小野田寛郎さんが、1月16日、お亡くなりになりました。
91歳でした。
小野田さんは、かつて、
小泉元首相が靖国参拝時「心ならずも戦場に赴いた人々」と
述べたことについて強く批判していました。
★2005年8月15日、靖国神社での登壇スピーチです。↓
【小野田寛郎氏、靖国神社で小泉首相を痛烈に批判!】ご紹介を頂きました、小野田でございます。
私は今まで、この席を借り、あるいは他の会合で、
「黙って靖国神社にお参りして頂きたい。」
それをお願いしてまいりました。
今、平沼さん(元経済産業大臣)が言われたように、
靖国神社に15日にお参りすると言ったのは、他でもない小泉首相であります。
「命を賭けて」と言って、いわゆる(衆議院)解散をしました。
何故、「命を賭けて」今日お参りできないのか!
私は敢えて首相をけなしたくありません。
しかしながら、一国の首相たる者が、この靖国神社へお参りをして
「心ならずも」と英霊に対して言葉をかけております。
果たして私たちは「心ならずも」あの戦争で命を散らせたのでありましょうか。
私は国の手違いによって、十五年間靖国神社におまつりをして頂きました。
もし私がその時に本当に死んでいたとすれば
国のために我々が戦わなければ誰が戦えるのかと、
そういう自分たちの誇りを持って力一杯笑って死んでいたのであり、
また私だけでなしに私の仲間も皆そうであります。
それがなんで「同情」の対象なんでしょう。
「誇り」を持って死んだ人に対して、
何故ただ黙って「ありがとうございました」と
感謝の念を捧げられないのか。
私は小泉首相に大反対であります。
靖国神社について、あるいはまた戦後のいわゆる国際裁判のこと、
色々先ほどから諸先生方にお話を伺いました。
また、ここにお集まりの皆様方は、充分そのことをご承知のことと思います。
事後法(東京裁判のこと)など裁判ではありません。
A級戦犯とは、敵国側が占領中につけた名前であって、
決して我々の認める名前ではありません。
私はただ一言だけ、時間の関係で皆様に何としても申し上げたいことがあります。
それは、先ほど陛下の「終戦の詔書」を拝聴致しました。
しかしながら、現在の日本において何故「開戦の詔書」を
拝聴する機会が無いのかということであります。
ものには「終わり」があるということは、「はじめ」があるからである。
「結果」があるということは、「原因」があるからであります。
「開戦の詔書」は、私は本当に入隊するまでの間、
しばらく何ヶ月か、いわゆるお聞きした。
今でもよく憶えております。
~~~「開戦の詔勅」を途中から暗誦される。~~~
「豈(あに)朕(ちん)ガ志ナラムヤ」
(※現代訳: このような事態は、決して私の本意ではない。)
と仰せられているのであります。
終戦の詔書にも、その旨が言われておりますけれども、
「帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、決然起(た)ッテ
一切ノ障礎(しょうがい)ヲ破碎(はさい)スルノ外(ほか)ナキナリ」
(※現代訳: 日本の自存自衛の為には、立ち上がる他はない)
陛下の言われている所に、大東亜戦争の真の目的が
ハッキリと示されているのであります。
何が侵略戦争でありましょう!
それを、ハッキリ日本国民が自覚すれば、
この靖国神社に黙ってお参りをし、
そして黙って感謝の気持ちを捧げられるはずであります。
その感謝の気持ちこそが、国を守るという大きな気持ちに繋がっていく、
私はそをれを死ぬまで皆様方に申し上げたいと思います。
どうか皆様、私が申し上げた「開戦の詔書」には、
一部言葉の違いがあるかもしれませんが、
意味においては私は絶対に間違ってないと思います。
私は国の為を信じて三十年間戦い続けてきました。
だけど、生きていたから靖国神社では落第生であります。
だけど、私と同じ時に死んだ、この仲間の気持ちは
私と同じでありまして、私が今生きているからこそ、
皆様にそう伝えたいわけです。
ご清聴ありがとうございました。
★小野田さんが仰った「開戦の詔勅」の現代訳です。↓
【開戦の詔書】【開戦の詔勅】<現代語訳文>
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、
忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。
私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、
私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、
私の国民はおのおのその本分をつくし、
一億の心をひとつにして国家の総力を挙げ
この戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、
大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、
遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。
そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、
帝国の外交の要としているところである。
今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。
まことにやむをえない事態となった。
このような事態は、決して私の本意ではない。
中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、
みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、
ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、
もう四年以上経過している。
幸いに、国民政府は南京政府に新たに変わった。
帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、
ともに提携するようになったが、
重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、
兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。
米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、
平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。
あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、
軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商に
あらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、
帝国の生存に重大なる脅威を加えている。
私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、
長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、
むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、
経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を
屈服させようとしている。
このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して
我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、
帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。
ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、
決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、
祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、
東アジアに永遠の平和を確立し、
それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
★「豈(あに)朕(ちん)ガ志ナラムヤ」
(※現代訳: このような事態は、決して私の本意ではない。) この文言については、
「開戦の詔書」の公表に至るまでの過程が記述されている
「大東亜戦争宣戦詔書草稿綴」という「綴」の中の、
「元内閣官房総務課長稲田周一氏からの聴取書」で、
挿入された経緯が書かれているそうです。
その中では、
詔書の起案に関わった稲田が、
「起草審議の途中、当時の東条英機総理から、詔書のことについて
内奏(天皇の裁可を得るために所管の政務について報告すること)したとき、
天皇陛下からの御注文があり、それを詔書案に織込む件の話があった」
と語っているとのこと。
その昭和天皇からのご注文とは、
「日英の開戦は、従来明治天皇以来の親密な関係から
特に忍びないところである。
なお、自分自身も皇太子として渡英し、
非常な優遇を受け親交を重ねている。
何とかこの気持を詔書に表現して貰いたい」
という趣旨であったそうです。
それを受け、熟慮の結果、稲田は、
「豈(あに)朕(ちん)ガ志ナラムヤ」という文言を取り入れ、
承諾されたそうです。
※(参考)↓
【宣戦の詔書・公布への過程 - 歴史公文書探究サイト『ぶん蔵』 BUNZO】小野田さん、初めてテレビで見た時のお顔は
「眼光鋭い人」。
上の動画でも、「軍人さん」というイメージが有りますね。
でも、この動画を見ればまた少しイメージは変わると思います。↓
【小野田寛郎さんドキュメント】★56分あたりから。
ルバング島で、当初、ビラを見たり、ラジオを聞いたりしていたが、
投降しなかった理由を語っています。↓
【小野田】
日本はアメリカに占領されて傀儡政権ができてる。
みんなは平和だとか、復興したと。
だけど、あくまでアメリカに負けた国。僕に関係ない国。
【インタビュアー】
その国は傀儡政権によって操られている国で、
本当の日本というのは、また盛り返してくる。
【小野田】
それが正当な「日本」。
小野田さんは帰国後、田中角栄からもらった見舞金100万円全額を
靖国神社に奉納したところ、マスコミから相当なバッシングを
受けるなどあり、結局「自虐史観で染まった戦後の日本」から、
遠く離れたほうがいいと決めてブラジルに移住したんですよね。
これは、戦争に行った方たちが、戦後ほとんど戦争の話を
しなかったということにも繋がると思います。
「日本軍はすべて悪」という刷り込みの中で、子や孫が、
その言葉を学校で習ってきて、テレビからもそういうことが流れて・・。
戦後の日本人は、「耳を傾けよう」とすらしてこなかったのだと
思います。
多分、
「日本を命がけで守ってくれて本当にありがとうございました。」
この言葉を直接掛けることの出来た日本人は戦後、
殆どいなかったのではないか・・。小野田さんは、
「従軍慰安婦」についても明快に
「否定」されていました。
小野田さんにとって、これほど
「屈辱」に感じる言葉も
なかったのではないかと思います。
小野田さんが、靖国神社で、強い調子で語っていた「開戦の詔勅」。
日本人はこれさえ、読む、耳にする、知る、という機会が殆ど無いです。
これをちゃんと読み込むことができていれば、
「自虐史観」から抜け出す一歩を踏み出すことができるのではないかと思う。
この「開戦の詔勅」を読むと、
まさしく今の時代も、日本の近隣国は再び同じことを繰り返している。
そう感じてしまいます。
日本は再び耐えに耐えて、ここまで来た。そんな感じさえします。
ずっと長い間、「悔しい思い」をしてきたのは日本。卑怯で腹黒い国に囲まれた日本。
そしてそれらに魂を売った国内の売国奴たち。
日本は戦後「事なかれ主義」が蔓延し、
連中の「言いなり」となり、まるで「奴隷」のようになってしまった。
日本人としての「誇り」を捨てたまま・・。
小野田さんや英霊の方々はどれほど「忸怩たる思い」で見ていただろうか・・・。
「外患誘致」とは、
「外国と通謀して、日本国に対し武力を行使させる行為」を言い、
法定刑は死刑となっています。
でもそもそもの「外患」とは、もともとは
「敵国によるわが国の主権侵害の危険」全般を示す語であったのに、
戦後、戦争の放棄を謳った日本国憲法下において、
いわゆる「利敵行為」という概念がなくなったため、
「外国がわが国へ武力行使をしかける」ことだけの意味になってしまった。北朝鮮拉致事件を幇助した社会党ら。
「首相の靖国参拝」を「問題化」し、火を点けたも同然の朝日新聞、社会党ら。
「従軍慰安婦」という言葉を捏造した、朝日新聞、社会党ら。
これら売国奴連中は、完全に「外患」を「誘致」してきた。
一昨日だったか、「オウム」の平田被告の裁判がありました。
「共謀」という言葉が頻繁にニュースで流れていました。
それを流すマスコミは、過去どれだけ「共謀罪」を否定し、
法案提出のたびに猛バッシングし、廃案に追い込んできたか。日本は、今、「開戦の詔勅」で述べられたと
同じような危機を迎えていると感じます。
本当に、一人でも多くの国民が目覚め、
自分の出来る事を考える時が来ていると思います。
昨年4月、私は靖国神社に参拝しました。
神社内にある遊就館の壁面に飾られた数多くの英霊の方々のお写真を
時間を掛けて拝見しました。。
みな、お若く、また、凛々しく、そして、失礼かもしれないけれど、
「愛おしかった。」
なぜなら、今の日本の若者たちと同じ「顔立ち」だったから。
いつもの日本社会の風景の中にいる多くの日本人と変わらぬ顔が
そこにはあったから。
だから私はポロポロ涙を流しながらも、少し笑いながら見ていたのです。
不謹慎かも知れないけど。
でもそれだけ、身近に感じたんです。
そして改めて感じました。
今の日本の若者達は英霊たちと繋がっているんだ、と。
今の日本の若者達へと日本は繋がっているんだ、と。「生き証人」でもあった小野田さんが逝ってしまわれた。
小野田さんの遺志を継ぎ、みんなで子々孫々に必ず
「本当の日本」を引き継いでいかなくてはいけないと思う。
小野田さんのご冥福を心からお祈り致します。
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