表題を
【羽生選手の帰国後の記者会見に感動できないのは何故なのか。何故、あのフリー演技終了直後に「あの時点で勝利を確信していた」と思えるのか。自分には解らない。】
から
【羽生選手のインタビューや記者会見を聴いて「腑に落ちない」と 感じるのは何故なのか。(その2)何故、フリー演技終了直後に「あの時点で勝利を確信していた」と思えるのか。帰国後の記者会見で語った不可解な発言に疑問。】
に変更しました。(3月14日PM6時)
「感動」云々よりも、やはり前回記事と同じく「腑に落ちない」ことに
より重点を置きたいと思いました。
これこそが最も重大なことだと思いますしし、そこから「信頼」、そして、
その上にしか「感動」は成り立たない、と思ったからです。
前回は下記記事を書きました。👇
★羽生選手のインタビューや記者会見を聴いて「腑に落ちない」と
感じるのは何故なのか。(その1)2018/03/05http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-1563.html今回は、その続きで、帰国後の記者会見の書き起こしです。
前回はゼロからの書き起こしでしたが、今回は、ネット上に、書き起こしが
ありましたので、少しは楽でしたが、動画と照らし合わせてみると、結構
はしょられてたり、肝心の言葉が削られてたりしていたので、改めて動画を
観ながら、出来る限り、そのままの形で書き起こししました。
また、質問は前回と同じく簡略していますが、羽生選手の答えと質問の
整合性や、また答えに疑問が湧く場合、どのような質問があったのかを
明確にするために、いわば、公平性を持って見るべきとも思ったので、
「答え」に影響ある質問は、ほぼそのまま書き起こししました。
日曜日の夜、何とか出来たと思ったら、PC画面がフリーズしてしまい、
ある程度仕上げ(=清書)してたものが、消えてしまい、仕上げ前のものから
またやり直しでした。(´;ω;`)グスン
でも何とか出来ましたので、また参考にして頂けたらと思います。
前回のブログ記事で書いた通り、私は怪我のことは勿論、様々な
疑問を今回、羽生選手に対して感じてきましたが、もう一つ、重要な
こととして、平昌五輪でのフリーの試合で、羽生選手が演技を終えた
直後に、「勝ったー!!」と何度も連呼していたことがとても気になって
いました。
これは、まだ採点が出ていない時、本当に、演技を終えた直後に
羽生選手が体中から叫んでいた言葉でした。
ネットでは、「『やったー』だった」とか、「自分に勝った、という意味だろ」とか
ありましたが、本人が、TVで「『勝った』と言った」と言ってたのを
聴いたので、このことも確かめたかったのですが、今回取り上げた
記者会見の中で、本人からハッキリと発言がなされているので
特に注目しました。
その発言は、書き起こしと動画を見て頂ければわかる通り、質問者が
宇野昌磨選手のことを聞いた時に突如出てきた発言でしたが、そもそも
その質問は、羽生選手の発言を引き出すような質問ではなかったのです。
だから、余計に不可解に感じましたし、やはり腑に落ちないと感じました。
私は、羽生選手の発言は、試合直後の「勝ったー」連呼も、記者会見での
発言も、両方とも、おかしいと思っています。
書き起こし文の後に、平昌五輪の男子シングルのプロトコルPDFの
URLを貼っておきますので、こちらも参考にしてください。
今回、参考にした、「ホウドウキョク」の書き起こし(全文)。
Yahooが取り上げていたものです。👇
https://www.houdoukyoku.jp/posts/26797(※羽生選手の試合後の「勝った」発言に関する答え方を一部
j削っていたので、「全文」と書いてる割に、これは信用ならないなぁ(´・_・`)
と思い、自分で改めて動画を見て書き起こししようと思いました。))
【ノーカット】フィギュアスケート男子金メダリストの羽生結弦選手が会見
【平昌五輪 フィギュアスケート男子 2連覇・羽生結弦選手 帰国記者会見】
(2018年2月27日 於:日本記者クラブ)
【NHK 島田解説委員】
今お話しましたら、冒頭発言と言うのは特になくて構いません、ということ
でしたので、私の方から2,3問だけ、最初伺います。
申し遅れました。
今日の司会進行は企画委員のNHK、島田です。
だいたい総理大臣とか政党党首が来る時しか私、お呼びがかからない
のですけど今日は光栄です。
羽生さんの会見に私にオファーが来ました。
宜しくお願いいたします。
Q:66年ぶりの2連覇を達成して、帰国して、今の時点での正直な感想を。
【羽生】
一言で言うと「幸せ」です。
ただ、あのぅ、これはフィギュアスケートの歴史において66年ぶりということで・・、
え~~、すいません。
(マイクを治す)
ありがとうございます。
フィギュアスケートの歴史上において66年ぶりということで、
今から66年前を振り返ってみると、全く違ったスポーツだったなぁと
いうふうにも思っています。
まぁ、写真で見ることしか出来ないですし、古い映像もなかなか入手することが
出来ないので、あんまり見るべき(?訊き取れず)ことはないんですけれども、
自分自身こうやってスケートを今、18年間、違う・・、じゅう・・8年間ですね、
やっていて、自分自身も見てて、全く違った競技になっているなというふうに
思いますし、特にこの4年間、僕自身、やっていながら、
違う競技をしているような気分になるほど進化が
目まぐるしかったので、そういった意味では、すごく
重いものになったなと思っています。
また、あのぅ、日本人選手団としても冬季オリンピック、え~、
日本人選手団・・、じゃないか、わかんない、まぁいいや、へへ。
冬季オリンピックで2連覇ということが、まず珍しいことだと
思うので、そういうこと自体で、え~、自分自身、あのぅ、勿論、自分自身が
持っているこの金メダルへの価値というものも、ものすごく
大きいんですけれども世間の方が思っている価値というものも、
すごく大きなものになっていて、そういッた意味で、自分の首から
下げているものはとても重く感じています。
Q:金メダルを今回獲得した直後の記者会見でこう仰ってる。
「色々なことをとことん考えて分析して、それを感覚とマッチさせることが
自分の一番の強みです」
と、こう仰った。
これ、いわゆる最近の大相撲に欠けている「心技体」の一致合一ということに
他ならないと思うが、こういう境地に達したのはいつごろ?どんなきっかけが
あってのことなのか?
【羽生】
もともと僕はすごく考えることが好きで、まぁ、考えることというよりも
喋ることが好きな方が強いんですかね。
自分が考えて、何か疑問に思ったことについて追求し、そして教えてもらって、
更にまた喋りながら、また自分が動いていく。
そういったことが、元から性格上ありました。
なので、そのぅ、考えていることを口に出す、まぁ、いわゆる考えてることを
表現する、まぁ、それは、先ほど仰っていた「心技体」に近いものがありますし、
また、それがスケートに生かされているというのも、また、ごく自然と自分の性格上
なっていったのかな、というふうには自分では思っています。
Q:ソチ五輪の金メダルを獲得した、あの時に既に自己分析の力は備わっていた?
【羽生】
備わっていたというか、「やっていた」っていう方が近いです。
え~、元々、その、疑問に思ったことっていうのを突き詰めてはいました
けれども、その、集中に対してであったり、プレッシャーに対してであったり、
そういったことに突き詰めて考える時間が、僕の場合はそんなに多く
なかったです。
最初からプレッシャーは好きだったし、メンタルが強いわけでは
ないんですけれども、緊張した舞台、または追い込まれた舞台で力を
出すという事が、やっぱり今までスケートをやってきて多かったように
感じています。
Q:今回、当NHK杯で「お怪我」を為されて、
非常にNHKの人間として私も胸を痛めたが、
>NHK杯も出なかったです。すみません。(羽生)
その「お怪我」からの回復の間、これまでのご発言聴いてると、
論文を読んだり、過去のいろんな映像を見たり、要するに頭の中で、
次の勝利へのステップを組み立てていたと、こういうふうに私には
聞こえたが、それは一言でどのような歩みだったのか?
【羽生】
え~と、今できる全力、今出来る今の僕自身を
貫かなくてはいけないな、ということが一番でしたね。
え~、やっぱり人生こうやって、まだ24年の、23年の自分が言うのも
なんですけれども、やっぱりできる時とできない時っていうのはすごく
あるんだなというふうに、今までスケートやっていて感じるので。
そのできる時に、できることを精いっぱいやる、できない時はそれなりの
できることをやる、それがすごく大事だな~というふうに感じた、この3ヶ月
でもありました。
Q:私からもう一つお伺いしたい。
仙台がスケーター・羽生結弦を育てた。
もうじき3月11日。
被災地のみなさんへの報告はいつ頃になりそう?
【羽生】
ん~~、明確に「いつ」とは言い切れないです。
ただ間違いなく仙台で、たくさん応援してくださったことは見ていますし、
メッセージも届いていますし、そして被災地の方々も少しでも勇気や
また笑顔になるきっかけがあったらいいなというふうに思ってたので、
今回、こうやって幸いにも技術、え~、まぁ情報の技術だとかメディアの
技術だとか、そういうものが上がっていて、こうやって幸いにも僕は
こんだけ注目されながら演技をすることができているので、
皆さんに、たくさんの思いが届いているのではないかなというふうに
思っています。
そのお力をもうちょっと頂いて、また復興の力にもして頂けたらいいなと
いうふうにも感じています。
~NHK島田解説委員の質問終了。会場からの質問受け~
(読売TV・堀川)
Q:日本でメダルを獲った方、獲れなかった含めて選手の方々は、
周りへの感謝や思いやりを今まで以上に口にされている。
一方で、世界では「勝てばいい」、「競技に集中することが大切だ」
という流れもある一方で、今回は、日本人のすばらしさも世界に発信できた。
トップアスリートが世界を極めるためには、感謝や思いやりは
どれくらい大切なことだと?
【羽生】
はい。先ず、少しだけ情報の整理をさせてください。
もともと日本人が持っていたスポーツへの概念、トレーニングの概念と
いうものは、いわゆる根性論だとか叩かれることがあるかもしれませんが、
メンタルを鍛えることでは絶対に優れていたと思っています。
え~、そして日本人は、その「負けん気」というものを武器にした選手、
僕のような選手がいれば、絶対に勝ち負けは関係ない、自分が納得
できるものを、という選手もいます。
逆に言えば欧米でもそうですね。
マイケル・ジョーダン選手なんかが特に自分は印象に残ってるんですけども、
「誰に対してもリスペクトをする。そのリスペクトの心が自分を強くする。」
そういうふうに仰っていたのが、すごく印象に残っています。
え~~、勿論、勝ち負けだけを重視する選手もいるかもしれませんが、
それはやっぱり、その人の性格による、というふうに思っています。
心の問題、集中力の問題、え~、そういうことから言えば、僕は先ほども
言ったように、性格上、すごく追い込まれると強い、ということで、ん~~、
あまり、楽しい気持ちとか、またはリスペクトをしながら、感謝をしながら、
ニコニコしながら、演技をするというのは向いてないんじゃないかなと
思っています。
そういった意味では、、ちょっと、ん~、変なのかもしれないし、特殊なのかも
しれないですけれども、絶対に勝ってやるって思った時の方が、力が発揮
できたり、ということもあります。
もうそれは選手の性格次第なので、ある意味、これから僕が、もし指導者に
なっていって、または、まぁ、伝道師と言うか、いろんなことを伝える立場に
なった時に、経験として伝えられることの一つではないかなと思います。
そして日本人の感謝の気持ということは、え~、日本人が絶対持たなきゃ
いけないものだと思いますし、僕自身もすごく大切にしていることで、それは
競技以外でも、そして競技が終わった後、え~、例えば、柔道なんかも
そうですけれども、絶対に自分が競技をしていたフィールドに対して挨拶をする。
そして終わった後に、コーチ、家族、そして周りへ。
幸いにもフィギュアスケートはすごく観客の皆さんが応援してくださることを
実感できるスポーツなので、そういった方々にも感謝の気持ちを届けなくてはな
というふうに、日本人の誇りとして思っています。
(TBS「ゴゴスマ」・奥平)
Q:羽生選手が楽しいという気持ちで演技をするタイプではないと。
スケート以外で楽しさを感じる瞬間は?
【羽生】
僕にとって「楽しい」は、ん~、そうですね、もちろんゲームも大好きですし、
アニメを見ることやマンガを読むこと、マンガを読むことの方が多いんですかね。
え~、そういったリラックスをするタイムは楽しいと思います。
もちろん自分の趣味として一番有名なのは多分「イヤホン収集だったり
音楽鑑賞」だと思うんですけれども。
それもまた、たくさんの方々に支えていただいて、ホントになんだろ、
普通の人だったら聞けないんだろうなというような細部の細かぁ~~い音まで
出るイヤホンを、ヘッドホンをたくさんたくさんいただいてるので、そういう時は
やっぱり楽しいですね。
はい。それは、その楽しい気持ちが競技に繋がっていることは間違いないです。
その楽しさがあるから、頑張れているのかなという気もします。
有難うございます。
提供してくださる方や、くださる方、ホントにありがとうございます。
この場を借りて御礼申し上げます。
(NHK・仮屋)
Q:ネイサン・チェンが、もしSPで失敗しないで羽生選手と同じくらいか
あるいはちょっと上くらいの点数が出ていたら、フリーの構成はもしかしたら
違った?
もう一つはフィギュアスケ―トについて、先程外国人特派員クラブの中で
「技術に基づいてこその芸術である」
とお話されていた。
今後フィギュアスケートはどういう包囲行為に進んでいってほしいのか、
或いは進んでいくべきなのか。
5回転まで言ってしまうと、なんかジャンピング選手権みたいになって
しまうんじゃないかと言う気がするし、限界としては恐らく4回転半ぐらい
かなと僕は思っているが、基本的にはプログラムの勝負の方向にいって
欲しいと個人的には思っているが、その辺のご意見は?
【羽生】
先ず「時論公論」、ありがとうございました。
見てました。(笑)
えっとぉ、じゃあ最初に質問からサラッと行きますね。
ネイサン・チェン選手が、まずノーミスするとかしないとか関係なく、自分が
できることをやろうと思っていました。
それは、もう、その時になってみないとわからないですし、ネイサン・チェン選手が
もし、もし、たられば、ですけれども、僕は好きじゃないですけど、たらればで
僕より上になっていた場合は、もしかしたら自分のリミットを
更に超えたものをやれた、か・も・しれません。
それはわかりません。
えっと~、これからのフィギュアの未来について話します。
えっとぉ、もちろん5回転になる、5回転が主流になったりとか、
4回転半が今のトリプルアクセルのように主流になるということは、
まずこの50年間においては、ないだろうと僕は予測します。
え~、それが主流になったら、仮屋さんも仰ってたように、
ジャンプ選手権、それこそ僕は今回、平野歩夢選手と
ずっとお話をさせていただいて、参考にさせて頂いた時も
あったんですけれども、ハーフパイプみたいになってしまう。
それはちょっと困ります。
え~、ただ、じゃあ、もし、羽生結弦が、4回転半、もしくは
5回転を挑む、試合に絶対に入れる、と決めた場合は、
それは確実に、表現の一部にします。
それは言えます。
その選手が、それぞれの選手が、そういうふうに思えるかどうかわかりませんが、
僕のスタイルはそこですし、何より僕がフィギュアスケートをやっている理由は、
そういうところに惚れ込んだからであって、そういった演技に惚れ込んできたから、
こうやってオリンピックで、この種目で金メダルを目指したいと思ったわけであって。
だから難易度と芸術のバランスというのは、僕はホントはないんじゃないかなと。
芸術は絶対的な技術力に基づいたものであると、僕は
思っています。
Q:以前、学んだことをスケートに生かせることが自分の強みだと。
次のステージに進みにあたって誰かに学んでみたいことはあるか?
【羽生】
まず今回ですね、え~、怪我をした後に、自分の憧れである
エフゲニー・プルシェンコさんをはじめ、みんなが「信じているよ」と
いったような気持ち持ちながらメッセージをくださいました。
そのことに先ず感謝したいなぁと思っています。
もちろん、影響を受けた選手というのはたくさんいますし、僕は、ん~~と、
壮大な話になってしまいますけれども、自分が生きていく中で、一つとして
影響を受けなかったものはないなと思っています。
例えば今、こうやって喋っている時に考えてることだって、そういうふうなことを
聞いたから、そういうふうな思考になっているのかもしれないし。
僕は幸いにも、じゅう・・10歳になるギリギリですかね、それぐらいから
こうやってメディアの方にインタビューをしてもらって、自分の思考を
整理させていただく時間とか、あとはインタビューをしてもらうことによって
覚える言葉だったりとか、んふふ、そういうものもあったし。
やっぱり、そうやって自分を作ってきたなと思うし、そうやって自分は
作られてきたんだなと思っているので、誰か特筆して、ということは
ないかなと。
ただ、今すごく思うのは、こうやって、今、言葉を発しているのは自分ですし、
で、このあと、メディアの方々が何十、何万、ホントに、何十万、何百万、
もしかしたら何千万かもしれないし、億かもしれないし、そうやって、一人の
人間から、いろんな情報が伝わっていく、それってすごく、なんだろ・・、
自分がいろんな方から影響を受けているからこそ、すごく光栄なことだと思うし、
もし、僕なんかがきっかけで、ちょっとでも人生や考え方が良い方向に向いたら、
とても幸せだと思っています。
(NHK・島田)
今のに関連して、是非一つお訊きしておきたかったのだが。
今回、宇野昌磨くんが羽生さんを追いかけて、あのフリーの最初のジャンプは
羽生さんを追い越そうとして、チャレンジして失敗したと。
本人もそういうふうに仰ったけども、そういう後輩がすぐ後ろにいるという事は、
今の「立派な先達に学ぶ」という事の逆で、羽生さんにとってどういう意味を
もつのか?
【羽生】
え~~、まぁ先ず、ひとつ言っときたいのは、僕は、
もうあの時点で勝利を確信していたので、
え~、彼が4回転ループをほんっっとに、
きれいに決めていたとしても、先ず点差的に!、
負けることはなかったなと、先ず言っときます。
え~~、
>場内笑い
ね。
えへへ。(肩をすくめながら)
凄い突っ込まれてたし、ファンの方々も、
ん~、あんまりよく思ってない方も
いらっしゃったかもしれないんで。
先ず前提として。
えへへ。
えっとぉ、やっぱり後輩が強い・・。
まぁ、そんなにいっぱいいるわけでもないんですけどね、
フィギュアスケーターは。
ただ、自分を追い抜かそうと本音では思っていないかもしれないですけれども、
「近づきたい」って思ってくれる存在、そして、ん~~、なんだろ、それが自分の
国の代表として、いる。
それは非常に心強いことだなと。
考えてみれば、まだ、まだ、引退すると言わないんですけど、言ってないすし、
引退する気持ちも全然ないですし、やることありますよ。
ただ、「引退します」って簡単に言っちゃえば、彼に、なんだろ、任せられる、
というか、そういう頼もしさは感じています。
ただ・・、ん~、ただ、もうちょっと、そうですね、まぁ、
人前に出る時に寝るとか、そういうことは、もうちょっと
学ばなきゃいけないのかなと。
もうちょっと、面倒を見なきゃいけないのかなって
いうふうには思ってます。
>いや、先輩らしいお言葉。(島田)
あははは。
Q:これから先のことを考えますとね、実は先程、この会場に入る前に
東京の中国大使館の方から、羽生さんに、かわいいパンダのペアの
プレゼントを頂きまして、「是非、北京でも頑張ってください」という
中国政府並びに中国共産党も含めてかどうかはわかりませんが、
>こわい。(羽生)
とてもフレンドリーなメッセージがありましたが、次の五輪に向けては?
【羽生】
え~っと、次の五輪に向けては、まだ「未定」という言葉が一番、今の
頭の中にはあります。
もちろん自分がやりたいことには、もちろん4回転アクセルだとか、
もしかしたら5回転の練習もしたいって、4回転半が跳べたら
思うかもしれないですし、それはまだわかりません。
ただ、今、一生懸命やることを一生懸命やって、で、その延長線上に
北京五輪があるんであれば、もし出るなら、絶対に勝ちたい、と思っています。
Q:多分、今回の五輪がもっと先だったら今頃は療養していると思う。
これから長い将来を考えたら、足を徹底的に治した方がいいんじゃないかと
思うのですが。
【羽生】
はい、間違いなく、仰られたように、これが五輪でなければ、
僕は今すぐに痛み止めを飲んで、こうやってピークを作る
ことはなかったと思っています。
やっぱり何よりも治すこと大事だっていうのは思ってますし、これからの
スケート人生、何が起きるかわからないので・・、ん、やっぱり休んでいたと
思っています。
えっと~、そうですね。
実はフィギュアスケーターは、わりと五輪で金メダルを
獲った後、若い選手であっても1年間休養したり、ん~、
もしくは、もう五輪以外いらないから3年間しっかり休んで、
で、また4年・・、3年後か、3年ごろに、そのシーズンにだけ
合わせて体をつくってきたり、絞ってきたりする選手も、
実は居るスポーツです。
まぁ、そういった中で、僕はソチ五輪の後、金メダル獲っても、すぐに
試合に出て、その後の試合で金メダルを獲って、また来シーズン
すぐに試合を始めました。
ただ今回は、まぁ、足の状態があるので、治療に専念する、
という気持ちは変わっていないです。
んっと、すいません、回りくどい言い方かもしれないけれども・・、まぁ、
言えることが限られているし、もしかしたら、ねぇ、なんか、自分の
これからのスケートが、ちょっと今解っていない状態なので、
詳しくは言い切れない、まぁ、自分も解ってないので
言い切れないんですけれども、間違いなく言えることは、今の、
自分の、この金メダルを獲ってきた気持ちだとか、自分のスケートだとか、
そういうものをすごく待ち望んでいる方がいらっしゃる、ということは
嬉しいことだし、またアイスショーにおいても、また、こういったイベント
だったりとか、色んなところで喋る機会があったとしても、こうやって
たくさんの方が待ってくださって、自分の声やスケートを、お金を払ってでも
観に来てくださる、そういった方々のために、ちょっとでも自分のスケートを
使えたら、ちょっとでも自分の体力とか気持ちとか気力とか、そういったものを
使えたらなぁと今思っています。
Q:世界中の名だたる選手が羽生選手のことを「人間性を含めて尊敬している」と。
挑戦する力、自分を律する力、奮起させる力の原動力は?
【羽生】
えっと、まず・・、今、みなさんと話している、こういう時間、すごく、まぁ、
自分の中ではスイッチが入りきれてなくて、わりとゆっくり話してるし、
この人ふわふわしてんな~と思われるかもしれないですけど。
わりと自分の中で、スケートが始まった時だとか、スケート靴を履いて
氷に乗った瞬間だとか、まぁ、スケートのこと考えてアップをしている時間
とか、そういうときは、ホントに違う人間になっているんじゃないか、という
くらい切り替えています。
それは、自分の精神力だったりとか、絶対に勝つんだとか、絶対に
強くなるんだ、という原動力だと思っていますし、その切り替えがうまく
いかない時も勿論あるんですけれども、その切り替えを絶対にやる!
っていうふうに決めてはいます。
それが多分ここまで、特に五輪ですね、不安要素がいろいろあったし、
やれないこともいろいろあったんですけれども、その中でやれたって
いうのは、そういう自分の中での切り替えやメリハリがあったからだと
思います。
Q:小さい頃からの夢だったと言っていましたが、小さい頃は失敗して
へこたれたり、他の誘惑があったりで夢から逸れることもあるかと。
夢を継続させ夢を掴み取った原動力は?
【羽生】
え~と、ん~と・・・、なんですかね、自分の中での、今自分が持っている
夢っていうものって、わりと形がしっかりしていて、それは多分、昔の自分
なんです。
昔、ちっちゃい頃に、あ~、これやりたい、これで強くなりたい、これで
一番上に立ちたい、こういう人になりたい、そういうふうに憧れてて、
で、それを信じ切ってた自分が、多分今もずっと心の中に残っていて、
その、なんだろ、自分の心の中で「絶対やってやるんだ!」と言ってる
昔の自分が、多分、僕の夢というか、夢の原動力になってるんだなと
思います。
だから、なんだろ、勿論、誘惑とかたくさんあるし、僕もすごい野球を
やりたかったんですけれども。
先生も厳しくて。
(?訊き取れず)ばっかりやってたし。
スケートをやっている時間が多分短かかったくらいずっと立っていました。
先生に怒られて。
でも、それでもスケートやめなかったのは、やっぱり、なんだろ、やれてる
ことに特別だなという気持ちがあったからだと思います。
フィギュアスケートってやっぱり陸上ではできないですし、勿論小さい頃から
金銭面で大変だということは、まぁ、自分は姉がいたので、そういうことも
うすうす気づきながらやっていました。
だからこそ、こうやって続けられることが特別だなと思ったし、何より
先生方もすごく特別視してくれて、すごく面倒を見てくれて、こうやって
育ててくださったので、なんか、そういうことに気付けたから、ここまで
来れたのかなっていうふうに思います。
ただ、夢って、叶う人って本当に限られて、自分の夢だって、はっきり
言っちゃえばですけど、自分の夢だって叶ったのはこの金メダル…
だけって言ったらおかしいけど。
この金メダルが叶った夢だけであって、他の夢はたくさん捨ててきたんで。
うん、だから、いっぱいあっていいと思うんです、夢って。
絶対に適性があるし。
高い目標じゃなくても、低い目標だって夢って言えると思うので。
まぁ、これから、いろんな子供たちが夢を持ちながら、いろんなこと
やっていって、少しでも、なんか、その夢が叶う瞬間を作ってあげられる
ような、その叶う瞬間になるきっかけのような言葉を出せたらな、と今
改めて思いました。
Q:野球をやりたいと両親を困らせたというエピソードがありますが。
【羽生】
いやぁ、全然、両親は困っていなかったですね。
やめたいの?じゃあ辞めなさい、っていう感じで、もう全然困って
なかったです。
覚悟がないんだったらやるな!という感じがありました。
ただ、先程も言ったように、あまりにも特殊なスポーツだし、何よりも
先生たちがホントに力をかけて、面倒を見てくれてたので、もう
自分の中でも絶対やり通さなきゃいけないっていう気持ちもあったし、
何より、小さいながらに、かもしれないですけど、今ほどでもないかも
しれないですけど、例えば9歳くらいの時に、本当に辞めたいって
思ったことがあって、「もう辞める。」「じゃあ辞めなさい。」
「野球でもやりなさい」ってなった時に、ふと思い出したのが、
9歳だからまだスケートを初めて5年経ってないかくらいなんですけど、
こんなところで、これを終わらせちゃっていいのかなと思ったんです。
多分その時に気付いたのが、「僕もう、スケートに人生を掛けてるな」
って思ったんですよ。
>9歳で!(島田)
ははは、だから、これを辞めちゃったら、もしかしたら、これまでの
生きていた意味がなくなっちゃうかもしれない、とまで思っちゃって。
だからそういう覚悟はずっとあったのかなと思ってます。
フィギュアスケート以外では夢を見たことがない?(島田)
あります。いっぱいあります。
歌を歌いたいな~とか、上手くなりたいな~とか。
ねぇ、なんだろ、いろんなことを想像して、あぁ、こうなりたいなぁとか、
これやってればよかったなぁとか、すごい思いますけど、でもすべて
スケート関連ですかね。
スケートがやっぱ一番かけてきたものが多い。
Q:ソチの後に仙台市内でパレード。
今回も検討していますが、パレードへの期待は?
【羽生】
ぜひ、仙台でお金を落としてください。(笑)
やっぱりパレードするには、たくさんの費用が掛かって、そして、
どれだけ特別な支援があってのことかっていうことは、非常に
解っています。
それを強く解っているからこそ、ぜひ、仙台に、足繁く、とは
言わないんですけれども、仙台に通っていただいて、来て
いただいて、是非「杜の都」の良さ、そして、そこで何かを買って
頂いたり、そこで何かを見ていただくことによって、ちょっとでも
仙台の復興に、宮城の復興に携われたらいいなというふうに
思っています。
Q:金メダル獲った時に怪我をしていなかったら獲れなかったと、
それがどういうことなのか。
【羽生】
はい。
えっとぉ~、えっとぉ~、実は、66年前に連覇をされたディック・バトンさん
という方が、僕にメッセージを送ってくださってて、そのメッセージが、
「リラックス」だったり、「楽しめ」、「オリンピックの経験を楽しめ」、というもの
だったんですけども、彼自身、練習をし過ぎて、いい演技ができなかったと
いうふうに語っています。
え~~、もしかしたらですけれども、僕が怪我をしないで、万全な状態で
オリンピックに向かっていたら、そういうふうになりえたんではないかなと
いうふうにも思っています。
オリンピックに絶対に勝つという、こういう気持ちをすごくずっと持っていた
からこそ、オリンピック直前に怪我をしてしまったり、調子が悪くなって
最終的にボロボロになってしまったかもしれないなぁという気持ちを
込めて、「怪我をしなければ、なかったかもしれない」という言葉に
なりました。
Q:モチベーションの変化について。
オリンピックの後、4回転アクセルが唯一のモチベーション、と発言があった。
自分の夢を突き詰めて、目指している自分になるフェーズは今回の
金メダルで達成されて、別の部分のフェーズに移っていると感るが。
【羽生】
えっと、間違いなく、やっぱり今回思ったことは、自分が幸せになった時に、
たくさんの方々が幸せになって、そして、その幸せが還元されて、また
自分に戻って来て、自分がこうやって笑うことによって、みんなが笑って
くれる、そんな平和な世界…じゃはないですけれども、そういうことは
凄く感じました。
ただそれは、いつから感じたかって言われたら、ちょっと明確じゃないので
わかりません。
もちろん五輪の前から感じていたことは確かだと思います。
それは多分、自分が怪我をして、一緒に苦しんでくれたファンの方々や、
自分の家族だったり、サポートメンバーがいたからだと思っていますし、
やっぱり、これまで色々やってきて、4回転アクセルとかね、今、色々
言っていますけども。
なんか、フェーズと言うよりも、やっぱり徐々に徐々に、ん~、なんて
言ったらいいかわからないけれど、さなぎが羽化してきて、ゆ~~っくり、
ゆっくり、羽を伸ばしてる段階、それが今の自分かなぁと思ってます。
>ということは、まだ羽を伸ばし切っていないという、
強い意志の表れですか?(島田)
あはははは。
そうですね。えっと~、それがすごくゆっくり~なんだとな思います。
なんか時には雨に打たれて、全然広げられない時があったりとか。
そういうものが僕の人生かなと思っています。
Q:世界で一番という立場だが、そうなると孤独みたいなものも
ついてくるのでは?
孤独感を感じることは?
もしあるんだとしたら、どのように向き合っているか?
【羽生】
はい。
じゃあ、これは、「ある」って言った方が面白いのかな?(笑)
>場内笑い
ふふふ、え~~、なくはないです。
「ある」っていうふうには、もう言えないけれども、前は、
「すごい孤独だな~」って、「あぁ、誰もわかんないんだろうな、この気持ち」
って思いながらやってました。
それは勿論ありました。
特にこの、オリンピックが終わって、え~、まぁ、前回のオリンピックが終わって、
それから、いろんな人にこうやって祝福されればされるほど、
「あぁ、自分の気持ちってどこにあるんだろう」
って、そういうのは凄く思ってました。
みんなが、まわりが、あんまりにも幸せになり過ぎてて、僕は、僕の幸せは
なんなんだろうと。
僕が頑張ってきたものって、ホントに自分に還元されてる
のかな、って思うこともありました。
でも、今こうやって、みんなに特別視されてて、やっぱり、なんだろう、
「ありがとう」とか、「おめでとう」とか、そういういう言葉って、気持ちが
こもってなかったとしても、例え、その心の奥底では
「このやろう」とかって思ってたとしても、やっぱり素直に
受け止めると嬉しくなったりするんですよね。
やっぱ、それって、すごい幸せなものだと思うし、それが自分を通して、
世界に、ホントに自分は特別だなと思うのは、こうやって
日本だけじゃなく世界に発信できる。
それは、やっぱり一人の人間としてだけじゃなくて、やっぱり自分が
こういう特別な存在になれたからこそ、感じなくては
いけない使命かなというふうに思ってます。
(島田)
Q:まさに包容力と言うんでしょうかね。
ソチの時からの4年間、自らの中で「受け止める」ことは成長した?
そうですね、あります。
ただ、もちろん、その包容・・っていうんですか、受け止める中で
やっぱり嫌な言葉を受け止めたりとか、なんかすごくネガティブな、
ねぇ、方向に受け止めたりとかっていうことは、たっくさんありました。
今でもあります、もちろん。
今の方が多いのかもしれないけど。(笑)
でも、そういうのも含めて、やっぱり僕にはたくさんの味方がいて、
たくさん信じてくださる方がいて、何よりも、何よりも自信に
なってるのは、やっぱり、すごい実績のある
方々が自分のことをすごい褒めてて、で、
今まで自分が夢見てて、こういうふうに
なりたいって思った人が自分のこと認めて、
「彼が本当のチャンピオンだ」とか言ってくれる、
この世界に対して感謝の気持ちしかないですね。
Q:孤独との戦いという話もあったが、プライベートでは将来家族を
持ちたいとかそういう思いは?
【羽生】
はぁ~(笑)、それは、なんて答えたらいいのかわかりません。
ここまで思って下さるファンの方がいて、ファンじゃない方も今回
すごく応援して下さっていて、なんか家族を持ったら、ねぇ、それこそ
なんか「裏切られた~~!」とか言われるかもしれないし。
ん~、アイドルじゃないですけど。
でも、ねぇ、やっぱそうやって応援してくださる方がいるっていうのは
すごくありがたいし。
先ほど、ねぇ、普通の人から見たらですけど、僕からの目線じゃなくて、
普通の人から見たら、もう手に入れるもの全て入れただろうと。
お金も名誉も地位も。
でも僕にとっては全然そんなことなくて、実はこうやって、地位とか名誉とか、
お金も・・、もちろんそうですけども、結局、飾られたものでしかなくて、
自分の本来の気持ちとか夢とか、そういうものが、全て満足感に
満たされているかと言われたら、そんなことはないです。
やっぱり、これからも一人の人間として普通に生きなきゃいけないし、
たまに、特別な存在として、こうやっていろんなところに立って、座って、
喋って、滑って、そういうことを皆さんと色々共有しながら生きなきゃ
いけない時間も多分あると思います。
ただ、それは今しかできないことだし。
いろんな幸せ、色んな活動、そういうものを皆さんと分かち合える「幸せ」
っていうものを大事にしたいなと今思います。
>まだしばらくは普通の幸せ、家庭を持つといったことよりも、
競技者としての幸せを更に極める?(島田)
競技者として、とは言い切れないです。
え~、何になるか僕もわかってないし、何ができるかっていうことも、
ま、明確には、具体的に何となくは思い描いてますけども、明確には
何ができるかわからないですし。
ただ言えることは、金メダルをとって2連覇して帰ってきた
ということが、たくさんの人の幸せになってることは間違いないし、
それができるのは僕しかいなかった、ということ
だと思います。
Q:競技終了後、プレゼントが投げ込まれたと思います。
その行方は?
【羽生】
森に帰りました(笑)。
>プーさん森に帰る!(島田)
あの、すごく、この言葉は好きで、別にギャグとかではなくて、
一番ファンタジーで好きです。
>更に重ねて(質問を)どうぞ。(島田)
Q:昨日は、東京マラソンでは、設楽選手が
>一億円。(羽生:笑)
一億いただいたと、いうこともありまして。
花束とかプーさんとかが、お金であったらと私は思いましたが、どうですか?
【羽生】
ははは。
いやぁ、ねぇ~、だって・・。
正直ね、リアルなことを言いますよ。
だって、先ず、現地に来てくださってる方って、先ずチケットを
取るために、相当なお金を使っていらっしゃると思いますし。
フィギュアスケートの観戦て、結構高いんですよ。
だから、ファンの方の特集とか、僕、結構されたりして、見ても
いるんですけれども、ホントに一部の方の声しか届いていない。
それを、すごく捻じ曲げた特集をする局もあるんですけども~。(笑)
でも、すごく言えることは、ファンの方々が全て来てることではないので、
見えない方のサポートっていうか、応援もすごく大事にしたいなぁと
いうふうには思っています。
だから、ねぇ、だって高校生の方とか大学生の方とか、そんな大金払って
韓国に来れないし、何より倍率がすごく高いので。
取りたいとて予約しても取れなかった方たちも沢山いると思うので。
そういう方々にも感謝が届くような演技ができれば、幸せが届けられればと
いうふうに思っています。
だから、あの、プーさんを買ったお金とか、チケットを買ったお金とかが
飛んでるっていうふうに。
経済が回ってるんだったら、それで充分です。(笑)
>という、リアリズムに徹したお話をいただきました。(島田)
(島田)
Q:始まる前に、いつもの揮毫を書いてもらいました。
「自分自身を貫く」と書いてくださいましたが、その心は?
【羽生】
えっと~、昔、自分がオリンピックに行く前、夏なんですけれど、
今シーズンの夏なんですけれども、「いまを貫け」というふうに
自分に言葉を出しました。
それは、絶対に怪我をしていないとは言えなかったし、怪我じゃなくても
病気とか調子が悪くても、今っていうのは揺るぎないものなんで、それを
貫いてほしいと思いました。
これは羽生結弦のために書いたわけではなくて、羽生結弦が
これまでいろいろやってきた中で、ちょっとでもみなさんが、ん~、
なんだろ、その夢を叶えるきっかけになるような言葉として書いた
ものです。
是非、あのう、自分を貫いてると何かしら言われることはたくさん
あると思いますし、勿論、家族に心配されたり、逆に家族に文句
言われたりとか、ホントに信じてる人に裏切られたりするかも
しれません。、
ただ、そうやって自分自身を貫くことによって、後悔は絶対にしないと
思います。
その後悔をしない生き方をしてほしいなぁと思って書きました。
(島田)
羽生さんからの世界への送る言葉ということが判りました。
有難うございました。
【羽生】
有難うございます。
~~~記念品贈呈で終了~~~
【参考】★平昌五輪 フィギュアスケート 男子シングル SPプロトコルhttp://www.isuresults.com/results/season1718/owg2018/OWG2018_MenSingleSkating_SP_Scores.pdf★平昌五輪 フィギュアスケート 男子シングル FSプロトコルhttp://www.isuresults.com/results/season1718/owg2018/OWG2018_MenSingleSkating_FS_Scores.pdf羽生選手の発言を聴いてると、前回の記事同様、引っかかることが
多々あります。
そして、最初に書いたフリー演技後の「勝ったー」については、
はっきり言うと、2010年のバンクーバー五輪のキム・ヨナの
「絶対届かない銀河点」を思い出さずにはいられません。
今回は、あの時とダブって仕方がありません。
前回の記事でも書いた通り、デニス・テン選手の件が起きる前まで、
自分は応援していました。
それまでも色々聞くたびに、ちらちらと耳に入ってくるたびに、
仕方のないこと、と擁護してきました。
でもそれは間違いだとはっきりと判ったのはデニス・テン選手の件でした。
また、それまでもずっと、羽生選手の採点は高すぎる、そう思いながら、
そうブログでも何度か書きながらも、応援をしてたんです。
過去ブログではオーサーの元を離れた方がいいとも書いてきました。
佐藤信夫コーチの下でジャンプ以外のスキルを磨いて欲しいと
いうようなことも書いたこともあります。
バンクーバーでの出来事も知って欲しいとも書きました。
でも羽生選手は、解ってたんでしょうね、バンクーバーでのこと・・。
自分が軌道修正して欲しいと思ってた方向とは、真逆の方向へと
羽生選手は最初から進んでいた、そんな感じが今はします。
金メダル2連覇。
私には、「虚しさ」しかありません。
私は、ブログで政治のことをたくさん書いて訴えてきました。
いつも思うのは「政治は人」。
必ずそこへ行きつくんです。
でもそれは政治だけではありません。
スポーツも、です。
フィギュアスケートも、です。
「人」なんです。
最後に行き着くのは、そこなんです・・。
【追記:3月19日】■平昌五輪で銀メダルが確定した直後の宇野昌磨選手のインタビュー
【宇野昌磨選手】
もし1位になるとしたら、僕がもし完ぺきな、もうホントに
完璧な演技をしたら一位になれる点数だったんですけども、
もう1個目のループを失敗した時点で、ちと、もう、笑えてきました。(笑)
>そこまで冷静だったんですか?(インタビュアー)
そうですね、もう一個目の失敗した時点で、「あ、もう頑張ろう」と
思って、なんか、焦ることもなく、笑いがこみ上げてきました。
【関連記事】★内村選手の怪我と、羽生選手の怪我と・・。
2018/04/21http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-1572.html
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