東京都知事選。増田ひろや候補が奥様と二人三脚でこつこつと積み上げてきた「信頼」は必ず都民を繋ぎ、助け合う「原動力」となる。増田都政の誕生を心から願う。
- 2016/07/30
- 22:49
ずっと増田ひろや候補を応援してきました。
全くといってなかった「知名度」。
実務家で、3期12年間の岩手県知事、そして元総務相含め、
経歴は文句なし。
なのに、なぜこれほどまでに「知名度」が低かったのか。
その答えは簡単でした。
テレビに殆ど出ていなかったから。
これに尽きます。
増田さんが岩手県知事時代、マニフェスト選挙を推進するなど
「改革派」として名を上げていた他県の知事たちは、その後、
テレビ、特にTBSの「みのもんたの朝ズバッ!」などのコメンテーター
として名を売り、政権交代のためのテレビの扇動報道に加担しました。
うち一人は、菅直人内閣の総務相にもなりました。
しかし、増田さんは、そういう扇動の先端を走っていたテレビ番組
には全くと言っていいほど顔を出していませんでした。
いわゆるビデオ撮りでのインタビューすら見たことはありません。
マスコミは、自分たちの都合のいい人物をテレビに出演させ、
扇動をしてきました。
日本を護って来た政治家を陥れ、潰し、そして、弱体化した日本を
貶め続けてきました。
連中は「ねつ造」や「隠蔽」によって国民に「誤った認識」を植え付けて
騙し、国民が自らの手で大切な政治家を葬る方向へと扇動していきました。
そこに加担した、多くの「有識者」たち。
そして、味方のフリをしながら、日本を守る政治家を叩きまくっていた
著名人たち。
そのどこにも、「増田ひろや」という人はいませんでした。
東日本大震災から半年後。
★【震災から半年、被災地に問われた課題は何か】(言論NPO:2011年9月14日)
今回は天災であり、自然災害でしたが、
5月の連休明けごろから、人災の要素が
非常に濃くなってきたと思います。
増田さんはネット動画で民主党政権の「政治の不作為」を、こう強く
非難していました。
マスコミは、特にテレビは、この民主党の「政治の不作為」を
さんざん隠蔽し、そして隠しきれない状態にまでなると今度は、
「民主も自民もどっちもどっち」
とう言葉で国民に「誤った認識」を植え付けていきました。
★東日本大震災後、マスコミが「民主も自民もどっちもどっち」という
言葉で国民に、特に被災者に「誤った認識」を植え付けたことが絶対に許せない!
テレビに出ていたコメンテーターたちは、その扇動に乗っかる連中
ばかりでした。
一方のネット動画の増田さんは、「政治の不作為」をただただ非難を
するというのではなくて、現状でどのようなところに問題があるのか、
今後どういうことを推し進めていくべきなのか、そういった政策的課題を
非常に具体的に明らかにし、すぐにでも対応すべきことを訴えて
くれていました。
増田さんが、もしコメンテーターとして呼ばれていたら、法を執行
するのは民主党政権であり、立法府でしかない野党にはその
権限など当然ないことをしっかりと説明し、何が正しくて何が
間違っているのか、その事実を、どこに媚びることなく、国民に
伝えてくれていただろうと思います。
でも偏向報道を続けるテレビは、増田さんのような「確かな目」で
見る人をコメンテーターに据えることも、またインタビューすることも
まるでありませんでした。
「知名度の低さ」。
それは逆に、「確かな目を持った人である」ことの裏返しでもあり、
マスコミや大衆に迎合したり、扇動に加担する人ではないという
「信頼」の証の一つでもあると思います。
そして何より、本当に日本のために動いてくれる人だと思います。
今回、ゼロどころか、謂れのない一方的な誹謗中傷、罵詈雑言の
溢れる超マイナスな状況の中でスタートした選挙戦。
でも、増田さんの実力と力強さ、そして何より優しく温かで実直な
お人柄が、「心から応援したい」という気持ちを奮い立たせて
くれました。
ずっと選挙期間中、増田さんの応援記事を書いてきましたが、
最後はやっぱり、もう一度、この2つの「寄稿文」を紹介したいと
思います。
増田さんの「原点」であるお父様のこと。
そして「二人三脚」で人生を共に歩んでこられた奥様とのことです。
★東京都知事選。ますます増田ひろや候補に都知事になって欲しいと強く思う!
増田さんのルーツは祖父・父の故郷「岩手」。原点は「父親の背中」。
「現場」を大切にする都知事にきっとなってくれる!
(岩手競馬存続のことも書いています。)
http://www.h-masuda.net/activity/kokoro/080204.html
【日本経済新聞 夕刊 「こころの玉手箱」(1)父が残したノート】
(2008年2月4日付:増田寛也オフィシャルサイトより)
■「現場主義」学んだ農家の記録
一九九一年に父が没し、一周忌が過ぎたころだっただろうか。
遺品を整理しようかと机を片づけ始めた時だ。
ごちゃごちゃの書物などの間から手帳サイズのノートが
次々に出てきた。
確か三十冊以上もあった。
小さな字がびっしり。
どこの誰、牛が何頭、水田何ヘクタールなどと岩手県内の
農家ばかり、一軒一軒の経営状況やデータを事細かに
書いてある。
黄ばんだページを夢中でめくった。
あの父がこんなに現場を歩き、足で稼いでいたのか。
「男は黙って」タイプ。
三人の息子に仕事の話などしないし、何も言わないまま
逝ってしまった。
農林省の局長から六三年、県知事選に出て落選。
自民党参院議員になるまで五年間、雌伏した。
その頃、選挙運動の傍ら記録し始め、引退するまで続けた
ものらしい。
初当選の頃は交通事情も悪く、資金も限られていた。
一度家を出ると、洗濯物を抱えて戻るのはひと月後。
リュック サック一つ背負い、農家を転々と泊まり歩いたと聞く。
旧軍時代の仲間のツテや飛び込んだ役場の紹介で農家に
上がり込んでは話を聞き、コツコツ書きためていたようだ。
農政がライフワークだったのは確かだが、国会議員になって
マクロな政策の話かと思いきや、とことん現場を歩くことが
基本だった。
これがおれの仕事だ。
ノートの行間からそんなつぶやきが聞こえる気がした。
末っ子で建設省の官僚だった私。
かつての父と同じように知事選に担ぎ出されたのは九四年
暮れだった。
それまで 選挙に出る気など全くなかった。
東京で生まれ育ち、岩手の在住経験もなかった。
母に打ち明けると「そんなバカなことはやめなさい」の一点張りだった。
父が生きていたら、何と言っただろう。
母と同じで反対したかも知れない。
いや、自分で決断したのなら、後は自分の責任でやれよ。
ただそんな風にだけ言われたような気もする。
選挙で県内を歩くとあちこちの農家で言われた。
「昔、お父さんが訪ねてきてね」。
当選後、実家に寄ってはノートを改めて眺めた。
近代化、集約化といっても耕作形態は昔とそう大きくは変わらない。
農政のイロハがそこにはあった。
おやじの背中。
自分も政治に携わった以上、できるかぎり現場に出て、
きめ細かく歩かなければいけない。
それだけはいつも肝に銘じてきたつもりだ。
★東京都知事選。増田ひろや候補の寄稿文紹介。
「結婚式のキーホルダー」「サイクリング」「スウェーデン製の猫」。
増田さんの強さと優しさ、必ず、絶対、都民に伝わるはず。
今度こそ「信頼できる人」が都知事になって欲しい!頑張れ!増田さん!!
http://www.h-masuda.net/activity/kokoro/080206.html
【日本経済新聞 夕刊 「こころの玉手箱」(3)結婚記念のキーホルダー】
(2008年2月6日付:増田寛也オフィシャルサイトより)
■引っ越し9回、心のカギは1つ
夜、帰宅して玄関のカギを開ける。
次の儀式は決まっている。
カギをぶら下げたキーホルダーを食卓の端にあるトレイに置く。
場所は必ずここ。
結婚指輪も外して一緒に。
翌朝、二つを忘れず身に着けて出る。
二十五年前、結婚披露宴を催した帝国ホテルから贈られた
記念品だ。
当時は銀色に輝いていた。
ホテルの人に「今もお持ちの方はほかにおられません」 と
驚かれたのが十年近く前。
随分すり減ったし、取り付け部分は何度か修理もした。
たまたまその一時期、新婚夫婦にキーホルダーを贈っていたそうだ。
詳しくは分からないが、ホテルのルームキーをかたどったものと
聞いたような気もする。
もらったのは一つだけ。
家内は専業主婦で、帰りが遅い勤め人の私が自然と持つことに。
「絶対になくさないでね」と厳命が下った。
以来、手放したことがない。
これを持たせておけば、亭主はどんなに遅くなっても無事に
帰ってくる。
そんな心のカギでもあるような、おまじないみたいなものかも知れない。
たまにあわてて持って出るのを忘れると、 こちらも気になり、家に
電話して「ある?」と確かめずにいられない。
結婚以来九回、住まいを転々と移ってきた。
建設省から千葉県警や茨城県庁に出向して東京と行ったり来たり。
本省勤務でも官舎からマンションへとあちこち。
子供はおらず、ずっと二人だ。
教育問題の心配などはないが、なぜか突然の引っ越しが多く、
手際が随分良くなった。
そんな思い出がすべてこれに詰まっている。
とりわけあわただしかったのは岩手県知事選に出馬を決め、
急きょ盛岡に移った時だ。
四十平方メートルほどのワンルームを物件を見もせずに借り、
名刺を片手に毎日百軒以上、あいさつに回り始めた。
最初の一カ月ほどはやむなく一人暮らし。
その間もキーホルダーはポケットにあった。
実は一度、なくしかけたことがある。
知事時代に米国に出張し、サンフランシスコの空港で油断して
アタッシェケースごと盗まれた。
落ち込んで三週間後、 捨てられたアタッシェが見つかった。
現金以外の中身は無事だった。
なおさら、手放せなくなったのは言うまでもない。
奥様と二人三脚でこつこつと積み上げてきた「信頼」は、
必ず都民を繋ぎ、助け合う「原動力」となる。
東京はきっと変わる。
そして増田さんはリーダーとして、必ず都民の生命、暮らしを
守ってくれる。
増田さんが都知事となり、「増田都政」が誕生することを
心から願っています。
★都知事選2016 増田ひろやより最後のお願い
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