「皇后陛下のご養蚕。」 国民とともにあり、この国を守る皇室の重みを改めて感じる。
- 2014/03/10
- 13:22
その2週間後、皇后陛下が神戸市長田区の被災地に
手向けられた水仙の花束。
御所で咲いていた水仙を摘んでご持参されたのですよね。

あの時、皇后陛下がお帰りになられる際、バスの中から窓越しに、
被災者の方たちに向かって、両手とも「握りこぶし」を作り、
「頑張って!」という言葉を伝えるように、
両手を力強く振っていらしたお姿を拝見した時、
なにかとても胸が詰まる思いがしました。
両陛下、阪神淡路大震災の被災地ご訪問 希望の水仙 1/2
両陛下、阪神淡路大震災の被災地ご訪問 希望の水仙 2/2
そして、それから16年後の2011年3月11日。
東日本大震災が起きた、そのひと月後。
皇后陛下が仙台の宮城野体育館の避難所に赴かれた折、被災者の女性が、
津波で自宅が流されてしまったその跡地に負けずに咲いていた水仙を摘んで、
お見舞いに来られた皇后陛下に、その水仙の束を渡されているのを拝見した時、
この「縁(えにし)」は一体何なのだろうか、と考えずにはいられず、
またあの神戸での水仙を思い出し、胸が詰まりました。
皇后陛下が今の日本に、そして私達日本人に、知らず知らずのうちに
もたらして下さっているもの・・・。
このとてつもなく大きなものとはなんだろうか・・。
先月の2月に宮内庁が発表し、DVDでも発売になった
皇室紹介ビデオ「皇后陛下のご養蚕」。
この動画を拝見して、あらためてその「大きなもの」を
窺い知ることが出来ました。
この動画を書き起こしてみました。
この動画の紹介文より。
皇后陛下は、昭憲皇太后が明治4年にお始めになったご養蚕を
香淳皇后からお引き継ぎになりました。
皇后陛下は、毎年春から初夏にかけ,ご公務の合間や休日に、
しばしば皇居内の紅葉山御養蚕所(もみじやまごようさんじょ)や
桑園にお出ましになり、養蚕の様々な作業に携わっておられます。
これらの作業のご様子やお育ての蚕の一品種「小石丸(こいしまる)」の生糸が
正倉院宝物の古代裂の復元に役立てられていることなどを映像で紹介します。
★動画は政府インターネットテレビよりご覧ください。↓
【「皇后陛下のご養蚕」 皇室チャンネル 政府インターネットテレビ 2014/02/14】

自然豊かな皇居の森の高台にある紅葉山御養蚕所。
今からちょうど100年前、大正3年(1914年)に建てられた
この紅葉山御養蚕所では、歴代の皇后によってご養蚕が行われてきました。
皇后陛下はここで毎年蚕をお育てになり、繭を収穫されています。
かつて日本を代表する産業であった養蚕。
その古くからの姿が皇居の森で守り受け継がれています。
およそ5~6千年前に中国で始まった養蚕は東西に拡がり、
3世紀までには日本でも養蚕が始まったと考えられています。
皇室における養蚕の歴史も古く、「日本書紀」では
462年に養蚕についての記述が見られます。
「天皇、后妃をして、親ら桑にかしめて、蚕の事を勧めむと欲す」
現在の皇室におけるご養蚕は明治4年(1871年)、
明治天皇皇后である昭憲皇太后が長く絶えていた宮中のご養蚕を
復活されたものです。
当時、生糸と蚕の卵は日本にとって貿易上重要な輸出品目となっていました。
そうした時勢の中で、宮中のご養蚕は養蚕業奨励のために始められたのでした。
そして明治から大正、昭和へ。
歴代の皇后がご継承になり、皇室のご養蚕を守ってこられました。
皇后陛下が香淳皇后からご養蚕をお引き継ぎになったのは平成2年。
以来毎年、お時間の許す限り紅葉山御養蚕所にお出ましになり、
ご養蚕の作業をなさっています。
皇后陛下のご養蚕は、毎年春から初夏にかけて行われます。
ご養蚕を始めるに当たり、紅葉山御養蚕所では、
「御養蚕始の儀」が厳かに取り行われます。
蟻蚕(ぎさん)と呼ばれる孵化したばかりの蚕を、
蚕を育てる場所、蚕座(さんざ)に羽ぼうきで慎重に掃き下ろされ、
細かく刻んだ桑の葉をお与えになります。
飼育をお始めになるためのこの行事は「掃立て(はきたて)」と
呼ばれています。
紅葉山御養蚕所では毎年、主任1名と若い助手4名が
皇后陛下のご養蚕のお手伝いをします。
ご養蚕が始まる前から念入りな準備をし、
2ヶ月にわたって様々な作業を行います。
「御養蚕始の儀」から1週間から10日後に、
皇后陛下が自ら蚕に桑の葉をお与えになる
1回目の御給桑(ごきゅうそう)行事が行われます。
桑の葉を丁寧にお与えになる皇后陛下。
御養蚕所では蚕が大きくなるにつれ、忙しい日々が続きます。
蚕に与える桑は皇居内の3箇所の桑園で栽培されています。
桑園の広さは3箇所合わせて60アール。
10アールあたり600本の桑が植えられています。
皇后陛下はご公務の合間に桑園にお出ましになり、
桑摘みや枝の剪定をされます。
最盛期には一日に800㎏もの桑が必要になります。
1回目の御給桑行事からおよそ10日後、
2回目の御給桑行事が行われました。
この頃になると蚕もだいぶ大きくなってきます。
蚕が小さいうちは桑の葉を細かく刻んで、
大きくなるに従って葉ごと、さらには枝ごとお与えになります。
蚕は一齢から五齢まで4回の脱皮を繰り返しながら、
およそ4週間かけて大きくなっていきます。
御養蚕所では純国産種の「小石丸」のほかに、
日中交雑種の「白繭(はっけん)」や欧中交雑種の「黄繭(おうけん)」、
そして日本原産の野生種、「天蚕」が育てられています。
【左:黄繭 中上:白繭 中下:小石丸 右:天蚕】
小石丸は明治期には優良品種として養蚕農家で広く飼育されていましたが、
日中交雑種などの新品種に比べ、繭が小さく生産性が低いことから、
次第に飼われなくなっていきました。
御養蚕所でも昭和60年代から「小石丸」の飼育中止が論議されていました。
平成の御代となり皇后陛下が養蚕を始められる際、
「日本の純粋種と聞いており、眉の形が愛らしく糸が繊細でとても美しい。
もうしばらく古いものを残しておきたいので、
小石丸を育ててみましょう。」
と「小石丸」の飼育が続けられることになったのです。
その「小石丸」の繭から採れる極めて繊細な糸が、
後に正倉院の宝物をはじめとする古代の織物の復元に、
重要な役割を果たすことになるのです。
【小石丸】
蚕に繭を作らせるための用具を蔟(まぶし)といいます。
蚕が繭を作り始める前に主任や助手がボール紙製の回転蔟(かいてんまぶし)の
組み立てを行います。
皇后陛下もお時間の許す限り御養蚕所にお出ましになり作業をなさいます。
一般種に使われる回転蔟は体の小さい「小石丸」の繭づくりには適さないため、
「小石丸」には通常ビニール製の千年蔟が使われます。
しかし皇后陛下は
「古くからのものを残しておきましょう」と
昔ながらの藁で出来た蔟をご自身で編まれるようになりました。
皇后陛下はご養蚕の期間中、ご公務の合間に何回かお時間をお作りになって、
毎年一つずつ藁蔟(わらまぶし)を編み足しておられます。
【皇后さまがお作りになった藁蔟】
蚕の体重も最終段階の五齢になると、生まれた時の一万倍にもなります。
繭を作る段階になった蚕、熟蚕(じゅくさん)を蔟(まぶし)に移す作業、
上蔟(じょうぞく)が行われます。
皇后陛下は蚕を手に取られ、蔟の中に丁寧にお入れになります。
通常の蚕より体は小さく動きも鈍い「小石丸」。
小石丸にとって藁で編まれた蔟は表面に凹凸があるので、
足がかりが多くて移動しやすく繭も作りやすいのです。
一般種は回転蔟(かいてんまぶし)に上蔟(じょうぞく)されます。
上蔟(じょうぞく)して一晩。
蚕の体が小さく縮んでくると糸を吐き始めます。
蚕が繭を作り始めました。
蚕は2~3日で繭になります。
蚕は繭の中で脱皮して蛹になります。
そして上蔟からおよそ1週間後、繭を蔟(まぶし)から外します。
この作業を収繭(しゅうけん)または繭掻き(まゆかき)といいます。
皇后陛下はその最初に作業「初繭掻き」をなさいます。
「黄繭種(おうけんしゅ)」の繭掻きです。
繭の周りについている毛羽を取る作業です。
毛羽は蚕が眉を作るときに蔟(まぶし)に足場としてかける糸です。
この毛羽は弱くて糸にはならないため、毛羽取り機を使って
丁寧に取り除かれます。
毛羽取りが終わると製糸材料になる上繭(じょうけん)と、
糸が汚れたり切れたりするおそれがある繭に分けられます。
選別された繭は運搬用の繭袋(まゆぶくろ)に入れられ出荷されます。
出荷された繭が糸になる工程です。
繭から糸を巻き取る繰糸(そうし)。
その糸を太い枠に巻き返す揚げ返し(あげかえし)。
そして仕上げを行って生糸になります。
それらの生糸で織られた絹織物は宮中儀式や祭祀に用いられるほか、
外国元首の配偶等への贈り物にも用いられて国際交流の一端も担っています。
【悠仁親王が平成18年11月「お宮参り」に当たる宮中祭祀で召された
白絹の産着「お初召(うぶめし)」】
※「小石丸」の生糸で織られている。
一時は存続の危機にありながら皇后陛下のご決断により、
飼育が続けられることになった「小石丸」。
その後、その繭から採れる細くて繊細な糸は、
8世紀の正倉院宝物の古代裂(こだいぎれ)の復元に、
欠くことが出来ないものであることが明らかとなり、
「小石丸」の飼育を続けられたことが思いも掛けず
一連の宝物の復元を可能にし成功に導いたのです。
皇后陛下は正倉院事務所からの要請をお受けになり、
「小石丸」を増産して平成6年から16年間にわたり、
毎年20㎏から50㎏の繭を贈り続けられたのでした。
そしてその繭から採れた絹糸は21点もの貴重な古代裂を
蘇らせました。
養蚕業が急激に衰え産業の奨励の対象でなくなった今、
皇后陛下のご養蚕は新たな意義を見いだしたのです。
また、復元する古代裂の染色には日本古来の天然の染料を
使うことになりましたが、その根が赤い色になる日本茜(にほんあかね)は
なかなか必要量を確保できませんでした。
そのことをお知りになった天皇皇后両陛下は皇居内に自生している日本茜と、
それから増やして3年ほど栽培したものを正倉院に贈られました。
その日本茜によって古代の赤の再現が可能になったのです。
【赤地唐花文錦あかじからはなもんのにしき(正倉院裂復元品)】
「小石丸」は正倉院裂(しょうそういんぎれ)の復元のほか
鎌倉時代の絵巻の名品「春日権現験記絵(かすがごんげんげんきえ)」の
修理にも役立てられました。
【「春日権現験記絵かすがごんげんげんきえ」 巻第六】
日本の伝統を大切にされる両陛下のお気持ちは、
後世にも残る文化的にも意義深い修復事業に
大きな足跡を残されたのでした。
繭の出荷後も紅葉山御養蚕所では重要な作業が続きます。
「小石丸」の採種です。
採種は種を絶やさず次の年に残すための大切な作業です。
「小石丸」の繭切り(まゆきり)です。
繭の中で蛹から脱皮羽化した蚕蛾(かいこが)は、
口から液を出して繭を柔らかくし、
糸をかき分けながら穴を開けて外に出てきます。
その羽化をしやすくするため繭の両端を刃物で少し切り落とします。
羽化した蚕蛾の交尾です。
「小石丸」の蚕蛾は交尾後およそ1時間で引き離します。
雌は産卵台紙の上に置かれた蛾輪(がりん)の中に
1蛾ずつ入れて産卵させます。
「小石丸」の雌は1蛾が400~500個産卵します。
皇后陛下は天蚕もお育てになっています。
天蚕は日本在来の代表的な野生の蚕です。
桑ではなくクヌギやコナラなどの葉を食べ、山野に生息しています。
5月、皇居内の吹上御所にある野蚕室(やさんしつ)で
天蚕の山つけ(やまつけ)が行われました。
山つけとは和紙に糊付けされた卵をクヌギの小枝に取り付ける作業です。
【皇后陛下が付けられた、天蚕の卵が貼られた短冊状和紙】
皇后陛下は天蚕の卵が25個ほど貼られた短冊状の和紙を
丁寧にお付けになりました。
天蚕は2ヶ月ほどで繭になります。
7月には天皇皇后両陛下が天蚕の繭を収穫されました。
近年天蚕を育てる農家も大変少なくなってきています。
皇后陛下は古くから伝わる日本在来の天蚕を少しでも長く残そうと、
飼育をお続けになってます。
日本の養蚕業に強い関心をお寄せの天皇皇后両陛下。
平成22年8月、群馬県の天蚕飼育農家を訪問されました。
平成23年8月、両陛下は近代日本の養蚕業の発展を担ってきた
富岡製糸場をご視察になりました。
平成20年には株式会社川島織物セルコンで
正倉院宝物の復元に使用された織機をご視察になりました。
両陛下は地方行幸啓の折、機会があれば養蚕業に関連した施設を
訪問されています。
平成25年6月フランスのオランド大統領とトリエルヴェレール女史が
国賓として来日されました。
日本とフランスは養蚕業を通じても密接な関係にあります。
19世紀中頃ヨーロッパ中を襲った微粒子病の蔓延により
フランスの養蚕が大打撃を受けていた時、日本から贈った蚕の卵が
その危機を救いました.
一方、明治5年(1872年)に完成したわが国初の
器械製糸工場である富岡製糸場はリヨン出身の技師の
指導のもとに建設されフランスから機械製糸技術が導入されたものです。
当時、日本各地で製糸業に携わった人々の多くは
ここでフランス人技師から機械製糸技術を学びました。
天皇陛下は宮中晩餐のお言葉でそのことにも触れられました。
この日、紅葉山御養蚕所において「御養蚕納(ごようさんおさめ)の儀」
が厳かに執り行われました。
この年もご養蚕が滞りなく終了し157㎏の繭の収穫がありました。
皇后陛下は御養蚕所での作業について次のように述べられています。
「約2ヶ月にわたる紅葉山での養蚕も、
私の生活の中で大切な部分を占めています。
毎年、主任や助手の人たちに助けてもらいながら、
一つひとつの仕事に楽しく携わっています。
小石丸という小粒の繭が正倉院の古代裂の復元に
最もふさわしい現存の生糸とされ、御物の復元に
役立てて頂いていることを嬉しく思っています。」
また皇后陛下はご養蚕についての御歌(みうた)をいくつもお詠みになっています。
時折に 糸吐かずをり 薄き繭の
中なる蚕 疲れしならむ
皇室の森で歴代皇后によって営々と続けられてきた皇室のご養蚕。
皇后陛下はこの古くからの日本の養蚕を
これからも末永く大切に守り続けていかれることでしょう。
お写真は、宮内庁のHP他からお借りしました。↓
三の丸尚蔵館 皇后陛下喜寿記念特別展覧会開催要領
「蚕-皇室のご養蚕と古代裂,日仏絹の交流」展の開催について
★「蚕-皇室のご養蚕と古代裂,日仏絹の交流」展は、
現在フランスんのパリ日本文化会館で4月5日まで開催されているそうです。
この「皇后陛下のご養蚕」ですが、
日本の大切なもの、大切にしなくてはならないもの。
人間の営みの中で大切な労働。
皆で協力し合いながら労働すること。
自然への敬い。
優しさ、真面目さ、柔軟さ・・。
それはそれはもう、たくさんのことが見えてくる、
とても素晴らしい動画だと思います。
このビデオを是非すべての小中学校で導入して欲しいと思ってしまいます。
「皇室」への尊敬も自然と生まれてくる動画だと思います。
きらびやかではなく、質素でありながら、美しくあること。
それはどういうものなのか。
「真の美」とはどういうものなのか。
それを子供たちはきっと自然に感じ取れるのではないか。
また、教材としても非常に優れたものであると思います。
虫が苦手な子ももしかしたら皇后陛下のご様子見たら、
「ちょっと触れてみよう、やってみよう」そう思うのではないか。
そして何より、「日本」というものを感じ取ってくれるのではないか。
日本という自分たちの国には、どんな国であるのか。
それをふと考えてくれる一歩にもなるのではないか。
皇后陛下から伝わってくるものは、
きっと何かを必ず子供たちに残してくれると思います。
皇后陛下は、「蚕」に関してはとても思い入れがおありになるのは、
御歌からもわかるそうです。
『美智子皇后陛下御歌集「瀬音」』は、
昭和34年(1959年)のご成婚からから平成8年(1997年)までの
御詠草367首が年代順に収められているそうです。
多くは一題に一首であるのに、昭和41年(1966年)の「秋蚕」に関してだけは、
五首の群作を成されているそうです。
天皇陛下御製美智子皇后陛下御歌を読む 24
その内の1首は動画の中でも披露されていますが、
それを含めた5首はこちらになります。↓
【美智子皇后陛下御歌 昭和41年(1966年)】
【お題:秋蚕】
眞夜(まよ)こめて 秋蚕(あきご)は繭を つくるらし
ただかすかなる 音のきこゆる
時折(ときおり)に 糸(は)吐かずをり 薄き繭の
中なる蚕(かひこ) 疲れしならむ
籠(こも)る蚕(こ)の なほも光に 焦(こ)がるるごと
終(つひ)の糸かけぬ たたずまひあり
音(おと)ややに かすかになりて 繭の中の
しじまは深く 闇にまさらむ
夏の日に 音たて桑を 食(は)みゐし蚕(こ)ら
繭ごもり季節 しづかに移る
可愛く、愛らしく、微笑ましく、
また、気持ちが何故か落ち着く・・。
★最後に「蚕」関連で、皇后陛下が秋篠宮家のご長女眞子様に宛てたお手紙を
紹介したいと思います。
平成24年3月3日(土)~4月8日(日)。
皇后陛下の喜寿をお祝いした記念特別展、「紅葉山御養蚕所と正倉院裂復元のその後」が
皇居東御苑の三の丸尚蔵館で、開かれました。
【今週の御皇室】皇后陛下から眞子内親王殿下へのお手紙[桜H24/3/22] - YouTube
その展示会の図録の中にこのお手紙が公開されたそうです。
真子様が学習院初等科小学校3年生の時に、学校の宿題で、
「お年寄りの世代が行っていた手仕事について調べよう」
という宿題が出されて、それにお答えになる形で
皇后陛下が初孫の真子様に送られたお手紙だそうです。
【今週の御皇室】皇后陛下から眞子内親王殿下へのお手紙[桜H24/3/22] - YouTube
書き起こしはこちらのブログ様のものを転載させていただきます。↓
ばあばから眞子ちゃんへのお手紙
眞子ちゃんへ
眞子ちゃんは、ばあばがお蚕(かいこ)さんの仕事をする時、
よくいっしょに紅葉山(もみじやま)のご養蚕所(ようさんじょ)にいきましたね。
今はばあばが養蚕(ようさん)のお仕事をしていますが、
このお仕事は、眞子ちゃんのおじじ様のひいおばば様の
昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)様、
おばば様の貞明皇后(ていめいこうごう)様、
そしてお母様でいらっしゃる香淳皇后(こうじゅんこうごう)様と、
明治(めいじ)、大正(たいしょう)、昭和(しょうわ)という
三つの時代をとおって、ばあばにつたえられたお仕事です。
眞子ちゃんは紅葉山(もみじやま)で見たいろいろの道具をおぼえているかしら。
蚕棚(かいこだな)の中の竹であんだ平たい飼育(しいく)かごを
ひとつずつ取り出して、その中にいるたくさんの蚕(かいこ)に
桑(くわ)の葉をやりましたね。
蚕(かいこ)が大きくなって、桑(くわ)をたくさん食べるようになってからは、
二かいにあるもっと深い、大きな木の枠(わく)のようなものの中に移して、
こんどは葉のいっぱいついた太い桑(くわ)のえだを、
そのまま蚕(かいこ)の上において、やしないましたね。
しばらくすると、見えない下のほうから
蚕(かいこ)が葉を食べるよい音が聞こえてきたのをおぼえているでしょう。
耳をすませないと聞こえないくらいの小さな音ですが、
ばあばは蚕(かいこ)が桑(くわ)の葉を食べる音がとてもすきです。
蚕(かいこ)は、どうしてか一匹、二匹とはいわず、
馬をかぞえるように一頭、二頭と数えることを
眞子ちゃんはごぞんじでしたか?
あの時、眞子ちゃんといっしょに給桑(きゅうそう)をした二かいの部屋には、
たしか十二万頭ほどの蚕(かいこ)がいたはずです。
眞子ちゃんはもう万という数を習いましたか?
少しけんとうのつかない大きな数ですが、
たくさんたくさんの蚕(かいこ)があそこにいて、
その一つ一つが、白や黄色の美しいまゆを作ります。
きょねんとおととしは、眞子ちゃんも自分で飼ったので、
蚕(かいこ)が何日かごとに皮をぬいだり、
眠ったりしながらだんだん大きくなり、
四回目くらいの眠りのあと、口から糸を出して、
自分の体のまわりにまゆを作っていくところを見たでしょう。
きょねんはご養蚕所(ようさんじょ)の主任(しゅにん)さんが、
眞子ちゃんのためにボール紙で小さなまぶしを作って下さったので、
蚕(かいこ)が糸をはきはじめたら、すぐそのまぶしに入れましたね。
蚕(かいこ)は時が来るとどこででもまゆになりますが、
まぶしの中だと安心して、良い形のしっかりとしたまゆを作るようです。
まぶしには、いろいろな種類(しゅるい)があり、
山をならべたような形の、わらやプラスチックのまぶしの中にできたまゆは
手でとりだしますが、眞子ちゃんが作っていただいたような
回転まぶしの中のまゆは、わくの上において、
木でできたくしのような形の道具で上からおして出すのでしたね。
さくねんは、ひいおばば様のお喪中(もちゅう)で、
蚕(かいこ)さんのお仕事がいっしょに出来ませんでしたが、
おととし眞子ちゃんは、このまゆかきの仕事を
ずいぶん長い時間てつだって下さり、
ばあばは眞子ちゃんはたいそうはたらき者だと思いました。
サクッ、サクッと一回ごとによい音がして、
だんだんと仕事がリズムにのってきて・・。
また、今年もできましたらお母様と佳子ちゃんとおてつだいにいらして下さい。
蚕(かいこ)は、始めから今のようであったのではなく、
長い長い間に、人がすこしずつ、よい糸がとれるような虫を
作りあげてきたものです。
蚕(かいこ)のそせんは、自然の中に生きており、
まゆももっとザクザクとした目のあらいものだったでしょう。
人間は生き物を作ることはできませんが、
野生のものを少しずつ人間の生活に役に立つように変えるくふうを
ずっと続(つづ)けてきたのです。
野原に住んでいた野生(やせい)の鳥から、
人間が鶏(にわとり)をつくったお話も、
きっとそのうちにお父様がしてくださると思います。
蚕(かいこ)の始まりを教えてくれる「おしらさま」のお話を、
眞子ちゃんは、もう読んだかしら。
ばあばは蚕(かいこ)のことでいつか眞子ちゃんに
お見せしたいなと思っている本があります。
女の方が、ご自分のことを書いている本で、その中に、
四年生くらいのころ、おばあ様の養蚕(ようさん)のおてつだいを
していた時のお話がでてきます。
まだ字などが少しむづかしいので、
中学生くらいになったらお見せいたしましょう。
この間、昔のことや家で使っている古い道具についてお話ししてと
おたのまれしていましたのに、暮(く)れとお正月にゆっくりと
お会いすることができませんでしたので、
思いついたことを書いてお届(とど)けいたします。
今は蚕(かいこ)さんはおりませんが、もう一度場所や道具を
ごらんになるようでしたら、どうぞいらっしゃいませ。
たいそう寒(さむ)いので、スキーに行く時のように
温(あたた)かにしていらっしゃい。
ごきげんよう
ばあば
眞子様
3月10日は東京大空襲のあった日です。
この時、皇居はどんな状態だったのかと調べたところ、
以前の明治宮殿は、東京大空襲で全焼してしまったそうです。
そして現在の昭和宮殿は昭和43年に完成されたものだと知りました。
しかし、昭和43年といえば戦後23年も経っていて、
ずいぶん遅い完成だなと思いました。
何故なのだろうと思いました。
明治宮殿 - Wikipedia
明治宮殿が焼失してから、戦後になって
吹上御所および新宮殿が新たに造営されるまで、
天皇は御文庫を仮の御所とし宮内庁庁舎3階を仮の宮殿とした。
戦後暫くの間、焼失した宮殿の再建は行われなかった。
この理由について、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政は、
自らの著書で
『お上(昭和天皇)は戦争終了後、
「国民が戦災の為に住む家も無く、暮らしもままならぬ時に、
新しい宮殿を造ることは出来ぬ」
と、国民の生活向上を最優先とすべしという考えから、
戦災で消失した宮殿などの再建に待ったをかけていた』
旨のことを記している。
明治宮殿の跡地には、1968年(昭和43年)に現在の宮殿(新宮殿)が
建設された。
戦後、何年も掛けて全国を行幸された昭和天皇。
「国民とともにある」
この言葉が直ぐに頭に思い浮かびます。
皇后陛下も天皇陛下と共に「国民とともにある」をずっと体現して下さっています。
そして、天皇陛下と共にずっと守ってくださっている「日本」。
丸3年の「3月11日」を迎えます。
【皇后陛下 御歌 平成266年2014年1月1日 皇居にて】
被災地の 冬の暮らしは いかならむ
陽の暖かき 東京にゐて
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