マスコミが「族議員」という言葉を再び持ち出し、猛烈に自民党批判を展開しています。
私は、その批判を見るたびに3年前の
「宮崎口蹄疫」を思い出します。
今年の4月下旬、私は休みを取って、かねてから望んでいた
靖国神社への参拝を目的に東京に行きました。
その折、永田町界隈もずっと歩いて回り、国会議事堂の衆議院見学にも行きました。
見学者が見学をスタートする前に集合する広いホールが有るのですが、
そこには、衆議院の正副議長の非常に大きな写真が壁に飾られていました。
現在の議長は伊吹文明議員、そして副議長は
赤松広隆です。
私は、
赤松の写真を見た時、怒りに震えました。
こいつの写真が飾られているだけでも吐き気がする!
暫くじっと睨みつけていました。
それは、その場での自分の最大限の「抵抗」でした。
お前なんかを誰が認めるか!絶対に認めないからな!
宮崎の人たちに今すぐ謝れ!
赤松の写真に向かって心の中で何回叫んだことか。
よくもいけしゃーしゃーと副議長になんかなったな!!
正直言えば、心に中では思いつく限りの「罵詈雑言」を浴びせていたというのが本当です。
悔しくて悔しくてたまらなかったんです。
こんな奴が副議長であることがどうしても許せない。何度もそう思いました。
同じホールには多くのバス団体ツアー客がいました。
私は個人で来ていましたから、離れたところからその人達にも目を向けました。
このホールいっぱいの大勢の人達の中で、この
赤松の写真を見て、
赤松だと分かる人は何人いるだろうか。
この
赤松という人間が3年前、口蹄疫で塗炭の苦しみを味わっていた
宮崎県の人たちを見捨てた。
そのことを知っている人はいったい何人いるだろうか。
赤松が副議長であることに反感を持つ人が何人いるのだろうか・・・。
その全ての答えは恐らく「ゼロ」ではないか・・。そう思いました。
みな楽しそうに談笑し、
赤松の写真など気にもとめない・・。
あの時、鳩山の異常さは白日のもとに晒され、
すでに普天間問題は迷走し、それこそ既に異常な事態でした。
そしてあの時、
もしマスコミがまともでありさえすれば、GW前、4月20日時点で農水省がその存在を確認して
緊急非常事態となっていた
宮崎口蹄疫は、
テレビ報道で当然流され、当時、農水の最高責任者であった
赤松が、カストロに会いたい、ただそれだけで、
その時すでに苦しみ、その後起こる最悪の結果を招くまでに至る
恐怖のどん底に突き落とされた宮崎を見捨て
キューバを中心とした
「自己満足の思い出の旅」に出てしまったことを問題化し、赤松も、そして民主党をはじめとする当時の与党も
非難轟々の嵐を受けていたはずでした。国会議事堂、衆議院の本会議で響いた宮崎の畜産農家の悲痛な声。
その声を代弁したのは、自民党の宮崎県選出の江藤拓議員でした。
私は、「江藤拓」という議員さんを、それまで全く知りませんでした。
「江藤」という苗字を聞いて、ふと思ったのは、
何年か前までにいた自民党の「江藤隆美」という議員の息子かもしれない、
ということでした。、
江藤拓議員の宮崎の人達の心からの叫びを訴えたあの衆議院本会議での代表質問。
それを嘲り笑い、罵り、完全に無視した民主党の連中は、
マスコミによって糾弾されるべきものでした。
同年10月。
菅直人内閣時代に尖閣問題が起こりました。
senngoku38さん、一色正春さんが、もし、身を切る覚悟で
あの時あのビデオをYouTubeに流さなければ、
我が国は中国のいい加減な発信デマに翻弄され、国際的な信頼失墜させられ、
窮地に追い込まれていたかもしれません。
マスコミは、それでも民主党を自民党の時ほど叩きませんでした。
あの2010年、マスコミがまともであったなら、まともな血が流れていたなら、
「もう許す訳にはいかない!」と解散総選挙を声高に上げたはずでした。
もし、もし、あの年の年末、あるいは年明けに解散総選挙がなされていたら、
そして、もし、政権交代が怒って自民党が返り咲いていたなら・・・。
やがて起きた東日本大震災。
民主党を全く信じられないと思っていた私でさえ、民主党を信じようと思ったあの時。
民主党に託すしかなかったあの東日本大震災。
いくら民主党でも、いくらなんでも最善を尽くしてくれるだろうと思っていたあの時。
しかし、彼らは、その僅かなる望みさえ粉砕させた。
福島第一原発は爆発した。
菅直人という首相のもとで。
その後の対応・・。
防災訓練もSPEEDIも無駄になり、法案も何もかも遅れた。
彼らをほんの一瞬でも信じたのが間違いだった。
そう思いました。
政権交代して谷垣自民党政権であったなら・・。
2009年のマスコミがまともで、麻生政権が続いていたなら・・。
原発の爆発事故は避ける事ができた。
私はそう思っています。
「そんなことわからない」と思う人はそれはそれでいいです。
ただ私はそう思っています。
結果は全く違っていた、と。
絶対に違っていたと。
そしてその後の震災対応も全く違っていた。
自民党が与党であったなら、もっと進められることは山ほどあった。
私はそう思っています。
口蹄疫の時にさんざん思いました。
マスコミが批判しまくっていた
「族議員」とはいったいなんだったのかと。
私が江藤拓議員の父親である江藤隆美議員を「悪い議員」だと判断していた理由は何だったのか。
それはマスコミの印象操作からでしかなかったんだと。
私は13年前(2000年)の口蹄疫のことは全く知りませんでした。
拉致事件を知る前です。
まだ、私は「自民党は悪」「自民党はカネに汚い」、そういう目で見ていました。
森首相も散々叩かれていました。
「神の国」発言とえひめ丸事故で。
その前に亡くなった小渕首相もその当時は「冷めたピザ」と「2千円札」。
私が持っていたイメージはそれだけでした。
江藤隆美議員は1995年8月、村山改造内閣で
総務庁長官に就任しましたが、
同年11月、朝鮮半島に対する日本の植民地支配に関し、
「日韓併合は強制的なものだったとした村山首相の発言は誤りだ。
植民地時代に日本は悪いこともしたが、良いこともした」
このオフレコ発言で猛烈に批判され長官を辞任したのです。私はこの頃まだ自虐史観にどっぷり染まっていました。
だからマスコミの批判は正しいのだと思い込んでいました。
江藤隆美議員の発言は決して間違っていなかった。
なのに、マスコミを信じこんだんです。
そんなマスコミの偏向報道が既に続いていて、私もその報道を真に受けていた時代。
その小渕、森継投時代に起こった口蹄疫で、生粋の「農水族」、
と言うよりも「畜産族」だった江藤隆美議員は、
どんな指示を出したのか。↓
江藤は農林省幹部に
「口蹄疫は火事みたいなもんなんだから、
ぼやのうちに消さないと大変なことになるぞ。
こんなときは100億円つけますとか言わなきゃダメなんだよ」
と叱咤した。
その翌日、農林省は旧畜産振興事業団が
牛肉・オレンジ輸入自由化交渉で 使った資金の残金を
投入することを決定し、
「カネのことは気にせずにやれることはすべてやれ」
との号令の下、直ちにワクチン手配が実施された。
そのため小規模な被害で伝染を押さえ込んで
短期間で終息に持ち込んでいる。
当時は短期間で収束させたという事実だけが伝えられたが、
それから10年後、2010年日本における口蹄疫の流行で
後手に回って大きな損害を出したことから、組織再編などで
現場に負荷をかけなかった小渕、森政権の迅速な対応が
一部で回顧された。
(※森喜朗 - Wiki「口蹄疫」より)
江藤拓議員が、その「おやじさん」がやった口蹄疫対策を
ちゃんと見ていたんです。
とにかく動く。金がどんなにかかってもいい。
とにかく拡大阻止のために即座に動かなくてはいけない!
そう強く指示を出すことこそが政治家の行動。
そこに絞られる。
「族議員」というのは実は「専門家」だった。江藤隆美議員も、息子の江藤拓議員も、宮崎の畜産を
よく知っていたんです。口蹄疫についても知識があったのです。
そして、江藤議員は親子とも、地元の畜産農家の心を
ちゃんと知っていた。【参考】
■江藤隆美先生を悼む - 全国肉用牛振興基金協会http://www.nbafa.or.jp/pdf/beef11/004.pdf「関連団体と癒着して、卑しくカネを吸い上げる。」
「自民党議員は全てそうだ!」
マスコミは民主党時代に全く使わなかった「族議員」という言葉をを復活させ
また叫びはじめました。
昔の古い自民党?
ふざけるな!
古い自民党にいた最も汚い連中は自民党を出たではないか。
特に民主党に固まっていたではないか。
民主党がダメそうになったら、維新や他のところに逃げ込んだではないか。
今日もテレ朝の報ステ・サンデーでは朝日新聞の星が「族議員復活だ!」と
自民党批判していました。
民主党や他の党はいないのか?
そうだよな、「専門家」なんていないものな。
いや、彼らは、「族議員」だ、ある意味。
何の?
彼らは、「朝鮮族議員」ではないか!
「中国族議員」ではないか!彼らは日本人を助けない。助けようとしない。
それは、専門性がないからだけじゃない。
そもそもが中国、朝鮮の族議員だからだ!!!私は二階俊博のことを嫌いでした。
保守派からは二階は媚中派だと嫌われています。
今回テレ朝をはじめとするマスコミの自民批判で表に出してくるのは
その二階俊博。
見た目がどうしても腹黒く見えるからマスコミは良く出してきます。
椿事件で最もターゲットにされた梶山静六氏がテレビで徹底的に
「ワルのイメージ」で流され続けたのと同じです。
しかし、二階は、故郷和歌山のことを思う気持ちは小沢より
何百倍もマシだと私は思っています。
2010年、東日本大震災の前年6月。
宮城選出の小野寺五典議員らとともに津波対策法案を出した。
これも宮城県とともに和歌山県の最大の懸案も踏まえてのことでした。
もし東日本大震災前に、津波への危機感をもたせ、津波防災訓練も義務化されていた
この法案が通っていたら、と残念でなりません。
そして、津波から和歌山を守るためにどうすればよいかを考える時、
和歌山は、確かに道路網に関して厳しいものがあります。
私も和歌山方面へ車で何度か行ったことがあるけれど、
南紀白浜以東は、海岸線に沿って走る国道が寸断されたら、
あっという間に孤立してしまう。
車で走ると、南紀は地図で見るよりももっと遠く感じます。
山も迫り、山間の道路も細いところが多いです。
潮岬あたりから新宮、太地町、そして伊勢志摩方面へと回る道は、
半島をグルッと回りますが、その距離は思った以上に長いです。
あそこに、津波が来ればどうなるか
高速道路の通っていないところでは国道の寸断は、命取りとなリかねません。
高速道路は今のところ南紀田辺というところまでしか来ていません。
そこから先は、国道に頼るしかありません。
その国道がだめになれば、非常に困難な状況となります。
それだけ厳しい地形です。関西の方なら理解されると思います。
和歌山にとって「国土強靭化計画」というのは非常に重要な位置を占めます。
二階が言ってることは確かにそのとおりなんです。
口蹄疫以来、私はいざというときに政治力を発揮してくれる政治家であることが
最も重要だとつくづく思いました。
口蹄疫の時も東日本大震災の時も自民党議員は居ても立ってもいられず動いた。
それが当たり前なんです。
しかし、2010年、2011年、2012年の与党は動こうとはしなかった。
それだけ対応が酷かったのは事実です。
口蹄疫のときに
「族議員」という言葉の事実を知りました。
そしてもう一つ、自分は思い違いをしていたことがありました。
それは、畜産農家にとって牛も豚も皆、家族ほどに大切なものであるということ。
大事に大事に愛情込めて育てているということです。
畜産農家の人たちは、牛や豚を送り出す時「家族を見送る思い」であるということ。
一生懸命育てている、それは勿論理解していましたが、
私が思っていたのとは比較にならないほどに愛情を注いでいるということです。
江藤拓議員はそれを何度も何度も訴えていました。連日国会で。
本会議でも、農水委員会でも、
赤松に対して、
当時の与党に対して直接に。
でも
赤松らはその心を全く理解しようともしなかった。
赤松は
「家畜」としてずっと捉えていました。だから
「早く殺せって言ったのに」という言葉が出たんです。そして、単なる「家畜」が死ぬことに何の痛みも感じない。
その上にそもそも、
赤松らは、
日本人がどうなろうが、どうでもいい。
そういう思いを持っていた。そこには
「朝鮮族議員」としても力が発揮されていたとも言えます。
日本の農産業の非常に重要な拠点の一つであった
宮崎の畜産を壊滅させる。
日本の畜産業という重要な産業を壊滅させる。
それを狙ったと思われても仕方のない行為だったんです。赤松は「鬼畜」だ!「家畜は家畜でしかない」
でもそうではなかった。
生きる基盤の産業が潰れることに加えて、
愛情込めて育ててきた牛や豚を目の前で殺さなくてはいけなかった。
畜産農家の苦しみはいかばかりだったか・・。
山古志村の村長さんだった自民党の長島忠美議員。
中越地震で山古志村が大きな被害を受け全村避難となった時、、
2200名余の村民に対し、村には1200頭の牛がいました。
牛は、山古志村のシンボルでもあって、山古志村の文化でもあったんです。
村民の思いも考えて長島村長はへりで牛を全て救出しました。
あの場面、テレビであるいは、ニュース写真で見た方もあろうかと思います。
政治家で最もやってはいけないことは「不作為」。
「不作為抽出」という言葉は聞き慣れていたけれど、
私には
「政治の不作為」という言葉は口蹄疫の時まで実感としてありませんでした。
考えてみれば、自分が最も驚愕し目が覚めた「拉致問題」。
あれこそ、
「政治の不作為」の極みであることは言うまでもないことです。
でも、これこそが
「政治の不作為」というものなのだとその場で肌身で感じたのが
あの「宮崎の口蹄疫」でした。
麻生さんは2009年、新型インフルが流行した時、防疫体制を空港に敷きました。
厚労大臣の舛添もあの時はよくやっていた。
あの時、フジテレビのとくダネ!では司会の小倉が
「こんなことやってなんになるのかね」みたいに批判していました。
彼らは嘲り笑っていました。
麻生政権では、「政治の不作為」は全くなかったと
言って良いと思います。私はあの時、神戸の非常事態を経験しました。
政治家は「決断が大事」なのだと痛感しました。
神戸市長が「ひとまず安心宣言」を発表したことは良い判断だったと思いました。
それだけではなく神戸は、医師、保健所全てが、懸命にやっていました。
自治体との連携もよかったと聞いています。
だからこそ、思い切って「宣言」を出せた。
あの一言が神戸の街を生き返らせました。
もしまた患者が出たらどんなにマスコミにバッシングされるかわからない。
その中での決断。
「政治家の責任ある決断」
冷静だったと思います。
麻生政権の時の北朝鮮のミサイル発射への対応。
ミサイル撃墜も想定したPAC3配備。
あの時もマスコミはバカにしまくりでした。
発射誤情報を出した自衛隊員をも一緒に徹底的に嘲笑した・・・。
緊張感漂う中での自衛隊員に
「これを、訓練だと思って、本当に発射される時に必ず頑張って欲しい」
そんな言葉をかけたマスコミ人はいませんでした。
福島瑞穂は北朝鮮ミサイルを「飛翔体」などと妄言とも言える言葉を発していました。
麻生さんは、「出来ることならなんでもする」
それを実践してきた。でもマスコミは自分たちにとって都合が悪く潰してしまいたい麻生さんや自衛隊を
非難し続け、嘲り笑い、馬鹿にし続けました。
その一方でマスコミは「政治の不作為」を続ける口蹄疫や東日本大震災当時の
与党民主党や国民新党、社民党にはなにも言わなかった。
宮崎の口蹄疫も、東日本大震災も、尖閣問題も、もしマスコミがまともであったなら
防げたことがいっぱいあった。
私はそれが悔しいです。
先月だったか、TVタックルの1000回記念番組というので、民主党政権時代も振り返っていたけれど、
その中で
「宮崎口蹄疫」の文字は一言も出てきませんでした。呆気にとられました。
赤松が何故今も衆議院副議長として、のさばっていられるのか。
マスコミが事実を伝えさえしていれば、
赤松はもう議員でないはずだった。
あの時に議員辞職し、もう二度と選挙にも出られないはずだった。
でも現実は、今も国会で、しかも副議長という「名誉職」を得ている。
それが私には信じられません。
「狂っている」としか思えません。
弾劾を受けるべき国会議員。赤松広隆。マスコミがまともに報道しさえすれば、その政治生命を絶つことができ、
日本国民の命もそんな連中に左右されずに済んだはずでした。
永田町界隈を巡っていたら衆議院議長公邸などがすぐに見つかります。
大きな道路沿いにありますし、守衛さんも立っていますから、
「アレは何だ?」と見れば「議長公邸」だとすぐに分かります。
副議長公邸は赤坂でしたから、そちらは見ていませんが、
赤松は今、そこにふんぞりかえっているんです。
ネット検索すれば、様々な国との懇親会や個人の懇親会を開いています。
「名誉職」なのです。
そこに
赤松は存在しているんです。
あの宮崎を見捨てた人間が。あの口蹄疫の時、「宮崎を助けよう!」という声はサヨク連中から上がりましたか?
今の脱原発を毎週やってる連中は、声を挙げていましたか?
プロ市民は動いていましたか?
彼らは動いてなかった。
何故ですか?
拉致問題もそうです。
何故彼らは、たっぷりな時間と潤沢な資金が在るみたいなのに、
拉致被害者奪還の声を全く挙げないのですか?
何故、口蹄疫の時には声を上げなかったんですか?何故ですか?
いつも弱者の味方だと言っていた連中ほど、そう叫ぶ政党ほど、
「宮崎を助けよう」と声を上げなかったのは何故ですか?
今も脱原発に勤しむ人たち、何故、「宮崎を助けてくれ」と声を上げなかったんですか?
何度でも言えます。
マスコミがどんなに「族議員」という言葉で自民党を叩こうが、
宮崎口蹄疫の時、宮崎を、そして日本の畜産業を助けようと
懸命に力を尽くし、地元の辛い声を法案へと結びつけてきたのは、
宮崎、鹿児島の当時野党だった自民党議員であり、
かつ、マスコミが「族議員だらけ」と揶揄してきた自民党の中の
「畜産スペシャリスト」議員たちだった!
そして、何より彼らには心があった。だから動いた!★最後に、以前にも記事で上げたんですが、長島忠美議員の言葉を
もういちどここで上げたいと思います。↓
=============
災害を受けたときに住民が期待することというのは、
平和なときには、やはり日本の法律だとか制度が
国民を守ってくれますよ。
災害を受けたときにだれが守るか。
政治家が守る以外ないじゃないですか!
前例にないことをやらなかったら、
被災地を救うわけにいかないんですよ!==============
【口蹄疫】20100511農水委員会 長島忠美(自民質疑4/5)【政権野党】【口蹄疫】被害を拡大させた政府対応を告発する![桜H22/5/12] 【さくらじ】#7口蹄疫・失われた物から見える事、これからの事[桜H22/12/24] - YouTub★宮崎口蹄疫。参考に。↓
【口蹄疫から畜産農家を守る会】
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