「宇宙の日」と「日本人初の宇宙飛行」と「TBSへの疑念」と「反安倍」と・・。真正面から宇宙と向き合ってきたJAXAの宇宙飛行士、毛利さんが飛び立った日こそが「宇宙の日」にふさわしいと改めて思う。
- 2017/09/19
- 07:29
9月12日に、ツイッターのTLでハッシュタグ付きで『#宇宙の日』
というのが流れてきました。
何故9月12日が「宇宙の日」なのか?と検索してみると、
JAXAのHPで以下のような説明がありました。👇
http://fanfun.jaxa.jp/topics/detail/5653.html
【「宇宙の日」とは?】
1992年は、世界中が協力して宇宙や地球環境について考えようと
いう国際宇宙年(ISY)でした。
日本においても、この国際宇宙年をきっかけに末永く宇宙の普及活動を
行おうと考え、一般の方々から「宇宙の日」にふさわしい日を公募しました。
その結果、1992年、毛利衛宇宙飛行士がスペースシャトルで
初めて宇宙へ飛び立った日、「9月12日」が選ばれました。
おぉ、そうだったのか!と。
(*^_^*)
毛利衛さんが宇宙に飛び立った時というのは、やはり自分も、
とても嬉しかったし、その時だけでなく毛利さんを含めた3名の
「日本人宇宙飛行士」が初めて選ばれた時というのは、当時とても
話題になり、国民の誰もが知るところとなりましたよね。
http://iss.jaxa.jp/astro/history.html
【JAXAの宇宙飛行士】
■日本の有人宇宙活動の流れ(JAXA HPより)
1985年、NASAのスペースシャトルを利用した科学ミッションへの参加に
向けて、毛利衛、向井千秋、土井隆雄の3名が宇宙開発事業団(NASDA)
(現・宇宙航空開発研究機構:JAXA)の宇宙飛行士第1期生として選抜
されました。
その後、国際宇宙ステーション(ISS)および「きぼう」日本実験棟の組み立て・
運用に向けて、1992年に若田光一、1996年に野口聡一、1999年に古川聡、
星出彰彦、山崎直子(旧姓:角野直子)の3名が選抜されました。
2009年には、国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在する日本人宇宙飛行士
候補として、油井亀美也、大西卓哉、金井宣茂の3名が選抜されました
1992年9月の第1次材料実験(FMPT)ミッションで毛利衛が日本人として
初めてスペースシャトルに搭乗して以来、JAXAは有人宇宙活動の経験を
積み重ね、その経験をもとに、国際宇宙ステーション(ISS)計画に貢献して
きました。
(参考)
★「JAXAの宇宙飛行士」
http://iss.jaxa.jp/astro/

毛利衛宇宙飛行士
現在の「JAXA」が「NASDA」という名称だった1985年当時のことは、
20代の若者はまだ生まれてないし、30代の人たちも記憶には殆ど
残ってないだろうなと思います。
私などは、どちらかと言えば、「宇宙開発事業団」(NASDA)の呼称の
方が馴染みがあるのですけどね。
だから、若い人たちには、あまりピンと来ないかもしれませんが、
当時は私も非常にワクワクしてたんですよね。
でも、その後、ご存知の通りスペースシャトル「チャレンジャー号」の
事故が起きてしまいました。
1986年1月28日でした。
毛利さんのスペースシャトル搭乗は、当初、1988年1月に予定されて
いたそうですが、この事故により大幅に延期され、1985年8月に
「宇宙飛行士」として選ばれてから、なんと足かけ7年もの間、
待ち続けて、ようやく1992年9月12日の初飛行となったのですね。
(´;ω;`)
それが、エンデバー号での「STS-47ミッション」でした。

★エンデバー号のフライトミッションの記章
ちなみに毛利さんは、8年後の2000年2月の「STS-99」ミッションにも
参加されております。

毛利さんの搭乗ミッション等、詳細はJAXAのHPでご覧くださいませ。
👇
★毛利衛 搭乗ミッション
http://iss.jaxa.jp/astro/mohri/index.html
で、今回、「宇宙の日」をきっかけに、ふと、あの頃に持った「ある感情」を
自分も思い出しました。
#宇宙の日 毛利衛さんと向井千秋さん、土井隆雄さんの3名が宇宙飛行士に選ばれて訓練を受けながらNASAから日本人初として飛び立つ日を結構楽しみに待っていたら、何故か文系のTBSの社員がソ連のソユーズで日本人として初めて宇宙へ!となって「え?なんで?」と思ってしまったのを思い出す。
— 目が覚めて思うこといろいろ (@megasametaro) 2017年9月12日
目が覚めて思うこといろいろ @megasametaro 19:37 - 2017年9月12日
#宇宙の日
毛利衛さんと向井千秋さん、土井隆雄さんの3名が宇宙飛行士に
選ばれて訓練を受けながらNASAから日本人初として飛び立つ日を
結構楽しみに待っていたら、何故か文系のTBSの社員がソ連の
ソユーズで日本人として初めて宇宙へ!となって「え?なんで?」と
思ってしまったのを思い出す。
そうです。
TBSの記者が先に宇宙飛行をしたのでした。
★秋山豊寛wikipedia
【秋山豊寛】(WIKIより抜粋)
1989年にTBSが、日本人のミール訪問に関する協定をソビエト連邦の
宇宙総局と調印。
TBS社内の98人の応募者の中から、同年9月に同僚の菊地涼子と
ともにTBSの2人の宇宙飛行士候補に選抜された。
1989年10月から1990年11月まで、モスクワ郊外の星の街の
宇宙飛行士訓練センターで訓練を行い、打ち上げ前日の1990年
12月1日に国家審査委員会から宇宙飛行士の承認を受ける。
TBSが調印した1989年時点では毛利衛のスペースシャトルでの
飛行が日本人初になるはずであった。
ところが1986年のチャレンジャー号爆発事故で毛利の飛行が
遅れたために、1990年12月2日、ソ連のバイコヌール宇宙基地より
宇宙船ソユーズTM-11搭乗の秋山が、初めて宇宙へ行った日本人
宇宙飛行士となり、同時に世界で初めて宇宙に行ったジャーナリスト
(TBSのいう“宇宙特派員”)ともなった。
TBSによる一連の番組は、「TBS宇宙プロジェクト『日本人初!宇宙へ』」
と題し、テレビ・ラジオ双方で連日放送した。
打ち上げ、帰還時は長時間にわたる特別番組を放送し、全て生放送で
模様を伝えた(打ち上げ時の視聴率は36%)。
>TBSが調印した1989年時点では
これ、本当にそうなのかな?
と思ってしまいますが、どうなんでしょう。
だって、毛利さんの初飛行が予定されてた1988年1月は、もう
この時点で既にダメになってしまってるんですよ。
そしてチャレンジャー号の事故があった時点で、「相当の遅れ」が
出ることは予測できただろうし、分かっていたと思うんですよね。
当時は、まだ「ソ連」。
1985年にゴルバチョフ書記長が登場し、ペレストロイカとかグラスノスチとか
まさかのソ連での政治改革が始まったことに当時は驚きました。
とは言うものの、自分も冷戦時代の「東側」の危険極まりない
共産超大国としてしか、見てこなかったソ連です。
「鉄のカーテン」のイメージがまだまだこびりついてた時代。
ベルリンの壁崩壊が1989年11月。
ゴルバチョフが「大統領」になったのが1990年。
ソ連共産党解体とソ連崩壊が1991年8月。
ゴルバチョフは西側でも人気が出てきてはいましたが、なんだかんだ
言っても、TBSがソ連宇宙総局と調印した頃というのは、まだまだ
「カラ恐ろしいソ連」だったはずです。
加えて言えば、1989年8月に設立され1995年に地下鉄サリン事件を
起こしたオウム真理教の幹部などは旧ソ連と関連があった。
とにかくいくら解放されつつあったといっても「混沌」としていたのが
当時のソ連です。
だから、「何故、わざわざ東側のソ連から?」と真っ先に感じたし、
「何故、科学分野での宇宙飛行士が頑張って取り組んできた中で、
また事故後も地道に取り組んでいる最中に『日本人初宇宙飛行』を
文系が、いわば商業的に大金はたいて分捕っていくわけ?」
と、やっぱり率直に感じたわけです。
それに当時は、WIKIでも書かれているように、TBSは相当はしゃいで
いまして、それを見れば見るほどに自分は全く気持ちが盛り下がり、
やたら冷ややかに見ておりました。
拙ブログでは、ずっとTBSに関しては異常なまでの偏向報道を行って
きた事実を何度も書いてきました。
★TBSは「サブリミナル」の常習犯!
安倍総理と麻生さんを貶め続けるマスコミ。テレビは「洗脳装置」です!!
2015/09/10
http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-769.html
サブリミナルの常習犯でもあり、NEWS23を見ていても、まるで
北朝鮮の「朝鮮中央テレビ」の支局のようなプロパガンダ報道が
続く有様に、心底恐ろしさと怒りを感じています。
TBSは隠れ共産の巣窟であり、かつては1989年11月に起きた
オウムの坂本弁護士一家殺人事件のきっかけを与えたビデオ問題も
ありました。
★坂本弁護士一家殺害事件も松本サリン冤罪も何故起こったのか?
朝日も毎日もマスコミは何もあの時から変わっていない!!
2014/11/23
http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-532.html
秋山氏が「日本人初」となった1991年前後と言うのは、本当に
政治の世界では非常に重大な動きがあった時期なんです。
★北朝鮮拉致事件と従軍慰安婦捏造の関連性。
1988年と1991年は重大な鍵となる年だった。2014/09/21
http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-483.html
★安倍総理が言及した「椿事件」。
2007年参院選と2009年衆院選はまさしく第2、第3の凄まじい「椿事件」だった!
2014/12/02
(※椿事件は1993年7月の衆院選前のテレ朝はじめTV局による
「自民党惨敗」へと導くための偏向報道企図事件のこと)
http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-542.html
他局とも組んで異常な偏向報道をし、自民大敗、非自民政権樹立の
援護射撃をした放送局でもあります。
だからこそ、TBSは本気で「日本人初」を横取りしにきたのでは
ないかと私は思わざるを得ないんです。
もちろん当時はそんなことまでは思っていませんでした。
しかし今まで、丁度この時代からの異常さを振り返ってきた者と
しては、そういう見方になるのが当然なんです。
秋山氏については、その後TBSを退職し農業を始めたという
事だけ知っていましたが、その他のことは全く知らないし、全く
気にもかけていませんでした。
今回、調べてみると、福島第一原発事故で避難を余儀なくされた
「原発難民」と自称し、現在は大学の教授に就任し京都に住んで
いるとのこと。
そして、MBS毎日放送のラジオ番組の週一パーソナリティを
半年ほど務めたり、またTVでも不定期で、同じくTBS系列の
毎日放送のローカル番組「ちちんぷいぷい」にも出演している
ようです。
秋山氏は、JNN報道特集のディレクターも務めた、いわば政治を
中心に扱う報道の人間であり、最後の役職はTBS報道総局次長
だったそうです。
TBSを退職した1995年と言うのは、村山政権の時ですね。
自民との連立ではあったものの、初の社会党政権、言ってみれば
TBS悲願の政権だった時です。
秋山氏が、報道畑ではなく、科学畑であれば、そこに純粋なものを
見い出せたかもしれない。
報道や歴史関連の特集には目も当てられないほどの異常な
偏向・捏造報道を続けるNHKも、科学番組に関しては、私も
認めるところがあります。
BSの番組「コズミックフロント」も良く見てるんですよね。
http://www4.nhk.or.jp/cosmic/
(ちなみに9月21日木曜 NHKBSプレミアム 午後10時からは
「速報版!土星探査機カッシーニ」があるそうです。( ^ω^ ))
話逸れましたが、秋山氏は政局で混乱した「あの頃」に、報道に
どっぷりと浸かってた人なのだということが判りました。
さらに調べると、原発事故後、共産党が赤旗で何度か取り上げて
いました。👇
【原発ゼロへ私の思い 日本人初の宇宙飛行士 秋山豊寛さん】
2011年12月11日号
■大地汚した東電許さぬ 原発ゼロへ 政治家見極めよう
http://www.jcp.or.jp/akahata/web_weekly/cat1/1-1/
これは事故後間もない2011年の暮れのことですから、色々と言いたい
事は解ります。
でも・・。
http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/858.html
【被ばくした中山間地 ニッポン開墾(2)理想郷、台無しに怒り】
(河北新報2012年1月4日)
◎秋山豊寛さん=田村市「東電に呪いをかける」
福島第1原発1号機が爆発した3月12日、郡山市のホテルに身を寄せた。
5日後、避難先を群馬県藤岡市に変え、友人農家宅に9カ月間居候した。
京都市の京都造形芸術大から教授の口がかかり、12月に生活拠点を
西日本に移した。しばらくは大学教授兼タケノコ農家見習として暮らす。
「京都では陰陽道(おんみょうどう)を学ぶ。東京電力とそれに連なる
ものに呪いをかける。冗談ではない。真剣です」
そして、昨年3月には・・。
【バイバイ原発”響く・・京都、広島、名古屋】
2016年3月13日 日本共産党嶺南地区委員会ブログ
http://jcpre.com/?p=10853
原発事故から5年を経たなか、すべての原発の再稼働をやめさせ、
原発のない社会をめざそうと「バイバイ原発3・12きょうと」が12日、
円山音楽堂(京都市東山区)で開かれ、2100人が参加しました。
参加者は「高浜原発再稼働撤回」「関西電力原発やめろ」と唱和し、
京都市役所前までデモ行進しました。
福島から避難する秋山豊寛氏(宇宙飛行士、京都造形芸術大学教授)、
朴勝俊・関西学院大教授らがスピーチ。
下の動画は、2年前の反原発集会での秋山氏です。
2015年3月8日。日比谷野外音楽堂。
『0308 NO NUKES DAY 反原発★統一行動 ~福島を忘れるな!再稼働を許すな!~』
ジャーナリスト、宇宙飛行士、京都造形芸術大学芸術学部教授の
秋山豊寛氏のスピーチ。
「安倍内閣という実に怪しげな内閣が私たちの国にのしかかっています!」
「反原発!」
「残業ゼロ阻止!」
「TPP反対!」
「安倍内閣というのは最低内閣です!」
「某○○(本人スピーチのまま。)新聞の偉そうな人を、
秘密保護法に関する一番監督者みたいなとこに据えて、
政府の嫌がることをマスコミが伝えようとすることを何とか
封じ込めようという策動をやめようとしません。
このことによって多くの人たちが、多くの人たちの耳が、目が
塞がれようとしているんです!
日本はどこに行くのか。
私たちは70年間、、或いは「憲法が制定されてから、あの憲法の
もとに私たち様々な権利を守ってきたのではないですか!
その憲法を骨抜きにしようという動きが自民党と公明党の間で
進められるんです!」
>○○新聞
恐らく読売新聞のことを言いたいんでしょうけど、読売もタイガイですからね。
もうお分かりだと思いますが、反安倍の共産主義者ですね。
反原発から憲法や特別秘密保護法まで言及していますから。
これはもう「共産イデオロギー」です。
TBSは共産主義者の巣窟です。
TBSが何故ソ連から「宇宙飛行士」を出そうと思ったのか。
それは、そこに関係してくるのではないのですか?
今は協力し合って宇宙ステーションを組み上げていっている。
そういう時代になったことは本当に喜ばしい事だと思います。
油井亀美也さんらJAXAの現在の宇宙飛行士さんたちもロシアと
連携・交流が随分となされていますよね。
だけど当時は軍事面から米ソがしのぎを削っていた宇宙開発競争の
名残がまだあった時代。
チャレンジャー号の事故にソ連はどんな反応をし、またどんな影響が
あったのかも自分にはわかりません。
でもそれよりも何よりも、TBSがどんな目的でソ連から宇宙飛行士を
出そうと思ったのか。
あまりにもTBSは、政治的に共産主義に傾いたものがある。
だから疑いを掛けざるを得ません。
共産主義は当然「反米」です。
秋山氏が、1年の訓練を経て宇宙飛行士になったことに対しては、
宇宙へ出るためには必然ですから、だから認めろと言われても
そういう気持ちにはなれません。
当時の宇宙開発事業団の時には科学技術庁が、そして現在の
JAXAは文部科学省が、勿論バックアップしてきました。
国と連携してやってきたんです。
毛利さんの参加したミッションもそうです。👇
【宇宙開発利用】(文部科学省HPより)
6.スペースシャトルフライトによる宇宙実験
(3)宇宙開発事業団のスペースシャトル利用
2)第一次材料実験(FMPT)(STS-47/SL-J)
http://www.mext.go.jp/a_menu/kaihatu/space/kaihatsushi/detail/1299916.htm
毛利さんのミッションも、1979年(昭和54年)から正式にスタート
した日本初の有人宇宙実験の一環として計画されたものだそうです。
いわば、NASAとの協力がなければ有り得ない。
そして、そういうものは殆ど自民党政権で進められてきました。
民主党政権でも分かったじゃないですか。
あの時、宇宙開発事業も散々削られてしまったのですから。
JAXAは「はやぶさ2」の計画を進めていた時、自民党政権下の
文科省では予算15億円を盛り込んでいたにもかかわらず、
民主党政権で思い切り削られて5000万に減額され、更に
事業仕分けでと3000万円まで縮小されて苦境に立たされました。
それがやっと動いたのは結局、「はやぶさ」のあの感動的な
帰還であり、国民の強い要望であった、ということなのです。👇
★はやぶさ2 wikipedia
3014年に無事打ち上げられた「はやぶさ2」の飛行を成功させた
人たちも、その苦しい中で負けずに頑張ってきたのですから。
毛利さんも館長を務める「日本科学未来館」の事業仕分けで
必死で必要性を訴えていましたよね。
https://www.miraikan.jst.go.jp/

日本未来科学館
こんな素晴らしい施設を「ただのハコモノ」扱いで「赤字だ!」なんだと
いう事自体が本当に恐ろしいと思います。
「公共の未来への投資」は本当に民主党の扇動から軽んじられて
きました。
「国立メディア芸術総合センター」然り。
★「安倍マリオ」はじめ日本のソフトパワーで沸いたリオ五輪閉会式
「東京アピール」を見て改めて僻地ブログより叫びます。
どうか「国立メディア芸術総合センター」構想を復活、実現させてください!!
2016/08/24
http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-1164.html
今、小池都政でも豊洲新市場も、その憂き目にあっています。
★第5回市場問題PT会議:
佐藤尚巳氏が豊洲新市場の収支を元に投げかけた指摘は
「公共事業」の定義を「未来への投資」として今後国民が思考転換
できるかどうかという重要な問題提起だと言える。2017/02/20
http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-1309.html
JAXAの方たちが、毛利さんを語るとき、また「宇宙の日」を語るとき、
必ず一言「スペースシャトルで」という言葉を入れなくてはならなくなったのは
事実ですし、スラっと「日本人として初めて宇宙飛行したのが毛利さんです。」
とは、紹介できない「もどかしさ」があるのではないかと思います。
TBSがまともな放送局であれば、私も、ここまで言うつもりも
なかったと思います。
でも、当時のことを振り返れば、あまりに重要な政治局面があり、
また今以ってTBSは反社会的ともいえる報道を行い、特定の
イデオロギー放送、プロパガンダをTVという洗脳装置を使って
ひたすら続けているわけですから。
あの時どういう意図をもって「日本人初の宇宙飛行士」を出して
きたのか。
ずっと科学の世界に身を置いて、コツコツとやってきて、そして
念願の宇宙まで世界を広げていき、その宇宙への思いを日本の
子供たちにも伝えたいと今も継続して頑張っている毛利さん。
その真摯な姿を、あの頃にも感じていたから、毛利さんが
日本人で初めて宇宙に飛び立った宇宙飛行士さんになると
思っていたし、そうなって欲しかった。
最初に取り上げたJAXAのHPからの言葉。
>1992年9月の第1次材料実験(FMPT)ミッションで毛利衛が日本人として
初めてスペースシャトルに搭乗して以来、JAXAは有人宇宙活動の経験を
積み重ね、その経験をもとに、国際宇宙ステーション(ISS)計画に貢献して
きました。
JAXAが、日本人初の宇宙飛行士を送り出すまでの長い年月を
かけ、苦労し頑張り、それによって積み重ねてきたもの。
そして、毛利さんがついに宇宙に飛び立ってからもコツコツと
積み重ねてきた国際宇宙開発での貢献・・。
「宇宙の日」。
宇宙が大好きな毛利さんが、スペースシャトルに乗って日本人として
初めて宇宙へ飛び立った日。
【12月2日:追記】
なんと、12月2日が「日本人宇宙飛行記念日」とのことらしく、再び
秋山豊寛氏の名がツイッターにも挙がっていたので、ちょっと
驚いてしまいました。
「#日本人宇宙飛行記念日 」というハッシュタグも出来ていました。
そこで見つけたのが下記のインタビュー記事です。
一部抜粋します。
https://weathernews.jp/s/topics/201711/290145/
【日本人初の宇宙飛行士、秋山さんが語る! 「私が選ばれた」真相】
(ウェザーニュース 2017年12月2日)より一部抜粋
−−1985年に毛利衛さんたち3人がNASDA(現JAXA)の宇宙飛行士に
選考され、「日本人初」となることが期待されていました。
その栄光を秋山さんがさらった形ですが……。
■秋山
毛利さんは88年に米国のスペースシャトルに搭乗して日本人初の
宇宙飛行士になる予定でした。
それが86年のチャレンジャー号事故のあおりで延期されたと言われて
います。
しかし、86年1月のチャレンジャー事故の後、私が90年12月に宇宙に
飛び立つまで、スペースシャトルは12回も飛んでいます。
どうしてもNASDAのチームを“日本人初”にしたければ、毛利さんを
乗せたシャトルを飛ばすチャンスはあったはず。
米国の意図を感じます。
−−米国の意図とは具体的にどういうことですか?
■秋山
当時は東西の冷戦に米国が事実上勝利し、ソ連は末期を迎えていました。
米国が一番危惧したことの一つは、ソ連の急激な崩壊とそれに伴う
ロケット開発技術が発展途上国に流出することです。
かといって、当時の米国が直接ソ連を援助するわけにはいかない。
そこで日本や当時の西ドイツ、オーストラリア、英国等がソ連の宇宙産業を
支援する仕組みを考えたのではないか、また米国はその時期、日ソ交流を
演出したのではないかということです。
−−秋山さんのジャーナリストとしての嗅覚ですね。
確証がほしいところです。
証拠はもうすぐみられるはずです。
米国の外交文書は原則30年で公開されます。
となると、2020年には1990年までの機密文書が出てくるはず。
米国公文書館に行って確かめたいですね。
結果として私も米国外交の手のひらの上で踊っていたことがわかったりするのかも……。
私には、とてもじゃないですが秋山氏の言ってることは理解できません。
ただの「反米」だと思います・・。
特に
>スペースシャトルは12回も飛んでいます。
9月に書いた記事内容にもある通り、毛利さんはチャレンジャー事故の
2年後に搭乗予定だったんです。
元々の搭乗の順番が早まる筈もありませんし、ましてや重大な事故後の
スペースシャトルの飛行は米国も相当念には念を入れながらのものだった
でしょうし、日本側だって安全であることが何よりもまず確認できなくては
前へは進めませんから慎重にならざるを得ないはずです。
何より、怒りを感じるのは、日米双方ともに現場では相当な気遣いも
あったと思うんです。
それを、あっさりと「米国の意図」などという言葉で切り捨てる。
政治的なものとは離れたNASAとNASDA(JAXA)の現場の人たちの
長年の苦労と交流をあまりにも愚弄した言葉であると感じます。
政治的なものに翻弄されながらも現場の人たちは情熱をもって
宇宙研究を懸命に前へと進めてきた。
それは、「はやぶさ」でも感じてきたことです。
だからこそ、今以って、あの時のTBSの行為は、未だに違和感が拭えず、
また不信感を持ったまま今に至ってしまうのです・・。
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