2009年に起こったこと。辛坊治郎、マスコミが追い詰めた・・。中川昭一さんの死。麻生政権への猛烈なバッシング。忘れない、絶対に。
- 2013/06/22
- 17:22
辛坊治郎がヨットで太平洋横断をするというのは知ってたけれど、
既に出航していたこというのを、昨日「SOSを出した」との
ネットニュースを見て初めて知った。
全盲のヨットマンと一緒だということも初めて知った。
私は辛坊個人の冒険かと思っていた。
最初に思ったのは、「24時間テレビのネタだったのか?」
ということだった。
そして「出航してまだ一週間経ってなかったのか。そうですか。」と
、無理に淡々と思う。
そして夜10時半、海自に助けられた2人が、報ステで映しだされ、
立ったままの会見が行われた。
辛坊らの顔と言葉を聞いてて、本心から「助かってよかった」と思った。
「本心から」と書いたのは、それまでは正直色々複雑な思いがあったからだ。
命がけで助けてくれた海自の人たちへの感謝の言葉も聞かれた。
でも聞いてるうちに、やっぱり思ったのは、「今までのこと、謝れよ・・・」だった。
辛坊は、何本も束ねたマイクの塊を手に持って立ったまま喋っていた。
本人が、そのマイクを自分にくれるように言ったのかどうか知らない。
救命ボートの中で夜を迎えてしまうと何が起こるかわからない、
体温も相当低くなって危険な状態だった、本当に危険だったのだと思う。
しかし、・・・結構喋る・・・。
助けられたばかりで疲れているなら、深々とお詫びとお礼を言って、
少し休めばいいのに。
厚木基地から移動して、改めて椅子に座って長机の前に
マイクを置いて記者会見すればいいのにと思った。
点滴を受けるまでもなく元気だったと見て良いのか。
しかし、普通なら精神的にも憔悴する。それをお構いなしに
通常マスコミは「そこ」をめがけて来るのだが。
逆に言えば、余り「ハードな前例」を作ってほしくない。
そんな風に思った。
今朝、またニュースで見たのは、昨夜0時を回って
吉本会館(なぜかここなのか知らない)に戻ってからの会見だった。
また立ったままの同じ形だった。
救助してくれた海自の人に名前を聞いたこと。
海自の人がチームで救助しているから名前は言わないと答えたこと。
「ではチームの名前を」と聞くと、腕につけていたワッペン剥がして
渡してくれたこと。
感動しながら、テレビに向かってワッペンを見せる辛坊。
「この国の国民でよかった。」
この言葉が「感動」を呼ぶのか・・・。冷めた気持ちが起こる。
YAHOOのコメント欄を見てみた。全て、「そう思う」が高得点のコメント。↓
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★「今後はニュースキャスターとして、人命救助に当たる警察、消防、
海上保安庁、自衛隊などの職員の活動を、広く国民に的確に伝えていって欲しい。
それがキャスターとして助けてくれた人たちに出来る恩返しになると思う。」
★「この遭難事故を糧として、これまでの辛坊キャスターより、
一回り大きなニュースキャスターとして活躍されることを望みます。」
★「人として、感謝と謝罪を述べた二人は、悪くない。
本当の悪党は、偽善番組をする局、でなきゃ、スポンサーもつかないし、
派手に放送しないでしょ。」
★「いったん休んだら、その経験をこそ語ってほしい
それが責任とかどうとかいうよりも、実体験を持っていることこそが、
コメントに深みが出ると思うんだ。
★「貴重な体験談になったことは確か。ただ今回のトラブルは
不可抗力だと思うけどな。
批判する輩もいるのは理解できるけど、では潔く海で散れと
言うのはおかしな話だし、税金で助けるな的な話も的外れで、
税金で有ろうが無かろうが、あれが彼等の仕事ですから非難に値しないよ。」
★「批難するコメントが多いが、もともとこれは視覚障害者を
サポートするために、乗船したのだから、無事生還できて、
任務を果たせたと考えるべき。
主役は辛坊さんじゃないんだから。
今後ただのイケイケの評論ではなく、実のあるコメンテーターに
なってほしい。」
★「救助されて無事で良かった。
救助する側も命がけだった。批判する人がいるけど
なぜ批判するのか?と思う。
確かに彼はコメンテーターとして色々批判したとは思う。
しかしこれとは別でしょう、と思う。」
★「辛坊さん、すごく感謝してたんですよね。
救助の際、隊員に名前を聞いたけど お答えできません って言われて、
それでもその隊員の方を忘れたくない…と言う思いで
ワッペンを頂いたらしく、会見の時に握りしめていた…これを聞いた時、
辛坊さんでないけど、この国…日本人で良かっ たと思った。
今は休養し、今後、コメントを発する立場から海保に恩返しをすればいいと思う。」
★「無事で安心した。優秀な自衛隊のおかげだな。日本は最高だ!!
今は辛いと思うが貴重な経験を無駄にせず、コメンテーターとして
これからも頑張れ!!
心無いバッシングに負けるな!」
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「心ないバッシングに負けるな!」か・・。
イジメをしていた人間が、それに気づいた周囲から
批判や無視をされ始めると、とたんに被害者側に立つ。
これで、元々のイジメの中身が有耶無耶にされてしまう。
そういうことが多々ある。
あとは、そのイジメの度合。
暴行殺人は勿論、自殺レベルにまで追い込む者は、
もはや「イジメ」などという軽い言葉では済まされない。
そう、「言葉の暴力」も、そんなナマっちょろい言葉では
済まされない。
加害者側の人権が殊更に声高に叫ばれることによって、
泣き寝入りが多い世の中。
有名人でもいる。俳優とか。
でも、正直、どうかと思う。
受けた側は耐えられない。
ましてや、被害者側がその「イジメ」をきっかけに
死ぬようなことになれば、
もう、その「償い」など出来ない。
軽々しく捉えられることこそが忌まわしい。
人が死へと追い詰められていく過程は悲惨だ。
2009年2月、ローマで行われたG7の財務大臣・中央銀行総裁会議。
世界は、中川昭一財務大臣の手腕を称賛していた。
■麻生さんの弔辞。↓
=============
昭ちゃん、
まさか貴方の弔辞を13歳も年上の私が読むことに
なろうとは全く思ってもみませんでした。
自由民主党は真に得難い人材を失ったと悔やまれて
なりません。
昨年(2008年)11月にワシントンで
緊急のG20金融サミットが行われました。
世界的に急激な金融の信用収縮発生が
予想された状況下です。
そこで日本がIMF・国際通貨基金に10兆円を
融資する事によって、開発途上国の財政破錠を
防ぐと提案しました。
財政状況の厳しい日本が10兆円の資金を出すと
言ったので、霞が関では当然反対の声が挙がりました。
しかし、「これは融資であって増資ではない」という
私の主旨を一言で理解して、 直ちに財務省に
話をつけたのが中川財務大臣でした。
後にIMFのストロスカーン専務理事をして
「あの日本の決意が米国、欧州を動かし、
結果として世界を金融恐慌から救ってくれた」
との弁を語り、感謝状も戴きました。
日本でその意味を理解している人が今もって
極めて少ないのは、甚だ残念の極みです。
しかし、国際的な金融機関における評価が
極めて高いのは事実であり、 後世の歴史家が
評価してくれると確信しています。
政治家は我身無念と思えども 国の為なら本懐なり
貴方にこの言葉を贈りたいと思います。
自民党は保守理念の再構築をしなければなりません。
その時にその中核を担うと期待していた中川昭一先生を
失い、我々の気力が萎えたことも事実です。
しかし我々は貴方の遺志に応える義務と責任があると
存じます。
死せる中川 生ける保守を走らす
それが貴方が最も望んでいることでしょう。
残された我々は歯を食いしばって頑張ります。
どうぞ安らかにお休みください。
政治家・中川昭一に改めて感謝の気持ちを申し上げ、
お別れの言葉と致します。
平成21年10月16日 麻生太郎
=================
辛坊治郎とマスコミ。
中川さんの功績を何故報道しなかったのですか?
ローマでの会見の時、一緒にいた白川日銀総裁は
何故あんなに平気な顔をしていたのですか?
財務官僚も何故?
読売新聞の越前谷知子は、記者でありながら、
何故あの日の出来事を書かない?
ブルームバーグの記者は?
あの日の一部始終を教えて下さい!どうか!
我が国の財務大臣の様子がおかしいことに対して、
何故国民も心配しなかったのですか?
あれだけひどい状態になっていたことに対して、
「何か異変が起きているのではないか」と、
心配する声が全く上がらなかったのは何故ですか?
「原因を究明せねばいけないのではないか」との
報道をしたマスコミが全くなかったのは何故ですか?
完全に「酩酊会見」と最初から決めつけて、
叩きまくった、マスコミ。
何故ですか?
コメンテーター。司会者。誰一人として、心配するものは
いなかった。
皆が馬鹿にし、嘲り、笑い、一人の日本人を、我が国の
国思う大臣を貶めた。
世界の恥??
外人記者の個人のブログのコメントをあたかも世界の評価の
ように取り上げ、それで世界の恥???
リーマン・ショックの危機を救ったのは中川さんと麻生さんだ、
という事実を何故伝えなかった!?
朝ズバの連中。みの、杉尾、末吉!特に酷かった・・・。
皆覚えている・・・。
皆、毎日、毎日、このように滅茶苦茶に叩いたのだ。↓
【中川もうろう会見の真相を報じないメディア・宮台真司】
何もかも「身勝手なレッテル貼りと妄想」! 吐き気がする!
宮台真司は北朝鮮拉致被害者の5人が帰ってきた時に、
「一旦返せ」といっていた人間だ。
そして、辛坊治郎の猛烈なバッシング。
リアルに聴いていて呆然とした・・。
まともな人間の言う言葉なのか?これが!
自分の子供の前でこんなことが言えるのか?
「イジメの手本」そのままだ!!
音声を隠したところは一体何を言ったのだ?
隠さなければいけない程の言葉を言ったのか!?
自死遺族の苦悩をご存知か!!
【眠ったままの日本人へ~中川昭一氏が残したもの 】
■絶対に許せない辛坊治郎の中川さんへの言葉。↓
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「お父さんも自殺されたし、ああいうこと
(「酩酊」会見など)を何回も何回もTVで放送すると、
本人は自殺の恐れがあるから、もうこの辺で
止めといてやろうやないかいという話になるじゃ
ないですか。
とんでもない話だと!!
あんなものはね××××(放送自粛音)と思いますよ。
あんだけ国際社会に恥かいてね、オメオメねぇ
オメオメ有権者の前にもういっぺん出るなと!
あんなん、二度と再びたぶん出られないと!
出てきたら必ずあのVTR(「酩酊」会見など)を
流されますからね。
その意味ではね!
世の中にはやっちゃいけない事があるんだって。」
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中川さんに対してだけではない、一昨年8月の鬱陵島視察の
自民3議員に対しても猛烈な暴言を吐いた。↓
2011年08月20日 辛坊治郎氏が鬱陵島視察目的の自民3議員に対して暴言
==========
「この3人も、こういう中途半端なことして韓国との外交関係を
壊すのは私はアホだなと正直思いますね。
本気でやるなら、この三人、ホントに腰抜けだなと思うのは、
私なら漁船チャーターして直接竹島に上陸しますよ。
中途半端に隣の島に行って何の役に立つんだ。
バカじゃねーかと思いますね。
竹島行け竹島に!馬鹿者、腰抜けども!私はそう思います。」
==========
写真を燃やされ、まさかの棺桶まで準備され、稲田朋美議員、
佐藤正久議員、新藤義孝議員の3名が「もしもの覚悟」を
持たなければならないほどの異常な対応を我が国の国会議員として
受けた、この由々しき事態を、どうしてここまで
バッシングする必要があるのか。
中川さんのバチカン博物館訪問の報道も異常だった。
真実は、こうだったのに・・。↓
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【バチカン神父が見た“あの日”の大臣】
バチカン放送局 神父 和田誠
私は今、日本から送られてくる報道に、
大きな戸惑いと、深い悲しみを抱いています。
私自身も関わった中川前大臣の博物館見学が、
何故あのように、事実と異なる形で報じられるのでしょうか。
私は見学の間中、通訳として中川前大臣の最も
側近くにおりましたが、報道のような非常識な行為を、
見た記憶はありません。
また、中川前大臣はあの時、酔っているご様子には
見えませんでした。
私はアルコールを一滴も受けつけませんので、
その臭いには敏感です。
しかし中川前大臣からは、お酒の臭いは
しませんでした。
以下、日本の報道のどこが事実と異なっているか、
ご説明したいと思います。
今回の問題を最初に報道した朝日新聞に、こう書かれています。
《(バチカン博物館に)到着時から中川氏の足取りは
フラフラとおぼつかなく、言葉もはっきりしなかったという。
案内役の説明を聞かずに歩き回ったほか、
入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、
触ってはいけない展示品を素手で数回触ったりした。
そのために警備室の警報が少なくとも一回なったという》
足取りがふらふらしていたかは、見る人の主観によるものでしょう。
しかし言葉がはっきりしなかったとは、いったい誰が
言っているのでしょうか。
見学の間中、中川前大臣とお話したのは通訳であった私です。
中川前大臣の言葉は、非常にはっきりして
おりました。
「案内役の説明を聞かずに歩き回った・・・」というのも、
おかしな話です。
案内役とはイタリア人ガイドの事でしょうが、
彼女のイタリア語の説明を中川前大臣が
聞けるはずがありません。
中川前大臣は、私の通訳を聞いていたのです。
私が通訳をしている間は。
もちろん歩き回りなどしませんでしたし、
非常に熱心に耳を傾けておられました。
「入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、
触ってはいけない展示品を素手で数回触ったりした」
というのも、私には大いに疑問です。
少なくとも私は、明らかに非常識とされる場面は
目撃しませんでした。
一つだけ心当たりがあるとすれば、朝日新聞の記事に
出てくる次のような指摘です。
《バチカン博物館でも特に有名な、「八角形の中庭」の
「ラオコーン」像を見学した際には、観光客が
近づき過ぎないようにするための高さ三十センチのさくを
乗り越えて石像の台座に座るなど、非常識な行動をとったという》
この時の様子は、私も覚えています。
さくというのは誤りで、実際はロープでしたが、
中川前大臣がラオコーン像に見入るあまり、
ロープを越えて近づいたのは確かです。
このため、そばにいた警備員がイタリア人ガイドに
一言二言注意しましたが、中川前大臣はすぐ戻ったため、
特に問題にはなりませんでした。
「石像の台座に触る」こともしていません。
記事が指摘するような「非常識な行動をとった」とは、
私を含め周囲の誰も思わなかったことだけは、
述べておきたいと思います。
バチカン博物館は規模が大きく、普通に見学すれば
五~六時間はかかります。
そこを一時間半ほどで見て回り、しかも世界最大級の
教会堂建築として知られるサン・ピエトロ大聖堂まで
見学したのですから、相当な急ぎ足で、とても「フラフラ」できる
余裕はありませんでした。
しかし、十分な時間はとれなかったとはいえ、
このときの見学は、とても有意義であったと私は思っています。
中川前大臣は私に、美術と歴史に関する事を、
とても気さくに話しかけて来られました。
お話の内容から、とくに古代ローマへのご関心が
高いようでしたので、
私はイタリア人ガイドに指示して、ローマ美術と
それ以前のエルトリア美術を展示してあるコーナーを
集中的にご案内しました。
私は通訳の役目を、十分に果たしたものと満足にしていました。
ところが一週間後、あのような報道がなされたのです。
この間、バチカンで中川前大臣の
「非常識な行動」が話題になった事は全くなく
(そもそも非常識な行動などなかったのですから
話題にならなくて当たり前ですが)、それこそ
寝耳に水の思いでした。
朝日新聞の報道ののち、私は日本の新聞社、
通信社、テレビ局から取材を受け事実かどうかと
聞かれました。
そこで、中川前大臣の行動に非常識な点は
なかったと繰り返しご説明したのですが、
私の発言は一行も報じられませんでした。
日本のマスコミはすでに、
中川前大臣は酔っていたはずだ、非常識な行動を
したに違いない、という先入観にとらわれており、
私の意見をまともに聞こうとはしなかったのでしょう。
どの報道も朝日新聞と似たり寄ったりだったことは、
残念でたまりません。
中川前大臣には、ご同情申し上げます。
また、御家族をはじめ身近な人たちのご心痛を思うと、
やり切れない思いです。
私はたまたま通訳として、今回始めて中川前大臣と
お会いしましたが、その場にいたものとして、事実と
異なる報道で苦しんでおられるのを見過ごすわけには
いきません。
このため取材にも積極的に応じてきましたが、
記者たちの先入観を改めることはできませんでした。
今はただ、バチカン観光における誤解が一日も早く解け、
皆さまに心に平穏が訪れるよう、祈るだけです。
正論2009年5月号 P100~101
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2009年8月30日 衆院選十勝選挙区落選
2009年10月4日 自宅にて逝去
中川さんの告別式の日、このような追悼番組
つくるのであれば、何故、ローマの会見の時、
本当のことを伝えなかったのですか?↓
【追悼 中川昭一先生】 甘利明議員が中川先生について語る(1/2) 】
【追悼 中川昭一先生】 甘利明議員が中川先生について語る(2/2) 】
何故あれほどまでに気の狂った報道をしたのですか?
人一人殺すのも平気、なんとも思わず、マスコミは、
言葉の力で、画像の力で、ペンの力で叩き潰す。
叩きのめす。
■上記の告別式直後のテレビ出演で語った甘利さんの言葉です。↓
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彼、腰痛がひどくて薬飲んでたんですよね。
無理をしてますし、本当はもう、病院に
ひと月ふた月入って、オーバーホール
(心身を癒す)をしなくちゃいけないんですね。
そのことも安倍元総理も随分勧めたらしいんですけどね、
なかなか人の言うこと聞かないんですよね、
頑固モンだから・・。
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生前の中川さん。
水が如何に大事であるか。
水問題から、エネルギー問題へ。
そして、国を守るとはどういうことなのか。
全ては繋がっている。
そのことを平易に話してくださっています。↓
★中川昭一・元農林水産大臣に聞く!「水の問題を考える」
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 1 】
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 2 】
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 3 】
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 4 】
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 5 】
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 6 】
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 7 】
そして、この動画の最後で、仰っていること。
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日本の諺である「人の噂も75日」。
それが、海外でも知れ渡っている。
でも、拉致問題にしろ、餃子問題にしろ、
東シナ海の問題にしても、日本にとって
大事なことは決して忘れてはいけない。
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そして、中川さんが力を入れていた「水資源を守る!」
に関して、先日の6月18日午後の衆院本会議で、
国内の水資源を保全するための 「水循環基本法案」が
全会一致で可決されました!
水を「国民共有の貴重な財産」と位置付け、
外国資本による水源地や周辺地域の買収、
乱開発に対抗し、 政府や自治体が保全策を
講じる責務が明記されました。
■2007年9月22日。
自民党総裁選、麻生さんの応援演説。
新宿駅東口にて。
日本の危機を懸命に伝えてくれていました。
もう、6年近く前です。
【中川昭一の段々熱くなってくる麻生太郎閣下への応援演説! 】
>我々は誇りをもって、自由と民主主義と、そして何よりも
皆さんの声をしっかり受け止めて、そして謙虚に謙虚に
皆さんの声を聴いて、それぞれの皆さん方の仕事や暮らしが
より元気で前進できるように頑張って参ります!
>大都会も、皆さん方のふるさとなんです。ふるさとには
伝統と歴史と誇りがあるんです。日本中のふるさとの誇りを
さらに増していけるような政治を皆でやっていこうじゃ
ありませんか!
そして、遺稿ともいうべき中川さんの最後のメッセージ・・。
【衆議院議員 中川昭一 公式サイト : 中川昭一が語る】
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私の選挙が終わった。
多くの人々が仕事、家庭、お盆を犠牲にして
私の為に戦ってくれた。
選挙区外からも大勢の人々が駆けつけてくれた。
そして、それぞれの選挙運動を一生懸命やってくれた。
朝6時頃、選挙事務所を飛び出して行く人たち、
一日中車のハンドルを握ってくれた人たち。
毎日毎日運動靴を履いて、雨や汗にまみれながら、
一軒一軒「お願い」に行く人たち。
相手から怒鳴られたり、泣かれたり、また励まされたり・・・・。
皆、事前から危機を共有していたのでエネルギーは
質・量とも感動的だった。
全国から毎日たくさんの激励・応援の手紙や
メール等々も頂いた。
事務所の何枚もの大きなボードに掲載したが、
どんなに励みになったか。
それでも負けた。
活動してくれた人々、約9万人の支持を考えると
誠にありがたい。
かつ申し訳ない。悔しい。
しかし、十勝の総意として、私は否定された。
敗因は逆風もあったが、やはり私自身の報道問題と、
私が訴え続けたこのままでは「十勝が危ない」
「日本が危ない」が有権者に受け入れられなかった
ことだろう。
選挙中、周りの人からは
「あまり民主党を攻撃するな」と言われた。
もちろん自分の主張はしたが、マスコミは既に
我々の敗北が決まった様な報道をしているので、
そうなれば「大変なことになる」と訴えざるを得なかった。
「泣け」とか「土下座しろ」というアドバイスもあったが、
私には出来なかった。
この間2度公開討論会があり、
「これが選挙のあるべき姿だ」と思い大変重視したが、
全く「討論会」にならなかった。
形式的で3人で1時間半しかない。
入場者も議論に参加した、候補者が主役で、
候補者の主張の違いが明確になる「朝まで討論方式」
でなければ意味がない。
12日間、大音量で連呼を続け、人々と動物等に
多大な迷惑をかけた。
改めて「全ての十勝」に感謝と御礼の気持ちでいっぱいだ。
それから2週間経過し、十勝は夜を徹して
収穫の真っ盛り。
コスモスが咲き乱れている。
マスコミは新政権の行方と自民党の混乱、
そして事件・事故報道ばかり。
予想通り「危ない政権の危ない日本作り」が
着々と進んでいる。
そんな中JALの経営危機問題。
この問題は永年の労組中心の高コスト構造と
甘い経営に尽きる。
アメリカのGMと同じだ。
労組は
「自分達の労働条件が悪化すると乗客の
安全性が保証できない」
と客の生命を人質に脅かしている。
新政権になれば、ますます労組の主張が通るだろう。
だからこそ、日本と日本人を守るために自民党が
しっかりしなければならない。
ところが・・・・・。
党内議論は
「若手に主導を渡せ」「上の人間は出て行け」
「派閥をなくせ」・・・・。
党がおかしくなると感じた時に、毎回「セミ」のように
騒いでいる。
近くは、今回解散前、遠くは今から16年前の記憶が
私には鮮明だ。
平成5年、我々は負けて野党になった。
(私は当選したが)。
やはり、不況、悪天候で不作、年末には
ウルグアイラウンド(GATT、WTOの前身)で
細川内閣は「無条件降伏」をした。
あの時も党内で上を下への大議論をやった。
しかし、激論の末、石原慎太郎さんの下で
党再生の本格的議論が始まった。
私も参加して、各分野ごとに、日本の為に
党はどうなるべきか、どういう政策を打ち出すべきかを
連日議論した。
そして一年後、政権政党に戻った。
その前提は唯一つ「保守」であった。
そう、自民党の原点は「保守」なのだ。
そして今こそ原点に戻るべきなのだ。
「保守」とは守るべきものを守り、保守すべきために
改革する。
そして国民の活力に期待して成長のための
戦略を描く。
リベラリズム、ポピュリズム政権とどう区別し、
対抗していくか。
しかし、前進―地球の中で生き残り、
真に国民を守るために何をなすべきか。
と言った議論が全く欠けている。
私を含め、「保守」議員の多くがいなくなったが、
まだ残っている。
彼らがいかに保守の旗印をもう一度立て直し、
日本を守り、真の意味で国民を守るかを
真摯に議論してほしい。
心ある国民はそれを是非応援してほしい。
自民党は末期的だが、今こそ日本の保守の軸を改めて
確立するために全力を尽くすべきだ。
さもなければ、日本は世界の中で埋没しながら
自壊してゆく。
P.S.
過日、麻生総理の
「就任直後に解散しておけば勝っていたかもしれない。
しかし、経済状況を考えると、とてもそれはできなかった。」
という主旨の報道があった。
それが総理の本音であり、総理という立場の
判断の辛さだと思う。
私は麻生総理に対し、心から申し訳なく思っている。
何故なら、昨年来、経済・生活対策を最優先に
すべしと一番強く迫ったのは、財務・金融担当大臣
つまり私だからである。
何よりも政局より、政策実行の為に。
総理の選挙を負けさせ退陣に追い込んでしまった。
私も議席を失ったが、あの時の判断は、
その後の対策が日本と世界を上向きにしつつある
現状を見ても、間違っていなかったと今でも思っている。
私は今後新たに決意を持って進んでいきます。
発信していきます。
「日本が危ない」から。
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【中川昭一先生の葬儀にて 弔辞・安倍晋三議員】
【麻生総理の358日 ~君がくれたもの~】
【追記】 2021年10月3日
中川さん、あの時、自分も気が付かなかった。
本当に本当に恐ろしかった民主党や共産党、そして何よりマスコミ。
あの狂った扇動は、この連中が仕掛けたものだとずっと思ってきた。
でも違ってたんですよ・・。
敵は内側にいた。
第一次安倍政権の時も。
2000年、河野洋平の北朝鮮へのコメ支援。
そして2002年9月。
小泉訪朝。
「8人死亡5人一時帰国で日朝国交正常化と経済支援」
拉致被害者を完全に見捨てて、国交正常化と経済支援を
優先しようとした。
官房副長官だった安倍さんには直前まで知らされなかった。
その非情な「結論」を阻止したのが安倍さんだったよね。
あの時のマスコミや民主党らの
「いったん5人を北に戻せ!」
という大合唱は今でも鮮明に覚えている。
本当に信じられなかった。
でもまさしくメディアは小泉の思い通りに叫んでいたんだよね。
5人を北には返さない。
その安倍さんの手柄は、何故か
「5人の拉致被害者を取り戻した小泉総理」
と、小泉の手柄となり、小泉はさらに人気を上げ、
ワンフレーズの大衆の喜ぶ派手な政治で長期政権と
なった。
そしてそこから
「全ての拉致被害者即時一括帰国」を最優先とする
安倍さん、中川さん、麻生さんを潰す異常な扇動が始まった。
小泉の重用したブレーン。
竹中や高橋洋一。
そして竹中が総務相だった時に副総理だった菅義偉。
河野洋平の息子で、2009年、背中から撃ち続けた
河野太郎と平将明、山本一太。
菅義偉と竹中が読売TVの「そこまで言って委員会」で
売り込み大阪の首長に送り込んだ橋下。
2002年、ロクに拉致議連の活動もせぬままに議連の
会長等になって、小泉訪朝時に拉致被害者ご家族の
傍に並び、TVで顔を売っただけの小池百合子と石破。
極端な新自由主義に傾倒し、北朝鮮利権とも繋がる
菅一派。
扇動元は、この連中だったんですよ・・。
味方のフリして中からメディアをコントロールして、あの
異常な扇動を仕掛けたんですよ。
民主党の政策は、すべて菅一派の政策と同じ。
「コンクリートから人へ」「事業仕分け」は、官僚叩きと無駄撲滅。
河野太郎が2021年総裁選でぶち上げた「最低保障年金」も
「再エネ100%」も「脱原発」も、菅直人政権とまるで同じ。
中川さんのイタリアでの会見も、もしかしたら・・という
疑念しかない。
その後も「既得権益がー」なる扇動言葉で、邪魔者を
悪に仕立てて、テレビコントロールして正義のミカタヅラで
人気を得、権力を握っていく。
その扇動が繰り返された。しかも保守釣り扇動。
ヒトラー手法。
中川さんと麻生さんを潰した狂った扇動は、今も
思い出すと涙が出て来る。
必死で戦ってくれた中川さんと麻生さん。
だから自分も必死でネットで声を出し、現実の生活の
中でもポスティングを必死にやった。
あの暑い夏、何か月も。
でも守ることが出来なかった・・。
あれから12年。
安倍さんが退陣後、冷酷で非情な菅・河野政権がありました。
1年間、本当に辛く苦しかった。
でも、岸田さんが再度立ち上がってくれて、覚悟を持って
戦い、 そして総裁になってくれた。
明日、第100代の総理になります。
もうすぐわかる。もうすぐ明らかになる。
岸田さんが必ず、全てを明らかにしてくれるよ。
必ず、全てが明らかになって、中川さんはじめ、安倍さん、
麻生さん、森さんたちや、官僚の方たち、都の職員さん達など、
冤罪をかけられ犠牲になった多くの方たちの名誉が
回復される。
必ず。
そして、中川さんが最も心配していた拉致問題も必ず
解決できると信じる。
どうか、見守ってください・・。
既に出航していたこというのを、昨日「SOSを出した」との
ネットニュースを見て初めて知った。
全盲のヨットマンと一緒だということも初めて知った。
私は辛坊個人の冒険かと思っていた。
最初に思ったのは、「24時間テレビのネタだったのか?」
ということだった。
そして「出航してまだ一週間経ってなかったのか。そうですか。」と
、無理に淡々と思う。
そして夜10時半、海自に助けられた2人が、報ステで映しだされ、
立ったままの会見が行われた。
辛坊らの顔と言葉を聞いてて、本心から「助かってよかった」と思った。
「本心から」と書いたのは、それまでは正直色々複雑な思いがあったからだ。
命がけで助けてくれた海自の人たちへの感謝の言葉も聞かれた。
でも聞いてるうちに、やっぱり思ったのは、「今までのこと、謝れよ・・・」だった。
辛坊は、何本も束ねたマイクの塊を手に持って立ったまま喋っていた。
本人が、そのマイクを自分にくれるように言ったのかどうか知らない。
救命ボートの中で夜を迎えてしまうと何が起こるかわからない、
体温も相当低くなって危険な状態だった、本当に危険だったのだと思う。
しかし、・・・結構喋る・・・。
助けられたばかりで疲れているなら、深々とお詫びとお礼を言って、
少し休めばいいのに。
厚木基地から移動して、改めて椅子に座って長机の前に
マイクを置いて記者会見すればいいのにと思った。
点滴を受けるまでもなく元気だったと見て良いのか。
しかし、普通なら精神的にも憔悴する。それをお構いなしに
通常マスコミは「そこ」をめがけて来るのだが。
逆に言えば、余り「ハードな前例」を作ってほしくない。
そんな風に思った。
今朝、またニュースで見たのは、昨夜0時を回って
吉本会館(なぜかここなのか知らない)に戻ってからの会見だった。
また立ったままの同じ形だった。
救助してくれた海自の人に名前を聞いたこと。
海自の人がチームで救助しているから名前は言わないと答えたこと。
「ではチームの名前を」と聞くと、腕につけていたワッペン剥がして
渡してくれたこと。
感動しながら、テレビに向かってワッペンを見せる辛坊。
「この国の国民でよかった。」
この言葉が「感動」を呼ぶのか・・・。冷めた気持ちが起こる。
YAHOOのコメント欄を見てみた。全て、「そう思う」が高得点のコメント。↓
===========
★「今後はニュースキャスターとして、人命救助に当たる警察、消防、
海上保安庁、自衛隊などの職員の活動を、広く国民に的確に伝えていって欲しい。
それがキャスターとして助けてくれた人たちに出来る恩返しになると思う。」
★「この遭難事故を糧として、これまでの辛坊キャスターより、
一回り大きなニュースキャスターとして活躍されることを望みます。」
★「人として、感謝と謝罪を述べた二人は、悪くない。
本当の悪党は、偽善番組をする局、でなきゃ、スポンサーもつかないし、
派手に放送しないでしょ。」
★「いったん休んだら、その経験をこそ語ってほしい
それが責任とかどうとかいうよりも、実体験を持っていることこそが、
コメントに深みが出ると思うんだ。
★「貴重な体験談になったことは確か。ただ今回のトラブルは
不可抗力だと思うけどな。
批判する輩もいるのは理解できるけど、では潔く海で散れと
言うのはおかしな話だし、税金で助けるな的な話も的外れで、
税金で有ろうが無かろうが、あれが彼等の仕事ですから非難に値しないよ。」
★「批難するコメントが多いが、もともとこれは視覚障害者を
サポートするために、乗船したのだから、無事生還できて、
任務を果たせたと考えるべき。
主役は辛坊さんじゃないんだから。
今後ただのイケイケの評論ではなく、実のあるコメンテーターに
なってほしい。」
★「救助されて無事で良かった。
救助する側も命がけだった。批判する人がいるけど
なぜ批判するのか?と思う。
確かに彼はコメンテーターとして色々批判したとは思う。
しかしこれとは別でしょう、と思う。」
★「辛坊さん、すごく感謝してたんですよね。
救助の際、隊員に名前を聞いたけど お答えできません って言われて、
それでもその隊員の方を忘れたくない…と言う思いで
ワッペンを頂いたらしく、会見の時に握りしめていた…これを聞いた時、
辛坊さんでないけど、この国…日本人で良かっ たと思った。
今は休養し、今後、コメントを発する立場から海保に恩返しをすればいいと思う。」
★「無事で安心した。優秀な自衛隊のおかげだな。日本は最高だ!!
今は辛いと思うが貴重な経験を無駄にせず、コメンテーターとして
これからも頑張れ!!
心無いバッシングに負けるな!」
=========
「心ないバッシングに負けるな!」か・・。
イジメをしていた人間が、それに気づいた周囲から
批判や無視をされ始めると、とたんに被害者側に立つ。
これで、元々のイジメの中身が有耶無耶にされてしまう。
そういうことが多々ある。
あとは、そのイジメの度合。
暴行殺人は勿論、自殺レベルにまで追い込む者は、
もはや「イジメ」などという軽い言葉では済まされない。
そう、「言葉の暴力」も、そんなナマっちょろい言葉では
済まされない。
加害者側の人権が殊更に声高に叫ばれることによって、
泣き寝入りが多い世の中。
有名人でもいる。俳優とか。
でも、正直、どうかと思う。
受けた側は耐えられない。
ましてや、被害者側がその「イジメ」をきっかけに
死ぬようなことになれば、
もう、その「償い」など出来ない。
軽々しく捉えられることこそが忌まわしい。
人が死へと追い詰められていく過程は悲惨だ。
2009年2月、ローマで行われたG7の財務大臣・中央銀行総裁会議。
世界は、中川昭一財務大臣の手腕を称賛していた。
■麻生さんの弔辞。↓
=============
昭ちゃん、
まさか貴方の弔辞を13歳も年上の私が読むことに
なろうとは全く思ってもみませんでした。
自由民主党は真に得難い人材を失ったと悔やまれて
なりません。
昨年(2008年)11月にワシントンで
緊急のG20金融サミットが行われました。
世界的に急激な金融の信用収縮発生が
予想された状況下です。
そこで日本がIMF・国際通貨基金に10兆円を
融資する事によって、開発途上国の財政破錠を
防ぐと提案しました。
財政状況の厳しい日本が10兆円の資金を出すと
言ったので、霞が関では当然反対の声が挙がりました。
しかし、「これは融資であって増資ではない」という
私の主旨を一言で理解して、 直ちに財務省に
話をつけたのが中川財務大臣でした。
後にIMFのストロスカーン専務理事をして
「あの日本の決意が米国、欧州を動かし、
結果として世界を金融恐慌から救ってくれた」
との弁を語り、感謝状も戴きました。
日本でその意味を理解している人が今もって
極めて少ないのは、甚だ残念の極みです。
しかし、国際的な金融機関における評価が
極めて高いのは事実であり、 後世の歴史家が
評価してくれると確信しています。
政治家は我身無念と思えども 国の為なら本懐なり
貴方にこの言葉を贈りたいと思います。
自民党は保守理念の再構築をしなければなりません。
その時にその中核を担うと期待していた中川昭一先生を
失い、我々の気力が萎えたことも事実です。
しかし我々は貴方の遺志に応える義務と責任があると
存じます。
死せる中川 生ける保守を走らす
それが貴方が最も望んでいることでしょう。
残された我々は歯を食いしばって頑張ります。
どうぞ安らかにお休みください。
政治家・中川昭一に改めて感謝の気持ちを申し上げ、
お別れの言葉と致します。
平成21年10月16日 麻生太郎
=================
辛坊治郎とマスコミ。
中川さんの功績を何故報道しなかったのですか?
ローマでの会見の時、一緒にいた白川日銀総裁は
何故あんなに平気な顔をしていたのですか?
財務官僚も何故?
読売新聞の越前谷知子は、記者でありながら、
何故あの日の出来事を書かない?
ブルームバーグの記者は?
あの日の一部始終を教えて下さい!どうか!
我が国の財務大臣の様子がおかしいことに対して、
何故国民も心配しなかったのですか?
あれだけひどい状態になっていたことに対して、
「何か異変が起きているのではないか」と、
心配する声が全く上がらなかったのは何故ですか?
「原因を究明せねばいけないのではないか」との
報道をしたマスコミが全くなかったのは何故ですか?
完全に「酩酊会見」と最初から決めつけて、
叩きまくった、マスコミ。
何故ですか?
コメンテーター。司会者。誰一人として、心配するものは
いなかった。
皆が馬鹿にし、嘲り、笑い、一人の日本人を、我が国の
国思う大臣を貶めた。
世界の恥??
外人記者の個人のブログのコメントをあたかも世界の評価の
ように取り上げ、それで世界の恥???
リーマン・ショックの危機を救ったのは中川さんと麻生さんだ、
という事実を何故伝えなかった!?
朝ズバの連中。みの、杉尾、末吉!特に酷かった・・・。
皆覚えている・・・。
皆、毎日、毎日、このように滅茶苦茶に叩いたのだ。↓
【中川もうろう会見の真相を報じないメディア・宮台真司】
何もかも「身勝手なレッテル貼りと妄想」! 吐き気がする!
宮台真司は北朝鮮拉致被害者の5人が帰ってきた時に、
「一旦返せ」といっていた人間だ。
そして、辛坊治郎の猛烈なバッシング。
リアルに聴いていて呆然とした・・。
まともな人間の言う言葉なのか?これが!
自分の子供の前でこんなことが言えるのか?
「イジメの手本」そのままだ!!
音声を隠したところは一体何を言ったのだ?
隠さなければいけない程の言葉を言ったのか!?
自死遺族の苦悩をご存知か!!
【眠ったままの日本人へ~中川昭一氏が残したもの 】
■絶対に許せない辛坊治郎の中川さんへの言葉。↓
=============
「お父さんも自殺されたし、ああいうこと
(「酩酊」会見など)を何回も何回もTVで放送すると、
本人は自殺の恐れがあるから、もうこの辺で
止めといてやろうやないかいという話になるじゃ
ないですか。
とんでもない話だと!!
あんなものはね××××(放送自粛音)と思いますよ。
あんだけ国際社会に恥かいてね、オメオメねぇ
オメオメ有権者の前にもういっぺん出るなと!
あんなん、二度と再びたぶん出られないと!
出てきたら必ずあのVTR(「酩酊」会見など)を
流されますからね。
その意味ではね!
世の中にはやっちゃいけない事があるんだって。」
==============
中川さんに対してだけではない、一昨年8月の鬱陵島視察の
自民3議員に対しても猛烈な暴言を吐いた。↓
2011年08月20日 辛坊治郎氏が鬱陵島視察目的の自民3議員に対して暴言
==========
「この3人も、こういう中途半端なことして韓国との外交関係を
壊すのは私はアホだなと正直思いますね。
本気でやるなら、この三人、ホントに腰抜けだなと思うのは、
私なら漁船チャーターして直接竹島に上陸しますよ。
中途半端に隣の島に行って何の役に立つんだ。
バカじゃねーかと思いますね。
竹島行け竹島に!馬鹿者、腰抜けども!私はそう思います。」
==========
写真を燃やされ、まさかの棺桶まで準備され、稲田朋美議員、
佐藤正久議員、新藤義孝議員の3名が「もしもの覚悟」を
持たなければならないほどの異常な対応を我が国の国会議員として
受けた、この由々しき事態を、どうしてここまで
バッシングする必要があるのか。
中川さんのバチカン博物館訪問の報道も異常だった。
真実は、こうだったのに・・。↓
==============
【バチカン神父が見た“あの日”の大臣】
バチカン放送局 神父 和田誠
私は今、日本から送られてくる報道に、
大きな戸惑いと、深い悲しみを抱いています。
私自身も関わった中川前大臣の博物館見学が、
何故あのように、事実と異なる形で報じられるのでしょうか。
私は見学の間中、通訳として中川前大臣の最も
側近くにおりましたが、報道のような非常識な行為を、
見た記憶はありません。
また、中川前大臣はあの時、酔っているご様子には
見えませんでした。
私はアルコールを一滴も受けつけませんので、
その臭いには敏感です。
しかし中川前大臣からは、お酒の臭いは
しませんでした。
以下、日本の報道のどこが事実と異なっているか、
ご説明したいと思います。
今回の問題を最初に報道した朝日新聞に、こう書かれています。
《(バチカン博物館に)到着時から中川氏の足取りは
フラフラとおぼつかなく、言葉もはっきりしなかったという。
案内役の説明を聞かずに歩き回ったほか、
入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、
触ってはいけない展示品を素手で数回触ったりした。
そのために警備室の警報が少なくとも一回なったという》
足取りがふらふらしていたかは、見る人の主観によるものでしょう。
しかし言葉がはっきりしなかったとは、いったい誰が
言っているのでしょうか。
見学の間中、中川前大臣とお話したのは通訳であった私です。
中川前大臣の言葉は、非常にはっきりして
おりました。
「案内役の説明を聞かずに歩き回った・・・」というのも、
おかしな話です。
案内役とはイタリア人ガイドの事でしょうが、
彼女のイタリア語の説明を中川前大臣が
聞けるはずがありません。
中川前大臣は、私の通訳を聞いていたのです。
私が通訳をしている間は。
もちろん歩き回りなどしませんでしたし、
非常に熱心に耳を傾けておられました。
「入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、
触ってはいけない展示品を素手で数回触ったりした」
というのも、私には大いに疑問です。
少なくとも私は、明らかに非常識とされる場面は
目撃しませんでした。
一つだけ心当たりがあるとすれば、朝日新聞の記事に
出てくる次のような指摘です。
《バチカン博物館でも特に有名な、「八角形の中庭」の
「ラオコーン」像を見学した際には、観光客が
近づき過ぎないようにするための高さ三十センチのさくを
乗り越えて石像の台座に座るなど、非常識な行動をとったという》
この時の様子は、私も覚えています。
さくというのは誤りで、実際はロープでしたが、
中川前大臣がラオコーン像に見入るあまり、
ロープを越えて近づいたのは確かです。
このため、そばにいた警備員がイタリア人ガイドに
一言二言注意しましたが、中川前大臣はすぐ戻ったため、
特に問題にはなりませんでした。
「石像の台座に触る」こともしていません。
記事が指摘するような「非常識な行動をとった」とは、
私を含め周囲の誰も思わなかったことだけは、
述べておきたいと思います。
バチカン博物館は規模が大きく、普通に見学すれば
五~六時間はかかります。
そこを一時間半ほどで見て回り、しかも世界最大級の
教会堂建築として知られるサン・ピエトロ大聖堂まで
見学したのですから、相当な急ぎ足で、とても「フラフラ」できる
余裕はありませんでした。
しかし、十分な時間はとれなかったとはいえ、
このときの見学は、とても有意義であったと私は思っています。
中川前大臣は私に、美術と歴史に関する事を、
とても気さくに話しかけて来られました。
お話の内容から、とくに古代ローマへのご関心が
高いようでしたので、
私はイタリア人ガイドに指示して、ローマ美術と
それ以前のエルトリア美術を展示してあるコーナーを
集中的にご案内しました。
私は通訳の役目を、十分に果たしたものと満足にしていました。
ところが一週間後、あのような報道がなされたのです。
この間、バチカンで中川前大臣の
「非常識な行動」が話題になった事は全くなく
(そもそも非常識な行動などなかったのですから
話題にならなくて当たり前ですが)、それこそ
寝耳に水の思いでした。
朝日新聞の報道ののち、私は日本の新聞社、
通信社、テレビ局から取材を受け事実かどうかと
聞かれました。
そこで、中川前大臣の行動に非常識な点は
なかったと繰り返しご説明したのですが、
私の発言は一行も報じられませんでした。
日本のマスコミはすでに、
中川前大臣は酔っていたはずだ、非常識な行動を
したに違いない、という先入観にとらわれており、
私の意見をまともに聞こうとはしなかったのでしょう。
どの報道も朝日新聞と似たり寄ったりだったことは、
残念でたまりません。
中川前大臣には、ご同情申し上げます。
また、御家族をはじめ身近な人たちのご心痛を思うと、
やり切れない思いです。
私はたまたま通訳として、今回始めて中川前大臣と
お会いしましたが、その場にいたものとして、事実と
異なる報道で苦しんでおられるのを見過ごすわけには
いきません。
このため取材にも積極的に応じてきましたが、
記者たちの先入観を改めることはできませんでした。
今はただ、バチカン観光における誤解が一日も早く解け、
皆さまに心に平穏が訪れるよう、祈るだけです。
正論2009年5月号 P100~101
==============
2009年8月30日 衆院選十勝選挙区落選
2009年10月4日 自宅にて逝去
中川さんの告別式の日、このような追悼番組
つくるのであれば、何故、ローマの会見の時、
本当のことを伝えなかったのですか?↓
【追悼 中川昭一先生】 甘利明議員が中川先生について語る(1/2) 】
【追悼 中川昭一先生】 甘利明議員が中川先生について語る(2/2) 】
何故あれほどまでに気の狂った報道をしたのですか?
人一人殺すのも平気、なんとも思わず、マスコミは、
言葉の力で、画像の力で、ペンの力で叩き潰す。
叩きのめす。
■上記の告別式直後のテレビ出演で語った甘利さんの言葉です。↓
=========
彼、腰痛がひどくて薬飲んでたんですよね。
無理をしてますし、本当はもう、病院に
ひと月ふた月入って、オーバーホール
(心身を癒す)をしなくちゃいけないんですね。
そのことも安倍元総理も随分勧めたらしいんですけどね、
なかなか人の言うこと聞かないんですよね、
頑固モンだから・・。
==========
生前の中川さん。
水が如何に大事であるか。
水問題から、エネルギー問題へ。
そして、国を守るとはどういうことなのか。
全ては繋がっている。
そのことを平易に話してくださっています。↓
★中川昭一・元農林水産大臣に聞く!「水の問題を考える」
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 1 】
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 2 】
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 3 】
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 4 】
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 5 】
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 6 】
【2008/6/21 政治学原論 中山泰秀・中川昭一 7 】
そして、この動画の最後で、仰っていること。
================
日本の諺である「人の噂も75日」。
それが、海外でも知れ渡っている。
でも、拉致問題にしろ、餃子問題にしろ、
東シナ海の問題にしても、日本にとって
大事なことは決して忘れてはいけない。
================
そして、中川さんが力を入れていた「水資源を守る!」
に関して、先日の6月18日午後の衆院本会議で、
国内の水資源を保全するための 「水循環基本法案」が
全会一致で可決されました!
水を「国民共有の貴重な財産」と位置付け、
外国資本による水源地や周辺地域の買収、
乱開発に対抗し、 政府や自治体が保全策を
講じる責務が明記されました。
■2007年9月22日。
自民党総裁選、麻生さんの応援演説。
新宿駅東口にて。
日本の危機を懸命に伝えてくれていました。
もう、6年近く前です。
【中川昭一の段々熱くなってくる麻生太郎閣下への応援演説! 】
>我々は誇りをもって、自由と民主主義と、そして何よりも
皆さんの声をしっかり受け止めて、そして謙虚に謙虚に
皆さんの声を聴いて、それぞれの皆さん方の仕事や暮らしが
より元気で前進できるように頑張って参ります!
>大都会も、皆さん方のふるさとなんです。ふるさとには
伝統と歴史と誇りがあるんです。日本中のふるさとの誇りを
さらに増していけるような政治を皆でやっていこうじゃ
ありませんか!
そして、遺稿ともいうべき中川さんの最後のメッセージ・・。
【衆議院議員 中川昭一 公式サイト : 中川昭一が語る】
================
私の選挙が終わった。
多くの人々が仕事、家庭、お盆を犠牲にして
私の為に戦ってくれた。
選挙区外からも大勢の人々が駆けつけてくれた。
そして、それぞれの選挙運動を一生懸命やってくれた。
朝6時頃、選挙事務所を飛び出して行く人たち、
一日中車のハンドルを握ってくれた人たち。
毎日毎日運動靴を履いて、雨や汗にまみれながら、
一軒一軒「お願い」に行く人たち。
相手から怒鳴られたり、泣かれたり、また励まされたり・・・・。
皆、事前から危機を共有していたのでエネルギーは
質・量とも感動的だった。
全国から毎日たくさんの激励・応援の手紙や
メール等々も頂いた。
事務所の何枚もの大きなボードに掲載したが、
どんなに励みになったか。
それでも負けた。
活動してくれた人々、約9万人の支持を考えると
誠にありがたい。
かつ申し訳ない。悔しい。
しかし、十勝の総意として、私は否定された。
敗因は逆風もあったが、やはり私自身の報道問題と、
私が訴え続けたこのままでは「十勝が危ない」
「日本が危ない」が有権者に受け入れられなかった
ことだろう。
選挙中、周りの人からは
「あまり民主党を攻撃するな」と言われた。
もちろん自分の主張はしたが、マスコミは既に
我々の敗北が決まった様な報道をしているので、
そうなれば「大変なことになる」と訴えざるを得なかった。
「泣け」とか「土下座しろ」というアドバイスもあったが、
私には出来なかった。
この間2度公開討論会があり、
「これが選挙のあるべき姿だ」と思い大変重視したが、
全く「討論会」にならなかった。
形式的で3人で1時間半しかない。
入場者も議論に参加した、候補者が主役で、
候補者の主張の違いが明確になる「朝まで討論方式」
でなければ意味がない。
12日間、大音量で連呼を続け、人々と動物等に
多大な迷惑をかけた。
改めて「全ての十勝」に感謝と御礼の気持ちでいっぱいだ。
それから2週間経過し、十勝は夜を徹して
収穫の真っ盛り。
コスモスが咲き乱れている。
マスコミは新政権の行方と自民党の混乱、
そして事件・事故報道ばかり。
予想通り「危ない政権の危ない日本作り」が
着々と進んでいる。
そんな中JALの経営危機問題。
この問題は永年の労組中心の高コスト構造と
甘い経営に尽きる。
アメリカのGMと同じだ。
労組は
「自分達の労働条件が悪化すると乗客の
安全性が保証できない」
と客の生命を人質に脅かしている。
新政権になれば、ますます労組の主張が通るだろう。
だからこそ、日本と日本人を守るために自民党が
しっかりしなければならない。
ところが・・・・・。
党内議論は
「若手に主導を渡せ」「上の人間は出て行け」
「派閥をなくせ」・・・・。
党がおかしくなると感じた時に、毎回「セミ」のように
騒いでいる。
近くは、今回解散前、遠くは今から16年前の記憶が
私には鮮明だ。
平成5年、我々は負けて野党になった。
(私は当選したが)。
やはり、不況、悪天候で不作、年末には
ウルグアイラウンド(GATT、WTOの前身)で
細川内閣は「無条件降伏」をした。
あの時も党内で上を下への大議論をやった。
しかし、激論の末、石原慎太郎さんの下で
党再生の本格的議論が始まった。
私も参加して、各分野ごとに、日本の為に
党はどうなるべきか、どういう政策を打ち出すべきかを
連日議論した。
そして一年後、政権政党に戻った。
その前提は唯一つ「保守」であった。
そう、自民党の原点は「保守」なのだ。
そして今こそ原点に戻るべきなのだ。
「保守」とは守るべきものを守り、保守すべきために
改革する。
そして国民の活力に期待して成長のための
戦略を描く。
リベラリズム、ポピュリズム政権とどう区別し、
対抗していくか。
しかし、前進―地球の中で生き残り、
真に国民を守るために何をなすべきか。
と言った議論が全く欠けている。
私を含め、「保守」議員の多くがいなくなったが、
まだ残っている。
彼らがいかに保守の旗印をもう一度立て直し、
日本を守り、真の意味で国民を守るかを
真摯に議論してほしい。
心ある国民はそれを是非応援してほしい。
自民党は末期的だが、今こそ日本の保守の軸を改めて
確立するために全力を尽くすべきだ。
さもなければ、日本は世界の中で埋没しながら
自壊してゆく。
P.S.
過日、麻生総理の
「就任直後に解散しておけば勝っていたかもしれない。
しかし、経済状況を考えると、とてもそれはできなかった。」
という主旨の報道があった。
それが総理の本音であり、総理という立場の
判断の辛さだと思う。
私は麻生総理に対し、心から申し訳なく思っている。
何故なら、昨年来、経済・生活対策を最優先に
すべしと一番強く迫ったのは、財務・金融担当大臣
つまり私だからである。
何よりも政局より、政策実行の為に。
総理の選挙を負けさせ退陣に追い込んでしまった。
私も議席を失ったが、あの時の判断は、
その後の対策が日本と世界を上向きにしつつある
現状を見ても、間違っていなかったと今でも思っている。
私は今後新たに決意を持って進んでいきます。
発信していきます。
「日本が危ない」から。
================
【中川昭一先生の葬儀にて 弔辞・安倍晋三議員】
【麻生総理の358日 ~君がくれたもの~】
【追記】 2021年10月3日
中川さん、あの時、自分も気が付かなかった。
本当に本当に恐ろしかった民主党や共産党、そして何よりマスコミ。
あの狂った扇動は、この連中が仕掛けたものだとずっと思ってきた。
でも違ってたんですよ・・。
敵は内側にいた。
第一次安倍政権の時も。
2000年、河野洋平の北朝鮮へのコメ支援。
そして2002年9月。
小泉訪朝。
「8人死亡5人一時帰国で日朝国交正常化と経済支援」
拉致被害者を完全に見捨てて、国交正常化と経済支援を
優先しようとした。
官房副長官だった安倍さんには直前まで知らされなかった。
その非情な「結論」を阻止したのが安倍さんだったよね。
あの時のマスコミや民主党らの
「いったん5人を北に戻せ!」
という大合唱は今でも鮮明に覚えている。
本当に信じられなかった。
でもまさしくメディアは小泉の思い通りに叫んでいたんだよね。
5人を北には返さない。
その安倍さんの手柄は、何故か
「5人の拉致被害者を取り戻した小泉総理」
と、小泉の手柄となり、小泉はさらに人気を上げ、
ワンフレーズの大衆の喜ぶ派手な政治で長期政権と
なった。
そしてそこから
「全ての拉致被害者即時一括帰国」を最優先とする
安倍さん、中川さん、麻生さんを潰す異常な扇動が始まった。
小泉の重用したブレーン。
竹中や高橋洋一。
そして竹中が総務相だった時に副総理だった菅義偉。
河野洋平の息子で、2009年、背中から撃ち続けた
河野太郎と平将明、山本一太。
菅義偉と竹中が読売TVの「そこまで言って委員会」で
売り込み大阪の首長に送り込んだ橋下。
2002年、ロクに拉致議連の活動もせぬままに議連の
会長等になって、小泉訪朝時に拉致被害者ご家族の
傍に並び、TVで顔を売っただけの小池百合子と石破。
極端な新自由主義に傾倒し、北朝鮮利権とも繋がる
菅一派。
扇動元は、この連中だったんですよ・・。
味方のフリして中からメディアをコントロールして、あの
異常な扇動を仕掛けたんですよ。
民主党の政策は、すべて菅一派の政策と同じ。
「コンクリートから人へ」「事業仕分け」は、官僚叩きと無駄撲滅。
河野太郎が2021年総裁選でぶち上げた「最低保障年金」も
「再エネ100%」も「脱原発」も、菅直人政権とまるで同じ。
中川さんのイタリアでの会見も、もしかしたら・・という
疑念しかない。
その後も「既得権益がー」なる扇動言葉で、邪魔者を
悪に仕立てて、テレビコントロールして正義のミカタヅラで
人気を得、権力を握っていく。
その扇動が繰り返された。しかも保守釣り扇動。
ヒトラー手法。
中川さんと麻生さんを潰した狂った扇動は、今も
思い出すと涙が出て来る。
必死で戦ってくれた中川さんと麻生さん。
だから自分も必死でネットで声を出し、現実の生活の
中でもポスティングを必死にやった。
あの暑い夏、何か月も。
でも守ることが出来なかった・・。
あれから12年。
安倍さんが退陣後、冷酷で非情な菅・河野政権がありました。
1年間、本当に辛く苦しかった。
でも、岸田さんが再度立ち上がってくれて、覚悟を持って
戦い、 そして総裁になってくれた。
明日、第100代の総理になります。
もうすぐわかる。もうすぐ明らかになる。
岸田さんが必ず、全てを明らかにしてくれるよ。
必ず、全てが明らかになって、中川さんはじめ、安倍さん、
麻生さん、森さんたちや、官僚の方たち、都の職員さん達など、
冤罪をかけられ犠牲になった多くの方たちの名誉が
回復される。
必ず。
そして、中川さんが最も心配していた拉致問題も必ず
解決できると信じる。
どうか、見守ってください・・。
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