【日本の大切な隣人、台湾の心 ⑥】 高校野球の原点を見る。台湾の「嘉義農林学校」。映画「KANO」は台湾で来春公開。日本でも見たい!
- 2013/08/22
- 21:54
前橋育英高校、おめでとうございました!!
延岡学園も惜しかったですね。
いやぁ、とてもいい試合でした!
甲子園は各校アルプス席から聞こえてくる
ブラスバンド部の演奏も楽しいですよね。
延岡学園は「あまちゃん」。
前橋育英は「アルプス一万尺」の鉄琴がすごかったです。
リズムがめちゃくちゃ早かったのに、上手いんだもの。^^
今年は「超」のつく猛暑で、ただでさえ大変なピッチャーは、
見ててもちょっと心配してしまいました。
実際、顔がものすごく火照ってたり、足の痙攣とかあったり。
本当に本当にお疲れ様。
でも、そのピッチャーの大変さを思うことで、余計に今回
色々考えさせられてしまったこともありました。
プロ野球よりも高校野球に断然惹きつけられるのは何故か?
とか、です。
今年の大会は「第95回」。
長い歴史ですね。
ブログで台湾のことを書いてると、
高校野球を見ててやっぱり思ったのは、
「台湾も日本統治時代、高校野球に出てたんだよなぁ。」
ということでした。
そこで調べてみました。↓
【戦時中、台湾の高校野球 1/10 】
上の動画は、今から7年前、2006年4月23日放送された
伊集院光のラジオ番組の音声です。
動画には写真や文字による説明も入っています。
この番組名とか、ちょっと詳細はわからないのですが、
リスナーからの依頼に答える番組のようです。
今回は、高崎市の今野忠雄さんからの依頼。
当時81歳の方です。
あ、偶然にも今日優勝した前橋育英と同じ、
群馬の方ですね!
今野さんは、戦時中、「幻の甲子園」に出場した元高校球児。
日本統治下の台湾で、当時の台北工業中学校の選手として
昭和17年夏に出場されたそうです。
今回のお題目は
「幻の甲子園と憧れの洪太山(こう たいざん)選手」。
何故「幻の甲子園」かというと、
「戦時中の昭和16年から20年までは
「甲子園」は開催されませんでした。」
・・・ということになっていますが、
実はですね、こういうことなんです。
「昭和16年の春、夏」と「昭和17年の春」は、
「予選」はやったが「甲子園本戦」自体は
戦局悪化で中止になりました。
しかし
「昭和17年夏」は、従来の「朝日新聞主催」の大会はなかったが、
国、文部省主催の大会として開催された、
ということなんだそうです。
で、「朝日新聞主催」の大会にはカウントされていない。
(一応、朝日新聞は「入れたい」と言ったらしい・・。)
だからもし「昭和17年夏」が
一緒にカウントされていたら、
今年は「96回大会」だったわけです。
ということで、
「昭和17年 夏の甲子園」は「幻の甲子園」
だということなのです。
この開催も、船で「台湾」から「内地」(=日本)に行くことが
相当危険だったらしく、色々大変だったそうです。
そういった当時のお話も色々聞けて、なかなかよいです。
動画は全部で10編ありますが、一つ一つは短いので、
晩酌でもしながら聞いて頂くといいかもしれません。
(動画のコメント欄にもそんなふうに書いてました。^^ )
で、今野さんが憧れていたという人は、
当時の「嘉義農林高校」で大活躍していた「洪太山」選手。
キャッチャーで3番を打っていたそうです。
後年、「台湾野球界の重鎮」と呼ばれた方だそうです。
で、この「洪太山」氏、このラジオ番組の更に3年後の
2009年に放送されたTBSの「世界ふしぎ発見!」に
出演されていました。↓
【八田與一(与一)と嘉南地方、嘉義農林学校 】
日本統治時代に甲子園に出場した「嘉義農林学校、野球部」の話が
4分40秒から出てきます。
ちなみに、この時の「世界ふしぎ発見!」では、
嘉義農林学校のある「嘉南地方」を巡っています。
動画では、烏山頭ダム建設など台湾にとって非常に重要な
農業水利事業に力を注いだ「八田與一」技師のことも出てきます。
「八田與一」は台湾の教科書にも出ている人です。
嘉義農林高校OBとして出演の洪太山氏も、他のOBの皆さんも、
この4年前の番組に出られた時、既に80代ですが、お若いです、皆さん。
素晴らしいなぁ。
さて、この洪太山氏に憧れていた今野さんは、このラジオ番組で
ついに洪太山氏と感激の対面をすることができました。
そして、当時の野球の思い出に浸られたそうです。よかったですね~。
(4分辺りから)↓
【戦時中、台湾の高校野球 9/10 】
ちなみに、今野さんのお話によると、中日ドラゴンズで
活躍した郭源治投手や西武ライオンズの郭泰源投手も、
洪太山さんが育てた選手たちだそうです。
★ところで、この「嘉義農林学校 野球部」は、しばらくの間
日本中を湧かせたようですね。
菊池寛は当時、新聞に観戦記を発表し、
こう記していたそうです。
僕はすっかり嘉義びいきになった。
日本人、本島人、高砂族という変わった人種が
同じ目的のため共同し努力しているということが、
何となく涙ぐましい感じを起こさせる

★嘉義農林学校の野球部を初めて甲子園の決勝まで導いた
監督さんは愛媛県の松山出身の方でした。↓
近藤兵太郎という監督さんでした。
【近藤兵太郎 - Wikipedia】
1918年(大正8年)に松山商の初代・野球部コーチ
(現在の監督にあたる)となり、
翌1919年に松山商を初の全国出場(夏ベスト8)へと導く。
1919年(大正9年)秋、野球部コーチを辞任すると台湾へ赴き、
1925年(大正14年)に嘉義商工学校に簿記教諭として着任。
1928年(昭和3年)頃から嘉義農林学校の野球部を指導し、
1931年(昭和6年)に監督に就任。
1931年(昭和6年)、嘉義農林を全国大会へと導く。
第17回全国中等学校優勝野球大会
(現・全国高等学校野球選手権大会)では、
チームを初出場ながら決勝まで導いた。
春夏連続出場した1935年夏の甲子園・準々決勝では
母校・松山商業と対戦し、延長戦の末4-5で惜敗した。
松山商はその後、準決勝・決勝と勝って初の全国制覇を達成、
応援に駆け付けた近藤監督は松山商を率いていたかつての
教え子・森茂雄監督と涙を流して喜んだという。
上記でも分かるように、嘉義農林学校は今野さんの時代よりも
さらに10年も前に「甲子園初出場」したんですね。
想像するに、近藤監督と嘉義農林の当時の選手たちの絆は
とても深いものだったんでしょうね。
1998年(平成10年)8月には、日本在住のOBを含む
嘉義農林の野球部OBら約20人が、愛媛県松山市の
故近藤兵太郎監督のお墓参りをされたそうです。
その時、戦中・戦後の混乱で紛失し、1996年に年復刻された
準優勝の記念盾「朝日牌(はい)」をお墓に添えて手を合わされた
そうです。
また、2008年(平成20年)8月にも、準優勝当時の
選手の後輩にあたる野球部OB13人とその家族や友人ら
29人が、お墓参り。
OBたちは甲子園準優勝時と同じ「KANO」ロゴデザインの
ユニホームと帽子を身につけてお参りされたそうです。
近藤監督さんのお人柄が偲ばれますし、OBの方々も
はるばる来てくださって、近藤監督もさぞ喜ばれたと思います。
★この時代の「嘉義農林学校の野球部」を取り上げた映画が、
なんとなんと今年、台湾で作られたそうです!↓
【『KANO』来年春節に公開 「甲子園の情熱で台湾野球再興を」 | 最新記事 | 中央社フォーカス台湾2013年04月29日】
3月31日にクランクアップを迎えた台湾映画『KANO』が、
来年の旧正月連休に公開されることが決まった。
日本統治時代に甲子園で台風の目として
喝采を浴びた台湾チーム「嘉農(KANO)」の物語で、
プロデューサーをつとめた魏徳聖(ウェイ・ダーシェン)監督は
「KANOは台湾野球の原点、野球への情熱を思い出して欲しい」
と映画にかける想いを語った。
『KANO』は、『海角七号』(2008年)、『セデック・バレ』(2011年)など、
日本統治時代の台湾を題材に話題作を生み出し続けてきた
魏徳聖監督が10年前から温め続けてきた、嘉義農林学校
(=現・嘉義大学)野球部の栄光のストーリー。
台湾人・日本人・原住民族の混成チームが、苦難を乗り越え
心をひとつに甲子園を目指し、1931年の第17回大会で
初出場ながら決勝戦に進出した実話だ。
伝説のチームを育て上げた“鬼監督”近藤兵太郎を
演じるのは、永瀬正敏さん。
ほかにも、大沢たかお、伊川東吾、坂井真紀の
豪華な日本勢が脇を固めている。
永瀬さんはデビューしたての頃に一度台湾映画の
オファーをもらっており、今回は恩返しのつもりで
多忙なスケジュールを調整し台湾での撮影にのぞんだという。
3月31日の未明、オーディションで選ばれた現役の
野球少年演じる嘉農野球部ナインはユニホームのまま
一列に並び、永瀬“監督”とメガホンを握る監督に向かい
日本語で「お疲れ様でした!」と脱帽・一礼。
昨年11月のクランクインから119日間の撮影を終えた。
決勝戦のシーンを撮影していた時期はちょうど、
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の
台日戦と重なった。
抜きつ抜かれつの緊張感あるゲーム展開で、台湾は
惜敗したがスポーツマンシップあふれる清々しい戦いぶりが
話題を呼んだ。
魏監督は、
「KANOの決勝戦と全く同じ、歴史が再現されているようで
鳥肌が立った」
「本当に大切なのは勝ち負けではない、
人の心に残るのは勝敗を超えたスピリッツ」
と興奮気味に語り、1931年の感動の記憶が
台湾野球の力になればと期待を込めた。
いやいや、めっちゃ楽しみではないですか!
●キャスト情報はこちら。↓
【台湾映画『KANO』に永瀬正敏、大沢たかお二大スターが出演!: アジアンパラダイス】
近藤兵太郎監督役 → 永瀬 正敏
近藤兵太郎の妻役 → 坂井 真紀
八田與一役 → 大沢たかお
嘉義ナインを演じるのは、全て5年以上の
野球経験がある素人さんだそうです。
面白いのは、台湾の予選大会の実況アナウンサー役を、
文化放送のライオンズナイターの実況担当、斉藤 一美アナが
されるそうです。↓
【20120426 H-L 米野智人9回逆転満塁ホームランにむせび泣く斉藤】
斉藤アナ・・、すごいなぁ。^^
さてさて、探してみたら、ありました!
「クランクイン」のPVと「クランクアッップ」のPVが!
★先ず「クランクイン」のPVをどうぞ。↓
【KANOクランクインMOVIE 】
PVでの監督とプロデューサーのインタビューを
ぜひぜひ聞いてみて下さい。
一応書き起こしてみました。↓
(魏徳聖 プロデューサー兼脚本)
この物語はセデック・バレの脚本を執筆中に
制作に関わる膨大な資料の中から
この嘉義農林学校の功績を知りました。
(馬志翔 監督兼脚本)
台湾で野球というと紅葉少年野球が連想されます。
多くの人が台湾野球の始まりは紅葉少年野球だと
思いがちですがそれは違います。
実は嘉義農林野球部なんです。
台湾野球史にこんな1ページがあったとは!って
思いました。
でもこの貴重な1ページは忘れられていました。
実は紅葉少年野球チームの前に
もっと劇的で素晴らしい物語があったんです。
それは日本植民地時代に起きた実話なんです。
1931年頃の風潮では、
野球はほとんど日本人しかできなかった時代です。
それがある野球部はその常識を破りました。
嘉農野球部は種族など一切関係なく
実力あるものが打って走り、点を取って
最後まで守り抜ければ英雄になれるんです。
地方優勝旗は濁水渓を渡らないというジンクスを
初めて破ったのが一勝もしたことなかった
嘉農野球部なんです。
たった一年という短期間で予選大会に優勝。
台湾代表として甲子園に出場。
初出場で次々と勝ち進んで決勝まで戦いました。
球児たちの一球たりとも諦めない「ひらむきさ」
「絶対に負けないぞ」という精神が
球場5万5千人の観客を魅了し、
「戦場の英雄・天下の嘉農」と賞賛を浴びたのです。
「天下の嘉農」という賞賛は今でも残っています。
日本の高齢者に「嘉義農林野球部」を御存知ですか」
と聞くと知っているんですよ。
しかも当時は台湾という場所は無名だったけど
「台湾に嘉義」があるというのは有名だったそうです。
★こちらは「クランクアップ」のPVです。↓
【KANOクランクアップMovie 】
(魏徳聖 プロデューサー兼脚本)
真の価値、真の精神は
勝敗だけが真のスポーツ精神じゃない。
真のスポーツ精神は
勝利と敗北の間にある精神です。
その振る舞いが
美しいかどうかなんです。
甲子園決勝シーンの撮影中
ちょうどWBCの台湾VS日本線があって
僕もその試合をTVで見てました。
試合中盤になると
僕らが撮っている内容と
似たような試合展開になったんです。
台湾チームの奮闘ぶりが映画と同じように進むもんだから
鳥肌が立ってしまいました。
試合の展開が余りにも似ていたから
見れば見るほど不安で・・また逆に嬉しくなったり・・
僕は一喜一憂しました。
嬉しかったのはあの試合がもたらした真価です。
不安だったのはWBCのパクリじゃないかと・・
でもよく考えたら、
いや違う、僕らの映画は歴史を描いているんだ。
WBCを描いてるわけじゃない。
あの試合以来、台湾野球の歴史と発展に
日本も注目するようになったんじゃないでしょうか。
これをキッカケに僕らは反省し見つめ直すべきだと思います。
というのは、クランクイン前に僕が言ったように
僕らは未来を模索しています。
台湾野球の未来。
台湾スポーツの未来。
そして台湾の未来。
未来を語る時、現在からの視点だけではなく
決まったように未来からの視点だけでもなく
過去からも未来を見る視点も必要じゃないでしょうか。
今回のWBCから見て取れるように
過去の栄光と現在の栄光が輝き響きあってるように感じました。
2013年のWBCでの試合も
1931年の嘉義農林が甲子園決勝戦の時もそう。
なぜ天下の嘉義と賞讃されたのか。
嘉義はあの年優勝しましたか?
いいえ。
成績よりも彼らの不屈の精神が讃えられたからです。
勝利と敗北の間にある
その精神が大切なんです。
僕らが一番伝えたいことは
台湾野球の始まりは嘉義農林野球部なんです。
高校野球って、「野球を楽しむ原点」でもあると
思うんです。
「日本の野球の原点」ということも、ある意味
言えるかもしれない。
高校球児たちにも、日本統治時代の台湾で、
「甲子園」目指して「高校野球」が開かれていたことを
知ってほしいです。
そして何より、「高校野球の原点」を見つめて欲しいです。
「高校野球」「甲子園」がどうして、今も日本で
絶大なる人気があるのか。
どうして、多くの人達を惹きつけるのか。
この映画、台湾では来春に公開されるとのこと。
日本でも是非とも多くの映画館で上映してくれることを
願っています。
そして、高校球児、監督さん、野球関係者の皆さんにも
是非観て欲しいです。
私も早く観てみたいです!
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