あ~、ラーメン小池。
先週の「たかじんのそこまで言って委員会」は「日本共産党」特集
だったけど、今日も、共産党ラーメン小池が出てた。
ラーメン小池は先週、
「自衛隊は解消すべき。
でも不正な侵略があれば自衛隊に闘ってもらう。」
と。
彼らは、本当に「日本と日本人がどうなってもいい。」わけだ。
日本人に「丸裸で生きろ!」というわけだ。
彼ら「日本の人権屋」は日本人に「非情」この上ない。
昨日記事に書いたこと。↓
【在米の日本人の子供たちが図書館で唾を吐きかけられる。 今、日本人が最も人種差別的憎悪の犯罪を受けている!】在米日本人が、そして子供たちが、差別を受けている現実。
この理不尽さ。
これ、本当に酷すぎる。
でも、いつも「人権が~~!!!!!」と「わーわー!ぎゃーぎゃー!」
騒ぎまくる彼ら「日本の人権屋」はいつも彼らが守ろうとする
「日本人とは全く反対側の人間」「差別を引き起こしている側の人間」
から「日本人」を守ろうとはしない。
悔しくてたまらない。
在米日本人のお子さんの被害について、お母さん方の話の中で
こんな言葉がありました。
「日本のかわいいキャラクターが流行っているけれど、
あれは凶悪な日本人の心を隠すためにああいう
『ぶりっ子文化』を発信しているんじゃないか、
などと言われる。」こんな発想をすること自体がもう、信じられません。
ていうか、こんな発想、思いつかないですよ。
こんなこと考えたことありますか?
日本人でこんなこと考えたことある人なんか、一人だって
いないんじゃないでしょうか。
異常ですよ、ほんとに。
なんか、日本の愛すべき「ゆるキャラ」たちも侮辱されて、
本当に腹が立ちます!
と腹が立てば立つほど、「くまモン」を見たくなりました。
「くまモン」は九州新幹線の開業を目指して2010年に
活動を始めてはいますが、誕生日は、「九州新幹線」開業日の
「3月12日」となってるようですね。
御存知の通り、東日本大震災で、開業式典もすべて中止に
なりました。
あの時、松島基地のブルー・インパルスも展示飛行の
予行練習だけで、当日は空を飛ぶことはありませんでした。
「くまモン」も同じく活動を自粛したわけですが、
5月には再開して、それ以降は東日本大震災の募金集めや、
被災地への訪問なども行ってきたんですよね。
★下記の動画は、昨年10月から始まった
「くまもとから元気をプロジェクト」。
その中の、昨年12月中旬の宮城訪問シリーズです。↓
【宮城編パート① 東松島市 平成24年12月11日】東松島市震災復興本部へ、熊本から派遣されている方々に
元気を届ける「くまモン」。
東松島図書館でも子供たちとふれあい。
【くまもとから元気をプロジェクト(くまモン)宮城編パート①東松島市 】↑ この動画、冒頭に、「くまモン」が何も無くなってしまった場所に
向かって深々と頭を下げて、黙祷している場面があります。
「くまモン」の背中。
いつもなら「かわいい!」という声が思わず出るのですが、
この背中は、なんというか・・、胸がちょっと詰まります。
気持ちがなんか、じわ~っと伝わってくるんですよ・・。
なんだか、遠くてなかなか行けないみんなの分まで、
「くまモン」が気持ちを伝えてくれてるように感じるんですよ・・。
熊本から派遣されている方々の頑張りも伝わってきます。
マスコミの煽動で、「公務員は悪」「公務員削減」、そういう
言葉がまだまだ踊りますよね。
でも、こういうカゲで頑張っている多くの人達がいることを
絶対に忘れてはいけないと思うんです。
現場を見て欲しい。実態を見て欲しい。
何でもかんでも十把一絡げで「批判」、いえ、そんなものでは
済まない、度を超えた「バッシング」というのは本当にやめて
ほしいと本当に思うんです。
そして「くまモン」も「公務員」なんですよね。
【宮城編パート② 南三陸町 平成24年12月12日】【くまもとから元気をプロジェクト(くまモン)宮城編パート②南三陸町 】地元、南三陸町の方々が、復興のシンボルとして
「オクトパスくん」という、赤いタコのゆるキャラを
作ったそうです。
ゆるキャラというのは、小さいお子さんからお年寄りまで
心を繋ぐものなんですよね。
「年齢の垣根を超えること」というのは結構難しいと思うのですが、
年令を問わずに「笑顔」が向けられる「ゆるキャラ」というのは、
それだけで存在価値があると私は思います。
また、熊本と宮城という遠く離れた県同士が、
例えば知事、市長らの公式の挨拶の場以外で、
こうして、堅苦しさを感じることなく一瞬にして温かい「和」が
出来るのも、「くまモン」と「オクトパスくん」がいるから出来る
事だと思います。
【宮城編パート③ 仙台市 平成24年12月12日】【くまもとから元気をプロジェクト(くまモン)宮城編パート③仙台市 】熊本県の建築団体の皆さんが熊本県産品の木材などを
使用して作った「みんなの家」という集会所。
被災者の方たちが「くまモン」と一緒に和やかに楽しげに
されているのを見ると「くまモン」、行ってよかったね、と
心から思いますね。
くまモンは、顔も、赤いほっぺも、おなかも、「マルマル」で、
それがみんなを惹きつける1つでしょうけど、それだけじゃなくて、
言い方変なんですけど、やっぱり「人柄」かなぁと思いますね。
動きを見てると凄いですよね。
時には俊敏、時には、おっとり。
ちゃんと相手を見ながら接してるんですよね。
人が大好きなんでしょうね。
日本の愛すべき「ゆるキャラ」です。★そしてですね、「くまモン」はついこの間、宮城の
松島基地に行っておりました!↓
【くまもとから元気をプロジェクト! in 松島基地 平成25年9月27日 自衛隊熊本地方協力本部】25/9/27【お知らせ】
9月25日(水)、「くまもとから元気をプロジェクト!」の一環で、
くまモンが航空自衛隊 松島基地を訪ね、ブルーインパルスを激励しました。
「イベント写真ギャラリー」はスライドショーで写真を
順番に見ると、とても楽しいですよ。
「くまモン」と後ろに刺繍されたブルー・インパルスの
キャップ帽子。
いいですねぇ。
隊員の方たちとの写真も微笑ましいです。
★さらにさらに、10月6日(日)には、熊本市東区の
健軍駐屯地で行われた「西部方面隊創隊58周年記念行事」
にも「くまモン」参加!!↓
【くまモン活動日誌 | くまモンオフィシャルサイト】">【くまモン活動日誌 | くまモンオフィシャルサイト】いやぁ、愛国者ですね!「くまモン」!
で、自衛隊の西部方面隊のHPをみたら・・、
ありました、ありました、こちらにも「くまモン」の戦車との
綱引きの写真が。↓
【西部方面隊創隊58周年記念行事 平成25年10月6日(日)(於:熊本市東区 健軍駐屯地)】平成25年10月6日(日)、西部方面隊 創隊58周年記念行事
(健軍駐屯地)が行われ、昨年を上回る約23,000人が来場。
今年は、木原稔防衛大臣政務官が来監され、各種行事にご出席頂いた。
また、初めての試みとして「戦車と綱引き」を行い、
戦車に82人(子供:47人、大人:35人)で挑戦し見事勝利した。
木原稔政務官は熊本出身の自民党議員さんですが、
とてもしっかりした国家観を持っている議員さんです。
ところで、この「戦車と綱引き」の人数に「くまモン」は
果たして含まれているのだろうか???

さて、この西部方面隊のHPの中で、「総監」はどんな方だろうと
思って覗いてみたら、な、な、なんと!
第35代 陸上自衛隊 西部方面総監 陸将 番匠 幸一郎と書かれているではないですか!!↓
【西部方面総監】おぉ!! そうです!! あの番匠一等陸佐(当時)です!!
平成16年、「第1次イラク復興支援群長」。
ヒゲの隊長、佐藤正久議員と一緒にイラクに行かれた
番匠さんです!
★【自衛隊。イラク復興人道支援。ヒゲの隊長。キャプテン翼。サッカー。外務省。
そして吉田茂の言葉。日本の誇り!】今年の8月22日付で西部方面総監になられたそうです。
「くまモン」から、なんと「番匠一等陸佐」に繋がるなんて
思いもかけず、驚くやら、嬉しいやら、です。
【The Globe Now: サマーワに架けた友情の架け橋 / 国際派日本人養成講座】サマワに着くと、番匠一佐は現地の人々に
繰り返しこう語って理解を求めた。
我々はあなた方の友人としてサマーワに来た。
我々日本も、60年前の先の大戦で敗れ、
国土は焦土と化した。
すべてが無に帰し、食料にも困る日々が続いた。
そんな廃墟の中から私達の祖父母、父母の世代は
立ち上がり、大変な努力をして、日本を復興させた。
そしてその結果、いまや世界第2位という日本を
築き上げることが出来た。
メソポタミア文明という人類にとって偉大な歴史を有する
あなた達イラク人は偉大な国民だ。
あなた方に同じことが出来ないはずはない。
我々は友人として、あなた方が立ち上がるお手伝いに
来たのだ。
「日本人として誇りを持つ」って本当に大切なことだと思います。
それは同時に、他の国の人達にも当てはまるわけで。
「誇りが持てない」というのは悲惨なことです。
日本には、こんな素晴らしい自衛隊がいることに本当に
誇りを感じます。
そして、なにげない日常の生活の中で「明るさ」とか「和み」を
地方から紡いでくれる「くまモン」ら、ゆるキャラたちも、
大事な日本の仲間たち。
こんな「ゆるキャラ」たちのいる日本て、やっぱりいいなぁと
私は思うんですよね。
★麻生さんが、総理になられた時の「所信表明演説」の言葉を
思い出します。
日本は、明るくなければなりません。
幕末、我が国を訪れた外国人という外国人が、
驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、
わたしども日本人とは、決して豊かでないにもかかわらず、
実によく笑い、微笑む国民だったことを知っています。
この性質は、今に脈々受け継がれているはずであります。
蘇らせなくてはなりません。
在米日本人の子どもたちが、卑屈にならなきゃ
いけないことなんか何にもありません。
日本人であることを誇りにして、堂々と生きていいんです。
「蘇らせなくてはなりません。」
この言葉のとおりだと思います。
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