フィギュアスケートで金メダル2連覇となった羽生結弦選手。
4年前のソチでは私も応援していました。
だけど今回はまったく応援出来ませんでした。
五輪で日本の選手がメダルを獲った時、喜ぶことができなかったのは、
多分初めてです。
まさかそんなときが来るとは思いもかけませんでした。
世間が大喜びする中、自国選手の快挙を喜べないのは本当に虚しいです。
でも、何故なのかというのをやっぱり知って貰わなければいけないなと思い、
昨年11月、羽生選手がNHK杯での公式練習で「怪我をした」時から
金メダルを獲って平昌にいる間までの様々なインタビューや記事を
ピックアップし、書き起こししました。
特に怪我に関する箇所は、どれを聴いても何もかもあやふやで、
「本当はどうなのですか?」と訊きたくなります。
今回、書き起こしだけで結構疲れてしまったので、自分のコメントは
少しだけになります。
とにかく参考にしてもらえばと思います。
記事もとても長いです。
ご了承ください。<(_ _)>
五輪の間、ちょこちょこと下書きをしてきたので、その間に削除されて
しまった動画もありますが、ご了承ください。
また、質問はどれも簡略しています。
最初に、平昌五輪が始まってから、やっと韓国の空港に姿を見せた
羽生選手のインタビューからです。
https://www.youtube.com/watch?v=o6MLoxBtpmc■2月11日・日本テレビ「バンキシャ」
★仁川空港到着時のインタビューより
Q:足の状況と、この3か月間、どういう思いで練習していたか?
【羽生】
出れない試合もたくさんありましたし、非常にもどかしい気持でも
いましたけれども、出来ることとして、陸上のリハビリだとか治療だとか、
そういうことを必死こい・・必死にやってきました。
実際にこうやって試合の場に来れたことが先ず嬉しいと思いますし、
またこれから、この地でしっかりと調整して試合に向けてやっていけたらなと
いうふうに思っています。
Q::SPとFSで、どんな4回転を飛びたいと思っているのか?
【羽生】
現地で調整してそれから決めようと思っています。
構成の選択肢って言うのはたくさんあると思いますし、
周りの状況とかも色々考えながら見なきゃいけないというふうに
思っているので、しっかりと作戦立てながらやっていきたいと思います。
Q:コンディションは何パーセント?
【羽生】
・・・えっとぉ~、・・・そうですね。
まだ滑ってないのでわかんないです。
ただ、あのう、団体戦も観ていましたけれども、
どの選手よりも一番勝ちたいという気持ちが強くあると思いますし
どの選手よりもピークまで持って行ける伸びしろが沢山ある
選手の一人だと思っているので、しっかりと頂点というものを追いながら
頑張っていきたいと思います。
羽生選手のインタビュー動画が流れた後、スタジオでは、司会の福澤朗が
「コンディションは何パーセント?と訊かれた時に言葉を選ぶシーンがあった」と言及してたけれど、私もそこが気になりました。
何より、これはどうなの?と思ったのは、この時まで、五輪代表選手に
選ばれたことにも何もコメントせず、3か月の間も「雲隠れ」し、そんな中で
他の代表選手たちが、自国選手、他国選手に関わらず五輪団体戦で
懸命に頑張っていたというのに、その選手たちを自分との比較対象として
取り上げて自分アピールをすることに、とても嫌悪感を持ちました。次は、2月13日午前中の記者会見です。👇
https://www.youtube.com/watch?v=pWgwfPVj4SY【NHK】【ノーカット】羽生結弦 記者会見<ピョンチャン>
2018年2月13日午前10時半
【羽生】
えっと・・・、コメントと振られても、どうしたらいいか分かんないですけども。
えっと、取り敢えず怪我をしてから3か月間、本当に試合を見るだけだったし
スケートも滑れない日々がすごい長くて、すごいきつい月を過ごしましたけど
こうやって無事にオリンピックの会場で、そしてメインのスケートリンクで
滑ることが出来てホントに嬉しく思います。
まだまだ試合が始まったわけでもないですし、全然気を緩めるつもりは
ないですけども、しっかりと集中しながらできることを、一つづつやって
いきたいと思います。
(通訳の後)
すみません、もういっこだけいい・・?
ホントに自分がけがをして苦しい時期もですけれども本当に年が明けてからも
本当にいろんな方々から応援メッセージを頂きました。
そして本当に感謝の気持ちで今一杯でいます。
まだ試合が終わってないので、もう、ちょっと変かもしれないですけれども、
本当にたくさんのメッセージありがとうございました。
そしてそのメッセージの力も、自分のスケート、演技にも繋げたいなというふうに
思っています。
Q:2連覇のプレッシャーは?平昌にかける思いは?
【羽生】
えっとぉ・・、こうやって、なんだろ、こんなに沢山の方々に囲まれて
取材を受けるという事も出来る選手ってホントに限られてると思いますし、
この数だけじゃなくて、ここにいる人々から、さらに多くの人々へ、
メディアを通してみてる方々だったり、まぁ今日も観客席にいる方も
いらっしゃいましたけれども、そういった凄いたくさんの人々に自分の
スケートを見てもらえるんだなという気持ちでいっぱいです。
それがプレッシャーという言葉にもなるのかもしれないですけれども、
僕にとってはやっぱり、久しぶりに試合で滑ることが出来るので
寧ろその力を精一杯受け止めたいなと。
そして僕のことを本当に待ち望んでくれた方々がここからさらに広がって
いっぱいいると思うので、そういう方々にも、観てて本当に良かったなと、
待っててよかったなというような演技を出来るように頑張りたいと思います。
>後藤さん (会場のどこかから)
【羽生】
後藤さん‥(笑)(通訳の方を見ながら))
Q:朝日新聞の後藤です。
お疲れ様です。お待ちしてました。
3回転ジャンプや4回転ジャンプを跳び始めたのは、いつごろで、
どんな状況でしたか?
そういう時に何にフォーカスしてきたのか。
手の位置とか足の角度とか、例えば。教えてください。
【羽生】
ちょっと待って下さいね。(笑)
(ポケットからスマホを取り出し、下を向きスマホを見る)
えっと・・、えっと、注意したことを先に、すいません。
えっと・・、注意・・、ジャンプ跳べるまで、というかリンクに乗れるまでですけど
先ず、それまでが凄く長かったので、その間、陸上でジャンプのフォームだとか
イメージだとか、そういうものを非常に確固たるものに固めようということを
非常にやっていたので、氷上に乗り始めて最終的にジャンプが飛べるように
なったときはもう取り敢えずそのイメージを氷上に移してやるというような形でした。
で~・・、えっと、跳び・・始めたのが・・、1,2・・、3回転・・・
3回転がが3週間・・、1,2・・,3・・。
トリプルアクセルが3週間前です。
4回転がぁ、そうすると2週間・・・・、2週間、ん~~2週間から2週間半前だと
記憶しています。はい。
Q:ブライアン・オーサーコーチが早めに韓国入りしていらっしゃいましたけども
その間トロントではどのようなコーチとどのような練習をされていたか教えてください。
【羽生】
えっと、クラブにはたくさんの先生がいるので、まずトレーシーコーチと
スケーティングの練習もしっかりやりましたし、あと、ジスランコーチが
ずっと一緒にいてくれたので、ジスランコーチとともにジャンプのフォームで
あったり、え~~、なんていうかな、フォームであったり感覚であったり、
そういったものを重点的に練習していました。
Q:他の選手に聴くと、例えば自分が苦労して精神的に強くなったという
選手が多いが羽生選手は?
【羽生】
えっと、特に怪我をしたからっていう気持ちはないです。
特にないですけれども、それからスケートが滑れなかった期間が
2か月くらいあって、そのなかで多分スケートをしてたら、学ぶ機会が
なかったものがたくさんあったと思いますし、スケートが出来なかった
からこそ陸上で出来たことだったり、ホントに、なんだろ、考えることが
できたこともたくさん有るので、そういった意味では全然2か月間は
無駄だったとは思っていないし、寧ろ、またたくさんのことを学べたなと
思っています。
(プーに関する質問:略)
(松岡修造)
Q:羽生さん、戻ってきてくれてありがとうございます。
正直、僕も同じケガをしたので、申し訳ないですけど
僕は無理だと思ってたんです。
でも自分と向き合ったとき、無理じゃないかって絶対に疑った時期って
あったと思います。
そこ、どうやって乗り越えました?
【羽生】
ん~~~、ふふふ、なんですかね・・。
特に戻って来れるか戻って来れないか考えてなかったです。
確かに最初に怪我をしてしまって、え~~・・、ホントはNHK杯の時に
痛み止めを打ってでも出ようと思っていたんですけれども、
まだ足首が動かなくなってしまったので、痛みどころじゃなくて。
それから、こうやって2か月経って、滑るにあたっても、やはり
なかなか難しいものがあったりもして、これは治るんだろうかと考えた
時期もたくさんあったんですけども。
でも、まぁ、実際こうやって滑れてますし。
うん、それが全てだと思います。
あの、過去に考えていたことはたくさんあるし、勿論ネガティブな
ことばっかだったかもしれないんですけど。
でも今、こうやって、こんなにたくさんの方々の前でこうやって喋ってますし。
しかも、そのぉ、悪いニュースじゃなくて、いいニュースとして、ここで皆さんの
前で喋っているので。
もうとにかく今、出来ること、この平昌の、自分がホントに夢に描いていた舞台で、
夢に描いた演技をしたいと思っています。
(松岡修造)
前向きで応援します。
【羽生】
有難うございます。
Q:フジテレビの内田です。
五輪のメインリンクで滑ってみて、思いの変化はあったか?
個人戦までに時間はあるが、どのような調整を?
【羽生】
えっと、まず、メインリンクもそうですけど、まず韓国の地でこうやって
滑ってみて、四大陸の時もそうでしたがが非常に感覚がいいなと思いました。
勿論まだ調整段階なので、まだまだやっていないジャンプだとか、まだ
やっていないエレメントだとかそういうものはたくさんあるんですけれども
徐々に徐々に、まぁ自分の中でも計画があるので、それに沿って、また
臨機応変に自分のピークを作っていきたいなというふうに思っています。
まだ試合までに数えられるほどの時間はあるので、その時間を有効的に
活用して、個人戦にピークがあるようにしっかりやって行きたいなと思っています。
(海外の記者より質問に対し)
【羽生】
(中略)
ルッツに関しては・・・ん・・、あんまり言うことはないかなと思ってます。
まぁ、ホントに作戦が凄い大事だと思ってるので、ホントとにたくさんの
選択肢があるし、もちろん自分の中ではクリーンに
滑れば絶対に勝てるという自信はあるし、
そういうふうにホントに思っているので、
そのクリーンに滑るプログラムを何にしていくかって言うのは、これから徐々に徐々に
調子を上げていく中で決めたいと思っています。
Q:氷の上に乗ったのが1か月前だとすると短い間だったと思うが、
その間、一番何に集中してやってきたのか、どんなことが一番苦しかったのか?
【羽生】
ん~~、体力に関しては非常に不安でした。
あと、まぁ、やはり氷上に乗っていなかったので、自分の回転の感覚で
あったりとか、フィギュアスケート、陸上で出来るものでもないですし、
そこの感触、氷の感触であったり、スケートの感覚であったり、そういうものは
不安ではありました。
ただ、でも、ま、滑ってみて、1か月こうやって経って、まぁここにいるので、
オリンピック出れるって思えるぐらいの練習はしてこれてるので、問題はないです。
あと辛かったことと言われても特にないんですよね。
あのう、ただひたすらやるべきことをこなしてきましたし、もうこれ以上ないことを
してきたので、何も不安要素はないです。
ただひたすら、今この場所で、やれることをやりたいと思っています。
そして、羽生選手は金メダル2連覇。
その後、行われた記者会見やインタビューの中から、いくつか
書き起こししました。👇
※共同通信版:英語応答含むノーカット版★【NHK】一夜明け、すべてを語る 羽生結弦・会見たっぷり<ピョンチャン>👇
https://www.youtube.com/watch?v=iq3tm7btU4c&feature=player_embedded※NHKの動画は、実際の記者会見を前後ごちゃ混ぜにした上で
繋いでいるので、書き起こしは結局「共同通信ノーカット版」で
行いました。
■2018年2月18日 羽生結弦 金メダル・現地記者会見より
後半の日本語による質疑応答
(冒頭)
Q:一夜明けた、お気持ちは?
【羽生】
昨晩も有難うございました。
先ず、ソチ五輪の時とは違って、非常に非常に沢山の思いを込めて
この金メダルを獲りに行きました。
そして最終的に自分が思い描いていた結果になり、自分が思い描いていた
メダルをかけていることが本当に幸せです。
~~~~~~~~~
(後半の日本語質問)
Q:競技以外でトライしてみたいことは?
【羽生】
取り敢えず、まだスケートをやめる気はまだないです。
ただ、先程も言ったように、やっぱり夢は叶ったという気持ちは
実際にありますし、やるべきことはやれたなという実感もあります。
清々しい気分でもいます。
ただ言ってみれば、まだやりたいことはスケートの方では残ってると
思います。
スケート以外のことで何か喋れるとしたら、ん~、そうですね・・・・・、
一応、今、考えましたけど一周回って来てやっぱりスケートの事だったので。
ホントに今まで人生スケートにかけてきてホントに良かったなと思いますし、
これからも、もうちょっとだけ、ふふ、自分の人生をスケートにかけたいなって
思ってます。
Q:フィギュアスケートでもう少しやってみたいことは、4回転アクセルを
含めどんなことがあるのか?
【羽生】
4回転アクセルやりたいなと思っています。
それは前人未到だからとか、ま、多分、小さい頃の自分だったら
前人未踏だから多分言うと思います。
ただ、今の僕の気持ちとしては、自分にとって、やっぱり最後の最後に
支えてくれたのはトリプルアクセルだったし、やっぱりアクセルジャンプと
いうものにかけてきた思い、時間、練習、まぁ質も量も全てが、どのジャンプ
よりも多いし、何よりも僕の恩師である都築先生が言っていた言葉が
「アクセルは王様のジャンプだ。」
と言ってたんで、そのアクセルジャンプを自分は得意として、そして
大好きでいられることに感謝しながら、4回転アクセルをちょっと目指したいなと
思ってはいます。
(※「キャリアを終えてからの自分のやりたいことは?」の質問は省略)
Q:ソチからの4年間、青写真を描いて、その通りにいってたのか?
【羽生】
19歳の時に獲ったあれからすぐに世界選手権があって、
(中略)
その一番最初の試合から注目(?)があって、手術もあって
捻挫をし、ホントにケガと・・病気と・・、まぁそういったものに
ずっと苦しみながらこの4年間を過ごしたわけですけど、
それは思い描いてなかったですね。
それは、はっきり言って思い描けなかったですし。
ふふふ。
でも、でもですけど、正直に言えるのは、こうやって、もし何もなくて
この、NHK杯でケガをするまで、ホントに順風満帆で何もなくて上手く
行ってたとしたら、多分オリンピックでは金メダル取れてないです。
やっぱり、そういういろんな経験があったからこそ、色んな勉強が出来たし
色んなことを学べたし、それを生かせたのが今回の怪我からの
復帰だと思っています。
Q:4回転アクセルは右足首にかかる負担は怖くないのか?
あと、どれくらいで習得できると現時点で想定しているか?
【羽生】
えっと~、右足の負担は正直言って大きなものになるとは思ってます。
実際にここまで来るのにあたって、4回転ループが先ず跳べたのが
移動する前日。
そして4回転ルッツに関しては全くやらず。
もうトリプルジャンプ、トリプルルッツが跳べるのもホントにぎりぎりだったんで。
まぁ痛みとの戦いの中、なんとか、なんとか、跳べるようになった、という
ジャンプだったので。
まぁ、これからそのジャンプ達を、どうしていくかはわからないですけど
まぁ、4回転アクセルに関しては、右の足首の状況を見ながら習得を
目指していきたいなというふうに思っています。
まぁ、正直言ってしまうと、やっぱり今、若干満足しちゃってるんで。
自分に。
きっと多分、今幸せだから、又すぐ不幸がたくさん起きて、きっと、すぐまた
辛い時期が来るんだろうなと思っています。
ただ、それはきっと次の幸せのためのステップだと思うんで、
ケアも治療もリハビリも、凄く凄く辛い時だっていうのはわかりますけど
そういうものに専念出来る時間が取れたらなというふうにも思っています。
Q:次に進むモチベーションというのはすぐに出てくるものなのか?
ソチ後は全く休まず次のシーズンから連覇への挑戦を続けてきたが、
この後は「休む」という選択をせずに続けるのか?
【羽生】
足首次第です。
もうホントに痛み止め飲んで、注射が打てればホントは
良かったんですけども、注射が打てないような部位だったんで、
痛み止めでなんとか飲んで飲んでっていうような感じだったので、
はっきり言って状態がちょっとよく分からないです。
ただ、あの、ま、はっきりと言えることは、痛み止めを
飲まない状態では、到底ジャンプが降りれる状態でも
ないし、跳べる状態でもないっていうのがわかって。
なので、治療の期間が欲しい、というふうには思います。
ただそれが、どのくらい長引くのか。
あとはアイスショーの関連とかもありますし。
やっぱり折角、金メダルを獲ってきたからこそ、いろんな方々にすぐに
伝えたい、すぐにみんなに笑顔になって貰えるような演技がしたいと
いうふうにも思ってはいるので、ま、そこは前向きに検討していますが、
競技としてということを考えると、ちょっと、やっぱり治療の期間が
必要だなと思っています。
またモチベーションに関してはスケートをやめたいという事は全くないです。
何よりモチベーションは全て4回転アクセルだけなんで。
うふふ。
もう獲るものは獲ったし、やるべきこともやったと思ってます。
あとは小っちゃかった自分の頃に描いていた目標を、夢じゃなくて
目標を、叶えてあげる、それだけかなって思っています。
Q:今の質問と被るが、ケガをしてから足の状態は、どんな状態で、
どこまで回復したのか?
3ヶ月間、どんな心理状態だったのか?
【羽生】
えっと~、ケガの状態については、はっきり言って詳細が
よく分からない状態です。
え~、ま、検査もちゃんとしたんですけれども、元々していて
靭帯がなくなってしまっ、靭帯がなくなっ、靭帯が損傷して
しまっていた部位、また、その時にやってしまった方向が余りにも
複雑すぎて、簡単には解らなかった、という点もあり、色々な痛みが
出てきてしまって、え~、正直言って、どれがどこまで痛んでるか、
そして何の治療が一番最適なのか、ちょっとわからない状態です。
え~、ま、これくらいにしようかな。
えっと~、えっと~
3か月間のメンタルに関しては・・・。
なんて言って欲しいですか?(笑)
う~~。
ん~~と、特に自分のこころから、自分のこころ、自分の頭が先導で
ネガティブな方向に引っ張られることはなかったですけども、環境、
状況、状態、条件、そういった外的要因から、凄くネガティブな方向に
引っ張られました。
やっぱりそれだけスケートにいろんなものを賭けたし、いろんなものを
捨てたし、スケートだけでいいやってホントに思ってるんで。
だから、「これでスケートやめなきゃいけなくなったらどうしよう」、
ってまでも思ってましたし、実際に今もどうなるか、ちょっと
判らない状態なんで。
ん~、あのぅ、ちょっと複雑な状況でした。
ただ、まぁ、こういう質問で終わるのも何なんで。
やっぱ、ねぇ、明るい話なんで、僕の場合は。
やっぱ、こうやってスケート滑れてホント幸せです。
オリンピックのマークがあって、こんなにたくさんの方々に応援して
もらえて。
ホントのホントの気持ちは嫌われたくないって凄い思うし。
色んな方に観られれば観られるほど色んなことを喋れば喋るほど
嫌われるし。(笑)
色んなこと書かれるし。
なんか嘘みたいな記事がこれからもっともっと出て来るんだろうなと
思います。
ただ、僕が喋ったこと、僕が作ってきた歴史、それは何一つ変わらないし
自分の中で、今回は誇りをもって、本当に誇りをもって、五輪の金メダリストに
なれたと思ってるので。
これからの人生、オリンピックの金メダリストとして、しっかり全うしたいと
思います。
ありがとうございました。
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/18/0010996318.shtml(2018年2月18日 デイリースポーツ記事より抜粋)
(2月18日 テレビ朝日系「サンデーLIVE!!」でのインタビュー記事)
スイッチが入ったタイミングについては、
「平昌入りしている時にはスイッチを入れておかないと、すでに時遅しですね」
とほほえみ。
「自分の中でスイッチを入れたのは痛み止めを飲んでいいと言われはじめた
ころです。
痛み止めを飲んで滑ってしまうと悪化する可能性が高いので、強い痛み止め
しかきかなかったですけど、痛み止めを飲んでしっかり練習しはじめてから
スイッチが入っていました」
と振り返った。
■2月18日 NHK総合「NHKニュース おはよう日本」
Q:メダルセレモニーの後のインタビューの中で
「この3ヶ月、スケートをやめなくてはいけないのか、というくらい考えた」
という言葉があったが、状況的に、精神的に、それぐらい追い込まれていたと
いうことなんでしょうか?
【羽生】
「精神的に」よりも、やっぱり足の具合が凄くよくなかったというのが一番
強いですね。
今でもあんまりよろしくないんですけれども、やっぱりスケートには右足が
少なからず全てのジャンプで「降り足」なので、どうしても回避することが
出来ない、ホントに必要不可欠なものなので、その意味ではちょっと難しかったな
というふうに思います。
Q:フリーでは4回転ジャンプの種類と本数の選択を当日の朝に
決められましたよね。
「限界に挑戦する」という事と「勝負に徹する」という、その間での
葛藤があったのではないでしょうか。
【羽生】
そうですね、僕自身、限界に挑戦することをすごくポリシーとして
やってきましたし、ただ、ま、今回の舞台で今のコンディションで、
この演技が、まぁ、僕の限界だったのかなっていうふうに思ってますし、
やっぱり「跳ぶ」と「跳べる」、「やる」と「成功する」というのは全然
違うもので、そこには挑戦したからそれが限界というものではないと思うし、
やっぱり、きれいに跳べてなんぼだと思うので、やっぱり自分の中での
「跳べる」、自分の中で「成功できる」というものに関して、凄くポリシーを
持って選択しました。
■2月18日 中居正広インタビュー
【中居】
羽生選手のドラマ、生のドキュメントを見ているようでした。
【羽生】
あのぅ、誰かが書かれていたんですけど、これ、漫画だったら
却下されるるよなっていうぐらいに・・。
【中居】
漫画でもドラマでも、こんなにきれいにシナリオ書かないんですよね。
【羽生】
ですよね。
だからシナリオがいるんじゃないかという話までされるんですけど、
全然、関係ない。
【中居】
というのも、やっぱり3ヶ月の間、メディア、報道、
コメントもなかったので、それがこのようなドラマを
生んだんじゃないかなと。
その3か月間は、どのように過ごしたんでしょうか?
【羽生】
元々、何もコメント出せるような状況でもなかったですし、
何も出来てなかったので。
とにかく治療とリハビリ、そして何よりもスケートが出来ない
期間というのが凄く長くなるというのが感じていたので。
(中略:今までもあったので、その経験を生かした等)
【中居】
練習の出来ない歯がゆさとか、ちょっともうやりたくないとかいう
やめようかなと瞬間はあったのかな?
【羽生】
やめようかなっていうメンタルにはならなかったんですけど
やめざるを得ないのかなっていう状況にはおかれていました。
やっぱり、その、自分自身の治療もたくさんして頂いてましたし
ケアも最前線のものをやっていたと思うんですけども、
一向に良くなる気配がないっていうのが、やっぱ一番辛くて
スケート滑ってみる段階にもいけなくて
陸上でも走れもしなかったので、その段階が一番精神的に
追い込まれたなとは思います。
ただ自分からむりだなという感じはなかったですね。
【鈴木明子】
スケジュールが、どれくらい順調に進んでたのか、或いはいかなかったのか。
【羽生】
えっとぉ~~~~~、正直言えばスケジュール通りいってないです。
やっぱり一番最初に目指していたのは、まず国内の全日本選手権が
12月にあったので、それに復帰したいというのが一番だったんですけど、
まだそこまでスケートが出来なかった。
で、その段階で、まずもう計画が破たんし、じゃあ、もう、これは、もう、
まぁ、できれば団体戦かなっていうふうに思ってて、お声がけも
いただいていたので、考えてもいたんですけど、そこまでもできないなと。
【中居】
その決断はいつ?
【羽生】
結構早かったです。
もう12月の中ではもう決まってました。
【鈴木】
そこから「行ける」っていうところにまでなるって・・。
【羽生】
「行ける」っては、ならなかったですね。
ただ、その、「痛み止め」を飲み始めて、もう自分の中で、
ある意味もう、「治らない」って、もう、なんだろ・・。
ケアして頂いてる先生にホントに申し訳ないんですけどぉ、
もうこれ以上治んないっていうのを、ある意味スパッと
決めた瞬間からは、もうちゃんと練習に集中できたと。
【中居】
覚悟を決めたわけですね。
【羽生】
そうですね。
【中居】
やっぱり2連覇、かっこいいなぁ。
ご自身では「カッコいいな」って思ってるのかな?
【羽生】
あはは!いや「カッコいいな」と思うというか、
「これ以上ないでしょ!」って思ってます。
なんだろ、だって色んな逆境があって、また66年ぶりとか、その
66年前にやって連覇をした方も凄く応援していただいてましたし、
なによりも、こうやって、なんかスポーツってこうやって見るものじゃないと
思うんですよ、フィギュアスケートって。
ホントに特別だし。
その中でも特別な扱いをさせて頂いてると思うんで、やっぱ、
これ以上ない勝ち方をして、これ以上ないものをいただいたので。
【中居】
「王者」とか「怪物じゃないか」っていう、こういうフレーズはいかがですか?
【羽生】
ん~~、いや、どうですかね。
さっきも言ったように、設定は盛り過ぎだなって思います。
自分でも、なんか自分の人生が不思議で、こんなに山あり谷ありを
ずっとやってきて、最終的に、なんかこの金メダルも
「1000個目」。
なんでこんなについてるんだろうなと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=YZMPoE5MtQg&t=208s■2月19日・テレビ朝日「報道ステーション」
松岡修造インタビューより抜粋
【松岡修造】
今回勝って、すごく満足という言葉が出た。
なんか、その満足の中に少し寂しさっていうか、もっと求めたいものが
あるんじゃないかと、そういう感じにも見えたんですが、そこはどうでしょう?
【羽生】
なんか、割とそんなこともなくて、割と達成感がすごい満ち溢れてます。
僕、多分試合をやって演技をして、こんなに達成感に満ち溢れてて、
なにも文句を言わないっていうのは初めてだと思います。
なんか演技をするたびに、これがダメだったんでこうしたいです、強くなりたいですって
言うんですけど、今回は特にないですね。
【松岡】
だって、あの世界最高得点出した時よりもってことですか?
【羽生】
そうですね、もうホントに満足しています。
【松岡】
(ジャンプ着氷時によろけた場面を真似しながら)
でも、、あの、こう立つ時、がぁぁぁぁ~~っと危ないっ!って、
こう、こんなになった時って、あれはどうなんですか?
後悔じゃないんですか?
【羽生】
後悔じゃないです。
これが今の実力のマックスだと思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【スタジオ・富川アナ】
:今、中間点と仰っていましたが、今後目指すところはどこなんでしょう?
【羽生】
そうですね、もうホントに、これでやっと自分の人生に
誇りを持てる肩書が出来たなぁと、今思ってるので、
この肩書をどう使うかはこれからの人生次第ですし、
僕次第なので上手く使っていきたいなぁ~って思っています
【松岡】
選手としてだけではないんですね?
【羽生】
そうですね人間として。
やっぱり人間として素晴らしくないとやっぱりそこについてくる結果というものも
悪いものになってきてしまうと思うので、やっぱり誇りをもってこの金メダルに
恥じないいい人生を送れたらなと思います。
【松岡】
このオリンピックで羽生弓弦は何を一番つかんだ?
【羽生】
幸せを掴みました!
これは胸を張って言えます。
皆さんも幸せをくれたし、皆さんが幸せになったら嬉しいなというふうに思います。
【松岡】
この「幸せ」ってなかなか言えるものじゃないんです。
はっきり言って僕、50歳だけど、「幸せ」ってどういう感覚なんですかね?
【羽生】
やっぱり、いろんな「幸せ」を捨ててきたからこそ、自分がこの幸せの
結晶っていうものを求めてきたからこそ、今幸せって言えると思います。
■2月19日・日本テレビ「NEWS ZERO」
櫻井翔インタビューより
【羽生】
心配だったのは、もうホントに怪我の事だけで、
まぁ、勿論、怪我に対してもですけども、やって来れることは
全部やってきたんですけれども。
まぁ、途中で完治って言うことを、治すっていうことを、諦めて
しまったので、ある意味では、この試合、最後まで持つのか、
持たないかっていう不安はありましたね。
Q:試合後に平昌の印象は変わりましたか?
【羽生選手】
あんまり。
最初から、もう金メダルって思ってたんで。(笑)
特に何も変わらず。
ただ首にかかったってだけで。(笑)
何か色々と引っかかるものがあります。
ここで、怪我をした時からの経緯を再確認。👇
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/figureskate/news/201802070000206.html<羽生の右足首負傷 これまでの経緯>
▼17年11月9日
GP・NHK杯の公式練習の際に、4回転ルッツで転倒し、右足首を負傷。
同10日 右足関節外側靱帯損傷と診断され、NHK杯欠場。
同12日に日本連盟を通じ、10日間絶対安静、全治約3~4週間と
追加の診断結果を発表。
▼12月10日
「だいぶ良くなりましたが、まだ痛みがあるため、氷上練習は
出来ていません」
と談話を発表。
全治4週間の予定を過ぎても氷上練習を再開していないことが判明。
▼同14日
「当初の診断では3~4週間ほどで元に戻るということでしたが、
通常の捻挫よりも治りが長引く靱帯を損傷していることが分かりました。
また、腱と骨にも炎症があるため、治るスピードが早くはありません」
と、回復が遅れている理由を発表。
▼同18日
全日本欠場を発表。
「全日本に向け、治療とリハビリに取り組んでまいりましたが、
断念せざるを得なくなりました」
とコメント。
▼同25日
平昌五輪代表に決定。
▼18年1月11日
ビッグスポーツ賞に欠席も、
「平昌五輪に向けて強い気持ちを持って日々過ごしています。
これからも努力を重ね、自分を超え続けたいと思います」
とコメントを発表。
▼同16日
日本連盟の小林フィギュア強化部長が、1月初めから本格的な
氷上練習を再開したと明かす。
本人が中居君の番組で「12月の中ではもう決まっていた」と
発言していた「団体戦回避」について。👇
【平昌五輪】羽生結弦、団体戦回避で個人戦に照準へ フィギュア男子
(産経ニュース 2018年2月3日)より
2月9日に開幕する平昌五輪で右足首負傷から復帰を目指す
フィギュアスケート男子の羽生結弦(ANA)が、開幕日から始まる
団体戦を回避し、男子66年ぶりの2連覇を狙う個人戦に照準を
合わせる方向となったことが2日、分かった。
16日にショートプログラム(SP)、17日にフリーが行われる
個人戦の五輪本番が、約3カ月半ぶりの実戦の舞台となる。
日本スケート連盟によると、羽生は1月上旬から練習拠点の
トロントで氷上練習を再開し、氷に乗り始めた昨年12月下旬から前進。
その後の回復も順調とみられ、五輪出場にめどが立った。
ただ、負傷箇所への負担などを考慮し、個人戦に集中するとみられる。
では改めて、昨年末から12月初めまでさかのぼって見てみます。👇
https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20171225/k00/00m/050/116000c【五輪代表に羽生、その訳は 男子個人3人目】
(毎日新聞 2017年12月25日)
男子(代表枠3)の3人目は世界ランキング1位で、今季の
国際連盟公認大会でも宇野に次ぐ高得点を出している羽生が
選ばれた。
世界選手権3位以内の実績がある選手に限り全日本を欠場しても
選考対象とする項目があり、羽生にはインフルエンザで全日本を
欠場しながら世界選手権代表となった昨季に続いて、この項目が
適用された。
日本連盟の小林芳子フィギュア強化部長は24日の代表発表後、
羽生の関係者と15日に会い「氷に乗った」と説明を受けたと明かした。
そして
「五輪に間に合うということ。
日本のエースとして若い選手を引っ張ってほしい。
必ず(五輪に)行ってほしいという思いで選んだ」
と話した。
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/869818/【フィギュア世界王者・羽生「氷上練習」再開も・・・】
(東スポWeb 2017年12月25日)
平昌五輪で66年ぶりの連覇を狙う世界王者の羽生が、
氷上練習を再開させた。
右足首の負傷で全日本を欠場したものの、世界ランキングや
今季シーズンベストなどの実績から順当に代表入りした。
気になる回復具合について、日本スケート連盟の小林強化部長は
16日に羽生サイドとミーティングを持ったことを明か
し「間に合うということで確信を取り、選考しました」
と話した。
すでに氷上練習を始めているという。
男女シングルでは羽生以外は全員五輪初出場だけに
「日本のエースとして若い選手を引っ張っていってほしい」(小林強化部長)
との期待も込められた。
ただ、来年1月の四大陸選手権には出ないため、五輪は
ぶっつけ本番となる不安はぬぐえない。
今後についての診断書の提出はなく、
全治などが不明な点も気がかり。
ジャンプの練習を行っているとの報告もまだ受けていない。
小林強化部長は
「決して確認せずに、ということではありません。
必ず確認するようなプランを考えている」
と経過を見極める姿勢を示したが、果たしてどうなるか。
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/858418/(東スポ記事 2017年12月14日)
■12月13日小林芳子強化部長のコメント
当初の診断では3~4週間ほどで元に戻るということでしたが、
通常の捻挫よりも直りが長びく靭帯も損傷していることがわかりました。
また腱と骨にも延焼があるため、治るスピードが速くはありません。
まだ氷上に乗ることは出来ていませんが、今後、氷上に立ち左足を
中心に、ストロークやクロスなど単純に滑る事だけから始め、少しづつ
負荷を上げ、右足でのターンなどを出来るようにしていきたいと
思っています。
いつから練習を再開できるかは、まだ決まっていません。
https://news.nifty.com/article/sports/athletic/12156-37538/【羽生結弦「NHK杯の怪我」は防げたという意見】
(nifty news 2017年12月02日)
■コーチは注意をしていたが…
「羽生が転倒したのはNHK杯の練習中でした。
このときコーチのブライアン・オーサー氏は、『練習で4回転ルッツを飛ぶな』
と羽生に厳命していたのです。
『本番と練習は氷の状況が違うからやめておけ』と言っていました」
(同・関係者)
オーサー氏が注意したのは、一度や二度ではないそうだ。
羽生が聞き入れなかったのが怪我の原因とも言えるが、選手と
コーチが意見衝突するのは珍しいことではない。
お互いに話し合い、“妥協点”を見つけていくのだが、羽生の場合は
ちょっと違う。
“取り巻き”がいて、彼らは羽生の意見が絶対であり、意義を唱えては
ならないとする空気も醸し出しているそうだ。
もっとも、こうした雰囲気は羽生が好んで作ったわけではない。
取り巻きが羽生のカリスマ性を勘違いしているのだという。
「誰も反論できないから自分を過信し、オーサー氏の意見を
聞き入れなかったのでしょう。
オーサー氏も本当に危ないと思っていたのなら、体を張ってでも
止めるべきでした」
(同・関係者)
JSF内部でも「防げる怪我だった」という声が出ている。
「コーチが悪い、取り巻きもよくない」
は、ともに正論だが、怪我をしてしまったいまは、羽生の回復に
期待するしかない。
これが今までの経緯です。
そして、平昌五輪の後には世界選手権があるわけですが・・。👇
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180217-00000127-spnannex-spo【羽生 3月の世界選手権は未定「右足のケガがそんなに良くはないと思っている」】
(スポニチアネックス 2018年2月17日)
フィギュアスケートの男子で66年ぶりに五輪連覇を達成した
羽生結弦は試合後の会見で、代表に選ばれている世界選手権
(3月21日開幕、イタリア・ミラノ)について、
「まだ分からない。右足のケガがそんなに良くはないと思っている。
今回かなり無理させてしまった」
と話した。
羽生は14年はソチ五輪を制した後、日本開催だった世界選手権でも
金メダルを獲得。
今は「跳べないジャンプ、できないエレメンツがある」とし、
「(出場するかどうかは)もうちょっと考えたい」と話すにとどめた。
でも、エキシビジョンの練習では右足も普通に、いや普通以上に
例えば、スピードスケートのマネして壁に激突させたりとか、随分
はしゃいで右足を使っていたと思うんですけどね。
あれは大丈夫だったんでしょうか。
本当に「えぇっ??」と思うことばかりが続いてる感じがします。
ところで、羽生選手が所属するANAの監督である城田憲子氏が、
此の度、本を出版したそうで。👇
http://www.sankei.com/premium/news/180210/prm1802100006-n1.html■城田憲子(しろた・のりこ、旧姓・湯沢)
1946年7月4日、東京都生まれ。
66年の全日本選手権アイスダンスで優勝するなど元フィギュアスケート選手。
引退後は審判の道に進んだ。
94年に日本スケート連盟の強化部長に就任、
長野、ソルトレーク、トリノ五輪では代表監督を務め、大きな影響力を誇った。
2006年に連盟の不正会計問題の責任を取って
要職を退いたが、09年に活動再開。
羽生結弦選手が所属するANA監督に就任してサポートしている。
★amazon:日本フィギュアスケート 金メダルへの挑戦「日本フィギュアスケート 金メダルへの挑戦 」(2018/1/18)
城田 憲子 (著)
■内容紹介
伊藤みどりの時代から、荒川静香、羽生結弦へ――
日本はいかにしてフィギュア大国になったのか。
かつて極東の小国と見なされていた日本は、いかにして欧米の
厚い壁を打ち砕き、フィギュア大国へと躍進したのか。
世界に通じる才能の発掘と強化のシステムを築き上げ、
荒川と羽生を五輪金メダルに導いた元・日本スケート連盟
フィギュア強化部長が初めて語る、進化と勝利の舞台裏。
★目次より
■第四章 荒川静香・金メダルへの道
綱渡りのコーチ変更
強すぎた浅田真央旋風
敗北と焦りのなかで
オリンピック代表選考
いざ、トリノへ!
■第六章 羽生結弦・ソチから平昌に挑んで
東日本大震災のさなかで
羽生結弦との出会い
羽生に預けた「三つの選択肢」
世界に「人」を羽ばたかせる「クリケット」
日本初・オリンピック連覇を目指して
「バラード第一番」と「SEIMEI」
ニース・伝説の演技が生まれるまで
「クリケット」は羽生選手が練習の拠点にしている、カナダトロントにある
クラブですね。
チーム・オーサーの拠点。
そして、平昌五輪シーズンのプログラム曲も「バラード第一番」と「SEIMEI」。
https://matome.naver.jp/odai/2138790745884264301【2017-18::平昌五輪シーズン】
■ショートプログラム
ショパン「バラード第1番ト短調」
2014-15、2015-16と2シーズンに渡って使用した曲
■フリープログラム
映画「陰陽師」より「SEIMEI」
2015-16シーズンで使用した曲
羽生選手は、今季のプログラム、SPは3年、FSも2年使用してるんですよね。
同じプログラムを繰り返し使うのと、新しいプログラムに挑戦するのとでは、
またずいぶん大変さが違うと思うんですけどね・・。
最後に、デニス・テン選手への「故意の練習妨害」発言については
下記ブログ記事と動画をご覧ください。👇
★浅田真央選手の五輪での「正夢」にこれからも全力応援!
同時に思った羽生選手に知って欲しいこととデニス・テン選手のこと、
カザフスタンのこと。2016/04/14http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-992.html私は、怪我に関する羽生選手の発言を聴いていて思うんです。
何故、東京に「国立スポーツ科学センター」(JISS)があるのに
そこに行かないのかと。
冬のスキー選手なども、日本代表、強化選手なら、利用できるんです。
そして、いわば選手たちの「怪我、故障などで、困った時のかけ込み寺」
ともいえる、手厚い総合的なサポートをしてくれる場所の筈なんです。👇
★内田選手、長谷部選手が共にリハビリを行った
「国立スポーツ科学センター」について知ってほしいこと。
2014/06/07http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-389.html昨年には、宮原知子選手や、スピードスケートの高木那奈選手も
リハビリしていた場所です。
このJISSと同じ敷地にある「味の素ナショナルトレーニングセンター」では、
羽生選手もまた、食が細いため、スタミナがつく食事のサポートをしてもらった
筈なんです。
この事は上のURLを貼った記事でも少しだけ書いています。
羽生選手の記者会見やインタビューを聴いて、「腑に落ちない」と
何度も思うのは何故なのか・・。
帰国後の記者会見も後日取り上げてみたいと思います。
【関連記事】★羽生選手のインタビューや記者会見を聴いて
「腑に落ちない」と 感じるのは何故なのか。(その2)
何故、フリー演技終了直後に「あの時点で勝利を確信していた」
と思えるのか。帰国後の記者会見で語った不可解な発言に疑問。
2018/03/14http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-1566.html★内村選手の怪我と、羽生選手の怪我と・・。
2018/04/21http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-1572.html★羽生選手に関するブログ記事に対して受けた「誹謗中傷コメント」について。
2018/05/21http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-1584.html
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