先人への感謝と、自民党と安倍政権への思い。
- 2013/04/12
- 14:04
以前、私は、『ねずきちのひとりごと』(今は『ねずさんのひとりごと』ですね)
というブログで、恥ずかしげもなくコメントをよく書かせて頂いていました。
その中でも、印象に残る記事の1つに「インパール作戦・・・続き」
というのがありました。↓
ねずさんの ひとりごと インパール作戦・・・続き
このコメント欄で、牟田口廉也中将を批判するコメントが続き、
それを読んでいて、その論の虚しさを感じ自分もコメントを書きました。
いわば、今の時代の価値観で、過去の歴史の上での判断を
いとも簡単に「間違っていた!」「馬鹿げていた!」とすることへの空虚感。
また、今の時代、いくら史実としてあったことを学んでも、
そのときの苦しさは、全く同じ状況に置かれなければ
決して分からないであろうということ。
そして、今の時代からは、想像もできないほどに、国のトップは
究極の選択を何度となく強いられてきたこと。
それは、今では考えられないけれど、我々日本人が、人間として
生きていけるか、奴隷として生きていかなくてはならないのか、
そういうことにまで及ぶ「究極の選択」であったこと。
誇りを捨てて奴隷となる可能性だってあった時代。
(それは2度の原爆投下という「実験」でもはっきりと示されている。)
戦後「共産主義国」として、分裂しかねない状況んであった日本。
今を生きる私達日本人が、日本という一つの国家のもとで
生きていけることは、私はある意味「奇跡」だと思うのです。
それはすなわち、時代時代で、究極の選択をし、また、多くの犠牲を
伴いながらも、この国を守ってくれた先人たちがいたお陰に他なりません。
そういった意味でも、先人の方々に心から「有難うございます」と
伝えなくてはいけないと思うのです。
久々にこの時の記事を読んでいて、「先人への思い」を書いている
ブログ等ないかと検索したところ、引っかかったのが、下記の題名でした。↓
『安倍総理─先人の苦渋の決断を理解し、敬意を持って懐深い答弁を』
安倍さんに対して、「先人の苦渋の決断を理解し、敬意を持て」と???
意味がわかりませんでした。
ここで少し触れますが、安倍さんは、1977年のダッカ事件について、
著書『新しい国へ』の250ページで述べています。
その内容は、昨年暮の西田議員の「京都セミナー」でも語られています。↓
【安倍晋三自民党総裁「いかに日本を立て直すか」西田昌司セミナー2/2 】
10分頃から、その件があります。
ダッカ事件の時、日本政府が行った超法規的措置について、
安倍さんは、
「テロリストに屈し、テロリストを野に放ったと日本政府は世界中から
強い非難を浴びました。
今から時の政府を非難するとはたやすい。
しかし、もし私が総理だったとして他の手段をとれたか。」
と、著書にも書いています。
安倍さんは、その時の決断を、決して個人攻撃などせず、現実的に、
かつ冷静に見ています。
まさしく苦渋の決断であったことを理解されているのです。
厳しい現実をしっかり見据えながら国を守る政治家。
決して机上の論理だけではどうにもなるはずのない厳しい現実と
戦う政治家であると思うのです。
このことは、拉致事件にも繋がります。
安倍さんの思いは、「断固として日本人と日本を守ること。」
これに尽きます。
拉致被害者、有本恵子さんのお父さん、
有本明弘さんが、昨年暮の衆院選で、
神戸の三宮で寒風の中、自民党の街宣車の
上から訴えたのは「憲法改正」でした。
「憲法改正」に時間がかかる事は言うまでもありません。
しかし、有本さんは「憲法改正」を懸命に訴えられたんです。
その場にいた自分は、一瞬愕然としました。なんというか、
驚きとともに、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
有本さんは、ずっと拉致問題に懸命に取り組んできた方たちの
努力もしっかりと見ていたんです。
このことは昨年11月、安倍さんとの会見で仰っていました。
アジア大洋州局長を勤められ、拉致問題に真剣に取り組んできた
斎木外務審議官もそのお一人です。
彼らが、北に対し、どんなに懸命に対峙しようとしても、限界があった
「厳しい現実」。有本さんは、ただ政府批判するのではなく、
現場の方たちをちゃんと見てきたのです。だからこそ、
冷静に「憲法改正」を訴えていらしたのだと思います。
拉致事件は北朝鮮の国家犯罪です。
そして、日本の中にはそのスパイが山ほどいる。
共産主義と朝鮮とミサイル。
全ては繋がっています。
日本を破壊するものは全て一つの線でつながっている。
「憲法改正」は、「日本を取り戻す」ための大きな第一歩なんです。
さて、「先人の苦渋の決断を理解し、敬意を持って懐深い答弁を」と
安倍総理に対して投げかけたのは誰でしょうか。
答えは岡田克也です。↓
安倍総理─先人の苦渋の決断を理解し、敬意を持って懐深い答弁を(岡田克也) - BLOGOS(ブロゴス)
内容を逐一書くとブログが汚れるのでやめておきますが、
読んで思ったのは、民主党の人間はほぼ全てが岡田克也的
なのだと分かります。
国会での質疑を見れば分かります。「異常」なのです。
そして、よくもここまで、自己愛に満ちた、恥知らずなことが
言えるものだと思います。
不思議なことに、共産主義を前面に出す共産党や社民党とは
また違うのです。
考え方の全てが歪んでいるのです。
最も驚くべきは、民主党政権時代の自分たちが
「先人の仲間入りをしている」
と堂々とのたまうところにあります。
そうなんです。
「先人の苦渋の決断」に3年3ヶ月の民主党政権を
組み入れているのです。
政権を担当した彼らに敬意を持て!と自らが言っているんです。
破壊工作をしてきた政権がよくもまぁぬけぬけと。
日本を守ってくださった先人たちが汚れます。
ふざけるな!と言いたいです。
岡田克也は、10年前、拉致被害者5人が帰国した時、
北朝鮮との約束を護るために5人を一旦北に戻せと叫んでいました。
あの時に、一旦戻せと言っていた連中はキチガイだと私は思いましたが、
当時、テレビのコメンテーターもほぼ100%「一旦返せ」でしたね。
あの異常さは忘れられません。
拉致事件は全てに繋がっています。
安倍政権への異常なバッシング。
さらに異常をきたした麻生政権時代のマスコミと国民による
キチガイレベルのバッシング。
民主党政権の誕生。
中川昭一さんの死。
宮崎口蹄疫。
福島第一原発の爆発。
SPEEDIの隠蔽。
震災復興の遅れ。
北朝鮮のミサイル。
もう本当に日本がダメかもしれないと想われる中、谷垣自民党が
まさしく日本の砦となって踏ん張ってくれた。
そして安倍さんの再登板となりました。
私は、野党時代の自民党に本当に心から感謝しています。
自民党議員さんたちは確かに日本を守ってくれてたんです。
あの3年3ヶ月間、本当に虚しくて悔しくて怖くてたまらなかった。
何故、国民は、あの異常なマスコミの言動をおかしいと思わなかったのか。
なぜ、子ども手当なんかをまともな政策と思ってしまったのか。
正直、本当に悔しくてたまらなかったのです。
でもその間、多くの自民党議員さんたちが、
希望を与えてくれてたんですよ。
谷垣総裁、ありがとう。
西田議員、新藤議員、ありがとう。
江藤拓議員、古川禎久議員、松下新平議員、ありがとう。
佐藤隊長、宇都議員、ありがとう。
小野寺議員、森雅子議員、熊谷議員、ありがとう。
稲田議員、衛藤議員、ありがとう。
磯崎議員、逢沢議員、ありがとう。
丹羽議員、平議員、平井議員、ありがとう。
谷公一議員、長島忠美議員、ありがとう。
古谷議員、丸川議員、ありがとう。
林議員、茂木議員、田村憲久議員、ありがとう。
細田さん、ありがとう。・・・
国民が誤った選択をしてしまった異常な中で、
彼らだけではなく数多くの自民党議員が
一丸となって3年3ヶ月を守ってくれたんです。
私はそう思います。
安倍さん、麻生さんだけではない、
多くの自民党議員さんたちに
本当にありがとうと言いたいのです。
安倍さんは、今だ首相公邸には入らず、私邸から官邸に
通っていますよね。
公安がマークしている人間たちが、3年間簡単に出入りして
いたのですから仕方がありません。
盗聴器だってどれだけ付けられているかわかりません。
3年の間に、公邸はもとより、首相官邸の中枢に売国が
入ってしまったのですから。
本当に信じがたい3年間でした。
菅直人や辻元らが、この国の中枢にいたなんて本当に信じられないです。
朝鮮のスパイと精通している連中ですよ。
4年前、チラシを懸命にポスティングしても、会社で子ども手当は
ダメだといっても、日教組がキケンだといっても、聞く耳を持って
もらえなかった、チラシを配ったところは民主の圧勝だった。
悔しかったですよ、本当に。
安倍さんや麻生さんはもっともっと悔しかったに違いありません。
安倍政権は本当に信頼出来る政権です。
憲法改正。
そして戦後レジームからの脱却。
日本を、そして日本人を取り戻すために、気持ちは一緒に、これからも
心から応援していきます。
というブログで、恥ずかしげもなくコメントをよく書かせて頂いていました。
その中でも、印象に残る記事の1つに「インパール作戦・・・続き」
というのがありました。↓
ねずさんの ひとりごと インパール作戦・・・続き
このコメント欄で、牟田口廉也中将を批判するコメントが続き、
それを読んでいて、その論の虚しさを感じ自分もコメントを書きました。
いわば、今の時代の価値観で、過去の歴史の上での判断を
いとも簡単に「間違っていた!」「馬鹿げていた!」とすることへの空虚感。
また、今の時代、いくら史実としてあったことを学んでも、
そのときの苦しさは、全く同じ状況に置かれなければ
決して分からないであろうということ。
そして、今の時代からは、想像もできないほどに、国のトップは
究極の選択を何度となく強いられてきたこと。
それは、今では考えられないけれど、我々日本人が、人間として
生きていけるか、奴隷として生きていかなくてはならないのか、
そういうことにまで及ぶ「究極の選択」であったこと。
誇りを捨てて奴隷となる可能性だってあった時代。
(それは2度の原爆投下という「実験」でもはっきりと示されている。)
戦後「共産主義国」として、分裂しかねない状況んであった日本。
今を生きる私達日本人が、日本という一つの国家のもとで
生きていけることは、私はある意味「奇跡」だと思うのです。
それはすなわち、時代時代で、究極の選択をし、また、多くの犠牲を
伴いながらも、この国を守ってくれた先人たちがいたお陰に他なりません。
そういった意味でも、先人の方々に心から「有難うございます」と
伝えなくてはいけないと思うのです。
久々にこの時の記事を読んでいて、「先人への思い」を書いている
ブログ等ないかと検索したところ、引っかかったのが、下記の題名でした。↓
『安倍総理─先人の苦渋の決断を理解し、敬意を持って懐深い答弁を』
安倍さんに対して、「先人の苦渋の決断を理解し、敬意を持て」と???
意味がわかりませんでした。
ここで少し触れますが、安倍さんは、1977年のダッカ事件について、
著書『新しい国へ』の250ページで述べています。
その内容は、昨年暮の西田議員の「京都セミナー」でも語られています。↓
【安倍晋三自民党総裁「いかに日本を立て直すか」西田昌司セミナー2/2 】
10分頃から、その件があります。
ダッカ事件の時、日本政府が行った超法規的措置について、
安倍さんは、
「テロリストに屈し、テロリストを野に放ったと日本政府は世界中から
強い非難を浴びました。
今から時の政府を非難するとはたやすい。
しかし、もし私が総理だったとして他の手段をとれたか。」
と、著書にも書いています。
安倍さんは、その時の決断を、決して個人攻撃などせず、現実的に、
かつ冷静に見ています。
まさしく苦渋の決断であったことを理解されているのです。
厳しい現実をしっかり見据えながら国を守る政治家。
決して机上の論理だけではどうにもなるはずのない厳しい現実と
戦う政治家であると思うのです。
このことは、拉致事件にも繋がります。
安倍さんの思いは、「断固として日本人と日本を守ること。」
これに尽きます。
拉致被害者、有本恵子さんのお父さん、
有本明弘さんが、昨年暮の衆院選で、
神戸の三宮で寒風の中、自民党の街宣車の
上から訴えたのは「憲法改正」でした。
「憲法改正」に時間がかかる事は言うまでもありません。
しかし、有本さんは「憲法改正」を懸命に訴えられたんです。
その場にいた自分は、一瞬愕然としました。なんというか、
驚きとともに、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
有本さんは、ずっと拉致問題に懸命に取り組んできた方たちの
努力もしっかりと見ていたんです。
このことは昨年11月、安倍さんとの会見で仰っていました。
アジア大洋州局長を勤められ、拉致問題に真剣に取り組んできた
斎木外務審議官もそのお一人です。
彼らが、北に対し、どんなに懸命に対峙しようとしても、限界があった
「厳しい現実」。有本さんは、ただ政府批判するのではなく、
現場の方たちをちゃんと見てきたのです。だからこそ、
冷静に「憲法改正」を訴えていらしたのだと思います。
拉致事件は北朝鮮の国家犯罪です。
そして、日本の中にはそのスパイが山ほどいる。
共産主義と朝鮮とミサイル。
全ては繋がっています。
日本を破壊するものは全て一つの線でつながっている。
「憲法改正」は、「日本を取り戻す」ための大きな第一歩なんです。
さて、「先人の苦渋の決断を理解し、敬意を持って懐深い答弁を」と
安倍総理に対して投げかけたのは誰でしょうか。
答えは岡田克也です。↓
安倍総理─先人の苦渋の決断を理解し、敬意を持って懐深い答弁を(岡田克也) - BLOGOS(ブロゴス)
内容を逐一書くとブログが汚れるのでやめておきますが、
読んで思ったのは、民主党の人間はほぼ全てが岡田克也的
なのだと分かります。
国会での質疑を見れば分かります。「異常」なのです。
そして、よくもここまで、自己愛に満ちた、恥知らずなことが
言えるものだと思います。
不思議なことに、共産主義を前面に出す共産党や社民党とは
また違うのです。
考え方の全てが歪んでいるのです。
最も驚くべきは、民主党政権時代の自分たちが
「先人の仲間入りをしている」
と堂々とのたまうところにあります。
そうなんです。
「先人の苦渋の決断」に3年3ヶ月の民主党政権を
組み入れているのです。
政権を担当した彼らに敬意を持て!と自らが言っているんです。
破壊工作をしてきた政権がよくもまぁぬけぬけと。
日本を守ってくださった先人たちが汚れます。
ふざけるな!と言いたいです。
岡田克也は、10年前、拉致被害者5人が帰国した時、
北朝鮮との約束を護るために5人を一旦北に戻せと叫んでいました。
あの時に、一旦戻せと言っていた連中はキチガイだと私は思いましたが、
当時、テレビのコメンテーターもほぼ100%「一旦返せ」でしたね。
あの異常さは忘れられません。
拉致事件は全てに繋がっています。
安倍政権への異常なバッシング。
さらに異常をきたした麻生政権時代のマスコミと国民による
キチガイレベルのバッシング。
民主党政権の誕生。
中川昭一さんの死。
宮崎口蹄疫。
福島第一原発の爆発。
SPEEDIの隠蔽。
震災復興の遅れ。
北朝鮮のミサイル。
もう本当に日本がダメかもしれないと想われる中、谷垣自民党が
まさしく日本の砦となって踏ん張ってくれた。
そして安倍さんの再登板となりました。
私は、野党時代の自民党に本当に心から感謝しています。
自民党議員さんたちは確かに日本を守ってくれてたんです。
あの3年3ヶ月間、本当に虚しくて悔しくて怖くてたまらなかった。
何故、国民は、あの異常なマスコミの言動をおかしいと思わなかったのか。
なぜ、子ども手当なんかをまともな政策と思ってしまったのか。
正直、本当に悔しくてたまらなかったのです。
でもその間、多くの自民党議員さんたちが、
希望を与えてくれてたんですよ。
谷垣総裁、ありがとう。
西田議員、新藤議員、ありがとう。
江藤拓議員、古川禎久議員、松下新平議員、ありがとう。
佐藤隊長、宇都議員、ありがとう。
小野寺議員、森雅子議員、熊谷議員、ありがとう。
稲田議員、衛藤議員、ありがとう。
磯崎議員、逢沢議員、ありがとう。
丹羽議員、平議員、平井議員、ありがとう。
谷公一議員、長島忠美議員、ありがとう。
古谷議員、丸川議員、ありがとう。
林議員、茂木議員、田村憲久議員、ありがとう。
細田さん、ありがとう。・・・
国民が誤った選択をしてしまった異常な中で、
彼らだけではなく数多くの自民党議員が
一丸となって3年3ヶ月を守ってくれたんです。
私はそう思います。
安倍さん、麻生さんだけではない、
多くの自民党議員さんたちに
本当にありがとうと言いたいのです。
安倍さんは、今だ首相公邸には入らず、私邸から官邸に
通っていますよね。
公安がマークしている人間たちが、3年間簡単に出入りして
いたのですから仕方がありません。
盗聴器だってどれだけ付けられているかわかりません。
3年の間に、公邸はもとより、首相官邸の中枢に売国が
入ってしまったのですから。
本当に信じがたい3年間でした。
菅直人や辻元らが、この国の中枢にいたなんて本当に信じられないです。
朝鮮のスパイと精通している連中ですよ。
4年前、チラシを懸命にポスティングしても、会社で子ども手当は
ダメだといっても、日教組がキケンだといっても、聞く耳を持って
もらえなかった、チラシを配ったところは民主の圧勝だった。
悔しかったですよ、本当に。
安倍さんや麻生さんはもっともっと悔しかったに違いありません。
安倍政権は本当に信頼出来る政権です。
憲法改正。
そして戦後レジームからの脱却。
日本を、そして日本人を取り戻すために、気持ちは一緒に、これからも
心から応援していきます。
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