保守とは一体なんなのか。 バッシングだらけの日本。 聖徳太子の「十七条憲法」から思うこと。
- 2013/10/05
- 11:20
「バッシング」をしていること、さらには、互いに罵倒、
誹謗中傷しあっているのを見て、
「保守」とは何だろう、
「戦後レジームからの脱却」とは何を目指しているのだろう、
と思った。
今まで「真正保守」とか、「エセ保守」とか、そういう言い方に
うんざりし続けてきた。
経済的分野から、俄然「戦後レジームの脱却」を唱えてくる
傾向が最近目立ち始め、「2つのアメリカ」思想ともまた違った、
以前では一部にしか受け入れられていなかったものが、
主流になってきたり、年々変わってきているように思う。
特に経済はナマモノで、それに対処しようとしても、世界の中で
様々な複合的ベクトルが動き、また一瞬にして、なにが起こるか
分からない。
そういう中で舵取りをしなければいけない厳しい政治の現実。
私はそのことを忘れたくない。
中学の頃、歴史の先生がとてもいい先生で、大好きでした。
その先生は、聖徳太子の「十七条憲法」のこととなるとことさら
熱弁を振るい、自分のお子さんにも、第一条と第二条の中に
ある「和」と「篤」という字をとって名前をつけたと自慢していました。
「一に曰く、和を以って貴しとなし。」
「二に曰く、篤く三宝を敬え。」
これだけはちゃんと覚えましたね。(笑)
その先生は、後に高校の校長になったのですが、
校長というのは、なりたい人もなかなかいないそうで。
その先生も決して威張るような先生ではなく、生徒からも
嫌われるということもあまりなく逆に言えば結構好かれて
いました。
でもその先生に習っていない人から
「あの先生も権力欲というのがあったんよ」
という言葉を聞いて、私は、心の中で「激怒」しました。
なんというか、ほとんどなにも知らずにそういうレッテル張りを
するわけです。
実際に、早朝に来て、生徒たちにも大いに声を掛け、
現場をよく動く、いい校長先生だと言われていました。
でも、早くに亡くなられました・・。
こういう、何もかも十把一絡げで
「上に立つもの」=「権力欲の塊」
などと思う人が、私はちょっと許せないです。
これは、マスコミが、こういうことをやたらと煽り、
歴史教科書でも、何かといえば「反政府主義者」や
「共産主義者」を「正義の人」のように決めつけるような
教え方になっているのが問題だと思っています。
こういうこともまさしく「戦後レジーム」といわれるものだと
私は思っています。
★そんなこんなで、改めて、聖徳太子の「十七条憲法」を
読んでみたいと思いました。↓
【十七条の憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)-現代語訳付き】
【第一条】
原文
一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。
是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。
則事理自通。何事不成。
読み下し
一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、
忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。
ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、
また隣里(りんり)に違(たが)う。
しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、
事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
現代語訳
一にいう。
和をなによりも大切なものとし、いさかいを起こさぬことを
根本としなさい。
人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。
それだから、君主や父親のいうことに従わなかったり、
近隣の人たちともうまくいかない。
しかし上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議
するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも
成就するものだ。
【第二条】
原文
二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。則四生之終帰。
萬国之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。
其不帰三寳。何以直枉。
読み下し
二に曰わく、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。
三宝とは仏と法と僧となり、則(すなわ)ち四生(ししょう)の
終帰、万国の極宗(ごくしゅう)なり。
何(いず)れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。
人尤(はなは)だ悪(あ)しきもの鮮(すく)なし、能(よ)く教うれば
従う。
それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを
直(ただ)さん。
現代語訳
二にいう。
篤く三宝(仏教)を信奉しなさい。
3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。
それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、
すべての国の究極の規範である。
どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理を尊ばない
ことがあろうか。
人で甚だしく悪い者は少ない。
よく教えるならば正道に従うものだ。
ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によって
曲がった心を正せるだろうか。
★この説明も、聞いてみて下さい。↓
【聖徳太子「和を以て貴しとなす」の真意】
◆以下、現代語訳のみ。↓
【第三条】
三にいう。
王(天皇)の命令を受けたならば、必ず謹んで
それに従いなさい。
君主はいわば天であり、臣下は地にあたる。
天が地を覆い、地が天をのせている。
かくして四季が正しくめぐりゆき、万物の気がかよう。
それが逆に地が天を覆うとすれば、こうした整った
秩序は破壊されてしまう。
そういうわけで、君主が言うことに臣下は従え。
上の者がおこなうところ、下の者はそれに倣うものだ。
ゆえに王(天皇)の命令を受けたならば、必ず謹んで
それに従え。
謹んでしたがわなければ、やがて国家社会の和は自滅
してゆくことだろう。
【第四条】
四にいう。
政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。
人民を治める基本は、必ず礼にある。
上が礼法に適っていないときは下の秩序は乱れ、
下の者が礼法に適わなければ、
必ず罪を犯す者が出てくる。
それだから、群臣たちに礼法が保たれているときは
社会の秩序も乱れず、
庶民たちに礼があれば国全体として自然におさまるものだ。
【第五条】
五にいう。
官吏たちは饗応や財物への欲望を捨て、訴訟を厳正に
審査しなさい。
庶民の訴えは、1日に1000件もある。
1日でもそうなら、年を重ねたらどうなろうか。
このごろの訴訟に携わる者たちは、賄賂を得ることが
常識となり、賄賂をみてからその申し立てを聞いている。
すなわち裕福な者の訴えは石を水中に投げこむように
たやすく受け入れられるのに、貧乏な者の訴えは水を石に
投げこむようなもので容易に聞きいれてもらえない。
このため貧乏な者たちはどうしたらよいかわからずにいる。
そうしたことは官吏としての道に背くことである。
【第六条】
六にいう。
悪を懲らしめて善をすすめるのは、古くからの良いしきたりで
ある。
そこで人の善行は隠すことなく、悪行を見たら必ず
正しなさい。
へつらい欺く者は、国家を覆す効果ある武器であり、
人民を滅ぼす鋭い剣である。
またこびへつらう者は、上にはこのんで下の者の過失を
言いつけ、下に向かうと上の者の過失を誹謗(ひぼう)する
ものだ。
これらの人たちは君主に忠義心がなく、人民に対する仁徳も
持っていない。
これは国家の大きな乱れのもととなる。
【第七条】
七にいう。
人にはそれぞれの任務がある。
それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権限を乱用
してはならない。
賢明な人物が任にあるときは褒める声が起こる。
よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。
世の中には、生まれながらにすべてを知り尽くしている人は
まれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。
事柄の大小にかかわらず、適任の人を得られれば必ず
おさまる。
時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かに
のびやかな世の中になる。
これによって国家は長く命脈を保ち、危うくならない。
だから、いにしえの聖王は官職に適した人を求めるが、
人のために官職を設けたりはしなかった。
【第八条】
八にいう。
官吏たちは、早くから出仕し、夕方おそくなってから退出
しなさい。
公務はうかうかできないものだ。
一日じゅうかけてもすべて終えてしまうことがむずかしい。
したがって、遅く出仕したのでは緊急の用に間にあわないし、
早く退出したのではかならず仕事をし残してしまう。
【第九条】
九にいう。
真心は人の道の根本である。
何事にも真心がなければいけない。
事の善し悪しや成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。
官吏たちに真心があるならば、何事も達成できるだろう。
群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。
【第十条】
十にいう。
心の中の憤りをなくし、憤りを表情に出さぬようにし、
ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。
人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと
思うことがある。
相手がこれこそと言っても自分はよくないと思うし、
自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。
自分は必ず聖人で、相手が必ず愚かだという
わけではない。
皆ともに凡人なのだ。
そもそもこれがよいとかよくないとか、だれが定めうる
のだろう。
おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。
それは耳輪には端がないようなものだ。
こういうわけで、相手が憤っていたら、むしろ自分に
間違いがあるのではないかと恐れなさい。
自分ではこれだと思っても、みんなの意見に従って
行動しなさい
【第十一条】
十一にいう。
官吏たちの功績・過失をよくみて、それに見合う賞罰を
必ずおこないなさい。
近頃の褒賞は必ずしも功績によらず、懲罰は罪によらない。
指導的な立場で政務にあたっている官吏たちは、賞罰を適正
かつ明確におこなうべきである。
【第十二条】
十二にいう。
国司・国造は勝手に人民から税をとってはならない。
国に2人の君主はなく、人民にとって2人の主人などいない。
国内のすべての人民にとって、王(天皇)だけが主人である。
役所の官吏は任命されて政務にあたっているのであって、
みな王の臣下である。
どうして公的な徴税といっしょに、人民から私的な徴税をして
よいものか。
【第十三条】
十三にいう。
いろいろな官職に任じられた者たちは、前任者と同じように
職掌(役目)を熟知するようにしなさい。
病気や出張などで職務にいない場合もあろう。
しかし政務をとれるときには馴染んで、前々より熟知して
いたかのようにしなさい。
前のことなどは自分は知らないといって、公務を停滞
させてはならない。
【第十四条】
十四にいう。
官吏たちは、嫉妬の気持ちを持ってはならない。
自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を
嫉妬する。
嫉妬の憂いははてしない。
それゆえに、自分より英知が優れている人がいると
喜ばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。
それでは500年経っても賢者に会うことはできず、1000年の
間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。
聖人・賢者といわれる優れた人材がなくては国を治める
ことはできない。
【第十五条】
十五にいう。
私心を捨てて公務に向かうのは、臣たるものの道である。
およそ人に私心があるとき、恨みの心が起きる。
恨みがあれば、必ず不和が生じる。
不和になれば私心で公務をとることとなり、結果としては
公務の妨げをなす。
恨みの心が起こってくれば、制度や法律を破る人も
出てくる。
第一条で
「上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議しなさい」
と言っているのは、こういう心情からである。
【第十六条】
十六にいう。
人民を使役するにはその時期をよく考えてする、とは
昔の人のよい教えである。
だから冬(旧暦の10月~12月)に暇があるときに、人民を
動員すればよい。
春から秋までは、農耕・養蚕などに力を尽くすべきときで
ある。
人民を使役してはいけない。
人民が農耕をしなければ何を食べていけばよいのか。
養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。
【第十七条】
十七にいう。
ものごとはひとりで判断してはいけない。
必ずみんなで論議して判断しなさい。
些細なことは、必ずしもみんなで論議しなくてもよい。
ただ重大な事柄を論議するときは、判断を誤ることも
あるかもしれない。
そのときみんなで検討すれば、道理に適う結論がえられよう。
9条死守の護憲派は
「憲法は権力者を縛るものであって国民を縛るものではない」
と盛んに言います。
大学の法学部でもそう教えているようですので、それが
「正しい解釈」と通っているようですが、
私には、どうしてもそう思えません。
聖徳太子の「十七条憲法」も、「官吏」となるものの心得を
中心に書かれているようですが、
これを読めば読むほど、
「憲法は権力者を縛るものであって国民を縛るものではない」
という言葉が、空疎になる、というか、国民の「逃げ」であると
思わざるを得ません。
人としてどう在るべきか。
国家の民である国民も、同じく「人としてあるべきこと」を
肝に銘じなければならない。
国家をまとめていくには、国民にもそれを求めるべきである。
そう聞こえてきます。
よく、「民度が政治に反映する」と言いますが、
結局はそこに辿り着くと思います。
経営者が国のために、しっかり税金を納める事、
真面目に働く雇用者たる国民に対して、
その労働に報いるに当たる賃金を払う事、
そういうアタリマエのことを当たり前として出来るか
どうかは、経営者、雇用者共に、国家、国民たる本分を
しっかりと持つことがそもそも大事なのだと思うのです。
◆もう一度、聖徳太子が説いた「日本の心」を
振り返ってみます。↓
【 聖徳太子から学ぶ日本の心 十七条憲法 冠位十二階 徳・仁・礼・信・義・智 】
★この動画の「概要」より。
======================(一部抜粋)
人間が持つべき5つの徳 【 智 義 信 礼 仁 】
そして最も最高位にあるのが徳である。
「智」 知恵があっても正義がなければ略奪に過ぎず
「義」 人は正義の元に争うが信頼があれば争う事はなく
「信」 信頼は感謝や尊敬、礼儀正しい人に集まり
「礼」 礼儀を知ると人の慈悲、人の仁愛を理解し
「仁」 人の為に尽くすのが仁であり
「徳」 それら全てを卓越した人に徳が備わる
聖徳太子は冠位を人の徳によって位を6つの大小に分けた。
これを冠位十二階と呼ぶ。
今も尚息づく日本の心。
互いを思いやり人を責める事なく苦あれば手を差し伸べ、
協力し合い利益に翻弄される事なく徳を積む。
私心を捨て凡人である事を受け入れ神を敬う。
私達日本人は手を合わせる姿がとても似合う民族である
=====================(以上)
保守とはいったい何なのか・・・。
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