拉致被害者、横田めぐみさんのご両親、横田滋さんと早紀江さんが、
お孫さんのウンギョン(幼名ヘギョン)さんと、
ウンギョンさんの10ヶ月になるお子さんに
モンゴルで会ったというニュース。
「前から一緒にいたような和やかな感じだった」
この言葉を聞いて少しだけホッとしたけれど、
でもやっぱり、何故そこに「めぐみさん」がいないのか、
その思いのほうがすぐに強くなってきてしまった。
マスコミが、今回のニュースを「しれっ」と流すことへの怒り。
マスコミはどれだけ拉致解決の邪魔をしてきたのか!?
その悔しさでいっぱいになる・・。
このニュースの報を最初に聞いたのは先日、日曜朝の
フジテレビの「新報道2001」。
司会の須田哲夫から、このニュースを聞くとは・・。
2002年10月、北朝鮮からキムヘギョンさんの「涙の訴え」が
流れた直後、横田さんご夫妻に何度も何度も執拗にマイクを向け、
「会いに行きたい」という言葉を引き出させようとしていたのが
この須田哲夫だった。↓
★安倍総理の靖国神社参拝。 日本に澄み切った空が戻ってくる。
正義の女神はきっと見ている。2002年の5人の拉致被害者帰国からさえ12年。
12年も経ってしまった。
あの時「日本の危機」が多くの国民に判ったはずだった・・。
なのに何故、安倍政権が倒され、麻生政権が倒され、そして
民主党政権ができてしまったのか。
マスコミは事あるごとに
「日朝国交正常化を優先しろ」と言った。
「在日朝鮮人が差別をされてかわいそう」と言った。
「脱北者を助けろ」と言った。
「北朝鮮の飢えに苦しむ人達を助けるべきだ」と言った。
「拉致事件が起こったのは日本が強制連行をしたからだ」と言った。
「帰国した拉致被害者5人を一旦返せ」と言った。
「北朝鮮との約束を守れ」と言った。
「拉致被害者を一刻も早く全員奪還すべき。」
この言葉は隅へ追いやられ続けた。
朝鮮半島は北も南も同じ。
「謝罪と賠償」という言葉で日本を縛り続けてきた。
マスコミはそれを増長させ、煽動報道を続けた。
K-popや韓流で日本国民を籠絡させ、
馬鹿げた北朝鮮宣伝番組でガス抜きし、
キチガイ沙汰の安倍、麻生バッシングで、
拉致問題解決を遠ざけていった。
拉致実行犯のシンガンスの釈放嘆願書に署名した菅直人が
まさか、まさか、総理になるとは・・。
2002年を経験して尚、まさか国民がそんな方向へ行って
しまうとは思いもよらなかった・・。
悔しい、本当に。
2002年から私が見てきた構図は、
まさしくイジメの構図にそっくりだった。
長い間、隠れたところで、陰湿なイジメが続く。
恫喝、脅迫が始まる。
意を決して真実を表に出せば、
「悪口を言われた!!」と声高に叫び声を浴びせられる。
イジメに耐えかね、身を守るために
そこから離れる、或いは無視をすれば、今度は
「仲間はずれにされた!」
「除け者にされた!!」
「差別をされた!!」
と喚き立てられる。
異常なイジメから逃れるための手段は、こうして
行為そのものを「悪」と捉えられ封じられる。
そして、イジメは繰り返される。
「10」のうち9つまで真面目に頑張っている子が、
1つだけ「自己主張」すれば、それを「わがままだ」と言われる。
「10」のうち9つまで自己中心的で他人に迷惑をかけっぱなしの子が、
1つだけ当たり前のコトをすれば、それだけで大きく褒められる。
この構図。
「いい人もいる」というおためごかしな言葉。
それでいて「日本人は悪」という言葉が肯定される異常。
日本人が真実を言えば途端に「差別だ!」という叫びが
降り掛かってくる。
そして「差別言葉は良くない!!!」と弾圧される。
「人権擁護法案」が「恐ろしい」と言われる所以だ。
今は「ヘイトスピーチ」という言葉で「弾圧」される。
今や、twitterで、批判をしたり、
真実を知りたいと質問をしただけで、
「名誉毀損だ!訴えます!」
「それなりの措置を講じさせていただきます!」
などと脅迫、恫喝し、一般人にアカウントまで消させるに
至らしめる国会議員まで出てきた。
一方で国会の質疑で「憲法改正」と言っただけで
悪辣極まりない中傷の言葉を浴びせているというのに。
本当に恐ろしい。
これが現実の日本。
国会議員まで加担しているこの構図。
「日本が悪い!!」
「日本は差別主義者!!」
だから、
「謝罪と賠償!!!!!」
戦後押し付けられた「自虐史観」によって
長い間、縛り付けられてきた日本。
拉致問題も全てはここに起因する。前回の記事で取り上げた、「ルーズベルトへの手紙」
「硫黄島の戦い」で戦死した市丸海軍少将が、
死を迎える前に遺したルーズベルトに宛てた手紙。
小野田寛郎さんが生前、靖国神社での講演で、
『現在の日本において何故、拝聴する機会が無いのか?』
と嘆いていらした「開戦の詔勅」。
日本人全てが知るべき「開戦の詔勅」。
小野田寛郎さんが、強く語った 『 開戦の詔勅 』 。 今の日本の危機と重なる・・。これとともに、日本人が知るべき本当に大切な手紙だと思う。
拉致問題が何故解決されないままここまで来てしまったのか。
それに繋がる「自虐史観」から目覚めるために
どうしても読んで欲しい手紙・・。
ルーズベルトに与うる書 【ルーズベルトに与うる書 … 市丸利之助海軍少将】
日本海軍市丸海軍少将がフランクリン・ルーズベルト殿に、
この手紙を送ります。
この戦いが終わるに当たって、
私はあなたに一言を告げることがあります。
ペリー提督の下田入港を機として、日本が世界と国交を
結ぶようになって百余年が間、日本の歩みというものは
至極難儀を極め、自らが望んでいるわけでもなく日清戦争、
日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変と経験し、
不幸なことに貴国と交戦するにまで至りました。
これについてあなたがたは日本の戦争に対し、
或いは好戦的で残虐な国民であると、
或いは黄色人種の跋扈(ばっこ=「のさばり、はびこること」)だとか、
或いは軍閥の専断によると言われますが、
これはとんでもなく的外れであります。
あなたがたは真珠湾の不意打ちを唯一つの対日戦争に
対する宣伝資料としているようですが、日本が自滅から
逃れるため、このような戦争を始めるところまで
追い詰められた事情は、あなたがたが最もよく存じている
ところではないでしょうか。
畏れ多くも日本天皇は、皇祖皇宗建国の
大みことのりに明らかであるように、
養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を
三綱とする八紘一宇(天下を一つの屋根の下に)
という言葉で表現される国家統治計画に基づいて、
地球上のあらゆる人々はその自らの分に従って
『その生まれた土地においてその生を享受する』
このような恒久的世界平和の確立を唯一の念願と
されているに他なりません。
このことはかつて、
「四方の海 皆はらからと 思ふ世に
など波風の 立ちさわぐらむ」
(意訳:人は皆家族であるのに、なにゆえ争わねばならないのか)
という明治天皇の御製に言われていることと同じで
あります。
これを聞き、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト
閣下が感嘆したことをあなたも良く知っていることでしょう。
我々日本人にはいろいろな階級の人がおりますが、
つまるところ彼らは色々な職業につきながら、
この天業を助けるために生きているのです。
我々軍人もまた、戦争という生業でこの天業を
広く推し進める助けをさせて頂いております。
今の我々は、あなた方の物量を誇る航空戦力や艦砲射撃に
対して圧されている状況にありますが、 精神的には充実して
おり、士気はますます高揚し、歓喜に溢れているのです。
これが天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理で
ありますが、あなたやチャーチル殿には理解できないかも
しれません。
あなた方の精神的な弱さを悲しく思い、一言書かせて
いただきます。
あなた方の立ち振る舞いをみると、白人とくに
アングロサクソンによって世界の利益を独り占めにしよう
とし、その野望の為に有色人種を奴隷としてきたでは
ありませんか。
好計(かんけい=「悪だくみ」)を弄して有色人種を騙す
という、いわゆる悪意のもとの「善政」によって、
彼らから考える力を奪い、無力にしてきたのです。
近世になって日本があなた方の野望に抵抗して、
有色人種とくに東洋民族としてあなた方の束縛から解放を
試みましたが、 あなた方は日本の真意を少しも理解しよう
とはせず、ひたすら有害な存在であるとして、かつては
友邦であったはずの日本人を野蛮人として、
公然と日本人種の絶滅を口にするように
なったのです。
どうして神意に背くのでしょうか。
大東亜戦争により、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、
それぞれ各地の民族が善政を行い、そしてあなた方が
これを破壊しなければ、全世界が恒久的平和を実現する
のも決して遠くはないのです。
あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているのにも満足せず、
数百年来あなた方の搾取から逃れようとする哀れな人類の
希望の芽を、どうして若葉のときに摘み取ってしまうのですか。
ただ単純に東洋のものを東洋に返すということに過ぎないのです。
あなた方白人はどうしてそうも貪欲で狭量なのでしょうか。
大東亜共栄圏はあなた方の存在を少しも
否定しません。
むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の
安寧幸福を保障するということに日本天皇の
神意があるということを理解できる雅量を
あなた方に望んでいるのです。
ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解が原因で
人々が闘争することがいかに悲惨であるか、痛嘆せざるを
得ません。
今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは
慎みますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、
一次大戦終結のとき、その開戦の責任一切を敗戦国である
ドイツ一国に被せ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に
対する反動であることを看過できません。
あなた方がいかに善戦してヒトラー総統を倒したとしても、
どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するつもり
でしょうか。
おおよそ世界が強者の独占するものであるならば、永久に
闘争を繰り返し、遂に世界人類に安寧幸福の日は来ることは
ないでしょう。
あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとして
おります。
あなた方も得意になっているのでしょう。
しかしながら、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、
そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。
願わくば、私の言外の意を汲んでいただき、
その轍を踏むことがないように。
市丸海軍少将
【ルーズベルトニ与フル書 原文と英文】★【国際派日本人養成講座 人物探訪:
海軍少将・市丸利之助 ~硫黄島よりルーズベルトへの手紙】★【国際派日本人養成講座 人物探訪:
海軍少将・市丸利之助 ~
硫黄島よりルーズベルトへの手紙】様より、
補足説明(抜粋)。↓大東亜共栄圏については種々の議論があるが、
少将の主張は、昭和18年11月に東京で行われた
大東亜会議で満洲、中国、フィリピン、ビルマ、タイ、インドの
政府・独立勢力の代表者を招いて、
自主独立の尊重や人種差別の撤廃、
互恵的経済発展を謳った大東亜共同宣言と
軌を一にしている。
「ヒットラーの行為への言及を慎むが、」という一節は、
ユダヤ人排斥に対する少将の反撥を窺わせる。
それに続く、第一次欧州大戦で敗戦国ドイツに
一切の責任があるとして、天文学的な賠償金額を
押しつけた事が、ヒットラーのナチズムを生んだという指摘は、
現代の歴史学でも定説となっている。
ヒットラーもスターリンも同じだ、
どうして米英がスターリンと協調できるのか、
という少将の問いかけは、その後すぐに
米ソの冷戦が始まったことを考えれば、正鵠を得ている。
ウィルソン大統領は自ら第一次大戦後のパリ講和会議を主催したが、
ベルサイユ条約は米国議会で批准されず、
直接国民に呼びかけた大統領選でも大敗して、
失意のうちに世を去った。
少将の「言外の意」とは、敗戦国にすべての責任を押しつけて、
再び戦争の種を蒔くな、ということであろう。
■ルーズベルトに与うる書■
日本海軍市丸海軍少将、
書を「フランクリン ルーズべルト」君に致す。
我今我が戦いを終るに当り、
一言貴下に告ぐる所あらんとす。・・・・
昭和20年3月26日早朝、硫黄島での陸海軍残存兵力4百は
第2飛行場西にテントを張っていたアメリカ軍後方部隊を奇襲し、
死傷者132名の損害を与えた。
海兵隊が応援に駆けつけ、戦闘が終わると、
日本兵の死体196体が残されていた。
その遺体の一つから、
冒頭の文で始まる「ルーズベルトに与ふる書」の
日英両文が発見された。
従軍記者エメット・クロージャーは、
発見の経緯と手紙の本文を4月4日本国に向けて打電し、
その内容は米国海軍当局の検閲後、
「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」以下、
各紙に掲載された。
その見出しは
「死に臨んだ日本の一提督の米国大統領宛の手紙」
であった。
この手紙は、戦後ベストセラーになったジョン・トーランドの
「昇る太陽-日本帝国滅亡史」に全文掲載され、
いちやく有名になった。
■硫黄島での戦い■
硫黄島は、サイパンなどのマリアナ諸島と東京の中間に
位置する品川区ほどの小島である。
米軍機がマリアナ諸島から日本本土を空襲するためにも、
ぜひ確保しておきたい要地であった。
市丸が着任した時、すでに稼働しうる航空機は10数機に
過ぎなかった。
栗林忠道陸軍中将の統率のもと、市丸少将は6千名近い
海軍将兵を率いて、地下深くの洞窟陣地構築に加わった。
米軍の猛爆は地下でかわし、上陸してきた所を叩くという
栗林中将の新しい戦術で、結果的には日本軍は
36日間持ちこたえ、2万余の大半が戦死したが、
7万5千の米軍に対して死傷者2万6千近い大損害を与えた。
米国内では実質的な敗戦ではないか、との批判が出て、
太平洋における米海兵隊の最高位の将軍は退陣に
追い込まれた。
■ますらをの道■
(※「ますらお(益荒男)」とは、心身ともにすぐれたりっぱな男子。 )
昭和20年初頭、敵上陸を目前に控え、米軍の空襲は連日続いた。
しかしその合間には、少年兵達が集まって、小学唱歌を歌う光景も
見られた。
「おもえば遠し 故郷の空 ああわが父母 いかにおはす」
と歌う声を岩陰で聞きながら、市丸少将は密かに涙した。
「朝夕の 十有余日 ますらをの 道を陣地に 巡り説くかな」
少年兵も含め、将兵たちはすでに玉砕を決意していたであろう。
その部下達に対して「ますらをの道」を説くとは、
この戦いで死ぬことの意味を明らかにしておきたい、
と言うことであったろう。
それは自ずから大東亜戦争全体の意味を問うことにつながった。
2月16日、米艦隊が硫黄島を包囲し、上陸前の爆撃と艦砲射撃を
始めた。
市丸少将は地下20m、硫黄噴気が充満する摂氏45度の壕内で、
ロウソクの明かりをたよりに自らの考えを
米国大統領ルーズベルトへの手紙という形で書き上げた。
そしてハワイ生まれの日系2世兵士のそれを英訳させたのである。
■市丸少将とルーズベルト大統領■
市丸少将の手紙は、4月4日に米国に打電されてたが、
ルーズベルト大統領はそのわずか8日後に死去した。
大統領が手紙を読んだかどうかは定かではない。
しかし「得意の絶頂に於いて失脚」したウィルソン大統領の
「轍を踏むなかれ」との警告が的中したかのようである。
そしてその後の米国指導者達は、
少将の予言したスターリンとの確執もあって、
日本を同盟国として育てようという方針に転換した。
少将の最期の願いは、実現したと言ってよい。
当時の駐米英国公使、ロナルド・キャンベルは
英国外務省に宛てた手紙の中で、
「(優秀な)白人種とアジア人との交配によって
新しいアジア系民族を産み出し、立派な文明と社会を
アジアに建設するのがルーズベルト大統領の考えだった」
と伝えている。
ただ
「大統領は、
(白人より二千年も遅れた頭がい骨をもつ)
日本人は、この対象から除外し、もとの
四つの島に隔離して次第に衰えさせようと
考えていた」。
ルーズベルト大統領の露骨な19世紀的人種差別観に比較すれば、
市丸少将の地球上のあらゆる人類に
「その郷土においての生を享有せしめ、もって恒久的世界平和の確立する」
ことを願う理想は、21世紀にも通用するものである。
後世の子孫への価値ある遺産となるのは、
一時の戦いの勝敗や武力の優劣よりも、
先人の気高い理想であるとすれば、
市丸少将の一編の手紙を、敗軍の将の戯言(たわごと)と
看過することはできないはずである。
市丸少将。
3月26日戦死。
ただ、公式な戦死日は、
市丸少将が訣別の電報を打電された
3月17日とされているとのこと。
市丸利之助 - Wikipediaそう、69年前の、ちょうど昨日。
この手紙をしたため、皆の前で読み上げたのは・・。
他国なら、絶対に教科書に載せ、習っていただろうこの手紙。
でも日本では、その状況にない。
「自虐史観」を植え付けられ、そこに突け込んだ
中国や朝鮮の「謝罪と賠償」。
拉致問題さえも、在日朝鮮人がテレビに突然しゃしゃり出てきて、
「仮に北が日本人を拉致したとしても日本人は批判できるだろうか。」
「日本が過去に強制連行をしたからだ」
などと、嘘八百を並べ立て、北朝鮮を擁護し、
それをマスコミは平然と垂れ流し続けた。
拉致問題解決に最も近かった安倍さんを叩きに叩きまくって
潰した。
世の中が、この「捏造の自虐史観」に苛まれずに、
中国朝鮮の嘘、マスコミの嘘を徹底的に糾弾し、
もっと強く出ることができていたら、
事態は変わっていたかもしれない。
真実をマスコミが伝えてさえいれば、
もっと国民は安倍政権を支えることが出来たはずだった。
しかし出来なかった。
全ては、「自虐史観」から。
そしてこの「自虐史観」を利用し、増長させ、
拉致問題の解決の邪魔をしてきた
マスコミと売国奴議員どもが本当に許せない。
一昨年(2012年)12月の衆院選。
拉致被害者 有本恵子さんのお父様 明弘さんが、
神戸の応援演説で、自民党の街宣車の上から訴えたのは
「憲法改正」だった。
何年かかるかわからない「憲法改正」を敢えて訴える有本さんに、
「申し訳ない」・・ただただその気持ちでいっぱいになり、
涙が出てきた。
今年85歳。
恵子さんのお母様、嘉代子さんは88歳。
すぐにでも恵子さんに会いたい中で「憲法改正」を訴えて、
そして「安倍さんへの信頼」を口にされてきた
有本さんの姿を見てきた。
「安倍の葬式はうちが出す」といった朝日。
それは「日本の葬式を出す」と同じこと。
日本を「奴隷の国」にしようとする連中。
69年前、市丸少将、栗林中将、そして数多くの英霊の方々が、
本土への空襲を遅らせ、1人でも多くの日本人が助かるようにと
1ヶ月もの間、耐え続けて下さった硫黄島の戦い。
日本人が「奴隷」ではなく「日本人」として、
誇りを持って生きていけるようにと、あの時
命を賭して戦ってくれた英霊の方々の死が無駄にならぬように、
日本人が目を覚まさなければならない。
日本人が持っているものは、
某国のような「捏造による千年の恨み」などではない。
日本人が望むものは某国らのような
「捏造による謝罪と賠償」ではない。
真実を認めてもらうこと。
拉致被害者を返してもらうこと。
ただただ当然のことを望むだけなのだ。
栗林中将のお孫さんである新藤総務大臣。
硫黄島に手紙や物質を届け続けた海軍木更津航空隊パイロット
根本正良氏の息子さんである根本復興大臣。
安倍内閣にはこうして、硫黄島ゆかりの大臣がいる。
安倍内閣が取り戻そうとしているものは、
国家主権の侵害によって
日本国から奪われてしまった拉致被害者と、
そして、日本人の誇り。【英霊の遺骨が眠る硫黄島の滑走路でひざまずく安倍総理 2013年4月14日】
硫黄島の戦い。
1945年2月16日から3月26日まで。
40日間の激戦だった・・。
自虐史観から目覚めなくてはいけない。
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