前回の記事で、リオ五輪閉会式での8分間の東京アピール、
「トーキョーショー」を取り上げました。↓
★リオ五輪閉会式の「東京アピール」。
震災支援へのお礼から「安倍マリオ」富士山まで全てが素晴らしかった!
ダンサーの皆さん、裏方さん、椎名林檎さんやMIKIKOさん菅野薫さんらも、
皆さんホントにありがとう!
あのソフトパワーコンテンツを最大限に生かした「トーキョーショー」を見て
改めて思いました。
麻生政権時代にマスコミと民主党、そして何より
その後ろで民主党を操ってたも同然の河野太郎と
仲間の山本一太・平将明の扇動で潰された
「国立メディア芸術総合センター」を
どうか実現させてください!!これを僻地ブログから再々再度、叫びたいと思います!
今までも、「国立メディア芸術総合センター」のことは何度となく
取り上げてきました。
★「国立メディア芸術総合センター」構想の復活を!!(2013/02/28)★内田選手、長谷部選手が共にリハビリを行った
「国立スポーツ科学センター」について知ってほしいこと。2014/06/07その中で、「国立メディア芸術総合センター」を何故作って欲しいかを
書きました。↓
『箱物のようなハードよりソフトが重要だ!』
何故そんな方向へといくのでしょうか。
テレビ局を見てください。
スタジオという場所がなければ無理でしょう。
ジャパネットたかたのCM見てもわかります。
場所は必要ですよ。
そして拠点というのは大事です。
関係者、プロもアマも、地方の人も、初心者も、誰もがここへ来れば、
様々な方向からの接点が得られることはとても大きいはずです。
~~~~~~~~~~~~~~
芸術は自由が必要だ!!!!などと叫んでた人たちもいましたが、
別に、押し付けようとしてるわけでは毛頭ないわけで。
国はあくまでサポートです。
共産主義じゃないんですから。
そして、「保護」。
これこそが最も重要です。
これは著作権にも繋がります。
それは、業界を支える現場の人達の給与アップにもつながる
大事なことではないでしょうか。
アーカイブ的役割はほんとうに重要です。
また、「育成」。
これにも、「自由が必要だ!」との声が響きますが、同じく、
自由を奪うことなど全くなく、むしろ、多くのジャンル違いの
優れた作品を目にしたり、新進作家の作品にすぐに触れたり、
あるいは、昔からの原点的な作品にも触れることが出来る
わけですから、視野を広めるにはもってこいではないでしょうか。
大学のように学問的に囲うものでもないわけですから、
本人がそれこそ自由に活用できる場であるのです。
これって凄くないですか?
ライバル同士、直接会って切磋琢磨できるかもしれないし、
それこそ売り込みも出来るわけです。
ここへ来れば、日本の伝統工芸なども含めた古典的なものとも
関わりを深くすることが出来ます。
古いものとのコラボで、新たな芸術が生まれてくるかも
しれない。
逆に古典に還る人達もいるかもしれない。
自由な刺激、自由な発想は、どんどん生まれてくると。
外観は美術館のようにどっしりと重厚で、「中を楽しむ」
(中でどんどん変化させる」的な方法が私は良いと思います。
建物というのは飽きが来ても簡単に変えられるものでは
ありませんから、昔の西洋建築のような重厚なものを望みます。
もちろん耐震で。
とにかく「マルチサポート」で出来ることが
自分の頭の中にはありました。
まぁ、こうやって書いてるうちにも夢がどんどん膨らむような
素晴らしい構想であったわけで、本当に、私はこれが扇動に
よって潰されたことが心から悔しくてたまりません!
2009年。
民主党とマスコミによる狂気ともいえる、あの扇動・・。
衆議院本会議を振り返ってみます。↓
★国立メディア芸術総合センター関連答弁 鳩山(由) 09/4/28http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/171/0001/17104280001028a.html【第171回国会 第28号 衆議院本会議
平成21年(2009年)4月28日 議事録】より抜粋
【民主党 鳩山由紀夫】
アニメの殿堂。
総理のアニメ好きは存じておりますが、なぜ、百十七億円も投じて
巨大国営漫画喫茶をつくり、独立行政法人を
焼け太りさせる必要があるんでしょうか。
また、一台約七十万円もする電子黒板を全小中学校に購入させる
必要があるのでしょうか。
ほとんどの小中学校にもう既にコンピューター室があるにもかかわらず、
なぜ二百万台のパソコンを新たに購入させるのでしょうか。
さらには、各都道府県に産学官連携と称して
十五億円もの箱物をつくる予算に六百九十五億円。
既に同様の箱物は各地に存在をしていることは御案内のとおりです。
これも天下り機構への補助金ではありませんか。
【麻生太郎総理大臣】
メディア芸術の発信拠点についてのお尋ねがありました。
今日、日本文化発信の中心的存在であります、アニメ、漫画、ゲーム
などのジャパン・クールと呼ばれるメディア芸術の
国際的な拠点を形成することが重要であると
考えております。
新たに創設いたします国立メディア芸術総合センターは、
独立行政法人国立美術館の一組織として設けるものですが、管理運営は
すべて外部委託といたすとともに、必要な財源は自己収入で賄うと
いうことにいたしております。
電子黒板やパソコンについてのお尋ねがありました。
未来を担う子供たちへの情報教育の充実に重要な課題で
あろうと考えております。
このため、政府目標として、他の先進国並みの、児童生徒
三・六人に一台のパソコンを整備することといたしておりますが、
現状はその半分程度の整備にとどまっております。
学校における情報機器を活用した教育の充実のため、今後、
抜本的な整備を行うものであります。
また、わかりやすい授業を行い、児童生徒の学力を向上させることは
極めて重要であろうと考えております。
電子黒板やパソコンを使うことで、教科書やノートを大きく表示したり、
書き込んだり、映像を活用することなどにより、わかりやすい授業が
実現できるものと考えております。
政府といたしましては、今後とも学校の情報通信技術環境の整備に
努めてまいりたいと考えております。
産学官連携施設についてのお尋ねがありました。
産学官連携施設につきましては、地域の特色を生かした共同研究を
進める場となり、地域経済の活性化につながる重要なものと考えて
おります。
この推進に当たりましては、科学技術振興機構のノウハウを活用して、
自治体とともに整備することが効果的、効率的であろうと考えております。
いずれにせよ、予算の無駄があってはならないことは申すまでもない
ところであります。
産学官連携の成果が上がるよう、その実施に当たって
まいりたいと考えております。
全ての点において
「先見の明」があった
麻生さん。今、よく流れているNTTのCMを思い出させるような、教育現場構想。
そして地方創生ともつながる自治体と大学が連携した産学連携
プロジェクト。
今、安倍政権が引き継いで、どんどん進められ、そして、それは
世界各国のインフラ事業にも大きな成果を上げているのです。
★大切な「日本的価値観」。道は遠く長い。
机上評論家の意見は聞くだけ。あとの判断は自分次第。民主党と、当時のその他野党とマスコミは、これらを全て否定しました。
箱モノは悪。
独立行政法人も悪。
官僚も悪。
そして何より、
麻生自民党がやることなすことは全て極悪。
「利権」にまみれた極悪政党。
こうして扇動し、洗脳していったんです!あの時の
政権交代扇動選挙は
2009年8月30日でした。
その9日前の8月21日まで、ちゃんと文化庁で行われていた国立メディア芸術総合センター(仮称)設立準備委員会。↓http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/media_art/政権交代扇動選挙の1か月半前に行われていた、その
第3回目の会議に、「関係者からのヒアリング」として参加を
された方の意見をどうか聞いてください。↓
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/media_art/03_gijiroku.html#warp【国立メディア芸術総合センター(仮称)設立準備委員会(第3回)
平成21年7月10日議事録】より
○原田 大三郎氏(多摩美術大学教授)
原田です。
よろしくお願いします。
私はCGを中心とした映像関係の仕事や作品づくりの仕事をしています。
あとまた,多摩美術大学の情報デザイン科のアートコースというところで
先生もしています。
この情報デザイン科のアートコースというのはまさにメディア芸術を
教えるコースのことです。
私は1999年から文化庁主催の文化庁メディア芸術祭において,
審査員としていろいろ参加させていただきました。
そのときはロボットの展覧会だったと思います,
企画展があったと思います。
そのときはまだ文化庁メディア芸術祭はそれほど認知度がなくて,
審査員の方々とか運営の方々と,何とか大きな盛り上がりになる
ように,皆さんで奔走したことをはっきりと覚えています。
その文化庁のメディア芸術祭も今年で12回という回を重ねて,何と
入場者数が5万人を超えました。
正直言ってびっくりしました。
世界中でいろいろなメディアアートの展覧会が行われていますが,
5万人という数の集客があるのは,恐らくこの日本の文化庁の
メディア芸術祭が多分一番大きい展覧会だと思います。
あと,私は文化庁メディア芸術祭の中においてアート部門の
審査をしているのですが,実は昨年アート部門の作品の応募数が
1,000点を超えました。
1,000点というのは実はこのメディア芸術祭の全体の作品応募数の
約半数になります。
それで,より特徴的なのが,この1,000点のうちの約4割が実は
海外からの応募だったということです。
約400点近くが海外から来ました。
さて,私が最初この文化庁メディア芸術祭の審査に参加したときに
実は一番奇妙に思ったことは,メディア芸術というか,メディアアートと
いうくくりの中に,漫画やアニメやゲームが含まれていることでした。
それとあと,プロとアマとか,個人とか企業とか,制作の状況が全く
異なる作品を同じステージで評価するというのが非常に変わって
いるなというか,正直言ってよく理解できませんでした。
たしか,最初に参加したときにソニーのアイボが大賞を受賞
したんですけれども,アイボと個人でつくったインタラクティブな
作品をどう比べてどう評価すればいいのかというのは,今だから
言いますけれども,よくわからなくて非常に困りました。
ところが,実際に展覧会を開催していって,またそれが回を重ねる
うちに,だんだん自分の中ではっきりしてきたのは,これは日本の
新しい表現とか芸術を同じステージに乗せて同等に評価するという,
そういうことが何となく自分の中でメディア芸術祭のある意義と
いいますか,そういうのが生まれてきて,それ以降そのことに
対して大きく疑問を持つようなことはなくなりました。
それはもしかすると慣れたということかもしれませんが。
日本の場合,文化庁の定義によると,メディア芸術とは映画,
漫画,アニメーション,CGアート,ゲームや電子機器等を利用した
新しい分野の芸術の総称ということになっています。
この文化庁メディアアートのアート部門は,このCGアート,
電子機器等を利用した新しい分野の芸術に対応しています。
ちょっとややこしい話なんですけれども,ここで混同してならない
のは,メディア芸術という呼び方とメディアアートという呼び方は,
若干ニュアンスが違うということなんです。
それは単純に英訳とか和訳とか,そういう問題ではありません。
海外で一般的に認知されているのはメディアアートという呼び方で
ありまして,これは日本での言い方のメディア芸術の中の1つで
ある,さっきちょっと言いましたCGアートや電子機器等を利用した
新しい分野に対応するものです。
つまりメディア芸術祭でいうとアート部門のことなんです。
そもそも海外で認知しているメディアアートとはどういうものかと
いうと,それは実はファインアートの1つの領域であり,ちょっと
1ページに書いてあることを参考にすると,芸術表現に新しい
技術的発明を利用する,もしくは新たな技術発明によって
生み出される芸術とあります。
つまり,CGアートとかというようなことに限らず,多種多様な
テクノロジーに関する新しいいろいろは表現を含んでいると
いうことです。
そして,このメディアアートの特徴として,他のファインアートの
作品に比べて非常に大きな点が,商業化とか産業化の可能性が
非常に高いということなんです。
それはどういうことかというと,作品がある商品やサービスになる
可能性を持っているということです。
そこで,そのような性質を持った,いわゆる海外的に認知度の高い
メディアアートという呼び方をされるジャンルと,日本において特に
顕著なのですが,皆さんご存じのように既に商業化とか産業化を
達成している映画とか漫画とかアニメーションが1つになって
メディア芸術という独特の世界を構築したと。
このことは日本においては当然のことだったかもしれませんし,
日本だから可能だったのかもしれないと思っています。
この日本のメディア芸術というくくりの先見性が,
実は一般的に正確に理解されないままアウトプット
されたことが,今回の国立メディア芸術センターに
関するさまざま聞こえてくる報道の1つの要因となった
ような気が僕はします。
認知度が高い漫画やアニメーションとか
ゲームとかそういうのが先にクローズアップ
されて,アニメの殿堂とか国立漫画喫茶とか
呼ばれてしまったと。
そこには,本来はメディア芸術とか,あるいはメディアアート
という言葉が入っているはずなのに,いつの間にか
それが消えてなくなってしまった。
そういうふうに感じています。
私は先ほどから言っているように,メディア芸術祭の審査や自らが
メディアアートの制作にかかわっていることからも明確なのですが,
当然国立メディア芸術総合センターの設立に関しては
賛成ですし,非常に期待をしています。
ただ,せっかくつくるならば,中途半端なものではなく,何かしら
メディア芸術の象徴となり得るような施設であってほしい
とも思っています。
いろいろ経済的な問題があらわれたときだからこそ,何かしら実態が
不明瞭なもので終わるのではなく,国民の皆さんや,あるいは
世界中の方々に誇れるようなものであってほしい
と思っています。
この発表をしなければいけないということもあって,ちょっといろいろ
考えたときに,1つ浮かんできたキーワードは,過去と現在と未来
という言葉です。
ここでいう過去,これは皆さんがいろいろおっしゃっているアーカイブ
とか,作品を収蔵するとか,そういう事柄に当てはまると思います。
文化庁メディア芸術祭も当初からその受賞作品のアーカイブの
問題や収蔵に関しては議論されてきました。
ただ,もしかするとこれは既存の施設やサービスとの併用という
方向性もあるかもしれないとも思います。
僕は映像専門なので,例えば映像に関して言うならば,圧縮された
データでよければ,実は今ユーチューブにアップロードするのが
一番安上がりで,一番信頼性が高く,安全で,一番公共性も高いと
思います。
問題はいわゆる圧縮する前のマスターと呼ばれる非圧縮のデータの
ことで,そのデータ群をどうするかというのは,いろいろと問題があっ
て考えなければいけないと思います。
あと,例えばさまざまなデバイスとか,コンピューターを使った
インタラクティブなインスタレーションとか,そういうことのメンテナンス,
そういうことは収蔵という部分に関して,アーカイブということに
関しては考えなければいけないと思います。
そして,次に浮かんだキーワードの現在,これはまさに今のこと
なんですけれども,私は国立メディア芸術総合センターは
やっぱり生きた場というか,呼吸している場であってほしい
と思っています。
つまり人々が集まって学んだり遊んだりするような,そういう
動いている場というか,そういうことです。
単純にアーカイブがあるとか,作品が並んでいるとか,そういうことでは
なくて,そこで何かが行われて,事件が起こって,何かが
つくられて生まれている場所と,そういうことであってほしいと思います。
実はその場のことを考えると,私はある1つのことが思い出されます。
それは私が通った,手前みそであれなんですけれども,筑波大学の
大学院にあった工房のことなんです。
その工房にはさまざまなその当時の最新の工作機械や,あるいは
車1台入る塗装室があったりとか,プラスチック加工室なんかが
整備されて,学生たちはそこに24時間,さほど規制もなく,自由に
出たり入ったりしてそこでつくっていたんですね。
金属彫刻をつくる学生もいれば,キネティックアートをつくる学生も
いると,あるいは写真を専攻している学生もいると,あるいは
フォログラフィをつくっている子もいると。
そういういろいろな思考を持った学生たちが集まってうだうだする,
作品をつくったりとか会話をしたりするサロン的な場だったんです。
大学院のとき私の専攻はビデオアートだったんですけれども,
私もやっぱりなぜか毎日その工房に通うと,みんなと話すというのが
日課になっていました。
実は私が通ったこの2年間にその工房に出入りした学生の中には,
それこそ今手前にいらっしゃる石原さんがいたり,木村伊兵衛賞を
とった写真家の畠山さんがいたり,岩井俊雄さんがいたり,土佐さんが
いたりという,そういうメンバーがその工房にみんな集まって何かしら
やっていたわけですね。
今考えると,あと工房がその現在の日本メディア芸術の
下地をつくったと言っても過言ではないなと僕は思います。
多分漫画の世界で言えばトキワ荘というやつですか,多分それと
近いような存在でした,筑波のその工房は。
国立メディア芸術総合センターにおいて,同じような工房をつくって
ほしいということはないですが,やっぱりさっきからも言うように,
何かしら物が生まれる場所というか,クリエートされる場で
あってほしいと思います。
実はディズニーランドより楽しいのは,ディズニーの実際の制作を
行っているスタジオで,またジョージ・ルーカスでいうならば,
ルーカスのスカイウォーカーランチ,そういう制作をやっている間と
いうのが実は非常に楽しく,おもしろいです。
例えば,ディズニーだったりすると,白雪姫からオリジナルのアニメの
セル画がだんと並んだ長い廊下があったりとか,あとスカイウォーカー
ランチでいくと,撮影で使ったライトサーベルが食堂のところに置いて
あったりとか,そういうところは非常に興味深いし,楽しい空間ですし,
またそういう場で仕事をするというのは,何かしら仕事をするほうから
すると誇りを感じるといいますか,そういう場です。
今私がいろいろ言ったことは,映画とか映像に焦点を当てた例
ですけれども,それは日本が誇る漫画とかアニメとかゲームとか
メディアアートとか,いわゆるメディア芸術でも日本独特のこういう
場づくりというものが可能ではないかと私は思います。
最後の浮かんだキーワードが未来のことです。
ここで私が強調したいのは,実は教育のことです。
それも子供たちの教育のことです。
今の子供たちは生まれたときから携帯電話とかインターネットとか,
そういう新しい先端技術の空間の中に生きているわけですけれども,
ただ新しい技術とかそういうことがもたらす意味や価値,または害を
やっぱり正確に伝えなければいけないと思います。
そうしなければ,それを判断し,自分である価値感を決めていくというか,
考えていくというか,そういうことが行われないと思います。
最初に述べたように実は私は大学で教えているのですが,時々感じる
のは,大学生ではもう手遅れだということなんです。
もう大学に来た段階で,ある種何かしら色に染まっていて,あるいは
受験勉強とかそういうことを越えてきたものですから,何か色が
決まっているんですね。
だから,もうちょっと若いときにテクノロジーとかそういうのを見せて
くれる,力とか楽しさとかそういうのを若いときの中学校とか小学校
とか,そういう年代に教えることができないかなと思っています。
もし可能ならば,新しくできる国立メディア芸術総合センターにおいても,
そのような学校の枠を越えた何かしら,ワークショップといいますか,
そういうことが実現できるといいなと思っています。
最後にちょっと言いたいことは,今回年末からいろいろ無駄遣いと
いう言葉と一緒に,この国立メディア芸術総合センターの
ことが取り上げられてきたんですけれども,実は僕も最初は
一般の人と同じように,アニメの殿堂とか,国立漫画喫茶とか,
そういう言葉が先行してきて,正確に把握していなかったんです
けれども,実はそれが実はメディア芸術のことなんだと
知ってびっくりしたのが本当のところです。
年末からのいろいろな不況の中,無駄遣いとかの
スローガンとともにアニメの殿堂とか,国立漫画喫茶とか,
そういう言葉を聞かされると,だれもがそれに対して
負のイメージを持つのが当たり前だと思います。
例えば,おなかを空かせている人がいると,その人に漫画を与える
ことというのは多分無意味なことだと思います。
何かしら立場が違うところから何かと比べられて,無駄遣いだと
指摘されると,それを論破する言葉を私たちは探せずに
沈黙してしまいます。
しかし,人はパンのみにて生きるにあらずという言葉にありますけれども,
芸術的活動を行える,またそれを求めるのがやっぱり人間だと僕は
考えています。
年末からの不況のニュースの中,年が明けて飛び込んできたのは,
皆様もご存じのようにアカデミー賞の2つの優秀なすばらしい作品と,
芸術ではありませんけれども,WBCの2連覇のことだったと思うんです。
あのニュースで私たちは喜んだし,感動したし,誇りに思ったし,
勇気をもらったのはやっぱり事実だと思います。
その芸術が社会に果たす役割は,身近でいえばそういうことだと
思うんですけれども,芸術にはそういう人々の価値を与える力が
僕はあると信じていますし,そういう仕事にこれからも携わって
いきたいなと僕は思っています。
以上です。
今回ブログ記事を書くにあたって、偶然見つけた原田氏のご意見
なんですけれど、とても貴重なお話だと・・。
なんだか、胸が詰まるような気持ちにもなります・・。
それは、私自身が描いていた「国立メディア芸術センター」への
ワクワク感と同じものが原田氏の言葉に中にたくさん見つけることが
出来たにもかかわらず、それが実現しなかったという現実の虚しさを
感じずにはいられないということ。
例えば、ディズニーに関しても、私は息子たちが小さいころ、よく
ディズニーの初期の頃のビデオを借りてきて一緒に楽しみましたが、
そのビデオの中には、ミッキーが誕生するまでの経緯や、デッサン、
音と映像の組み合わせの面白さ、そしてあの「蒸気船ウイリー」など、
初期作品の素晴らしさが溢れていて、とても感動しました。
原田氏のお話は、その事も思い出させてくれて、制作が行われる
スタジオや工房こそが面白い空間であるということにとても納得して
しまうのです。
「自由空間」の工房。
本当にクリエイトな空間。
これだけでワクワクしてきます。
しかし、実現はしなかった・・。
原田氏のお話を聞いて、胸が詰まる思いとなったもう一つの理由・・。
それは
、もし、あの「扇動」さえなければ、本来ならばもっともっと
「国立メディア芸術センター」の素晴らしさとか期待とか、そういった
ものがワクワクした気持ちで語られて、また専門家の方たちによって
深く議論され、実現へと進んでいくことが出来たはずだという、
その確信が見えて来るからだと思います。
逆に言えば
専門家の方たちでさえ、あの扇動によって、
「誤った認識」を植え付けられていたのだという事実に、
改めて私はショックを受けました。
こんなことがあっていいのでしょうか?
こんなことが許されていいのでしょうか?
マスコミや民主党らが行った「扇動による洗脳」という行為の、
なんと重く深い罪であることか。
人を陥れ、貶めながら、国民を扇動し、誤った認識を徹底的に
植え付け洗脳し、国民に思考停止を引き起こさせた狂った扇動・・。それによって、
「国立メディア芸術総合センター」は
潰されてしまったのです。
リオ五輪閉会式で行われた8分間の「東京アピール」。あのアピールで、尽力してくださった方たちは、この原田氏が
取り上げている
「文化庁メディア芸術祭」で部門別大賞を獲ったり、
また、審査員推薦作品として候補に挙げられるような作品を
多数出されていました。
★文化庁メディア芸術祭 歴代受賞作品まさしく、あの「東京アピール」が「「国立メディア芸術総合センター」の
目指していたものであると言っても過言ではないのです。
あの「裾野」をどんどん広げていくこと。
未来を担う「若者の力」を発掘し、育てていくこと。
「ジャンル」の垣根を越えていくこと。
「産学連携」のように、地方自治体との連携で「新しい地方創生」も
また見えてくること。
そして「レガシー」として遺していくこと。・・・国が、その拠点を作ること。これがどうして、全否定されてしまったのか。
それは、もう一度繰り返しますが、原田氏も、
「誤解」していたことを話されて
いたように、
マスコミと民主党、そしてその後ろで主導していたも同然の
河野太郎と仲間たちによる「国営漫画喫茶」「アニメの殿堂」
というレッテル貼リの言葉によって、国民が完全に「誤った認識」を
植え付けられ、「思考停止」させられてしまったからです!しかし残念ながらこの
「思考停止」は今でも続いています。
「未来への投資」は「国の借金、負債」という言葉に「脳内変換」されてしまう。
「箱モノ」というだけで、また「拒否反応」を示す。これは、東京都知事選でも扇動として利用されてしまいました。
しかもネットで・・。
あのリオ五輪閉会式の「東京アピール」に凝縮された日本のソフトパワー。
国民だけでなく、世界中から、認められました。
そのことによって、どうか一歩でも、この「拒否反応」から脱却して欲しいと
思います。
「国立メディア芸術総合センター」。名前はこのままで、どうか
復活、実現させてください!!
【追記】
2009年、民主党・マスコミと一緒になって、「レッテル貼り」をし
国立メディア芸術総合センター潰した河野太郎、平将明、山本一太を
私は心から許せません。
この3人は、麻生政権の時、背中から撃ちました。
TVで自分売りをしたんです。
激しい自民潰しの煽動の中、自分たちだけ、
「俺たちは自民党議員だけど民主と同じ考えだ、自民党とは違う」、
と「自分売り」をした卑怯者です。
そうやって人を裏切って、同時に陥れてきたんです。
そうやっておきながら、その後、世間でクールジャパンが
肯定され始めると今度は、自分たちがクールジャパンを
進めていますとしゃしゃり出て来る。
本当に卑怯です・・。
【追記その2】
今まで起きてきた極めてえげつない扇動の中心は、
菅と河野太郎です。
河野の仲間たち、そして菅の子分の橋下維新が中心です。
勿論別動隊もいます。
小泉純一郎と河野洋平から受け継がれてきた、日本国内を
内側から壊していく「扇動」の「中心」を担っている。
そして極左過激派と極右扇動者は同じ扇動元によって
動いている・・。
扇動者たちにとって都合のいいことだけが、
コントロールされたメディアによって、
まるで受け入れるのが当然であるかの如くに扇動され、
逆に邪魔者の政治家が国家国民のために進めるものは、
邪魔者潰しの為に全て「悪」だと刷り込まれていく扇動。
国民が分断され、議論さえできない。
耳を傾けることさえも拒否する。
それは都合よく「ゴールポスト」を動かしながら行われる。
「ためにする」政治扇動なのです。
この手法は、「カラー革命」のレシピです。
- 関連記事
-