前々回の記事で、浅田真央選手と浅田舞さんの
「五輪出場プチお祝い対談」を取り上げたんですが、
その中で、真央ちゃんの男前なアスリート魂とともに、
もう一つ、次の部分がとても印象に残りました。↓
【浅田舞さんによる浅田真央選手へのインタビュー。 浅田選手のアスリート魂はやっぱり凄い!頑張れ!真央ちゃん!!】舞
バンクーバーの思い出といったら、やっぱり
「悔しかった」というか、そういう思いが強かった?
真央
ん~~~、直後はその思いが強かったんだけど、演技終わった直後は。
でも、そのあとは、もう嬉しかった。
自分の失敗したことについてムカついたし、
凄く悔しかったんだけど、
でも表彰式でたくさんの日の丸を見たりとか、
「おめでとう」という声援が聞こえたりとか、
あと、映像でたくさんの人がテレビの前で
応援してくださったのを見たりとかして。
で、メダルを日本に持って帰ることができて凄く嬉しかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
舞
オリンピックの目標は?
真央
今から練習してアクセル3回を入れれる構成ができていれば、
もちろんソチオリンピックでもアクセル3回の構成で
やりたいなと思ってるから、それを試合に入れて、
終わったあとに「やった!」って思えるような
試合にすることが今の一番の目標で。
やっぱり日本代表として出場するので、
やっぱり日本にはメダルを持って帰りたいなと思ってるし、
勿論それは一番いい色のメダルを持ってこれたら一番いいな、
というふうに思っています。
私は、これらの真央ちゃんの言葉を聞いて、
本当に嬉しかったですねぇ。
なんというか、真央ちゃんの素直な気持ちがじわ~っと伝わってきて
ほんとうに嬉しかったんです。
あのバンクーバー五輪で、あの壮絶な試合を経験し、
悔しい思いでいっぱいの表彰式の中で見た、たくさんの「日の丸」。
そのたくさんの「日の丸」とたくさんの「おめでとう」という日本語の声援が
真央ちゃんの気持ちを少しでも和らげていたのだとすれば、
本当に、「応援冥利」に尽きるなぁと思いました。
学校の運動会のクラスリレーで、我が子が走るのを必死で応援し、
我が子以外のクラスの子が走る時は、クラスの子供たちを応援し、
その次は、同じ色の組の子たちを応援し、そして最後は、
勝ったチームを拍手し、そしてみんなで無事に終わったことを喜び、
先生方や、裏方でお手伝いをされた皆さんにも感謝して、
その「運動会の思い出」をそれぞれの家庭へと持ち帰る。
それがずっとずっと延長線となって、全国大会では「地元の代表」を応援し、
そして、「日本代表」を応援する。
これらは「自然な成り行き」なんですよね。
そして五輪の「日本代表」を目指してきた選手たちが
出場までに長い間積み重ねてきた努力や頑張りに目を向ければ、
また、彼らの素晴らしい技術や力に魅せられたら、
より応援したい気持ちが強くなる。
自然なことだと思うのです。
今年のお正月(3日だったかな。)にNHKのBS1で、
サッカーワールドカップの初出場となったフランス大会から、
2010年の南アフリカ大会でのベスト8を賭けた試合まで、
日本代表の計14試合がノーカットで流されていました。
フランス大会での中山ゴンさんの、W杯における「日本初ゴール」など、
とても懐かしく、また、そのアスリート魂に再び感動しながら、
その後もチラチラと見ていましたが、その中でも一番感動した場面は、
やはり、日韓W杯の初戦のベルギー戦でした。
12年前の映像なのに、NHKの映像がとんでもない美しさで、
(これは画像にうるさいゲーム好きの息子もびっくりしてましたね。)
まるで今現在、ライブでやってる感覚に陥るような
そんなリアルさで見たものですから、「臨場感」が半端なかったです。
(同時に、「NHKよ、まともになってくれ!!」とどれだけ思ったことか。)
だから余計に12年前に味わった「震える感動」を
再び思い出せたのかもしれません。
キックオフ前、「君が代」が斉唱される埼玉スタジアムを埋め尽くした、
画用紙に書かれた「日の丸」。
あの「日の丸」は、全国の小学生の手書きのもので、
さらに裏には、絵やメッセージが描かれていたそうです。
試合前に、観客に配られ、それを皆が掲げたわけです。
そして、会場全体に轟く、うねるような大歓声。
その大歓声の上空をブルー・インパルスが祝賀飛行。↓
【ブルーインパルス、祝賀飛行 日韓でW杯サッカー大会開催 防衛庁・自衛隊が支援協力 自衛隊ニュース2002年6月15日号】この時の私は、まだ自衛隊に対してあまり感謝の気持も持っていない、
「お花畑思考」の国民だったせいで、全く関心がなかったのか、それとも、
他のことに気を取られていたからか、ブルー・インパルスの飛行を
全く覚えていなかったのですが、今回、NHKの美しい映像で、
この素晴らしい祝賀飛行と、それを見て鳴り響いた観衆の
「うお~~っ!!!」という大歓声を聴くことが出来、
これにも感激したのでした。
(日韓W杯については、日本代表の試合の他、
日本各地の各国代表のキャンプ地、また日本のサポーター達の
「いい話」がたくさん埋もれていたのに、それらが全て
あの隣国のために穢されてしまい、「審判買収の穢れた大会」として
記憶に残ってしまったことに、とても悔しい思いがしてなりません。
「お花畑」から目が覚めたきっかけとなった大会でしたけど、
そんな大会になって欲しくはなかったです。本当に・・。
楽しみにしていたポルトガル、イタリア、スペインの
試合を返せ!!!!!


)
今回、改めて映像を見ると、日本代表の選手たちは殆どがちゃんと
「君が代」を歌っていて(あの中田英寿でさえ)、改めて感動。
選手たちは、あの埋め尽くされた「日の丸」と大歓声を
きっと全身で受け止めてくれてたと思いますね。
鈴木隆行の、あの神がかり的な1点目のゴールも
そこから結びついたんじゃないかと思ってしまいます。
12年前もそうでしたが、あの埋め尽くされた「日の丸」を見た時に
自然に沸き上がってきた震えるような感動というのは、
他のなんらかの力を借りて起きたものだったでしょうか?
いいえ。
ただ、テレビ越しに観ていた。
ただそれだけでした。
だけど、身震いするほどの感動を覚えました。
「お花畑思考」だったにもかかわず。
昨年暮れに、TBSのサンデーモーニング特番で、
香山リカが、「今の若者は愛国心に依存しようとしている。」、
みたいなことを言ってたのを思い出しました。
その言葉に最も近いものとして、
元陸上選手の「為末 大」氏がtwitterで2年前に書いていた言葉が
ありました。↓
【為末 大 @daijapan 】為末 大 @daijapan 2011年6月1日
若者が右に寄りたいのは
この国に生まれたというだけで価値をつけられるから、
一人じゃない気がするから。
コンプレックス解消の愛国心。
集団依存の愛国心。
強くない自分を強い日本で補おうとしている。
香山リカが言ってたのはまさしくこれと同じことでした。
私はこれを聞いた時、何とも言えぬ「気持ち悪さ」と
「腹立たしさ」を感じました。
何故ここまで日本の若者を貶める?
何故、日本の若者を信用しない?為末氏はtwitterを見るとよく「敗者」の立場に立った考えを
心地よく書いてる。
為末氏の「諦める力」という本も売れているようです。
別にそれらの中に書かれているであろうことにケチを付ける気もなく、
人の心をつかむことも書いていると思います。
でも、上の言葉はその全てをぶち壊すような言葉だと思うのです。
恐らく為末氏は、「愛国心」を否定することを最大の目的として、
この言葉を書いたのではないかと私は思いますが、
しかしこの言葉は、完全に日本の若者を愚弄し、かつ蔑視している。
若者に気付いて欲しいと思って書いてるのか、
はたまた香山リカのように「精神分析」のつもりで
書いているのかもしれないですけど。
はっきり言えば
「卑屈」としか言いようが無いです。
しかもこのツイートは東日本大震災の3ヶ月後に書かれている・・・。
この日本社会を形成するのは日本国民で、
その社会の隅々まで、多くの日本人の努力によって支えられてるわけで。
それは日本人特有のものがあってこその社会でもあって、
それは、その中のどれを失っても成り立たないものであって、
すべてが繋がっているものだと思うのです。
日本代表の選手だって、この日本社会に支えられていると、
特別に思うことなど殆ど無いかもしれないけれど、
確実に何らかの形で社会にお世話になってるわけで。
全く見ず知らずの人にも、いつのまにかお世話になっている。
それこそ、口にする飲み水から、何から何まで、
全ては「日本社会」の営みの中から「安全」を与えられ、
「安心」の中で過ごしている。
いつのまにか守られている。
日本というコミュニティの中で、自分たちは
知らず知らずのうちに育くまれ、いつのまにかその手助けもしてる。日本代表の選手たちも、普通の日本の若者も、当然ながら、
日本という
共同体、いわば
「日本丸」という大きな船で、
共に一緒に生きている
「日本社会」の「構成員」です。
それを思えば当然、「愛国心」は自然と沸き上がってくる
ものであって、なんら非難されるものでも何でもなく、
むしろ
「感謝の気持ち」も含まれる、素晴らしいものであると。
この日本をずっと守ってきてくれた先人に対しても、
また今の時代を共に生きる人達に対しても湧いてくる「感謝の気持ち」。
そして「愛国心」でもって、日本人であることを「誇り」であると
思うのは、
「日本という国を共に支える日本人」として、
当然であると。
「コンプレックス解消の愛国心。」とか、
「集団依存の愛国心。」とか、
これほど「卑屈」で、「惨めったらしい」言葉を、
そんなマイナスでネガティブな言葉を投げつけられるほど、
日本の若者は惨めで、蔑まれる存在なんですか?と問い詰めたい。
日の丸を掲げ、君が代を歌い、日本選手を応援することが
どれだけ自然な行為であるか。
その「日の丸声援」を受け、「嬉しい」と思う選手の気持ち。
選手が気持ちを奮い立たせる原動力ともなるその「日の丸声援」。
それはいちいち説明できるものでもない、自然に湧き上がるもの。
それを何故そんな言葉で否定できるのか?
2012年の春、ロンドン五輪日本女子競泳背泳ぎの
代表を目指す萩原智子選手の特集が報ステでありました。↓
【報道ステーション 萩原智子~病気・手術を乗り越え、再び五輪へ 修造コラム 2012年3月28日】2000年シドニー五輪に出場し、200m背泳ぎ4位になった選手。
私もよく覚えていました。
彼女は04年に一度引退しますが、09年に再び復帰を果たし、
日本代表に返り咲き、順調な仕上がりを見せてましたが、
五輪前年の11年4月に子宮内膜症・卵巣のう腫と診断され手術。
術後はリハビリに励みレース復帰。
そして最後はロンドン五輪代表選考会では女子自由形で決勝に残るところまで
来たのでした。
その彼女がテレビでいろいろ話してくださった中で、一番印象に残ったのが、
ロンドン五輪の日本代表を目指す選手たちが泳ぐ練習場のプールに久しぶりに来た時、
その
壁に大きな日の丸が飾られていて、その日の丸を見た瞬間、
気持ちにスイッチが入った、というようなことを仰っていたことでした。
「日の丸を背負う」。そのことへの並々ならぬ思いを感じましたね。
実際、ロンドン五輪の競泳チームからは、それがひしひしと伝わってきたなぁと。
その萩原智子さん、最近でもこんな思いを語っています。↓
【フェンウェイパークにみた日本の誇り 萩原 智子 | シドニー五輪競泳日本代表 2013年10月25日】アメリカ・ボストンのフェンウェイパークで、ワールドシリーズが開幕。
初戦を大差で圧勝したのは、ホームのレッドソックス。
2戦目は、2-4で敗れ、1勝1敗となった。
ワールドシリーズに相応しい一進一退の戦いに、胸が高鳴る。
大興奮の観客たちレッドソックスには、日本人大リーガーが名を連ね、
チームのキーマンとして活躍している。
私は、この夏、ボストン・フェンウェイパークで、その力投を目の当たりにした。
スタジアムが、拍手と歓声に包まれた。
スタンディングオベーションで選手を迎えている。
私の周りにいた人達は、口々に「Congratulation!」と握手を求めなら、
声をかけてくれた。
私はアメリカ・ボストンのフェンウェイパークのスタジアムで、
久しぶりに日本人で良かったと
心の底から思った。
そして誇りに思えた瞬間でもあった。
【上原投手の活躍に「日本人で良かった」】
私に最高の気分を味あわせてくれたのは、
ボストン・レッドソックスの上原浩治投手だ。
今年の夏、私はボストンで、上原投手を応援した。
7月19日に行われた大リーグの後半戦初戦
「ボストン・レッドソックスVSニューヨーク・ヤンキース」の因縁の対決。
2点リードの9回からクローザーとして登板したのが、上原投手だった。
後半戦初戦のホームゲームでもあり、会場は何とも言えない緊張感の中での登板。
絶対勝利が求められる雰囲気に、スタンドにいた私は身震いした。
会場のボルテージは、最高潮。
ブルペンから登場した上原投手は、わずか7球で打者を打ち取った。
今シーズン9セーブ目を達成した瞬間、大きなガッツポーズを決めた。
体の底から喜びを感じ取っているようだった。
チームメイトとは、ボストンでも有名となった力強いハイタッチで
喜びを分かち合っていた。
「毎回毎回、これで最後になってもいいというくらい全力で投げているから。
勝ったときは、最高に嬉しい。」と
試合の時とは違う穏やかな笑顔で話してくれた。
スタンドにいた私も、ガッツポーズ。
次の瞬間、周囲の人たちとのハイタッチ祭りになった。
それもそのはず、私は、スタンドで上原投手の背番号が入ったユニフォームを着用し、
手には日の丸の扇子を持って応援していたのだ。
そんな様子を見ていた地元ファンは、
日本の上原投手が活躍したことで、
同じ日本人の私に「Congratulation!」と言いながら、
握手と拍手で祝福してくれた。
まるで私が勝利を修めたかのように。
言葉には言い表せないくらい嬉しく、涙が出そうになった。
それと同時に、日本人で良かった!と誇りに思えた瞬間でもあった。
【全力で投げる誇り】
クローザーの上原投手は、毎回、全力プレーを貫き通している。
「8割9割で投げて打たれたら凄く後悔する。
でも10割で打たれたら、それは仕方ない。」
こんな気持ちになれたのは、日本でプレーしていた2008年、
FAでアメリカ挑戦したいと考えていた年だった。
成績を残さなければならない、怪我したらいけないという気持ちが、
いつの間にか消極的なピッチングにさせていた。
しかしアメリカでプレーをしてから、全てが吹っ切れた。
「中継ぎから抑えになって、本音を言えばしんどい。
でもどこに行ってもしんどいってのはあるし、
最後は自分で終わらなあかんってのもありますからね。
勝ちゲームで投げているから、勝たなあかんっていうのもあるし。
抑えていて当たり前のポジションになってくるし。」と本音も。
様々な気持ちと葛藤しながら、マウンドへ向かっている。
1球1球、全力で後悔なく投げぬく誇りを胸に。
【日本製のスクリーンにも胸を張りたい気持ちに】
日常生活で、「日本人で良かった」と思う機会は少ない。
私は、そういった瞬間に立ち会えて幸せ者だと思う。
こうして人からの影響で感じることもあれば、モノからも感じ取ることも出来る。
私が訪れたフェンウェイパークには、大きなスクリーンが設置されている。
そこには、見たことのある文字が記されていた。
日本企業の文字だ。
球場の関係者は
「フェンウェイパーク唯一の日本製品ですよ。
この球場は、古いものを大切にしています。
しかし電気製品は、新しいものでないと機能しない。
そこで出来たのが、このスクリーンです。
最新の機能なのですが、映し出されるカラーは、
この球場のイメージを壊さず、わざと古く見せることが出来る
素晴らしい機能になっているんです。」
と胸を張って話してくれた。
全米でも屈指の人気球場であるフェンウェイパークの中で
最も目立つ存在のスクリーン。
そこに使用されているのが日本の製品だと知り、
またも胸を張りたい気持ちになれた。
こんなに喜ばしく、誇りに思うことはない。
太平洋を横断した米国で、日本人大リーガーの上原投手の力投に胸が熱くなり、
日本製品が重宝されていることに感動した。
スポーツだけではない。
世界ではさまざまな場所で、「日本」が頑張っている。
例え短期間でも日本を離れることによって、外から日本を見ることが出来る。
自分自身が生まれ育った国について考える
大切な時間となる。
異国の地で目にする「JAPAN」には、
大きなパワーを与えてもらえる。
「日本人で良かった」と思えることは、
本当に幸せなことだと思う。
「JAPAN」ブランドはまだまだ健在だ。
そのことにパワーをもらい、私自身ももっともっと向上していきたいと思った。
萩原智子さんはなんて素直な方なんだろうと率直に思いましたね。
(ちょっと上から目線的な言い方しかできずすみません。)
これ、一番上で真央ちゃんに対しても書いたことなんですが、
本当にそう思うんです。
こう思うことって間違ってるんですか?
そんなはずないですよね。
アメリカ人が祝福してくれた。これも素敵なことじゃないですか!
そして、これが当たり前なんですよね。
最初に書いた「運動会」から何ら変わっていないんです。
「愛国心」はそうやって培われていくものなんですよね。
為末氏と萩原智子さんは、いわばギリギリのところで
五輪のメダルを取ることが出来なかった。
萩原さんは、私などから見れば、素晴らしい「成功者」であるけれど、
でも決して完全な成功者ではなくて「敗者」でもあります。
為末氏も世界陸上の銀メダリストですから、同じだと。
では、なぜ、同じアスリートでありながら、
「愛国心」についてここまで考え方が違うのか?
私は、一昨年の自民党の総裁選後、えらく「人間の嫉妬心」というものを
考えることがありました。
そのことは下記リンク記事の下の方、「うんざりすること、その2」で
グチグチと書いてますので読んでいただけたらと思います。↓
【うんざりする・・・。橋下とか、その他もろもろ・・。】こちらも読んで頂ければと・・。↓
【声を上げる。分かってもらうために。日本を取り戻すために。 - 目が覚めて思うこといろいろ】要はですね、「妬み、嫉み」というのは人を狂わせるのだと
改めて思ったわけです。
なにせ、自民党を応援してたはずの人達が今や、
共産党支持者のようになってしまっているんですから。
自分の応援していた人が総裁になれなかった。
日の目を浴びることが出来なかった。
他の人が総裁になって今世間から注目を一斉に浴びている。
ただそのことへの「妬み」からだけで、あっという間に・・。
その「妬み」によって、「日本を取り戻す」ために
一緒に応援することさえ拒否し、寧ろ邪魔までするようになった。
いわば、目的を履き違えた行動へと走って行ってしまった。
綺麗事を言ってても書いていても、要は「嫉妬心」の塊。
そこに巣食うのが共産主義。
マスコミも同じ。「高給取り」。
これだけで、公務員も医者も大企業も何もかも全否定。
2009年までの数年間の異常なまでのマスコミ煽動報道は、
ほぼこの「妬み、嫉み」煽動報道だったと言っても過言ではありません。
その煽動の先頭にいたのがあの元経産官僚の古賀茂明みたいな連中です。
「嫉妬の塊」ですよ、報ステなどで古賀の言い方を聞いてたら。
他人を褒めることをしない。
何でもかんでも人のせい、社会のせいにする。
嫉妬心の強い人はこの傾向も強くなると思います。
私も勿論嫉妬心はあります。
最近思うのは、もしかしたら、まだ「お花畑思考」だったら、
もっと嫉妬心の酷い人間になっていたかもしれないということ。
2002年におかしいと気が付いてネットで真実を知らなければ、
麻生さんや安倍さんに対しても、きっと、
2009年の時のマスコミに扇動された国民と同じように、
ねちねちと
「金持ちいじり」をしてたかもしれない。
古賀の言ってることに「そうだ!そうだ!」と
賛同しづづけていたかもしれない。
でも、ネットで安倍さん、麻生さん、故・中川昭一さんら
「日本のために命がけで頑張る政治家たち」を知り、
自分は一体、今まで何を見てきてたんだろうと思った。
「正義」の心を持った日本人が政治の世界にもいる。
その「日本を心から愛する政治家」の存在は、私にとっては
大げさだと思われるでしょうけど「青天の霹靂」でした。
見えないところで一生懸命頑張っている人、努力している人、
そういう人達が世の中にはたくさんいるのだ。
そういう「視点」で見ることが遅まきながら増えてきました。
マスコミの「感動的、お涙頂戴的な弱者の視点」に振り回されない
自分で判断できる「視点」の確立。
これはマスコミの異常な煽動、偏向報道で、
逆に培われたのかもしれません。
結局、日韓W杯での「日の丸」と、この「信頼できる」政治家たちの存在が、
「愛国心」というものを具体的に考えるようになった
キッカケといえるかもしれない。
そしてそれは、
自虐史観によってなされていた「先人たちに対する否定」とは
一体何だったのか?ということに
真正面から向き合う事にもなりました。
萩原智子さんのように自然と湧きあがる愛国心。
スポーツでは、絶対に日本人は不正をしない、卑怯なことはしない、
それがまっすぐ今まで貫かれてきた。
そして、それが日本人だと皆思っている。
東日本大震災での被災者の行動に改めて思ったのは、
やっぱり自分たちは日本人なんだ、ということ。
拉致事件を知った時、愕然とした。
怒りに震えた。
見も知らぬ人達でも、同じ日本人として悔しくてたまらなかった。
何故日本人が日本人を助けることが出来ないのかと。
全ては自然な中から湧き上がった気持ちばかり。
理屈でも何でもなく。
天皇皇后両陛下が被災地に赴かれ、各地で犠牲者に哀悼の意を捧げられ
黙礼されていたあのお姿を拝見するたびに、自分が何を感じたか。
皇后陛下が、阪神淡路大震災後赴かれた神戸の被災地で
御所に咲いた水仙をお持ちになって献花された場面を拝見した時、
自分が何を感じたか。
また、その16年後、東日本大震災の被災地の避難所で、
被災者女性が、津波にのまれ家も何もかも失われた、
その自宅跡で、負けずに花を咲かせた水仙を花束にし、
ご訪問された皇后陛下に渡された、
その場面を拝見した時、自分が何を感じたか。
この2つの奇跡的な繋がりに自分が何を感じたか。
理屈なんてないのです。
「愛国心」というのは、もしかしたら、
「嫉妬心」というものを克服できる一つの鍵のような気がします。
そう考えると為末氏の言ってることは、歪んだ方向から見れば、
ある意味「正解」のところがあるかも知れない。
でも、「愛国心とは?」、ということを伝える時に、
あの言葉は、若者を奮い立たせる言葉になるんだろうか?
むしろ、若者に「卑屈な気持ち」を植え付けるのではないか?
この卑屈な言い方は、その言葉そのものが
「嫉妬心」に覆われているようにしか思えない。
「愛国心」は必ず、人をポジテイブにしてくれる。
落ち込んでても、「ちょっと頑張ろうかな」という気にさせてくれる。
素直になれる。
為末さんの言葉には、確実に若者への悪意が込められている。
そんな風にしか聞こえないし、
あの言葉を直接言われた若者は、いつまでもウジウジし、
自分は「虎の威を借る狐」でしかない、ダメ人間だ、としか思えない。
「愛国心」は
素直にさえ受け止められれば、
物凄く自分の人生にプラスになると思います。
香山リカは、為末氏と同じことを昨年暮れに言ってましたし、
もう、この人はそもそも「あちら側」の人でどうしようもないですが、
為末氏はどうなんでしょうか。
なにか、いつのまにか急に、フジテレビの「とくダネ!」の
コメンテーターをしていたりしてびっくりしたものですが、
それもこの言葉から「これは利用できる」と思ってマスコミが
白羽の矢を立てたのかなと思ったりもします。
為末氏のこれからなどは、知る由もありませんが、
この気持がまだ変わらないままで、もし、
後進の指導などするのでしたら、絶対やめて欲しいです。
将来ある若者たちに、上の言葉のように「愛国心」を歪ませて
植えつけるならば、それは、その後の彼らの人生にも、
ネガティブな心を植え付けるのではないかと危惧するからです。
いわば、人のせいにし、社会のせいにする。
「愛国心」の否定とは、そういう形に
繋がっていってしまうと思うからです。
いくら「嫉妬心」を克服させようと、キレイ事や御託を並べても、
「愛国心」を蔑ろにすれば、克服など出来ないとさえ思います。
もう一つは、海外に行った時に、
こんな愛国心を揶揄するような言葉を発すれば、
恐らくもう信用されないでしょうね。
そして、命がけで自分の祖国を守りたいと戦っている
チベットの僧侶たちや、東トルキスタンの人達の前で、
本当にこんな軽々しいことが言えるのですか、と。
祖国を失うことがどれほど悲しいことであるのか。
金美齢さんが、国家レベルの危機意識が非常に強いのは、
中国の息のかかる台湾の実情を身を以って体験しているから。
「コンプレックス解消の愛国心。」とか
「集団依存の愛国心。」とか
「強くない自分を強い日本で補おうとしている。」
などという言葉が、いかに平和ボケしたぬるま湯的な言葉であるか、
現実を見ればはっきりとわかると思います。
「愛国心」をバカにし愚弄する者は、そのまま、相手の国の文化も
伝統も生活様式も習慣も、そして「〇〇人」であることさえも
何もかも否定することと同じ行為だということに
気づくべきだと思います。
素直な気持ちで日本を愛し日本を応援し、自分の糧とする。
前向きな気持を起こさせる「愛国心」は
日本社会の構成員でもあり、同じ日本丸に乗る共同体の一員として、
自然に持つ当たり前の心。
日本人であることを誇りにし、人を妬まず、
前向きに生きていける幸せ。
「愛国心」とは、そんなささやかな幸せも与えてくれる
素晴らしいものだと若者に伝えていって欲しいです。
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