自衛隊。イラク復興人道支援。ヒゲの隊長。キャプテン翼。サッカー。外務省。そして吉田茂の言葉。日本の誇り!
- 2013/06/11
- 20:07
長文です。

7月の参院選に出馬される「佐藤正久」防衛大臣政務官。
第一次安倍政権の参院選で出馬されてからずっと見てきた
議員さんで、私の長く信頼する議員さんのお一人です。
佐藤議員は陸上自衛隊イラク復興業務支援隊」の
隊長として2004年1月9日~8月1日の間、活動されました。
3年前、「キャプテン翼」大作戦というのを知り、佐藤議員の
ブログを他の保守ブログのコメントで紹介させて貰ったんですけど、
今回は、さらに出来るだけ多くのリポートを写真も添えて
取り上げたいと思います。↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
佐藤まさひさ オフィシャルページにある
『自衛隊イラク復興支援の時の【フォトアルバム】』です。↓
【佐藤まさひさオフィシャルページ 自衛隊イラク復興支援 フォトアルバム】
↑ページの一番下に【Prev [P.1/4] Next】と出ています。
「Next」をクリックすれば4ページに渡って
サマーワでの出来事を写真でみることが出来ます。
マスコミが全く伝えなかったイラク、サマーワでの
現地の人達と自衛隊の交流をぜひ見ていただきたいと思います。
★上記は「旧HP」で、今は新しくなっていますので、
そちらのリンクを下記に貼っておきます。↓
写真に関して、旧HPのほうが大きく出されているので、
両方共出しておきますね。
【佐藤正久公式WEBサイ ト『イラクの現場から』】
それぞれの写真に添えられた佐藤議員の言葉を
ピックアップしたいと思います。↓
関連動画も載せておきます。内容はわりと
連動していると思います。
【 国旗の重み~サマーワ市民と自衛隊員~ 】
★【自衛隊支援デモ】
忘れもしない、2004年5月6日。
子供の日の「鯉のぼり」セレモニーの翌日に、
イラク人道復興支援活動の全般において最も思い出深い
事件は起こりました。

日本ではあまり報道される事のなかった
「自衛隊支援デモ」です。
「自衛隊よ、お前達を危険な目に遭わせる奴は俺達が許さない」
「ぜひ残って、町の再建に協力してくれ」
嬉しさがこみ上げるとともに、何としてもイラクの復興支援活動を
成功させなければという思いが一層強くなりました。

“Honest Japanese: All of us are with you for re-building our safe city.”
(正直な日本人達よ、一緒に安全な町を再建しよう)

“We thank you for all efforts you exerted for us and for the peace”
(自衛隊が我々のために、そして平和のために努力している事に感謝している)↓

日の丸を掲げて、ほほ笑んでくれた親子。嬉しかったです。

有力者の方々と、固い握手を交わす佐藤。
「サマーワで自衛隊が出来る事は限られている。
けれど、常にベストを尽くそう。そして結果を出そう。」
支援デモは私にとっても隊員にとっても、大きな心の支えになりました。
★【給水活動(その1)】
給水タンクの上で合図をする隊員。
浄水設備により浄化された水を、給水車に注入します。

飲料用としても問題ない事を、佐藤自ら確認。
国内の災害派遣でも、水、それも「きれいな水」は重要です。
これなら現地の人々にも喜んで貰える、と番匠群長も太鼓判。

配布は現地サマーワの人々に委ねます。
全てのプロセスを自衛隊だけで完結させず、
現地の人々と参画範囲の境界をどの辺に設定するか。
悩んだ上での結論が
「外務省と自衛隊はあくまでも黒子に徹する事」
でした。

★【給水活動(その2)】
始めの頃は微力だった浄水・給水能力も、活動開始から
2ヶ月後には整備が進み、給水塔の完成と共に一気に能力アップ。
さながらガソリンスタンドの様です。
日本に親しみを持って貰えるよう、フロントガラスや
給水タンクには日の丸ステッカー。

有名な「キャプテン翼」仕様になる前のPR作戦でした。
キャプテン翼のアイデアは外務省・江端駐在官の発案から
実現しましたが、こうした柔軟な発想は自衛隊だけの
単独活動からは生まれなかったかも知れません。
給水塔完成式での記念写真です。
外務省と自衛隊の水が、「希望のオアシス」となる事を
願いつつ。

サマーワの人々自らの手で、タンクに注水。
魚を与えるのではなく、魚の採り方を教えるスタンスの
象徴的なショットです。

★【学校補修】
手帳を片手に、現地要望の聞き取り調査を行う佐藤。
現場は何を欲しているのか?ペンを走らせながら、
自衛隊が協力出来る事と現地ニーズの整合を図ります。

作業の段取りが決まり、友好の証の青い帽子を手渡す佐藤。
サッカーW杯の影響もあり、ここでも「サムライブルー」は
注目大です。

この日は学校の外壁補修。
イラクの人々は基本的に、勤勉で職人肌。
日本人の気質とも通じるものがあります。

休息中の、ワーカー達との1コマ。
常に現場の要望を聞き取るべく、片時も手帳は離せません。
右手にはサムアップ(親指を立てる仕草)、左手には手帳。

働く人の手は、昔も今も大好きです。
塗り壁汚れもなんのその、彼等の活き活きした笑顔を
見てください。
サマーワの人々の笑顔が、暑さも疲れも吹き飛ばして
くれます。

★【思い出のコレクション】
復興支援群 番匠群長と.。
本当に何もない、まさにゼロからの復興支援活動において
仲間との再会は、実に待ち遠しいものでした。
堅い握手にも、思わず力がこもります。

達成感からこぼれる、共に汗したワーカー達の笑顔。
そして、学校や道路の修復を支援しての子供たちの笑顔。
こうした笑顔をどれだけ多く集められるか?私にとって
密かなテーマでもありました。

★【フォトアルバム】
ムサンナ・サッカーフェア 。
アジア杯などでご存知の方も多いと思いますが、
イラクはサッカーの強豪国でもあります。
幼い頃からサッカーに親しむ少年たちにとっても
「ボールは友達」であり、「キャプテン翼」は
日本以上の人気を誇ります。
子供たちと自衛隊の交流イベントとして行われた
サッカーフェアの風景です。
試合終わって、互いの健闘を称えあう佐藤と子供たち。
もしかしたら数年後、イラク代表として私達の前に
姿を見せてくれるかも知れません。
その時
「初めて試合をした日本人は自衛隊だった」
なんて言って貰えたら、最高ですね。
★【オリンピック・スタジアムの補修】
但し、あくまでも修復の主役はサマーワの人々で、
外務省と自衛隊は彼らのお手伝いです。
上からものを見ない、文字通り「Understand」の精神で、
イラクの人々と同じ汗を流します。
青い帽子は日本とイラク友好のシンボルとして、
修復作業に当たるワーカー達に配りました。
「俺達は、一心同体の仲間なんだ。」
連帯感を育むと同時に、味方である事がひと目で分かる。
ユニフォームやお揃いのグッズには、そういった効果もあるのです。

★【サマーワ総合病院に対するODA供与式】
イラクでは技術支援や物資援助のみならず、
日本をイラクの人々に知ってもらうべく、
日本文化の紹介も積極的に行いました。
三味線の音が熱気のこもる天幕内に響き渡ります。
続いて、連太鼓。
この日の為に、隊員達も一生懸命練習を重ねました。
音楽に国境は無い、日本とイラクの関係も同様であるという
思いを込め、必死に太鼓を叩きます。
こうした活動は、地元メディアでも取り上げられる事が
多くありました。
写真は前日のニュース記事を手にして、嬉しく思いつつも
現状に満足せず、試行錯誤の毎日でした。
===========(以上)
日の丸を持ってほほえむ女の子がとても印象的です。
いつもは黒子に徹し、縁の下の力持ちとして、
その思い遣りと優しさが溢れるくらい「日本の心」を伝え、
そして、いざという時に私たちの生命を守ってくれる。
自衛隊の皆さん、いつもありがとうございます!!
あなた方は私たち日本人の誇りです!!
2010-11-20
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ヒゲの隊長はいつも「現場で汗をかく人たち」のことを大切に
考えています。
勿論ご自分も自ら現場で汗をかく。それは自衛隊時代も今も
変わらない。
上記の中に、外務省の江端駐在官のお名前が出て来ます。
「キャプテン翼」大作戦を手がけた方です。
私は、この話が大好きでして・・。
江端駐在官のイラクでの頑張りです。全て転載します。↓
【在サマーワ連絡事務所より サマーワ「キャプテン翼」大作戦 -給水車が配る夢と希望-】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
在サマーワ連絡事務所より
サマーワ「キャプテン翼」大作戦 -給水車が配る夢と希望
平成16年(2004年)12月 在サマーワ外務省事務所 江端康行
1.日本とサマーワの架け橋
「殺風景な町だなぁ」
これが初めてサマーワ市を訪れた時の印象でした。
ユーフラテス川を挟んで南北に伸びる町並みは全体が土色で、
町の中心に陣取る巨大な貯水タンク(故障中ですが)が
目を惹く以外、これといってワクワクするようなものが
あるわけではありません。
私は日本の陸上自衛隊の宿営地にある在サマーワ外務省事務所で
経済協力の仕事を担当していますが、ここで復興支援の
お手伝いをするのなら、その中で何か日本とサマーワの
架け橋となるようなことをしてみたいと思っていました。
非常に漠然とではありますが、折角やるのなら何か楽しいこと、
面白いこと、そして、血が通った活動ができないだろうかと
考えていました。
私はこれまで携わってきた仕事の中で、小泉総理のチェコ訪問に
ロボット親善大使「ASIMO」を同行させたり、東京で行った
西バルカン平和定着・経済発展閣僚会合にサッカー・元ユーゴ代表の
ピクシー(注)を呼んだりとちょっと変わったこと(=面白いこと)を
手がけてきましたので、ここサマーワでも日本とイラクを結ぶ
「架け橋」として、人々の印象に残ることを出来るのではないかと
いう気がしていました。
(注)名古屋グランパスで8年間プレーしたストイコビッチ選手。
元ユーゴスラビア・サッカー・チーム代表で、現在は
セルビア・サッカー協会会長
2.4つのキーワード
そんな中、4つの発見がありました。
これら4つのキーワードが1つに繋がり、頭の中で
ある企画が浮かび上がりました。
どんな企画でもそうですが、実行性はさておき、
キーワードが1つに繋がった瞬間はとてもワクワクするものです。
さて、その4つのキーワードとは何だったのでしょうか。
(1)子供たち
まずは、「子供たち」です。
イラク側との協議や現地調査のため宿営地から毎日
サマーワ市内や地方に出かけるのですが、そんな時、
日本の車が通りかかると子供たちは必ず一斉に手を
振ってくれるのです。
これは非常に驚きであり、感動的でもありました。
幾分、珍しさもあるのでしょうが、子供たちは
一生懸命に手を振り、車を追いかけてきます。
サッカーしている子供たちでさえ足を止め、手を振ってくれます。
その姿は常に大きな力とエネルギーを与えてくれます。
まるで、「がんばれ!ヤーバーニ(ニッポン)!」と
背中を押されるようで、どんな疲れも吹き飛んでしまいます。
この子供たちに何かお返しをしたい、そして、励ましたい、
元気づけたい、そのために子供がワクワクするようなことが
出来ないか、そんな思いが強くなりました。
(2)サッカー
二つ目は「サッカー」です。
イラクは子供からお年寄りまで誰もがサッカー好きです。
イラクのサッカーはとても力強く、アテネ五輪での大活躍は
記憶に新しいところです。
イラク国民はサッカーを誇りにしています。
子供たちは気温が50度を超える炎天下の中でも元気に砂漠の中で
ボールを蹴っています。
そんな姿を見るにつれ、サッカーを絡めたことをやりたいと思いました。
(因みに、陸上自衛隊と外務省(私だけですが)による
サッカーチームが結成され、サマーワの少年チームとの
定期戦が行われています)
(3)給水車
三つ目は給水車です。
給水車はサマーワのあるムサンナー県の隅々まで
回って水を配ります。
言わば動く広告塔のようなものです。
日本も既に12台の給水車を供与していましたが、
どうも目立っていません。
一方で、オランダ軍が供与した給水車にはでかでかと
「WATER」の文字とオランダ国旗。嫌でも目に付きます。
しかも、その給水車の中身は日本の宿営地で
陸上自衛隊の皆さんが作っている「おいしい日本の水」
なのですから、サマーワで経済協力を担当している者としては、
ちょっと面白くありません。
給水車をもっと活用すべきだろうと思いました。
(4)キャプテン・マージド
最後に出会ったのが、「キャプテン・マージド」です。
イラク人スタッフと雑談していた時でした。
いつものようにサッカーの話で盛り上がっていると、
アラブのキャプテン・マージドが話題になりました。
よくよく聞いてみると、それは何と日本の
「キャプテン翼」のことではありませんか。
しかも、イラク人の大多数は翼君が日本人である
ことを知らない!
アラブのマージド君だと思っている!
これには驚きました。
その瞬間、私の頭の中で4つの点が一つの線で
繋がりました。
「給水車に子供の憧れるサッカー選手「キャプテン翼」を
乗せたらどうだ?」
1.ロード・トゥ・ウィング
「これはいける!」と思わず膝を叩きました。
丁度、日本のODAで給水車26台がムサンナー県水道局に
供与されることが決まっていましたので、その給水車に
キャプテン翼をペイントして走らせれば、どんなに
子供たちは喜ぶだろうか。
早速、企画書を作り東京に打電します。
その時は、どうやって給水車に翼君をペイントするか、
キャラクター肖像権をどうするか、そんな細かいことは
あまり気にしていませんでした。
とにかく、ムサンナー県の子供たちをあっと言わせてやろう、
それだけしか考えていませんでした。
ただ、私は1ヶ月ごとにサマーワと東京を往復して
勤務していますので、東京に帰ってから直接企画を
進められるだろうと楽観的に考えており、帰国するのを
待ちわびていました。
(1)キャラクター肖像権
まず企画の前に立ちはだかったのが
「キャラクター肖像権」です。
漫画やアニメのキャラクターには肖像権という権利があり、
権利を持っている人や会社の了承なしには勝手に
使うことは出来ません。
誰が許可を持っていて誰の許可を得たらいいのか、
これが問題です。
どうやって調べようかと思っていたところ、幸運が舞い込みました。
帰国する前に夕食を共にした在クウェート日本大使館の
高橋参事官夫妻に「キャプテン翼」計画の話をしたところ、
高橋夫妻が集英社の「少年ジャンプ」(キャプテン翼が
連載されていた)の関係者と知り合いで、この企画を
集英社に繋いでくれることとなったのです。
帰国すると早速、集英社のライツ事業部というキャラクター肖像権を
管理している部署に赴き、日本が供与する給水車にイラクで
大人気のキャプテン翼を使わせてもらいたいとお願いをしました。
イラクの子供たちが喜ぶのなら、きっと集英社も
二つ返事で引き受けてくれるだろう、
そう思っていのは大間違いでした。
イラクへの陸上自衛隊の派遣にキャプテン翼を
協力させていると見られるのではないか、
社内は大激論となったそうです。
集英社が結論を出すまでの間、時間だけが無情に過ぎていきます。
そして、1週間。集英社の担当の方から、
「高橋先生の意見も伺って相談した結果、
お受けしたいと思います」
との返事がありました。
最終的に、イラクの子供達やサッカー交流のために
ODAに協力することは良いことではないか、
との判断があったようです。
道は開けた!頭の中にしかなかったプロジェクトが
音を立てて動き出した瞬間でした。
(2)塗装ステッカー
肖像権の許可は出ましたが、次の問題はどのように
給水車にキャプテン翼をペイントするか、です。
まさか、高橋陽一さんにイラクに行って
描いてもらうことなど不可能ですし、そもそも
現状では一般の民間人がイラクに入ることすら
出来ませんから方法は極めて限定されます。
そこで目に付いたのが山手線です。
日頃目にする山手線ですが、最近は車体に
カラフルな塗装がなされています。
実はあれはペイントされたものではなく、
塗装ステッカーと呼ばれるものだということを
何かで読んだ記憶がありました。
そこで、塗装ステッカーの会社を当たってみることにしました。
しかし、気温が50度以上にもなるサマーワですから、
日本では考えられないような強度が必要とされます。
また、給水車は縦2m×横6mの大きさですから、
ステッカーも大きなものでなければいけません。
色々な会社に連絡をしましたが、なかなか条件を
満たす会社がありません。
いくつもの会社に断られ、また、条件は満たしていても
価格が折り合わなかったりもしました。
そんな中、ようやく引き受けてくれる印刷会社が見つかりました。
(3)ステッカーの貼付
ステッカーの大きさは縦1.5m×横2mという大きさです。
それを貼るのは普通職人さんです。
しかし、職人さんにイラクへ行ってもらうことは出来ません。
結局、私が自ら貼り方を覚え、サマーワの陸上自衛隊と
協力して貼ることとなりました。
印刷会社の方々は非常に親身に協力してくださり、
十人くらいのスタッフの方と共に素人にも
貼り易い方法を一から研究しました。
私も実地に2枚ほどのステッカーを貼らせてもらいました。
思った以上に難しく、空気が入ってしまいます。
どうしたら空気を入れないように簡単に貼れるのか、
改良が加えられていきました。4~5時間の試行錯誤の末、
ようやく「サマーワ式」貼付方法が完成しました。
同時にステッカーは急ピッチで製作され、私が次に
サマーワへ出発するまでに完成されることとなりました。
2.チーム翼
9月末。苦心の末にようやくステッカーが完成しました。
白地に堂々たる翼君。
その横には、若林君、岬君、石崎君等南葛FCの面々。
素晴らしい仕上がりです。
これならイラクの子供たちにも胸を張って見せられます。
このステッカーを作るために力を貸してくださった
実に多くの方々に感謝しつつ、日本を後にしました。
私の手にはずっしりと重い翼ステッカーが握られています。
サマーワの宿営地に着くや、陸上自衛隊の方にお願いし、
塗装ステッカー貼付のための特別チームを編成して頂きました。
名前は「チーム翼」。
早速、ミーティングを行い、貼付方法の説明を行いました。
チームの皆さんはとても真剣に説明に耳を傾けていました。
ムサンナー県水道局に給水車を引き渡す日取りも決まり、
準備万端と行きたいところですが、給水車がなかなか
到着しないという事態が発生しました。
ようやく給水車3台が到着したのが、供与式の5日前でした。
時間がありません。
急いでステッカーを貼らねばいけません。
しかし、給水車の表面は長旅のせいか土埃で汚れきっていました。
巨大な20tタンカー3台を洗わねばなりません。
これが本当にやっかいな仕事で、腰痛持ちの私は
腰が痛くてたまりませんでした。
まさか、この年になって20tタンカーの洗車をするとは
思ってもみませんでした。
しかし、苦労の甲斐もあって、給水車はピカピカになりました。
これで貼付作業に進めます。

さすがは精鋭部隊「チーム翼」。
皆さん、とにかく手先が器用でした。
メンバーの中に以前車に塗装ステッカーを貼ったことが
あるという奇特な人もいて、作業は次から次へと進んでいきます。
最初の1枚を私が中心となって貼った後は、もうそれぞれの
小チームに分かれて同時並行的に貼れるようになっていました。
4時間程で作業は完了し、真っ白な給水車にキャプテン翼が
浮き上がりました。
丁度、日が沈みかけている時で、夕日に染まる
翼君の勇姿に何か込み上げてくるものを感じました。

1.供与式
10月22日、キャプテン翼の給水車を供与する式典が行われました。
この給水車を真っ先に子供たちに見せてあげたかったので、
サマーワ・サッカー・スクールという以前私たちとも
試合をしたことのある少年クラブチームを招待しました。
宿営地に設けられた会場には大きな布で覆われた給水車が
一台置かれ、序幕式を待っています。
実は除幕式に使う大きな布がなかったので、この布は、
前日に他の所員とも協力してシーツをホチキスで
張り合わせた間に合わせのものでしたが、仕上がりは上々でした。
あいにく、その日は朝からの強風。幕は急遽ロープで
繋ぎ止められ、吹き飛ぶのを必至で堪えなければなりません。
さて、いよいよ除幕式の開始です。
少年チームの代表アリ君が日本語とアラビア語を混ぜて、
「3、2、1、アルファ(開け)!」と掛け声をかけると、
白い布はスルスルと落ち、そこからキャプテン翼が現れました。
この瞬間、子供たちの顔が一斉に輝き、会場は歓声で包まれました。
その声を聞きながら、あぁ、良かったなぁと何ともいえない
充実感を覚えました。

式典の後、少年チームとの試合が行われ、4対4の
引き分けという非常に良い結果で無事全ての行事が終わりました。
2.これからの翼
今後、これから来年の1月までにかけ給水車26台全てに
キャプテン翼が施され、それらの給水車によって
ムサンナー県全域に水が配られます。
既にサマーワの町では元気よく水を運ぶ「翼君」の
姿を見ることが出来ます。
これら1台1台の給水車がムサンナー県の人々に
水を届けることは勿論なのですが、水だけではなく、
キャプテン翼を通じて、子供たちに夢や希望を運んで
くれるものと期待しています。
キャプテン翼が多くの子供たちを励まし、元気づけることが
出来れば、こんなにうれしいことはありません。
一日も早くイラクが復興し、ムサンナー県を始め、
イラク中の子供たちに笑顔が戻ること、そして、
その子供たちが素晴らしいイラクの将来を担って
くれることを祈っております。
そのためにも微力ではありますが、これからも私に
今出来ることを一つずつ丁寧にやっていきたいと思います。
(おわり)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

イラクの子供達、いい笑顔だなぁ~。
江端駐在官は、調べてみると・・・、
『小学校から高校まで親しんだサッカーを再び始めたのは、
サッカーが盛んなブルガリアに赴任していたときです。
在ブルガリア日本代表チームを作り、仕事で会った人には
名刺と一緒に必ず一言「サッカーはしますか?」。
ブルガリア人との熱い戦いを通し、人間同士として
生の絆ができたし、初めてサッカーの本当の楽しさを知りました。
今も外務省サッカー部で最高年齢選手として汗を流しています。
普段は仕事や家族があるけれど、ピッチに立つと、そこは
自分だけの世界。
自分を取り戻す時間です。特に日の丸を背負って戦う
外国人チームとの試合は燃えますよ。』
・江端康行「ブルガリアで知ったサッカーの真の楽しさ」より
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/pr/pub/pamph/g_work/fudangi/index.html
(リンク切れ)
とのことで、生粋のサッカー好きの方。なんか人間味溢れます。
思い出すのは、2003年11月29日、イラクで
日本人外交官射殺事件が起こりました。
奥克彦大使、井ノ上正盛一等書記官が犠牲になられて
しまったのですが、お二人と佐藤隊長は、この年、
サマワで一緒に現地調査をされた、いわば、支援活動の同志だったわけです。
佐藤隊長は6カ月間の任務を終えた最後の宿営地での会見で、
「歴史的な国際貢献の最前線で働くことができた。
(昨年サマワで一緒に現地調査した)
故奥克彦大使との約束も果たせた」
と語ったそうです。
私たちは、「外務省=悪」と完全なレッテル貼りを
すぐしますが、そこには、表には出てこない数多くの
頑張る外務省職員がいることを、時々でいいから
気に留めなくちゃいけないなと思います。
さて、昨夜、サッカーブラジルWCアジア最終予選の
日本VSイラクの試合が、ドーハで有りました。
1-0で日本勝利!!
ザキオカさん(岡崎選手)が後半44分、やっとさん
(遠藤選手)からのパスを受けてゴール!!
で、イラク、ドーハといえば、
20年前のあの「ドーハの悲劇」。
因縁ありますね。
この「キャプテン翼の給水車」がサマーワを走った後、
2007年アジア杯サッカーではイラクが優勝したそうです。
日本は残念ながら4位だったそうですが、きっと、
イラクの優勝を喜んだ日本人も沢山いたのだと思います。
多分この話を知っていれば私も喜んだだろうな。
一昨年、ジーコがイラクの代表監督になって、
さらには最終予選の組が日本と一緒になったので、
いっしょにいけたらいいなぁ、でもやっぱりオーストラリアかなぁ、
と思ってたら、なんと、いつの間にかジーコは監督をやめていた・・・。
あらら・・・。
ま、イラクとはサッカー関係でも縁が色々ありますね。
話をもとに戻すと、ヒゲの隊長ら自衛隊が一生懸命
人道支援に頑張っていたまさにその時期、4月に、
あの「イラク日本人人質事件」が
起きたんですよね。↓
【イラク日本人人質事件(2004年4月7日)発生時のNHK特設ニュース】
【(スクープ)イラク3馬鹿 解放時の映像】
【イラク3邦人 人質事件 真相? 】
今更ですが、今年、日揮の社員さんたちが巻き込まれた
「アルジェリア人質拘束事件」とは全く異質なものだった
この「イラク日本人人質事件」。
「自衛隊撤退!!」を人質の家族もテレビに出て叫んでましたよね。
多くの人が、「なにかおかしい・・」と疑念を持った事件だったと思います。
また、サマーワでの、江端駐在官の頑張りも、反日左翼どもは、
「外務省が、中東社会でも『キャプテン・マジェット』の
呼び名で人気が高いサッカー漫画『キャプテン翼』を、
小手先の子ども騙しのプロパガンダとして政治利用した」
などと批判していたのです。
※参考:【palopの日記 [サッカー]サワーマのキャプテン翼2006-07-05】
http://d.hatena.ne.jp/palop/20060705
自衛隊はずっと、反日左翼、マスコミから「人殺し集団」と
叩かれ続けてきました。
海難事故が起こった時も、「自衛隊が全て悪い」と
一方的に猛烈なバッシングを繰り返しました。
逆にイラク・サマワの人達が、自衛隊に対してどれだけ
感謝をの気持ちを大きく伝えてくれていたか、そのことも全く報じず、
パレスチナ自治政府のアラファット前議長の死去を受けて
サマワで行われた「パレスチナ支援デモ」で掲げられた
20本ほどの横断幕のうちのたった1つだけに「自衛隊は撤退すべきだ」
と書かれていたことを「反日デモ」などと大々的に報じたんです。
阪神淡路大震災での活躍も大してマスコミは報道しませんでした。
自衛隊の人たちにやっと光が当てられたのは、東日本大震災・・。
ずっと心に響いてた吉田茂の言葉・・。↓
===========
君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、
歓迎されることなく、自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。
御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、
国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時の方が、
国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。
一生御苦労なことだと思うが、 国家のために
忍び堪え頑張ってもらいたい。
自衛隊の将来は君達の双肩にかかっている。
しっかり頼むよ。
1957年(昭和32年)3月26日 防衛大学校 第1期学生 卒業式にて
吉田茂 元内閣総理大臣 訓示
============
吉田茂の言葉は、表には見えない所で、社会を支える
多くの国民、頑張る人たちへのエールとも言える。
マスコミから、また国民から狂ったバッシングを受けてきた「
国を守るために頑張る政治家」にも送りたい。
もう、わがままなバッシングは沢山だ。そう思うのです。


7月の参院選に出馬される「佐藤正久」防衛大臣政務官。
第一次安倍政権の参院選で出馬されてからずっと見てきた
議員さんで、私の長く信頼する議員さんのお一人です。
佐藤議員は陸上自衛隊イラク復興業務支援隊」の
隊長として2004年1月9日~8月1日の間、活動されました。
3年前、「キャプテン翼」大作戦というのを知り、佐藤議員の
ブログを他の保守ブログのコメントで紹介させて貰ったんですけど、
今回は、さらに出来るだけ多くのリポートを写真も添えて
取り上げたいと思います。↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
佐藤まさひさ オフィシャルページにある
『自衛隊イラク復興支援の時の【フォトアルバム】』です。↓
【佐藤まさひさオフィシャルページ 自衛隊イラク復興支援 フォトアルバム】
↑ページの一番下に【Prev [P.1/4] Next】と出ています。
「Next」をクリックすれば4ページに渡って
サマーワでの出来事を写真でみることが出来ます。
マスコミが全く伝えなかったイラク、サマーワでの
現地の人達と自衛隊の交流をぜひ見ていただきたいと思います。
★上記は「旧HP」で、今は新しくなっていますので、
そちらのリンクを下記に貼っておきます。↓
写真に関して、旧HPのほうが大きく出されているので、
両方共出しておきますね。
【佐藤正久公式WEBサイ ト『イラクの現場から』】
それぞれの写真に添えられた佐藤議員の言葉を
ピックアップしたいと思います。↓
関連動画も載せておきます。内容はわりと
連動していると思います。
【 国旗の重み~サマーワ市民と自衛隊員~ 】
★【自衛隊支援デモ】
忘れもしない、2004年5月6日。
子供の日の「鯉のぼり」セレモニーの翌日に、
イラク人道復興支援活動の全般において最も思い出深い
事件は起こりました。

日本ではあまり報道される事のなかった
「自衛隊支援デモ」です。
「自衛隊よ、お前達を危険な目に遭わせる奴は俺達が許さない」
「ぜひ残って、町の再建に協力してくれ」
嬉しさがこみ上げるとともに、何としてもイラクの復興支援活動を
成功させなければという思いが一層強くなりました。

“Honest Japanese: All of us are with you for re-building our safe city.”
(正直な日本人達よ、一緒に安全な町を再建しよう)

“We thank you for all efforts you exerted for us and for the peace”
(自衛隊が我々のために、そして平和のために努力している事に感謝している)↓

日の丸を掲げて、ほほ笑んでくれた親子。嬉しかったです。

有力者の方々と、固い握手を交わす佐藤。
「サマーワで自衛隊が出来る事は限られている。
けれど、常にベストを尽くそう。そして結果を出そう。」
支援デモは私にとっても隊員にとっても、大きな心の支えになりました。
★【給水活動(その1)】
給水タンクの上で合図をする隊員。
浄水設備により浄化された水を、給水車に注入します。

飲料用としても問題ない事を、佐藤自ら確認。
国内の災害派遣でも、水、それも「きれいな水」は重要です。
これなら現地の人々にも喜んで貰える、と番匠群長も太鼓判。

配布は現地サマーワの人々に委ねます。
全てのプロセスを自衛隊だけで完結させず、
現地の人々と参画範囲の境界をどの辺に設定するか。
悩んだ上での結論が
「外務省と自衛隊はあくまでも黒子に徹する事」
でした。

★【給水活動(その2)】
始めの頃は微力だった浄水・給水能力も、活動開始から
2ヶ月後には整備が進み、給水塔の完成と共に一気に能力アップ。
さながらガソリンスタンドの様です。
日本に親しみを持って貰えるよう、フロントガラスや
給水タンクには日の丸ステッカー。

有名な「キャプテン翼」仕様になる前のPR作戦でした。
キャプテン翼のアイデアは外務省・江端駐在官の発案から
実現しましたが、こうした柔軟な発想は自衛隊だけの
単独活動からは生まれなかったかも知れません。
給水塔完成式での記念写真です。
外務省と自衛隊の水が、「希望のオアシス」となる事を
願いつつ。

サマーワの人々自らの手で、タンクに注水。
魚を与えるのではなく、魚の採り方を教えるスタンスの
象徴的なショットです。

★【学校補修】
手帳を片手に、現地要望の聞き取り調査を行う佐藤。
現場は何を欲しているのか?ペンを走らせながら、
自衛隊が協力出来る事と現地ニーズの整合を図ります。

作業の段取りが決まり、友好の証の青い帽子を手渡す佐藤。
サッカーW杯の影響もあり、ここでも「サムライブルー」は
注目大です。

この日は学校の外壁補修。
イラクの人々は基本的に、勤勉で職人肌。
日本人の気質とも通じるものがあります。

休息中の、ワーカー達との1コマ。
常に現場の要望を聞き取るべく、片時も手帳は離せません。
右手にはサムアップ(親指を立てる仕草)、左手には手帳。

働く人の手は、昔も今も大好きです。
塗り壁汚れもなんのその、彼等の活き活きした笑顔を
見てください。
サマーワの人々の笑顔が、暑さも疲れも吹き飛ばして
くれます。

★【思い出のコレクション】
復興支援群 番匠群長と.。
本当に何もない、まさにゼロからの復興支援活動において
仲間との再会は、実に待ち遠しいものでした。
堅い握手にも、思わず力がこもります。

達成感からこぼれる、共に汗したワーカー達の笑顔。
そして、学校や道路の修復を支援しての子供たちの笑顔。
こうした笑顔をどれだけ多く集められるか?私にとって
密かなテーマでもありました。

★【フォトアルバム】
ムサンナ・サッカーフェア 。
アジア杯などでご存知の方も多いと思いますが、
イラクはサッカーの強豪国でもあります。
幼い頃からサッカーに親しむ少年たちにとっても
「ボールは友達」であり、「キャプテン翼」は
日本以上の人気を誇ります。
子供たちと自衛隊の交流イベントとして行われた
サッカーフェアの風景です。
試合終わって、互いの健闘を称えあう佐藤と子供たち。
もしかしたら数年後、イラク代表として私達の前に
姿を見せてくれるかも知れません。
その時
「初めて試合をした日本人は自衛隊だった」
なんて言って貰えたら、最高ですね。
★【オリンピック・スタジアムの補修】
但し、あくまでも修復の主役はサマーワの人々で、
外務省と自衛隊は彼らのお手伝いです。
上からものを見ない、文字通り「Understand」の精神で、
イラクの人々と同じ汗を流します。
青い帽子は日本とイラク友好のシンボルとして、
修復作業に当たるワーカー達に配りました。
「俺達は、一心同体の仲間なんだ。」
連帯感を育むと同時に、味方である事がひと目で分かる。
ユニフォームやお揃いのグッズには、そういった効果もあるのです。

★【サマーワ総合病院に対するODA供与式】
イラクでは技術支援や物資援助のみならず、
日本をイラクの人々に知ってもらうべく、
日本文化の紹介も積極的に行いました。
三味線の音が熱気のこもる天幕内に響き渡ります。
続いて、連太鼓。
この日の為に、隊員達も一生懸命練習を重ねました。
音楽に国境は無い、日本とイラクの関係も同様であるという
思いを込め、必死に太鼓を叩きます。
こうした活動は、地元メディアでも取り上げられる事が
多くありました。
写真は前日のニュース記事を手にして、嬉しく思いつつも
現状に満足せず、試行錯誤の毎日でした。
===========(以上)
日の丸を持ってほほえむ女の子がとても印象的です。
いつもは黒子に徹し、縁の下の力持ちとして、
その思い遣りと優しさが溢れるくらい「日本の心」を伝え、
そして、いざという時に私たちの生命を守ってくれる。
自衛隊の皆さん、いつもありがとうございます!!
あなた方は私たち日本人の誇りです!!
2010-11-20
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ヒゲの隊長はいつも「現場で汗をかく人たち」のことを大切に
考えています。
勿論ご自分も自ら現場で汗をかく。それは自衛隊時代も今も
変わらない。
上記の中に、外務省の江端駐在官のお名前が出て来ます。
「キャプテン翼」大作戦を手がけた方です。
私は、この話が大好きでして・・。
江端駐在官のイラクでの頑張りです。全て転載します。↓
【在サマーワ連絡事務所より サマーワ「キャプテン翼」大作戦 -給水車が配る夢と希望-】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
在サマーワ連絡事務所より
サマーワ「キャプテン翼」大作戦 -給水車が配る夢と希望
平成16年(2004年)12月 在サマーワ外務省事務所 江端康行
1.日本とサマーワの架け橋
「殺風景な町だなぁ」
これが初めてサマーワ市を訪れた時の印象でした。
ユーフラテス川を挟んで南北に伸びる町並みは全体が土色で、
町の中心に陣取る巨大な貯水タンク(故障中ですが)が
目を惹く以外、これといってワクワクするようなものが
あるわけではありません。
私は日本の陸上自衛隊の宿営地にある在サマーワ外務省事務所で
経済協力の仕事を担当していますが、ここで復興支援の
お手伝いをするのなら、その中で何か日本とサマーワの
架け橋となるようなことをしてみたいと思っていました。
非常に漠然とではありますが、折角やるのなら何か楽しいこと、
面白いこと、そして、血が通った活動ができないだろうかと
考えていました。
私はこれまで携わってきた仕事の中で、小泉総理のチェコ訪問に
ロボット親善大使「ASIMO」を同行させたり、東京で行った
西バルカン平和定着・経済発展閣僚会合にサッカー・元ユーゴ代表の
ピクシー(注)を呼んだりとちょっと変わったこと(=面白いこと)を
手がけてきましたので、ここサマーワでも日本とイラクを結ぶ
「架け橋」として、人々の印象に残ることを出来るのではないかと
いう気がしていました。
(注)名古屋グランパスで8年間プレーしたストイコビッチ選手。
元ユーゴスラビア・サッカー・チーム代表で、現在は
セルビア・サッカー協会会長
2.4つのキーワード
そんな中、4つの発見がありました。
これら4つのキーワードが1つに繋がり、頭の中で
ある企画が浮かび上がりました。
どんな企画でもそうですが、実行性はさておき、
キーワードが1つに繋がった瞬間はとてもワクワクするものです。
さて、その4つのキーワードとは何だったのでしょうか。
(1)子供たち
まずは、「子供たち」です。
イラク側との協議や現地調査のため宿営地から毎日
サマーワ市内や地方に出かけるのですが、そんな時、
日本の車が通りかかると子供たちは必ず一斉に手を
振ってくれるのです。
これは非常に驚きであり、感動的でもありました。
幾分、珍しさもあるのでしょうが、子供たちは
一生懸命に手を振り、車を追いかけてきます。
サッカーしている子供たちでさえ足を止め、手を振ってくれます。
その姿は常に大きな力とエネルギーを与えてくれます。
まるで、「がんばれ!ヤーバーニ(ニッポン)!」と
背中を押されるようで、どんな疲れも吹き飛んでしまいます。
この子供たちに何かお返しをしたい、そして、励ましたい、
元気づけたい、そのために子供がワクワクするようなことが
出来ないか、そんな思いが強くなりました。
(2)サッカー
二つ目は「サッカー」です。
イラクは子供からお年寄りまで誰もがサッカー好きです。
イラクのサッカーはとても力強く、アテネ五輪での大活躍は
記憶に新しいところです。
イラク国民はサッカーを誇りにしています。
子供たちは気温が50度を超える炎天下の中でも元気に砂漠の中で
ボールを蹴っています。
そんな姿を見るにつれ、サッカーを絡めたことをやりたいと思いました。
(因みに、陸上自衛隊と外務省(私だけですが)による
サッカーチームが結成され、サマーワの少年チームとの
定期戦が行われています)
(3)給水車
三つ目は給水車です。
給水車はサマーワのあるムサンナー県の隅々まで
回って水を配ります。
言わば動く広告塔のようなものです。
日本も既に12台の給水車を供与していましたが、
どうも目立っていません。
一方で、オランダ軍が供与した給水車にはでかでかと
「WATER」の文字とオランダ国旗。嫌でも目に付きます。
しかも、その給水車の中身は日本の宿営地で
陸上自衛隊の皆さんが作っている「おいしい日本の水」
なのですから、サマーワで経済協力を担当している者としては、
ちょっと面白くありません。
給水車をもっと活用すべきだろうと思いました。
(4)キャプテン・マージド
最後に出会ったのが、「キャプテン・マージド」です。
イラク人スタッフと雑談していた時でした。
いつものようにサッカーの話で盛り上がっていると、
アラブのキャプテン・マージドが話題になりました。
よくよく聞いてみると、それは何と日本の
「キャプテン翼」のことではありませんか。
しかも、イラク人の大多数は翼君が日本人である
ことを知らない!
アラブのマージド君だと思っている!
これには驚きました。
その瞬間、私の頭の中で4つの点が一つの線で
繋がりました。
「給水車に子供の憧れるサッカー選手「キャプテン翼」を
乗せたらどうだ?」
1.ロード・トゥ・ウィング
「これはいける!」と思わず膝を叩きました。
丁度、日本のODAで給水車26台がムサンナー県水道局に
供与されることが決まっていましたので、その給水車に
キャプテン翼をペイントして走らせれば、どんなに
子供たちは喜ぶだろうか。
早速、企画書を作り東京に打電します。
その時は、どうやって給水車に翼君をペイントするか、
キャラクター肖像権をどうするか、そんな細かいことは
あまり気にしていませんでした。
とにかく、ムサンナー県の子供たちをあっと言わせてやろう、
それだけしか考えていませんでした。
ただ、私は1ヶ月ごとにサマーワと東京を往復して
勤務していますので、東京に帰ってから直接企画を
進められるだろうと楽観的に考えており、帰国するのを
待ちわびていました。
(1)キャラクター肖像権
まず企画の前に立ちはだかったのが
「キャラクター肖像権」です。
漫画やアニメのキャラクターには肖像権という権利があり、
権利を持っている人や会社の了承なしには勝手に
使うことは出来ません。
誰が許可を持っていて誰の許可を得たらいいのか、
これが問題です。
どうやって調べようかと思っていたところ、幸運が舞い込みました。
帰国する前に夕食を共にした在クウェート日本大使館の
高橋参事官夫妻に「キャプテン翼」計画の話をしたところ、
高橋夫妻が集英社の「少年ジャンプ」(キャプテン翼が
連載されていた)の関係者と知り合いで、この企画を
集英社に繋いでくれることとなったのです。
帰国すると早速、集英社のライツ事業部というキャラクター肖像権を
管理している部署に赴き、日本が供与する給水車にイラクで
大人気のキャプテン翼を使わせてもらいたいとお願いをしました。
イラクの子供たちが喜ぶのなら、きっと集英社も
二つ返事で引き受けてくれるだろう、
そう思っていのは大間違いでした。
イラクへの陸上自衛隊の派遣にキャプテン翼を
協力させていると見られるのではないか、
社内は大激論となったそうです。
集英社が結論を出すまでの間、時間だけが無情に過ぎていきます。
そして、1週間。集英社の担当の方から、
「高橋先生の意見も伺って相談した結果、
お受けしたいと思います」
との返事がありました。
最終的に、イラクの子供達やサッカー交流のために
ODAに協力することは良いことではないか、
との判断があったようです。
道は開けた!頭の中にしかなかったプロジェクトが
音を立てて動き出した瞬間でした。
(2)塗装ステッカー
肖像権の許可は出ましたが、次の問題はどのように
給水車にキャプテン翼をペイントするか、です。
まさか、高橋陽一さんにイラクに行って
描いてもらうことなど不可能ですし、そもそも
現状では一般の民間人がイラクに入ることすら
出来ませんから方法は極めて限定されます。
そこで目に付いたのが山手線です。
日頃目にする山手線ですが、最近は車体に
カラフルな塗装がなされています。
実はあれはペイントされたものではなく、
塗装ステッカーと呼ばれるものだということを
何かで読んだ記憶がありました。
そこで、塗装ステッカーの会社を当たってみることにしました。
しかし、気温が50度以上にもなるサマーワですから、
日本では考えられないような強度が必要とされます。
また、給水車は縦2m×横6mの大きさですから、
ステッカーも大きなものでなければいけません。
色々な会社に連絡をしましたが、なかなか条件を
満たす会社がありません。
いくつもの会社に断られ、また、条件は満たしていても
価格が折り合わなかったりもしました。
そんな中、ようやく引き受けてくれる印刷会社が見つかりました。
(3)ステッカーの貼付
ステッカーの大きさは縦1.5m×横2mという大きさです。
それを貼るのは普通職人さんです。
しかし、職人さんにイラクへ行ってもらうことは出来ません。
結局、私が自ら貼り方を覚え、サマーワの陸上自衛隊と
協力して貼ることとなりました。
印刷会社の方々は非常に親身に協力してくださり、
十人くらいのスタッフの方と共に素人にも
貼り易い方法を一から研究しました。
私も実地に2枚ほどのステッカーを貼らせてもらいました。
思った以上に難しく、空気が入ってしまいます。
どうしたら空気を入れないように簡単に貼れるのか、
改良が加えられていきました。4~5時間の試行錯誤の末、
ようやく「サマーワ式」貼付方法が完成しました。
同時にステッカーは急ピッチで製作され、私が次に
サマーワへ出発するまでに完成されることとなりました。
2.チーム翼
9月末。苦心の末にようやくステッカーが完成しました。
白地に堂々たる翼君。
その横には、若林君、岬君、石崎君等南葛FCの面々。
素晴らしい仕上がりです。
これならイラクの子供たちにも胸を張って見せられます。
このステッカーを作るために力を貸してくださった
実に多くの方々に感謝しつつ、日本を後にしました。
私の手にはずっしりと重い翼ステッカーが握られています。
サマーワの宿営地に着くや、陸上自衛隊の方にお願いし、
塗装ステッカー貼付のための特別チームを編成して頂きました。
名前は「チーム翼」。
早速、ミーティングを行い、貼付方法の説明を行いました。
チームの皆さんはとても真剣に説明に耳を傾けていました。
ムサンナー県水道局に給水車を引き渡す日取りも決まり、
準備万端と行きたいところですが、給水車がなかなか
到着しないという事態が発生しました。
ようやく給水車3台が到着したのが、供与式の5日前でした。
時間がありません。
急いでステッカーを貼らねばいけません。
しかし、給水車の表面は長旅のせいか土埃で汚れきっていました。
巨大な20tタンカー3台を洗わねばなりません。
これが本当にやっかいな仕事で、腰痛持ちの私は
腰が痛くてたまりませんでした。
まさか、この年になって20tタンカーの洗車をするとは
思ってもみませんでした。
しかし、苦労の甲斐もあって、給水車はピカピカになりました。
これで貼付作業に進めます。

さすがは精鋭部隊「チーム翼」。
皆さん、とにかく手先が器用でした。
メンバーの中に以前車に塗装ステッカーを貼ったことが
あるという奇特な人もいて、作業は次から次へと進んでいきます。
最初の1枚を私が中心となって貼った後は、もうそれぞれの
小チームに分かれて同時並行的に貼れるようになっていました。
4時間程で作業は完了し、真っ白な給水車にキャプテン翼が
浮き上がりました。
丁度、日が沈みかけている時で、夕日に染まる
翼君の勇姿に何か込み上げてくるものを感じました。

1.供与式
10月22日、キャプテン翼の給水車を供与する式典が行われました。
この給水車を真っ先に子供たちに見せてあげたかったので、
サマーワ・サッカー・スクールという以前私たちとも
試合をしたことのある少年クラブチームを招待しました。
宿営地に設けられた会場には大きな布で覆われた給水車が
一台置かれ、序幕式を待っています。
実は除幕式に使う大きな布がなかったので、この布は、
前日に他の所員とも協力してシーツをホチキスで
張り合わせた間に合わせのものでしたが、仕上がりは上々でした。
あいにく、その日は朝からの強風。幕は急遽ロープで
繋ぎ止められ、吹き飛ぶのを必至で堪えなければなりません。
さて、いよいよ除幕式の開始です。
少年チームの代表アリ君が日本語とアラビア語を混ぜて、
「3、2、1、アルファ(開け)!」と掛け声をかけると、
白い布はスルスルと落ち、そこからキャプテン翼が現れました。
この瞬間、子供たちの顔が一斉に輝き、会場は歓声で包まれました。
その声を聞きながら、あぁ、良かったなぁと何ともいえない
充実感を覚えました。

式典の後、少年チームとの試合が行われ、4対4の
引き分けという非常に良い結果で無事全ての行事が終わりました。
2.これからの翼
今後、これから来年の1月までにかけ給水車26台全てに
キャプテン翼が施され、それらの給水車によって
ムサンナー県全域に水が配られます。
既にサマーワの町では元気よく水を運ぶ「翼君」の
姿を見ることが出来ます。
これら1台1台の給水車がムサンナー県の人々に
水を届けることは勿論なのですが、水だけではなく、
キャプテン翼を通じて、子供たちに夢や希望を運んで
くれるものと期待しています。
キャプテン翼が多くの子供たちを励まし、元気づけることが
出来れば、こんなにうれしいことはありません。
一日も早くイラクが復興し、ムサンナー県を始め、
イラク中の子供たちに笑顔が戻ること、そして、
その子供たちが素晴らしいイラクの将来を担って
くれることを祈っております。
そのためにも微力ではありますが、これからも私に
今出来ることを一つずつ丁寧にやっていきたいと思います。
(おわり)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

イラクの子供達、いい笑顔だなぁ~。
江端駐在官は、調べてみると・・・、
『小学校から高校まで親しんだサッカーを再び始めたのは、
サッカーが盛んなブルガリアに赴任していたときです。
在ブルガリア日本代表チームを作り、仕事で会った人には
名刺と一緒に必ず一言「サッカーはしますか?」。
ブルガリア人との熱い戦いを通し、人間同士として
生の絆ができたし、初めてサッカーの本当の楽しさを知りました。
今も外務省サッカー部で最高年齢選手として汗を流しています。
普段は仕事や家族があるけれど、ピッチに立つと、そこは
自分だけの世界。
自分を取り戻す時間です。特に日の丸を背負って戦う
外国人チームとの試合は燃えますよ。』
・江端康行「ブルガリアで知ったサッカーの真の楽しさ」より
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/pr/pub/pamph/g_work/fudangi/index.html
(リンク切れ)
とのことで、生粋のサッカー好きの方。なんか人間味溢れます。
思い出すのは、2003年11月29日、イラクで
日本人外交官射殺事件が起こりました。
奥克彦大使、井ノ上正盛一等書記官が犠牲になられて
しまったのですが、お二人と佐藤隊長は、この年、
サマワで一緒に現地調査をされた、いわば、支援活動の同志だったわけです。
佐藤隊長は6カ月間の任務を終えた最後の宿営地での会見で、
「歴史的な国際貢献の最前線で働くことができた。
(昨年サマワで一緒に現地調査した)
故奥克彦大使との約束も果たせた」
と語ったそうです。
私たちは、「外務省=悪」と完全なレッテル貼りを
すぐしますが、そこには、表には出てこない数多くの
頑張る外務省職員がいることを、時々でいいから
気に留めなくちゃいけないなと思います。
さて、昨夜、サッカーブラジルWCアジア最終予選の
日本VSイラクの試合が、ドーハで有りました。
1-0で日本勝利!!
ザキオカさん(岡崎選手)が後半44分、やっとさん
(遠藤選手)からのパスを受けてゴール!!
で、イラク、ドーハといえば、
20年前のあの「ドーハの悲劇」。
因縁ありますね。
この「キャプテン翼の給水車」がサマーワを走った後、
2007年アジア杯サッカーではイラクが優勝したそうです。
日本は残念ながら4位だったそうですが、きっと、
イラクの優勝を喜んだ日本人も沢山いたのだと思います。
多分この話を知っていれば私も喜んだだろうな。
一昨年、ジーコがイラクの代表監督になって、
さらには最終予選の組が日本と一緒になったので、
いっしょにいけたらいいなぁ、でもやっぱりオーストラリアかなぁ、
と思ってたら、なんと、いつの間にかジーコは監督をやめていた・・・。
あらら・・・。
ま、イラクとはサッカー関係でも縁が色々ありますね。
話をもとに戻すと、ヒゲの隊長ら自衛隊が一生懸命
人道支援に頑張っていたまさにその時期、4月に、
あの「イラク日本人人質事件」が
起きたんですよね。↓
【イラク日本人人質事件(2004年4月7日)発生時のNHK特設ニュース】
【(スクープ)イラク3馬鹿 解放時の映像】
【イラク3邦人 人質事件 真相? 】
今更ですが、今年、日揮の社員さんたちが巻き込まれた
「アルジェリア人質拘束事件」とは全く異質なものだった
この「イラク日本人人質事件」。
「自衛隊撤退!!」を人質の家族もテレビに出て叫んでましたよね。
多くの人が、「なにかおかしい・・」と疑念を持った事件だったと思います。
また、サマーワでの、江端駐在官の頑張りも、反日左翼どもは、
「外務省が、中東社会でも『キャプテン・マジェット』の
呼び名で人気が高いサッカー漫画『キャプテン翼』を、
小手先の子ども騙しのプロパガンダとして政治利用した」
などと批判していたのです。
※参考:【palopの日記 [サッカー]サワーマのキャプテン翼2006-07-05】
http://d.hatena.ne.jp/palop/20060705
自衛隊はずっと、反日左翼、マスコミから「人殺し集団」と
叩かれ続けてきました。
海難事故が起こった時も、「自衛隊が全て悪い」と
一方的に猛烈なバッシングを繰り返しました。
逆にイラク・サマワの人達が、自衛隊に対してどれだけ
感謝をの気持ちを大きく伝えてくれていたか、そのことも全く報じず、
パレスチナ自治政府のアラファット前議長の死去を受けて
サマワで行われた「パレスチナ支援デモ」で掲げられた
20本ほどの横断幕のうちのたった1つだけに「自衛隊は撤退すべきだ」
と書かれていたことを「反日デモ」などと大々的に報じたんです。
阪神淡路大震災での活躍も大してマスコミは報道しませんでした。
自衛隊の人たちにやっと光が当てられたのは、東日本大震災・・。
ずっと心に響いてた吉田茂の言葉・・。↓
===========
君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、
歓迎されることなく、自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。
御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、
国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時の方が、
国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。
一生御苦労なことだと思うが、 国家のために
忍び堪え頑張ってもらいたい。
自衛隊の将来は君達の双肩にかかっている。
しっかり頼むよ。
1957年(昭和32年)3月26日 防衛大学校 第1期学生 卒業式にて
吉田茂 元内閣総理大臣 訓示
============
吉田茂の言葉は、表には見えない所で、社会を支える
多くの国民、頑張る人たちへのエールとも言える。
マスコミから、また国民から狂ったバッシングを受けてきた「
国を守るために頑張る政治家」にも送りたい。
もう、わがままなバッシングは沢山だ。そう思うのです。
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