総理は、いわば、後者の
「性奴隷」をはっきりと否定しています。
そして
前者の「慰安婦」は当時は合法であったことを
絶対に忘れてはいけません。
今の価値観を過去の歴史に無理やり重ね、当時の是非を判断することは
非常に危険です。
また、当時合法であったものを、現在の法に照らして考えることは、
新法を遡って当てはめる
「遡及法」と同じこととなってしまいます。
これは絶対にやってはならないことなのです。
一つ例を出してみます。
■東京裁判での一場面です。
東京裁判: ブレイクニー弁護人の弁論 【東京裁判: ブレイクニー弁護人の弁論 】
ナレーション
ブレークニーはまず戦争は犯罪ではないという。何故か?
ブレークニー弁護士
戦争に関し、国際法の法規が存在していることは
戦争の合法性を示す証拠であります。
戦争の開始 通告 戦闘方法 集結を決める法規も
戦争自体が非合法なら全く無意味です。
ナレーション
国際法は国家利益の追求のために行う戦争を
これまで非合法とみなしたことはないとブレークニーは言う。
歴史を振り返ってみても戦争の計画、遂行が、
法廷において犯罪として裁かれた試しは1つもない。
我々はこの裁判で新しい法律を打ち立てようとする
検察側の抱負を承知している。
しかしそういう試みこそが新しくより高い法の実現を
妨げるのではないか。
「平和に対する罪」と名付けられた訴因は、ゆえに
全て当法廷により却下されねばならない。
次いでブレークニーは言う。
ブレークニー弁護士
国家の行為である戦争の個人責任を問うことは法律的に誤りである。
何故ならば国際法は国家に対して適用されるものであり
個人に対してではない。
個人による戦争行為という新しい犯罪をこの法廷が裁くのは誤りである。
ナレーション
彼の論理はさらに続く
ブレークニー弁護士
戦争での殺人は罪にならない。
それは殺人罪ではない。
戦争が合法的だからです。
つまり合法的な人殺しなのです。
殺人行為の正当化です。
たとえ嫌悪すべき行為でも、
犯罪としての責任は問われなかったのです。
キッド提督の死が真珠湾爆撃による殺人罪になるならば、
我々は広島に原爆を投下した者の名をあげることができる。
投下を計画した参謀長の名も承知している。
その国の元首の名前も我々は承知している。
彼らは殺人罪を意識していたか。
してはいまい。
我々もそう思う。
それは彼らの戦闘行為が正義で、
敵の行為が不正義だからではなく、
戦争自体が犯罪ではないからです。
なんの罪科で、いかな証拠で、
戦争による殺人が違法なのか。
原爆を投下したものがいる!
この投下を計画し、その実行を命じ、それを黙認したものがいる!
その人達が裁いている!
ナレーション
このくだりは現在日本で発行されている速記録には
「以下、通訳なし」として印刷されていない。
ブレークニーの論法は必ずしも原爆という新兵器の非人道性を
正面から攻撃するものではなかった。
しかし昭和21年5月という占領下の日本において
原爆問題に触れることだけでも、連合国代表によって
構成される法廷を刺激したに違いない。
東京裁判は、「平和の罪」などという
「遡及法」を以って、
また、合法であった「戦争での殺人」を日本に対してだけ
「殺人罪(人道の罪)」として当てはめることによって、
「全ての悪は日本にあり」と日本が裁きを受けた、
戦勝国側の一方的かつ理不尽な裁判でありました。
動画に出てくるファーネス弁護士とブレークニー弁護士の2人は
法の公正を要求し、この裁判の欠陥を突いてくれたのです。
特にブレークニー弁護士の言葉は「正義」そのものです。
しかし、その「正義」の「異議申立て」は「却下」され、
一審制の東京裁判は有無を言わさず成立してしまったのです。
インドのラダ・ビノード・パール判事は、この東京裁判においての
意見書で、このような結語を残しています。
時が熱狂と偏見とを
やわらげた暁には
また理性が虚偽から
その仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを
要求するであろう 今の日本はこの「不正義」で固められた「東京裁判」という
「砂上の楼閣」の上にあるのです。安倍総理はその崩壊させるべき楼閣の上で
日本の「正義」を取り戻すために戦っているのです。
★ブレークニー弁護士の言葉。
>たとえ嫌悪すべき行為でも、
犯罪としての責任は問われなかったのです。この言葉がまさしく現在槍玉に挙げられている「慰安婦問題」にも
当てはまります。
慰安婦問題は、非合法の「性奴隷」であったか、合法の「慰安婦」であったか。
これだけが問題となります。
安倍総理は、「非合法ではなかった」とはっきりとさせています。そもそも慰安婦問題は、イメージ的に強制性を強く与える「従軍慰安婦」
という言葉を朝日新聞が捏造し、垂れ流し始めたのです。
昔はこの言葉はありませんでした。
そのことが、吉田清治の自白によって「でっち上げ」だとはっきりしたのを、
再度蒸し返したのが日本のマスコミと韓国であり今の状況です。
いわば上記の東京裁判で、ブレークニー弁護士が言及した、
「たとえ嫌悪すべき行為でも、 犯罪としての責任は問われない事柄」を
日本は、戦勝国によって「謝罪」を強要され、それに従い、
今まで真摯に謝り続けてきたのです。
慰安婦問題でも同じなのです。
むしろ、こんな誠実な国はありません。
しかし、そこにまた付け入るように「謝罪と賠償」を
押し付けてくるのです。
これはもう、「恐喝」、「タカリ」です。
そして
「奴隷扱い」による「搾取」そのものです。慰安婦問題で、インドネシアやフィリピンなどからの
「証言」が出されていますが、これらは個人的な
違反行為のものであって既に罰を受けた事例です。
また「日本を貶める」ために各地で『付け火」して回る
反日日本人によって利用された人達でも在るのです。
韓国の証言者については、証言に全く一貫性がないことも
指摘されています。
これ以上のことは、どうかご自分で調べてください。
どうかお願いします。
■先の戦争前、日本を取り巻く世界はどんな状況だったのでしょうか。
そもそも何故、合法化された「戦争」と言うものの中で、
広島、長崎への原爆投下という非合法の「ホロコースト」が
行われなたのでしょうか?
日本は「欧米列強」の中で、どんな厳しい潮流に飲まれてきたと
思いますか?
正統史観年表 アメリカ軍やオーストラリア軍の蛮行■【米に『首狩時代』再現 /独外務省 髑髏写真を披露】
【ベルリン四日発同盟】
アメリカ雑誌ライフの五月号に掲載された問題の日本兵頭蓋骨写真は
早くもドイツ外務省の入手するところとなり四日の外国新聞記者団会見に
披露された。
その写真はアメリカの一少女が机の上におかれた人間の頭蓋骨を
眺めているところを撮影したもので写真の説明に曰く
「これは日本兵の髑髏でアメリカ兵が記念品としてこの少女に送って来たものだ。
彼女は今この髑髏の寄贈に御礼の手紙を書こうとしている。」
とあり、ドイツ外務省当局はこの写真を披露するとともに
つぎの見解を発表した。
かかることはドイツ人の考え方をもってしては到底想像もつかぬことで
アメリカの道義が如何に頽廃しているかをもっとも明らかに
示すものといえよう。
正に〈首狩り時代)の再現である。
アメリカが往昔の食人時代に復帰していることを物語るものにほかならない。
右のライフに掲載された写真がミズリー州カトリック教機関週報
アーチ・ディオシースの取り上げた事件と同一のものであるか否かは
判明しないがこの外にドリュー・ピアソンの暴露した
〈紙切ナイフ〉事件もあり、以上から推察すると
日本兵の神聖なる死体を冒涜する蛮行は
正にドイツ当局の指摘する通りアメリカが〈首狩り時代の昔に還って〉
アメリカ国民間の流行となっていることを物語るものとして見てよかろう。
『信濃毎日新聞』昭和十九年八月四日
橋川文三『黄禍物語』より抜粋
↑アメリカの雑誌「ライフ」1943年5月号に掲載された写真。
アメリカ兵の恋人が記念品として贈られた日本兵の頭蓋骨を笑顔で見ている。
当時のアメリカ白人の日本人観は「日本人=東洋の猿」程度の認識だった。日本人は、「サル以下」に見なされていたんです。
だから、虫けらのように、実験台として原爆を落とされたんです。
そして、「奴隷」になった可能性もあったのですよ。
今を生きる私達がこうして「人間」として、また「日本人」として
生きて行くことが出来るのは、誰のお蔭なのか、どうか考えて下さい。
勿論、当時でも東京裁判で「正義」を訴えた
ブレークニー弁護士のような人達も当然いました。
ブレークニー弁護士は原爆投下を決定したルーズベルトらを
名指しではないにしろ、あの戦後間もない自国側の裁判で批判したのです。
今も、アメリカには当然そういう方たちがいてくれます。
慰安婦問題でも草の根で良識を持った方たちが
日本を支えてくれています。
しかしとにかくあまリにも当時と今とでは違うのです。
過酷だったのです。
そして、それを変えてくれたのも、
先人の命がけの努力にほかなりません。
■「捕虜」となった日本兵。
シベリア抑留など、非常に厳しいものであったことはご存知かと思います。
その厳しい状況の中で、日本兵はどのように過ごさてれきたのでしょうか。
【感動】ウズベキスタン大統領が麻生太郎に語った日本人捕虜エピソード【参議員 予算委員会 2013年(平成25年)5月13日 】
○中山恭子君
例えば拉致問題に関して申し上げますと、
第一次安倍内閣のとき、DVDとかパンフレットを
日本語プラス八か国語のものを作って、全ての大使館から
それぞれの任国の首脳や関係者に説明をするようにという
対策本部からの指示を出しました。
あらゆるときに日本の考えていること、日本の政策を丁寧に
全ての世界の方々に理解してもらうことというのは、
これは日本が平和を維持していく上で、まあ人との関係でもそうですが、
知ってもらうこと、理解してもらうことというのは非常に重要な
ポイントだと考えておりますので、是非リーダーシップを発揮して
いただきたいと思っております。
今日は、そういった意味で「世界中の文化が輝き、溢れ、
交流する「場」をめざして 文化のプラットホームとしての日本」
のパンフレット、提言を皆様に配付しております。
いずれお読みいただけたらと思いますが、この在り方、
日本が文化の底力を再認識して、二十一世紀、近代文明の後に来る
ポストモダンの世界で日本が世界中の文化が集まってくる場となり、
国際社会の平和と繁栄に貢献する国となることを目指している、
そういう提言でございますので、お目通しいただければ
有り難いことでございます。
そういった意味で、私自身が一九九九年から三年間大使として過ごした
ウズベキスタン共和国での事例を御紹介いたします。
ウズベキスタンは大変な親日国です。
日本人というだけで尊敬され、信頼されます。
その元にあるのは何か、それは日本の文化でございます。
敗戦後、シベリアに抑留された日本兵が中央アジアに移送され
重労働に従事させられましたが、ダムや水力発電所、運河、道路、
さらに劇場などの立派な建築物を建て、今もしっかりそれが残って
使われているというのが現状でございます。
日本の若者たちは、帰国できるかどうかも分からない中、
真面目に誠実に陰ひなたなく働いて、良いものを残し、
感銘を与えました。
ここで働いた人々は混成部隊です。
ということは、当時の全ての若者たちがこのような文化を
身に付けていた証左であると考えます。
麻生大臣は、ウズベキスタンではタロー・アソーと呼ばれて
大変尊敬されていらっしゃいます。
カザフスタンのナザルバエフ大統領にもお会いになって
いらっしゃいますが、中央アジアの国々での日本人の動きについて、
一言お話しいただけませんでしょうか。
○国務大臣(麻生太郎君)
カリモフという大統領がおられるんですが、
一九九七年だったと思いますが、日本の閣僚として初めて
ウズベキスタンという国に行きました。
大統領と接見があって、我々、同友会から数十人同行されたと記憶します。
子供のとき、毎週末、日本人捕虜収容所に連れていかれた。
御存じかと思いますが、四五年から四六年にかけて、
シベリアからウズベキスタンに二万五千人捕虜が移送されております。
そのことを言っておられるんだと思いますが、その捕虜収容所に連れていかれた。
母親が私に言ったせりふは毎週末同じだった。
せがれ、ごらん、あの日本人の兵隊さんを、
ロシアの兵隊が見ていなくても働く、人が見なくても働く、
おまえも大きくなったら必ず人が見なくても働くような人間になれ。
おかげで、母親の言い付けを守って、今日俺は大統領になれた。
なかなか、一緒に行った、私よりもっと御年配の方が多かったものですから、
非常に感激をしておられましたけれども。
これは、この人が大統領でおられたためにいろんなところに
この点は徹底して、今言われた、ナボイ劇場の話だと思いますが、
ナボイ劇場はその捕虜が建てたものですけれども、
これはウズベキスタンの大地震のときにこのナボイ劇場だけが
倒壊しないで残った。
したがって、そこには日本人捕虜と書かれず日本国民と書き直されて、
我々は捕虜にした覚えはないので、日本国民によって建ててもらった
ということが書いてあるので、これはウズベキスタンという国、
中央アジアの中において大勢力ですけれども、この国において
日本人が非常に定着し、日本の文化というものが広まっていった
元の元はその二万五千人に上る捕虜収容所に入れられた方々の
一人一人の御努力の結果、今日の日本・ウズベキスタン関係が
でき上がった基礎はそこにあると、私も伺ったときそう思いました。
★「ナボイ劇場」については、動画がありますのでこちらもご覧ください。↓
リメイク版国旗の重み~ウズベキスタンのナヴォイ劇場~ 麻生副総理の言葉と中山恭子議員の言葉を、どうか、
噛み締めていただきたいと思います。
ミス・インターナショナルであった吉松さんにとって
最も重要なことがここにあるのではないかと思います。
■1917年~20年、第一次世界大戦時の日本国内にあった捕虜収容所。
勿論合法であり、その中でも、非常に人道的で公正、更には友好的だったことが
伝えられています。
特に、徳島にあったドイツ捕虜収容所は、有名です。↓
板東俘虜収容所ここは、日本で初めてベートーヴェンの「第九」が全曲演奏されたところです。
この実話は、「バルトの楽園」として映画化され、2006年公開されました。↓
[2006年6月全国公開したバルトの楽園のロケセット「バルトの庭」満員御礼!|バルトの楽園ロケセットの保存施設「バルトの庭」のブログ「フロインドリーブ」という神戸のパン屋さんをご存知ですか?
ここは日本の捕虜収容所で過ごしたドイツ人、フロインドリーブ氏が
日本に留まり創業したお店です。
また、パン業界第2位の名古屋の「敷島製パン」は
フロインドリーブ氏が技術を伝え、発展した企業です。
私達日本人の先人が、想像を絶する厳しい世界情勢の中で、
「日本人」として、どれだけ強い意志と誇りを持って生きていたのか。
このことにどうか思いを馳せて下さい。
■吉松さんの「お詫び」を読ませていただきました。
お詫び|吉松育美オフィシャルブログ 2014年04月04日(金)お詫び
先日のCBSラジオでの一部翻訳により皆さんに
誤解と混乱を招いた事をお詫び申し上げます。
みなさんが参考にしている翻訳は応援して下さる
日本の方々が分かるようにとボランティアで
第三者が作成したものであります。
翻訳を作成してくださった方も英語と日本語という
違う言語を一生懸命に伝えようとしてくれていたはずです。
しかし、言葉とニュアンスの違いにより誤解を
招くような表現となっていたため私からもお詫び致します。
100人いれば100通りの意見や考えがあり、
それを表現また発言する自由は100人全員に
与えられています。
それぞれの意見を批判や否定をするつもりも、
私の意見を押し付けるような思いも一切ありません。
また、どんなことでも関心をよせ、自分自身の意見を
しっかり持つことは素晴らしいと思います。
色んな意見を寄せてくださった方、ありがとうございます。
吉松さんの立場は既に「公の立場」です。
勿論、例えば国会議員や公務員のような「公人」ではありませんので、
責任を問われることはないでしょう。
しかし、吉松さんは元ミス・インターナショナルという地位を
得られた方です。
その影響力は、それこそ署名をされた13万人の声よりも
はるかに大きいのです。
では何故それ程に大きな発言力、影響力を持ったあなたが、
日本のマスコミから無視をされ、「ストーカー事件」が
闇に葬られているのでしょうか?
何故そのような「理不尽」をマスコミが伝えないのでしょう。
私は正直に言えば、吉松さんがミス・インターナショナルと
なったことを存じませんでした。
他の方でもそういう方は多かったと思います。
でも、あなたの危機的な訴えを知り、あなたが日本代表として
国際友好のために頑張っていらした姿も知り、
日本人として、あなたを守らなくてはならないと立ち上がり、
問題をネットで拡散し目を光らせ、多くの方が署名にも応じたのです。
私は、実は署名をしておりません。
理由は、「チェンジ・オルグ」とう言う署名サイトの日本語サイト代表者が、
TBSのサンデーモーニングのレギュラーとして出演している方だったからです。
この番組は非常に偏向な報道をしており、東京五輪が決まった時も、
お通夜のようになっていたくらいです。
「日本国が悪い」「自衛隊は人殺し集団」と過去ずっとそういった喧伝を
してきた番組なのです。
その意向に沿った方のサイトを私は信じることが出来ず
応援はするものの署名だけは控えさせていただきました。
★署名サイトに関してはこちらの記事でも言及していますので
どうか読んで下さい。↓
「はだしのゲン」閉架反対署名活動をする人たち。学童保育指導員から脱原発プロ市民、そして朝鮮学校まで全てが繋がる。吉松さんは「右翼」という言葉を使われました。
この言葉は間違っています。
あなたを応援してきた方の多くは、マスコミが日本を貶めている事に
危機感を覚え、今回の記事で取り上げてきた様々な事柄に気づき、
日本が危機的状況であることに目が覚めた人が多かったと思うのです。
その応援者の方々が、あなたの言葉でいうところの「右翼」枠に
入ってしまいます。
間違っているんです。
これはいわゆる「レッテル貼り」と言われても仕方がありません。。
吉松さんを異常なマスコミから守りたい、
マスコミとも繋がる異常な組織から守りたい。
日本人として、守りたい。
「右翼」とレッテル貼りされた人達が、そう思ったんです。
浅田真央選手が長い間マスコミに貶められてきました。
そんなことはないと思われるかも知れませんが、
上の方でリンクを張った拙ブログ記事をどうか読んで下さい。
吉松さんが巻き込まれている事態も全ては根っこで繋がっている。
「大きな闇」なんです。
だから本当に皆心配をしたのです。
日本を貶める「大きな闇」。
「大きな闇」などと何を馬鹿なことを、と思われるかもしれません。
でも現実を見てください。
拉致被害者のご家族は、街頭署名でも長い間、
相手にされない時期が続きました。
「北朝鮮に拉致された」と訴えても、みな
「そんなことがこの平和な日本で在るはずない」と
聞く耳を持たなかったからです。
相手にしなかったからです。
そして、恐ろしことに「拉致」を実行した北朝鮮側に
加担する政治家らが「拉致など無い」と真っ向否定し、
ご家族を嘲笑しました。
一方で重大な事態だと関心を寄せた政治家は
ことごとくマスコミに潰されてきたんです。
これが現実です。
「大きな闇」があるんです。
拉致被害者を助けたい、
浅田真央選手を守りたい、
日本を守りたい、
吉松育美さんを守りたい、
そう思い、支えようとした人たちの多くは、
吉松さんが「右翼」という言葉で批判された「枠」の中に
入る人達でも在るのです。
「右翼」という言葉を出した吉松さんの立ち位置は、私から見れば、
拉致被害者のご家族に「拉致問題など在るわけないじゃないか」と
嘲笑し、拉致実行犯の釈放嘆願書に署名し、北朝鮮側に加担した
反日政治家と同じなのです。
「帰国した拉致被害者を一旦北朝鮮に返せ」と言い放った
マスコミを始めとする反日の人達と同じなのです。
吉松さんを守りたいと思った人達は、「右翼」でもなんでもない、
本当にごく普通の日本人なんです。
私は、12年前まで、今回書いた事柄などには全く興味がありませんでした。
テレビでいつ頃からか「いわゆる従軍慰安婦」という言葉が
頻繁に流れ始めた頃があって、私は吉松さんと同じく、
「慰安婦の人たちがかわいそう」「日本は酷いことをしたのだ」と
そう思っていました。
しかし、12年前、日韓W杯がありましたが、その時韓国が
審判買収試合を続けざまに引き起こし、それをマスコミが
全く批判しなかったどころか、韓国を応援しよう!と
ゴリ押ししてきたことに違和感を覚えました。
また北朝鮮拉致事件を知ることとなり、平和だと思っていた日本で
こんなことが起きていたことに驚愕しました。
12年前ですから、吉松さんが中学生の頃ですね。
女子中学生が、国家犯罪によって拉致される。
こんなことが信じられますか?
拉致被害者の横田めぐみさんや有本恵子さんは私と同世代なのです。
だから私にとってはより衝撃的でした。
私は映画の中のことでしか思っていなかった「スパイ」という言葉を
目の前に「現実」として突きつけられて、恐怖とともに、
体の中の何かが、ガラガラ音を立てて崩れていくような感じでした。
拉致被害者5人が帰国できた時、この時も、
マスコミや知識人と言われる人達ほぼすべて、
「帰国した拉致被害者を北朝鮮の約束通り一旦返せ」と
大合唱したのです。
誘拐犯である国に、せっかく奪還した拉致被害者を
犯罪者のもとに返せというのですよ。
どう考えてもおかしいと思いませんか?
誘拐犯から取り戻した我が子を、犯人との約束だからと
犯人に返す親がどこにいると思いますか。
そんな親いるはずありません。
でもそんな信じられないことを、マスコミや所謂知識人、
民主党を始めとする異常とも言える政治家達が表明したのです。
しかもその理由が「日本は過去に酷いことをした。」
というのです。
愕然としました。
その理由で何の非もない日本人が拉致されるのを
「仕方がない」などという人達に呆然としました。
「絶対におかしい。」
そう思いました。
「そう思うのは私だけではないはず。」そう思いました。
そこから自分でネットで色々調べて日本の危機を知ったんです。
浅田真央選手が巻き込まれた様々な出来事で
「なにかがおかしい」と感じ、そこから同じようにネットで調べて
目覚めた人たちもたくさんいます。
吉松さんはお父様とともに、陸上のアスリートですから、
スポーツに不正が入り込むことがどれだけ異常かは
充分お分かりいただけるかと思います。
浅田選手は度重なる韓国の買収による審判不正に巻き込まれ、
日本のマスコミも韓国の不正を隠ぺいするために加担し、
浅田選手をずっと長い間を貶めてきたんです。
かつては、今の吉松さんと同じ意見を殆どの日本人が持っていました。
でも、少しづつし少しづつ、目覚めてるんです、多くの日本人が。
でも、もし「なにかがおかしい」と思っても、そこからすぐに
目覚めることは出来ません。
自分から調べることをしなければ、そのままなんです。
「何かがおかしい」、その原因を自分から知ろうとしなければ
本当に日本の危機に気がつくことは出来ません。
日本は危機的状況なんです。
だから吉松さんのこともみんな心から心配し、応援していたんです。
どうか吉松さんもこれを機会にご自分で調べてくださいませんか。
そしてどうか日本の危機的状況を知って下さい。
チベットや東トルキスタンがどんなことで苦しんでいるかご存知でしょうか?
国を失うことがどんなに辛いことであるか。
祖国が亡くなることがどんなに辛いことであるのか。
日本人であること。
吉松さんも「日本代表」として、またお父様もかつて
「日本代表」だったのですよね。
「日本人である」ということは、まず自らのアイデンティティーを
確立するものです。
これはどこの国の方たちも同じです。
吉松さんも衣装に和装のアレンジしたものを着られることがありますよね。
それは日本人を意識してのことですよね。
日本のパスポートは、国交がない国以外はどこにでも行けます。
信頼があるからです。
何故信頼があるかといえば、かつて日本人が、
信頼を得る行動をしてきたからです。
今回取り上げた、ウズベキスタンのこともそうです。
このような積み重ねがあって、日本人は「菊の御紋」の付いた
パスポートでどこへでもスムーズに入国できるんです。
このことを教えてくれたのは金美齢さんです。
日本人はこのことをもっと重く受け止め、
先人に感謝しなくてはいけないと思います。
その先人たちの、努力の足跡の後ろに私達がいます。
その足跡を穢すことはあってはならないのです。
ましてや、その先人たちに、謂われのない濡れ衣を着せ、
誇りを失わせるようなことを後世の私達がしてはならないんです。
そのためにも、どうか歴史をもう一度調べて下さい。
あなたの影響力は、非常に大きいのです。
あなたの一言で先人の歩みが一瞬にして穢されてしまうことを
私は非常に恐れます。
その一言が、後世の子や孫たちに、なんの罪もない十字架を背負わせ、
日本人としての誇りと自信を失わせてしまうかもしれないのです。
吉松さんは「お詫び」の中で、100人100様の意見云々と
書かれていましたが、私のような一介の個人が何を喋っても
影響はありませんが、あなたの意見は日本人の未来を
もしかすると左右しかねないのです。
米国のグレンデール市とその周辺地区で何が起こっているかご存じですか?
韓国が建てた慰安婦像が原因で、在米の日本人の子どもたちが、
酷い虐めにあっているのですよ。↓
在米の日本人の子供たちが図書館で唾を吐きかけられる。 今、日本人が最も人種差別的憎悪の犯罪を受けている!在米の日本人の子供たちが図書館で唾を吐きかけられる。
「日本人はレイピスト(強姦魔)だ!」
「お前たちの存在自体が気に入らない!」などと罵られる。
家のポストに変なものを貼られる。
どんどんエスカレートしていく現実・・・。吉松さんは佐賀県鳥栖のご出身ですよね。
お隣の熊本の「くまモン」、今や日本のゆるキャラの人気者ですが、
そのゆるキャラでさえ、こんなふうに言われているんです。
日本のかわいいキャラクターが流行っているけれど、
あれは凶悪な日本人の心を隠すためにああいう「ぶりっ子文化」を
発信しているんじゃないかなどと言われる、と。
吉松さん、日本には「人権派」と呼ばれる方達がいることをご存知だと思います。
でもおかしなことに、その「人権派」の方々の中で、慰安婦問題によって
差別的イジメを受けている在米の日本人の子どもたちのために動く人は
いないんです。
また「女性の人権」を声高に掲げる人たちにも手を上げてくれる人はいません。
あれだけ慰安婦問題で女性の人権、韓国人の方の人権に熱心でありながら。
そしてマスコミも殆ど報道しないんですよ。
何故だと思いますか?
そして、在米の子どもたちを守りたいと動いてくれる人達は、
吉松さんの仰る「右翼」の枠の中に入る人達なんです。
何故だと思いますか?
今回の吉松さんの発言は、「性奴隷」という全く日本とは関係のない
非合法な事柄を日本が起こしたと言ってしまっています。
この発言を撤回していただきたいです。
そしてこのような発言が日本全ての誇りを傷つけるものであることを
どうか解って頂きたいと思います。
長いお手紙になってしまいました。
でもどうしても分かっていただきたく、こうして書きました。
どうかお願いです。
吉松さんのご先祖様も、日本をここまで築き上げて下さった
大事な方たちなんです。
ずっと守ってきてくださった方たちなんです。
戦争に行かれた方々の声。
そういうものを私達はほとんど聞くことはありませんでした。
戦争に行かれた多くの方は口を閉ざされてきたのだと思います。
それは、私達が「あの戦争は悪だった」と全否定したことも
影響していたと思います。
私達は、「日本を守って下さってありがとうございました」という言葉を
掛けることが出来なかった。
日教組の教育で「日本軍は悪」それが先に来て、全否定してきたんです。
日本の家族を守るため、ひいては日本を守るために、
戦争に赴かれた方たちに「ありがとうございました」と伝えることすら
できなかったんですよ・・。
私達日本人の祖先は、現代からは想像のし難い、
今で言う「国際社会」とは全く異質の世界情勢の中で、
人間として生きられるか、それとも奴隷として生きるのか、
国が亡くなるのか、それとも守れるか、
そんな生きるか死ぬかの瀬戸際の中で、究極の選択をしながら、
あの激動の時代、修羅場をくぐり抜けてきたんです。
私達がこうして「日本人」として生きていけるのは、
先人の方々のお陰です。
吉松さんがミス・インターナショナルとなり得たその礎も・・。
1919年(大正8年)2月13日、第1次世界大戦後の
パリ講和会議国際連盟規約委員会において、
連盟規約に人種差別撤廃を盛り込むことを提案したのは
日本なんですよ。
「人種あるいは国籍如何により法律上あるいは事実上
何ら差別を設けざることを約す」
世界で最初に国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国が
日本だったのですよ・・。
吉松さん、どうかこれを機に目を覚まして下さい。
日本を守るためにも。
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