福島原発事故後、ガイガーカウンターが鳴り響く中で当時、落選中だった自民党「奪還の会」のメンバーは捜索・救援活動を行っていた・・。
- 2017/10/20
- 07:40
あの間に東日本大震災と福島原発事故が起きてしまいました。
懸命に動いてくれていたのは、野党だった谷垣自民党でした。
★震災後80日間の自民党の動き
https://www.jimin.jp/reconstruction/after/list.html
★震災対応 自民党が提案する法律
※震災関係の内閣提出法案は殆どが自民党の提言に沿ったもの
https://www.jimin.jp/news/policy/130206.html
★自民党の協力のカタチ
(自民党HP:2011年11月2日)
https://www.jimin.jp/activity/colum/114308.html
震災直後から官邸をサポート。
577項目を提案。
自民党がリードして33本の法律が成立。
独自の議員立法も12本作成。
震災関連法案はスピード審議、平均審議日数は9.8日。
でも、自民党が頑張っていたことなど全く報道しないどころか、
まるで自民が足を引っ張っているかのごとくに印象操作を
しながら、いつまでも当時の民主党政権を庇い続け、
庇いきれない状況になった時には「自民も民主もどっちもどっち」
などと言い続けたのがマスコミです。
★東日本大震災後、マスコミが「民主も自民もどっちもどっち」という言葉で
国民に、特に被災者に「誤った認識」を植え付けたことが
絶対に許せない!2016/07/08
http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-1093.html
★ブログ記事:カテゴリ「民主党(民進党)の政治の不作為」
http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-category-48.html
2009年の政権交代扇動選挙。
この時、落選し、国会議員ではなくなっていた自民党の議員さんたち。
彼らもまた東日本大震災、そして福島原発事故後に懸命に
動いてくれていました。
彼らが福島でされていたこと。
是非知って欲しいと思います。
5月末に、松本文明議員のツイッターで「奪還の会」という会が
自民党にあることを知りました。
★松本文明元内閣府副大臣
— 目が覚めて思うこといろいろ (@megasametaro) 2017年5月29日
>4月4日奪還の会総会に安倍総理がご多忙の中、駆けつけてくださいました。
自民党が下野した選挙で議席を失った仲間たちの会です。落選中の4年間、お互い励まし合い、仲間の選挙区に行き、街頭演説をしたり、東日本大震災の時は多くの仲間で被災地を助けに行きました。 https://t.co/5mSCsvk6O0
目が覚めて思うこといろいろ @megasametaro 18:15 - 2017年5月29日
★松本文明元内閣府副大臣
>4月4日奪還の会総会に安倍総理がご多忙の中、駆けつけてくださいました。
自民党が下野した選挙で議席を失った仲間たちの会です。
落選中の4年間、お互い励まし合い、仲間の選挙区に行き、
街頭演説をしたり、東日本大震災の時は多くの仲間で被災地を
助けに行きました。
https://twitter.com/Matsumoto_7ku/status/849801493448445953

この奪還の会のメンバーが、震災後、福島に救援物資を持って
福島まで行ったことも後で知りました。
詳細は、以下の動画でも詳しく話されています。👇
【CafeSta特別企画:2017.2.20 】
第一回「奪還の会~東日本大震災の記憶~」
司会:亀岡偉民衆議院議員
出演:松本文明衆議院議員、牧原秀樹衆議院議員
【CafeSta特別企画::2017/03/01】
第二回「奪還の会~東日本大震災の記憶~」
司会:亀岡偉民衆議院議員
出演:宮下一郎衆議院議員、木原誠二衆議院議員
【CafeSta特別企画:2017/03/06 】
第三回「奪還の会~東日本大震災の記憶~」
司会:亀岡偉民衆議院議員
出演:萩生田光一内閣官房副長官、土方桂東村山市議
亀岡よしたみ議員(福島1区)のHPからです。
http://jishin-syuki.blogspot.jp/2011/03/pr-7-00-10-00-500.html
■谷垣総裁、奪還の会、素晴らしいメンバーたち
(2011年3月29日火曜日)
わたしの誇れる素晴らしい仲間たちだ。
この奪還の会のメンバーが毎日捜索活動に参加してくれた。
黙々と誰にPRすることなく只、被災者を早く家族、親族のもとに
返してあげたい。と朝7:00出発帰りは夜10:00過ぎまで只ひたすら
頑張ってくれた。
来られないメンバーは物資でと出来る範囲で頑張ってくれた。
私は心から心から頭を下げたい。

捜索活動現場に自由民主党の谷垣総裁が激励に来て下さった。
私達が今できる事を全国から集まった自民党奪還の会のメンバーで
やっている姿に心から感謝をされた。
できる事ならここで自分も参加したいというような雰囲気だった。

http://jishin-syuki.blogspot.jp/2011/03/blog-post_29.html
■亀岡偉民手記
2011年3月29日火曜日
25日から奪還の会の仲間が来てくれた。
まず新地の避難所に行き、トラック2台分の救援物資を送り届けた。
新地の皆さん「新しい靴と靴下など、今一番欲しいものを集めてくれた」
と大変喜んで下さった。
さらに、相馬に入って、少し遅い時間になってしまったが新しい靴と靴下・下着を配った。
本当に心から「助かった」「ありがとう」の声が返ってきた。
このブログの中で、「当時の動き」が解りやすいように図で紹介されていました。👇


安倍さんからも電話があったことが判ります。
当時、安倍総理は、世耕さんと2人で、福島に支援物資を運びに行きました。
世耕さんのブログからです。👇
(以前は)世耕日記」というので詳しく書かれていましたが、
残念ながら、このブログはなくなっていました。)
https://sekohiroshige.jp/single/search.php?tag_key=42¤tpage=13
【安倍元総理と福島被災地へ救援物資輸送】
(2011年03月26日)
安倍晋三 元総理と 東日本巨大地震 で被災された福島県 南相馬市 、
相馬市 、 新地町 の各避難所を訪れ、被災者に東京から10トントラックに
載せて持参した救援物資を届けてまわり、南相馬市の津波被害に
見舞われた現場を視察した。
救援物資はトイレットペーパー等の紙製品、下着等の衣類、カップ麺等の
食料品、歯ブラシセット等の衛生関連用品など。

安倍さんと世耕さん。
再び亀岡よしたみ議員のブログの続きです。
27日
遺体捜索隊2日目、朝7:00出発で黙々とみんな頑張ってくれている。
南相馬市中川庄一市議大隊長指揮の元、全員が警察隊とともに
捜索に入った。
始め黙祷から心が入る。
寒い中、警察の防備とは違い誰が見ても素人集団、しかし本当に真剣に、
早く遺族のもとに帰したいという気持ちが全員から伝わってきた
そんな中に谷垣総裁が我々捜索隊のところにも来て下さった。
現場を見て、黙々と頑張るみんなをしっかり激励して下さった。
それどころか一人一人頭を下げて「ありがとう」と感謝の気持ちを
のべて下さった。
~今一番苦しい飯舘村へ~
放射能濃度が日本一高いという事実は村民を失望へと追い込んでいる。
菅野典雄村長はじめ多くの方々ががっかりして肩をおとしていた。
村の関係者全員が集まっているところへ、まず、私達奪還の会の
メンバーが入り、皆さんの声をきいた。
誰からも出る話に、本当に今飯舘村の追い詰められている状況がわかった。
「なぜここだけが一番放射能濃度が一番高いのか?」
「これからこの農業立村はどうなるのか?」
谷垣総裁がくる前に一通り聞いた。
そこに谷垣総裁が到着し、一人一人から丁寧に要望を聞き、丁寧に
応えてくれた。
奪還の会のメンバーが先に話し合いをしてくれていたから、
皆様落ち着いての要望活動会議になった。
続いて、宮下一郎議員(長野5区)のブログからです。
http://m-ichiro-blog.net/?p=5137
■奪還の会で福島県の被災地で支援活動(1日目)
(2011年3月25日)
昼過ぎに党本部に集合し、靴、靴下、下着、水などを中心とする
支援物資をトラックに積み込む作業を行い、我々はバスで福島に
向かいました。
本日の参加者は、亀岡偉民、松本文明、萩生田光一、木原誠二、
山際大志郎、牧原秀樹、秋元司、大西英男、私の9名です。

上記写真では、福島への救援物資を積んだトラックの前で
仲間を見送る人の中に昨夏の都知事選で小池百合子や
音喜多駿、マスコミに「都議会のドン」なるあだ名を使って
まるで極悪人のごとくに仕立て上げられバッシングを受け続けた
内田茂氏が萩生田さんのお隣におられます。
(;д;)


ちょうど安倍晋三元総理も激励に駆けつけ、被災者お一人お一人の
声を聴き、握手をされていました。




最後に松本文明議員のHPからです。
http://www.f-matsumoto.net/?page_id=22
2012年5月14日(月) 松本文明政経フォーラムでの激励メッセージ
■元内閣総理大臣・衆議院議員 自民党総裁 安倍晋三様 (2012年当時)
前回の選挙において、残念ながら議席を守ることができなかった。
その日から誓いを立てて、誰よりも多くの街角を歩いて、誰よりも
多くの回数、街角に立ってみなさんに訴えてきた。
夫婦二人で靴をすり減らしてきました。
ほんとうに大変だっただろうなと思う。
松本さんはもともと立派な政治家でありますが、さらに一回りも二回りも
大きくなったのかなと思います。
次の日から街頭に立ってがんばった。
こういう人に任せようではありませんか。
今日は福島県から亀岡(よしたみ)さんがやってきてくれた。
昨年、私は亀岡さんに言われてトラックにいろんな物資を積んで
南相馬市に持っていった。
トラックから降りたら、作業着を着て、どっかでみたようなおじさんが
作業をしているなと思ったら松本文明さんなんですよ。
彼は、落選したグループ『奪還の会』の幹事長で、みんなをまとめて、
その人たちを連れて南相馬に行って泊まり込んでいた。
あそこは福島原発から30キロ圏内と言われている地域。
そこで海岸線でずっと遺体捜索をみんなでやっておられた。
そういう地味に、だれもやりたがらないような仕事をやるのが松本さん
ではないかと思う。
おそらく誰も知らないですよ。
みなさん知らなかったでしょ?
そういう話を。松本さんは、何をやったという話をあまりしない、という
問題点があるんですよ。
■自民党福島県第一選挙区支部長 奪還の会 代表 亀岡よしたみ
震災直後、すぐに松本さんに支援を要請した。
松本さんは一言「わかった」と言って、10人連れて、あの誰も来ない
南相馬に来てくれたんです。
私はこのときは涙が出るほどうれしかったです。
大事なのは、政治家としてどの国民も守るという覚悟があるかということ。
恰好はヘルメットに作業着で、「あの人ほんとに政治家?」と言われる
ようなものだったが、本当に朝から晩まで足を棒にしてあれだけ働いて
くれた姿を見て、地元の人が涙を流して喜んでました。


松本文明前防災副大臣は、区昨年の熊本地震の時も現地対策本部長
として懸命に頑張ってくれていました。
その時、マスコミに悪意を持って「テレビ会議で差し入れ要請」に
ついてバッシングをされてしまいました。
現地の自治体職員が何も食べずに夜を徹して頑張っていたのを
松本防災副大臣が健康管理も大事だからとの思いで伝えたことが
非難の対象になってしまったんです。
(ノ_-。)
★民進党議員が熊本地震対応に奔走する松本副大臣を国会に呼びつけ
捏造新聞ネタ週刊誌ネタで誹謗中傷!もう絶対に許してはいけない
「報ステ」らの捏造報道!【追記あり】2016/04/22
http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-1002.html
落選していた多くの自民党議員さんたち。
今回も苦しい選挙戦を戦っています。
奪還の会の上記のメンバーは、ガイガーカウンターが鳴り響く中、
創作活動をした議員さんたちです。
埼玉5区の牧原ひでき候補もいます。
お子さんが生まれて間もないころで、ご家族が心配される中、
福島まで駆けつけてくれたんです。
必ず国民のために頑張ってくれる方です。
これは絶対にパフォーマンスなんかでは出来ません。
みんなが、大きな不安を持っていた、あの事故からわずか
2週間も経たない時の事です。
誰が信用できるのか。
誰が国民のために身を賭して頑張ってくれるか。
きっと分かってくると思います。
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