「翳りゆく部屋」・・・ユーミンはやっぱりすごかった、天才だ、と思える歌
- 2012/03/29
- 01:26
先ほど、NHKをつけたら、ユーミンが歌を歌っていた。
「春よ、来い」
仙台での歌だった。
この歌は私も好きだ。
ユーミンは決して声のいい歌手じゃない。
でも、今日、テレビで流れたユーミンの歌声はすべて心に響いた。
仙台での歌も、スタジオでの歌も、心がこもってた。
聴いてるうちに涙が自然と出てきた。
番組はその後、ユーミンが母校の立教女学院を訪れるところへと続いた。
立教女学院。校門から見る学舎もとても素敵だし、中庭も雰囲気が素敵だった。
そして学校内のパイプオルガンのある教会。
そこでユーミンは、後輩の聖歌隊と一緒に聖歌を歌った。
ユーミンの音楽の原点は母校の立教女学院にあったんだ。
パイプオルガンの音を中学で初めて聴いた時の衝撃。
そして高校時代、プロコル・ハルムというイギリスのロックバンドの
「青い影」という曲に刺激を受けて、教会の音楽とロックを
合わせることが出来るかもしれないとの思いで作られたのが
あの「翳りゆく部屋」だったと。
そうだったんだ・・。凄く納得。
しかし、今日まで、この曲、はっきり言って忘れかけてた。
そして、今日、ぶわ~~~っと甦った。
ユーミンが、母校の教会で、聖歌隊の後輩たちの前で、
先生のパイプオルガンと共に弾き語りで歌ってくれた。
「翳りゆく部屋」。
あぁ、中学生の頃だったか、何度も何度も歌ってた歌だった。
歌詞をちゃんと覚えていた。
ユーミンの歌で一番好きな歌だった。
なんか、心の引き出しの奥深く眠っていたものを取り出してきたような感じだった。
その後、もう一箇所、母校の「思い出の場所」が紹介された。
そこは、自分の母校にもあった、音楽室ならぬピアノ室。
でも、立教のそこは、防音室という感じではなく、
床までの長細い緑色の枠のガラス窓から、木漏れ日が差し込み、
右手にアップライトピアノが置かれ、あとは、演奏者が座れる
スペースがあるだけの細くて小さな「部屋」だった。
その場所で、ユーミンは「ベルベット・イースター」を作ったそうだ。
この歌も自分の記憶の箱から取り出されてきた。
今日の番組を見なければ、一生記憶の底にしまったままになったかもしれない。
さっき調べたら、「翳りゆく部屋」と「ベルベット・イースター 」は
1976年3月5日に発売されたシングルのA、B面だった。
この2曲は本当にすばらしい。
ユーミンはやっぱり凄い。一番感性豊かだった頃の彼女は本当に天才だ。
改めてそう感じた。
私はオフコースの小田さんが大好きだが、なんとなくユーミンの曲を聴いてると、
曲の流れがオフコースにも少し繋がるような感じがした。
小田さんは、「ワインの匂い」でユーミンを歌ってたけど、その歌詞を思い出した。
ワインの好きな娘はいつでも
いくつもいくつも
メロディーを作って
窓から遠くを見つめながら
優しく哀しいピアノを弾いてた
・・・・・・
まるで立教女学院のあの場所での「ユーミン」がそのまま浮かんでくるよう。
思えば、自分の中学高校時代って本当に「音楽の宝庫」だったと思う。
そんな良き時代を過ごせたのは、日本を命がけで守ってくれた方たちのお陰。
そして、戦後、懸命に日本を復興させてくれた方たちのお陰。
改めてそう思う。
良い歌はいつ聴いても「生きている」。
「春よ、来い」
仙台での歌だった。
この歌は私も好きだ。
ユーミンは決して声のいい歌手じゃない。
でも、今日、テレビで流れたユーミンの歌声はすべて心に響いた。
仙台での歌も、スタジオでの歌も、心がこもってた。
聴いてるうちに涙が自然と出てきた。
番組はその後、ユーミンが母校の立教女学院を訪れるところへと続いた。
立教女学院。校門から見る学舎もとても素敵だし、中庭も雰囲気が素敵だった。
そして学校内のパイプオルガンのある教会。
そこでユーミンは、後輩の聖歌隊と一緒に聖歌を歌った。
ユーミンの音楽の原点は母校の立教女学院にあったんだ。
パイプオルガンの音を中学で初めて聴いた時の衝撃。
そして高校時代、プロコル・ハルムというイギリスのロックバンドの
「青い影」という曲に刺激を受けて、教会の音楽とロックを
合わせることが出来るかもしれないとの思いで作られたのが
あの「翳りゆく部屋」だったと。
そうだったんだ・・。凄く納得。
しかし、今日まで、この曲、はっきり言って忘れかけてた。
そして、今日、ぶわ~~~っと甦った。
ユーミンが、母校の教会で、聖歌隊の後輩たちの前で、
先生のパイプオルガンと共に弾き語りで歌ってくれた。
「翳りゆく部屋」。
あぁ、中学生の頃だったか、何度も何度も歌ってた歌だった。
歌詞をちゃんと覚えていた。
ユーミンの歌で一番好きな歌だった。
なんか、心の引き出しの奥深く眠っていたものを取り出してきたような感じだった。
その後、もう一箇所、母校の「思い出の場所」が紹介された。
そこは、自分の母校にもあった、音楽室ならぬピアノ室。
でも、立教のそこは、防音室という感じではなく、
床までの長細い緑色の枠のガラス窓から、木漏れ日が差し込み、
右手にアップライトピアノが置かれ、あとは、演奏者が座れる
スペースがあるだけの細くて小さな「部屋」だった。
その場所で、ユーミンは「ベルベット・イースター」を作ったそうだ。
この歌も自分の記憶の箱から取り出されてきた。
今日の番組を見なければ、一生記憶の底にしまったままになったかもしれない。
さっき調べたら、「翳りゆく部屋」と「ベルベット・イースター 」は
1976年3月5日に発売されたシングルのA、B面だった。
この2曲は本当にすばらしい。
ユーミンはやっぱり凄い。一番感性豊かだった頃の彼女は本当に天才だ。
改めてそう感じた。
私はオフコースの小田さんが大好きだが、なんとなくユーミンの曲を聴いてると、
曲の流れがオフコースにも少し繋がるような感じがした。
小田さんは、「ワインの匂い」でユーミンを歌ってたけど、その歌詞を思い出した。
ワインの好きな娘はいつでも
いくつもいくつも
メロディーを作って
窓から遠くを見つめながら
優しく哀しいピアノを弾いてた
・・・・・・
まるで立教女学院のあの場所での「ユーミン」がそのまま浮かんでくるよう。
思えば、自分の中学高校時代って本当に「音楽の宝庫」だったと思う。
そんな良き時代を過ごせたのは、日本を命がけで守ってくれた方たちのお陰。
そして、戦後、懸命に日本を復興させてくれた方たちのお陰。
改めてそう思う。
良い歌はいつ聴いても「生きている」。
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