マスコミ報道によって「泣き寝入り」が生じるのは「報復」があるから。
- 2014/03/23
- 15:10
テレビ朝日の情報番組「モーニングバード」で、
当時大阪府市統合本部特別顧問だった古賀茂明が
関西電力に対してまるで「停電テロリスト」であるかのような
発言を行ったことがありました。
テレ朝の「停電テロ」報道に関西電力が抗議! 関電「そのような事を検討している事実は一切ありません」
・テレビ朝日「モーニングバード」での古賀氏の発言(要約)
(一部抜粋)
関電は経産省と共に、東日本大震災から1年を経たことを機に
大飯原発を再稼動する「プランA」を検討していたという。
しかし国民は原発再稼動を望んでおらず、
この計画に代わり「プランB」を模索した。
「プランB」は需給検証委員会などによって、
電力が足りていないことをPRし、中小企業や自治体の
同意を取り付けようというもの。
だが、これも思うように進まず、さらなる策として
「最悪のシナリオ」が用意されていると古賀氏は語る。
火力発電所で事故が起こる可能性を指摘し、
わざと事故起こしたり発電に不具合が生じた場合に、
「(発電所は)しばらく動きません」ということにして、
急激な電力不足を発生させて「パニックを起こす」と説明。
これを古賀氏は「ある意味プランC」「停電テロ」と称した。
この「最悪のシナリオ」や「停電テロ」という発言を受けて、
関電はホームページ上で次のように抗議している。
・関電がホームページに公開した古賀氏の発言に対する抗議
「本日(平成24年5月17日)、テレビ朝日「モーニングバード」の番組内で、
大阪府市統合本部特別顧問・古賀茂明氏の「火力発電所でわざと事故を起こす、
あるいは事故が起きたときにしばらく動かさないようにして、
電力が大幅に足りないという状況を作り出してパニックをおこすことにより、
原子力を再稼動させるしかないという、いわば停電テロという状態に
もっていこうとしているとしか思えない」というインタビューが 紹介されましたが、
当社として、そのような事を検討している事実は
一切ありません」
(関電ホームページより引用)
この時、関西電力は、自身のHPで、かろうじて抗議をしたわけです。
「かろうじて」と書いたのは、「名誉毀損」や「誹謗中傷」として、
「訴える」までには至らず、HPで反論しただけだったからです。
当時はマスコミを筆頭に、世の中まるで「電力会社は悪そのもの」
であるかのように連日叩いてばかりでした。
そんな中で「裁判云々」になれば、更に企業イメージが悪くなるのは
目に見えていました。
また、時間、人手、お金をのことを考えても「裁判」というのは
大手企業といえども、簡単には決断できないものだと思います。
マスコミは簡単にデマや煽動を公共の電波で一気に流すことが出来、
「報復」というものをいくらでも出来る「権力者」です。
そのことを考えれば、「関電が出来たこと」は
これくらいしかなかったわけです。
そして、これに対して、橋下は当時このような反応を見せました。⇓
橋下大阪市長ウォッチ 「停電テロ」発言 「範囲内」と擁護 2012/5/21
【橋下大阪市長ウォッチ 「停電テロ」発言 「範囲内」と擁護】
大阪市の橋下徹市長は2012年5月19日、
大阪府市統合本部の特別顧問の古賀茂明氏がテレビ番組で
関西電力に対して「停電テロ」と表現した問題で
「表現の(自由の)範囲内」と擁護した。
「公の発言としてはギリギリのラインをちょっと超えるか超えないか」
と、「きわどい発言」だったことも認めた。
古賀氏の発言をめぐっては、関電もウェブサイト上で
「そのようなことを検討している事実は一切ありません」
と異例の反論を展開している。
橋下市長は、「クレームはもっとも」と、関電の対応にも理解を示した。
「きわどい発言だ」と言おうが言うまいが、
古賀のこの許しがたい暴言を否定はしなかったわけです。
そして、謝罪さえしませんでした。
マスコミも橋下を全く叩かなかった。
この結果を見ても「関西電力」はこの時「泣き寝入り」を
したも同然だったと私には思えます。
私はこの時本当に怒りが湧いて、こんなふうに書きました。⇓
関西電力の皆さん、悔しくないですか・・・?
先日報ステが行なった「福島への風評加害報道」も、
いわば同じ類いのものでした。
(★重要追記あり★)「報ステ」が「中核派の診療所」を紹介する異常さ。
被災者に絶望しか与えない煽動報道はもうやめろ!!!
中核派の診療所まで出して来て、福島医大の検査が
まるで信用出来ないかのような印象操作も為されていました。
福島医大側は報道された翌日に、即座に「見解」を
HPに出しました。
冷静な「見解」でした。
本来ならば怒りを持った「抗議文」だと思うんです。
そこをぐっとこらえて、福島の人達のためにも、
気持ちを抑えて「見解」を出されたんだと思います。
でもあくまでHPなんです。
テレビをつけたら流れてる、ってことではありません。
報ステの報道を確認したいと思った人達が、意志を持ってHPを開く。
そこで初めて見ることが出来る「見解」なんです。
本当は報ステが、福島医大の見解を流すべきです。
でも、そんなことをする報ステではありません。
今回も関西電力の時と同じく「泣き寝入り」です。
この「泣き寝入り」は何から起きるか。
それは、まさしくマスコミの権力によるものです。
自分たちに背けば、自分たちに文句を言ってこようものなら、
ほんの僅かなことでもネタにして叩く。
捏造や嘘など当たり前。
1つの真実に9の嘘でも平気で叩く材料を作り
潰しにかかる。
このマスコミの権力というのは、公共の電波を使って、
また「似非」の「正義のペン」とやらを使って
徹底的に貶める「報復」が可能なんです。
これは「脅迫・恫喝」そのものなんです。
こうして、マスコミは新聞では「書きっぱなし」、
テレビでは「言いっぱなし」で全てを逃げ切り、
何ら今まで責任を負ったことがありません。
それを糾弾できる人もいない。
だからネットでしか、私達一般人は反論するところがない。
ここでしか反論できないんです。
このことは、先に起こった民主党の小西洋之議員の
ツイッター問題にも繋がっていきます。
これは次回に書きたいと思います・・。
★1995年の阪神淡路大震災の時、関西電力が
どんなに懸命に動いていたか。
これ、ぜひ読んでいただきたいと思います。⇓
阪神・淡路大震災~応急送電までの7Days
震災後、応急送電完了までの7日間の頑張りが書かれています。
私も神戸で被災された方から「電気の復旧が早かった」と
何度かお聞きしました・・。
★7th day 「100万ドルの夜景」再び 1/23=応急送電完了(関西電力HP)
【7th day 「100万ドルの夜景」再び】
◆それぞれの胸中
神戸支店お客さま室(ネットワーク技術)の喜田定逸は、
17日夜から丸4日間、支店地下の対策本部で不眠不休の作業を続けた。
気が張っていたため疲労は感じなかったが、妻や子どもたちに
「お父さんは肝心な時に家にいない」と言われたのは辛かった。
でも、それが自分の仕事だから……。そう思い直した。
応急送電体制が整った時は、ただただ嬉しかった。
「街や家に電気が灯っているのを見ると、ホッと安心する。
だから電気を正常に送れるようになるまで、もう少し頑張ろう」
と決意を新たにした。
神戸電力所地中保線課の田中誠にとっては、
これからが本当の勝負だった。
地中送電線はケーブルを納めた管路の4~5割が損傷していた。
しかし今は交通事情が悪過ぎ、補修作業も容易に進まない。
相当の長期戦を覚悟し、「体調にだけは気を配って頑張ろう」
と地中保線課22人が声を掛け合った。
幸いケーブル自体の被害は少ない──
「お客さまとの絆を結ぶ電力ケーブルは強い」と実感できたのは
大きな支えだ。
神戸の電気は我々が守る! みんなの気持ちも一つにまとまった。
「電気の復旧は早かった! ありがとう」。
兵庫営業所長の土山裕司には、お客さまから聞いたその言葉が
何よりの財産として胸に残った。
これも遠路駆けつけてくれた他電力の応援部隊や協力会社、
関西電力各支店の協力があってこそ、と改めて感謝の念を抱いた。
危機的状況のなか、「電力仲間」の一体感を体験できたこともまた、
土山にとって貴重な財産となった。
◆一枚のはがき
応急送電完了から一週間余りが過ぎた2月1日、三宮営業所に
一枚のはがきが届いた。
宛名は「三宮営業所所長様・御一同様」と記されていた。
神戸市灘区のお客さまから届いた、早期送電に対する感謝と
所員への励ましの便りだった。
その心のこもった文面に思わず目頭を熱くした丸野三明所長は、
お客さまの名前だけを伏せてコピーをとり、営業所員はもちろん、
ともに復旧作業に携わった関連会社の社員にも全員に配布した。
応急送電が完了したとはいえ、本格復旧に向けた作業が
休むことなく続く毎日。
疲労も極限に達していた時だけに、そのはがきはまさに
一服の清涼剤となった。
はがきを読み終えた所員たちはみな、生き返ったような表情を浮かべていた。
眼に涙をにじませる者も多かった。
「電気の復旧は必ず成功するぞ」。
そんな所員たちを見ながら、丸野は確信を抱いた。
この時ほど、電気事業に携わることの喜びを肌で感じたことはなかった。
<神戸市灘区のお客さまからのお便り>
この度は大変な災害に日夜ご奮闘いただきまして、
心より感謝申し上げます。
私は十七日夜、大多忙の中にお電話して悪いと思いながらも
「近所は電灯がついているのですが……」と申し上げた者です。
対応に出てくださいました方が、本当にいい方で
実に丁重なご応答をくださいました。
その上、十八日朝わざわざお電話くださいまして
「電灯はつきましたか」とのありがたいお言葉です。
「いえ、外灯はつきましたが家はまだです」とお答えしました。
(中略)
夕方近く電灯がパッとともり主人と手をたたきました。
あまりのうれしさに不躾でしたが三階のベランダから
「関西電力さん、ほんとにありがとうございます」
と大声を張り上げました。
別のお部屋の方も「ありがとうございます」、
そこを通りかかった子どもも「ありがとう」と叫んでいました。
「つきましたか」と会社の方。
「ええ、もううれしくて」と申し上げると、
にっこり笑ってすぐお帰りになりました。
暗がりで余震におののき、寒さに震えておりましたが、
今夜から明るい部屋で暖かく、ご飯にもありつけます。
散らばったガラス片も掃除機をかけられます。
ご活躍のおかげです。
(中略)
思うことを言い表せませんが、誠にありがとうございました。
こういう時ですので、いつこれが着きますがわかりませんが、
一言お礼申し上げたくペンをとりました。
どうか皆様お体ご大切にご活動くださいませ。
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