東京都知事選。ますます増田ひろや候補に都知事になって欲しいと強く思う!増田さんのルーツは祖父・父の故郷「岩手」。原点は「父親の背中」。「現場」を大切にする都知事にきっとなってくれる!(岩手競馬存続のことも書いています。)
- 2016/07/24
- 13:46
頑張れ!!増田さん!!

ジブリ映画「耳をすませば」の主人公「月島雫」のお父さん、月島靖也。
え・・? あ・・・・、いや、あまりに似ていたもので・・。
こちらが増田さんでした。↓

その増田さん、力強いお言葉!!
小笠原諸島周辺海域等における中国サンゴ船問題について。当地の議員さんや島嶼部の方々から、切実な願いを聞いています。小笠原諸島を含む島嶼部は東京都です。都民の安全を必ず守るとお誓い致します。#都知事選 #増田寛也 #政策で議論しようhttps://t.co/tgQ1rttJL4
— 増田寛也(ますだひろや) (@hiroyamasuda) 2016年7月24日
増田寛也(ますだひろや) ✔ @hiroyamasuda 2016年7月24日 12:42
小笠原諸島周辺海域等における中国サンゴ船問題について。
当地の議員さんや島嶼部の方々から、切実な願いを
聞いています。
小笠原諸島を含む島嶼部は東京都です。
都民の安全を必ず守るとお誓い致します。
#都知事選 #増田寛也 #政策で議論しよう
http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m2/page3_001027.html …
よっしゃあ~~!!!
安倍政権と連携してよろしくお願いしますぞ~~!!!
(・Д・)ノ エイエイオー!!!
私が増田ひろや候補を応援しようと思ったのは、決して
いい加減な気持ちからではありません。
2002年に日韓ワールドカップの時に気付いたマスコミの
異常さと北朝鮮拉致事件の存在を知ってから、ようやく
「目が覚めた」自分は、その後ずっとマスコミが行ってきた
隠蔽や捏造、そして、それによってどれだけ頑張る政治家、
或いは選手、ひいては日本人、そして日本国が一方的に
貶められてきたかを見てきました。
「誤った認識の植え付け」。
ブログでずっと書いてきた言葉ですが、この「扇動」によって
国民は誤った思い込みをし、誤った選択をしてしまった。
それを何度も何度も見てきました。
選挙では特にこのことが重大な結果をもたらしてしまうことになる。
2009年のあの政権交代扇動選挙。
あのようなことを二度と起こしてはいけないという気持ちと、
「保育園落ちた日本○ね」の「やらせ扇動」から「舛添降ろし」、
そして「東京都知事選挙決定」までの急転直下ともいえる
あっという間の流れの経緯をずっと見続けてきて、その
凄まじい扇動でここまで来て、その流れで一気に何かを
動かそうとするものに対して、非常に不安を持ち、また再び
東京都民が扇動的な流れの中で「都知事」をいい加減に
決めるようなことが絶対にあってはならないという気持ち。
そういうところから、今回の都知事選挙では、全くどんな人か
を知らなかった増田ひろや候補のことをちゃんと確認して
みようと思ったわけです。
その結果、増田ひろや候補を応援したいと思い、増田さんに
対して一方的に植え付けられたイメージを含む「誤った認識」を
払しょくし、「本当の増田さん」をもっと知って欲しいと思いながら
書いています。
増田さん応援をかなり積極的にしたいと思ったのは、すでに
紹介した「記者クラブ合同記者会見」での増田さんの発言と、
増田さんに出馬要請をお願いした市長さんたちとの会談での
増田さんの発言でした。↓
★東京都知事選では増田ひろや候補を応援します!
とにかく先ず知ろう!増田ひろや候補はどんな人?
★東京都知事選。増田ひろや候補を相変わらず応援!
真摯な人柄はきっと少しづつでも伝わっていくと思います!
その中で特に惹かれたのは、
①増田さんがすごく現場を大切にする人だということ
②市区町村という細かな単位の「現場に近いところ」との
接点をものすごく大事にしようとしているところ
③とことん議論をするという強い姿勢
でした。
そして、その原点となるのが「父親の背中である」
ということにも非常に惹かれることとなりました。
今回は、そういった部分を含む増田さんの「人となり」を知る上で、
とても参考になる増田さんの寄稿文がありましたので、その中から
まず2つ紹介したいと思います。
記者クラブでの記者会見での「父親の背中」という言葉についは、
もっと詳しく知りたいなと思っていたところ、その事に関する寄稿文も
ありました。
もう一つは同じくその記者会見で、
父親に連れられて岩手に行ってですね、
「あ、これだけ違いがあるんだ」
当時の岩手から見ると、東京は本当に憧れの地ですよね。
そういう中で、岩手から見ると東京がどう見えるのか。
外から物事を見るというのがこれだけ違うんだということを
勉強しました。
と、このように話されてて、このお父様と岩手に行ったということについて
もっと知りたいと思っていたところ、そのことに関係する寄稿文もちょうど
ありましたので、今回併せて紹介しますね。↓
http://www.h-masuda.net/activity/kokoro/080204.html
【日本経済新聞 夕刊 「こころの玉手箱」(1)父が残したノート】
(2008年2月4日付:増田寛也オフィシャルサイトより)
■「現場主義」学んだ農家の記録
一九九一年に父が没し、一周忌が過ぎたころだっただろうか。
遺品を整理しようかと机を片づけ始めた時だ。
ごちゃごちゃの書物などの間から手帳サイズのノートが
次々に出てきた。
確か三十冊以上もあった。
小さな字がびっしり。
どこの誰、牛が何頭、水田何ヘクタールなどと岩手県内の
農家ばかり、一軒一軒の経営状況やデータを事細かに
書いてある。
黄ばんだページを夢中でめくった。
あの父がこんなに現場を歩き、足で稼いでいたのか。
「男は黙って」タイプ。
三人の息子に仕事の話などしないし、何も言わないまま
逝ってしまった。
農林省の局長から六三年、県知事選に出て落選。
自民党参院議員になるまで五年間、雌伏した。
その頃、選挙運動の傍ら記録し始め、引退するまで続けた
ものらしい。
初当選の頃は交通事情も悪く、資金も限られていた。
一度家を出ると、洗濯物を抱えて戻るのはひと月後。
リュック サック一つ背負い、農家を転々と泊まり歩いたと聞く。
旧軍時代の仲間のツテや飛び込んだ役場の紹介で農家に
上がり込んでは話を聞き、コツコツ書きためていたようだ。
農政がライフワークだったのは確かだが、国会議員になって
マクロな政策の話かと思いきや、とことん現場を歩くことが
基本だった。
これがおれの仕事だ。
ノートの行間からそんなつぶやきが聞こえる気がした。
末っ子で建設省の官僚だった私。
かつての父と同じように知事選に担ぎ出されたのは九四年
暮れだった。
それまで 選挙に出る気など全くなかった。
東京で生まれ育ち、岩手の在住経験もなかった。
母に打ち明けると「そんなバカなことはやめなさい」の一点張りだった。
父が生きていたら、何と言っただろう。
母と同じで反対したかも知れない。
いや、自分で決断したのなら、後は自分の責任でやれよ。
ただそんな風にだけ言われたような気もする。
選挙で県内を歩くとあちこちの農家で言われた。
「昔、お父さんが訪ねてきてね」。
当選後、実家に寄ってはノートを改めて眺めた。
近代化、集約化といっても耕作形態は昔とそう大きくは変わらない。
農政のイロハがそこにはあった。
おやじの背中。
自分も政治に携わった以上、できるかぎり現場に出て、
きめ細かく歩かなければいけない。
それだけはいつも肝に銘じてきたつもりだ。
2010年の宮崎口蹄疫。
あの時、「族議員」という言葉に疑問を持ちました。
マスコミの「レッテル貼リ」報道で、ただただネガティブな言葉でしか
なかったこの言葉が、あの宮崎口蹄疫の時、初めて変わりました。
いざという時、力になってくれるのは誰なのか。
そういうことを特に考えたのが、あの宮崎口蹄疫の時でした。↓
★山形県民はじめ国民は、2010年に起きた宮崎口蹄疫の時の
農林水産政務官が舟山康江だったことを知っておくべき。
民主党(民進党)政権が「政治の不作為」を行ったことを知っておくべき。
増田さんのお父様の「手帳サイズのノート」。
記者会見では「メモ」と仰ってたので判らなかったけど、
30冊以上もあったんですね。
汗をかく現場の人たちを大事にすること。
「政治の不作為」を起こさないためには、絶対にこういう人が
必要だと思います。
もう一つは岩手のこと。
岩手競馬の存続問題が増田さんにとって岩手県知事としての
最後の仕事となったそうです。
岩手県には2つの競馬場があるそうです。
水沢競馬場は、いわゆる昔ながらの地方競馬場で、盛岡競馬場は
昨今の競馬のイメージが変わってきた、その流れの競馬場ですね。↓
【参考:岩手の宣伝も兼ねて】
★OROパーク盛岡競馬場
http://www.iwatekeiba.or.jp/hp/g/oro/oro_index.html
馬に羽がついてる!

きれいな芝生での観戦も出来て、また遊具エリアもあるそうです。

岩手山の展望もきれい。

★水沢競馬場
http://www.iwatekeiba.or.jp/hp/g/mizusawa/mizu_index.html
レトロな雰囲気が残る水沢競馬場

「パドック」(馬の下見所)。中央に見えるイメージキャラ「ハヤテ君」は手塚治虫作。

ここで、まずはっきりと書いておきますが、新盛岡競馬場の建設は、
1990年代初めまでのバブル期に決定し、1996年に完成した
ものであり、バブルがはじけてしまった1995年4月から知事を
務めた増田さんは、寧ろそれまでの「バブルのつけ」を背負う形と
なったわけです。
ピーク時には年間の売り上げ高を689億円にまで伸ばし、
「地方競馬の優等生」とまで言われていたという盛岡競馬場。
http://number.bunshun.jp/articles/-/10790
それが、バブル崩壊とともにあっという間に膨大な赤字へと
転落していった。
バブル崩壊直後から経営が各地で悪化し、2000年代から、
特に存続問題が浮上、全国でもいくつかの競馬場が廃止と
なっていった地方競馬。
そういった背景もしっかりと認識しておかなくては、またデマに
流されてしまいます。
先ずは増田さんの寄稿を読んで頂き、そのあとに捕捉をしたいと
思います。
http://www.h-masuda.net/activity/kokoro/080205.html
【日本経済新聞 夕刊 「こころの玉手箱」(2)三冠馬セントライト】
(2008年2月4日付:増田寛也オフィシャルサイトより)
■でっかい「岩手」との出会い
でっかいなあ。
一九六○年代初めの夏休み。
小学生はその大きさと風格に圧倒された。
見上げていたのは日本の競馬史上、皐月賞、ダービー、
菊花賞のクラシック三冠を初めてなしとげた名馬セントライトだ。
私は東京で生まれ育ち、祖父や父の故郷である岩手は
「帰るところ」ではなく「行くところ」だった。
この年、祖父に連れられて初めて訪れた。
上野から盛岡まで蒸気機関車の急行で約十二時間。
「すごい名馬がいるぞ」と言われ、着くと真っ先に飛んで行った。
県の畜産試験場。
特別の厩舎で大事そうに飼われていた。
三冠達成が日米開戦直前の一九四一年。
死んだのは六五年だから、かなり晩年の姿だ。
それでもすらりと伸びた四肢。
ぴんと張った背筋。
並みいる他の馬を圧するオーラをたたえたサラブレッドが
鮮烈な「岩手」との出会いだった。
岩手は昔から馬産地として知られる。
当時も親戚の農家には足の太い農耕馬がいた。
百頭近くが華やかに着飾り、鈴の音を響かせて進む
「チャグチャグ馬コ」は今も盛岡の初夏を代表するお祭り。
加えて競走馬の伝統も知る人ぞ知るだ。
セントライトを生んだのは岩手山南麓に広がる小岩井農場だ。
今は牛などのイメージが強いかと思うが、戦前は育馬事業に
大変力を入れていた。
軍馬用の馬匹(ばひつ) 改良という国策の後押しも受けていたが、
優れた競走馬もたくさん育て、ほかにもダービー馬などを何頭も
輩出した。
敗戦後の四九年、占領政策の一環で小岩井は馬の生産中止を
命じられた。
セントライトも県試験場に移り、種牡馬としては環境に恵まれず、
やや不遇な後年だったらしい。
幼い私が目に焼き付けた雄姿は、岩手の競走馬の歴史が沈み行く
残照でもあったのだろう。
知事になって乗馬も始めた。
馬との因縁は続く。
岩手競馬の存廃問題が県政の難題として浮上したのだ。
競馬場を二カ所持ち、抱える馬の数も人員も地方競馬では
トップ級。
累積赤字に悩みながら、やめる踏ん切りはなかなかつかないで来た。
馬産地の伝統への県民の思い入れも格別だ。
県の融資でしばらく続けてみよう。
その決断が知事として最後の仕事になった。
私は、むか~し昔、修学旅行で小岩井農場に行ったことがありまして。
小岩井の名前が出てくるといつもすごく嬉しくなります。
あと「チャグチャグ馬コ」。

↑今年の「チャグチャグ馬コ」のポスター
買いましたよ~、お土産に!チャグチャグ馬コ。
いやぁ、懐かしいです!!(*^_^*)
ところで・・。
記者会見での「父親に連れられて岩手に行って」
という発言だけからは詳しくは分からなかったけれど、
東京生まれ、東京育ちの増田さんのルーツは
まさしく岩手だったわけですね。
しかし、この岩手競馬のこと、幼い時の記憶から繋がっている
ことを思うと何か本当に不思議な因縁を感じますね。
で、その競馬場の存続について2007年3月当時の様子です。↓
http://blog.livedoor.jp/no_guts_no_glory/archives/50788728.html
【岩手競馬再建補正予算案、20億減らして再提出へ!!19日に再審議!】
(ブログ「NO GUTS,NO GLORY.」 2007年3月17日)より抜粋
本日行われた岩手県競馬組合の組合議会で協議した結果、
融資案が通らなかったから廃止と強く話していた増田知事
(競馬組合管理者)でしたが、組合を構成する盛岡、奥州両市の
市長が新たに両市から各10億円の負担を積み増す案を提案。
その結果、廃止する為の予算案提出ではなく、県の負担を
20億減額した形の再提案を19日の県議会に提出するという
形になりました。
そこで再度審議される模様ですが、本件を審議する前に、
前回の融資予算案否決を受けて、競馬廃止議案が提出され、
存続か廃止かの議論が行われる模様です。
で、ここで存続とならなければ、20億減額プランはお蔵入りです。
競馬廃止議案が否決され、競馬存続となった場合に、再融資案が
提案され、可決されれば存続へ向けて動き出すというものです!!
WIKI によると、その後、議会で再融資案が可決され、存続が
決まったそうです。↓
★岩手県競馬組合 wikipedia.
2007年3月には総額330億円を融資する議案が県議会に
提出されたが、15日夜の採決の結果、賛否が同数になり、
地方自治法第116条の規定による議長の決定により議案は
否決される。
4月以降の開催資金の確保が不能となり、当時の増田寛也知事が
岩手競馬廃止を表明したが、19日の議会で提出された
県の負担を20億円軽減する修正案に、15日の採決に反対だった
議員の1人が賛成に回ったため、1票差で可決され、事実上存続が
決まった。
当時の記事は消えてしまってますが、こちらのブログ様で
確認できました。↓
http://blog.goo.ne.jp/umaichi_news/e/a68a4dfab4294639546ea6fea8476868
★【岩手競馬の再建へ、岩手県が約300億円を一時負担】
(2007年3月29日)
27日、増田岩手県知事と相原奥州市長、谷藤盛岡市長は
県庁で記者会見を行い、経営再建に取り組む岩手競馬への
融資問題について、
「利益配分割合に従って県が181億5000万円(55%)、
奥州市が82億5000万円(25%)、盛岡市が66億円
(20%)の計330億円を県競馬組合に融資することで合意した」
と発表した。
当時、何故「330億円の融資」が「最善の方策」として取られたのか
ということについては、下記PDFに詳しく載っています。↓
【参考】
★PDF「330億円の構成団体融資の必要性について」
(岩手県 農林水産部 農林水産企画室)
http://www.pref.iwate.jp/dbps_data/_material
_/_files/000/000/001/691/finance330.pdf
で、その後の岩手の競馬ですが、検索すると2007年度は
9年ぶりに黒字となり、それ以降も大体2000万円程度の
黒字が続き、2015年度は4500万円の黒字だったそうです。
コスト削減の努力と、全国の地方競馬場の受託販売、特に
インターネット販売などにより、赤字経営から脱出できたようです。
しかしまだまだ財政再建には長い道のりがあります。
昨今の「地方競馬」についてです。↓
https://thepage.jp/detail/20130619-00010002-wordleaf
【経営危機が続く地方競馬の現状と課題】
(THE PAGE 2013年6月19日)より抜粋
一方で、経営が苦しくても、廃止という選択が難しい地方もあります。
ホッカイドウ競馬、岩手競馬は、これまで廃止された競馬場 と
同様に多額の累積赤字を抱えていますが、馬産地であることから
急に廃止することはないと考えられています。
一部を除いて、依然、改善されない経営状況ではありますが、
廃止が地方財政にとって最善策ではありません。
競馬場は厩舎関係者の他に、場内の馬券発売等の業務、警備・清掃
などがあり、地域の雇用を支えているという側面もあります。
そのため競馬場の廃止は、多くの失業者を生む危険性も含んでいます。
地方競馬存続の議論は、地域の雇用情勢にも影響を
与えるため、慎重に取り組む必要があるでしょう。
岩手の競馬場存続問題も、もし廃止の場合には、それに伴う
多くの雇用の喪失と莫大な廃止処理費用に直面しなければ
ならないという側面があったとのこと。
増田さんが書かれている通り、岩手の馬産地の伝統と、かつて
「地方競馬の優等生」とまで言われた競馬場に対しての県民の
思い入れの強さを感じながら、廃止と存続の間で揺れながら、
最終的に決定した「存続」という選択。
その経緯を見るだけでも、当時、どちらになっても「苦渋の決断」で
あった岩手競馬場存続問題。
当然、当時の増田知事もまさに「苦渋の決断」だったのだろうと思います。
行政というものは、本当に一方的な側面からだけではなく、
多方面から見ていかなければならないのだとつくづく思います。
また、現場での様々な問題を解決しながら、本当に地道に
やっていかなくてはならないことばかりで、見えないところでの
議会、そして地元との合意形成から、融資、土地問題と
時間のかかるものばかりです。
増田さんは、そういう地道なところを絶対に大切にする人だと
思います。
最近は、何でもかんでも「利権」という安易な言葉で一方的に
非難され、また、それを逆利用して、あたかも「利権と戦う」かの
ようなパフォが為されることも多々あります。
もう、そういうのは正直うんざりです。
そして都政は首都としての派手な部分だけではなく、一地方行政として
とてつもなく地味な部分がたくさんあるというとを
もう一度考えるべきだと思います。
現場で一番汗を流している皆さん方との
対話を持つべき
議場の場で真剣に、何度も何度も
議論していくことが必要
記者会見やインタビューで聴いたこれらの言葉。
それは、お父様の遺した30冊以上にもなる手帳サイズのノートから
始まり、3期12年の岩手県知事時代も貫いた増田さん自身の姿勢
でもあると思います。
東京都でもきっとこの姿勢を貫いてくれると信頼できます。
増田ひろや候補、是非、東京都知事として
東京都のために頑張って欲しいです!
頑張れ!!!増田さん!!!
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