新聞という「悪魔」
- 2011/12/15
- 10:08
電車で朝日新聞を見ている人がいた。
そうか、まだ、あんな新聞を信じているのか・・。
なんて馬鹿なんだろう・・。
そう思った。
昔は、日経新聞を読んでるのがかっこいい、と思われていた時代が
あった。
次に朝日、毎日。そして読売。
産経は全国紙の中でもイメージが一番良くなかった。
フジサンケイグループという括りが、フジテレビのイメージで
浸透していたからだと思う。
「たけちゃんマン」をやってるような局と繋がってる新聞社?
そんなの信じられないね、という感じ。
私の故郷は、地元紙がやたら強く、全国紙を買っている家は
あまり無かったと思う。
我が家でも、読んでいたのは地元紙だけ。
あぁ、何年か、赤旗とか、盛況新聞がなぜか来てたなぁ。
自営業だったから、両親は買わされていたんだろうと思う。
だってうちの両親は自民党支持だったし、特に父にいたっては、
大の共産党嫌いだったのだから。
ちょっと懐かしい思い出がある。
私が小学校中学年の頃、父がカセットテープレコーダーを買ってきた。
ついに我が家にも来た~~!!と家族で大喜びした。
早速、それぞれが声を録音して楽しんだ。自分の声が実際には
こんな声だったのかと驚き、ちょっと恥ずかしい気持ちになったりした。
その時、父が録音した言葉は、「私は共産党が大嫌い!!」だった。
私は「何、それ!?」という感じで当時聞いていたのだが、
なぜか今でもはっきりと覚えているのだ。
テレビで、その頃、確か中国の様子がテレビに出ると、
あの悪しき「毛沢東」の時代が画面によく映し出されていた。
中国人が皆、みすぼらしい「中国人民服」を着ていて、
赤い手帳を高々と掲げているのも良く見かけた。
顔も何か皆同じで、そのときに一緒に見ていた父はいつも
「共産党は怖い」と口癖のように言っていた。
私もテレビの画面から「その怖さ」をいつも感じ取っていたんだろうと思う。
やがて中国のあの雰囲気自体が耐えられないようになり、
「中国」というものに拒否反応をとるようになった。
京劇の場面も時折見たがそれも恐ろしさに繋がった。
結局、中国料理というものが「イメージ」で食べられなくなった。
大学の頃、友達とどこかに食べに行くとなると、
円卓で安価に食べられる中国料理店に行くのが一番人気だったが、
私はどうしても行けず、私が行く時は、友達は気を遣ってくれて
パスタのお店に行くこととほぼ決まりになった。
今も、中華料理店の雰囲気が駄目なのだ。
話がだいぶ逸れてしまった。
大学の頃、5歳上の姉が、朝日新聞を取りだした。
朝日新聞は「天声人語」が世間では神様のように崇められていた。
いざ読み出すと紙面の内容が豊富で、地方紙が如何に中身が
乏しかったことかと思ったほどだった。
人間、世間の評判には弱いもので、「朝日を読む=自分はインテリの仲間入り」
そんな感じを持ったものだった。インテリでもなんでもないのに。
しばらくして、あの「珊瑚KY事件」が起こった。
「珊瑚が傷つけられた」という一面トップの、海の中を写した青っぽい写真は
結構強烈に覚えている。
それが捏造記事だということが後で判った。
でも、自分自身は余りたいしたこととは思わなかったのか、
さらりと受け流した感じだった。
関西に住むようになってからは毎日新聞を取っていたが、
毎日新聞に対しても「一流の全国紙」というイメージはずっと持ち続けていた。
2002年、拉致事件を知るまでは、「新聞社とは一流企業だ」と、ずっと
思い込んでいた。
拉致事件を知ってから、朝日新聞がいかに恐ろしい企業であるかを知る
こととなった。
ネットでの、とある掲示板では、保守派の詳しい人たちがいろんなことを
教えてくれた。
当時、地方紙の全国ニュースはすべて共同通信社というところが
配信しているということを知った。
「共同通信」という文言は勿論地方紙の記事の一番最初に【】つきで
出ていたのは知っていたが、それが何の意味をなすのかさえ自分は
知らなかったのだ。
やがて、その共同通信というところがこれまた恐ろしいところであることも
知った。
拉致事件が世間に知れ渡った翌年、共同通信社は、地方紙十数社だったか、
それらの社長らを引き連れて団体であの北朝鮮に訪朝したのだ。
確か年始のご挨拶だった。
驚愕した。
拉致事件という国家的犯罪を確信的に犯した北朝鮮という国に、
そして国交の無い国に、大挙してご挨拶に伺ったのである。
地方紙の拉致事件の伝え方にもとてもおかしな様子が見られたのは
言うまでもない。
いや、テレビも酷かったが、新聞社もとにかく酷かったのだ。
折角帰国できた5人の拉致被害者を北に戻せという論調は
テレビだけでなく新聞社も同じだった。
そして北朝鮮と国交正常化すべきという言葉が踊った。
狂っていると思った。
マスコミを信じてはいけない。
マスコミはすべて腐っている。
マスコミは恐ろしい。
これを身をもって教えてくれたのは言うまでも無く拉致被害者のご家族で
あった。
こんな理不尽なことがあるのだろうかと思った。
天声人語も読めば読むほど狂っていた。
何故こんなコラムがもてはやされたのか。なぜこんなコラムが大学受験で
出るのか。
それは教育現場でさえも、すでに汚い闇に吸い込まれていたからだ。
今年、「天声人語ノート」やらが出て売れていると聞いた。
書写させるためのノートだという。
このノートを買おうとしている親に言いたい。あなたは自分の子供を
「赤化」させるおつもりですか?と。
平和!人権!と叫びながら、無差別に大量殺戮をする「アカ」に
魂を売る人間を作るおつもりですか?
無差別殺人犯を助けるために「死刑廃止!」と叫ぶ連中を許すのですか?
国家転覆を図り、朝鮮からのゆすりたかりにひれ伏す国へと
日本をどん底に沈めようとしている連中の言いなりになる人間を
作るおつもりですか?
どうか目を覚ましてください。
沖縄の方たちも、どうか!
沖縄の新聞社は「アカ」です。
中国人民解放軍が普通の服を着て沖縄を歩いていると想像して
みてください。
いや、もうすでにそうなっているのです。
沖縄はチベットになりかねない。防共のために米軍がいるのです。
日米同盟は「防共」でもあるのです。
沖縄の人たちを守るために米軍がいるのです。
沖縄県民は何を望んでいるのですか?
新聞社の思う壺になって、中国共産党の支配下に置かれても
良いのですか?
チベットや東トルキスタンのように中国の自治区になっても
よいのですか?
どうか考えてください。
そして琉球新報など地元紙を決して信頼しないでください!
彼らは赤化新聞です。
どうか目を覚ましてください。
新聞は良心という仮面をかぶった恐ろしい悪魔です!
そうか、まだ、あんな新聞を信じているのか・・。
なんて馬鹿なんだろう・・。
そう思った。
昔は、日経新聞を読んでるのがかっこいい、と思われていた時代が
あった。
次に朝日、毎日。そして読売。
産経は全国紙の中でもイメージが一番良くなかった。
フジサンケイグループという括りが、フジテレビのイメージで
浸透していたからだと思う。
「たけちゃんマン」をやってるような局と繋がってる新聞社?
そんなの信じられないね、という感じ。
私の故郷は、地元紙がやたら強く、全国紙を買っている家は
あまり無かったと思う。
我が家でも、読んでいたのは地元紙だけ。
あぁ、何年か、赤旗とか、盛況新聞がなぜか来てたなぁ。
自営業だったから、両親は買わされていたんだろうと思う。
だってうちの両親は自民党支持だったし、特に父にいたっては、
大の共産党嫌いだったのだから。
ちょっと懐かしい思い出がある。
私が小学校中学年の頃、父がカセットテープレコーダーを買ってきた。
ついに我が家にも来た~~!!と家族で大喜びした。
早速、それぞれが声を録音して楽しんだ。自分の声が実際には
こんな声だったのかと驚き、ちょっと恥ずかしい気持ちになったりした。
その時、父が録音した言葉は、「私は共産党が大嫌い!!」だった。
私は「何、それ!?」という感じで当時聞いていたのだが、
なぜか今でもはっきりと覚えているのだ。
テレビで、その頃、確か中国の様子がテレビに出ると、
あの悪しき「毛沢東」の時代が画面によく映し出されていた。
中国人が皆、みすぼらしい「中国人民服」を着ていて、
赤い手帳を高々と掲げているのも良く見かけた。
顔も何か皆同じで、そのときに一緒に見ていた父はいつも
「共産党は怖い」と口癖のように言っていた。
私もテレビの画面から「その怖さ」をいつも感じ取っていたんだろうと思う。
やがて中国のあの雰囲気自体が耐えられないようになり、
「中国」というものに拒否反応をとるようになった。
京劇の場面も時折見たがそれも恐ろしさに繋がった。
結局、中国料理というものが「イメージ」で食べられなくなった。
大学の頃、友達とどこかに食べに行くとなると、
円卓で安価に食べられる中国料理店に行くのが一番人気だったが、
私はどうしても行けず、私が行く時は、友達は気を遣ってくれて
パスタのお店に行くこととほぼ決まりになった。
今も、中華料理店の雰囲気が駄目なのだ。
話がだいぶ逸れてしまった。
大学の頃、5歳上の姉が、朝日新聞を取りだした。
朝日新聞は「天声人語」が世間では神様のように崇められていた。
いざ読み出すと紙面の内容が豊富で、地方紙が如何に中身が
乏しかったことかと思ったほどだった。
人間、世間の評判には弱いもので、「朝日を読む=自分はインテリの仲間入り」
そんな感じを持ったものだった。インテリでもなんでもないのに。
しばらくして、あの「珊瑚KY事件」が起こった。
「珊瑚が傷つけられた」という一面トップの、海の中を写した青っぽい写真は
結構強烈に覚えている。
それが捏造記事だということが後で判った。
でも、自分自身は余りたいしたこととは思わなかったのか、
さらりと受け流した感じだった。
関西に住むようになってからは毎日新聞を取っていたが、
毎日新聞に対しても「一流の全国紙」というイメージはずっと持ち続けていた。
2002年、拉致事件を知るまでは、「新聞社とは一流企業だ」と、ずっと
思い込んでいた。
拉致事件を知ってから、朝日新聞がいかに恐ろしい企業であるかを知る
こととなった。
ネットでの、とある掲示板では、保守派の詳しい人たちがいろんなことを
教えてくれた。
当時、地方紙の全国ニュースはすべて共同通信社というところが
配信しているということを知った。
「共同通信」という文言は勿論地方紙の記事の一番最初に【】つきで
出ていたのは知っていたが、それが何の意味をなすのかさえ自分は
知らなかったのだ。
やがて、その共同通信というところがこれまた恐ろしいところであることも
知った。
拉致事件が世間に知れ渡った翌年、共同通信社は、地方紙十数社だったか、
それらの社長らを引き連れて団体であの北朝鮮に訪朝したのだ。
確か年始のご挨拶だった。
驚愕した。
拉致事件という国家的犯罪を確信的に犯した北朝鮮という国に、
そして国交の無い国に、大挙してご挨拶に伺ったのである。
地方紙の拉致事件の伝え方にもとてもおかしな様子が見られたのは
言うまでもない。
いや、テレビも酷かったが、新聞社もとにかく酷かったのだ。
折角帰国できた5人の拉致被害者を北に戻せという論調は
テレビだけでなく新聞社も同じだった。
そして北朝鮮と国交正常化すべきという言葉が踊った。
狂っていると思った。
マスコミを信じてはいけない。
マスコミはすべて腐っている。
マスコミは恐ろしい。
これを身をもって教えてくれたのは言うまでも無く拉致被害者のご家族で
あった。
こんな理不尽なことがあるのだろうかと思った。
天声人語も読めば読むほど狂っていた。
何故こんなコラムがもてはやされたのか。なぜこんなコラムが大学受験で
出るのか。
それは教育現場でさえも、すでに汚い闇に吸い込まれていたからだ。
今年、「天声人語ノート」やらが出て売れていると聞いた。
書写させるためのノートだという。
このノートを買おうとしている親に言いたい。あなたは自分の子供を
「赤化」させるおつもりですか?と。
平和!人権!と叫びながら、無差別に大量殺戮をする「アカ」に
魂を売る人間を作るおつもりですか?
無差別殺人犯を助けるために「死刑廃止!」と叫ぶ連中を許すのですか?
国家転覆を図り、朝鮮からのゆすりたかりにひれ伏す国へと
日本をどん底に沈めようとしている連中の言いなりになる人間を
作るおつもりですか?
どうか目を覚ましてください。
沖縄の方たちも、どうか!
沖縄の新聞社は「アカ」です。
中国人民解放軍が普通の服を着て沖縄を歩いていると想像して
みてください。
いや、もうすでにそうなっているのです。
沖縄はチベットになりかねない。防共のために米軍がいるのです。
日米同盟は「防共」でもあるのです。
沖縄の人たちを守るために米軍がいるのです。
沖縄県民は何を望んでいるのですか?
新聞社の思う壺になって、中国共産党の支配下に置かれても
良いのですか?
チベットや東トルキスタンのように中国の自治区になっても
よいのですか?
どうか考えてください。
そして琉球新報など地元紙を決して信頼しないでください!
彼らは赤化新聞です。
どうか目を覚ましてください。
新聞は良心という仮面をかぶった恐ろしい悪魔です!