朝、10時半にテレビ付けてみたら、TBSのサンデーモーニング、
まだやっててビックリ。
いや、もうね、この年の瀬に、特集組んでたんですね。
安倍総理の靖国参拝をどんな風に伝えたんでしょうか?
まぁ想像つきますけど。
テレビを付けた時も「戦争の火種」という題で、
オドロオドロしくヒトラーの映像を流してました。
香山リカが「愛国心は危険!!!」と洗脳してましたね。
しかし、日本人にとって嬉しい事が起こり、日本が元気になればなるほど、
お通夜状態になるのがTBSの「サンデーモーニング」ですね。
在京のテレビ局は、もう死んだも同然ですが、
関西ローカルは、まだ出演者によっては「神回」の番組が見られます。
然しあくまで「出演者によっては」、です。
昨日の土曜日は、ハイヒール・リンゴ、ももこが司会をする「あさパラ!」で、
「永遠の0(ゼロ)」の作者、百田尚樹さんが、めっちゃ頑張って下さいました!↓
【読売テレビ「あさパラ!」安倍総理靖国参拝 2013/12/28】特に8分辺りからです。
百田さん、よくぞ仰って下さいました!!
リンゴ、小籔も、GJでした!
リンゴ
分祀は神様になっている一つになっているから理論上出来ない。
(中略)
百田
戦後40年間、中国は一度も非難も抗議もしていない。
それまで日本の首相は公人として58回参拝しているが、
一言も文句言ってない。
昭和60年(1985年)に日本の某新聞の記者が
(百田さんは言わなかったけど、もちろん朝日新聞です!!!)
中国に行って、
「日本の首相がこんなことしてます!
中国政府は文句言うて下さい!」
と、わざわざ注進に行ってるんですよ。
そして当時のある党、まぁ社会党ですけど、それがまた行って、
中国政府に「文句言ってくださいよ!」言うて、
それで初めて中国が文句言うたんですよ。そっから始まったんですよ。
40年間、なんにもなかったんですよ。
リンゴ
ということは、日本はマッチポンプじゃないですか。
百田
そうです、日本の新聞がね。
自分とこで火をつけて自分とこで大騒ぎして
「大変なことや~!!」と世界に言うてるんです。
リンゴ
もともと靖国神社は第二次世界大戦の英霊を祀っているだけじゃなくて
戊辰戦争からですよね、明治維新からあって、名前は途中で変わりましたけど、
国のために亡くなった人を祀る神社だったわけですよね。
(中略)
リンゴ&百田
A級戦犯という言い方もね!
A級が物凄く悪くて、B級がちょっと悪くて、C級があんまり悪くないみたいに
思うじゃないですか。
でもそうじゃないですよね。
ホントはA類・B類・C類と、単に種類を単に分けただけなんです。
Aが一番上で、Bが下で、Cが一番下、そんなん、ちゃうんですよ。
等級によってC級が一番軽い罪だよというのではなくて、
B級戦犯の方もいっぱい処刑されているんですよ。
2千何人ね。
単に種類を分けただけなんですよ。
どういう罪かということだけ。
C級戦犯の方は侵略した国で捕虜を撃ったとか、ね。
種類別というか。
A級が物凄い、俗に「超A級」みたいにね。
一番悪いやつみたいなこと言ってるが全然違う。
百田
あと、もう一つ、東京裁判は「裁判」言うてますけど、
実際には裁判でも何でもないんですよ。
裁く法律などなくって、戦勝国が勝手にとにかく
罪を与えたいということで勝手に「裁判」と名づけて
無茶苦茶なことをやったんです。
「平和に対する罪」とか、「人類に対する罪」と言うんなら
東京大空襲で10万人殺した司令官とか、
広島長崎に原爆落としたなんていうのは、
人類に対する大犯罪ですよね。
小籔
靖国神社に行ったらインドのパール判事の
「この裁判は、あとで考えたら絶対におかしいと言う時代くるで。」
みたいな、こんな大阪弁ちゃいますけどね、
そう書いてますよ。
百田
東京裁判で唯一の国際判事がパール判事やったんです。
このパール判事は「全員無罪」と判決出したんですよ。
リンゴ
法律って、その時にある法律で裁かないと
だめなんですよね。
例えば、(よど号の)ハイジャックが起こった時に、
ハイジャックはそれまでなかったから、
ハイジャック犯を裁く法律がなかった。
よど号でハイジャックが起こってからハイジャックの法律が出来たけれど、
それまでは旅券法違反の罪でしか裁けなかった。
裁判てそういうもの。
第二次世界大戦で日本を裁く法律はなかった。国際法は。
百田
法律というのは、遡及法と言いまして、
あとから法律作って罰することは出来ない。
そんなコトしたらなんでもできますからね。
「事後法」と言って絶対にしてはいけないんですが、
東京裁判はそれなんですね。
あと、某国もそれ、ようやります。
事後法で勝手にあとで法律作って、
その時は罪ではなかったのに、
「いや、あとから法律を作ったんで、あんた罪ですわ」
と。
お隣の国はよくやります。
よしっ!!!!!
あの短時間で、よくぞ百田さん、喋りきってくれました!
関西の番組はとかく「お笑いのちゃちゃ」が入ってしまって、
そこで、話が思い切りぶった切られてしまう、ということが多々あるんですが、
百田さんは、「右に首が傾いている」というツッコミにも、
上手く「『右に傾く』いう言葉はちょっとややこしくなる(笑)」と笑いを誘いながらも、
その後そのまま話を続けてくれました。
今や「吉本新喜劇座長」の小籔は、靖国神社にも何回か参拝してるそうですが、
まさか、パール判事の「碑」のことを言ってくれるとは(しかも大阪弁で)、
思いもかけませんでした。
小籔が言ってた、
「この裁判は、あとで考えたら絶対におかしいと言う時代くるで。」
みたいな言葉は、拙ブログでよく紹介してる、この
「意見書の結語」の
ことです。↓
時が熱狂と偏見とを
やわらげた暁には
また理性が虚偽から
その仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを
要求するであろう
これを、
大阪弁で、ものすごく意訳してたんで、ちょっと笑いました。
リンゴも、よくぞ、百田さんの重要な話の「つなぎ」を上手くやって、
話を盛り上げてくれたなぁと思います。
関西以外の方もぜひ、動画見て下さいね。↑
ついでに、百田さんは
映画『永遠の0(ゼロ)』について、
今まで何度か他の監督さんにも製作の話があったけれど断ってきた、
今回の監督さんの脚本は読んですぐOKを出した、7回も観に行ったと。
とにかく素晴らしいと大絶賛、岡田君がまた( ・∀・)イイ!!と仰っていました。
原作者がこれほど惚れ込んでるなら、いやぁ、観に行ってみたいですね!!
★今回の説明に、少し補足するとすれば、以下の事柄でしょうか。
◆各項目罪状↓
A項「平和に対する罪」
B項「通例の戦争犯罪」
C項「人道に対する罪」
※戦時国際法の戦中の基準、ハーグ陸戦条約では「捕虜の虐待」などの
B項の基準しかなかった。
A項の「平和に対する罪」、C項の「人道に対する罪」は、
戦勝国が日本を裁くためにわざわざ作った罪。
◆各項目対象者。↓
「A級戦犯」→ 国家の指導的役割にいた人が対象。14名。
「B級戦犯」→ 部隊の指揮官クラスが対象。
「C級戦犯」→ 末端の戦争犯罪を実行したと「される」人が対象。
◆戦勝国の一方的な一審制の完結裁判であったことと、
当時占領下でもあったため、判決を拒否、控訴することが
出来ず、そのまま結審となった。
◆現在の日本において戦犯は存在しない。←特に注目!【理由】昭和8年(1953年)に日本の国会において、
「戦犯赦免に関する決議」が行われ、
当時の社会党も共産党も含め、満場一致で「戦犯」とされた
方々の名誉を回復する議決がなされている。 しかも、この
「戦犯赦免に関する決議」は、
前年(昭和27年・1952年)に、
戦犯とされた方々を即時に釈放すべしという国民運動があり、
これに4千万人もの日本国民の署名が集まった事に起因する。 国会は
「日本国民の民意」を汲み取り、国会において議決を取った。
この
「戦犯赦免に関する決議」は、現在に至るまで一切「否決」されて
おらない為、 当時の議決は(現在も)有効である。
従って、「戦犯」と呼称すべき方々はもはや「存在しない」。
※2005年10月25日の小泉内閣下の閣議では、
当時の民主党の野田佳彦国会対策委員長の質問主意書に答える形で、
政府は第二次大戦後、極東国際軍事裁判所や、
その他の連合国戦争犯罪法廷が科した各級の罪により、
戦争犯罪人とされた(A級戦犯を含む)軍人、軍属らが
死刑や禁固刑などを受けたことについて、
国内では戦争犯罪人とは言えず、
国内法上は戦犯は存在しない
との見解を明確にした答弁書を決定した。
さて、
靖国参拝で最も重要なことは「天皇陛下のご親拝」ですが、
先日、日テレの朝の番組「スッキリ」で、
テリー伊藤の安倍総理靖国参拝への批判があまりに酷かったので
取り上げてみます。
テリー伊藤は、こんなことを言ったんです。
A級戦犯が合祀されているから、天皇陛下は行かなくなった。
陛下のお気持ちを考えるべきだ。
靖国には、250万人の英霊がいる。
A級戦犯が合祀された時彼らは何を思ったでしょうか。
「お前らがしっかりしていれば、戦争は早く終結した、
広島、長崎の悲劇もなかった」
そう思っているのではないか。テリーは天皇陛下の思いと、英霊の思いを
勝手に解釈して代弁したんです。
穢れる行為です!!!許せないです!!!
そして、テリーはここで完全に天皇陛下を
政治利用をしたんです!!!★twitterなどでも、こんな意見が流れていました。↓
●1978年10月、東条英機らA級戦犯14名が『昭和時代の殉難者』として
靖国神社に合祀された。
すると、昭和天皇はこれに激怒。
75年を最後に、靖国へ足を運ぶことはなかった。
今上天皇も参拝を一度もしたことがない。
●昭和天皇が、靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を示し、
「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、
当時の宮内庁長官、富田朝彦氏に語っていた。
何年か前に日本経済新聞がスクープし、マスコミが大騒ぎさせた
「富田メモ」を再度ぶり返させての
「工作」です。
テリーの言葉も「情報操作」です。
★この「富田メモ」騒動について
、竹田恒泰さん(明治天皇の玄孫)は
こう発言されているそうです。↓
昭和天皇が靖国へのA級戦犯合祀に
難色を示したと新聞が報じた富田メモは嘘。
実物を読むと政治利用される事に不快感が
あったと書かれていた。
現在でも春夏の例大祭に勅使(天皇出席と同等の
権威)を派遣している。
★下の動画は、2013年08月09日 竹田恒泰さんのCH特番、
【「日本人にとって靖国神社とは何か?」~竹田恒泰の靖国神社論】
からのものです。
昭和天皇が”合祀に不快感”
↑これは巧妙な情報操作なんです!
と、いわゆる「富田メモ」について話されています。【昭和天皇が”合祀に不快感”←これは巧妙な情報操作なんです!|いわゆる「富田メモ」について】★現在、天皇陛下は、直々には靖国神社へのご親拝はされて
おられませんが、
天皇陛下の勅使が春と秋の例大祭に毎年
参向されています。その勅使とは、どういう立場の方であるかを竹田恒泰さんが、
語ってくださっています。
同じく竹田恒泰CH特番
【「日本人にとって靖国神社とは何か?」~竹田恒泰の靖国神社論】
2013年08月09日分からです。↓
【天皇陛下の勅使がうちに来ました。|天皇陛下の勅使の意味合いとは?】天皇陛下の勅使がうちに来ました。
だから、僕は分かるんです。
勅使をお迎えするということは、一体どういうことなのか、を。
それは、祖父(旧皇族竹田宮恒徳王)が亡くなった日でした。
僕は当時高校生でした。
勅使3組。
まず天皇陛下勅使。
つぎに皇后陛下勅使。
そして皇太后陛下勅使。
3組ともそれぞれ、皇宮警察から聞いていた時間、何時何十何分、
ピッタリと来ました。
なんと天皇陛下勅使は天皇陛下の御料車で来るんです。
信号は全部青。
勅使の移動は天皇陛下とまったく同じ作法で
行われるんです。
天皇陛下の勅使の服装は、モーニング・コート、燕尾服。
洋装の正装です。
シルクハットを持ち、ステッキを持ち、白手袋を持って
天皇陛下の勅使が恭しく我が家にいらっしゃいました。
もう、あまりにも神々しくて、
まさにその場に陛下がいらっしゃるのと全く同じ緊張感で
お出迎えしました。
体中、筋肉痛になるくらいの緊張感でした。
こちらも皆びしーーーっと正装して。
僕は学ラン来てましたけど。
恐れ多くて顔も上げられないくらい。
その後、勅使からの天皇陛下のお言葉を
頭を垂れて大変ありがたい思いで拝聴しました。
本当にその場に陛下がおいであそばして、
陛下から直々にお言葉を頂いたのと全く同じ有難さで、
たいへん有難い気持ちでお聞きしたんですよ。
★同じく竹田恒泰さんの「日本人にとって靖国神社とは何か?」(その3)より↓
天皇陛下は年に二回、靖国神社に遥拝されます。
そのときは、天皇陛下の勅使が遣わされます。
天皇に代わって、勅使が参拝します。
勅使というのはどういうものか?
(なぜ陛下と同じように尊く感じるのか?)
もし、天皇陛下勅使と総理大臣が並んだら、勅使の方が
上座になります。
ただの「侍従」として来たのなら総理より下ですが、「勅使」として
来たときは総理より上です。
もし、外国へ行くような時でも、天皇陛下勅使として行く時は、
天皇陛下と同じ待遇で、同じ作法で扱われます。
皇太子殿下がいっしょでも、勅使は皇太子殿下よりも
上になります。
★実際の勅使参向の様子です。↓
【靖国神社】春季例大祭 勅使参向[桜 H21/4/27]天皇陛下の「勅使」とはどういうものであるのか、
竹田恒泰さんの説明でよくわかっていただけると思います。
これらのことからも分かるように、
「勅使」が靖国に参向されているという事実から、
テリー伊藤や、反日戦力の言う
「天皇陛下はA級戦犯の合祀を知り激怒した。
だからて天皇陛下はご親拝されないのだ。
安倍の靖国参拝は陛下のお気持ちを愚弄するものだ。」などという、まるで天皇陛下のお気持ちを察して言っているかのような、
いかにも尤もらしい言葉は
全て嘘、虚言、捏造であることをどうか知って下さい。
もし、こういうことを言う方が近くにおられたら、
ここで書いたことをどうか伝えて下さい。
テリー伊藤は悪魔に魂を売った大嘘つきです!※テリー伊藤という鬼畜について・・・
(テリー伊藤が浅田真央選手の「ソチで集大成を」との報道で、
真央選手を貶める、吐き気をもよおすような暴言を吐いたのは
まだ今年の4月のことです。
テリー伊藤にどんな言葉を投げつけても、あの鬼畜ぶりを表現する言葉なんか
この世にはないと思うくらい、私は許すことが出来ません!!!)
★より内容を確信したものとするために。↓
◆【正論】日本大学教授 百地章
「ご親拝中止は戦犯合祀が原因」の虚構【正論】日本大学教授 百地章 「ご親拝中止は戦犯合祀が原因」の虚構■再開の道は首相の靖国参拝定着■
≪発端は朝日新聞の記事か≫
昭和50年(1975年)を最後に昭和天皇の靖国神社ご親拝が
途絶えたのは、いわゆる「A級戦犯」の合祀が原因である
-このような話がまことしやかに語られている。
共同通信の配信記事によれば、
野中広務・元自民党幹事長は7月27日、松山市で
「A級戦犯が合祀されて以来、天皇は靖国神社に
お参りすることをやめた」
と述べている。
また、御厨貴・東京大学教授と評論家の松本健一氏も、
中央公論8月号の座談会で次のように語っている。
御厨
「しかし、A級戦犯の合祀の結果、天皇が参拝しなくなったことは
予想外だったかもしれない」
松本
「合祀後は天皇の名代も参拝していない。
第一、靖国側がA級戦犯の合祀の際、名簿を天皇に見せたら、
天皇はえらく不機嫌で、横を向いたという」
野中氏らは一体何を根拠に、このような発言をされたのであろうか。
朝日新聞に「A級戦犯合祀で天皇参拝は途絶えた」
との記事が掲載されたのは、平成13年(2001年)
8月15日のことである。
この記事の信憑性については、以前、拙著『靖国と憲法』(成文堂選書)で
疑問を提起したことがあるが、補足して言えば、次のとおりである。
第一に、朝日新聞は「A級戦犯」合祀がご親拝の途絶えた原因である
としているが、果たしてその証明は可能だろうか。
このご親拝の中断は、むしろ昭和50年、
当時の三木首相が8月15日にいわゆる「私的参拝」を行い、
このことが国会でも取り上げられ政治問題化したことによるものと
考えられる。
その結果、50年のご親拝を境に、
このような政治的混乱に巻き込まれることを
未然に回避されるようになったのではないか。
第二に、昭和51年(1976年)以降も毎年、
春秋の例大祭の折には、勅使の参向が
続けられていることである。
勅使は天皇のお使いであり、もし陛下が
「A級戦犯」合祀に反対され、ご親拝が中止に
なったとすれば、勅使など差し遣わされるはずが
ないではないか。
≪「天皇の政治利用」を排す≫
第三に、昭和天皇がマッカーサーに対して、
全責任は自分にあるとされたあのご会見からして、
陛下が臣下の責任を云々されるとは思われない。
ましてA級だB級だなどといわれるはずはないし、
「A級戦犯」の合祀に反対されるはずもなかろう。
現に、昭和天皇は昭和20年(1945年)12月7日、
戦犯(A級)容疑者として逮捕状が出た木戸内大臣について、
「米国より見れば犯罪人ならんも、我国にとりては功労者なり」
と語っておられる(『木戸幸一日記』)。
また、東条英機・元首相についても、逮捕後、
「元来東条と云ふ人物は、話せば良く判る(略)。
東条は一生懸命仕事をやるし、平素云つてゐることも
思慮周密で中々良い処があつた」
「私は東条に同情してゐる」
とまで発言しておられる(『昭和天皇独白録』)。
これが陛下の率直なお気持ちである。
それがなぜ、「A級戦犯」合祀反対に繋がるのであろうか。
第四に、昭和53年(1978年)秋の「A級戦犯」合祀の際にも、
陛下には事前に上奏がなされ、「A級戦犯」の合祀は
昭和天皇のご了解のもとに行われている。
したがってその合祀を理由に、陛下がご親拝を中止されるなどと
いうことは考えられない。
ちなみに、「名簿を天皇に見せたら、天皇はえらく不機嫌で、横を向いた」
などという事実は存在しない。
これは靖国神社関係者の証言から明らかである。
とすれば、朝日新聞の記事は一体何だったのか。
これこそ日頃、同紙が批判してやまない「天皇の政治利用」そのもの
ではないのか。
≪ことしこそ公約の実現を≫
ご親拝中断の原因が政治の混乱にあるとすれば、
天皇陛下の靖国神社ご親拝を実現するための方途はただ一つ、
首相の参拝を定着させ、環境を整備することである。
つまり、首相が中韓両国の内政干渉に屈したり、
右顧左眄(うこさべん)したりすることなく
堂々と靖国神社への参拝を続けることが、解決の鍵である。
その意味でも、小泉首相は終戦60年の今年こそ、
ご遺族や戦友、さらに多数国民の期待に応えて、
公約どおり8月15日参拝を断行すべきである。
それとともに、国民がこぞって靖国神社に参拝し、
わが国における戦没者慰霊の中心施設は靖国神社をおいて
他にないことを内外にはっきり示すことが肝要ではなかろうか。
◆天皇陛下靖国神社御親拝のために
岡崎久彦(2005年【日本の息吹】9月号掲載) 天皇陛下靖国神社御親拝のために(2005年【日本の息吹】9月号掲載) 岡崎久彦■「A級戦犯」合祀理由説の誤謬を糾す■
昭和50年(1975年)11月21日の昭和天皇、皇后両陛下の
靖國神社御親拝を最後に、天皇陛下による御親拝は行われていない。
ところが、その理由を昭和53年(1978年)11月に行われた
いわゆる「A級戦犯」合祀に求め、これが理由となって
天皇陛下は御親拝を控えられるようになった、との論をなす者がいる。
のみならず、それゆえ今後も「A級戦犯」の分祀がなされない以上、
天皇陛下による御親拝の復活はあり得ないというのである。
しかし、果たしてそれは事実なのだろうか。
結論からいえば、
「A級戦犯」合祀の結果、天皇陛下の靖國神社御親拝ができなくなった
というのは全くの嘘である。
以下、事実経過に沿ってそのことを論証してみよう。
■天皇御親拝中断の真の理由
昭和50年(1975年)、三木総理は8月15日に参拝したが、
そのときに「私的参拝」と言明。
以後、参拝にあたり、公的か私的かが問題になる。
その年の11月20日の内閣委員会で、
社会党が翌日に予定されていた昭和天皇の
靖國神社御親拝を事前に問題とする質問を行った。
これに対して吉国法制局長官は、
「天皇の公式参拝は、直ちに憲法二十条第三項違反とまで
言えなくとも重大な問題となる」
と答弁した。
昭和天皇は予定通り翌二十一日に御親拝になったが、
天皇陛下の場合、公私の別というのがそもそも強弁であるし、
いささかでも物議を醸す行動は許されないので、
その年以降今日まで参拝されていないというのが実情である。
「A級戦犯」合祀は
その3年後の昭和53年(1978年)10月である。
当時このことはほとんど問題にされず、
翌年の春の例大祭参拝に際して大平首相は記者の質問に答え、
「A級戦犯あるいは大東亜戦争というものについての審判は、
歴史が致すであろうと私は考えております」
と述べ、その後も参拝を重ねた。
そして首相参拝は、鈴木首相、中曽根首相と続いたが、
国内でも外国からも「A級戦犯」合祀を理由とする反対は全くなかった。
ましてこの問題との関連で天皇の御親拝が
問題として議論されたことはない。
反対が始まったのは昭和60年(1985年)9月20日の
中国外務省スポークスマンの発言からである。
その後はそれが中国の公式態度となった。
その後、昭和天皇が「A級戦犯」の合祀に反対されたという説が
まことしやかに流されたが、信憑性はない。
ただ当時の時流として昭和天皇を護るためには、
陛下が徹底した平和主義、反軍国主義者であったと
言うことが陛下のためになると側近が思い、
敢えて「尊き人のために言った」可能性はあるかもしれないが、
それは昭和天皇御自身のお考えとは関係はない。
■「米国より見れば犯罪人ならんも
我国にとりては功労者なり」
それでは昭和天皇はいわゆる「戦犯」をどうお思いになって
いらしたのだろうか。
文献から少し引用してみよう。
「戦争責任者を聯合国に引渡すは真に苦痛にして
忍び難きところなるが、自分が一人引受けて退位でもして
納める訳には行かないだろうか」
(『木戸幸一日記〈下〉八月二十九日』)
「侍従長より戦争犯罪容疑者となりたる今日或は御遠慮申上ぐるには
あらずやと言上せしに、聖上は米国より見れば犯罪人ならんも
我国にとりては功労者なり、若し遠慮する様なれば料理を届け遣せ
との御諚ありしとの話を承り、感激。(以下略)」
(同書十二月十日)
「元来東条と云ふ人物は、話せばよく判る、
それが圧制家の様に評判が立つたのは、
本人が余りに多くの職をかけ持ち、忙しすぎる為に、
本人の気持が下に伝らなかつたことゝ又憲兵を余りに使ひ過ぎた。
(中略)
東条は一生懸命仕事をやるし、平素云つてゐることも思慮周密で
中々良い処があつた。
(中略)
私は東条に同情してゐるが、強いて弁護しようと云ふのではない、
只真相を明かにして置き度いから、之丈云つて置く」
(『昭和天皇独白録』)
敗戦の年の九月十一日の閣議は、
「戦犯」の裁判は日本の手ですることをGHQに要求することを
決定したが、これに対して天皇ご自身から異議が出された。
天皇は
「昨日まで朕の信頼した臣僚を
朕の名において処刑することはできない」
と仰せられた。
このときは重光外相が
「米側と交渉して成功する見込みはないが、日本が主権国家であることを
主張するためです」
と奏上してご了承を得ている。
その後の公職追放の決定に際しても昭和天皇は、
今まで国のために忠実に働いた人々のその後の
生活がどうなるかを憂慮されている。
昭和天皇は昭和61年(1986年)8月15日、つまり、
中曽根首相が参拝を中止した翌年、次のような御製を
詠まれている。
この年の この日にもまた 靖國の
みやしろのことに うれひはふかし
さらに、昭和63年(1988年)8月15日、ご生前最後の終戦記念日には
やすらけき 世を祈りしも いまだならず
くやしくもあるか きざしみゆれど
とお詠みになった。
昭和天皇にとって「A級戦犯」を含めて全ての
日本国民は戦時中、共に国のために尽くした人々であり、
その御霊を靖國神社に祀るに際し、「A級戦犯」のみ
反対されることなど想像もできないことなのである。
こうしてみると、原因は昭和50年(1975年)8月15日の
三木首相の「私的参拝」であり、それ以外ないというのが
真相だといえよう。
よって、首相の公式参拝の定着こそが、
天皇陛下の靖國神社御親拝への道を開くもの
なのであり、陛下の御親拝こそは我が国の独立主権国家としての
精神復興の徴となるものである。
為政者にはこのことを深く自覚してもらいたい。
(6月28日
「平和を願い真の国益を考え靖國参拝を支持する若手国会議員の会」
結成総会提言より)
◆こちらもお読み下さい。↓
【やはりねつ造だった「天皇発言」 : 依存症の独り言】★こちらは、下記リンク先での「まとめ」に、私のほうで
「三木武夫」首相時代ほか多少追加をしたものです。↓
http://www.news-us.jp/article/383704897.html◆【拡散】靖国参拝を政治問題化させたのが朝日新聞である事がよく分かるコピペ三木武夫 1975年 4月22日 沈黙
1975年 8月15日 記者の質問に「私的参拝」と答える。
政治問題化。
※11月20日 社会党が国会で「天皇ご親拝」を取り上げる。
※11月21日 昭和天皇ご親拝(以降中断)
1976年10月18日 沈黙
福田赳夫 1977年 4月21日 沈黙
1978年 4月21日 沈黙
1978年 8月15日 沈黙
1978年10月17日 =A戦犯合祀される=(昭和天皇ご了解)
1978年10月18日 沈黙
大平正芳 1979年 4月21日 =A戦犯合祀判明=
1979年10月18日 沈黙
1980年 4月21日 沈黙
中曽根康弘 1983年 4月21日 沈黙
1983年 8月15日 沈黙
1983年10月18日 沈黙
1984年 1月 5日 沈黙
1984年 4月21日 沈黙
1984年 8月15日 沈黙
1984年10月18日 沈黙
1985年 4月22日 沈黙
1985年 8月 7日 朝日新聞が参拝を批判。
1985年 8月15日 中国の新華社通信が参拝を批判。
天安門事件 (1989年)
橋本竜太郎 1996年 中国抗議!!!!!
小泉純一郎 2001年 中国・韓国抗議!!!!!
2002年 3月 韓国駐在武官参拝
2002年 4月21日 中国・韓国抗議!!!!!
2003年 中国・韓国抗議!!!!!
2004年 1月 1日 中国・韓国抗議!!!!!
2005年10月17日 中国・韓国抗議!!!!!
朝日新聞を始めとする、日本のマスコミの罪はあまりに大きく、
どこから手を付ければよいのかと思ってしまうくらいに、
とてつもなく大きな罪をいくつもいくつも重ねています。
連中はいずれ大きな罰を受けなければならない時が来ます。
来年は、そういったものが白日のもとに晒される年になると信じます。
そう信じられます。
それは同時に、いままで、その悪魔の連中らによって、
長い間苦しめられてきた多くの人達が、きっと必ず、
「正義」を司る神様によって、
明るい光のなかで喜ぶ姿を見せる事が出来る、
その時が必ず来ると信じています。
拉致被害者の方々、ご家族、
浅田真央選手、
多くの凶悪犯罪被害者・・・。
自らの力で懸命に光を見出すために長い間頑張ってきた方たちが
報われる時が来ますように。
拉致被害者の増元るみ子さんのお父様が遺された言葉は、
「わしは日本を信じる。だから、お前も日本を信じろ。」でした。↓
増元照明ウェブサイト
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