2020年、東京オリンピック決定!!!
いやぁ、嬉しいです、やっぱり!
あぁ、一昨日夜は投票の様子も見ようと思っていたんですが、
眠気に耐えられず、2時に就寝。
5時に目覚ましかけたつもりが鳴らず、起きたのが7時直前。
すぐにNHKのテレビを付けて決定の瞬間の映像を観ました。
リアルタイムでドキドキしながらその瞬間を見ることが出来なかったのは残念でしたが、
それでも、もう感動しました~。
太田選手、大泣きでしたね。
生中継のプレゼンも見たんですが、誰もが素晴らしかったですね。
気持ちがこもってた。本当に。
太田選手も、そして、パラリンピック陸上選手の気仙沼出身、佐藤真海さんも、本当に良かったなぁ。
そして、あの合間の映像、観ました?
これも良かったですよぉ~。↓
【TOKYO2020 FINAL Presentation FILM】バスケットボールの大好きな少年がアスリートから貰った「大切なもの」を、
大人になってから、また、次の世代に引き継いでいく。
少年は「被災地の少年」の設定かな。凛々しい顔立ちの男の子。
アスリートは外国の選手。
次世代の少年は南米かな?かわいい男の子。
よく出来てます!
この動画、一つになってるけれど、本番のプレゼンでは前半と後半の2つに分かれてましたね。
プレゼン見てたら、「あ、さっきの映像、伏線だったんだ~。なるほど!」と。
手首につけた赤いリストバンドが決め手ですね。
「最終プレゼンテーション使用映像」ということで、残念ながら、一週間程度の限定公開らしいんです。
でも、もっと長いこと動画置いといて欲しいですね。
武田JOC会長、猪瀬知事、そして安倍総理。
本当にお疲れ様でした。
安倍総理ならきっと日本のために頑張ってくれる。そう思って見ていました。
安倍さんには人を明るくさせるものがある。
長島さんと松井選手の国民栄誉賞ダブル受賞の時もそう思いました。
11年前、拉致事件を知ってからずっと安倍さんを見てきた私にとって、
安倍さんは信頼出来る初めての政治家でした。
それは今でも変わりません。
そして猪瀬知事。
私は猪瀬知事は好きではないのです。
でも、招致活動は本当に頑張っていましたね。
ずっとずっとマスコミにネガキャンを敷かれて、
ほんとうに大変だったと思います。
特に汚染水問題では、古舘とかもう酷かったですからね。
最終プレゼンの前日にそこまで追い詰めるか!っていうネガキャンインタビューをしてましたね、古舘。
ぶん殴ってやりたい衝動に駆られましたよ、ったく、もう。
猪瀬知事、招致決定の日は奥様の四十九日だったんですよね。
ほんとうに本当にお疲れ様でした。
少しゆっくり休んでくださいと声をかけたいです。
武田会長に関して、息子さんの竹田恒泰さんがtwitterで、お父様のこと話されてます。↓
【竹田恒泰 (@takenoma)さんのtwitter】竹田恒泰 @takenoma
父は、国内の候補都市選定の時から、ずいぶん努力してきたと思う。
父は、2020年に東京で五輪をやらないと、子どもの時に五輪を見る世代がいなくなると嘆いていた。
「子どもたちに五輪を見せたい」。
それが父の望みだった。
竹田恒泰 @takenoma
また、父は、もし2020年に東京五輪ができないと、
【夏】の五輪を二回開催するアジアで最初の国は韓国になる可能性が高いと言っていた。
そうなったらアジアにおける日本の地位は揺らぐと嘆いていた姿が忘れられない。
もう、本当に、皆さん頑張ってこられたんだなぁと思いましたよ。
長い長い招致活動だったと思います。
知事も、都庁職員さんたちも、アスリートの皆さんも、文科省も、
他にも沢山の人たちが一生懸命頑張ってきてたんだなぁと思いました。
昨日は朝の報道2001からずっといろんな番組をはしごしました。
石原慎太郎が報道2001に出てたんですが、初めて安倍総理を褒めるところ、みました。
そうそう、素直に喜んで、素直にありがとうといえることが一番だよ、石原さん!
まぁ、石原さんが生きてるうちに「2020東京五輪」決定を
知らせることが出来てよかったなぁと私も思いました。
そして、プレゼンの終了後の質問の時に安倍総理が言われたあの言葉。
そうです。
「新聞のヘッドラインでは無く事実を見てください。」コレも良かったですよね~。
それを司会の須田が「あの言葉が印象に残った」と安倍総理に振ったんですが、
その時、石原さんが、時差の合間を縫ってぼそっと言ったのが、
「あなたがたメディアは自戒したほうがいいよ」でした。
がはははは! 爆笑!!!
そうだ、そうだ、その通り!!
やっぱり石原さん、長生きしてちょ。思わずそう思いました。
この時の安倍さんと石原さんのやりとりはなかなか良かったです。
石原「君若いね」
安倍「いや、石原さんこそ若いですよ」とかもありました。
なんていうか、一緒に喜びを分かち合えるっていいなぁと思いましたね。
同じ日本人として一緒に喜べる、この嬉しさ。
これがオリンピックの力なんだろうなぁ。
7年後まで先ずは頑張ろうと思う人、本当に増えるんじゃないですか?
7年というのもいい区切りですよね。
長くもなく短くもなく。
ほんとうに嬉しいなぁ。
しかし、昨日は何が酷かったってTBSのサンデーモーニングでしたね。
どんよりとして、まるで
お通夜ですよ、もう。
「おめでとう」の一言もなかったような気がしますけど、ありました?
関口は終始苦虫噛み潰した顔でしたね。
他のコメンテーターも、やっと重い口を開いたかと思えば、愚痴ばかり。
CMをやたら入れて時間潰すし。
寺島実郎がやっとこさ「まぁ。良かったと思いますね。」と言った後に
関口は「とりあえず」としか言わなかったですよね。
寺島は、「これから国際社会が日本をより厳しく見るようになるからよかった」だけで、
オリンピックが嬉しいからではないんです。
別の形で安倍叩きをしようとする気満々のようでしたが、
とにかく東京決定がショックらしくて言葉にも力がない。
しかもこの後、寺島は、さらに
「これで容易に戦争をしかけられない国になった 」てな訳わからんことを言ったんです。
はぁ~~~~~???? 何言ってんだ、このキチガイは。
まるで日本が自ら戦争を仕掛ける国だと言わんばかりですがな。
もう、高校生の息子も口をあんぐり。
「何言ってんだ!このジジイは。」BY次男。
もうね、ここまで酷いとは思ってなかったんですよ。ホント。
心が荒みすぎでしょ。
で、スポーツコーナーでバレーボールの川合俊一さんがでてきて、
初めてまともなコメントが・・。
「自分達はバブルの頃の強い日本を知ってるから、海外に試合に行っても誇らしかった。
でも、ここ20年ぐらいは元気がなかった。
これで子供達が『日本は凄い国だ』と誇れる様になると思う」
これこそ海外遠征を何度も経験するアスリートたちの実感ですよね。
オリンピックが先ずはアスリートたちの為に。
そしてそれを目指す若者と次代の子供達のために。
経済効果は勿論だけど、それだけではないことはだれでもわかっていますよね。
大手企業の社長さんも、決して経済効果だけじゃないです。
みんな、そこには、純粋に「わくわくする気持ち」を持つものです。
「明るさ」を取り戻すことは、決して被災地を置いてきぼりにすることなんかじゃないですよね。
報ステで古舘は毎月11日、暗い顔と暗い声でおどろおどろしい感じで「被災地の夜」を映し出します。
コレが何になるんですか?
夜暗いのなんか、あたりまえじゃないですか。
なのに「被災地は真っ暗です」って。なんじゃ、それ。
松岡修造があの元気な声と顔で、被災地に行く方がずっといいと思います。
彼の裏表のない真っ直ぐな気持ちって伝わると私は思うんですよね。
昨日の報ステサンデーでは、平日の報ステで地方をあちこち飛び回っている富川アナが
ブエノスアイレスから、招致決定の瞬間を伝えてたんですよ。
びっくりしたのは、あの富川アナが、「TOKYO」と聞いた瞬間、
あの会場の後ろの端っこの立ち見席だと思うんですけど、
そこで、隣のカメラマンと「うおぉぉぉぉぉ~~~~~!!!!!」
「やったぁぁぁぁぁぁ~~~~~~!!!!!!」
と我を忘れて叫んでたんですよね。
その間、会場映してたカメラはもうブレブレでした。ピントも合ってなかったような。
スタジオ司会の長野智子が、「仕事完全に忘れちゃってますね」と言ってたんですが、
富川アナ、本当に喜んでいたんです。
いや、はしゃぎまくってたというのが本当です。
で、さらに、その証拠に、その後の現地での安倍総理へのインタビューで、
富川アナ、なんと安倍さんに向かって。
「総理! おめでとうございます、というより ありがとうございます!!」って言って、両手で安倍さんの手を握り、頭を下げてお礼を言ってたのですよ~。
富川アナはプレゼン前の記者会見で、汚染水のことをどう説明するかを安倍さんに聞いてて、
私は「このやろ~~」と思って見てたんですが、
富川アナは会場で直に安倍総理のスピーチを聞いて、
自分で「とても良かった」と判断してたんじゃないでしょうか。
加えて、やっぱり日本人だった。ってことですかね。
素直に喜びを爆発させてしまったということですよね。
では富川アナは特に報ステサンデーでサブとして
朝日的な偏向報道に加担しているわけですが、
本心は一体どこにあるんでしょうかね。
自民党の丸川珠代参院議員も元テレ朝のアナウンサーでしたけど、
反発しながら、仕事をやってる人たちもいるのだろうかと思ったりしました。
今回、ついつい「地が出た」富川アナ。
まさか干されないですよね。

まぁ、報ステサンデーはTBSのサンデーモーニングを見た後だったので、随分マシに見えました。
一応「おめでとう!」で始まってましたからね。
明日の本家報ステ、古舘はどうなることやら、ですが・・。
とにかく、暫くはお祝い気分にちょっと浸りたいですね。
マスコミはそうはいかないでしょうけれど。
さて、高円宮妃久子殿下ですが、もう、本当に素敵でしたね。
私にはブローチが日本列島に見えたんですがどうでしょうか。
クイーンズイングリッシュって米語と比べると発音が濁りがなくて凄くクリアなんだなと。
もしかして日本人て、米語より、本場英語を習ったほうがいいのかなと思ったりしました。
私は2002年の日韓W杯での日本戦、動画で何度もよく見るんですけど、
その中に、在りし日の高円宮憲仁殿下が映っていらっしゃるのがあるんです。
高円宮妃殿下を拝見していると、この動画を思い出したんです。↓
【日本 VS チュニジア FIFA 日韓W杯 (2002年)】この試合は、グループリーグの第3戦。
セレッソ大阪の本拠地、大阪の長居陸上競技場です。
この動画で1分あたりから高円宮殿下が久子妃殿下とともに君が代を声高らかに歌われています。
試合は地元セレッソの「モリシ」こと森島が後半先制の1点を入れてめっちゃ盛り上がり、
2点目は中田英寿がヘッドで入れて試合は2-0で勝利。
初めての決勝トーナメントへ進みました。
いやぁ何度観ても( ・∀・)イイ!!、です!
で、6分辺りからは 高円宮殿下と久子妃殿下が日本の決勝トーナメント決定後、
とても嬉しそうに関係者と握手されているところが映されています。
高円宮憲仁親王殿下。
この年の11月21日、満47歳で薨去されました。
カナダ大使館でスカッシュの練習を行われていた最中に心室細動による心不全で倒れられたのですよね。
その時の報道は私もよく覚えていますが、日韓W杯の年だったのですね。
もう11年も経つのですね。
本当にまだお若かったのですよね。
この2年後、学校などで自動体外式除細動器(AED)の使用が認められて広く普及しました。
皆さんもよくご存知だと思います。
駅などにも確か置いてあると思います。
高円宮殿下は、Jリーグ発足のだいぶ前から日本サッカー協会名誉総裁をされていたそうです。
もともとサッカーが大好きで、しかも上手くて、「プリンス高円イレブン」という日本協会チームの一員として、
毎年国体開催県の協会と親善試合を行っていたそうです。
「高円宮杯U-18サッカーリーグ」
「高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-15)大会」
こうした「宮様杯」からも分かるようにユースの育成にも尽力されたのですね。
また2002年のワールドカップ誘致のために、
日本を訪問した貴人をもてなすなど、積極的に働きかけられたそうです。
「日本ワールドカップ」になるはずだった2002年。
韓国の横槍で共同開催になってしまい、
両殿下も韓国での開会式に出席されました。
単独開催をきっと希望されていたでしょうね・・・。
年齢を確認すると、高円宮殿下は安倍総理と同じ1954年生まれ。
同い年、同学年なんですよね。
WIKIを見ると、ちょっと面白いエピソードはありました。↓
公務の傍ら、皇族としては珍しく、国際交流基金の職員として
他の一般職員とともに勤務していた。
ワープロを操り文書を作ったり、電話を受ける事もあり、
自分の部署に回された外線に「高円でございます」と応えたところ、
まさか憲仁親王が直接電話を取るなどとは夢にも思っていなかった相手(鈴木宗男)は
当人を一般職員だと思い込み、つらつらと仕事上のクレームを挙げ連ね、
憲仁親王も“お叱り、いちいちご尤も”と頭を下げたが、
後日、“電話に出たのは宮様”と知り、クレームを入れた側が逆に真っ青になってしまった
というエピソードもある。
ムネオ、あのいつもの「どや声」で喋ったんだろうか・・。
高円宮殿下。
今回の「2020年東京オリンピック」決定もきっと喜んでくださるでしょうね。
久子妃殿下のスピーチと、宮様と同い年の安倍総理のスピーチ。
なんだか、一緒にオリンピックを引き寄せてくださったように感じます。
滝川クリステルさんが「おもてなし」と言ってましたが、
日本は11年前、高円宮殿下も力を注いでくださった「2002年W杯」で
すでにその「おもてなし」を全国の町や村で繰り広げましたよね。
あのW杯。
次男坊は6歳。小学1年生でしたが、今でもはっきりと覚えているそうです。
もうとにかく楽しかったらしいです。
あのW杯は、選手もなんかスーパースターがめちゃくちゃ多かったですよね。
それも多くの国の代表に。
その後も長いこと活躍してた選手も多かったのではないでしょうか。
私はドイツの「バラック」とアイルランド魂の「ロビー・キーン」が好きでした。
あ~、いろいろ思い出します。
あの時のワクワク感。私も思い出します。
11年前にあの大会を見て、サッカーを始めた子供たちもたくさんいると思います。
大人にとっても、とてもいい思い出です。
あの隣国さえいなければ完璧で素晴らしい大会のはずでした。世界中の素晴らしい選手たちが日本にやってきて、
素晴らしいパフォーマンスを見せてくれて。
それが7年後、今度は東京オリンピックで起こるんですよね。
本当に楽しみです。
聖火も被災地を周ります。
あぁ、また2002年W杯の日本戦、見たくなりましたので、動画UP!!
★こちらは、グループリーグ初戦。日本代表がw杯で初めて勝ち点1を取った試合です。↓
【日本 VS ベルギー FIFA 日韓W杯 (2002年) 】小野からのロングパスを鈴木が体を伸ばして執念で入れたゴールと稲本の華麗なゴール!
いやぁ、鈴木の雄叫び顔と、稲本の「ゴール決めたの、オレよ、オレ!」アピールしながらの
さわやかな笑顔がとてつもなく( ・∀・)イイ!!
特に鈴木のゴールは何度観ても鳥肌モノです。
★そして、こちらは、日本代表、ワールドカップ初勝利の試合!↓
【日本 VS ロシア FIFA 日韓W杯 (2002年)】 柳沢からのパスを稲本が浮かしてゴール!!
柳沢は、ドイツ大会ではFWで活躍できなかったけど、
この大会では、いいアシストしてたんですよね~。^^
しかし、稲本の笑顔はもちろん、他の選手達の笑顔もものすごく( ・∀・)イイ!!
ついでにトルシエ監督と通訳のガバディの「おフランスコンビ」も本当に( ・∀・)カッコイイ!!
あの大会の時、スタジアムを埋め尽くした大観衆が、みんな、
画用紙大の日の丸(手描きのものもあった)を両手で掲げて、
「君が代]を誇らしく歌っていました。
(特に初戦のベルギー戦!!)
あの沢山の日の丸を見た時、またあの中での国歌を聴いた時、
やっぱり鳥肌が立ちました。
今は亡きDFの松田選手が、必ず目をつぶって「君が代」を歌っていたのも
とても印象的でした。
そして、あの大観衆の声援。「震えるほどの感動」ってあるんですよね。
ちなみに、前にも書いたかもしれないですが、たとえ、チケットが手に入らなくても、
雰囲気を味わうことだけでも思い出になります。
私も、神戸で、ブラジル戦があった時、チケットは買えなかったけど、
スタジアムまで小学生の子供達を連れて、会場の外で「雰囲気だけ」を味わいました。
朗らかで色んな格好したブラジル人が沢山いて、歌ったり踊ったりしていました。
みんな、ほっぺたにブラジル国旗のシール、貼ってましたね。それも売ってました。
そういうのも子供たちには結構楽しい思い出になったらしいです。
子供から大人まで、明るい気持ちにさせてくれたワールドカップ。
あの国さえ関わらなければ、本当に素晴らしい大会だった2002年のワールドカップ。
7年後の東京オリンピック。
W杯の時のように、事前のキャンプ、合宿などを行う種目、国もたくさんあるでしょうから、
東京だけでなく、また、全国で「おもてなし」が出来ると思うんです。
大分もありましたね。なんだっけ、あの村の名前。中津江村?
カメルーンがやって来ましたよね。
神戸の近くといえば、淡路島にイングランドが来ていました!
ベッカムがっずっと滞在していたなんて、なんか信じられないですよね~。^^
関西ローカルでよく話題に出てたのは、和歌山でキャンプしたデンマーク。
トマソンがいましたね!
本当に子供からお年寄りまで、楽しい時間を共有できたと思います。
7年後、また、素敵な思い出ができるといいですよね。
2020年なんて、覚えやすくて、文字も丸っこいのばかりで、
日本人にぴったりな年号のような気がしてきました。^^
強引に語呂合わせ的に読めば、「ニコニコ」とも読めて、
日本らしい「ニコニコ東京オリンピック」になりそうです!

とにもかくにも、2020年東京オリンピック決定、本当に良かったです。
バンザ~~い!!

※招致決定の時間、東京には虹が出ていたそうです。^^
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