現役米大統領オバマの広島訪問と被爆者との「恩讐」を超えた「和解」。それは多くの日米の「良心」によって長い年月をかけて培われた「尽力」の賜物。憎むべきは昔も今も人を陥れ貶める「捏造」と「狂った扇動」。
- 2016/05/29
- 11:25
日本原水爆被害者団体協議会の坪井直さん。
昔から最もテレビでお姿を見ることが多かった被爆者の方。
小学生の頃の記憶として、毎年8月6日の朝は祖母と一緒に
テレビの前に座って、8時15分になったら黙とうを捧げていた。
中高生の間も、それが「義務」である、そうしなければならない、
そういう気持ちが自分の中にはあった。
毎年流れる原爆の日の特集も、必ず見ていた。
被爆者の方たちの声に耳を傾けなければいけない。
そういう強い気持ちがあった。
でも、この10数年、そういう気持ちからすっかり離れて
しまっていた。
坪井さんの声を聴くことからも、ずいぶん遠ざかって
いました。
というか、正直に言えば、遠ざけていました。
若いころはあれほど耳を傾けていたのに。
しかし、今回、オバマ大統領の広島訪問が決定した時、
久しぶりに坪井さんの言葉を聴きました。
「謝罪を求めない。」
心の中で、「そうあってほしい」と思っていたその言葉を
聴いた瞬間、自分の中に溜まっていた「わだかまり」のような
ものがさ~っと消えていったような感じでした。
そして、この言葉を聴いた時から、オバマの広島訪問まで、
とにかくその瞬間を見るまで静かに待ちたいと思いました。
そして迎えた5月27日。
仕事から帰宅し、すぐにテレビをつけたら「生中継」と
いう文字が目に入り、日米の国旗がはためくリムジンの
車列が映りました。
広島の街を進んで来たオバマ大統領の乗った車が
平和公園に入りオバマが「その地」に立つ。
安倍総理、岸田外相、そしてケネディ駐日大使。
原爆資料館。
およそ10分ちょっとの短い間だったけれど、足を運んだ
オバマ。
そして慰霊碑の元へ。
黙とうを捧げ、献花をしたオバマ。

17分という、思ってもみなかった長いスピーチ。
スピーチというものは、長ければ長くなるほど、
人の気持ちを引き留めるのが逆に難しくなる。
しかし、その中身が濃ければ濃いほど、あとでもう一度
繰り返して聴きたくなる。
オバマのスピーチは、そういうスピーチだったと思う。
「誠意」を感じた。
安倍総理のスピーチも、昨年の米議会でのスピーチ
から一貫していた。
「恩讐を超えて。」
この数年、特に重みを感じてきた言葉に象徴される
スピーチだった。
その後、被爆者席に向かうオバマ大統領と安倍総理。
そこにはまさしく、この「恩讐を超えて」、前向きに私たちを
引っ張っていってくれる坪井さんの姿がありました。

笑顔でオバマと握手し、語り合った坪井さん。
坪井さんの表情を見て、「本当によかった」という思いと
同時に、91歳の坪井さんが、こうして今日まで頑張って
長生きしてくれたことに、その事に、ただただ感謝の気持ちで
いっぱいになった。
そしてもうお一方の被爆者。

万感の想い・・。
涙が止まらなかった・・。
報道を確認すると、オバマ大統領と涙を流しながら
ハグをしていたのは森重昭さんという79歳の広島の
被爆者の方でした。
森重さんは原爆で亡くなったアメリカ兵の捕虜を追悼する
活動をずっと続けていたとのこと。
きょう、アメリカ政府から招待され、今まで誰にも評価
されなかった活動が報われたという気持ちです。
原爆で亡くなったアメリカ兵の捕虜の遺族から感謝された
ことが、オバマ大統領との握手やハグにつながったのだと
思います。
軽々しい言葉では言い表せない、長い年月・・。
テレビでは広島でオバマ大統領の車を待っていた被爆者の
森下弘 さんという方のインタビューも流れました。
謝罪や償いより、手を取り合い和の気持ちで絆広げたい
という気持ちになった。
被爆者の方たちの一人一人の言葉が、自分にとっても
「救われる」ような気持ちになったのは、しばらくの間、
「被爆者の声」から自分自身が遠ざかっていたからだと。
いや、正直に言えば、上でも書いたとおり「遠ざけていた」。
いわば素直に耳を傾けることが全く出来なくなっていました。
広島は、「ヒロシマ」ではなく「広島」であり、また被爆者は
「ヒバクシャ」ではなく「被爆者」だと、心の中で反発して
いました。
だけど、やっとそこから「解放」されました。
昔、祖母と一緒にテレビの前で祈っていた、あの頃と
同じ気持ちに返ることが出来ました。
「慰霊碑」に刻まれたあの言葉。
安らかに眠ってください
過ちは繰り返しませぬから
この慰霊碑の言葉が、オバマ大統領のスピーチによって、
「人類全てが、世界中が、背負うべき言葉である」
と、この日はっきりと刻まれたのではないかと・・。
「この日」を迎えるまで、どれだけの人たちが関わり、
力を尽くしてくれただろうか。
完全な裏方の日米の事務方。
外務省は、信頼できる斉木事務次官を筆頭に懸命に
動いてくれたのだと思う。
そして、岸田文雄外相。
広島出身の岸田さんの「この日」に懸ける思いは非常に
強かっただろうと思う。
政治家の思いが非常に強くなければ、重大な問題は
前進しない。
★日本の重大な問題を解決するには、強い「意志」を持った
政治家の存在が必要だ!
「強姦罪の厳罰化」と「少年法改正」の場合。「安保法制」にも言えること。
安倍総理も岸田外相をずっと代えずに来たのは、丁寧に
かつ着々と外交を進めていく手腕を高く評価していたのと同時に
やはり「この日」への思いが強くあったのではないかと思う。
また、昨年4月の安倍総理との訪米時に、ケリー国務長官が
ボストン市内の長官の私邸に2人を夕食会に招待するという
「破格の待遇」を見せたのも、岸田外相との3年にわたる
長い「付き合い」の中で培った「信頼」の上に成り立ったもので
あることは間違いないと思う。


そして、その「信頼」は、ついに今年4月の外相会合での
広島訪問にまで見事に繋がった・・。

岸田外相が、どれだけハードで厳しい「外交」をくぐり抜けて
きたか。
また、その中でどうやって「信頼」を築き上げてきたか。
ぜひ、↓の岸田外相の講演を聴いて欲しいなと思います。
★.youtube:.岸田文雄・外務大臣~世界で日本が存在感を上げるために必要なこと
つくづく思うことは外交は人間がやることだ。
人というものが大事だとつくづく感じている。
岸田外相は確かにこれを実践し、ここまで来たのだと思います。
そして何より、安倍総理でなければ、この広島への道は
オバマへとは繋がらなかった。
あの2009年9月からの狂った政権によって、それまで
一歩一歩築き上げてきた日米の「信頼」は、あっという間に
崩壊してしまった。
崩れた石をもう一度一つ一積み直していく。
それがどれだけ大変なことであるのか。
それは、アメリカに対してだけでなく「現場」である事務方との
「信頼」を構築していくことからも始めていかなくてはならない。
安倍政権が「この日」を実現する意義はどこにあるのか、それを
納得し、ともに目指す「強い意志」を持ってもらわなくてはいけない。
失敗を恐れない。
誠意を尽くす。
その実現はリーダーの強い責任感があればこそ。
現場を守る強いリーダーシップがなければ現場は思い切って
前へは進めない。
全ての責任は自分にある。
自分が全ての責任を持つ。
安倍総理はその「逃げない強さ」を持つ。
その強さがある。
現場とリーダーを結ぶもの。
そこには「信頼」がとにもかくにも必要なんだと思うし、
その「信頼」がアメリカへと繋がっていくのだと思う。
一つ一つの積み重ね。
本当に、毎日のひとつひとつの「信頼」の積み重ねが
広島での「この日」を現実化へと向けていったのだと思う。
安倍総理の「強い意志」がなければ全ては動かなかったと
そう思う。
そして・・・。
「この日」が迎えられたのは、やはり「オバマだったから」
というのは確かだと思います。
私は今回のオバマ大統領のスピーチを聴いて、
もう一つのオバマのスピーチを思い出しました。
それは、日系アメリカ人で米国上院議員だった
故、ダニエル・イノウエ議員への追悼の辞の
スピーチでした。↓
★安倍総理が米議会演説で触れた日系アメリカ人
「ダニエル・イノウエ」上院議員と「442日系部隊」のこと。
オバマが11歳の少年の頃に強く印象に残ったという
ダニエル・イノウエ議員を回想する部分です。
その夏,私の母は旅行の間中、ウォーターゲート事件の
公聴会のテレビ中継を毎晩のように見ていました。
私が放送内容を全て理解できたとは言えませんが、重要な
話だということは分かりました。
アメリカ人の何たるかについて、アメリカ人はどうあるべきか
の根本について論じているのが分かりました。
ですから、約1ヶ月のこの旅行の間に私の頭にゆっくりと
沁み込んで言ったものがあったのですが、私の心を最も
捉えたのは日系アメリカ人の男性でした。
腕が1本のその男性は、深いバリトンの声で
ゆったりと語り、堂々としていて気品に満ち溢れて
いました。
もしかしたら彼が私の心を捉えたのは、母からこの人が
地元を代表する上院議員だと言われたからなのかも
知れませんし、アメリカ政府の理想を貫いている人だと
言われたからかも知れません。
戦争で腕を失ったときの話を聴いて、少年の私の胸が
高鳴ったのかも知れません。
でもそれだけでは在りませんでした。
白人の母と黒人の父から生まれた私は、
インドネシアやハワイで育っていました。
自分が世の中にうまく溶け込むのは思ったより
大変そうだと感じ始めた時期でも在りました。
ですから、上院議員で、パワフルで、人生で多くのことを
成し遂げてきたこの人物の存在を知った時、彼はいわゆる
当時のアメリカ上院議員の典型的なイメージからかけ離れて
いましたから、それでもアメリカ中の尊敬を集めている姿を見て、
私は自分の人生の可能性に気づくことが出来たのだと思います。
彼はティーンエージャーのころ、日系人が敵国人だと
宣言されていたときに自ら米軍に志願しました。
アメリカ政府が彼を信じているとは言えなかった時、
彼はアメリカを信じました。
そのことが私の心を打ちました。
その時に受けた強烈な感覚。
これを言葉で表現するのは難しいのですが、私は彼から
大きな希望をもらいました。
そしてダニーがウォーターゲートの公聴会で鋭い質問を
ぶつけている様子を毎晩テレビで見ているうちに、更に
学んだのは民主主義のあるべき姿でした。
人民の、人民による、人民のための政治です。
わが国には法の下の平等が在り、お互いに説明責任を
果たす義務が在ります。
そしてこれは一般市民からトップのリーダーまで全ての
人に対して言えることであって、我々が建国理念とし、
理想とし大切にしているものは個人や政党や政治家を
超えているからです。
そしてそのことをダニエル・イノウエほど私にはっきりと
教えてくれた人物はいませんでした。
それは先ほどジョー(バイデン副大統領)が言ったように
ダニーが誇り高き民主党員であり、何よりも誇り高き
アメリカ人だという究極の清潔さを彼から感じ取ることが
出来たからです。
このときに2つの洞察が11歳だった私の心に植えつけられて
いなければ、これはディズニーランドやイエローストーンに
旅する合間の出来事でしたが、私は公職に就こうと思わなかった
かも知れませんし、こうやってここに立っていなかったかも
しれません。
ダニー・イノウエは、恐らく私に生まれて初めて
政治家としてのインスピレーションを与えた人物
だといっていいでしょう。
この時のオバマの「弔辞」は本当に心のこもったものでした。
そのスピーチの時間は約15分。
今回の広島でのスピーチは17分でしたが、オバマが
「誠意」を込めて伝えたかったであろうその気持ちは
この時と同じく十分伝わるものでした。
勿論、今回のスピーチに関してはアメリカ国民と、日本国民、
また世界の反応までも考慮に入れなければならない非常に
高度な制限の中でのスピーチであったわけですが、その事を
勘案した上でも、その「誠意」を受け取ることは出来ました。
2010年10月、オバマ大統領はかつてダニエル・イノウエ氏が
所属した第二次大戦中の「442日系部隊」のメンバーに対し、
民間人に与えられる最高位の勲章である「議会名誉黄金勲章」を
授与しています。
ダニエル.・イノウエ議員が日系アメリカ人であること。
そしてオバマが生まれ育ったハワイ選出の議員であること。

故・ダニエル.・イノウエ議員
そのことはオバマにとって、とても重要なことだったのだと
思います。
オバマの中には「日系人」に対するなんらかの「信頼」という
ものが築きあげられていったのではないか。
そう思うのです。
ダニエル・イノウエ氏のことは安倍総理も昨年の米議会での
スピーチで紹介されました。↓
★安倍総理の米議会演説に込められた3つのこと。
恩讐を超えて、「アメリカの良心」を信じ、お互いの「誇り」を護る。
私としては、この時に、ダニエル・イノウエ氏にもっと光が
当って欲しいと思っていました。
残念ながらこの時、既にダニエル・イノウエ氏は故人と
なっていました。
もしダニエル・イノウエ氏がご存命であったなら、きっと
安倍総理はあの場に招き、誇らしい気持ちで紹介して
いたと思います。
そしてダニエル・イノウエ氏もきっと喜んでくださったと
思います。
安倍総理の米議会で最も日米両国民が感銘を受けたであろう
「固い握手」。
それは、硫黄島で互いに戦った米国のスノーデン大尉ご本人と、
栗林中将のお孫さんである新藤義孝議員、このお2方の
「恩讐を超えた握手」でした。
しかし、この「固い握手」も、決して突如として為し得たもの
なんかではなく、ここに至るまで、当然お2人方は互いに
親交を深めてきました。
その親交の場所となったのは、まさしく激戦地「硫黄島」で
長年続けられて来た「日米合同慰霊祭」でした。
★橋下は先人に敬意を持っていないから、
ああいう暴言を平気で言える。
3年前に書いたブログ記事ですが、このころ私は、
「恩讐を超えて」という言葉に強く引き付けられていました。
麻生政権の時に、自民党でいわばネットでの広報・発信を
されていた新藤義孝議員の存在を知り、いつも優しい
面持ちのこの議員さんがどんな議員さんであるか更に
知りたいと思い閲覧したHPで、新藤議員が栗林中将の
お孫さんであることも知りました。
★硫黄島と栗林中将と新藤義孝大臣。
新藤議員が野党だった4年前のビデオで、私は硫黄島での
「日米合同慰霊祭」の模様を拝見し、「恩讐を超えて」という
言葉の重みをひしひしと感じた次第でした。
かつて敵味方で戦った者同士が集まって「共同の慰霊祭」が
行われるのは、ただ一か所、この硫黄島での慰霊祭ただ一つ
だけだそうです。
今回改めて、この「日米合同慰霊祭」がいつから始まったのかを
確認してみました。
先ずは米国海兵隊の公式サイトからです。↓
http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/news/130322-iwo.html
【硫黄島の追悼顕彰式で英霊に敬意を払う】
(米国海兵隊の公式サイト:2013年3月22日)より
3月13日、硫黄島戦68周年を追悼する、名誉の再会式典への
参列のため、当時、硫黄島で対戦した日米退役軍人や現役軍人が
硫黄島に集結しました。
式典は、過去の激戦や武力衝突を乗り越えて生まれた、
日米関係の証でもあります。
ローレンス・スノーデン米海兵隊退役中将は、
「ここでの戦闘は68年前に終結し、今、日本は良き友人なので、
日本に対する感情は異なります。
私たちは忘れることはないかも知れませんが、
許すことはできます」
と話しています。
戦後、日米同盟は繁栄してきたと硫黄島で戦った
ウイリアム・ショット元海兵隊軍曹は話し、
「かつて戦った場所へ戻ってきて、今、日米は同盟国、
パートナーとして和解しています。
この式典は素晴らしい経験です」
(中略)
追悼顕彰式は、退役軍人が硫黄島戦40周年に献呈した
岩碑を中心として行われました。
英文は米軍が上陸した海岸方向を向いて刻まれ、
日本文は日本軍が陣営を防衛した山側に刻まれて
います。
>退役軍人が硫黄島戦40周年に献呈した岩碑
この碑は「日米再会記念碑」と呼ばれているそうです。

★『黄島の地を踏んで』(株式会社ニチマイ米国事務所HP:2013年7月16日)より
(※株式会社ニチマイは資料調査事業を行うマイクロフィルム
サービス事業の会社だそうで、米国国立公文書館における
膨大な米軍資料の中から、貴重な戦没者関連資料を
発見し、旧日本兵の遺骨帰還事業の推進に大きく貢献
されているとのこと。)
海兵隊のHPによると、この日米再会記念碑の碑文には、
こう記されているそうです。↓
硫黄島戦闘四十周年に当たり、曾つての日米軍人は
本日茲(ここ)に、平和と友好の裡(うち)に同じ砂浜の
上に再会す。
我々同志は死生を越えて、勇気と名誉とを以て戦ったことを
銘記すると共に、硫黄島での我々の犠牲を 常に心に留め、
且つ決して之を繰り返すことのないよう祈る次第である
昭和60年2月19日
昭和60年。
1987年。
戦後40年にして、あの激戦地だった硫黄島の地で、
このような碑が建立され、そして日米双方の兵士たちが
「再会」したことの重み。
「恩讐を超えて」
ここに関わった方々が戦後40年のなかで、様々な思いを
整理し、ここまで来られたその尽力に敬意を表したいと
思います。
http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/wp-content/uploads/sites/2/files1/Ioutou_Book.pdf
【日米両軍の兵士 再び硫黄島へ上陸す】
(硫黄島クロニクル~島民の運命(さだめ):
全国硫黄島島民の会)より
1985(昭和60)年2月19日。
硫黄島の二ッ根浜に9,000人の米軍海兵が上陸した日から
ちょうど40年を数えたこの日、まさに同じ場所で、当時
敵対した日米双方の兵士ら約400名が「名誉の再会」を
果たした。
当日海岸に建立された記念碑には海側に英文、山側に
和文で言葉が刻まれており、それぞれの面に日米元兵士が
整列する様子は、あたかも40年前を再現するかのようで
あったという。
同じ痛みを分かち合った兵士たちは、互いに歩み寄り、
抱き合って涙を流した。
横書きのプレートが2枚埋め込まれた海側から見た
記念碑は、山側から見ると縦書きの碑の元にお供えの
できる形になっています↓

その後、1995年3月には50周年記念、2000年3月には
55周年の日米合同慰霊祭が行われ、近年もほぼ
毎年のように行われています。
こちらは2009年の日米合同慰霊祭の様子です。↓
★日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式(平成21年3月18日 新藤義孝)
2015年3月21日に行われた戦後70周年の
日米合同慰霊祭には、初めて塩崎厚労相と
中谷防衛相の2人の閣僚が、また米国側の
政府高官も出席しました。
こちらは2015年の慰霊祭でのショット写真です。↓

スノーデン大尉と新藤義孝議員。

日本側遺族とスノーデン大尉。
スノーデン大尉はなんて穏やかな表情をされている
のだろうか・・。
この一か月後、安倍総理の米国議会演説が行われ、
硫黄島で長い年月をかけて日米双方の関係者の方たちに
よって培われてきた「信頼」が、あの米議会という公式な場で
改めて紹介されることとなりました。
もう一度あの時の演説を振り返ります。
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0429enzetsu.html
【米国連邦議会上下両院合同会議における
安倍内閣総理大臣演説】
(平成27年4月29日:首相官邸HPより)
先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。
神殿を思わせる、静謐な場所でした。
耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。
一角にフリーダム・ウォールというものがあって、
壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。
その星一つ、ひとつが、斃れた兵士100人分の命を表すと
聞いたとき、私を戦慄が襲いました。
金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りの
シンボルに違いありません。
しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろう
アメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。
家族への愛も。
真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海、メモリアルに刻まれた
戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、
未来を思いました。
歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。
私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、
黙祷を捧げました。
親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、
先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。
とこしえの、哀悼を捧げます。
みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将が
お座りです。
70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に
上陸した方です。
近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加して
こられました。
こう、仰っています。
「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。
その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。
もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。
かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さん
こそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官
でした。
これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。
熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ
友になりました。
スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。
ほんとうに、ありがとうございました。

今、改めて安倍総理の昨年の米国議会での演説を読むと、
オバマの広島でのスピーチは、あの時の安倍総理の言葉に
呼応していることがよく判ります。
それだけ、安倍総理の演説はアメリカにとっても琴線に触れる
ものだったのだと。
そして、その恩讐を超えての「和解」の「バトン」は、安倍総理から
スタートしたというわけでは決してなくて、それまでに長い年月を
掛けてスノーデン大尉はじめ、多くの日米の人たちの「良心」に
よって繋がれてきたものであることを忘れてはならないと思います。
下記ブログ記事で、そのために必要なことはなんなのかという
ことを書いたのですが、それはテレビで流れたハワイの退役軍人の
方の言葉を聴いたのが考えるきっかけでした。↓
★嵐の櫻井翔くんが紹介した真珠湾の「アリゾナ記念館」と
自虐史観からの脱却。
それは日本人としての「誇りと名誉」を護るため。
あの熾烈な戦争からの「日米の和解」は、互いの国民の
誇りと名誉を守らなければ為し得ない。
そしてそうするためには、互いの「良心」を一つ一つ認めて
いくことにある。
★安倍総理の米議会演説に込められた3つのこと。
恩讐を超えて、「アメリカの良心」を信じ、お互いの「誇り」を護る。
大事なことは、
「恩讐を超えて。」
「アメリカの良心。」
「日本人の誇りとアメリカ人の誇り。」
だと感じてきた。
今回の広島で加わったのは、まさしく被爆者のお2人の「良心」。
そして被爆者の方々の「良心」だった・・。
原爆投下について、東京裁判で、あの時代において、
アメリカ人の2人の弁護人、ファーネス弁護人と
ブレークニー弁護人は、当時到底認められるはずも
なく、許されるはずもない「公平さ」を裁判に求めた。
そして特にブレークニー弁護人は、自国の「時の施政者」が
行った「原爆投下」に触れた。
★東京裁判: ブレイクニー弁護人の弁論
それは、彼らの「アメリカ人としての良心」であると言える。
そして、あの場での発言がどれだけ危険であり、また勇気の
要ることであったことか・・。
この東京裁判でのアメリカ人弁護人の「良心」は、原爆で
亡くなったアメリカ兵の捕虜を追悼する活動をずっと続けて
きた森重さんの「良心」とも繋がる。
本当に頭の下がる思いがする・・。
「和解」とは、こうした一つ一つの「良心」を忘れることなく
刻んでいくことから始まるのだと。
安倍総理は、戦後70年目を経て、日米両国の先人たちの
誇りと名誉を守りながら、これら日米両国民が見せてきた
「良心」を忘れることなく、日米両国民を信頼し、子や孫に
責任を負わせないという強い意志の元、ついにオバマの
広島訪問を実現させた。
最後には日米両国民の持つ「良心」が「恩讐を超えての和解」を
導き出した。
本当に歴史的な瞬間だった。
アメリカは、何に掻き立てられたのか。
何故、人種差別撤廃を最初に掲げた日本がターゲットと
なっていったのか。
★日刊ゲンダイが叩きまくる三原じゅん子議員の発言「八紘一宇」は
「ユダヤ人保護」を進めた日本の国策の元であることを知ってほしい!
★映画『杉原千畝 スギハラチウネ』を観た方たち、主演の唐沢寿明さんたちに、
是非知って欲しいこと。
日本国は「八紘一宇」の精神のもと「ユダヤ人保護政策」を取っていました。
「捏造」と「扇動」。
あの時も、そして今も、恐ろしいものは変わりがない。
★共産党の「ポツダム宣言」と「カイロ宣言」の政局利用は
広島・長崎原爆投下の「正当化」にも繋がっていく。
★共産主義VS安倍総理の進める強固な日米同盟。
NHKもTBSも日本のマスコミは、日本の共産化を狙うスパイも同然!
最も怒りを持つべきなのは、人を陥れ貶める「捏造」や「扇動」を
繰り返す連中に対してであり、また、それを行って国民を騙し、
不当に権力を得たニセモノの施政者に対してであり、それに
よって誕生した狂った施政者に対してである。
硫黄島から市丸中将が宛てたルーズベルトへの手紙。
そこには、あの地で敵対したアメリカ人に対してではなく、
アメリカの「時の施政者」に対しての怒りが綴られていた。
捏造と扇動が繰り返され、それに振り回され、その渦の
中へと巻き込まれていくことの恐ろしさ。
誰もがそれによって「正気」を失い、「判断」を誤る。
それは今も同じなのだと。
二度と過ちを犯してはならないのは、その捏造と扇動に
騙されてはならないことである。
かつては「友邦」であったはずの日本人が突如ターゲットと
なったのは何故か。
そこには何があったのか。
捏造と扇動。
この恐ろしさを改めて感じる。
市丸利之助海軍少将の、硫黄島からルーズベルトに
宛てた手紙。
★硫黄島からルーズベルトに宛てた手紙。
拉致問題解決を遅らせた「自虐史観」から目覚めるためにも
読んで欲しい。
youtube:ルーズベルトに与うる書
【ルーズベルトに与うる書 … 市丸利之助海軍少将】
日本海軍市丸海軍少将がフランクリン・ルーズベルト殿に、
この手紙を送ります。
この戦いが終わるに当たって、
私はあなたに一言を告げることがあります。
ペリー提督の下田入港を機として、日本が世界と国交を
結ぶようになって百余年が間、日本の歩みというものは
至極難儀を極め、自らが望んでいるわけでもなく日清戦争、
日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変と経験し、
不幸なことに貴国と交戦するにまで至りました。
これについてあなたがたは日本の戦争に対し、
或いは好戦的で残虐な国民であると、
或いは黄色人種の跋扈(ばっこ=「のさばり、はびこること」)だとか、
或いは軍閥の専断によると言われますが、
これはとんでもなく的外れであります。
あなたがたは真珠湾の不意打ちを唯一つの対日戦争に
対する宣伝資料としているようですが、日本が自滅から
逃れるため、このような戦争を始めるところまで
追い詰められた事情は、あなたがたが最もよく存じている
ところではないでしょうか。
畏れ多くも日本天皇は、皇祖皇宗建国の
大みことのりに明らかであるように、
養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を
三綱とする八紘一宇(天下を一つの屋根の下に)
という言葉で表現される国家統治計画に基づいて、
地球上のあらゆる人々はその自らの分に従って
『その生まれた土地においてその生を享受する』
このような恒久的世界平和の確立を唯一の念願と
されているに他なりません。
このことはかつて、
「四方の海 皆はらからと 思ふ世に
など波風の 立ちさわぐらむ」
(意訳:人は皆家族であるのに、なにゆえ争わねばならないのか)
という明治天皇の御製に言われていることと同じで
あります。
これを聞き、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト
閣下が感嘆したことをあなたも良く知っていることでしょう。
我々日本人にはいろいろな階級の人がおりますが、
つまるところ彼らは色々な職業につきながら、
この天業を助けるために生きているのです。
我々軍人もまた、戦争という生業でこの天業を
広く推し進める助けをさせて頂いております。
今の我々は、あなた方の物量を誇る航空戦力や艦砲射撃に
対して圧されている状況にありますが、 精神的には充実して
おり、士気はますます高揚し、歓喜に溢れているのです。
これが天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理で
ありますが、あなたやチャーチル殿には理解できないかも
しれません。
あなた方の精神的な弱さを悲しく思い、一言書かせて
いただきます。
あなた方の立ち振る舞いをみると、白人とくに
アングロサクソンによって世界の利益を独り占めにしよう
とし、その野望の為に有色人種を奴隷としてきたでは
ありませんか。
好計(かんけい=「悪だくみ」)を弄して有色人種を騙す
という、いわゆる悪意のもとの「善政」によって、
彼らから考える力を奪い、無力にしてきたのです。
近世になって日本があなた方の野望に抵抗して、
有色人種とくに東洋民族としてあなた方の束縛から解放を
試みましたが、 あなた方は日本の真意を少しも理解しよう
とはせず、ひたすら有害な存在であるとして、かつては
友邦であったはずの日本人を野蛮人として、
公然と日本人種の絶滅を口にするように
なったのです。
どうして神意に背くのでしょうか。
大東亜戦争により、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、
それぞれ各地の民族が善政を行い、そしてあなた方が
これを破壊しなければ、全世界が恒久的平和を実現する
のも決して遠くはないのです。
あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているのにも満足せず、
数百年来あなた方の搾取から逃れようとする哀れな人類の
希望の芽を、どうして若葉のときに摘み取ってしまうのですか。
ただ単純に東洋のものを東洋に返すということに過ぎないのです。
あなた方白人はどうしてそうも貪欲で狭量なのでしょうか。
大東亜共栄圏はあなた方の存在を少しも
否定しません。
むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の
安寧幸福を保障するということに日本天皇の
神意があるということを理解できる雅量を
あなた方に望んでいるのです。
ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解が原因で
人々が闘争することがいかに悲惨であるか、痛嘆せざるを
得ません。
今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは
慎みますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、
一次大戦終結のとき、その開戦の責任一切を敗戦国である
ドイツ一国に被せ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に
対する反動であることを看過できません。
あなた方がいかに善戦してヒトラー総統を倒したとしても、
どうやってスターリンを首領とするソビエトと
協調するつもりでしょうか。
おおよそ世界が強者の独占するものであるならば、永久に
闘争を繰り返し、遂に世界人類に安寧幸福の日は来ることは
ないでしょう。
あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとして
おります。
あなた方も得意になっているのでしょう。
しかしながら、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、
そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。
願わくば、私の言外の意を汲んでいただき、
その轍を踏むことがないように。
市丸海軍少将
【ルーズベルトニ与フル書 原文と英文】
この手紙は、まだ未成熟だった「あの時代」と、そして
「時の施政者」が危険な思想に:取り憑かれてしまえば、
世界は破滅へと導かれてしまう危険、そして現実として
「あの時代」がそうなってしまったことを伝えるものでも
ある。
人を「狂気」へと導いたもの。
それはいったい何だったのか。
広島の原爆慰霊碑の前で、アメリカの現役大統領と
被爆者が交わした固い握手と、笑顔の語らいと、抱擁。
そのアメリカの大統領が、黒人の血を引いたオバマであったこと。
そのことは、あの歴史的瞬間での「偶然」であろうけれども、
でもそうでなかったら為し得なかったかもしれないし、また
それこそが「必然」であったのかもしれない。
そして、かつてマンハッタン計画を策定し、原爆投下を決定、
実行した米国民主党の大統領であったことも。
また「キューバ危機」でのケネディ大統領の核戦争回避。
その娘であるケネディ駐日大使が、その場に居合わせて
いたことも、歴史の偶然であったかもしれないが、
その偶然は、2013年の就任時期を考えれば、何か
今回のことへと導く「必然」であるとして敢えて引き寄せた
力があったようにも思えてしまう。
ありとあらゆる過去からの積み重ね。
オモテだっては見えない、しかし遥かに強い意志をもって
あの戦争を「乗り越えていこう」と力を尽くした人たち。
どんなことでも一朝一夕で為し得ることではない。
簡単に、あの広島の一日がセッティングされたのではない。
そこには、日米の多くの人たちが一つ一つ小さな「信頼」を
本当に一つ一つ積み上げていった、その長年の努力が
実を結んだのだと私は思う。
自分と同世代のオバマが広島を訪問したことは、自分に
とっても本当に感慨深いものがある・・。
安倍総理が「子や孫に責任を負わせない」と言った
あの言葉は、オバマにも通じる。
そして、「かの地」の施政者にも。
安倍総理はその声を何度となく発信してきたが、しかし
「かの地」には届かず、いまだ拉致被害者は「かの地」に
いる・・。
そして、そこに核兵器があるという事実。
オバマは北朝鮮に対しては日本が望むような対応を進めることは
やはりなかった。
民主党の大統領に、それを望むのは無理だろうとは思っていた。
その事を安倍総理も十分承知の上で、ここまでやってきたのだと思う。
恐らくは拉致問題のことも安倍総理は何度となく訴えただろう。
しかしオバマはそこに強い関心を持つことはなかった。
しかし、そういうオバマが大統領である間、何を進めることが
出来得るのか。
その答えが「現役大統領の広島訪問」だった。
安倍総理と岸田外相のここまでの努力が実を結んだのだ。
広島出身の岸田外相の思いは、私などが思うよりもはるかに
強かったに違いない・・。
北朝鮮の核兵器と拉致問題は、どちらも日本にとって
最重要問題である。
マスコミが決して批判しようとはしない共産圏の核兵器所有。
この歪み切った報道の中で、、安倍総理は耐えてきた。
また、忘れてはならないのは、戦争での被爆国は唯一、
日本だけであるが、その後の特に1960年~70年代に
かけて無謀かつ非道極まりない地表、居住区での
「制限なき核実験」により、東トルキスタン(新疆ウイグル
自治区)が被爆したという事実。
これらがもう一つの厳しい、またメディアが敢えて報じない
「現実」である。
重大なこととして、そこには、「捏造」と「扇動」が渦巻く。
恐ろしいことに日本国内には、それに加担する者たちが
いる。
そんな中で「信頼」など築けるはずもない。
その罪深さ・・。
「犠牲」はこうして作られていくのだと・・。
同じなのだ、昔も今も。
人を陥れ、貶め、「生き地獄」へと導く卑怯極まりない捏造と扇動。
人の命を軽視してまでも優先される「プロパガンダ」・・・。
憎むべきはそこにあるのだと思う・・。
2016年5月27日。
広島の一日を心に刻む。
多くの「良心」によって報われた一日を決して忘れない。
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